[3403] さよならをいって別れた友がいた

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《コスプレではなく普段着なのでそこんとこのご理解ひとつよろしく》

■映画と夜と音楽と...[573]
 さよならをいって別れた友がいた
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![167]
 女装者におけるA面とB面
 GrowHair




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■映画と夜と音楽と...[573]
さよならをいって別れた友がいた

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20130118140200.html
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〈ロング・グッドバイ/アスファルト・ジャングル/現金に体を張れ〉

●テリーとマーロウの関係は男同士の愛に見えるのか?

年明け早々の金曜日、久しぶりに新宿ゴールデン街「深夜+1」に顔を出した。新刊を届けるのと、日本冒険小説協会の古参会員である中田さんに一冊献本するためだった。8時の約束だったが少し早めに着き、カウンターに「映画がなければ生きていけない2010-2012」を置くと、カウンターの中からユースケくんが「またまた、ぶ厚いですね」と声を挙げた。

しばらくして中田さんがきて、「三巻目もまだ読み切れていないんだよ」と言う。「いいですよ、読まなくても...」と僕も笑いながら答えた。献本というのは、もらって迷惑なこともある。特に僕の本のようにぶ厚くて重いと、迷惑だろうなあとも思う。その夜にも話が出たけれど、一気読みしたのは亡くなった会長こと内藤陳さんくらいかもしれない。

久しぶりに顔を出した割には、はた迷惑も考えずに喋り散らしていると、カウンターのユースケくんが「これ、いいですよ」と「ロング・グッドバイ」のサウンド・トラックのcを掛けてくれた。「ld持ってるけど、プレイヤーが壊れてもう見られないんだ」と僕が言うと、「dvdは、出ていないんじゃないかな」と中田さんが言った。

その後、二時間もワイワイやっていたのだけど、その途中でなぜか映画館で痴漢に遭った話になった。中田さんも経験があるらしい。僕は18歳で上京したとき、当時、伊勢丹と明治通りを挟んだビルの地下にあった名画座でお尻を触られた話をし、「女の人と間違っているんだと思いました」と言うと、みんな笑った。その頃、僕はホモ・セクシャルとかゲイという存在を知らなかったのだ。

そう言えば、前回、五月の真夜中に「深夜+1」に顔を出したときは、隣にいたかなり酔った客に「ソゴーさん、奥さんいるんですか?」と訊かれ、「いますよ。子供もふたり」と答えると、カウンターの中にいたキクチくんが「えー、ソゴーさん、ずっと独身だと思ってました」と驚いた声を出した。もしかして、キクチくんは僕をゲイだと思っていたのだろうか。

確かに、数年前の内藤陳さんの誕生パーティのときに女装したキクチくんに、思わず「美人だなあ」と言ったことはある。まだ大学生のキクチくんは小柄で細面、鼻筋が通っていて少し吊りあがった目が涼しい。色が白いので、そのときの女装はよく似合った。作家の西村健さんが感心して「ヘンな気になるな」と冗談を言い、僕もつられて「美人だなあ」と口にしたのだった。

もしかしたら、あのとき以来、キクチくんは僕をゲイだと思っていたのだろうか。ゲイの人には何の偏見もないつもりだけど、自分がそう見られていたのだとすると何だか妙な気分だった。昔、一度だけ、夜の新宿で中年の勤め人風の男性に「ねえ、お茶、飲まない?」と誘われたことがあるが、あのときどう断れば相手を傷付けないかなんて考えたことを思い出した。

そんなことから、「ロング・グッドバイ」のフィリップ・マーロウとテリー・レノックスの関係は、現代から見るとまるでゲイのように見えるのかもしれないと連想した。「男同士が仲良くしていると、ホモだと言われるような世の中にいつからなった」と、「男おいどん」の主人公が嘆いていたが僕も同感である。もっとも、あのマンガでさえ40年も昔のことになった。

大人の男同士の友情は、相手に甘えないことで成立する。男女を問わず、愛情が、相手に甘えたい、相手のものになりたい、相手を自分のものにしたいという心理に傾くのとはまったく異なる。甘えない、迷惑かけない、頼らない。互いにそう思っているのだが、相手は自分のために命を賭してくれる。それが大人の男の関係だ。男同士の友情は、絶対的な信頼関係でしか成立しないきびしいものなのだ。

●男同士の出会いと友情の成立が30頁を費やして描かれる

レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」(清水俊二・訳)は何度も読んだ。最近では、村上春樹さんの新訳「ロング・グッドバイ」を読んだ。最初に読んだのは、10代半ばである。まだ、ホモ・セクシャルやゲイの存在を知らない頃だった。「長いお別れ」は、主人公の私立探偵フィリップ・マーロウがナイトクラブの入り口で、酔いつぶれたテリー・レノックスと出会うシーンから始まる。

