[3046] 新しい人生は始められるか?

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《あれもこれもどれもそれも喰いたかった》

■映画と夜と音楽と...[501]
 新しい人生は始められるか?
 十河 進

■歌う田舎者[22]
 旅の鼻水はかみ捨て
 もみのこゆきと



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■映画と夜と音楽と...[501]
新しい人生は始められるか?

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20110520140200.html
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〈帰らざる日々/卒業/真夜中のカーボーイ/ハワーズ・エンド/日の名残り/新しい人生のはじめかた〉

●新しい人生を始めるには偶発的に起きることを願っても無駄

今の状況でこういう言い方は差し障りがあるかもしれないが、若い頃、「今ここで大地震か何かが起きて今までのすべてが崩壊し、まったく別の人生が始まればいい」と空想することがあった。人生のリセットである(当時は、そんな言葉は存在していなかったけれど)。誰もが一度や二度は望んだことがあるだろう。1978年の夏、「帰らざる日々」の中で浅野真弓が同じことを言ったとき、僕はひどく共感したことを憶えている。

主人公(永島敏行)は作家志望の青年。キャバレーのボーイをしながら小説を書き、同僚のホステス(根岸とし江)と同棲している。ある日、父親が危篤だと連絡を受け、新宿駅から故郷の飯田へと向かう列車に乗る。列車が発車し、その車両を正面から望遠レンズの距離感を詰めた画面で捉え、アリスが「最後の電話を握りしめて〜」と歌う「帰らざる日々」が流れる。

帰郷する列車の中で、主人公はほんの6年前の高校時代を回想する。不良になりきれない彼は、入り浸っている喫茶店の年上のウェイトレス(浅野真弓)に憧れている。仲間が「マドンナ」と呼ぶ美人だが、彼女は喫茶店の妻子あるオーナー(中尾彬)と不倫関係にある。そんな袋小路のような男女の仲に苛立っているのだが、男とは別れられない。

ある日、彼女は自分に憧れる高校生(主人公)から「公園で待っている」という手紙を受け取り、戸惑いながらも自分に憧れる年下の少年に対する愛しさも湧き起こったのだろう、指定された町の中心地にある公園へ出かけるが、それは自分の従兄弟(江藤潤)が勝手に気をまわしてふたりを逢わせる企みだったと知る。

その公園のベンチに主人公と並んで腰かけた浅野真弓が口にする言葉が、「今ここで大地震か何かが起こって、ぜーんぶなくなってしまえばいい」というものだった。その気持ちは僕にもよくわかった。漠然とした気分だったが、当時、そんな風に思うことは多かった。具体的な不満があるわけではない。何となく、今まで生きてきたことをゼロにして、新しく何かが始まれば...という期待だったのかもしれない。

大学を卒業して3年が過ぎようとしていた。結婚をして2年になっていた。会社ではまだ新人扱いだったし、付き合いが長かっただけにカミサンとは10年近くも一緒にいるような気分だった。毎日が同じように流れていき、自分の夢や希望がしぼんでいくのが見えた。休日は本を読み、応募のあてもない下手な小説を書くだけだった。その頃は、酒もほとんど飲まなかった。

あれから30数年が過ぎ、僕はリタイアさえ現実のものとして考える年令になった。27歳の僕はもうすぐ還暦を迎える。あの頃、そんな自分を想像することさえできなかったが、現実にあの後の長い長い年月を生きてきたのだ。その間、様々なことがあったとしか言いようがない。思いがけないこともあったし、やっぱりこうなるのかとため息をつくこともあった。

人生は予想できないが、起こってしまったことは「あのとき、ああなるようになっていたのだなあ」と、妙に納得できるものだと知った。人は諦めることに慣れるのだろう。昂揚と失意、期待と挫折、そんなことの繰り返しだった。充実したときもあったし、空虚な想いに捉われ、虚しさにふさぎ込むこともあった。結局、「人生はままならない」という一般的結論に到達した。

そして、僕はあの震災に遭った。もちろん初めての体験だ。その後、東北を中心とした大きな被害を知るにつれ、現実の大地震の結果に震撼した。多くの死者、それまでの人生のすべてを失った人、それらは現実のものとして僕の目の前に立ち上がってきた。今、大地震が起こっても生き残った人たちは生き続ける他ないし、人生はリセットなどできないのだと僕は改めて思う。

そして、新しい人生を始めるには、何かが偶発的に起きることを願うのではなく、自分自身で切り開いていくしかないのだと、身に沁みて実感した。

●「ラストチャンス」から新しい人生は始められるか

ハーヴェイはCM音楽ばかり作ってきた作曲家だった。しかし、もうセンスが古いと思われ、仕事は減っている。今やっている仕事もクビになりそうだ。かつて結婚し娘もいたが、離婚し今はひとり暮らしである。別れた妻は金持ちの男と再婚し、娘もその義父と仲良く暮らしているらしい。

