[3530] 映画愛にあふれる人々

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《5000回の朝と昼と夜が過ぎていった》

■映画と夜と音楽と...[599]
 映画愛にあふれる人々
 十河 進




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■映画と夜と音楽と...[599]
映画愛にあふれる人々

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20130823140100.html
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          〈シグナル 月曜日のルカ/乾いた花/月曜日のユカ〉

●登場人物が映画を見ているシーンはよくあるが...

映画館が出てくる映画は数々ある。特に、登場人物たちが映画を見るシーンはよく登場する。そのとき、どんな映画を見ているのかが気になるものだが、権利の関係か上映されている映画を映さないこともある。しかし、多くの監督が何らかの映画を引用する。引用された作品には、間違いなく監督の思い入れがある。あるいは、その映画にオマージュを捧げている。

主人公の少年が映画を見ているところから始まったのが、「リトル・ロマンス」(1979年)だった。ジョージ・ロイ・ヒル監督は、自作の「明日に向かって撃て」(1969年)を引用した。ちょっと自画自賛っぽいが、ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)の声はフランス語に吹き替えられていたと思う(記憶違いかもしれないけど...)。これは楽屋落ち的な引用だった。

スティーブン・キング原作の「ショーシャンクの空に」(1994年)は刑務所の囚人たちの話だが、刑務所でリタ・ヘイワース主演の「ギルダ」(1946年)が上映される。「ミー?」と言いながらギルダが初めて登場する有名なシーンが引用されたはずだ。原作は「刑務所のリタ・ヘイワース」という中編である。主人公の独房の壁に貼られたリタ・ヘイワースのポスターは、後にラクェル・ウェルチに変わった。

「マイ・バック・ページ」(2011年)では、自衛官殺人事件に巻き込まれて新聞社を辞め、映画ジャーナリストとしてスタートした失意の青年(妻夫木聡演じる川本三郎さん)が映画館で「州崎パラダイス 赤信号」(1956年)を見る。これは、間違いなく川本三郎さんの好みである。若い監督が川本さんに相談すると、「『州崎パラダイス』がいいな」と川本さんが答えたのだと、僕は勝手に想像している。

映画を見るシーンが出てくる作品に比べると、映写室が登場する作品は数が減る。映写室が中心の映画として最も有名になったのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989年)だ。この映画を見て「映写機が一台しかないのはおかしい」なんて、映画通の間で論議になったりした。何巻もあるフィルムを途切れなく上映するために、日本では映写機は二台設置してある。昔のフィルムはセルロイドで発火性が高かったから、映画館が火事になる設定は現実的だった。

「愛と哀しみの旅路」(1990年)のデニス・クエイドは、映画館に発火装置を持ち込み火事を起こす。彼は労働組合の闘士で、館主たちに要求を認めさせるための破壊工作らしい。その後、西海岸に流れた主人公は、日本人街の映画館主に映写技師として雇われる。館主の娘と恋に落ちるのだが、彼らは古い映写室で愛を囁く。

上映中のスクリーンの比率が間違っていると映写室にいき、映写技師にクレームをつけるのは「男性・女性」(1966年)のジャン=ピエール・レオーが演じた映画青年だ。彼は、スタンダードサイズやビスタビジョンサイズなど、様々なスクリーンの正確な比率をまくしたて「きちんと映写しろ」みたいなことを言う。さすが映画フリーク、ジャン=リュック・ゴダールの映画だと感心したものだった。

「魂萌え!」(2006年)では定年した夫に死なれた後、夫に愛人がいたことを知り、自立する女になろうとした風吹ジュンは、なぜか映写技師を志し名人に弟子入りする。独り立ちした彼女が上映する映画は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督「ひまわり」(1970年)だった。老映写技師を演じたのは麿赤児。かつての赤テントの怪優も、今では俳優の大森南朋、映画監督の大森立嗣のお父さんと言った方が通じる。