テリー・レノックスは、マーロウに放っておけない気分にさせる悲しみを漂わせた男だった。酔いつぶれ、連れの金持ち女に置き去りにされ、ナイトクラブの駐車係にバカにされている男を、マーロウは自宅に連れ帰って介抱する。マーロウは自宅玄関の長い階段を、酔いつぶれて正体をなくした男を引きずりあげなければならなかった。なぜ、初めて会った(というより、見た)男にそれほど親切なのか。

目覚めたテリー・レノックスは浴室にいき、「眼を細くして私を見つめながら、いったい自分はどこにいるのかと尋ね」るのである。マーロウが場所を教えると初めて名乗り、自分のアパートの住所を告げる。そのテリーにコーヒーを飲ませ、マーロウはアパートに送る。テリーのアパートは、息が詰まりそうで、よそよそしく、人間が住んでいるところとは思えない。

マーロウは「唇をかみながら車を走ら」せ、「私はめったに心を動かされない性質だが、彼はどこかに私の心をとらえるものを持っていた」と語る。マーロウの心を動かす何かを......テリーが持っていたのだ。それが何であるかはわからないのだが、マーロウの中にテリー・レノックスという男が刻み込まれる。テリーを女性に設定すれば、まるで恋愛小説のような始まりである。

しかし、男同士のつきあいはセックスが介在しないことで、恋愛小説には発展しない。チャプター2では、マーロウは酔いつぶれて道端に寝ているテリー・レノックスを、ふたりの警官が逮捕しようとしている現場にいき遭う。マーロウはテリーを救い、タクシーに乗せ、再び自宅に連れ帰る。マーロウは「ほんとの親友さ。酔ってるんじゃない」と警官に言う。

ときどき(頻繁に?)酔いつぶれる僕にも、「こんな友人がいればなあ」と思わされる心温まるエピソードである。酔いつぶれたテリーの側からすれば、マーロウほど身に沁みてありがたい男はいない。彼は何の理由もなく、見返りも求めず、ただ見過ごせなかったから酔っぱらいを介抱し、自宅に寝かせ、アパートまで送ってくれる。二度しか会っていないが、ほんとの親友なのだ。

そんな風にして、チャプター4まで(文庫本で30頁ほど)はフィリップ・マーロウとテリー・レノックスが、どのようにして互いに友情を抱くようになったかが語られる。ふたりは、ときどき開いたばかりのバーでギムレットを飲むようになる。テリーがギムレットについての蘊蓄を語り、それは後半の「ギムレットには早すぎるね」という有名なセリフにつながる。

テリー・レノックスとの出会いと友情の成立は、マーロウの回想として語られる。だからこそ、そこに哀切な雰囲気が漂う。その後の悲劇の予感が、読者の心を震わせる。チャプター3は、「もし私が尋ねて、彼が話してくれていたら、二人の人間の命が助かっていたかもしれないのだ。かならず助かっていたとはいえないのだが」という思わせぶりなフレーズで閉じられる。

●どんなに権力に痛めつけられても友は売らない

エリオット・グールドがフィリップ・マーロウを演じた「ロング・グッドバイ(1973年)は、小説のチャプター5から始まる。映画が始まるとすぐ、くわえタバコで倦怠感を漂わせたフィリップ・マーロウが現れ、深夜に飼い猫のためのキャットフードを買いにいく。エリオット・グールドは異色のマーロウだが、都会生活者のひとつの典型を造り上げている。

映画版はマーロウとテリーの友情の成立はまったく描かず、猫を相手に独り言を言っている孤独なマーロウの生活と、金持ち風のテリーの対比からスタートするのである。テリー・レノックスは拳銃を片手にマーロウの自宅に現れ、自分をメキシコまで送ってくれと言う。原作を読んでいない人が見ると、テリーとマーロウがどういう関係なのか、よくわからないだろう。

しかし、映画版を原作から離れた眼で見ると、実に魅力的なオープニングだ。スーパーマーケットでキャットフードを探すマーロウ。高級住宅地からスポーツカーを出すテリー・レノックス。夜のハイウェイを車のライトがいき交う。「ザ・ロング・グッバイ...」と、太い声で歌う音楽が流れる。スクリーンから独特のニュアンスが漂い始める。

