[3056] 昭和は遠くなりにけり

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《そうですかいそうですかい。そんなに女じゃ話にならんですかい》

■映画と夜と音楽と...[503]
 昭和は遠くなりにけり
 十河 進

■歌う田舎者[23]
 客がとっても怖いから
 もみのこゆきと



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■映画と夜と音楽と...[503]
昭和は遠くなりにけり

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20110603140200.html
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〈絶唱/錆びたナイフ/関東無宿/花と怒濤/俺たちの血が許さない/仁義なき戦い 代理戦争/仁義なき戦い 頂上作戦〉

●チャンネルを合わせてすぐに歌ってくれた「ダイナマイトが百五十屯」

先日、NHK-BSプレミアムの「ショータイム」を見た。気が付いたときはすでに10分以上が過ぎていたのだが、チャンネルを合わせた途端に年令を重ね、昔に比べると少し贅肉の付いた小林旭が映った。司会は金八先生こと武田鉄矢と欽ちゃんファミリーのはしのえみだった。ゲストに白い頬髭を生やしサングラスをかけ、帽子をかぶった宍戸錠が出ていた。アキラにはジョーである。

小林旭は1938年、昭和13年生まれ。現在72歳だ。児童劇団に所属し、その後、日活ニューフェイスに合格。大部屋俳優としてスタートし、主演に抜擢された。20歳前のことである。その時代のことは本人も「いじめられた」とよく語っているが、かなり鼻っ柱の強い青年だったらしく、その番組でも宍戸錠が「いじめられても負けてなかったよ」と証言していた。

チャンネルを合わせてすぐに歌ってくれたのが「ダイナマイトが百五十屯」である。僕はアキラ節と言われた曲が大好きで、この歌も愛唱歌である。ヒットし、「マイトガイ」と呼ばれるきっかけになった。この歌は「爆薬(ダイナマイト)に火をつけろ」(1959年)の挿入歌だったと思う。主題歌は「爆薬(ダイナマイト)に火をつけろ」というタイトルだ。

その前年の秋に公開された「絶唱」(1958年)で小林旭は主人公を演じ、新人賞を獲得した。相手役の小雪は、浅丘ルリ子である。「絶唱」は舟木一夫と和泉雅子バージョン(1966年)、三浦友和と山口百恵バージョン(1975年)がある。僕は舟木版公開の頃に原作本を書店で見かけたが、原作者の大江賢次と大江健三郎をしばらく混同していた。

「絶唱」で共演した浅丘ルリ子がゲストで出てくると、小雪が死ぬシーンが流され、小林旭の涙が死んだ浅丘ルリ子の唇に落ちるのを撮影するために何度も撮り直した話が披露された。アキラとルリ子は昔のことを懐かしそうに話し、アキラが「あなたに恋していたんだよ」と言うと、ルリ子も「あたしだって」と応え、武田鉄矢が「そうなんですってね」と合いの手を入れた。

若き小林旭と浅丘ルリ子が恋仲だったことは、小林旭が10年ほど前に出版した「さすらい」という回想録で告白されているが、NHKの番組で話題になるとは思わなかった。この番組では、ことあるたびに武田鉄矢が「さすらい」の中の文章を朗読していたから、当然、そのことは武田鉄矢もスタッフも知っていたわけではあるけれど...。

その後、武田鉄矢が小林旭の歌の中で最も好きなものをリクエストし、浅丘ルリ子は小林旭の耳に口を近づけて何かを囁いた。まずアキラが歌い始めたのは「さすらい」である。その瞬間、僕はカミサンに「さすらい・北帰行・惜別の歌...と続けばいいんだけど...」と言ったのだが、二曲目は「北帰行」だった。それが浅丘ルリ子のリクエストだったのだ。

なぜ、浅丘ルリ子が「北帰行」をリクエストしたかは、歌い終わってからの話でわかった。「渡り鳥」シリーズは「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」(1962年)が実質的に最後の作品である。主人公の名前は滝伸次、ヒロインはいつも浅丘ルリ子だった。ふたりの最後の作品になったのが、「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」である。やはり、思い入れのある歌なのだろう。

「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」の後、二人の共演作はほとんどない。小林旭の相手役は笹森礼子(死んだ赤木圭一郎の相手役が印象的だった)と、新人の松原智恵子がつとめた。「さすらい」(1962年)はサーカスを舞台にし、空中ブランコ乗りを小林旭が演じたが、松原智恵子はこのとき初めて相手役をつとめた。一方の浅丘ルリ子は、石原裕次郎のムードアクションの憂愁を漂わせるメランコリックなヒロインへと成長していく。