映画オタクであるクエンティン・タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」(2009年)では、ユダヤ人少女(メラニー・ロラン)がパリに逃げて映画館主になり、当時の映写室が頻繁に登場する。映画館の舞台裏が映され、ラストはヒットラーを含めたナチ高官たちを映画館に閉じ込め、大虐殺が行われる。史実を変えてでも、ナチスへの鬱憤を晴らしたかったのかもしれない。

鈴木清順監督の「野獣の青春」(1963年)では、対立するふたつのヤクザ組織の一方は映画館に事務所があり、登場人物たちの背景がスクリーンの裏側になる。そこでは、いつも映画が上映されている。映画の中で撃ち合いが始まると、現実のヤクザたちも撃ち合いを始める。清純美学と言われた、シュールで独特な映像だった。

●地方の名画座でアルバイトする青年が謎の女性に惹かれる

「シグナル 月曜日のルカ」(2012年)を見ていて、何だかこんな話を読んだことがあるぞ、という既視感が起こってきた。途中で、「そうだ。関口尚が小説すばる新人賞を受賞した青春小説だ」と思い出した。しかし、地方の名画座でアルバイトをする青年が、ミステリアスな女性に惹かれていく物語だったのは思い出したが、「シグナル 月曜日のルカ」が同じかどうかは自信がなかった。

映画が終わってラストクレジットを確認すると、制作者に幻冬舎の見城徹さんの名前があり、原作は関口尚さんの「シグナル」(幻冬舎文庫)と出てきた。後で調べてみたら、小説すばる新人賞受賞作は「プリズムの夏」だった。夏、年上のミステリアスな美女、映画館...といった設定が共通していたので記憶が混乱したのだ。関口尚さんは、かなりな映画マニア...いや映画愛にあふれた人らしい。

大学生の恵介が夏休みで故郷に帰省し、名画座がアルバイトを募集しているのを知って応募する。その地方の平均より倍の時給につられたのだ。支配人(井上順)は技師長が足を怪我したので、ひと夏、映写技師のアシストをしてほしいという。技師長に会うと、若く美しい女性で名前は杉本ルカ。無口で、怪我をした足を引きずっている。彼女は映画館の中の一室に住み、屋上で家庭菜園をやっている。三年間、一度も映画館を出たことがないという。

恵介は採用に当たって、支配人から三つの条件を出される。それは、技師長の過去を訊かない、技師長と恋愛しない、特に月曜日の技師長はナーバスになるから干渉しない、という謎めいたものだった。恵介は、かえって興味が湧いてくる。それはそうだろう。その謎めいた三つの条件は観客の興味をかき立て、早く謎解きを見たいという気にさせる。

ルカは先代の技師長である祖父(宇津井健)に子どもの頃から映写技師として鍛えられ、若いがプロフェッショナルな技術を持っている。彼女は、まったくの素人である恵介に映写機にフィルムを通すところから教え始める。一号機と二号機を自動で切り替えるためにフィルムに銀紙を貼ったり、何巻かで届いたフィルムを長尺リールに掛けるために、スプライシングテープでつないだりする。それをアップで、具体的に見せてくれるから僕は嬉しくなった。

慣れない恵介は、いろんな失敗をする。画面が二階建てになったり、逆さに上映したりである。それが、とても懐かしい。僕が子どもの頃、映画館での上映トラブルは頻繁にあった。画面が二階建てになる、画面が流れ始める、いきなり止まる。さすがにフィルムが燃えることはなかったが、一度トラブルが起きると、修復するのにしばらく時間がかかった。しかし、上映が中断し場内が明るくなっても、観客たちは文句も言わずに待っていた。

「シグナル 月曜日のルカ」の舞台である銀映館は古い名画座だ。スクリーンはふたつあり、上映室もふたつある。邦画と洋画、それぞれ二本立てだ。ロビーの光景を見て僕は銀座並木座を思い出し、邦画と洋画の二本立て上映で池袋文芸坐と文芸地下を連想した。いいなあ、退職したら古い映画館を買い取って好きな映画ばかり上映したいなあ、と僕は夢見た。DVD全盛の世の中で成立する商売ではないのだけど......

