[3485] 心地よいリアリズム──【アントニオ・ロペス展】を観て

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《なんだろ、この「リアリズム絵画の優等生感」って》

■武&山根の展覧会レビュー
 心地よいリアリズム──【アントニオ・ロペス展】を観て
 武 盾一郎&山根康弘

■ショート・ストーリーのKUNI[139]
 怒りを抑える
 ヤマシタクニコ




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■武&山根の展覧会レビュー
心地よいリアリズム──【アントニオ・ロペス展】を観て

武 盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20130530140200.html
>
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山:こんばんはー。
武:こんばんわ! 代官山アートラッシュ「Tシャツ展」に出展してますので、買ってください! 6月17日(月)までです! Tシャツデザインは「ネズミに恋したネコのタムちゃん」です!
< http://www.artsrush.jp/
>
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/51032588456
>

山:いきなり告知かい。手刷のシルクスクリーンTシャツです! 山根が刷っております!ノーギャラでな。
< http://www.facebook.com/junichiro.take?ref=hl#!/photo.php?fbid=564344840277074&set=a.428410123870547.101931.206228169422078
>

武:売れたら山根にもギャラが入ります! あ、でも俺いっぱい差し入れしたじゃん! 唐揚げとか弁当とか柿ピーとかのつまみとかビールとか。トータルで4千円くらいは買ってる気がするから、あれでギャラ分だなw

山:...となると、時給は400円以下か、、
武:いえいえ。一回2時間くらいだったから時給1000円かな。
山:なんで2時間やねん! もっとかかったっちゅうねん。

武:それはもう呑んでるから労働時間外。
山:だまされた! いいように使われている!
武:いいえ。コンプライアンスです。

山:過酷な労働を強い、さらに賃金も払わんのかっ! ひどい! あ、あんまり言うとデジクリ批判になるからやめようww
武:わはは! あ、あと、
山:なんでしょう。

武:大好評だった、「パステルと線画を楽しむワークショプ」第3弾やります!
日時:7月9日(火)午前10時〜12時
場所:浦和パルコ10F「浦和コミュニティセンター」
詳しくはTeam Uttoco ブログにて!
< http://ameblo.jp/uttocoichi/
>

山:まだ告知か! はよ展示いこ、展示。今回は、スペインはマドリード・レアリスムの巨匠、アントニオ・ロペス・ガルシアです!
< http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_lopez/index.html
>

【アントニオ・ロペス展/Bunkamura ザ・ミュージアム】を観て

武:ワタリウムのJRとどっち行こうか迷いましたが、結局、ロペスにしました!
山:ワタリウムはこちら。
< http://www.watarium.co.jp/exhibition/1302JR/index_e.html
>

武:「JR」か「ロペス」か、でロペスにしちゃうところが時代に逆行してるよなあ、俺たち。
山:そうか?

武:まあ、ひるがえって「絵画」ってのはあるだろうけど、、アクティビスティックなアートがようやく流行ってるよね。バンクシー、JR、そして日本だとチンポムっていうラインはあるだろうな。90年代の俺が今に生きてたら、ここに連なっていたはずだw

山:そうなんかな。
武:ロペスは「絵」だよね。
山:立体もやるけど。
武:彫刻やってるけど造形作家っていう感じではないよね。
山:メインは絵なんやろね。

武:「スペインリアリズム」っていわれてるけど、なんかグループってあるんかな?
山:「マドリード・リアリズム」、みんなマドリードなんですね。バルセロナではない。何十年か前の「みずゑ」で特集があって、僕はそれで知った。「スペインの魔術的リアリズム」って号だったかな。
武:「シュールレアリスム」のような形ではないのかな「スペインリアリズム」ってのは。

山:「また、50年代後半あたりから活動を開始した現代スペインの写実画家アントニオ・ロペス・ガルシアとその周辺に集う画家たちも、徹底した観察眼で対象に迫りながらどこか超現実的な雰囲気を醸し出す作風から、「魔術的リアリズム」あるいは「マドリード・リアリズム」と称されるときがある。」(Artwords)
< http://artscape.jp/artword/index.php/%E9%AD%94%E8%A1%93%E7%9A%84%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
>