そんなハーヴェイに娘の結婚式の案内が届く。ロンドンで結婚式を挙げるという。彼は長い付き合いのCMプロデューサーのアドバイスも聞かず、娘の結婚式に出席するためにロンドンへ向かう。そのハーヴェイの背中に向かってプロデューサーが言う「ラストチャンス・ハーヴェイ」という言葉が映画のタイトルになっていた。

「最後のチャンスだぞ」という言い方は、プロデューサーの脅し、あるいは最後通牒である。別な日本語に訳せば、「これが最後」であり「後がない」ということだ。だから、様々なことがあり、結局、ロンドンをさまようことになるハーヴェイの携帯電話にプロデューサーは「あんたはクビになった」と連絡してくるのだ。

そんな原題を持つ映画に日本の映画会社は「新しい人生のはじめかた」(2008年)という邦題を付けた。「ラストチャンス・ハーヴェイ」とは、まったく逆のニュアンスを持つタイトルだ。「新しい人生のはじめかた」というタイトルからは、未来に向かう積極的な気分が湧き起こってくる。「新しい人生をはじめよう」と呼びかけられている気がする。

だが、実際は初老の男の苦い物語だ。結婚式の前夜の集まりで、ハーヴェイは疎外感しか感じない。娘には「教会のバージンロードは義父と歩く」と告げられるし、妻が再婚した相手との財力の差を見せつけられる。妻と再婚相手と娘の間には、ハーヴェイが入れない壁のようなものがある。慣れないロンドンで親しい友もおらず、彼は沈み込むしかない。

そんなハーヴェイが出会うのは、やはり疎外感を感じながら生きている中年女のケイト(エマ・トンプソン)である。彼女は偏狭な母親と暮らしているが、その母親を疎んじながらも決別はできない。それが結婚もせずに40半ばを過ぎてしまった原因かもしれないが、彼女の性格自体が招いた結果だと自分でもわかっているのだ。

友人のカップルが彼女を心配して男友達を紹介してくれるのだが、人付き合いの下手な彼女は相手の調子に合わせることができない。静かに本を読むのが好きなケイトは、軽薄に盛り上がることができないのだ。相手の男はレストランで知り合いの女に出逢い調子よく会話をして盛り上がり、化粧を直して戻ったケイトの居場所はなくなっている。

そんな状況でも、ケイトは肩をすくめて相手に悟られないように姿を消すだけだ。自分が場違いな人間だと自覚しているのである。それに今更恋愛なんてしたくない、傷つくだけだと思っている。言い聞かせている。しかし、それは諦め切れていない自分の心をなだめているだけなのだと、心の隅では感じている。自己を客観的に観察し、分析できる深い知性が彼女にはある。

●アメリカの名優ダスティン・ホフマンとイギリスの名女優エマ・トンプソン

アメリカを代表する名優ダスティン・ホフマンとイギリスの名女優エマ・トンプソンの共演となると、それなりに深いシナリオを準備しなければならないと思うが、「新しい人生のはじめかた」は軽快さを感じさせる大人のラブストーリーになっていた。ふたりとも深刻ぶらないし、人生の経験の深さを前面に出すわけでもない。初老と呼ばれる歳になっても悟れるわけではないし、何かが始まれば青春時代と同じようにドキドキもするのだ。

僕の世代はダスティン・ホフマンを見ると、「卒業」(1967年)と「真夜中のカーボーイ」(1969年)を思い浮かべる。僕は「卒業」は「いい気なモンだ」という感じで批判的に見たが、「真夜中のカーボーイ」のラッツオ役のダスティン・ホフマンには驚き、強い衝撃を受けた。何て凄い俳優だろう、と目を見張った。

「真夜中のカーボーイ」のラッツオはフロリダへ向かう長距離バスの中で死んでいったが、「卒業」のベンは結婚式から花嫁をさらってバスに乗った。大塚博堂は「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」の中で、「ダスティン・ホフマンになりたかったよ」と他の男と結婚する恋人に向けて歌ったが、僕はどうしても「卒業」のラストシーンをハッピーエンドとは思えないのだ。

「新しい人生のはじめかた」のダスティン・ホフマンがベンの数10年後の姿という気がするのは、僕が「卒業」のふたりのその後をひどく心配していたからかもしれない。ベンとエレインは、どこへいったのか。彼らは、幸せになったのか。エレインは、母親と寝ていたベンを許したのか。一時の情熱は冷め、ふたりは別れてしまうのではないのか。

