[3397] 私がビビリスキー

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《年末年始を咳と鼻水と発熱で〜》

■歌う田舎者[40]
 私がビビリスキー
 もみのこゆきと

■ショート・ストーリーのKUNI[131]
 二年間
 ヤマシタクニコ




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■歌う田舎者[40]
私がビビリスキー

もみのこゆきと
< https://bn.dgcr.com/archives/20121220140200.html
>
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誰も信じてくれないかもしれないが、わたしはいつ何時もビビりながら生きている。世の中が怖くて怖くて仕方がない。

今月のタイトルを「私がビビリスキー」にしたことについても、デジクリ読者の皆々様に「え? そのタイトルって何? 映画『私がウォシャウスキー』のもじり? 意味わかんねぇ。それで映画の筋とこのコラムに関連性があんの? は? 全然ない? 責任者を出せ!責任者を!」と糾弾されている自分を想像してビビりまくり、部屋の片隅で震えているのである。

前回の「仁義なき戦い YKZ48」を書いているときも、「自分で書いておきながら、『ヤクザ』と『極道』の違いがわからぬ。どちらの用語を使うのが正しいのか。畏れ多くも人目に触れる場所で書いているのに、人様に尋ねられたとき回答できないなど、そんなことでいいのか、もみのこよ。むぐーーーっ!」と、尋ねられてもいないのに、頭を掻き毟ってビビりまくっていたのである。そしてビビっているうちに、毎回締め切りがやってくるのだ。

わたしが斯様なビビリスキーになったのは、父親が度を越したドビビリスキーだったからである。飛行機は怖いので絶対乗らない......という人がたまにいるが、ドビビリスキーは、飛行機どころかJRにも車にもビビっていた。

毎日仕事から帰ってくると、どこそこの横断歩道は危なかったという報告から始まる。横断歩道は右見て左見て、そしてまた右を見て渡れと言うが、その間に左から車が来たらどうするんだ! 危機管理が甘い! と、額に青筋立ててビビっていた。

電化製品に長時間通電していると、発火するとかたくなに信じていたので、冷蔵庫以外の電化製品については、常日頃からパトロールで通電時間をチェックしており、2時間で強制的に電源をオフにして回る。

自分で閉めたドアの鍵が信じられず、「泥棒に狙われる!」と、ビビりながら戻ってきてはドアノブをがちゃがちゃがちゃがちゃやっていたので、ドアのたて付けはだんだんおかしくなっていった。強迫神経症の一歩手前である。

石橋を叩いて叩いて叩き割って、「ほら見ろ! 壊れたじゃないかっ! 世の中は危ないものだらけなんだ!」と叫んでいたが、壊れたんじゃないくて、お前が壊したんだろうが。しかし、そのような親の元で育つと、子どもも洗脳されてビビリになってしまうのだ。



昔からドビビリスキーが言っていた。都会というところは生き馬の目を抜く恐ろしいところで、田舎者だということがバレたら、すぐに盗人に狙われ、暴漢に襲われ、結婚詐欺に遭うことになっている。田舎者が都会に行くとは、死にに行くのと同じなのだと。

なんと恐ろしいことであろうか。だから、物心ついてから、もしわたしが都会に行くことがあったら、忍法都会人の術で、絶対に田舎者だということがバレないようにしようと心に誓っていた。

もちろん電車や地下鉄に乗る時も、都会人のふりをしなければならないため、駅に掲示された路線図やインフォメーションをまじまじと見ることもできない。そんなことをしては、田舎者丸出しではないか。

「わたしは100年前から都会に住んでいるのであって、そんなもの見なくても、全部頭に入っとるわ」という雰囲気を醸し出し、間違っても有人の改札で、駅員さんのお世話になるような無様なマネをしてはならない。