武:「魔術的リアリズム」かあ。。
山:「卑近な対象を冷たく無機質な描写で描き、事物の背後にひそむ謎めいた
  感覚を引き出すのが魔術的リアリズムの典型的なスタイルと言える。」っ
  て言葉に集約されるのか。ひいてはジュルジョ・デ・キリコってことは、
  シュールにも繋がる訳だ。

●日本人におけるリアリズム絵画

武:「絵が上手い」ってこととの関係ってどうなるのかなあ。
山:どういうこと?
武:「あらー上手ねー」っていう場合の「上手な絵」ってリアリズムじゃん。
山:写実ってことか。

武:「絵が上手」って日本人なら二種類しかなくて、「リアリズムが上手か」「マンガが上手か」なんだよ。「絵」ってそこからスタートする感じするんだよね。
山:言わんとしてることはわかるが。

武:何を言いたいのかというと、自分がリアリズムに傾倒できなかった理由は彩光舎美術予備校で優等生じゃなかったからなんだよね。リアリズムって「絵の優等生」というのかな、その「優等生」っぽさが馴染まなかったんだよね。なのでリアリズム絵画を見ると常になんか「疑問」と「劣等感」を覚えるんだよね。
山:はあ。

武:そしてもうひとつは「写真があるのになんでリアリズム絵画を描く必要があるのか?」という素朴な疑問の壁を超えられなかった。
山:まあねえ。
武:なんだろこの「リアリズム絵画の優等生感」って。

山:絵の話をしてて、よく「私は絵かけないから」って言われたりするよな。
武:そうそう! 「私、絵を描けないのよ〜」って言った場合、「絵」って「リアリズム絵画」のことを指しちゃうじゃん。

山:巧く、本物のように描けない、ってことやな。
武:鉛筆でピーって線を引けばそれはもう「絵」なんだって考えないでしょ?
山:そうかもな。

武:実際、それだって絵じゃん。つか、それこそが「絵」の原点じゃん。今、ちまたには様々なビジュアルアーツがあるけど、この、「リアリズム絵画が絵である」という主軸はブレずにずっとあるじゃないですか。それが「なんなんだろーなー?」って、すんごく思ったわけです。
山:うーん。。まあわかりやすいんやろうけどな。

武:ロペスがこれだけ人気があるのはリアリズム絵画だからなんよな。「リアリズム」強えーww
山:わからない。
武:わからないのか? 俺の言ってることが?
山:言ってることはわからなくもないけど、その感覚がわからない。

武:「リアリズム絵画」ってさ、日本に入って来るの明治以降でしょ。その前までの日本の主な視覚藝術ってのはさ、浮世絵もそうだけど、中国源流の山水画もあるけど、ほとんどが琳派みたいな自然の草花かなんかを模して略してデザイン化させた平面でしょ? なのになぜ今の日本人「リアリズム絵画」大好きなんかなー? 琳派観る方がむしろ異文化を眺めるような感覚になるじゃん。自分も含めてだけど。

山:本物そっくりに描けるって、単純に技術がすごい、ってことがわかりやすい。ここまで描けるのか!と。やっぱり奥行きのある画面を作りやすい油絵具と、日本人が昔から使っていた絵具とでは、素材の違いで表現の仕方が違う。
今の日本人がリアリズム絵画大好きって、僕はそう思わないけど、観てすぐに技術の高さがわかるから、反応しやすい、ってとこはあるかもな。

●ロペスと現代美術

武:ロペスって、というかスペインリアリズムって写真から描かないじゃん。写真観て描いちゃダメなの?
山:写真を見て写真のように描くってのは、意外と最近のことなんとちゃうか。「ハイパーリアリズム」とか。チャック・クロースとかよく見るよね。美術館で。
< http://www.weblio.jp/content/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
>
< http://www.shinbun-p.co.jp/blog/photo/late20th32 >

武:ハイパーリアリズムとロペスの違いってなんだろ? 細密なのがハイパーリアリズムでロペスは細密ではないから?
山:ロペスは古典的やね。ハイパーリアリズムは、ジャンルとしては現代美術よな。

武:そうねえ、「絵の具を置いてゆく」描き方が古典っぽいのかなあ。ロペスとハイパーリアリズムの違いは古典美術と現代美術の違いと言われても、両者とも現在に生きてるのでちょっと分かりにくいなあ。あ、ひょっとして、ヨーロッパとアメリカの違い?
山:それもあるかもね。あと油絵具とアクリル絵具の違い、とか。

武:ハイパーリアリズムってやっぱりアメリカ的だよね、映像を主体にしちゃいたいんだよな、きっと。ポップアートのアメリカ性って日本人と相性良さげだけど、リアリムズとなるとハイパーリアリズムよりスペインリアリズムの方がしっくり来ないか?

