[3305] 「想定できませんでした」は「私はバカです」を意味していた時代

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《ふふふ。ついにオレもニコンオーナーか。》

■わが逃走[109]
 いつかはニコン! の巻
 齋藤 浩

■電網悠語:HTML5時代直前Web再考編[194]
 「想定できませんでした」は「私はバカです」を意味していた時代
 三井英樹




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■わが逃走[109]
いつかはニコン! の巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20120719140200.html
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みなさんこんにちは。

このところ何度も話題にしている『世界ポスタートリエンナーレトヤマ』、絶賛開催中です。北陸の旨い寿司と世界のポスターを味わいに是非富山へ。
< http://www.pref.toyama.jp/branches/3042/ipt/ipt2012.htm
>

また、富山は遠くて行けない! という方に朗報です。『THE POSTERS 1983-2012 世界ポスタートリエンナーレトヤマ受賞作品展』が東京のギンザ・グラフィックギャラリーをはじめ、大阪、福島へ巡回します。
< http://www.dnp.co.jp/CGI/gallery/schedule/detail.cgi?l=1&t=1&seq=00000583
>

齋藤浩のポスターも展示されるので、是非!
以上、宣伝でした。

いつかはニコン!

そうは思っていたもののタイミングを逸していまい、まともに使うこともなく40代になってしまった。仕事ではαシリーズの一眼レフ、趣味ではレンジファインダーカメラを使うことが定番化して久しい。

だいたいニコンというブランドは硬派すぎる。バイクに例えればカワサキのような存在で、「ライダーには二種類いる。カワサキ乗りか、それ以外かだ」に相当することをカメラの話で言い放たれた日にゃ、すみません、私にとってニコン様は遠い存在です。いつか機会がありましたら使わせていただきますです。とか言ってその場から逃げてしまう。

とはいえ、ある種の憧れのようなものもあるからクヤシイんだな。そんなある日、普段からなにかと世話になっている男・"編集長"ことS氏が「もう使わないから」ということでニコンをくださったのだ。しかも、伝説の一眼レフ『ニコンF』である。

Fといえば1959年に登場し、瞬く間にカメラの歴史を変えてしまった名機中の名機。3本のレンズとともに5月のとある日曜日にそれは送られてきたのだった。ほどよい重さ、ほどよい大きさのダンボール箱を開けてみると、そこにはプチプチでくるまれたいくつかの塊があった。

そのうちのひとつ、直方体のヤツを開封する。ちらりと銀梨地のトンガリ頭が見えた! おお、これぞ伝説の三角形、ニコンFのアイレベルファインダー!!円柱状の塊も含め、残りのプチプチをすべてひんむく。

するとシルバーのカメラボディと24mm、50mm、105mmのレンズが現れる。上品かつ堅牢な雰囲気の、金属とガラスとレザーで構成された4つの塊が机の上に並んだのだ。心が震えるぜ。

さて、これらのお宝だが、すぐに使えるかといえば、残念ながらそんなわけでもない。いずれも使われなくなってから相当な年月が経過しているらしく、それなりに修理が必要なのだ。

ボディにレンズを装着し、ファインダーを覗いてみた。ぼやーんとしている。光学系にカビ、クモリが相当出ていると思われる。シャッターを切ってみる。低速シャッターが明らかに遅すぎる。音も変だ。

レンズをはずしてシャッターを切る。すると、ミラーアップしてないことが判明。周囲のモルトプレーン(黒いスポンジ)もぼろぼろである。

ということで、何度もお世話になっているお医者さんことTカメラサービスへ持ち込んだ。ざっと見積もっていただき、ちょっと悩んだ上、ボディと24mmと105mmのオーバーホールをお願いすることにした。

ふふふ。ついにオレもニコンオーナーか。なんだか不思議な気持ちだぜ。こころなしか口調まで硬派になってくるぜ。見ろよ、夕陽がまぶしいぜ。修理には2〜3週間かかるとのことだった。

そういえばこのところ複数の方からカメラをタダ! もしくはタダ同然! で頂いている。いずれもジャンクもしくはジャンクすれすれ状態のものが多く、また、よりにによって、そのどれもが昔憧れたカメラなのである。