そんな僕の危惧のひとつの結果を、「新しい人生のはじめかた」のハーベェイは見せてくれる。彼は離婚し、孤独に生きている。仕事はそこそこ順調にやってきたが、最近はいき詰まり始めている。才能の枯渇や年令を感じることも多い。経済的には苦労はしてこなかったが、といって老後に不安がないわけではない。しかし、老いるには早い。中途半端な歳だ。

彼は期待を外され、拗ねたような気分で娘の披露宴には出ないことにする。しかし、知り合ったケイトに「娘さんの披露宴には出なきゃダメ」と叱咤され、ケイトを同伴者として出席する。ケイトは知的で落ち着いた会話ができるハーヴェイに惹かれ始めているのか、パーティに出るためのドレス選びではしゃぐ。

しわの目立つエマ・トンプソンがとてもいい。撮影時、彼女の実年令は49である。僕がエマ・トンプソンを初めて見たのは、アカデミー主演女優賞を獲得した「ハワーズ・エンド」(1992年)だった。映画デビューが遅かった彼女は、そのときすでに30をいくつか過ぎていた。しかし、理知的な容貌は印象に残った。ケンブリッジ大学で英文学を学んだ才媛であり、舞台女優特有の風格を漂わせていた。

翌年、エマ・トンプソンは「日の名残り」(1993年)と「父の祈りを」(1993年)で、再びアカデミー主演女優賞と助演女優賞にノミネートされ話題になった。30半ばを前にして大女優として認められたのだ。やがてヴァネッサ・レッドグレーブやジュディ・デンチのようなイギリスを代表する女優になるだろう。最近の「17歳の肖像」(2009年)では、ロンドンの名門女子校の威厳ある校長役をやっていた。少し前ならジュディ・デンチの役である。

アカデミー賞受賞から20年近くが過ぎて、「新しい人生のはじめかた」のエマ・トンプソンは知性に磨きをかけ、深い経験から生まれる何かを加え、憂愁の翳を感じさせる成熟した女性像を演じていた。そう、彼女は終始、憂い顔なのである。戸惑いや諦めの表情、そんな沈んだ顔で生きているケイトがハーヴェイと出逢い、笑顔を見せるシーンが印象深い。キラリと輝くような明るさが差し込んでくる。

ふたりは意気投合し、惹かれ合い、翌日の再会を約束する。しかし、ある事情でハーヴェイは約束の場所にいくことができない。あるいは、心理的なブレーキがかかったのかもしれない。現実的にいけなくなった障害とは別に、もう若くはない、再会したところでふたりにどんな未来があるというのか...、そんな心理がなかったとは言えないのではないか。

一方、ケイトも期待に胸を膨らませるほど若くはない。一夜の昂揚は夜明けと共に醒めるし、人は心変わりする。だから、ハーヴェイが「明日、同じ場所で...」と言ったとき、期待する気持ちと裏腹に「期待してはいけない」と囁く己の声に気付いていたはずだ。約束の時間が過ぎてもじっと椅子に座っている憂い顔のケイトを見ると、そんな心理が伝わってくる。ホラ、やっぱり期待しちゃいけなかったのよ、と彼女は言い聞かせているようだった。

●人は何かを始めると、その結果に期待するが...

人は何か行動を起こしたり、何かを始めたりすると、その結果に期待する。ケイトは偏狭で口うるさい母との生活を棄てることができず、何かを諦めて静かに生きてきた女性だ。しかし、もう恋愛沙汰なんてないと思っていたときに、ハーヴェイと出逢い、もしかしたら新しい人生が始まるかもしれない、と期待した。ところが、約束の場所に男はこなかった。もう傷つきたくない、と彼女は思った。

年を重ねることで、人は何を会得するか。諦めることである。落胆、失意、挫折、そんなことは人生で何度も経験する。若い頃には、期待を裏切られた落胆はひどく身に応えたものだが、何度も経験するうちに慣れてくる。がっかりはしても、長く引きずることもなくなる。僕は心の中で「セ・ラ・ヴィ(それが人生だ)」とフランス語で気取って言うことにしているけれど、「人生なんて、そんなものさ」というやり過ごし方(己のだまし方)が身に付いてくる。ひと言つぶやけば、たいていのものは諦められる。

だから、多くの人は年を重ねるほど「新しい人生」を始めようとは思わなくなる。静かで落ち着いた生活が続くのなら、今のままでいいと考える。若者たちから見れば保守的な生き方だろうが、穏やかな生活が一番という気分になるものだ。僕自身は与党に投票したことは一度もないが、この歳になって日本の戦後政治を自民党や民主党という現状維持を掲げる保守党ばかりが政権を担ってきた理由がわかる。人々は変革など求めていないのだ。

そして、己の人生においても多くの人は変化を求めない。新しい女性との出逢いによって心乱されることを嫌う人だっている。何も起きないこと、静かな日常が穏やかに過ぎていくこと...それが人生の幸せなのだと、この歳になるとわかる。しかし、しかしだ...と、もうひとりの僕が囁き始める。

──確かに、期待が大きければ大きいほど、失意にうちひしがれる。沈み込む。挫折感を味わう。深い傷になる。だからといって、新しいことを求めない人生にどんな意味がある?