マーロウがメキシコ国境を越えてテリー・レノックスを送って帰ってくると、ふたりの刑事が待っている。このシーンはよくできていて、映画を見た後、何度も原作を読み返したが、そのつど映画のシーンが甦った。70年代前半の映画である。エリオット・グールドのマーロウはあくまで反権力であり、警察には徹底的に逆らうのである。

この後、原作では金持ちの妻を殺したテリーの逃亡を幇助したことで逮捕された、マーロウの取り調べと留置所の場面が続くのだが、そこで強く印象づけられるのはマーロウとテリーの友情である。もちろん、ハードボイルド小説であるから、べたべたとは書いていない。しかし、痛めつけられ留置所に入れられても、マーロウが口を割らないのはテリーのためなのだ。

──ぼくは彼のためにここにいるんじゃない。自分のためなんです。何も不平は言わない。ぼくの商売がなりたっているのは、何かで困っている人間がいるからなんです。事情はいろいろちがっても、警察には持ってゆけない理由があるからなんです。警官のバッジをつけたごろんぼうにとっちめられて降参したとわかったら、だれが仕事を頼みにくると思うんです。

マーロウは接見にきた弁護士にこんなことを言うが、本当は「友は売らない」という己のルールを守っているのだ。友人が殺人者だったとしても、権力に売り渡すことはできない。そのマーロウの心情を代弁するのが、新聞記者のロニー・モーガンだ。テリーが妻殺しを告白した遺書を残してメキシコで自殺し、釈放されたマーロウに「自宅まで送ろう」と申し出たモーガンは別れ際に言う。

──さよならをいって別れた友だちが一人いたはずだぜ。彼のために豚箱に入っていたとしたら、それこそほんとうの友だちだったはずだ。

●犯罪映画の名作群に出演した往年のスターを起用した

友の死を知ってもエリオット・グールドは常にポーカーフェイス、ほとんどのシーンはくわえタバコで表情を変えない。もちろんそれが狙いの小道具としてのくわえタバコなのである。だが、彼が友の死を悲しんでいるのはわかる。心の底で深く悲しんでいるのだ。ハードボイルドが多情多恨を裡に秘め、何でもないという表情を通す「やせ我慢」だとすれば、実に適切な描き方である。

テリー・レノックス事件が彼の自殺で都合よく終結した後、マーロウは原作で「夢の女」と形容される美人から「行方不明の夫を捜してほしい」と依頼される。夫のベストセラー作家のロジャー・ウェイドはアル中で、ときどき行方不明になる。妻のアイリーン・ウェイドを演じたのは、ニーナ・バン・パラントという女優だった。僕はこの映画でしか見ていないが、サラサラした長い金髪が印象的な人だった。

作家を演じたのは、スターリング・ヘイドンである。ジョン・ヒューストン監督の「アスファルト・ジャングル」(1950年)とスタンリー・キューブリック監督の「現金に体を張れ」(1956年)という、ハリウッド犯罪映画史上に燦然と輝く名作に主演したスターである。初めて「ロング・グッドバイ」を見たとき、この配役はアルトマン監督のこだわりだろうと思った。

「アスファルト・ジャングル」は、宝石強盗を企む男たちの物語である。情婦役でほんの少し出演する、デビュー当時のマリリン・モンローが見られることでも知られている。「現金に体を張れ」は競馬場の売上金を強奪する男たちの物語で、こちらは登場人物たちの同じ時間の行動が、視点を変えて何度も描かれる手法を確立したことで知られている。

もちろんスターリング・ヘイドンが何者か知らずに見たって面白いが、そんな出演暦を持つスターリング・ヘイドンが作家を演じることで、映画はまた独特なニュアンスを醸し出す。「どうでもいいけどね...」という感じで演じているエリオット・グールドのマーロウと、作家らしい貫禄を出すスターリング・ヘイドンのやりとりは本筋とはあまり関係ないが、原作のテイストが感じられるシーンだった。

背景になる、作家の海辺の自宅が素晴らしい。アメリカではプライベート・ビーチが認められているから、ときどきこんな海辺の家が登場する。ガラス張りのリビングから出ると陽光あふれるテラス、テラスを降りるとサラサラとした白砂のビーチ、そのまま波打ち際へ続いている。初めて見た大学生のとき、「あんな家に住みたいなあ」と憧れた。この映画を見たくなる理由のひとつに、あの家がある。

●賛否両論が噴出した「ロング・グッドバイ」のラストシーン

映画版「ロング・グッドバイ」がチャンドラー・ファンの間で物議を醸すことになったのは、マーロウ像の受け取り方の違いもあるけれど、主にラストシーンの改変が理由だった。賛否両論というより、否定的な意見が多かった。公開当時、僕もそう思ったひとりだ。これでは「ギムレットには早すぎるね」というセリフが言えないじゃないか、と多くのチャンドラー・ファンは思ったことだろう。