山:しっくりくるこないは、人によって違うんやろうけど、写真を元にして描く絵画は、到達点が「まるで写真のような」絵画であるのに対し、実際の風景を見て描く絵画の到達点は、視覚的に「本物のような」ということだけにとどまらず、情緒的な「現実感」をもたらそうとする、、とかか?

武:なるほど、ロペスの絵を見て「いいなあ」って感じるのは、どこか「情緒的」だからだよね、たしかに。「光」を感じる、とかね。光の捉え方もまたなんとなく情緒的なんだよなあ。。

山:確か「みずゑ」のロペス評に、スペイン独特の、なんやったかな、「暗さ」のようなものがある、って書かれていた気がする。

武:ロペスを初めて知ったのは彩光舎時代なんだけど、もう18年とか前か、その時はロペスの絵に対して「魔術的リアリズム」っていう言葉がピッタリな「闇」を感じたんですよ。

今回、ロペスの絵を実際に見て感じたのは「暗さ」も感じなくはなかったけど、どちらかというとホッとするような感じだったなあ。それってノスタルジーじゃないのか? と自分に問いかけてみたけど、ノスタルジーとも違う絵がもたらす安堵感というか。
山:確かに観ていて気持ちがいい。

武:「過剰ではない」ってことなのかな。リアリズム絵画って過剰になって行くじゃないですか。描写とかモチーフとか、いろいろ。それがなんか下品に感じたり俗っぽく感じたりしちゃうんですよ。だけど、ロペスはどこか心地良かったんだよね。

山:室内の風景、窓とか浴槽とかをロペスは描いているけど、その色彩とか画面の平坦な感じとかは、古典主義と言うよりも、現代美術として捉えれる気はするよね。それこそ写真を使ってああいう雰囲気の絵を描いてる作家もいそう。

だけど、ロペスは実際にイーゼルをそこに立てて、何日も何年もその風景を見て描いてる。写真も参考にはしてることあるみたいやけど、それを写しているわけではない。ロペスとしてはおそらくそこにいる時間とか、空気感とか、そこで自分がモチーフに対峙している事実そのもの、とかが大事なんやろうな。ただ画面が出来上がればいい、というわけではなくて。映画「マルメロの陽光」見たら、よくわかる。

武:その場の状況、プロセスを大切にするってことだよね。
山:そうなんやろね。そこに何かしら、諦めにも似た情緒性も感じるな。
武:対象や環境が主体だからね。描き手じゃなくて。それはなんかよく分かる気がする。

山:そう言う意味では風景画家、って感じもするな。
武:印象派もある意味そうだよね。
山:そうかもね。

武:ただ、ロペスは風景画家か? と問われると、風景画でしばしば感じてしまう「趣味っぽさ」からくる退屈さってのがあるんだけど、ロペスにはあんまりそれを感じないが、何が違うのかなあ。「時間」か?
山:「主題の選び方」なんかな。さっき武さんが言ったように、「過剰さ」を求めてるわけではなくて、静かな、そのままを求めてる、とか。だから動きはないよね。ほぼ。

武:動きはないけど、絵を観ててさ、飽きないんだよね。ずっと観てられる「何か」がある。未完の作品があるくらい過程に重きがあるってことは、結果を放棄してるとも言えるよね。
山:だから、どっか諦めてる、って感じる。

武:アイデアの善し悪しを求めてないんだよね、作品が「アイデア(主題)の実現化」じゃないんだよね。アイデアを実現したいだけなら、デザインを設計して制作は外注でも良いわけで。プロセスは速くて安くて正確であればいいわけだ。けど過程そのものが作品なので結果が未完にもなる。で、そういう作品だからこそなのか? 見てて飽きなかったりするのは?