そう問いかけられたら、僕はどこかで自分の心が疼くのを感じるだろう。それは、結局のところ僕が諦め切れていないからなのか。あるいは、生きることが常に何かを新しく始めることだからなのだろうか。「新しい人生」などはどこにもない。すべての人間の前には、未知の時間が広がっているだけだ。だから、いくら穏やかに暮らしていても、大地震で生活が根こそぎ破壊されることだってある。

常に未知の未来に向かって新しいことを始め続けるのが、人が「生き続ける」ということなのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
世界が破滅に向かっているようなイヤなことばかりが続きます。仕事でも気の重くなることが続き、ふさぎの虫に取り憑かれることが増えました。そんなときは、やはり映画を見るのが一番。ウィスキー片手に映画を見ると、精神も高揚します。飲み過ぎに注意しなきゃいけませんが...。

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■歌う田舎者[22]
旅の鼻水はかみ捨て

もみのこゆきと
< https://bn.dgcr.com/archives/20110520140100.html
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ちいさなストレスが降り積もり続けたある日、ばっさり髪を切ってみた。ニュースタイルを見た友人曰く「滝川クリステルみたい」。
そうかそうか。すっかりいい気になって、別の友人にメールした。
「すっぱりさっぱり髪を切りました。これからはシルビア・クリステルとお呼びになってね」

相手に指摘されるまで、その間違いに気付かなかった自分の年齢が憎い。えぇ、えぇ、そうですとも。わしの年齢じゃ、クリステルと言えばシルビアの方に決まっとるやないかい。何か文句でも?

そんなある日、職場の偉いおじちゃんが笑顔で話しかけてきた。
「もみのこさん、もうすぐGWだけど、どこか行くの? さすがにもう一人旅なんてする勇気とか元気とかないでしょ」
「......は?」
勇気がないだとぅうぅうぅうぅうぅうぅ!!(←前川清風ビブラート)
勇気がないんじゃなくて、休みがないんじゃねーか!

わしがこの職場に転職したときの自己紹介はこうであった。「一年に一回はパスポートに印鑑をもらえないと壊れます。ホントです」

皆さま笑って聞いておられたが、新婚旅行と入院以外は長期休暇なんてとんでもない職場であったのだ。ある同僚からは「金曜日とか月曜日に有休すると、連休になるから嫌がられます。気をつけた方がいいですよ」というご注進も賜った。

連続する休みが土日だけっつーことは、せいぜい霧島新燃岳の視察くらいしか行けないではないか。よって、5年もパスポートに印鑑をもらうことなく、発狂寸前になろうとも、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んできたと言うのに、勇気がないとはなにごとか。偽装結婚と偽装入院を繰り返すぞ、この野郎! しかも「元気とかないでしょ」って、おまえ、わしのことを年寄り扱いしたな!

「ぼっけもん」という鹿児島弁がある。Wikipediaによると「薩摩・鹿児島県人の気質を表した言葉。挑戦心がある、豪胆な、向こう見ずな、大胆な、無鉄砲な、豪傑な、やんちゃな、元気な、無茶な、荒くれ者、ウジウジしない、肝っ玉が太い、無邪気な様・人物を表現した言葉」ということになっている。

対義語は「やっせんぼ」であり、意気地なし・弱虫を指す。「薩摩人はぼっけもんでなければ生きていけない。やっせんぼは生きていく資格がない」との名言もあるくらいだ。今わしが作ったんだが。

わらわは「やっせんぼ」と言われることが一番嫌いなのじゃ。天璋院篤姫の血を引く薩摩おごじょが「やっせんぼ」などと言われて、おめおめと引き下がるわけにはいかぬ。女の道は一本道。わらわのプライドを賭けても一人旅に出なければならぬ。

♪わたしはいま〜 みなみのひと〜つぼ〜しを〜♪ そう。プライドと言えば今井美樹。プライドは香取慎吾・安田成美主演の「ドク」の主題歌だ。舞台はベトナムである。されば赴こうではないか、越南へ。そして、まだ年寄りではないことを示すのだ!