ちょうど今、昨年暮れに村上春樹さんの新訳で出たチャンドラーの長編第一作め「大いなる眠り」を読んでいるところだが、長編の全訳をめざすほどのチャンドラー・ファンであり、映画好きである(それも私立探偵ものの名作「動く標的」がお気に入りの)村上さんの「ロング・グッドバイ」評を訊いてみたいものだ。あの、ラストはどう思います? 村上さん。

高かった頃のレーザー・ディスクを買い込むくらいだから、もちろん僕は「ロング・グッドバイ」は気に入っている。しかし、さっきも書いたようにラストは納得いかなかった(車に乗ったマーロウとアイリーンがすれ違うラストシーンは気に入ったけれど...)。ところが、何度か見ているうちに、この映画はこう終わるしかないのではないかと思い始めた。

マーロウとテリー・レノックスの関係は、互いに甘えない大人の付き合いだ。自立した大人たちが交わす友情は、「おまえと俺は親友だ」などと言い合う必要はない。開いたばかりのバーのカウンターに並んで腰を降ろし、カクテルのレシピについて話すだけでわかり合える。「金があるんだ。だれが幸福になりたいなんて思うものか」とつい自嘲しても、聞かなかった振りをしてくれる。

暗黒街映画ばかり作ったフランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィルが言ったように、人生は愛と友情と裏切りという三つの要素でできている。友情には、裏切りがある。友は売らない、裏切らないのがマーロウの生き方だったが、それは必ずしも友情を抱いた相手にも通じるルールではなかった。そう考えたとき、無表情を続けるエリオット・グールド演じるマーロウの心情が僕には理解できた。

彼は、許せなかったのではない。怒りに駆られたのでもない。友人としてのルールを破ったことを、相手に理解させたかったのだ。謎解き映画だから詳しくは書けないが、映画版が描いた物語の最後としては、あれ以外になかったと今の僕は思う。原作と映画は違うし、あのように始まった物語はオリジナルの結末にするしかなかったのだ。大人の男の友情はきびしいもの......そう身に沁みた映画だった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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寒い日が続いています。成人の日も冷たい雪が降り続け、気の毒だなあと思いながら窓の外を眺めました。僕には成人の日の記憶が全くないことに、そのとき気付きました。あの日、何をしていたのか? たぶん四畳半の下宿でいじけていたんだろうなあ。

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< http://forkn.jp/book/3701/
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< http://forkn.jp/book/3702/
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■Otaku ワールドへようこそ![167]
女装者におけるA面とB面

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20130118140100.html
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年末年始はずっとA面で過ごした。A面というのは専門用語で、男性が女装している状態のことをさす。男性が男性の服装をしている状態をB面という。Before と After の頭文字から来ているらしい。

一年半ほど前、初めてセーラー服を着て公共の場へ出たとき、ものすごくびっくりする人や、露骨に大笑いする人が多くいた。けど、最近は、そういうことはめったになく、ほとんどの人が何事もなかったかのようにスルーするようになってきた。女装者がごく普通の存在として社会的に受け入れられるムードになってきているのだろうか。

ところが年末年始は、久々に、よく反応された気がする。普段めったに外出しない人が、この時期はよく外出するのだろうか。あるいは、地方から来ている人が多かったのだろうか。あるいは、昼間っから酔っぱらってる人が多かったとか。

一昨日、1月16日(水)にまつむらまきおさんが「だいたい、男の服というのはポケットが多すぎる」と嘆いているが、思わず、密かに女装を趣味としているのではなかろうか、と勘ぐってしまった。だって、比べるもんがないとなかなか気がつかないよね? 私はよく、女の服、ポケット少なすぎ〜と嘆いているもんで。まつむらさん、だいじょうぶですよー、カミングアウトしても。
< https://bn.dgcr.com/archives/20130116140300.html
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●[A面」多様な指向の女装者が一堂に会するイベント

12月30日(土)、新宿の風林会館にて「都内最大規模女装イベント」と謳った「プロパガンダ」が開催され、女装者を主体とする約300人が参加した。5階の会場は、かつてグランドキャバレー「ニュージャパン」として使われていたホールであり、ふかふか絨毯やきらびやかな照明の備えられたゴージャスな空間である。
< http://propaganda-party.com/
>

ところで私は、A面仲間を見つけて一緒に過ごしたいという指向に乏しい。ここは女装が標準ですよ、という環境に身を置くことで安心したいという思いもあまりない。また、A面を束ねて天下統一したいという野心も全然起きない。

