《無識の指揮官は殺人犯なり》
■わが逃走[99]
冬の尾道2012の巻(中編・美しい階段)
齋藤 浩
■電網悠語:HTML5時代直前Web再考編[184]
識と指揮と志気
三井英樹
■ところのほんとのところ[73]
舞台「日本の問題」に関わってからもう一年
所幸則 Tokoro Yukinori
■わが逃走[99]
冬の尾道2012の巻(中編・美しい階段)
齋藤 浩
■電網悠語:HTML5時代直前Web再考編[184]
識と指揮と志気
三井英樹
■ところのほんとのところ[73]
舞台「日本の問題」に関わってからもう一年
所幸則 Tokoro Yukinori
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■わが逃走[99]
冬の尾道2012の巻(中編・美しい階段)
齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20120216140300.html
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こんにちは。わが逃走です。今日も前回にひきつづき、尾道について語ります。今回は私の個人的美意識、主観、えこひいきにて選出した美階段の話に特化しました。
とにかくここ"坂の町"尾道には、葉脈のように広がる路地とともに、無数の階段が存在しています。
車が入ることを前提としていない道が多く、人がすれ違うときにはどちらかが端に寄って道をゆずらなければならないほどせまい路地もこの町の魅力です。つまり、人間サイズに設計されている町なのです。
そんな町の、人のために人の手によって作られた階段たちはどれも美しく、作り手の魂を感じられる魅力的なものがたくさんあります。
機能美と彫刻的な存在感の両立とでも言ったらいいのか...。一段ずつ高さも幅も違ったり、どことなく傾いていたりするけれど個性的だったり、ありえないくらい急だったりなどなど。それでは...
クラスの女の子全員が魅力的で、誰にちょっかい出すか本気で悩む童貞少年のような心境でチョイスした超個人的趣味全開、魅惑の階段ワールドへご案内いたします!!
1◎夕陽のあたる階段
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この階段には感動した。まさに芸術的造形。まず道路から3段上ったところで二手に別れる。右の階段は民家へと続き、左はほとんど直進のように見せかけて、イレギュラーな動きをするのだ。
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3段目で向きが90度回転するようにも見えるし、一部分のみ見れば、道路からのリズムのまま急激に幅が狭まって5段目まで続いているようにも見える。とにかく4段目・5段目に相当するであろう部分で、段の幅も奥行きも高さもバラバラになりそれ以降はせまい幅のまま高台へと続いてゆく。
頂上から階段全体を見下ろす。
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件の部分を見下ろす。
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件の部分を見上げる。
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信仰心すら感じさせる造形。古代遺跡のようである。
2◎魅惑的な曲線階段ふたつ
あまりにも美しい階段だらけで思わずコーフンしてしまい、位置関係を忘れてしまった。いずれも1の階段のすぐ近所にて発見。斜陽の影響で段の美しさが強調される。しかも西に向かってカーブしているのだからなおさらである。
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手作り感覚あふれる手すりの造形も秀逸。私道だったか公道だったかも記憶にないのだが、このような美しい階段を通って家に帰れるのであれば幸せこの上なしである。
おそらく踏み面の形状、面積がすべて違う階段。
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周囲の植物と手すりの影が階段に落ちる頃は立体感が一層強調され、より美しく感じられる。
3◎三角からはじまる階段
もう、用がなくとも上り下りしてみたくなる、そんな美しい階段である。見てくれ! このキュートな三角の切れ込みを! 今思えば、下から見上げた姿も撮影しておくべきだった。
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とにかくこの構造美に舞い上がってしまい、目に焼き付けるので手一杯、思うようにシャッターが切れない。
4◎瓦屋根の家へと続く階段
借景の逆ですね。
美しい階段を風景に貸して、この町をより魅力的に見せている。
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小川が庭を横切っていることと同じくらい、階段を下りて玄関へ通ずるってのは羨ましい。この場合の階段はニュータウンなんかにある既製品的なものでなく、勾配に暮らす必然から生まれた階段をさす。
この階段の魅力を鉄分多めのヒトに語るときは、「工場専用線の面白さと似ているよね」と言おう。
5◎キレのあるS字階段
柔らかい造形の直線階段から、エッジのきいたシャープな曲線階段への流れが絶妙。
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写真はちょうど太陽が雲に入ってしまったときのものだが、夕陽があたったこの階段は、より造形的魅力を強調してくれることだろう。とはいえ、手前のやわらか直線階段との対比あってこその美。
6◎扇型階段
扇型階段といえば文京区大塚5丁目が有名だが、ここもかなりスゴイ。海を背に国道を越えたと同時に山陽本線をくぐり、目の前がこの階段となる。
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そのまままっすぐ上れば浄土寺、右に曲がれば海龍寺への路地、左はなぜか行き止まり。その昔はここに住宅でもあったのだろうか。それにしても、見る者に設計者のインテリジェンスを感じさせる見事な造形美である。
さて、光が変わると風景も異なる表情を見せる。この階段は何度も訪れているのだが、いつも日没間近の時間帯になってしまうので、次回訪問の際は朝イチに来てみようかと画策している。
7◎千光寺から西の方へ少し下ったあたりの階段
よい路地である。いわゆる観光コースとはほんの少しずれたところにある美しい階段道だ。尾道水道を眼前に眺めながら、クランク状に進むわずか数10メートルの中に絵になる風景のどれほど多いことか!