これらを修理して使ったり、修理せずにごまかしつつ使っていたりするのだが、ファインダーを覗き、シャッターを切っていると、まるで今がフィルムカメラ全盛期なのではないか? と錯覚を覚えるくらいどのカメラも現役時の輝きを失わずに、いい仕事をしてくれるのだ。

また前のオーナーを知っているというのも、楽しく使える要因なのかもしれない。ちなみにニコンは40年くらい前にS氏が大学の先輩(金持ちのボンボン)から譲り受けたものだそうだ。

当時、先輩はS氏の美しい妹君に気があったらしく、なにかってーとS氏宅に遊びに来ていたらしい。そんなセイシュンの一コマも記録したであろうニコンFが、巡り巡って我が家にやってきてくれた。

これは、オレのセイシュン時代の思い出の地にも連れていかねばなるまい。てなことを日々考えているうちにあっという間に時は過ぎ、完全復活したニコンFが我が手に在る。

そして6月のある日、オレはFとともに広島県は尾道市へとやってきたのだった。

完全復活を果たしたFは毅然とした態度で黙々と仕事をこなす。ファインダーも実にクリア。ヘリコイドの動きもスムーズ。

使ってみた感想だが、まずピントリングの回転方向がいつものカメラと逆なので、少々気を使った。それさえ慣れてしまえばこっちのものだ。シャッター音も機械っぽくて気持ちいい。

フィルム交換のときは裏蓋をまるごと外すので、雨が降って来たときはちょっと苦労したが、それこそがFの醍醐味って気にさせてくれる。

基本的に露出計すら付いていない実にシンプルな機械ゆえ、使い方に戸惑うことは一切なかった。余計な機能を満載しているデジカメの、対極の存在かもしれない。

現像したところ、露出どおりに仕上がっているようだ。レンズの印象はとてもシャープで力強い。コントラストも高く、風情というより現実、情緒というより写実って感じがする。

昔の新聞を想起させる、ドキュメントな印象なのだ。考えてみれば1960年〜70年代は、どの新聞社の写真もFで撮っていたに違いないから、そんなふうに思えるのも納得がいく。

今回は雨を避けながらの町並み撮影に終始したが、荒めの高感度フィルムで動きのあるモチーフを撮影してみるのも面白いだろうなあと思うのであった。これからの人生がまたもやタノシミになってきた。

Fのいる生活は始まったばかりだ。

< https://bn.dgcr.com/archives/2012/07/19/images/fig1 >
雨上がりに24mmレンズで尾道水道を見下ろす。うっかりすべってコケないよう緊張して撮影したら緊張感のある描写に。

< https://bn.dgcr.com/archives/2012/07/19/images/fig2 >
山の手から商店街へ通じるヘアピンカーブ。高低差もスゴい。

< https://bn.dgcr.com/archives/2012/07/19/images/fig3 >
105mmレンズで中腹から坂を見下ろす。

< https://bn.dgcr.com/archives/2012/07/19/images/fig4 >
スイッチバック階段。実際、この場所に立つと目が回るような錯覚に陥る。無作為の天命反転地といった印象。

< https://bn.dgcr.com/archives/2012/07/19/images/fig5 >
105mmで港から山の手を見る。屏風のように家々と階段が立つ。

< https://bn.dgcr.com/archives/2012/07/19/images/fig6 >
向島の猫。

< https://bn.dgcr.com/archives/2012/07/19/images/fig7 >
向島の路面。うねるような三次曲面を描く。地面を見てるだけで時を忘れるくらい楽しめるのだが、地元の人にしてみれば当たり前の光景。

< https://bn.dgcr.com/archives/2012/07/19/images/fig8 >
今年は燕を見ないなーと思っていたら、ここにはたくさんいました。

< https://bn.dgcr.com/archives/2012/07/19/images/fig9 >
大好きなパン屋さんの側から尾道水道を見下ろす。その向こうには向島。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■電網悠語:HTML5時代直前Web再考編[194]
「想定できませんでした」は「私はバカです」を意味していた時代