それなのに、10月に行った大阪ではしくじった。日本一長い商店街である天神橋筋商店街に行ってみようと、なんばから大阪市営地下鉄で天神橋筋六丁目駅に向かったのだが、なにやら出る改札を間違ったようなのである。乗り継ぎの梅田で、自動改札機から切符が出て来なかったのだ。

「し、しまった。ここは単なる出口だったのか。なんたる失態!」
切符が吐き出されるはずの自動改札機に取りすがり、「出してくれ、あたしの切符を出しておくれよぅ。あたしは田舎者じゃない。助けておくれ!」とわめき散らす哀れな女がひとり。あぁ、これで大挙して結婚詐欺師がわたしの元に殺到してしまう......。

泣きながら係員のいる改札で事情を説明すると、「乗継乗車券」と書かれた黄色い紙を渡された。これは田舎者専用の往来手形であろうか。聞けば、この乗継乗車券では自動改札機を通れないので、有人の改札を通らねばならないという。あぁ、なんたることか。忍法都会人の術は破られてしまった。これでおしまいだ。結婚詐欺師よ、いらっしゃい。悲しい浪花の思い出である。



最近怖くなったものもある。好奇心旺盛なばーさんだ。どうもバスに乗っているわたしは、ばーさんフレンドリーなオーラを発しているらしく、話しかけられることが多い。

先日、いつものように二人掛け椅子の奥に座ってスマホでFacebookを見ていたら、隣に座ったばーさんが話しかけてきた。

「はら、そいがスマートフォンとかいう電話ね」
「あ、そ、そうですね」
「指で、すーっすーっちすれば、動くんでしょ」
「まぁ、そんな感じですね」
「どげんするの? ちょっとみせてよ」

指で画面をタッチしようとして思い出した。わたしのFacebook友達の中には、女性のセクシー写真を怒涛のようにシェアしまくる人がおられるのだ。ちょうどその時間が怒涛のシェアタイムに当たっており、ばーさんが見つめているFacebook画面を"すーっすーっ"と動かすと、山のようにきわどい写真が表示されることになるのだ。

ど、ど、どうすればいいのだ......。「いや、その、これはわたしの趣味ではなくてですね。えーっと、まずFacebookの仕組みからご説明いたしますと......」そんなまだるっこしい説明をしている場合ではない。

だからと言って「プライバシーに関わるため、お見せできません」などと無下に断るのもあまりに情なきこと。

好奇心でいっぱいのばーさんは、邪気のない顔でわくわくしながら、わたしが"すーっすーっ"とやって見せてくれるのを、固唾をのんで見守っている。どこで止まるか、♪ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレットではないか。ここまで来たらあとには引けない。

"すーっ"
ぎゃーーーっ! 尻が、オッパイが、♪走る〜走る〜おれ〜た〜ち〜♪
"すすーっ、すすーっ、すすーーーーーっ"
うぎゃーーっ! 裸エプロンが、尻出しサンタが、♪流れ〜る汗もそのま〜ま〜に〜♪

気がつけば、手裏剣を投げる忍者なみの速さで画面を走らせるわたしがそこにいた。それ以来、ビビって、バスではスマホを出せなくなったのである。あぁ、世の中は恐ろしい。なぜこのように恐ろしい事ばかりが満ち満ちているのか。



未来も恐ろしい。最近一番怖いのは、来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」である。なぜなら「八重の桜」の舞台は会津なのだ。会津藩から見ると、薩摩藩・長州藩は不倶戴天の敵である。ドラマで薩摩藩の人間がどんな悪逆非道な輩として描かれるかと思うと、心配で夜も眠れない。

綾瀬はるか演ずる新島八重が、苦境に立ち向かい、乗り越えて行くたびに、薩摩藩の人間はどんどん悪者になっていくに違いないのだ。可憐で美しく、おっぱいバレバレーな綾瀬はるかを苦境に陥れるなど、日本国民の敵とみなされても致し方あるまい。