山:まあ、アイデア勝負してる作品ではないわな。最近のは若干アイデアも含まれてるっぽいけど。めちゃめちゃでかい彫刻とか。
武:現代美術っぽくなってる、とw
山:そう、ある意味「ハイパーリアリズム」に近いことをやり始めた、とか。

●老い

武:いい加減老人だもんね。過程を重んじるってことは、身体性を重視してるってことじゃないですか。歳とって身体を使うのしんどくなるじゃないですか。
山:体力いるわな。

武:だから、老人になって作品が身体性から離れて行くってのはなんか自然な感じするな。なにしろ、そろそろ本当に身体から離れて行くわけだから。
山:まあなw

武:最晩年になって体力も衰えるし、もう過程重視の制作も出来なくなるし、そろそろお迎えも来るし、現実感から超越した作品を作ってもいいと思うんだよ。最晩年の超越感を作品化させたら相当馬鹿でかい妄想のような作品になる気がするんだよね。

山:年とったから現実感から超越してもいい、とは思わんが。別に若くてもいいやろw
武:若い頃の現実超越ってのはさ、「欲望」なんだよ。
山:ええやんか。
武:最晩年の現実超越ってのはさ、「死」なんだよ。
山:そうなんかもな。

武:死>>>欲望
山:そうかなあ。どっちもリアルやないかw
武:若い頃の欲望ってのはさ、「自意識」なんだよね。
山:それ自体は悪くはないんとちゃうの。

武:その自意識を支える強靭な身体があるわけだよな。老人はその身体が奪われて行く。身体性を失った自意識や欲望は壮大だ。若者による身体性の虚弱化は不自然なんだけど、老人の身体性の虚弱化は自然の成り行きだから、老人の妄想は自然で巨大に膨れ上がり自我を突き破る可能性もあるのだよ。

山:何を期待してるんやww
武:老人の俺ww
山:そうなるとすれば、それは表現において実現されるのではなく、ただ静かに、心の内に実現される、、そんな気がするな。

武:表現されなきゃ意味ないんだよなー。
山:表現には形式化とか、理念化とかが必要やったりするやん。メタ化とか。だから実現は、心の内で。それが表現として染み出てくるには、何か別の形が必要だ、と。

武:それは老人に至るまでのプロセスが形成させてくれるんだよ。ロペスに戻るけどさ、デッカイ彫刻は、スペインリアリズムっぽくはないよなw
山:現代美術の範疇やな。スペインリアリズム、マドリード・リアリズムについてもう一個言っとくと、そこでくくられてる作家って、かなり作風に幅がある。全然タイプ違うんよな。

武:現代美術でもあるんだろうけど、例えばポール・デルボーの最晩年の絵みたく「ふわ〜っ」てしちゃうってあるじゃん。藤田嗣治も最晩年はキリスト教の天上の絵を描いちゃうように、なんかどこか「ふわ〜っ」てしてっちゃうじゃん。
山:ふむ。

武:自分の人生の晩年も、「ふあん」じゃなくて「ふわ〜っ」としたいね。
山:「ふわ〜っ」とするにはけっこう技術いるんちゃうかw
武:そうね。いろいろな意味で、技術だな。


【アントニオ・ロペス展/Bunkamura ザ・ミュージアム】
< http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_lopez/index.html
>
会期:2013年4月27日(土)〜6月16日(日)会期中無休
時間:10:00〜19:00(入館は18:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
入館料:一般1,400円 大学・高校生1,000円 中学・小学生700円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/経済自立してる画家】
アトリエ世界征服研究所に食べ物を差し入れてくださった方、似顔絵描きます! そして、画家活動のご支援受付けております! 10万円をご入金の方にもれなく「武盾一郎は私が育てた」と公言してよい権利をプレゼント! まだ誰もその権利を獲得していませんので今がチャンスです![埼玉りそな銀行 上尾西口支店 普通 4050735]

facebookページ < http://www.facebook.com/junichiro.take
>
Twitter < http://twitter.com/Take_J
>
take.junichiro@gmail.com

【山根康弘(やまね やすひろ)/心地よい酒】
yamane.yasuhiro@gmail.com


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■ショート・ストーリーのKUNI[139]
怒りを抑える

ヤマシタクニコ
< https://bn.dgcr.com/archives/20130530140100.html
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ノボリヤマくんは怒りっぽい性格だった。小さなことですぐにかっとなる。抑えがきかない。当然あちこちで衝突する。さすがに自分でもそんな性格をもてあまし、反省し始めたノボリヤマくんは悩んだ末に数少ない友だちに相談してみた。