三井英樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20120719140100.html
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最近、もう20年も以上も前、新卒だった私がヘマをやらかし吊るし上げられたときの台詞を思い出す。それは「そんなデータが来るとは思いもしませんでした(想定できませんでした)」。

文字ベースの入出力が中心だったコンピュータが、マウスを使ったデータ入力へと変化している時代。マウスの位置とコマンドとを組み合わせて、適切な命令を作り上げる部分をプログラムする場面だったと思う。杓子定規に計算値をそのまま使ってエラーが生じた。

基本的に、どんなアプリケーションも、入力された情報に対して、正しい(エラーですという素っ気ない返事も含めて)応答を返すのは義務。いきなりクラッシュしたりするのは、そこまで入力した人間の努力を一瞬で無駄にするが故に、あってはならない。それを起こした。

その後、先輩方からどんな言葉が返って来たのか正確には覚えていないけれど、要約すれば「馬鹿野郎! しっかり考えろ」。あの時の自分のふがいなさと、先輩の怖さ、決して繰り返すまいとの思いは決して忘れられない原点になっている。

   「考えるんだ、...考えることで私は生きて来たんだ...」
   ルサルカは還らない/御厨さと美
   < http://goo.gl/ZnCET
>

そんな新卒時代を経て何年かしてから、上記の台詞に出会う。ドラマは、米国大統領を操り人形にしようとする陰謀のさなか、ある長官がその絶対的逆境にある自分を鼓舞する言葉。

私にとっては、「そうだ、ちゃんと(漏れなきよう)に考えよう、それが私の仕事じゃないか」、混乱したプロジェクトに遭遇する度に幾度となく自分に言い聞かせた言葉だ。

「ルサルカは還らない」は、御厨さと美の「イカロスの娘」以来数年ぶりの、渾身の漫画家復帰作で、そのストーリテーリング技術は私にとっては今だに圧巻。現時点ですらハリウッドで映画化とか「24」的なTVドラマにすれば良いのにと夢想して、時折読み返す。



この作品が世に出て、更に10数年が経つ。そして、巷では「想定外でした」が胸を張って、しかもお偉いさんが言う台詞に豹変した。頂点は、「あのような地震や津波は想定できるものではなく、我々には責任がありません」か。

私の翻訳機では「あれは私どもが考えられる域を越えていました、えへへ」と解釈され、どのツラさげてそんな台詞が口からだせるのだ? が率直な印象だ。

「どのツラ...」とはふたつの意味での「呆れる」という意味だ。一つ目は、考え方。もう一つは、そんな発言をしても良いのかとい点。

もちろん、考え方にも、話す内容にも自由度はある。ある意味、どのように考えても、どういった発言をしても構わない。でも、そのように考えたらオシマイだとか、そんな風に言ったら自分(の組織)の存在意義が危うくなるので言いたいけれど言えない、といった境界線は存在する。考え方にも話し方にも、モノゴトへの取組む姿勢が現れる。

人が作るものである、完璧なものであるはずはない。大自然の方が圧倒的な力もあるだろう。でも、だからこそ、「想定できるものではなく、我々には責任がありません」とは言ってはいけない。

何でも制御できるんですという過信は、もっと手に負えないオバカだが、ここまでしか出来ませんから責めないでw、はありえない。呑み屋で打ちひしがれる泣き言なら許す、でも公式会見では、歯を食いしばってでも飲み込むべき言葉だろう。

そんな中途半端な境界線を引くのであれば、そんな開発などしなければ良い。どんな圧倒的な力が襲って来ても、責任もとるし、折れずに、より完璧なものに一歩でも近づくんだという熱血がないなら、立ち入ってはならぬ領域が存在する。

それがエネルギーの領域であり、まさに原子力の領域だ。熱意だけでなんとかなる青春領域ではないが、熱意もトコトンやる感もないのであれば、成立する気も、信頼する気も生まれない。



ついで、責任の取り方を考えながら、もう一度怒られた場面を思い出す。非は私にあるので、グウの音も出ないのは自明だが、激しく責めた先輩は後日、自分もああして責められたよ、と話してくれた。みんな叱られて大きくなった。そして、叱る側に回った時、叱る言葉に恥じないようにと肝に銘じている。