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8◎宝土寺近くのメジャーな階段
観光地図に沿って歩けば必ず通る、有名な階段。前にも紹介したけど、坂の町において隣家の屋根は足元にある。町の構造が見える楽しい階段。
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9◎カーブの内側の風流な階段
ここも有名な物件。映画『転校生』のオープニングシーンにも登場している。
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この階段の美しさは当時中1だった私の心を鷲掴みにし、「いつかは尾道に行ってみたい!」と思わせたのであった。階段自体の美しさは当時のままではあるが、上った先に人の住む気配はなかったようだ。
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行政による区画整理の魔手からは逃れているが、少子高齢化が要因と思われる街並の変化がゆるやかに進む。
10◎ほとんど崖と言っても過言ではない階段
手すりがなければ崖と言われても異論なかろう。曲がりくねる路地を通って初めてここに出たときは、「ここホントに道なの?」って感じだった。
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地元のおばあちゃんが元気に上ってきて「こんにちはー」と挨拶してくれたので、ああ、通っていいんだと納得した記憶がある。一応こう見えてエッジのゆるやかな階段なのだが、写真は全光になってしまったので段差がわかりにくい。次回はここもより階段らしく撮影したいと思うのだった。
11◎究極の二重階段
尾道駅近く、周囲は徐々に暗くなってゆく。フィルムもISO100だとそろそろ手ブレが心配かなーという時刻。
ふと商店街の脇を見ると、細い路地から一気に続く階段道が!
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一気に頂上まで駆け上がる。均整のとれた美しい階段。
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あれ? ちょっと待てよ。なにか重要なものを見落とした気が...。これだ!
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この階段、中心を境に左右で角度がかわっているのだ。下から見て左側の傾斜がきつくなり住宅の入口へとつながっている。上から見下ろすとこんな感じだ。
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両階段の接点付近には、かつて構造物があったらしく緩やかな側に削られたような跡があり、これが遠くから見るともう一方の階段が落とした影のようにも見える。
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この直後日没となり、この日の階段撮影はここまで。建物の影の影響もあり、絞りは解放付近での撮影となった。そんな訳で、多少のブレやボケはお許しください。こんど行くときは、午前中の光で撮ってみたいところ。
という訳で、美しい階段をご紹介しました。尾道には名もない美階段が無数に存在しており、それらを学術的に整理し、まとめるのは至難の業でありましょう。なので私はやりません。
しかし、学術的には無理でも、感覚的にならできそうな気がしています。このすばらしい構造美を理解してくださる人達(と自分)のためにこれからも尾道の階段の写真は撮り続けようと思っています。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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■電網悠語:HTML5時代直前Web再考編[184]
識と指揮と志気
三井英樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20120216140200.html
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「坂の上の雲」を見ながら、リーダーシップを想う。大らかで楽天的な時代だったという。司馬遼太郎がそう書いたのなら、尚の事そう思ってしまう。明治という響きは、この字を書いてみて更に、新たな門出にふさわしい語感を感じる。そんな時代の中に、何人ものリーダー達が登場する。束縛や閉塞感、そして欧米への危機感が渦巻く中に立ち上がった人達、立ち上がらざるを得なかった人達。リーダー不在と嘆かれる現在、幾つもの言葉が光る。
「無識の指揮官は殺人犯なり」
秋山真之(本木雅弘):「坂の上の雲」司馬遼太郎
▼Amazon.co.jp:NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲
第1部 DVD BOX < http://goo.gl/46rVp
>
第2部 DVD-BOX < http://goo.gl/6750x