「おい、ヤマダ。おれってすぐにぶちきれるだろ」
「そうだな」
「なんとかなおす方法はないものかな」
「あるさ」
「え、あるのか」
「だれでもかっとなることはあるし怒ったりあばれたくなったりするときはあるけど、いろんな方法で回避してるわけだ」
「うん」

「おれはそういうときは何か関係ないことを考えることにしてる。たとえばこの間も会社の朝礼で庶務課長が『今月から遅刻3回でトイレ掃除1週間とする』と言ったとき、むらむら〜っと怒りがわいた。なんで遅刻3回くらいで...と」
「当然だ。遅刻3回くらいでトイレ掃除。おれまで腹が立ってきた」

「しかしすぐにキレるのも大人げないので、気持ちを抑えるためにフレンチクルーラーとポンデリングの穴の面積の計算の仕方ははどちらがむずかしいかという問題をずっと考え続けた」
「おお、片方はぽこぽこしてるし片方はぎざぎざしてるので、どっちもむずかしいな!」

「その難問を考え続けているうちにおれの内なるむらむらはどこかに消えていった」
「なるほど! 関係ないことを考えて気をそらす。いい方法だ」
「おまえと話をしてるときも時々関係ないことを考えてる」
「なんだそれは。よし! とりあえずおまえに相談した甲斐があった!」
「そうだろ。ただし」
「これで安心だ。さっそくその方法でやってみる。じゃな!」

3日後。

「おい、ヤマダ!よくもあんな方法を教えてくれたな!」
「どうかしたか」
「さっそく昨日、部長に『君、会社の机の中でミドリガメを飼うのはやめたほうがいいと思うんだが』と言われてかーっと血がのぼったが、おまえのアドバイスを思い出した。こんなことでキレてはいけない。キレるんじゃない、と。それで部長の話は全然聞かず、今晩は海苔弁にしようか海苔弁デラックスにしようか、いやそれよりトイレットペーパーもたまには花柄にしてみようかとか考えてたら怒りは治まったが部長に悟られてかんかんに怒られたぞ!」

「そうだろ」
「そうだろって」
「おれもフレンチクルーラーとポンデリングのことを考えてたら『話を聞いてないだろ!』と怒られてトイレ掃除1週間させられた」
「それを早く言えよ!」
「言おうとしたのにさっさと帰るからだよ。まったく怒りっぽい上に早とちりなんだから」
「と、とにかくおまえにはもう相談しない!」

そこでノボリヤマくんは別の人間に相談することにした。
「おれ、悩んでるんだ。むかーっときたときにその怒りを収める方法ってないかな」
「なんでそんなことを別れた妻である私に相談するのよ」
「仕方ないだろ。友だちが少ないんだから!」
「怒らないでってば。私はね、そういうときは笑うことにしてる」

「笑う?」
「口角をきゅっとあげるの。そうすると笑顔になるでしょ。人間、笑いたくないときでも笑ってるような顔すればだんだんほんとに笑えてくるものなのよ。そうこうしてるうちに何に怒ってたのか自分でもわかんなくなるのよ。ふだんから練習しておくといいわ。でも」
「ほー。やってみる!」

二日後。

「なんであんな方法を教えるんだ!」
「どうかしたの?」
「電車の中で二人分席を取って、お年寄りが来ても席を譲ろうとしないバカ者の若者、略してバカ若がいたので思わずキレそうになったんだが、ここでキレてはいけないキレてはいけないと思い、おまえの方法を実行してみた。口角をきゅっと」
「そういうときはキレてもいいんじゃないの」

「......今ごろ言うな! おれはとにかくその状況下でずっと笑顔を保っていたんだ。そしたら『何がおかしいんだ!』『人が困ってるのになんで笑う!』とお年寄りとバカ若両方にキレられ、ぼこぼこにされた。年寄りも意外と元気なのでびっくりした」
「そうでしょ、だから場合によると言おうとしたのによく聞かずに帰ってしまうんだもの。ばっかみたい。やっぱりあんたと別れてよかったわ」
「......二度とおまえに相談しないからな!」

「ちきしょー。もうヤマダにも元ヨメにも相談しないぞ。しかし、ほかに友だちもいないし、どうしたものか......そうだ。高校のときの担任の先生だ。どんなときにも腹を立てない、怒ってるところを見たことがない、神様か仏様のような人と評判の先生だった。あの先生にしよう」