物語が佳境に入る頃には、薩摩藩の人間は、丸に十の字の家紋を、必ず衣服に縫い付けておかねば歩けぬ社会になっているかもしれぬ。

「貴様、薩摩藩の人間だな!」「ちっ、違いますでごわすっ」「ごわすとはなんだ、ごわすとは! その家紋が全てをあらわしておるわ!」「あああっ、お代官様、許してくだせぇ、許してくだせぇ」と命乞いをするも、「えぇい、問答無用! ものども、引っ立てい!」と河原まで連れて行かれ、五右衛門風呂で茹で殺されてしまうのだ。おかん! わしゃあまだ死にたくねぇ。死にたくねぇよぅ!

恐ろしい。なんと恐ろしいことであろうか。このような恐怖を抱いて、ビビりながら生きて行くことはできぬ。よって、来年一年、わたしはフランス人になることに決めた。来年の漢字は「仏」で決まりだ。よろしくシルブプレ。

※「私がウォシャウスキー」
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BKDRDG/dgcrcom-22/
>
※「ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレット」中原めいこ
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※「Runner」爆風スランプ
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>

【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp

かつてはシステムエンジニア。その後、名ばかり経営指導員。通販用ジュエリー撮影のバイトはクビ。失業手当は1月年頭で終了。いや、めでたい正月じゃ......めでたくねぇよ!←イマココ。

前回の「仁義なき戦い YKZ48」で、県民の日が休みになる太っ腹な県は埼玉県をおいてないのではないか......と書いたら、「東京都では10月1日が都民の日で、公立の小中高は休校です、でした。最近は休まない学校も増えているようです」という投稿をいただいたそうである。

恐れ多くも東京都もそのような大盤振る舞いをしておいでになるとは。茨城県も公立の小中高は休みであるらしい。知らなんだ知らなんだ。

ちなみにわが薩摩藩は、2月9日が県民の日である。「肉(にく)」にちなんで、である。まー、はっきり言って、県民の誰も知らないと断言する。各都道府県が、「廃藩置県後に初めて秋田県という名称が使われたことに由来」とか、「木更津・印旛両県が合併し、千葉県が誕生したことに由来」とか、「長野オリンピック開会式が行われたことに由来」とか、もっともらしい理由を並べている中で、「肉(にく)」にちなんでという、この激しい浮世離れ感は何なのか......。

[県民の日]
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%8C%E6%B0%91%E3%81%AE%E6%97%A5
>

[もみのこより年末年始のごあいさつ]
< http://www.facebook.com/photo.php?fbid=470440486355362&set=a.333679820031430.80719.100001682455033&type=3&theater
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■ショート・ストーリーのKUNI[131]
二年間

ヤマシタクニコ
< https://bn.dgcr.com/archives/20121220140100.html
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ある朝、いつものように起きた彼はいつものようにやかんで湯を沸かした。やがてしゅんしゅんと湯がわき、前の日の夜に挽いておいたコーヒーをフィルタにセットして熱い湯を注ぎ始めた。すると声が聞こえた。

──もう飽きたよ

彼は耳を疑い、あたりをみまわしたが誰もいない。声はぼこぼこと泡を立てているコーヒーの中から聞こえたと思った。

「そうか」

急にそれ以上やる気がなくなった。彼はダストボックスのペダルを踏んで蓋を開け、コーヒー豆の粉とフィルタを投げ捨てた。確かに飽きた、と言われても不思議はない。なにしろ学生時代から含めるともう30年以上、毎日コーヒーをいれてきた。毎日同じようにコーヒー豆を挽き、同じようにいれる。もちろん豆の種類も同じだ。

彼はパソコンを立ち上げた。メールをチェックし、そのあと、いつものようにヘッドフォンをつけてYouTubeで音楽を聴くことにした。昔から好きな、ファンからは「マリア」と呼ばれている歌手の歌だ。彼は目を閉じ、歌の世界に没頭する。と突然