●映画と共に映画館の思い出を持った人が創り出した物語

──もう映写技師なんて必要ないんだよ。全部デジタルになっていて、スイッチひとつで上映してくれる。

「月曜日のルカ」こと技師長のルカはつぶやく。確かにそうなのだ。シネコンは、ほとんどがデジタル上映になっている。撮影だって、今やデジタルカメラである。デジタルで撮影すればCG加工も自由自在だし、フィルム代も現像代もかからないからコストダウンになる。フィルム代を気にせずに撮れるから、テストも本番も関係なくカメラをまわせる。

しかし、「シグナル 月曜日のルカ」は、映画愛に充ちた作品だ。ロビーには古い名作のポスターが並んでいる。上映予定のプログラムを見ると、毎週、銀映館に通いたくなる。ルカのフィルムに対するやさしいこだわり、映写機を大切に扱う手が印象的だ。古い座席に大きな舞台とスクリーン。映画と共に映画館の思い出を持った人が創り出した物語である。懐かしさがあふれる。

失敗を重ねた恵介にも、ようやくひとりで上映する日がやってくる。無事に上映を終えた恵介に、ルカは「初めての映写を見てくれたお客さんにお礼を言いなさい」とロビーへいくように促す。いい話である。恵介の上映を見ようとやってきた高校生の弟も加わり、彼らは屋上でパーティを催す。月曜日には暗い表情で落ち込むルカも楽しそうに加わる。しかし、その夜、暗い影が彼らを襲う。

ミステリアスな「シグナル 月曜日のルカ」は、ルカの憂鬱の原因が解明されてからは、恵介とルカの関係がどう変化するかという興味が湧く。要するに、恋愛が中心の物語になる。ラストシーンも映画愛に充ちていて、子どもの頃に野外上映会を経験した人なら、よけいに切なくなってくるだろう。お約束通りとはいえ、気持ちよく終わるハッピーエンドはよいものだ。

僕は20代を「小型映画」という8ミリ専門誌の編集部で過ごしたから、8ミリや(たまには)16ミリのフィルムを頻繁に映写した。映画館では35ミリフィルムを上映するから映写機の大きさはまるで違うが、構造は共通している。フィルムの両端に等間隔で穴(パーフォレーション)が開いており、それを映写機側の回転するギアのようなもの(スプロケット)に噛み合わせ、カタカタとフィルムを送る。

スクリーンに映る瞬間、フィルムは停止していなければならないから、後ろに高熱を発するハロゲンランプがあり、前に上映用のレンズがある映写位置にくるとフィルムは一瞬固定される。一秒間に24駒の連続した静止画を映し出し動くように見せるのだから、一駒は24分の1秒は止まっていなければならない。ときどき、そこに一駒が長く留まってしまい、映写ランプの熱でフィルムが真ん中から溶けるように燃えることがあった。

8ミリ映写機に比べると、16ミリ映写機は重く大きかった。フィルムは倍の幅になるから映写機に掛けやすいのだが、たまに使うものだから16ミリ映写機を持ち出すたびに僕は慎重にフィルムをセットした。本来は、映写免許が必要だと聞いた。昔はフィルムの発火性が高かったからだろう。編集部のH女史は、16ミリの映写技師の免許を持っていた。図書館などで開催される講習に一日参加するだけでもらえるという。結局、僕は取り損ねたままなのだが......。

●40年前に僕と仲間たちは上映会を開いたことがあった

あれは、もう40年以上前のことになったのか。「シグナル 月曜日のルカ」を見終わって、ひとつの記憶が甦った。すっかり忘れていたことだった。ああ、僕らも上映会を企画したなあ、とラストシーンの野外上映会を見ながら、不意に記憶の底から鮮明にMの顔が浮かんできた。

1972年の初夏、僕は大学のフランス文学科に在席していた。今から思えば、怠惰な青春を送っていたと思う。僕と友人たちは、「仏文九組ラドリオ一派」を名乗っていた。神田神保町にある老舗珈琲店「ラドリオ」に入り浸り、「ラドリオ」という同人誌を出していたからだ。学校にはいかず「ラドリオ」に直行し、一日そこで過ごすことも多かった。グループのひとりにMがいた。