●「錆びたナイフ」のアキラは裕次郎の忠告を聞かず身を滅ぼす

小林旭はデビューした頃、石原裕次郎と三本の映画で共演している。「勝利者」(1957年)「幕末太陽傳」(1957年)「錆びたナイフ」(1958年)である。アキラは裕次郎への対抗心をはっきりと口にし、自分で主役を張るようになってからは決して共演はしなかった。しかし、大部屋時代には会社の命令に従わざるを得なかったのだ。「勝利者」では、名もない端役で出演した。

もっとも、「勝利者」の裕次郎は主演ではない。主人公は拳闘のプロモーターである三橋達也だ。彼は、裕次郎登場以前には日活で主演を張っていた。小林旭のデビュー映画「飢える魂」(1956年)の主役も三橋達也だった。「勝利者」での裕次郎の役は、三橋達也が夢を託すボクサーである。三橋達也は、その後、東宝へ移籍し、いくつかの作品で主演したが、やがて脇にまわるようになった。

「幕末太陽傳」はフランキー堺の代表作である。裕次郎は高杉晋作を演じ、アキラは久坂玄瑞の役だった。もちろん裕次郎の高杉晋作の方が役としては大きく、久坂玄瑞の登場シーンは少ない。月代を剃った髷姿のアキラも珍しい。「錆びたナイフ」は主題歌が大ヒットしたように、石原裕次郎の主演である。原作は石原慎太郎。弟のために書いたオリジナルストーリーだ。

「錆びたナイフ」のアキラは、あまりいいところがない。恋人に暴行した相手を痛めつけて前科者になった主人公(石原裕次郎)は酒場を経営して暮らしているが、ハードボイルドな男で放送記者の娘(北原三枝)にも興味を持たれる。彼の店をバーテンとして手伝っている弟分が小林旭だ。しかし、裕次郎の忠告を聞かず、弟分はバカなマネをして身を滅ぼす。

小林旭は自分がトップでいることで、モチベーションを保っているのかもしれない。だから、自分の作品が添え物であることは、我慢がならないのではないか。さすがに裕次郎映画との二本立てはなかったようだが、芸術派監督・今村昌平の話題作「にっぽん昆虫記」の添え物映画だった「関東無宿」(1963年)の撮影のときには、初日のロケで小林旭がとんでもなく太い眉を描いてきたという。

プロデューサーが「あれはやめさせろ」と言うと、鈴木清順監督は「当人がいいつもりでいるからいいじゃないか。アキラがツムジを曲げたら初日からうまくない」と答えた。このエピソードは鈴木清順著「暴力探しにまちへ出る」(北冬書房)に出ているらしいが、僕は小林信彦さんの「われわれはなぜ映画館にいるのか」(晶文社)の「鈴木清順論のためのノート」から孫引きさせてもらった。

その本では清順さんは続けて「あいつがああやるなら、俺もやろう。ついでなら何やったっていいじゃないか。まあ、お客さんは『にっぽん昆虫記』を見にくるんだ。こっちはそのついでなんだから...」と独白しているという。その居直りが名作「関東無宿」を生んだのだ。僕は「にっぽん昆虫記」は一度見ただけだが、「関東無宿」はオールナイト上映や名画座に通って数え切れないくらい見た。

●原作はプロレタリア作家の平林たい子「地底の歌」だった

無国籍、和製西部劇、荒唐無稽...などと言われた「渡り鳥」シリーズ及びそこから派生した類似のアキラ映画とは違い、「関東無宿」のアキラの演技は抑制したシリアスなものだ。元々、シリアスな演技が上手な人だったのだが、「渡り鳥」シリーズで別の世界にいっていた。鈴木清順監督とは「渡り鳥」でブレイクする以前に、「踏みはずした春」(1958年)と「青い乳房」(1958年)で組んでいる。

「関東無宿」は、鈴木清順監督との三本目の作品である。「関東無宿」は清順美学と言われ始めた作品群の中では初期のもので、僕の大学生の頃にはカルトムービーになっていた。「けんかえれじい」や「刺青一代」などはよく名画座にかかったが、「関東無宿」「花と怒濤」(共に1964年)「俺たちの血が許さない」(1964年)の小林旭が立て続けに出た清順映画はあまり上映されなかったのだ。

僕は小林信彦さんが絶賛する「関東無宿」のシュールなシーンを想像し、見たくて見たくて身悶えする思いだった。たとえば小林旭が長ドスで悪役を斬ると、斬られた男はトトトッと奥の障子を突き破って消えるのだが、そのときワイドスクリーンの背景になっていた障子が一斉に倒れ背景が真っ赤になると書かれていたが、それは実際にはどのようなシーンなのか...。