──もう飽きたわ

マリアがそう言った。少なくともそう聞こえた。驚いてモニタの中の画面を見るとマリアが自分に向かってほほえんでいた。いや、彼のことを笑っているようにみえた。彼はブラウザを閉じ、ヘッドフォンをはずした。ショックでしばらくぼうぜんとした。

マリアも、学生時代からファンだった。彼と同年代で、この先もずっと、マリアが歌手を続ける限りファンでいようと思っていた。なのに、飽きたと言われた。するとしゅるしゅるしゅると彼の気持ちは萎え、自分でも「飽きた」と思った。もう聴きたくなかった。

彼は途方に暮れた。彼はふだんから「コーヒーが好きでたまらない人のためのサイト」や「マリアファンクラブ」に出入りしていて、それが毎日の重要な部分をしめていた。

仕事で疲れて帰ってきても、「仲間」が集うところに行き、他愛ないおしゃべりをしているうちに気がまぎれた。でも、そこに参加できるのは、あたりまえだがコーヒーが好きな人やマリアのファンだ。もう、自分には参加する資格はない。

いや、隠しておけばいいか。しばらくは何食わぬ顔でいつものサイトに出入りを続けた。だが、なんとなく居心地が悪い。ついていけない。気持ちがどんどん離れていくのが自分でわかる。

結局どちらのサイトからも足が遠のいていった。会社で退屈な仕事を終え、帰ってもすることがない。でも、かつてはそうだったんだ、何も困らないさと自分に言い聞かせる。ニュース以外しばらく見ていなかったテレビを見たりするようになった。

朝にコーヒーを飲まなくなって、仕方ないので紅茶を飲むようになった。紅茶を旨いと思ったことはなかったが、やむをえない。こんなものに慣れるということがあるんだろうか。この年で。

もう一度コーヒーにもどるべきではないのかと思わないでもなかったが、あのときの「飽きた」を思い出すと、そんな気はなくなった。ひとつの窓が閉ざされたら、ほかの窓を探すしかないのだろう。

無理矢理毎日のんでいるうちに半年くらいすると、別に旨くないこともないなと思うようになった。さらに飲んでいるうち、時々「旨い」と思うようになった。ああ、そうなのかと思った。そうかもしれないと思った。別の世界が開けるかもしれないという気持ち。

紅茶が好きな人のサイトも当然、たくさんあった。おそるおそるのぞいてみる。「最近紅茶の味がわかりかけてきた者です」と書くと「ようこそ」「今日から仲間になってください!」「紅茶の楽しみ方、教えますよ!」と歓迎のレスが返ってくる。

彼はうれしかった。かさかさの土に水がしみこむように、それらの言葉がしみ、じわじわとひろがっていく。背筋がのびるような気がする。ほぼ一年ぶりで自分の居場所を見つけた思いだった。涙が出そうだ。

それからしばらくして、テレビを見ているとある番組で地味なドレスに身を包み、歌っている小柄な女がいた。なぜか気になってネットで調べてみると、小説家であり歌手でもある「かれん」という女性であることがわかった。

動画もたくさんあがっていた。どの歌を聴いてもいやだと思わなかった。マリアの歌でも時には、正直な話、あまり好きじゃないと思う曲もあったがそれも含めてのマリアなのだと自分を納得させていた。

でも、かれんの歌は特にうまいとも思わないのにひかれるものがあって、どの曲でもそれは変わらなかった。なんで自分はいままで知らなかったのか、不思議だ。まるで自分の生きていた世界と、別の世界が存在していたみたいじゃないか! 

彼はたちまちのめりこみ、かれんのファンサイトにも出入りするようになった。「かれんさんの魅力がわかる人が増えてうれしいです!」「ここは年齢性別関係なし。思い切りかれんさんのことを語り合いましょう!」とまっていた毎日がふたたび動きだした、と彼は思った。


──今度のオフ会、いっしょに待ち合わせてから行きませんか?