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この言葉は元々台本にも原作にもない言葉で、本木雅弘が秋山真之の著作から見つけた言葉とのこと。西洋から溢れ込んだ膨大な知識に対して、畏怖の念とともに、それを習得し越してみせなければ指導者にはなれないとも響く。指揮官としてのプライドと責任の重さの自覚がにじみ出る。
同時に、国の成り立ちや発展という場面には、戦争という負の局面が嫌が応にも絡み付いてくる様子も垣間見える。作中で秋山も悩んだが、多くの命が失われていく。しかも目の前で。それと単なる殺人犯との違いを、説明しなければ自分が壊れてしまうという切迫感を感じる。
目の前で散る命の重さを知るがゆえの苦悶。下請け労働者や被害者のことも考えられない人種とは、明確に心の置き所が異なる人種ゆえの自戒。知識なく指導者になるべからず。知識なくその地位に就いたならば多くの命が無駄に無意味に消えていく。だから自分には多大なる義務がある、と戒める。
知識に対する貪欲さ。その力が国を押し上げて行ったようにも見える。皆の知識が増せば、それだけ幸せになれるという雰囲気さえ感じる。知識しか拠り所とできない想いもあったのかもしれない。それが、知識さえあれば、この難局を切り抜けられる、と高じる。それが司馬遼太郎の感じる楽天的なものを支えていたのではないかと思ったりした。
Web屋で考える。HTML/JavaScript/ブラウザ/スマートフォン/各種デバイス/プロトタイプ/マークアップ効率化/各種ライブラリー活用/各種フレームワーク/膨大なツール/RIA/CMS/インフラ/セキュリティ/クラウド活用/SEO施策/マーケティング施策/アクセシビリティ/ユーザビリティ/プログレッシブ・エンハンスメント等の制作トレンド/SubVersion等のヴァージョン管理/進捗管理/クライアント・マネージメント/外注管理/テスト計画から品質管理/運用手法/ログ・アナライズ/ソーシャル施策/そもそもの企業戦略......
知るべき知識は膨大にある。あり過ぎる。もはやプロジェクトの大きさに依らず、これらを無視しては進めない。でも今や、知識だけでは未来が拓けない。制御/コントロールが必要だ。
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先の言葉に戻る。テレビでこのこの言葉を聞いたとき、「無識」は「無指揮」だと想った。開発の現場ではデスマーチ、同時に震災の諸々の場面にも重ね合わせる。指揮官が指揮をとらぬ場面は、そこら中に蔓延している気さえする。
「無指揮の指揮官は殺人犯なり」
優柔不断や、口先だけのリーダー像。良いときだけ顔を出し、肝心の場面での責任を全うしない姿。砲弾の中をどちらに進めべきかを指揮できないのなら、無駄に人が壊れていくプロジェクトを担う指揮官であるならば、それを「殺人犯」と呼ぶにふさわしい。
指揮する能力は、諸々のお膳立てと先見性と進捗管理が絡み合っているものだと思っている。やるべき事の把握と更にその先を見渡せる力、そして現在地の認識力。計画と現状の差分を考慮して次の一手を動かす。どれも簡単ではない。
Web開発のプロジェクト・マネージャ(PM)が、エンジニア系のPM知識を初期の頃から取り入れたのは正解だったと思える。エンジニア系PM知識体系が完成しているからではない、いまなお活発に成長し続けているからだ(もしかしたら、私がアクセスし易いだけかもしれない)。
そして指揮能力は、いまや開発サイドだけでなく、クライアント側にも要求されている。個人としてやりたいこと、グループとしてやりたいこと、部署としてやりたいこと、会社としてやりたいこと、様々な観点からの要求を「要件」の形にまとめないと先に進みづらい。まとめるお膳立てはシェルパでもある開発者が誘導するにしても、決断は自分でやらないと高い山には登れない。
高みに行きたければ、担当組織を率いる術と技術は必須だ。指揮能力も指揮権も掌握しないでエベレストに向かうのは集団自殺だ。
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「識」はとにかく学べば身につくかもしれない、「指揮」はPMの勉強と場数で、何とかなるかもしれない。けれど、実際のプロジェクトを進めるにあたっては、もう一つ大切なものがある。パソコンで文字変換をしていて、「指揮」は「志気」か、とも気付かされた。
「無志気の指揮官は殺人犯なり」
人を殺すには刃はいらぬ。「命」とは生命だけでなく、人間らしい暮らしも意味する。かの国の劣悪労働環境と比べては贅沢すぎるかもしれないが、豊かな情報交流の場を作る者が、様々な意味で貧しくては、やはりどこかでいつか破綻する。
やりがいや、使命感。心の中で何かのスイッチを入れること、アクセルを踏み込もうとする気概を操作できると強みが増す。それは率いる人の志気に依るところが大きいように思う。リーダーが責任を持った上でワクワクしているプロジェクトに間違いは少ない。そして、そのワクワクは伝染する。
役所が何故この言葉を払拭しようと努力しないのか理解ができないが、「役所仕事」的に指揮される仕事のつまらなさは、業種業界を問わず既に知られているだろう。やる気のないものは去れ。無志気なリーダーは更に百害あって一利なし。