そして、ある日、僕は文芸地下のオールナイト上映のプログラムに、「関東無宿」「花と怒濤」「俺たちの血が許さない」の三本を見付け驚喜した。その他の二本は何だったか。同時期の作品だとすると、「野獣の青春」「悪太郎」(共に1963年)あたりだろうか。「肉体の門」(1964年)「春婦伝」(1965年)もあるが、こちらは「河内カルメン」(1966年)を加え、野川由美子主演作特集として上映されることが多かった。

「関東無宿」の原作は平林たい子の「地底の歌」である。これは、同じ日活で原作通り「地底の歌」(1956年)のタイトルで映画化されたことがあった。主演は、後に悪役で知られた名和宏である。若いヤクザである「ダイヤモンドの冬」を演じたのが、デビュー間もない石原裕次郎だった。

「関東無宿」では、小林旭は着流しのヤクザを演じた。ダイヤモンドの冬は、平田大三郎(昔の日活映画ファンならわかると思いますが)である。アキラの組長の娘が松原智恵子。その女学生仲間が中原早苗(後の深作欣二夫人)と進千賀子だった。その映画の時には「新人」だった進千賀子は、後に酒井和歌子主演の東宝映画「めぐりあい」(1967年)に出ている。

中原早苗が演じたのは積極的な女学生で、ヤクザに憧れている。何かというと「ぬばたまの やまとおのこのゆく道は 赤き着物か 白き着物か」と達観したように詠う。「赤き着物」は囚人の象徴であり、「白き着物」は死者の装束である。ヤクザという稼業では、どちらにしろ、ゆきつく先は監獄か死だ。そのことが中原早苗によって強調される。

余談だが、中原早苗の役名が「山田花子」というのを、この原稿を書くので調べていて判明した。ホントかな、平林たい子と言えばプロレタリア文学者で、没後に「平林たい子文学賞」まで創設された人である。そんな人が自作の登場人物に「山田花子」などというイージーなネーミングをするだろうか。あるいは、中原早苗の役は映画のオリジナルなのだろうか。いずれ機会があれば調べてみたい。

「関東無宿」「花と怒濤」「俺たちの血が許さない」の小林旭は、どれも憂愁の影を引きずるキャラクターである。笑い顔は見せない。メランコリーな暗さを漂わせるヤクザである。相手役はすべて松原智恵子だったが、数年後、松原智恵子は新人・渡哲也映画のヒロインとして映画ファンの記憶に刻み込まれることになる。

アキラ節と言われる脳天気(最近では「ノー天気」と表記した方がわかりやすいかもしれないが)な、頭から突き抜けそうな高音を生かして歌う声を聴き、「渡り鳥」シリーズ及びその類似アクション映画だけを見ると、小林旭の本質を見間違う。小林旭の演技には、元々、暗さがあり、屈折感があり、いつか見返してやるぞといったルサンチマンの気分が漂う。だからこそ、あれほど石原裕次郎にこだわった。

石原裕次郎はベストセラー作家の弟であり、最初から主役を約束されたスターとして日活に迎えられた。年は下だったが、小林旭はほぼ同時期に撮影所の大部屋で「いつかスターになってやる」と目をギラギラさせていたのだ。そういう時代があったからこそ、小林旭の演技には深みが加わったのではないか。そして、それは「仁義なき戦い」(1973〜1974年)で頂点を迎えた。

●「ショータイム」でまったく触れられなかった「仁義なき戦い」

NHK-BSプレミアムの「ショータイム」でまったく触れられなかったのが、東映の「仁義なき戦い」に出演した時期のことである。日活を退社した小林旭はゴルフ場経営に手を出し、失敗して巨額の借金を背負った。その借金は「昔の名前で出ています」(1975年)の大ヒットで完済したらしいから、「仁義なき戦い」出演の頃は、まさにゴルフ場経営に乗り出していた時期かもしれない。

1970年代に入り、小林旭の出演作はほとんどなくなっていた。60年代には、少なくとも年間に数本は主演していたスターである。その頃、映画は斜陽産業でテレビに出演していないと新しいファンは獲得できなかった。だが、映画で育った銀幕スターたちは、テレビに出ることを格落ちと感じた。だから、石原裕次郎が石原プロの借金を返すためとはいえ、「太陽に吠えろ」にレギュラー出演したことは大ニュースだったのだ。