「先生、お元気ですか。ノボリヤマです」
「ああ、ノボリヤマくん......なんだそのにこにこ顔は」
「いえ、ちょっと事情があって笑顔を練習していたら顔がもどらなくなりまして。実は先生もご存じかと思いますが、ぼくはすぐにかっとなるというかすぐにキレる性格で。かっとなってもなんとか抑える方法はないでしょうか」
「なんだそんなことか。あるにきまってるだろ」
「あるんですか」

「そういうときは、怒りをいったんのみこむのだ。君たち出来の悪い生徒を前に、毎日がむかむかする日の連続だったが、そこをぐっとこらえ、のみこみ続けてン十年の私が言うのだから間違いない」
「え、先生も腹立ったりむかついたりしてたんですか」
「あたりまえだろ」

「そうとは知らず、神様のような、できた人かと思ってました。実際はできてなかったのですね。失礼しました。ではぼくもその方法でやってみます!」
「おい、帰るな。まだ説明が半分しか......行ってしまった。昔から早とちりなやつだったな」

一週間後。

「先生。ノボリヤマです。その節はどうもお世話になりました......」
「え、どどどどどどうしたんだ、その体は! 全身ぱんぱんではないか。今にもバクハツしそうで、しかも顔が笑ってる。気持ち悪すぎるぞ」

「先生に言われたとおり、何でものみこんでたらこんなにたまってしまったんです。間違い電話で『さっさとピザ持ってこんかい!』と言われたときの怒り、痴漢と間違われて顔を平手でたたかれたときの怒り、コンビニでサラダを『温めましょうか』と言われたときの怒り、歯医者で虫歯じゃない歯をまちがって削られた怒り、満員電車で汗臭い中年男にペチャ〜〜〜っとひっつかれた怒り、すべてのみこんできました。のみこみ癖がついてしまったようで、はっきりいって苦しいです。もう、のど元までいっぱいで何ものみこめません。おすしおいしゅうございました。三日とろろおいしゅうございました。うぇっぷ。どうしましょう」

「だから、その、一旦のみこんで、そのあと気晴らしをしながらじょうずにガス抜きをしないといけないんだが」
「えっ」
「そう言おうと思った時には君はさっさと帰ってしまってたし」
「そ、そんな! じゃ、じゃあどうしたらいいんです! うっぷ。ぐほ。ぐえ」
「しかたない。えー、そうだな。その、まあ酒でも飲みながらおもしろいこと、楽しいことを話せば少しずつ抜けるかもしれんし、抜けないかも知れんなあ」
「先生、自信なさそうですね。うぷ」

「あるわけないだろ、こんな特殊な症例見たことないし。学会に報告したほうがいいかもしれんな。そしたら私も注目されて......いや、なんでもないなんでもない。さ、とりあえず飲んで飲んで......えー、今年も無事に梅雨入りしたようで何よりだ。わっはっは」
「ぼく、梅雨とか雨が大嫌いなんです」
「すまん。忘れてくれ。えー、つまみは何もないがキャラメルコーンでどうだ。意外と酒に合うかも知れん。わははは」

「そんな工事現場に置いてるようなもんでお酒は飲めません」
「それはカラーコーンだ。怒るな。飲め飲め。あー、気分が良くなってきた。キャラメルコ〜〜〜ン、ほほっほっほっほ〜。えー、ノボリヤマくんは『あまちゃん』についてどう思う」
「おら朝ドラは見てねえだ。げふ」

「見てるじゃないか。わはは。怒るな怒るな。それはそうとパンダが妊娠したらしいな。円安は続くのかな。あ、今度の選挙、ネット解禁だそうだな。ノボリヤマくんはどこに入れる。私は」
「先生、黙っててください」
「え?」
「今ぼく、必死で関係ないことを考えようとしてるんですから」

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
< http://midtan.net/
>
< http://koo-yamashita.main.jp/wp/
>

書き終わって気が付いたのですが、私の書くものって怒りっぽいひとがよく登場しますよね。最近も書いたような? 無意識でつい書いてしまうってことは、ひょっとしたら作者自身が怒りっぽいとか...いえ、そんなことはありませんよ!