むしろ逆で、同じA面どうしだからといって、こいつは仲間じゃないぞ、ってやつがたまにいるので用心しなきゃ、という思いがある。昨年3月11日(日)には、非番の警察官がセーラー服姿で、東京都武蔵野市のマンション内のエレベータに乗り合わせた帰宅途中の女子高生に対して下半身を露出して「見てください」と言ったという事件が起きている。

また、今年の1月15日(火)には、愛知県名古屋市の無職の33歳の男性が女性になりすまして「婚活サイト」で知り合った男性から現金50万円をだまし取るという事件が起きている。被害に遭った三重県の47歳の男性は、女装したこの男性と数回会っているが、「女性と信じて疑わなかった」という。いずれも犯人は逮捕されている。

なので、私は、このイベントに行ったのは、自分が楽しみたいからというよりも、後学のためには一度くらい女装が標準な風景とはどんなものか見ておいてもいいかな、という思いからであった。だいたい、知った人が一人もいないであろう大パーティに単身乗り込んで行くなんていうのは、安心どころか、勇気が要ったぞ。

つい最近、二人の人から続けざまにこのパーティのことを聞いたことで、行ってみようかな、という気になったのである。最初は、12月13日(木)に放送作家の勅使河原ゆみさんから。勅使河原さんとお会いした話は前回書きましたね。
< https://bn.dgcr.com/archives/20121221140000.html
>

二度目は、イベントの前日12月29日(金)に(株)パブセンスの編集長である井戸隆明氏から。渋谷の「Bar & Gallery 70 Mantas」にて開かれていた、写真家・岩切等氏の個展のクロージングパーティの場においてお会いしている。

この個展では、岩切氏の写真の被写体は、写真家・吉永陽一氏であった。吉永氏は「空鉄」をキーワードに、鉄道風景を上空から見下ろして撮影している。セスナ機をチャーターして撮るのだそうである。そして、撮っているその姿は、女装。岩切氏の展示を見たとき、言われるまではてっきり被写体は女性だとばかり思っていた。笑顔が実にチャーミングなのである。
< http://www.fukuju-net.co.jp/
> 吉永氏のサイト

そのパーティに来ていた井戸氏を岩切氏が紹介してくれた。井戸氏が作っている雑誌、私はすでに2冊ほど持ってました。女装美少年総合専門誌「オトコノコ時代」。
< http://www.otokonoko-club.com/model.html
> 閲覧注意

この日、私は仕事帰りであったが、途中でB面からA面に変身してきていた。なんだかんだでみんな女装関連でつながっている。

前置きが長くなったが、そのような運命の糸に導かれて、私は「プロパガンダ」に行ってみたのである。例によってセーラー服姿で。その場にも更衣室は用意されているのだが、私はこの日は朝からずっとA面だった。歌舞伎町の「きづなすし」で一人で食べててすっかり遅くなり、会場に到着したのは開場から30分過ぎた10:30pmごろだった。すでに人が大勢いる。

入ったらいきなり知った人から声をかけられた。浅草橋のギャラリー「パラボリカ・ビス」のイベントなどでときどきお見かけしている女性。この日は、ミニスタジオを作って、女装者たちの写真撮影を担当されていた。私も撮っていただきました。

別の知り合いからも声をかけられた。女装しているMさん。7月にフランスで開催された「ジャパン・エキスポ」でお会いしていたのであった。帰ってから、メールをやりとりしていたが、会うのはフランス以来。

「オトコノコ時代」の井戸編集長もいらしていて、声をかけていただいた。なんと、知り合い、けっこういるじゃん。パーティの様子は、「プロパガンダ」のサイトの[ギャラリー]に写真が掲載されているので、勇気のある方はご覧ください。
< http://propaganda-party.com/
>

一口に女装といっても多種多様ですね。男性の痕跡をわざとのようにあちこちに残し、汚さを強調しているフザケた女装者もいるし。あ、私もか。しぐさまで含めてどっからどう見ても女性な人もいるし。うらやましいぞ。指向のベクトルがばらんばらんで、よく反目しあわないな、と思う。まあ、全部集めたって社会全体からすればマイノリティなんで、しょせんはひとくくり、という連帯意識が生じるのかもしれない。

このパーティの特殊なルールとして、女装した人は女子トイレに入ることになっている。それはなかなかない機会。入ってみたら、居合わせた二人は正真正銘の女性だった。うわなんだか気まずい。ワタシ、もしかして神聖な女子トイレの空気を汚してませんか?