Web屋として業界に根ざすには、様々なものが要求されてきた。識と指揮に関しては、ままクリアしてきたように思う。でも、この有志気のリーダーに関しては学ぶ術が難しいように思ってきている。
責任あるやる気、とでも言い換えられると思っているのだが、その正体が巧く書けない。この国は「想定外でした」とさえ言えば、今まで頑張ってきたと過去を正当化できるような状況にある。どこまで想定するか、できるかが指揮者の品質であるにも関わらず。
そして、ことはIT的なことに留まらない。チームを率いるという人格的な部分にまで及んでいる。個人のレベルで技術を昇華してきたWeb屋にとって、これは難しい問題だし、個をできるだけ匂わせないように大人数で突き進んできたシステムインテグレータ(SIer)にも不得意な部分だろう。独りよがりでもダメ、かと言って練習を積む場も少ない。道は遠い。
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再度原文に戻る。秋山は「殺人者」と言わずに、「殺人犯」と言う。これは犯罪なのだと明言している。間違った指揮者は最大級の犯罪者である。シンプルかつ明確である。リーダーにならんと思うなら肝に銘じるべき事柄だ。しかし、無理だとも言っていない。打つ手はある。
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」
最後にもうひとつ秋山の言葉を。日露戦争の勝敗を決した日本海海戦に於ける開戦に際しての打電文。視界はよく修練を尽くした我々に利があることを告げている。やるべきことが分かっていて、やるべきことを積み上げていれば、行く手は開ける。
【みつい・ひでき】@mit | mit_dgcr(a)yahoo.co.jp
・< http://www.mitmix.net/2012/02/184.html
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・募集中:RIAC:RIAコンソーシアム: ビジネスセミナー
「Flash」はその役割を終えたのか 〜今後のRIA開発を考える〜
< http://www.riac.jp/2012/01/bflash-ria.html
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Adobeから3人がご登壇。本音を語ってもらうつもりです。2月20日(月)。
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■ところのほんとのところ[73]
舞台「日本の問題」に関わってからもう一年
所幸則 Tokoro Yukinori
< https://bn.dgcr.com/archives/20120216140100.html
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松枝佳紀くんと知り合ったのはツィッターがきっかけだ。彼がフォローしてきて、彼のツイートを読んだら真面目なんだけど面白かったので、フォローしてみた。[ところ]の知らない演劇や、金融、経済のことをつぶやいていて、やっぱり面白そうなヒトだと思ってときどき反応していたところ、松枝くんの方から会いませんかという話になった。
松枝くんは演劇をやりながら、映画やテレビの脚本も書いている。彼が関わっ「デスノート」は僕も見た映画だったので驚いた。もと日銀で働いていたというのも興味の対象だった。
ちょうど政治家やマスコミが、想像以上に嘘をついてる気がしていた時期(あくまで漠然とだけれど)、芸術の行く末がどうなるのか不安だったから、松枝くんとニコ動で何度か芸術と経済について話をしてみたら好評だった。
そのころ3.11の日がやってきて東日本は大変なことになっていく。3.11をきっかけに世界もひとつの転機を迎えた。ローマ法王が原発反対を声明し、イタリアとドイツは脱原発を決めた。ところが、日本の政府も報道も、最初の頃はとにかく真実は語らなかった。情報統制のようなものを感じた。
[ところ]はますます政治家や官僚、マスコミ、大企業全般に不信感を抱くようになった。日本の問題の、といっても舞台の話ではなく、普通に日本にはこんなにも問題があったんだと思い始めた。その頃、14の劇団公演を見て演劇という世界の表現の幅の広さに驚かされた。
実際、3.11以降の数ヶ月、ショックで写真を撮る意欲も薄れた[ところ]にとって、「日本の問題」という演劇プロジェクトとそれを仕掛けた松枝くん、そしてそれを通して知った演劇人達との交流は、また写真を撮らなければという想いが強くなる大いなるきっかけでもあったと思う。彼らとの出会いは[ところ]の写真にいろんなものを与えてくれた。
もともと「日本の問題」は地震とか津波とか原発問題が噴出する以前からの企画であったし、じっさい3.11を連想させる舞台は少なかった。学生編は特に「個人的な問題」が多かったと思う。