プログラムのバグの多くは、想定できない自分の非力が原因だ。どう使われるのかが全方位で想定できたなら、後は時間の問題でしかない。処理できる範囲を越えたスケジュールを立てられたなら、そもそもバグを埋込むための自爆道でしかないが、そうでないならバグ脱却法は、注意深くあれしかない。

結果として、再現方法が分かれば修正/対処することがほぼ出来るので、よほど根幹的な制約に引っかからない限り、やはり注意力や想定力が根幹だ。

それはどのように育つのか、やはり経験しかないと思う。さらに単なる経験ではなく、背水の陣に近い経験しかないのだと思う。常に二度目はないという姿勢で、これ以上ないというギリギリのところで踏ん張って、先輩に叱咤され、後輩を叱咤し、偉そうにする限りは、汚点も残さず、言い訳もしないで進む。そんな人材が増えれば、組織として非常に好循環な環境になる。

私は、このような本当に恵まれた環境で育てられた。ここでは何度か触れたが、最初のOJTでの指導教官(先輩)は、数個先のプロジェクトでは私の部下となってくれた。それは私が優秀だったからではない。そういうカリキュラムなのだ。私がコーディングで学ぶべきことを終えたなら、次はプロジェクトリーダーとして学ぶべきことに専念できるように、開発の主力を先輩が担ってくれた。

リーダーの仕事は、開発程ロジカルではない、人や組織の調整事があり、機能を理解してもらうドキュメントワークがある。スケジューリングもあるし、開発とはかなり異なる脳の部位を使う。だから、順々に教える(教わらなければ身につかない)。だから先輩がチーム構成上は下にもなる。まさに下から支えられた。

その先輩は、今でも私にとって神に近い技術者で、ミスをしたのを見たことがない。でももしミスをしたなら、潔く責任を取ったのだと思う。それはその地位を去るということだ。そうしないと、自分の誇りに抵触するだろうし、組織の循環を妨げるから。それくらいの覚悟で仕事しろよ、と背中がいつも囁いていた。



優秀な人材がミスが故にその席を追われる。多分それはとんでもない損失なのだと思う。定着している諸々のバランスも崩れるだろう。でも、長い目で組織の成長を見たならば、それは良い効果を残すのだと思う。

その優秀さが本物ならば、別の場所でも花を咲かせるだろうし、責任をとって去るという新陳代謝は、よりよい緊張感をもたらす。そして新たなより良いバランスが生まれる...はず。

最近日本は、闘うと負けるから闘わないという姿勢がはびこっている。闘うよりも、もっともらしい闘わない言い訳を考えつくことに知力を使っている。本来守るべき大義よりも、今生き残る戦略/戦術を採ることが賢いとされているように見える。

生き残ること自体は大切だけれど、その結果、何かが歪んできてはいないだろうか。そもそも、「こんなんで行けんじゃね?」的にコソコソ作られた後付け言い訳に大義が寄り添う訳がない。ミンナはもっと賢い。

国民や地域に過酷なまでの被害を与えつつ、誰も責任を取る必要がない状況。そんなものがあり得るのだろうか。その被害に想いを馳せる想像力や想定力がないのであれば、その人たちはそんな仕事に就いてはいけなかったのだ。

思い返すに、「想定できませんでした」は「私はバカです」を意味していた時代は、素直な時代だった。そして、どうすればバカから脱却できるかを真剣に考えていた時代なのかもしれない。

▼参考:
・失敗を乗り越える方法とは? - WSJ日本版 - jp.WSJ.com
< http://jp.wsj.com/Life-Style/node_478417
>
・Life is beautiful:ソフトウェア・エンジニアから見た原発事故
< http://satoshi.blogs.com/life/2012/07/engineer.html
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【みつい・ひでき】@mit | mit_dgcr(a)yahoo.co.jp

・ついにKobo離陸。某量販店で店員さんに「Kindleと比べてどうですか」と直球質問したら、「いや〜、ボクは白黒電子書籍端末は評価してないんで、否定的です」とこれまた直球返答。いや、あなたはこの売り場に立つ資格ないわ。