うち一人は、戻ってからも席が近かったので、女性なのになぜこのパーティに来ているのか聞いてみた。なんと、女装する彼氏が作りたいから、と。えーっと私もいちおう女装してるんですけど、いかがでしょうか。残念ながら、私みたいな女装は彼女の基準に合っていなかった。あーやっぱり。うーん残念。女子トイレからロマンは生まれなかった。

時空間のゆがんだような、大変妙な場ではあったけど、多様な刺激に満ちて楽しかった。このときに初めてお会いした方と、翌日、コミケ会場でばったり再会、なんてこともあった。やっぱ時空間、おかしいね。あ、コミケもか。

このイベントは毎月最終土曜日に開催されていて、次回は1月26日(土)だ。

●[B面]会社の遠足でJAXA相模原キャンパスへ

自慢になっちゃうけど、私が勤めてる会社、つくづくいい会社だなぁ、と思えることがある。いい会社といっても、めちゃめちゃ給料がよくて田園調布に家が建つというわけではないし、めちゃめちゃ有名で花嫁志願者がわらわらと寄ってくるというわけでもない。けど、時として、やることが突拍子もなく突き抜けてて楽しいのである。

いや、会社全体が、ってわけではなく、私が所属する部署が、ってことなのかもしれないけど。年中行事として遠足があるのである。そう、「おやつは300円まで」、「先生、バナナはおやつですか?」の遠足である。勤務時間中、午後いっぱい、20人ほどでぞろぞろと、どこかへ出かけてくるのである。どうです? 大胆でしょ?

別にこそこそと抜け出すわけではない。だいたい20人丸ごといなくなってて、ホワイトボードに書かれた行先がみんな同じではこそこそもへったくれもないわけで。交通費も堂々と会社に請求、である。大義名分としては、日々の業務に捉われず、異分野における課題解決への取り組みに触れ、その精神に学び、ポジティブな刺激を受け、もって職場の活性化と業務のパワフルな推進を図る、ぐらいかな。ま、理屈と膏薬はどこへでも付く、と言いますわな。

今年はその実行委員長の大役を仰せつかった。行先の選定から取り組んできた。候補は幅広くいろいろ考えたのだが、コミケは時期が悪いし、秋葉原萌え萌えツアーは大義名分が難しい。メンバーの希望なども勘案し、JAXA(ジャクサ)相模原キャンパスに決まった。

「空へ挑み、宇宙を拓く」JAXA。「独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(Japan Aerospace Exploration Agency)」。2003年10月、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所 (NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)が統合されてできた機関で、宇宙航空分野の基礎研究から開発・利用に至るまで一貫して行う。

小惑星探査機「はやぶさ」が、さまざまな苦難を乗り越え、予定より3年遅れて2010年6月13日(日)に「イトカワ」から採集したサンプルを抱えて地球帰還を果たしている。この快挙は人々の感動を呼び、その年の夏のコミケでは「はやぶさ」に扮するコスプレイヤーが現れたほどである。
< http://news4vip.livedoor.biz/archives/51599237.html
>

そう言えば、デジクリにコラム「わが逃走」を連載する齋藤浩さんが信州は佐久市臼田にある JAXA臼田宇宙空間観測所の巨大パラボラアンテナを見てきて、2010年5月20日(木)にレポートしてましたな。

あの時点では、帰還の途上にあるはやぶさと、あのアンテナで交信していたのですね。齋藤さんほどの強い思い入れではないかもしれないけど、私も巨大な建造物が高精度で制御されて動くさまには、いくばくかのロマンを感じまする。
< https://bn.dgcr.com/archives/i/20100520140300.html
>

JAXAは東京近辺では調布や筑波もあるが、相模原キャンパスにははやぶさの実物大模型があるということで、そこにした。事前に申し込んでおくと、約一時間のガイドつきツアーを無料で催してくれる。

ガイドは台詞を覚えてきただけのおねえちゃんではなく、実際に研究開発にたずさわってきた後に現役を退いたOBということで、技術的に踏み込んだ質問にも答えてもらえるのがポイント高い。

1月11日(金)、昼休み中に三々五々職場を抜け出し、東急線とJR横浜線を乗り継いで、淵野辺へ。なんか童心に帰った気分で、浮き浮きムード。淵野辺駅から一時間に3本しか出ないバスを待ったが、待ちきれずに歩いた組のほうが先に着いていた。

売店で、JAXAグッズなどを見た後、3:00pmからガイドツアー。案内してくださるのは、ロケットエンジンがご専門だったという、H田氏。腰が低く紳士的であるとともに、飾らず気取らずエンジニア然として、ものごとを客観的な視点で説明する明晰な語り口がたいへん好ましい。