小林旭も1971年10月からその年いっぱい「ターゲットメン」というテレビシリーズに主演した。案の定、大衆は「とうとうアキラもテレビに出るしかなくなったのか」と受け取った。翌年に出演した映画は一本しかない。だから、「仁義なき戦い」が大ヒットし、二部「広島死闘篇」が作られ、さらに三部「代理戦争」が公開され、いきなり小林旭が登場したとき、僕は映画館で腰を浮かせたものだった。

「仁義なき戦い」の一部と二部は、それぞれ映画として独立した作品だ。だが三部「代理戦争」と四部「頂上作戦」は二部作であり、五部「完結篇」はオマケ(脚本の笠原和夫は降りている)である。そして、三部と四部では主人公(狂言まわしに近いかも)は広能昌三こと菅原文太ではあるものの、もうひとりの主人公は武田明こと小林旭である。

最初、山盛組の幹部のひとりとして登場した武田明はあまり目立たない存在だが、そのインテリジェンスと決断力を元に反明石組のリーダーとなり、神戸の明石組をバックとする広能と対立する存在になる。どちらも認め合っている仲だが、背景組織の関係から敵対するようになるのだ。武田の役は小林旭にピッタリだった。スターの輝きが、武田を輝かせていた。

「わしゃあ身体も弱おうて、ひとに誇れるような勲章も持っとらんけんのう」と暗い顔をしてつぶやく武田には、やはり屈折した心理を感じたものだ。一方、敵対するヤクザとやりあうときの武田には惚れ惚れした。「広島のヤクザゆうたらよ、いまだかって旅のモンの風下に立ったことはないんで」と、日本一のヤクザ組織に向かって放った啖呵は今も僕の耳について離れない。

BSプレミアムの「ショータイム」の最後は、小林旭の新曲「遠き昭和の...」という歌だった。出だしの「あの顔、この顔...」という過去を懐かしむ歌詞を聴いて、突然、僕は30年も昔に見たテレビの回顧番組を思い出した。日活スターたちが集まった「日活すばらしき仲間達」(1977年10月放映)である。石原裕次郎と浅丘ルリ子がライブで「夕陽の丘」をデュエットし、吉永小百合のピアノ伴奏で渡哲也が「くちなしの花」を歌った。

それを、小林旭、宍戸錠、二谷英明、葉山良二、長門裕之、和田浩二、高橋英樹、藤竜也、清水まゆみ、松原智恵子、それに日活に劇団をあげて協力していた民藝の宇野重吉などが微笑みながら見守っていた。小林旭は、椅子に座ったまま「夕陽の丘」を一緒に口ずさんでいた。日活がロマンポルノしか制作しなくなって、6年が経っていた頃だ。それでも、みんな、若かった...。そのとき、気付いた。昭和は、とっくの昔に...遙かに遠い過去になっていたのである。

降る雪や 昭和は遠くなりにけり

夕陽の丘 

くちなしの花 


【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  http://twitter.com/sogo1951

「アタック25」と「週刊ブックレビュー」の児玉清さんの追悼番組を見た。「ブックレビュー」では児玉さんの書庫と書斎が映った。可動式の本棚に二万冊。書斎の立派な革張りの椅子が羨ましい。最近、僕は書物の整理に入っていて、昨年末には写真関係の本を整理した。今は映画雑誌や映画のパンフやチラシを箱に詰めている。文芸書もまとめるか。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■歌う田舎者[23]
客がとっても怖いから

もみのこゆきと
< https://bn.dgcr.com/archives/20110603140100.html
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♪客がとっても怖いから〜遠廻りして帰ろう〜♪ と歌ったのは菅原都々子である。え? 違う? 違いましたか、スミマセン。

職場の男子が古ぼけた本を貸してくれた。「サポートセンター怒涛の日々」である。なにやら既視感のある内容......と思ったら、かつてIT業界で一世を風靡したサポセン・コムのお話ではないか。おそろしくお茶目な客やホントに怖い客VSサポートセンターの人々、というエピソードを集めた本だ。

「ちゃんとA4の用紙をセットしてるのに、やっぱりプリンタが紙切れって言うんですよ」と、サポートセンターに電話してきた客。A4の用紙をセットした場所は、机の引き出しだったそうである。

その昔、わたしがIT企業に勤めていた頃にも同じようなことがあった。「台帳を全件打ち出したんですけど、60件くらい出てこないんですよ。いったいどうなってるんですか、お宅のシステムっ!」よくよく聞いてみると、その60件というのは紙の台帳に手書きした分であって、それがシステムメニューの台帳出力から出てこないとご立腹なのであった。そりゃ出ないだろ。つーか出たらスゴいだろ。すいません、お願いだからパソコンに入力作業もやってくださいね。