・触ってみた感じは、値段も重さも合格点、UIは未だ未だ改善の余地あり、1Gというのは余りに少ない。希望としては重さ据え置きで7インチ6G程度。
   ついに来るぞ、楽天の「kobo Touch」
   ──三木谷氏自ら緊急店頭プロモーション(eBook USER)
< http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1207/18/news122.html
>

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編集後記(07/19)

●土曜日の午前中に「特定健診」に行って来た。あの「メタボ健診」である。血液と尿の検査が簡単に受けられるので、この制度が始まって以来ずっと受診している。現在のわたしの問題は、悪玉コレステロールの数値が高いことで、かかりつけの医者からは薬を飲むよう指導されている。それにしても、健康にいいこと、なにもやっていない。ウォーキングもいつの間にかやめてしまった。かつてけっこう運動になった犬の散歩は、この春から犬が急激に老化して、ほとんど散歩になっていない。買い物や図書館通いに自転車で走り回っているが、これだってたいした運動量ではない。先日、公園でぶらさがり機能をためしてみたら、なんと10秒も保たないではないか。愕然とした。

新聞を整理していたら、三浦雄一郎の連載で気になる記述を見つけた。79歳の三浦は来年エベレストに挑むという。70歳と75歳で二度も登頂に成功しているのになぜだ。「80歳だからですよ。年齢による体の変化を、むしろ挑みがいのある冒険だと考える。(略)夢というのは可能性です。それに向かい命を燃やすことで、人は心と体の生命力を高めることになる。人は歳を取ると、できないことの言い訳を、自分にするようになる。でも、『無理をしない』でいると、そのレベルで衰えます。逆に負荷をかけて体を動かせば、高齢者でも、若者と同じ比率で筋肉量や運動能力は向上する。何歳になっても変われるのです」

なんとも希望的なことをいわれる。なんとも無茶なことをいわれる。不整脈を抱えながら二度もエベレストに登ったスーパーマンだからこそ自信満々で言えることで、若い頃から本格的に体に無理を強いたことなど一度もないわたしが、イージーに取り入れられる考え方ではない。この記事は聞き書きであるが、担当の編集委員はかなり程度が低い。「夢のある目標に向けて、日々気持ちよく歩くだけでも、脳内物質が活性化して、やる気や達成感が増す」って、もっと整理して書いてくれ。ところで、たまに堀江謙一似と言われるわたしだが、思い立って検索してみたら、似ているのは白髪頭だけだったよ。(柴田)

●宝塚のはしご演目は、月組「ロミオとジュリエット」と雪組「フットルース」。どちらも未成年が主役の話。前者は役替わりなので、もう一度観にいく予定。今回はトップ就任した龍真咲が主役のロミオ、異例の準トップ・明日海りおがティボルト。役替わりでは、この二人が入れ替わる。明日海りおさんは、宝塚に限らず何度か劇場で見かけたり、偶然目の前にいらしたりと、生で観る機会が多く、華があって勉強熱心な印象。期待してたから、準トップが嬉しい。彼女のロミオに期待してる。もうすぐ東京でも上演。東京の人、今回の「ロミオとジュリエット」もいいよ! ケータイは出てこないよ(笑)!←同じ演出家の外部公演にはケータイが出てくる......。

フットルースは、あのヒット映画のミュージカル化。あんまり期待しておらず、フットルースってどんな話だったっけ? と思ってたぐらい。友人は映画すら観ておらず、「マクドしか連想しないわ」という状態。途中までしんどいなぁと思いながら観ていたが、主役レンと神父さんとのシーンは心にくるものがあったよ。「みんな、わかる、わかるよって言うんだ。でも......」というくだり。レンが神父さんの頑な心を溶かすシーン。あと、たぶん歌詞は日本語訳だと思うんだけど、有名な曲の数々の歌詞の意味がわかったところが良かったよ。次は博多で上演。レン役の音月桂さんとアリエルの舞羽美海さんは、この次の公演「仁」で退団。やめちゃうの、もったいないわ。(hammer.mule)
< http://kageki.hankyu.co.jp/rj2012/
>  ロミオとジュリエット
< http://www.umegei.com/schedule/182/
>  フットルース
< http://kageki.hankyu.co.jp/revue/291/
>  仁