......と職場の女子に言ってみたところ、「それってすごく昔のドラマですよね」「え、ついこないだじゃなかった?」「あたしが中学生の頃だったんじゃないかなぁ」「げっ、中学生?」「受験勉強してる頃、カラオケでプライド歌ってたような気がするなぁ」「そ......その頃、わしゃあ普通に働いとったよ」よくよく調べてみると1996年放送のドラマである。村山富市が退陣した年だ。やはりわしは年寄りなのか。

それはさておき、俄然突然旅に出る気になったわしは、GWまで残すところ一週間となってからHISに航空券の相談に行き、直行便は取れなかったものの、福岡発着の中華航空台北乗り換えチケットを確保。失効していたパスポートを取得しなおしたのは出発日の2日前である。

♪た〜び〜は〜 つなわ〜たり〜♪と、『恋の綱わたり』by中村晃子の節で鼻歌を唸るわし。えっ? そんな歌ぜんぜん知らない? やはりわしは年寄りなのか。

ホテルもなかなか取れず、前日深夜までネット検索してホーチミン4泊・台北1泊をなんとか確保したのだが、ベトナムは4/30が南部解放記念日、5/1がメーデーで、日本のGW期間はあちらも連休で混雑する時期らしい。GWにベトナムに行く方は初動が大事である。

全線開通した九州新幹線の始発便で福岡空港へ向かったが、GWということもあって、チェックインカウンターは激混みである。ちなみに九州新幹線が全線開通していなかったら、10時10分福岡空港発の国際線に乗るためには前泊が必要になるところだった。あぁ、しかし、久々に憧れの飛行機、それも国際線。田舎者にとって飛行機に乗る人はスター以外の何者でもない。

心躍る憧れの飛行機に乗り、スター気どりで台北に到着。iPhoneの電源を入れると、自動的に台湾時刻になっていて、海外パケットし放題対象のTaiwan Mobileに接続したぜ的メールが来ている。なんだかわからないがすごいぞ。

そうこうしていると、免税店の店員さんに「アニョハセヨー」と声をかけられた。わしって韓国人に見えるのか? もう脳内では、「台北の免税店を歩く、少女時代似の滝川クリステル」という妄想が炸裂している。

コスメ価格のチェックだけして、ホーチミン行きに乗り換えると、なんだか機内がくそ寒い。空中小姐のねえさんが毛布を配っていたが、まぁ飛行時間は3時間だからいいか......と思っているうちに爆睡意識不明。

あたくしの美しさを未来永劫保つには、氷の世界が一番ね......と、冷凍庫で眠る美女になった夢から醒めると、鳥肌が立ちまくっている。夕刻、ホーチミンに着いた途端に右の鼻から鼻水が止まらない。シルビア・クリステルを気取って、エマニエル椅子に全裸で足組んで座っていたわけではないのだが、やはり機内の冷房が効きすぎだったのだ。すっかり風邪をひいたらしい。

5月のデジクリ当番は、エレガントかつエキゾチックなホーチミンの旅で決まりね。デジクリ読者の皆様に、ディエンビエンフーの戦いでフランスが敗北してから、アメリカの本格的侵略によるベトナム戦争、大量のダイオキシンを含むエージェント・オレンジ散布の被害、そして中越紛争に至るまでを「そうだったのか! ベトナム」と題して解説してさし上げるわ。

あたくし、ただ美人なだけじゃなくってよ。民草たちよ、この溢れるインテリジェンスにひれ伏すがいいわ、おーっほっほっほっほっ!!......と高笑いしようと思っていたのに。......あ、すいません、ここの部分、ガイドブックをカンニングしました。いや、ホーチミンが人の名前だってのは知ってるんです、えぇ。ほら、インテリジェンスに溢れてますでしょ?

しかし元気だったのはここまでであった。その後、鼻水は刻々と悪化の一途を辿る。一夜明けて次の日、ホーチミンの町歩きをしたのだが、右の鼻どころか、左の鼻からもずるずると鼻水が。

朝、ホテルでフォー・ボー(牛肉麺)を少し啜り、戦争証跡博物館を2時間ほど見ていたのだが、どうやら昼休み時間はお客も締め出す仕組みとなっているらしく、拷問の島と呼ばれるコンソン島の牢獄を復元した建物は一瞬しか見ることができなかった。拷問研究家のわしとしては残念至極である。この博物館はベトナム戦争の歴史がテーマになっているのだが、戦いで損傷した人体や、枯葉剤の影響による奇形児の写真など、空恐ろしい写真が多く、すっかり食欲がなくなった。

3時過ぎまでサイゴン大教会や中央郵便局など定番の観光地を見て回ったが、さすがに何か胃袋に入れないと異国でぶっ倒れても困る。通りすがりのカフェに「Free Wi-Fi OK!」と書いてあるのを見つけ、お店のにいちゃんにiPhoneを差し出し設定をしてもらう。

グアバジュースを飲みながらtwitterやメールなどを少々。ホーチミンの銀座にあたるドンコイ通りの旅行代理店に行き、翌日のメコン川クルーズと、翌々日のクチトンネルツアーを予約してホテルに帰還。なんだか微熱が出ているっぽい。明けて翌日、メコン川クルーズは、バスの中でひたすら鼻をかんでいた。

メコン川から戻ると、どうやらまともに発熱している。38度5分はありそうだ。クチトンネルに行ってる場合なのか。いや、しかしホテルのベッドでずっと寝てるのも芸がない。ホテルで寝るんだったら、観光バスで寝るのと変わらないんじゃね?