西暦2000年問題で世の中が大パニックになっていた頃、Microsoftと間違われて怖いオバサンから大クレームを受けたこともあった(↓過去の遺物)。
< http://el.jibun.atmarkit.co.jp/engineerx/2009/01/1999-32e1.html
>

ちなみにサポセン・コムのサイトは、2005年に閉鎖となっている。1998年にスタートしているので、8年間運営していたようだ。
< http://www.saposen.com/
>

サポセン・コムをリアルタイムで見ていたころは気付かなかったが、本になった「サポートセンター怒涛の日々」を改めて読むと、「あー、もういいから男の人出して」と客に言われるシーンがいくつか出てくる。

この世には「女じゃ話にならん」的人間が意外といると知ったのは、今の職場に転職してからである。苦節20年勤めたIT企業にも、仕事上出入りしていた他のIT企業やデザイン事務所にも、そういう人間がいなかったので気付かなかったのだ。「女じゃ話にならん」などと公言するような輩は、うちのてておやだけしかおらんと思てましてん。うちのてておやは、「女の考え休むに似たり」が座右の銘ですよってな。

そんなある日、ネットでこんなものを見つけた。

YOMIURI ONLINE 発言小町
「鹿児島へ行くか離婚するか」
< http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0511/408269.htm?o=0&p=0
>

旦那が家業を継ぐために鹿児島に帰ると言っているが、共働きで仕事も順調な奥さんとしては、なにもない場所で暮らしていけるのか悩んでおり、離婚するか鹿児島に行くか迷っているというご相談なのだが、そこに付いた多数のコメントのひとつに「鹿児島に行くと後悔と涙の毎日になるので、離婚した方がいい」というご意見を寄せた方がおられた。その理由をいくつかコピペすると......。

(1)日本の中でも一番の、男性優位の県(妻の人格は認められない)
(2)所得が低く文化的でない
(3)永住するにしても、首都圏から遠過ぎる(トピ主の里帰りが絶望的)
(4)夫家業を無給で手伝う事となる

うはははは。そうでありますか! いや、ま、たしかに我が県は男尊女卑の総本山と呼ばれております。

(1)日本の中でも一番の、男性優位の県(妻の人格は認められない)

ははっ。そのとーりでございます。妻の人格が認められないだけではありません。我が職場に時々訪れる某偉い公務員や某議員、男性のところには一人一人立ち止って名刺を渡し、会話していかれますが、女子のところは華麗にスルーなさいます。

はじめてそれを見たときは、驚きのあまり、前の会社の先輩に速攻メールでタレこんだくらいであります。ひょっとすると、我が県の女子には選挙権がないのやもしれませぬ。あれ? もしかして女子が全員17歳に見えたから名刺渡さなかったとか?? ♪だ〜れもいない海〜ふたりの愛を確かめたくって〜♪ すいませんすいません。

(2)所得が低く文化的でない

ははっ。そのとーりでございます。県民所得はいつも最後の5席を争って、沖縄県・青森県・高知県・長崎県・宮崎県あたりと毎年熾烈なデッドヒートを繰り広げております。セブンイレブンだって、今年はじめて出来ました。鎖国しておりますゆえ、人口あたりの在日外国人数は全都道府県で最下位(2008年法務省登録外国人統計)、世帯数あたりのブロードバンド普及率も最下位(2009年総務省情報通信統計DB)でございます。

外タレが来ることもほとんどありません。気の迷いでチャカ・カーンが我が県にコンサートに来た時、会場の座席から後ろを振り向いたら、客の入りが1/3程度で、このときほど我が県を恥ずかしく思ったことはございません。チャカ・カーンさん、すいませんすいません。

(3)永住するにしても、首都圏から遠過ぎる(トピ主の里帰りが絶望的)

ははっ。そのとーりでございます。江戸へ行くには、ANAの特割を使っても往復57,940円。上りの飛行時間は1時間40分、下りの飛行時間は1時間50分かかります。成田や関空から海外に出ようとすると、ほぼ前泊が必要となり(場合によっては後泊も)、旅するハードルは絶望的に高うございます。すいませんすいません。

(4)夫家業を無給で手伝う事となる

ははっ。そのとーりでございます。「女三界に家なし」と申しますが、女は、若い時は父親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従うものにございます。銃後を守り、陰で男を支えることこそ女の勤め。パーマネントはやめませう。進め一億火の玉だ!竹槍担いでエイエイオー! すいませんすいません。