そして、今の「日本の問題」として3.11は避けれないという判断なのだと思うが、3月5日から3月11日まで、渋谷のルデコで3.11にテーマを絞って学生劇団がチャリティー公演をすることになった。時間のある人は是非演劇を見て感じて欲しい。たくさんの人の運命を変えてしまった3.11のことを。
< http://nipponnomondai.net/ver311/
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< http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=26545
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「日本の問題 Ver.311(収益全額寄付公演)」の最終日のアフタートークで[ところ]がゲストとして話すことになった。
久々にニコニコ動画で放送します。
・写真家の異常な愛情「震災から1年、芸術と現実の距離」
いま松枝くんも学生達も被災地に行っているようだ。被災地から帰ってきてすぐの出演となる松枝佳紀と所幸則が「震災から1年、芸術と現実の距離」を語り合います。2月19日(日)21時から見てください。
< http://com.nicovideo.jp/community/co60744
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そして3.11をへて【ところ】の写真も変わったと思う。
東京画のニュースレターをぜひ見て下さい。
< http://forest-among-us.com/newsletter/tokyoga/01.html
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【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
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所幸則公式サイト < http://tokoroyukinori.com/
>
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■編集後記(02/16)
・本棚を整理していたら出てきた、生田直親「原発・日本絶滅」を読む。光文社カッパ・ノベルス、チェルノブイリ事故の2年後の1988年11月30日の発行である。内容は完全に忘れていたが、当時は一応リアリティのあるパニック小説という認識で読んだと思う。まあ、こんなフィクションみたいなことは起こるまい、と。だが、このたびの福島第一原発事故のことを考えながら改めて読んだら、まるでノンフィクションのように感じられた。東海村の東海第2原発。異常振動が発生して一度止めた原発を、安全性よりも運転停止による経済的損失を恐れる人達が、強引に運転を再開する。しかし、異常振動はさらに激しくなり、次々にうつ手もすべて失敗、制御不能となった原子炉は、炉心が溶融し大爆発する。考えられる最悪の事態である。約7時間後、北西の風に乗った放射能雲は東京に到達。やがて日本中に拡散してゆく。元凶の電力会社は無為無策、自衛隊も撤退、政府は札幌に逃亡。原発から吹きあげる火柱はいよいよ激しい。まったく一片の希望もない物語であった。巻末の堀江邦夫(「原発ジプシー」著者)の解説では「近代科学技術の粋を集めたのが原発だ、とさかんに喧伝されているけれど、しかし、その原発は(略)虚と実が混在した、人間の理解をはるかに超えた不可視で不気味な存在でしかないのだ」と書き(まったくその通りだ)、「優れたサスペンス小説であるとともに、そしてまた、恐ろしい予言にみちた作品ともなっている」と結んでいる。優れた云々はともかく、恐ろしい予言にみちた作品であったことは確かだ。(柴田)
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・セミナー後に行った懇親会会場は「個室居酒屋6年4組 谷町本校」。名前から連想できるように、造りは小学校。目に入るのは、黄色い帽子にランドセル、木の床、木の机や椅子、黒板などなど。木で囲まれていると、なんだか落ち着くね。Nさんは○○歳なのに、黄色い帽子にランドセル姿がとても似合っていて、大人気だった。小テストつきのコースで、漢字の書き順、最小公倍数と最大公約数、日本国憲法が公布された日は今の祝日だと何にあたるか、ロウソクの火の最も明るい部分はどれか、という問題を皆が酔った頃に配布される。わたしゃなんと40点! テストでこんな点数とったことないよ......。回答を聞くとなるほど学校で学んだことだったり、うまいひっかけだったり。まさか居酒屋でひっかけ問題のある小テストがあるとは。後からどんどん悔しくなってきたわ。こんなんじゃ甥らに勉強を教えられないな。再テストしたい......。約50人いた参加者で満点はひとりだけ。彼はセミナーでも書籍が当たり、懇親会でも女性陣に囲まれていて、とても輝いて見えました。(hammer.mule)
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個室居酒屋6年4組
< http://r.gnavi.co.jp/k495103/
> 谷町本校の写真