JAXAの紹介映像を見たあと、パンフレットの図を参照しながら歴代のロケットと衛星について説明してくれた。その後、展示物を見て回ったが、やはり大部分の時間ははやぶさの模型の前で費やされた。かっちょいい、と言いたいところだが、なんか笑っちゃうくらい手作り感満載な感じ。太陽からの放射線や紫外線から機体を守るために金箔が貼りめぐらしてあるのだが、なんかヨレヨレで、風が吹いたら飛んじゃいそうだし。

実物のほうは、大気圏突入の際に閃光を発して燃え尽き、2万℃の高温に耐えるカプセルだけが回収されている。イトカワでは、サンプル採集のための弾丸が発射されないトラブルがあり、一か八かで接地の際に舞い上がるホコリの採集を試みていた。カプセルには微小な粒子が入っており、後日、イトカワ由来のものであると確認されている。

光の速度は秒速約30万kmだが、イトカワまでは約3億kmあり、通信が往復するのに約34分かかる。はやぶさにコンピュータプログラムを送り込んで動作テストする作業がいかに大変だったかがうかがわれる。

特徴的なのは、太陽光のエネルギーを推進力に変換するイオンエンジン。これの説明はもっと詳しく聞きたかったが、時間が限られてたのが残念だった。概略的には、キセノンガスから電子を剥奪してプラスイオン化し、電場を通すことで加速し、その反動で推進力を得るという仕組み。プラスイオンをそのまま噴射したのでは、マイナスに帯電した衛星と引っ張り合ってしまうので、噴射する際に電子で中和して放出する。

キセノンは燃料ではなく、あくまでも推進剤。エネルギーは太陽光からもらう。搭載したキセノンはわずか66kgとのことだが、それっぽっちで、十分な推進力が得られるのだろうか。いったいどれほどの速度で噴射するのだろう。

噴射するキセノンはごく一部であって、大部分は効率的に循環再利用させているという話のようだが、そんなことって可能なんだろうか。ぐるぐる回してるだけじゃ、推進力にならないような気がするんだけど。ブレーキは、どうやってかけるのだろう。電車だったら、減速する際には、運動エネルギーを再び電気に戻して架線に返しているけど、それに相当することはできないのだろうか。

もし、逆向きに噴射するしかないのだとしたら、加速にも減速にもエネルギーを使っていることになるけど。その場合、中間地点までは加速し続けたとしても、後半ではブレーキをかけ続けなくてはならないってこと?

往きはスイングバイ航法により、地球の公転からエネルギーをもらって加速しているけど、帰りはできないよね? 自力で加速するしかないってこと? 疑問が次から次へと湧いてきて、質問攻めが終わりそうにない。遂には時間切れ。

けど、帰ってから自力で調べようにも、なにぶん専門外なもんで、どこに答えが書いてあるのか、見当もつかない。H田氏から我々への特別オファーなのだろうが、質問しきれなかったことがあれば、後日、メールで送れば調べて回答しますと言ってくださった。

すでに現役引退しているのに、ご本人も一緒に勉強したいとのことで、その知への意欲には深く感じ入りました。もともと無料のツアーなのに、そこまでしていただくのは心苦しすぎる、と思いつつも、質問メールをお送りしてしまいました。

最後に、人類の歴史にとって、地球外生物との遭遇って、一大イベントに違いないが、それってそろそろなのではないだろうか。それに関するH田氏の見解は、......むにゃむにゃむにゃっとはぐらかされてしまった。そりゃ、JAXA職員の立場からでは、答えづらいですね、ははは。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

現役女子高生のトモエ(仮名)は、その日、黒の革ジャンを羽織っていた。いつものブレザーは、暮れからずっと科捜研に入っているのだという。おいおい、何があったんだよ?

痴漢に遭ってムカついたんで、とっ捕まえて警察に突き出してやったんだそうで。犯人が事情聴取を受ける間、トモエも同席させられ、それは夕方5時から深夜1時にまで及んだ。カツ丼は出なかった。腹が減ったら、自分でコンビニ行って何か買ってこい、と。帰りは白黒のタクシーで自宅まで送ってくれた。犯人には令状が発行され、まだ勾留されている。

以前に地元で小学2年生の女児の体を触って逮捕されている。そのときは起訴をまぬがれたが、示談金30万円は親が払ったらしい。東京に出てきてからは、写真モデルを募集するネットの掲示板で、複数の名前とメールアドレスを使い分けてモデル募集を装い、児童買春を目論んだりしているらしい。