かれんのファンサイトでいつも親しげに言葉を交わしている女から直にメールが来た。

──このあいだ一部の会員さんが提案していた新しいサイト運営についてとか、いろいろお話できたらと思っています。よかったら。

女はサイトで最近話題になっている懸案を持ち出してきたが、それは大したことではなく、口実にすぎないことはわかっていた。彼女にも、それを受けた彼にも。

オフ会の会場になっているレストランに近い喫茶店で、二人は待ち合わせた。女は少し遅れてやってきた。彼より年下ではあろうが、いわゆる中年女だ。でも、少女時代が容易に想像できるような雰囲気がある。きっと快活で男女を問わず友だちがたくさんいただろう。つややかな髪がきれいだ。

「ですよね。私もその案に賛成!」

「私も、実はWEBの仕事してたりするんで、役に立てるかも。○○さんは、それより全体のイメージをつくる担当になればいいと思う」

彼のハンドルを持ち出して言う。

「○○さんって、あのサイトではすでに存在感あるもん。みんなも納得するんじゃないかな」

その気にさせられているだけだとは思うが、悪い気はしない。女をだんだん「かわいい」と思い始めている自分がいる。

「あ、こんな時間。じゃあ、そろそろオフ会のほう、いきましょか」

彼は同意する。席を立つ女のスカートの裾が揺れるのを一瞬、見つめる。

店を出て、歩いて数分のところにあるホテルに向かう。そのホテルの地階に、オフ会会場になっているレストランがある。彼はなんとなく、高揚した気分でいた。

もう二年になろうとしていた。

二年前の彼はコーヒーとマリアのファンで、毎日がそれとともにあったが、なんだかすべてが変わってしまった。でもいいんだ。変わるしかなかったんだ。人間はいつまでも同じことを続けていけないようになっているんだ、たぶん。

ホテルに入り、女と並んで地階に降りていこうとしたとき、一階のひとつの部屋のドアが少し開き、そこから光とともに中のざわめきがこぼれているのに気づいた。軽い気持ちで足を止め、のぞきこんだ彼はおどろいた。

ドアの中では何かの懇親会のようなものが行われているようで、食器がふれあう音や低く流れる音楽にまじって、あるひとの名前が繰り返し人々の口からもれている。マリア......マリア......彼はドアに控えめに張られた紙に気が付いた。

[マリアファンクラブ・オフ会会場]

はっとしてもう一度ドアの中をのぞきこむと、中にいたひとりの男がふりむいた。それは......彼自身だった! 見たことのない黒っぽいスーツを着こなし、ほほを上気させている彼。

だが、振り返っただけでこちらに気が付かなかったらしく、すぐにそばにいた女との会話に戻った。ショートカットに濃い口紅をつけた女。彼の知らない女だった。女は親しげに彼の背中を軽くたたいては冗談を言い合っているようだ。

ドアの外で彼は混乱していた。ここでは、続いていたのか。あのまま、別の二年間が。スーツ姿の彼ははつらつとしていた。笑顔が若々しかった。あんなふうに自分は笑っていただろうか?

肩をたたかれて、彼は我に返った。

「どうしたの?」

声が出なかった。

「私たちの会場はそこじゃないわよ」

そういう女はさっきよりずっと、老け込んでみえた。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
< http://midtan.net/
>
< http://yamashitakuniko.posterous.com/
>

今年も拙い作品を読んでくださってありがとうございました。来年こそはもう少しいろんな勉強もして、ましなものを書きたいと思います。なお、これを読んだ方にもれなく感染するよう、たちの悪い風邪ウィルスを仕込んでおきました。年末年始を咳と鼻水と発熱で楽しくお過ごしください。ごほ、ごほ。


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編集後記(12/20)