薬を飲めばいいのだが、そもそもほとんど風邪などひかないわしは、風邪だけはねーだろ、と正露丸・鎮痛剤・頭痛薬はリュックに突っ込んだのに、風邪薬だけ外していたのだ。よほど日ごろの行いが悪いに違いない。

翌日、クチトンネルツアーに参加する前に、薬屋に寄った。「スンマセン、カゼ、ゴホゴホ。ハナミズ、ズルズル。ネツ、ポッポ」と店番のおばちゃんに訴え、風邪薬を買ったのだが、日本のように紙箱に入っているのではなく、アルミシート1枚の状態である。10錠入って1USドル(ベトナムの通貨単位はドンだが、USドルの通用度も高い)。

大丈夫なのか......と裏をひっくり返してみると、『Ameflu』と書いてある。はぁ、タミフルじゃなくてアメフルですか。ますます大丈夫なのか、これ......と思っていたら、同じ薬屋でうろうろしていた日本人一人旅の若造(推定年齢20歳)に話しかけられた。

「あの〜、ベトナムの薬って飲んだことあります?」「いや、ないっすよ。ないけどあんまり具合悪いんで」「大丈夫なんすかね」「さぁ。わかんないですけど、多分、僕は死にましぇーん!」「............」

通じませんかそうですか。「101回目のプロポーズ」。1991年のフジテレビ月9である。やはりわしは年寄りなのか。聞けば、彼は前夜食べた貝で腹下しをしているらしい。手持ちの正露丸を6錠分けてあげた。

旅の体調不良における困り度としては、風邪より腹下しの方がずっと困る。クチトンネルツアーのバスに乗り込んだら、腹下しの彼も乗りこんでいた。しかしバスが30分ほど走ったところで、ぎゅるぎゅる来たらしく、予定外のガソリンスタンドに無理やり停車してもらってトイレ休憩するも復活できず、バイクタクシーを拾って一人で帰っていった。お気の毒である。

わしの方は、怪しいアメフルが効いて、鼻水は少し止まったのだが、熱っぽさで体がきつい。風邪で食欲がなくなり、生ジュースばかり飲んでいるうちに、ホーチミンの休日は終わってしまった。ちなみに滞在中に飲んだ生ジュースは、グアバジュース、スイカジュース、ココナツミルクジュース、パイナップルジュース、キャロットジュース、マンゴージュース、ストロベリーミルクジュースである。

ベトナムを離れ、台湾に入っても風邪は一向に良くならず、士林観光夜市で屋台料理でも食べようと思ったが、食べ物の匂いを嗅いだだけで吐きそうになる。メロンジュースを飲んだら寒気がしてきたので、早々にホテルに引き上げ、鼻水たらしながら日本に戻って来た。

何だったのだ、今回の旅は。GW明け、職場でのランチタイム。うら若き乙女たちが瞳に星をちりばめて尋ねる。

「もみのこさ〜ん、ベトナムどうでした〜?」「いや、風邪でねぇ、あんまりいいことなかったわ」「日本じゃできない体験とかしなかったんですか?」「そぉねぇ......クチトンネルでライフルをぶっ放したくらいかなぁ。決め台詞はもちろん『カ・イ・カ・ン!』だけどな」「.........」
うら若き乙女には通じなかったようだ。「セーラー服と機関銃」。1981年である。やはりわしは年寄りなのか。うぅぅ......もう一生黙ってた方がいいですか。

しかし、久々に国境を越える旅をして思った。一人旅は年寄りになる前にやっとかなくちゃだめだ。まず、重い荷物をしょって歩くのが辛くなる。「地球の歩き方」の地図の字が老眼で読めない。空恐ろしいくらいステキなトイレに当たった場合、便器に腰をおろさず、中腰でうんち・おしっこをする体力がない。無理をすると、怪我して「年寄りの冷や水」と言われかねない。「年寄りの冷や水」にならなくても、「年寄りの鼻水」になる可能性はある。

●ベトナム・恨みごとメモ

ちきしょー! わしの旅の楽しみは喰いもんなのだ。それなのに現地で食べたまともなものは、タクシー飛ばして食べに行ったミエン・サオ・クア(春雨と蟹肉の炒め物)のみ。半分は蟹肉という贅沢な配合だった。何の葉っぱだかわからないが、大量のサラダも付いている。炒めるときの味付けは、ヌクマム(ベトナム魚醤)とかオイスターソースとか、そんな感じで日本人にもなじみやすい味だ。しかし、わしはもっと、あれもこれもどれもそれも喰いたかった。