そんなわけで(どんなわけだ?)、2,200文字以上を費やして、やっと本題に辿りついたのだが、今の職場で現実問題としてヒジョーにイヤな怖い客は「女じゃ話にならん」濃度の高い客なのである。

お昼のお弁当タイムにうら若き乙女たちが嘆く。
「今年って担当替えがあったじゃないですか。初めてのお客さんとこに行くの、怖いんですよね。なんで女が来るんだって、あからさまに顔に出てるおじちゃんとかいるし。かと思ったら、あらあら、お嬢ちゃん、おつかいに来たの?って感じであしらわれたりとか。そんな人に、お宅の経営状況教えてくださいなんて言っても、相手にしてくれないんですよね」

「あ〜っ、それわかるなぁ。あたしなんて、男とペアでお客さんとこに打ち合わせに行ったら、1時間の打ち合わせ中に、1回も視線があたしんとこに来なかったことあったもん。あたしが説明してるにもかかわらずよ、ずーっと男の方ばっか見て話すの。失礼だよねぇ」

わたしも先日こんな目にあった。
「あの〜、はじめまして。こんにちは。もみのこと申します。先日いただいた決算書についてですが、いろいろ内容をお伺いしようと思ってですね」
「は? あんたが?」
「えぇ、すみませんねぇ。えぇと、この売掛金について伺いたいんですけど......」

「は? あんた売掛金の意味もわからなくてここに来たの? 勘弁してよ。もうね、あんたみたいなのは外に出ない方がいいよ。恥をバラまいてるだけだろうが。話にならんわ」
ぎゃー、怖ぇぇよ〜。いや、でも、それ、ちげーよ、おっちゃん。売掛金って言葉の意味を聞いたんじゃなくて、売掛金の回収見込みを聞きたかっただけなんだってば、わーーーーっ! と言いたかったのだが、とりつくしまもなく、おっちゃんは怒ってプイっと横を向いてしまわれたのであった。

我が県は、かくも「女じゃ話にならん」濃度が高いところだったのである。

そうですかいそうですかい。そんなに女じゃ話にならんですかい。しかし、そういうお客のところも ♪客がとっても怖いから〜遠廻りして逃〜げよ〜♪ というわけにはいかないのだ。仕方がないので、このようなお客を迎撃する方法を考えた。

(1)そこまで女女言うのなら、思いっきり女として対応してやろうではないか。(峰不二子風・増山江威子の声希望)

「久しぶりね」
深いスリットの入った深紅のドレスが、ぬめりのある光を放つ。
「今年の決算はどうだったのかしら」
「ケッ、女なんかにそんな話できるかいっ!」
「あら......そんなこと言っていいの?」
モンローウォークで男に近づくと、スリットから肉感的な脚がのぞく。ガーターベルトにはブローニングM1910。男の顎を人差し指で持ち上げると、鳶色の瞳がきらりと輝いた。
「んふ......まぁ、お座りなさいな」

女は男をソファに座らせて、その膝の上に腰かけ、ヒップを男の股間に押し付けた。
「うっ......」
「うふふふ......立派なモノをお持ちね。さぁ、見せてごらんなさいな、決算書」
「な、なんなんだよ、女。そこにあるから勝手に見やがれ」
女は、男が指さしたボックスの中の決算書を拾い上げ、しなやかな指でめくりはじめる。はちきれんばかりに上向きに盛り上がった胸が男の鼻先をかすめる。
「......流動資産より流動負債の方が3倍も多いじゃないの。すぐに資金繰りに行き詰るわ。どうするつもり?」

「お、女になんか何がわかるか。うちにはな、さる高名な画家の先生が描いた絵画があるんだ。バブルの頃に社長が買っといたんだけどな、へへ。いざとなりゃあそれを売っぱらっちまえば、資金繰りなんてどうにでもなる。なぁ、ねえちゃん、いいオッパイしてんじゃねえか。ちょっと触ってもいいだろ、な、減るもんじゃねえし」
「遊休資産って奴ね。ふふ......あなたのコレも遊休資産かしら? さて、絵画を見せていただくわ」

高いヒールがコツコツと床を叩く音を響かせる。隣の社長室に飾られた絵画は、鈍色に光る額縁に収められていた。
「アハ・・・アハハハハハハ!。ばかね、あなた。これ贋作じゃないの。これっぽっちも資産価値なんてないわよ」
「なっ、なんだってぇ?」

「長居は無用ね。あたし貧乏な男には興味がないの。好きに野垂れ死ぬといいわ」
放り投げた決算書が紙吹雪のように舞い散った。そして、シャネルの5番の香りだけを残して、女は現場をあとにする。これでいかがだろうか。