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編集後記(05/30)

●有栖川有栖「幻坂」を読む(メデァファクトリー、2013)。大阪を舞台にした怪談である。大阪はリアリズムが支配的なせいか、怪談とはあまり縁がないそうだ。そこで大阪生まれの物書きとして「ないなら自分が書いたらええ」と、天王寺七坂という狭いエリアに絞って描いたのがこのシリーズで、怪談雑誌「幽」の連載をまとめたものだ。わたしも、かつて大阪には頻繁に通った時期があり、地理もかなり把握していたが、天王寺七坂とは初めて聞く。

「一心寺さんの横、四天王寺さんから通天閣の方へ下っていくのが逢坂、そこから北に向かって順に天神坂、清水坂、愛染坂、口縄坂、源聖寺坂、そして真言坂。」。それぞれの坂をタイトルとした短編は怖い話ではない。不思議で、切なく、淋しく、やさしい。ジェントルゴーストストーリーというジャンルらしい。だが「口縄坂」は例外だ。坂の名前から、蛇が出て来て云々という話かと思ったら、出たのは怪猫だよ! なんというおぞましい結末だ。

七つの坂の話のあとに、松尾芭蕉の終焉のときを描いた怪談「枯野」と、平安時代の歌人・藤原家隆を描いた「夕陽庵」の二話が収められている。じつに味わい深い作品であるが、天王寺七坂シリーズとはまったく別感覚で、なんで同梱したのかと思ったが、この二話が入らないと単行本としてページが不足なのだから仕方がないか。

カバーの影山徹のイラストが素晴らしくいい感じ。また各短編の扉には野原勤による坂のモノクロ写真が配され、これまた情緒がある。大阪に行く機会があったら、大阪近郊JR大回りをしたいと思っていたのだが、天王寺七坂巡りも加えたい。所要時間一時間、スタンプラリーもやっているみたいだ。もっと格調のあるビジュアルならよかったのに。これじゃ要らない。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840151652/dgcrcom-22/
>
有栖川有栖「幻坂」
< http://www.ueroku-wake.net/special/nanasaka/
>
天王寺七坂 ご利益いっぱい歴史も満載スタンプラリー(うえいくネット)


●「幻坂」読んでみようかなぁ。怪猫で怖くなるといやなので読むのはやめようかなぁ。天王寺七坂は近所。日本橋に行く時は、源聖寺坂を下る。そういや写真を撮っている人に出会うことあったわ。

続き。子供同士の政略結婚で、世の中を知らないままだったルイ16世とアントワネット。財政困窮はその前の世代までの使い込みのせいだという話もある。「お茶の時間」という、古いしきたりを嫌うルイ16世が、決議されるまでに24回の会議が必要だから諦めたとぼやくシーンもあった。

革命後に市民の暮らしは良くなったわけではない、貴族同士の争いに利用されただけだというベルナールらのシーンがあった。実際、王妃らが断首された後、革命派の代表ロベスピエールらも断首されていった。こういうのも、ファンらは脳内補完していくわけで、ベルばらはよりいっそうドラマチックになっていくのだ。

牢獄と断頭台のシーンでは、横でうたた寝していた、見ず知らずのおばさまの目から涙。会場はすすり泣き。ここに持っていくまでのフェルゼンとアントワネットのラブラブシーンが少なすぎるんだよなぁ、でもオスカルのシーンは見たいしなぁと、友人らと感想を述べ合う私。ほんとねー、もうねー、またベルばら? 役替わりのために三回も見るわけ? と言っていたのに、LINEのベルばらスタンプまで買っちゃいましたわ。続く。(hammer.mule)

< http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ16世_(フランス王)
>
「アメリカ独立戦争を支援したことから、『アメリカ建国の父』たちにはルイ16世に崇敬の念を抱く者が多かった。」

< http://ja.wikipedia.org/wiki/マクシミリアン・ロベスピエール
>
「恐怖政治に転じて粛清を断行したため、独裁者というイメージが定着している」

< http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1042677640
>
「フランス革命はどうしてロベスピエール独裁になったんでしょうか。」
答え:「ロベスピエール独裁」なるものは存在しません

< http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・アクセル・フォン・フェルセン
>
「フェルセンは群衆によって惨殺された」

< http://ja.wikipedia.org/wiki/カミーユ・デムーラン
>
ベルナールのモデル。「かつての友であるロベスピエールに対抗」「ダントン派と共に粛清され、裁判後に処刑された」