・毎晩夢に出てくる喰いたかったものリスト
【バイン・ミー】
フランスパンにレバーペーストや甘酢漬け野菜・コリアンダー・ハムなどを挟んだベトナムサンドイッチ。ベトナムはフランスの支配下にあったので、フランスパンも絶対うまいはずだ。これをテイクアウトしてサイゴン川の流れを眺めながら喰いたかった。あぁ、ちきしょー。

【バイン・セオ】
海老・豚肉・もやしなどを包み込んで焼いたベトナムお好み焼き。サニーレタスなどに包んで食すらしい。粉モン好きは外しちゃいかんでしょう。

【フォー】
米粉を使ったベトナムうどん。ホテルの朝ごはんで半分しか食べなかった。コリアンダーをてんこ盛りにして食べたかったのに。

【バイン・フラン】
歯のない爺さんに最適な超とろとろプリンばかりがデザート市場を席巻する昨今、バイン・フランと呼ばれるベトナムプリンは、写真を見る限り、昔ながらの少々固めなプリンに見える。アルミ容器に材料を流し入れて、蒸し器で作る、表面がスでぼこぼこのプリン。練乳で作るのがポイントのようだ。

【ベトナムコーヒー】
ベトナムは世界第2位のコーヒー生産国である。恋を忘れた哀れな男にコーヒーを教えるのは、今やアラブの偉いお坊さんではなくて、ベトナムのアオザイ娘なのだ。ベトナムコーヒーは、ペーパーフィルターでなく、穴のあいたアルミフィルターで抽出するが、受け側のカップに練乳を入れて、甘くして飲むのがポピュラー。

県境を越えたら、その土地でしか食べられないものをひたすら喰い尽くすのがポリシーのわしである。しかし県境どころか国境を越えたというのに、このていたらく。あな口惜しや。こんなに宿題を消化せずして何たることか。

薩摩藩には一軒だけベトナム料理屋さんがある。行ったことはないのだが、Lonely Planetにも掲載されているようなので、夢に取り殺されないように、喰いたかったものを味見に行くしかあるまいて。

●台湾・恨みごとメモ

ちきしょー! わしの旅の楽しみは食いもんなのだ。しかも、台湾と言えば、わしがこの世で最も愛してやまない中華春巻の聖地ではないか。それなのに、店の前まで来ていながら、どうしても食べる元気が出なかった。台湾で食べたのは鼎泰豐の小籠包だけである。鼎泰豐、日本にもあるんだがな。
♪喰いたかった〜喰いたかった〜喰いたかった〜 YES!春巻〜♪

※「エマニエル夫人」シルビア・クリステル
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※「プライド」今井美樹
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※「恋の綱わたり」中村晃子
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※「101回目のプロポーズ」武田鉄矢・浅野温子
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※「セーラー服と機関銃」薬師丸ひろ子
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※「コーヒールンバ」西田佐知子
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※「会いたかった」AKB48
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※薩摩藩唯一のベトナム料理店「香香」
< http://xiangxiang1208.blog121.fc2.com/
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。この旅から帰って体重計に乗ったら、2kg落ちていた。やはりダイエットは食べないことが一番なのか。

現地ツアーのガイドさんが、ひとしきり枯葉剤の影響を説明してくれたあとに聞いてみた。「第二次世界大戦後、中国や韓国・北朝鮮が反日教育をしているように、ベトナムでも反米教育とかあるんですか」「今はそんなことありません。戦争終わってすぐはあったようですが、今はアメリカ人はトモダチ。逆に同じ体制の国だけど、中国はダメです。キライです、イヤです」なのだそうだ。

クチトンネルでのAK-47(1947年式カラシニコフ自動小銃)の射撃、発射時の反動や音が強烈で、薬莢が飛んでくるのも恐ろしく、腰抜かすかと思った。ベトナム戦争時の映像を見ると、年端もいかない少女たちが、昼は畑に作物を植え、夜はゲリラとなって銃を担ぎ戦っているが、わしはとてもゲリラになんかなれない......と思ったが、戦乱で父を殺され、母を殺されたら、やはり銃を担いで行っちまうかもしれない。

「日本では震災があってタイヘンでしたね。ワタシ日本大好きだから、ニュース見てナミダ出ました」と一人旅の観光客に日本語混じりの英語で声をかけて、イカサマ賭博等々に誘い込む自称シンガポール人がホーチミン中心部でうろうろしているので、お出かけの際は、皆さまお気をつけて。わし、声をかけられました。