(2)そこまで女がイヤなら、男装の麗人となって赴こうではないか。

男装の麗人と言えば、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェである。しかし、より男らしさを演出するためには、ヒゲのひとつもたくわえた男の方が良いだろう。ヒゲと言えば宝塚ではレット・バトラーである。
(レット・バトラー 宝塚・榛名由梨風)

「ここに来るのも久しぶりだな」
「あっ、旦那。こりゃご無沙汰しとりました」
「今年の決算はどうだ?」
「あ、そりゃもう健全経営でやっとりまして、えぇ。おい、誰か、旦那に決算書をお持ちしろぃ」
「今年の綿花の価格はどうだ」

「め、綿花? あっしら食品卸なんで綿花の栽培なんて......あ、メンマですか。えぇえぇ、安心安全を考えて国内原料でやりたいんすけど、やっぱ外国モノには価格でかないませんや。円高で輸入価格が下がったのはいいんですが、長引く不況で外食産業がさっぱり、ラーメン屋も閑古鳥だと、安く輸入したって売れねぇんでさぁ」
「タラの土地はどうした」

「タ、タラ? あ、多摩の土地ですかい? いや、山奥ってのが災いして、評価額がどんどん下がってて困ったもんですわ」
「そうか。しかし黒人奴隷たちは良く働いているようじゃないか」
「黒人奴隷? いったい何のお話で......あ、社員のことですかい。えぇえぇ、身を粉にして働いてもらってますわ」
「給与ははずんでおくことだな」
「あっ、そ、そうっすよね」
「しかし、君たちの役員報酬は昔から法外に高すぎる気がするんだが」
「あ、そ、そうですかね」
「もう少し妥当なラインであれば当期純利益もプラスになるだろうに」
「あ、す、すみません」

「まぁわたしの会社じゃないから、どう運営しようと知ったことではないが、私利私欲に走り過ぎると、奴隷の反乱がおきる危険性もあることを認識しておきたまえ」
「あっ、い、いや、その......すいません」
「謝れば全てが清算されると思っているのか。君はまだまだ子供だな」
「だ、だって、じゃ、どうしろっていうんですか」
「知らないね。勝手にしたまえ」
「そっ、そんな」
「明日は明日の風が吹くさ」
そして颯爽とその場をあとにする。これでいかがだろうか。

(3)文句言う隙間もないくらい、弾丸トークでしゃべり続けようではないか。(オネエキャラ風)

「あぁ〜ん、もう社長ったら、お・ひ・さ・し・ぶ・り。元気にしてたぁ? 最近ステキなレストランにも全然誘ってくれないじゃないのよ。まぁいいわ、決算書と帳簿見せてちょうだい。あら、ちょっとやだ、これなに? 会議費に上がってるこの飲食代。まぁ、今話題のレストラン、ガストロノミー・モミノコじゃないの。ステキねぇ。え? 60,000円? ちょっと待って。これ、何人で食べたのよ。5人? 一人前12,000円ってこと? マジで? バッカじゃないの。一人前5,000円越えてるじゃない。こんなんが会議費で通るわけないでしょ。交際費よ、交際費。ねぇ、あの新しい事務員の若い娘、いつ入ったのよ。

まさか社長のお手付きじゃないわよね。だってあの年で時計がカルティエのパンテールミニで、バッグはエルメスなんてちょっとありえないわよ。あら、今年は妙に通信費が上がってるのね。中味は何よ。切手ですって? へんねぇ。社長の会社って大量の郵便物出すことってあったかしら? まさか買った切手を金券ショップで換金して、あの娘のカルティエに化けたんじゃないでしょうね。やーだ、マジ? マジで? そうなの? ひっどーい、ひどいじゃないの。若い娘なんて、なんにもしなくてもキレイなんだから、そんな娘にカルティエなんか買ってあげる余裕があったら、アタシに老化防止の美容液でも買ってちょうだいよ。ちょっと、マジでどういうこと。キーーーッ。悔しいっ!」
そしてプンプン怒って帰る。これでいかがだろうか。

デキるビジネウスーマンは、どんな客にもフレキシブルに対応することが求められる。そして、もし「女じゃ話にならん」濃度が20ミリシーベルトを超える客がいても、ただちに健康に影響が出るものではないので、冷静な対応が必要である。

※「月がとつても青いから」菅原都々子
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※「17歳」南沙織
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※ 峰不二子
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。この原稿を書きながらググっていたら、「パーマネントはやめましょう」というのは、どうやら戦時中に子どもが歌っていた(歌わされていた?)歌であるらしい。知らなかった。
♪パーマネントに火がついて
♪みるみるうちにハゲ頭
♪ハゲた頭に毛が三本
♪ああ恥ずかしや恥ずかしや
♪パーマネントはやめましょう