今回は起訴するぞとがんばっている。犯人は肩に触れようとしただけだと言って犯行を否認していた。ブレザーから犯人の指紋は検出されなかったが、なんと、犯行現場が防犯カメラにしっかりと写っていた。それを見せられた犯人は、観念して犯行を認めた。

こういう危険かつ懲りない輩が世の中にはいるので、モデルになりませんか、といったお誘いにはじゅうぶんに気をつけましょう。

コミケ2日目に撮られた私の写真が「MCまとめこむ」に上げられてる。撮られるのも上げられるのも全然OKなんだけど、コスプレではなく、普段着なので、そこんとこのご理解、ひとつよろしく。そういえば、同人誌エリアで、女性から、真面目な顔で「すごくよくお似合いですよ」とほめていただけた。あああありがとうございます〜。たぶん、かなり頻繁にこの恰好で出歩いているもんだから、自意識過剰になることなく自然に振舞えるようになってきたってことではないでしょうか。
< http://mc.matome-complate.com/archives/21763775.html
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編集後記(01/18)

●近所のGEOの旧作100円棚に、はやぶさ関係の映画DVDが3本並んでいた。このプロジェクトは感涙モノだが、同じテーマで3本も映画を見る気にならない。とくに日本映画において。だから、パッケージを見てあっさり「はやぶさ 遥かなる帰還」を選んだ。「はやぶさ/HAYABUSA」は竹内結子、「おかえり、はやぶさ」は藤原竜也が主演だからちょっと手が出ない。とくに藤原の芝居はうっとうしいから好みではない(とはいいつつ、「カイジ2」を見たけど)。

「はやぶさ 遥かなる帰還」では、渡辺謙の主演、山崎努、江口洋介、吉岡秀隆、夏川結衣、山崎努、藤竜也らが脇をかためる重厚な布陣が安心感を与えてくれる。それにしても、渡辺謙の「髪の毛が多い」という違和感は強烈だ。

2010年6月に帰って来たはやぶさのミッションを描くには、ロケット打ち上げの2003年5月からの約7年間を描かなければならない。感心したのはその長期間の時間経過がよく表現されていて、3大トラブルの問題解決のプロセスもわかりやすかったことだ。ラボ内の機器が今から見ればずいぶん古いのがリアルで興味深かった。136分の長さを感じない。つまり退屈な映画ではなかった。

ところで、あの熱狂的な「はやぶさ」ブームは去ってしまったのか、後継プロジェクトの「はやぶさ2」は今、資金難で存続の危機に立たされているという。「はやぶさ2」は2014〜15年の打ち上げを外すとプロジェクトの意義は失われる。実現のためには、来年度予算で要求の114億円の満額獲得が必須である。ところが......。

「次の世代に日本がどのような国かというメッセージを、これほど明確に送る事例は他にそうはない。子どもたちを失望させるべきではない。選挙の洗礼を経た新政権は『はやぶさ2』と共に、日本は希望と野望を持って生きるに値する国だというメッセージを次の世代に送るべきだと思う」と科学ジャーナリストの松浦晋也さんが書く。みなさん、彼のレポートは必読です!(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B007VB8C60/dgcrcom-22/
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DVD「はやぶさ 遥かなる帰還」
< http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20101208/217467/
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日経ビジネスONLINE 宇宙開発の新潮流 松浦晋也


●続き。20分後に繋がり質問。全世界的に同様の報告はあり、現在アメリカ本社側で調査中とのこと。二重請求先をピックアップしていて、それが終わったら返還作業に入るそうだ。長い間お待たせしてしまい、すみませんと言われたよ。返還作業はその日のうちに行われ、返還日は遡っての記載となり、銀行初日の4日付けであった。何も言わなくても返還されたとは思うわ。

二重請求を調べていて、初めて知ったAdobeユーザーサポートのTwitterアカウント「@Adobe_Care」。Adobe公式の@Adobeに呼びかけたユーザーが誘導されたりしてる。気軽に連絡のできるTwitterでの対応だなんて、大変な仕事だわ。

「Hi (ファーストネーム)」で毎回呼びかけ、担当者名で締めているのが印象的。担当はMadisonさんやBevさん、BingさんにJeffさんらしい。あんまり細かなことで連絡しないでおこうと思ったのであった。(hammer.mule)
< https://twitter.com/Adobe_Care
>
Adobe Customer Care。9時17時。
< https://twitter.com/creativecloud
>
Creative Cloudのアカウントもあるのね
< https://twitter.com/AdobePR
>  広報用
< http://www.kotaro269.com/archives/51403813.html
>
わずか10秒、1本の紐だけで車のドアを開ける方法。/ネタ古くなった......