コリアンダー(パクチー・香菜)などというオシャレな野菜は、薩摩藩のスーパーではほとんど見かけないのだが、わしは大好きだ。入手できないので、仕方なくプランターに種蒔いて、自分ちで栽培している。コリアンダーを食べると、気分だけでも国境を越えた気分になる。

風邪は未だに治らない。鼻かみティッシュの使用量は10倍を越えている(当社比)。ずるずるだったり詰まったりで、朝から晩まで妙に意識して呼吸をしていると、思いのほか疲れるようで、仕事から帰って晩御飯とお風呂が終わると、起きていられないのだ。いやぁ、健康が一番だねぇ......と言い出したらやはり年寄りの証拠か。

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■編集後記(5/20)

【E-magaで小誌をお読みのみなさまへ】
E-magaは5月31日をもってサービス停止になります。いまのうちに、まぐまぐ、melma!、めろんぱんなどに乗り換えをおすすめします。
< http://www.mag2.com/m/0000005757.html
>  まぐまぐ
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>  メルマ
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めろんぱん

・酒井順子の旅エッセイ「来ちゃった」を読む(小学館、2011)。挿絵は「きょうの猫村さん」のほしよりこ。実際にはこの二人+敏腕女性編集者が旅しているのだが、酒井の一人旅スタイルでまとめていて、同行二人は本文中にはまったく出て来ない。その舞台裏は、最後にほしがあの脱力な絵と解説で見せてくれる。この本は大人向け高級女性誌「プレシャス」の連載をまとめたものだが、そういうジャンルの雑誌は手に取る機会もない。それでもこの旅のメニューと挿絵を見ると、その雑誌の中ではたぶん異彩を放っていたのではないか。「昨日まではごみごみとした都会を歩いていた自分が、なぜ今、こんな場所でこんなことをしているのか。そのワープ感覚は、『来ちゃった』としか言いようがないものだったのです」という感覚はじつによく分かるが、そんなところセレブは行かないでしょう。最も出生率の高い沖縄県多良間島、後生掛温泉オンドル部屋、日本一危ない国宝鑑賞・鳥取三徳山の投入堂、寅さん最後の奄美・加計呂島、宮城県田代島の猫など、渋い選択の国内旅35に海外2か所を加えた、計37の旅の記録だ。旬のところには行かない、というこだわりがナイス。ほしによると、酒井は列車では寝てばかりいて、取材時もメモを取らないのだが、文章は細かいディテールまで書かれているから驚いたとある。アラフォーの彼女が断崖絶壁を眺めて物思うシーンで、「旅も人生も、可能性を狭めているのは、案外自分自身なのでしょう」とまとめるセンスが好ましい。(柴田)
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→アマゾンで「来ちゃった」を見る
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4838715951/dgcrcom-22/
>
→アマゾンで「きょうの猫村さん」を見る(レビュー145件)

・いやぁ、健康が一番ですわ。規則正しい生活に憧れるッ。/小雪が表紙の雑誌ですよ〜。女性雑誌ではイラスト入りのコーナーがあって、体験談やレポなんかだと強烈なのが多くて、おしゃれな高級感あふれるスナップ写真が並んだ後に共存してますぜ。/Firefox。会社メンバーがイベント開催サポートをし、ノベルティグッズのお裾分けをしてもらったり、いまのFirefoxの良さを教えてもらって、メインブラウザをSafariからFirefoxに。アドオンでカスタマイズできるのは嬉しいのだけれど、起動に時間がかかるのがイヤで、検証用にしか使っていなかった。でも現行バージョンのFirefoxを試してみたら、サクサク。長年使ってリセットしていない(Onyxでクリーニングはしてみた)Safariより早い。スピードダイヤルのアドオンを入れて、日常使い用に使い勝手を良くしている最中。/ノベルティと一緒に配布されたブラウザ年表。FirefoxやSafari、Chrome、Operaなどが並ぶ。Opera開発会社の設立が1994年(公開版の2.1が世に出たのは1997年)と、Netscapeと同時期。歴史が古くて驚いた。はじめて使ったのは京ぽん2(WX310K。ウィルコム)なので2005年か......。Wikipediaによると、Internet Explorerもスタートが1994年で、世に出たのは1995年。Mosaicベースだったのね。(hammer.mule)
< http://www.titanium.free.fr/
>  Onyx
< https://addons.mozilla.jp/firefox/details/4810
>  スピードダイヤル
< http://jp.opera.com/company/history/
>  Operaとは
< http://ja.wikipedia.org/wiki/Opera
>  1995年に1.0
< http://www.willcom-inc.com/ja/lineup/wx/310k/
>  WX310K
< http://ja.wikipedia.org/wiki/Internet_Explorer
>  3からは独自コード