●菅野朋子「韓国窃盗ビジネスを追え 狙われる日本の『国宝』」を読む(新潮社、2012)。日本の寺院から盗まれた国指定の重要文化財、高麗仏画「阿弥陀三尊像」が韓国内で売買されている、という事件が明るみに出たのは8年前のことだ。それ以前にも、韓国の国宝に指定された教典「高麗版大般若教」が、前年に日本から盗み出されたものではないかと物議を醸したことがある。この本は、韓国在住の女性ライターが週刊新潮の依頼で、「高麗版大般若教」と「阿弥陀三尊像」の行方を追った2005年から7年間の記録である。

取材先は、盗難に遭った寺院関係者をはじめ、窃盗犯、容疑者、怪しいブローカーなど多岐多数にわたる。日本と韓国の各地を何度も継続して訪れる執拗な取材だが、現れる人物はみな怖れ知らずで、悪辣で、巧妙で、筆者の手に負えない観もある。女性が単身でぶつかるには危険で、また日本人が追いかけるには分が悪いテーマともいえる。

「韓国では、日本にある朝鮮半島由来の古美術品の多くが倭冦などにより略奪されたとみる傾向が強く、たとえ盗みを働いてモノを韓国に持ち込んだとしても、元の正しい場所に戻ったと解釈されてしまう」という。この記述は本文で何度も現れる。だが、どんな背景があったとしても、日本に渡って来た韓国の古美術品が日本で長い間保管され大事に扱われて来たのも歴史である。だから盗んでいいという話にはならない。

筆者はついに「阿弥陀三尊像」を盗んだ真犯人にたどりつく。だが、はぐらかされ、居直られ、真相は闇の中のままだ。日本の重文の行方は杳として知れない。それにしても、窃盗犯も、窃盗犯に日本の重文について教えた大学の教授も「盗み出すのではなく、あくまでも取り戻す」という認識なのだ。盗賊が文化遺産を取り戻した愛国者と称えられるとは、なんという常識外の国家なんだ。

韓国の大統領選は保守の朴槿恵氏が勝った。左翼政権にはならなかったのはよかったが、いずれにせよ反日的でなければ国民の支持が得られないのは従来通り、嗚呼、めんどうくさい隣人である。(柴田)

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●歳をとると図々しくなる。過去の経験から、これをしても地球は滅びないのだ(笑)と判断しているだけであって、経験のないことには当然躊躇する。図々しくなれて良かったなと思うのは、お店で質問する行為。

おせち料理を作ることを断念した。検索したら、桁違いますやん、な料亭のおせちなんかが出てきた。もう少し早く断念していたら、生協のおせちを注文できたのだが、仕事で手一杯でカタログを見る余裕なんてなかった。百貨店で買うか、ネットで買うか。

ネットで良さそうなものは見つけたが、30日に冷凍で、とか、31日に冷蔵で届けられるけれど時間指定はできません、とか書かれてあるものばかり。そもそもおせちは日保ちするように作られたものだから(賞味期限が1月2日のものは多いように思う)、早めに届くのはあきらめるけれど、なんとなく解凍して食べたくないように思うし、忙しい31日に外出できないなんてとんでもない。

近所のお弁当屋さんで受け付けていることを知り、ネットで注文しようとしたら一種をのぞいて売り切れ。こちらもネットだと配送になり時間指定ができない。直接店舗に出向く。と、おせち用の看板があって、ネットでは売り切れていた商品の上に「残りわずか」の張り紙があった。レジ前の手書きPOPには一種(ネットと同じ)のみ受付と書かれてあった。

若い女性店員に、看板には残っていると書かれてあったんですがと質問した。彼女が今はこちらのみをと答えようとしたら、帰宅しようとしていたのだろう私服の年配の女性が、あっ、あります、と遮った。若い店員をレジへ誘導し、キャンセルが出てるからと取り消し、私のを受け付けてくれた。お目当てのものが買え、31日の希望時間に受け取れることになった。聞いてみるもんだねぇ。ラッキー。(hammer.mule)