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■編集後記(6/3)

・とんだ「茶番」を見てしまった。「首相退陣を引き延ばすことに一体何の意味があるのか。結局、菅政権の抱える問題を先送りしただけである。」という読売社説のイントロがすべてを語っている。菅首相は不信任案採決前の民主党代議士会で、震災と原発事故への対応に一定のめどが付き、役割を果たした段階で若い世代に責任を引き継いでほしいと退陣をにおわせた。この狡猾な延命策が奏功し、反対に回る議員が大量に出て、首相は九死に一生を得た。案の定、夕方の記者会見では早期退陣を否定した。「一定のめどが付き、役割を果たした段階」とは誰が判断するのかというと、首相自身のつもりだろう。続投しか頭にない男が、「放射性物質がほぼ出なくなるまでもっていくために全力を挙げ、一刻も早い実現を目指すのが私の責任だ」というが、一刻も早い実現は一刻も早い退陣につながる。一定のめどを先延ばしすれば、自身の延命を図れると考えるこの男に、ますます震災と原発事故への対応を期待できるわけがない。また、「若い世代に責任を引き継いでほしい」とは民主党内で政権をたらい回しにするということだ。そんなの御免蒙る。民主党ってほんとうに救い難い愚か者ばかりだと、改めて実感した昨日の茶番だった。(柴田)

・父親が長崎なので凄くわかる。OL新人の頃は空気なわけで、訪問客のおじさんらの裏を観察できて面白かった。スルーするような人は、なんだか同じタイプ。その人たちの職場の女性は大変だろうなぁとは思ったな。今となっては、空気観察が長いお局さんたちの判断力の正しい理由がわかったりする。意見は求められないし、言っても馬鹿にされるし、ならばと馬鹿なふりして黙ってはいるけれど、ああこの人は、この会社は長くないな、と冷めた目で見ている。「言ってもわからないよね」と言われて、言った相手より知識があっても「わかりませんー」と答えるOLたちのなんと多いことよ。あ、誤解なきよう。やっぱり経験や行動力って大きい。知識だけじゃ乗り切れない。お局さんたちは若手男子社員兼上司の生半可な知識に対して、歳いけば(経験積めば)そのうちわかるよ、と口に出さずに見ている。たぶんこういうのは男性も同じなんだろう。生意気な若手を、来た道として受け止める感じ。そのうちわかるさ、と。OL新人の頃に仲良くしてもらった、定年間近の女性二人のどっしり感が今になってわかる。Web仕事業界自体は歴史が浅い(若い)せいか、なかなかスルーしてもらえない。女性が元気。観察される側にもあるわけで気をつけなければ。

もみのこさんのを読む前に書いてた→ 日本フルハップ会員限定の「女性」交流会に行って来た。茂木健一郎氏の講演があるし、「女性」交流会というものに一度行ってみたかったのだ。予定が読めず、ずーーーっと申し込むのを迷い、締め切り当日にFAXで応募した。当たれば行けってことなのよ、と。で当選。どうも去年の五木寛之氏と茂木氏のは競争率が高かったそうで、初めて応募して当選するなんてラッキーですよ、と言われた。応募期間のはじめの頃で、ハガキだけで250通は届いていたそうだ。当選者は80人。会場入りして驚いたのが、15分前に入ったのに、既に席の8割が埋まっていたこと。テレビドラマなどでありそうな「婦人会」の雰囲気。上品な奥様方がずらり。女性経営者もしくは、夫婦で自営業をやっています、という人たちがほとんどだろうと思う。その迫力ったら凄いよ。Web系のイベントでは、そろそろベテランの年齢ですかのぅ、と思うのに、この交流会では若造、小娘。パワフルな女性ばかりで、私もまだまだ頑張れるんじゃないかと、なんだか嬉しくなった。トイレに並んでいたら、参加者の一人が他のトイレの場所を教えてくれたり、一緒に並んでいた腰の曲がった高齢の女性が、「一階にあるらしいわよ、一緒に行きましょう」と誘ってくださったり。その誘い方がさりげなくて素敵で、エレベーターでの雑談もこちらに気を遣わせない、でも愛嬌のある楽しいもので、ああ、こんな女性になれたらいいなぁと思ったりした。(hammer.mule)
< http://recommend.yahoo.co.jp/ipv6day/
>
World IPv6 Dayの表示テストページあり。6/8に注意