Mは少し吃音気味で、顔の下半分は濃い髭に覆われていた。高校時代から有名な詩人が主宰する同人誌のメンバーだった。そのため、仲間内では入学当時から一目置かれていた。映画と芝居にのめり込んでいて、唐十郎の状況劇場ばりの演劇台本を書き、渋谷の天井桟敷を借りて上演した。「緋牡丹博徒」の矢野竜子に思い入れ、藤純子を女神とあがめていた。そのMが上映会をやろうと言い出したのだ。

昔、16ミリフィルムのレンタルという商売があり、16ミリ映写機のレンタルも同時に扱っていた。あれは、映画会社がやっていたことなのだろうか。あるいは、フィルムレンタル専門の業者だったのだろうか。Mはフィルムをレンタルし、大学の講堂のような大教室で上映会を開くことを企画した。一年生のとき、僕はその教室で岩崎昶先生の「映画論」を受講し、授業の中で黒澤明の「羅生門」(1950年)を見た。

Mが上映しようとしたのは、篠田正浩監督の「乾いた花」(1964年)だった。もう一本は何だったろうか。その年、結婚引退してしまった藤純子を偲び、「緋牡丹博徒 お竜参上」(1970年)だった記憶がある。「乾いた花」を選んだのは、池部良が初めて着流しヤクザを演じた作品だったからかもしれない。それを見て東映の俊藤プロデューサーが出演依頼をし、「昭和残侠伝」の風間重吉につながる。

しかし、「乾いた花」を上映するためには、ヒロインを演じた加賀まりこの了解を得なければならないことがわかった。松竹映画だったが、加賀まりこが何らかの権利を持っていたのかもしれない。Mは事務所に連絡したが、結局、加賀まりこに直接会うことになり自宅へ赴いた。「生意気な女優」と言われていた頃の加賀まりこである。しかし、会えたのか、門前払いをくらったのか、僕の記憶にはない。最終的に上映許可は得られなかった。

ちなみに「乾いた花」と同じ年、加賀まりこは中平康監督の「月曜日のユカ」(1964年)に出演している。父親以外を「パパ」と呼ぶこともあるのだと、小学6年生の僕が初めて知った映画である。加賀まりこは「小悪魔」で売っていた。「乾いた花」の加賀まりこも男を惑わす謎の少女を演じた。賭場にやってきて、破滅的な賭け方をする。主人公は、その言動に興味を惹かれる。若き石原慎太郎の原作だった。

驚いたことに僕らの上映会は黒字になったが、その夜のうちに飲み会で消えた。半年ほど経った頃、マスコミは加賀まりこの「未婚の母」で大騒ぎになった。現在でもフィギュアスケートのスター選手が未婚のまま出産すると大騒ぎになり、マスコミは父親探しにやっきになる。当時、未婚の有名女優が妊娠を公表することなど有り得なかった。しかし、加賀まりこのキャラクターがそれを成立させた。マスコミから父親と名指しされたのは、人気歌手のFだった。

しかし、神田神保町の「ラドリオ」では、別の話題が盛り上がっていた。みんながMの顔を見るたびに「父親は、おまえじゃないのか」と冷やかすのである。Mが加賀まりこを訪ねた頃、彼女が妊娠した計算になるからだった。もっとも、Mは女神とあがめる藤純子がその年の暮れに赤ん坊を生み結婚前に妊娠していたとわかり、「純子様に限って、そんなこと有り得ない。処女懐胎に違いない!」と嘆くのに手一杯だった。

すべて、遠く遙かな昔の話である。Mが「処女懐胎」だと騒いだときに生まれたのが、寺島しのぶだ。昨年暮れ、彼女は40の坂を越えた。今や、日本を代表する演技派女優である。そして、加賀まりこは、今年、70になる。日々は過ぎてゆき、人々は去る。Mは故郷でジャズ喫茶を経営し、グループのひとりだったSは自殺した。生き残ってしまったなあと、今、僕は思う。遠くまできてしまった......

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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1999年8月の夏休み明けからこのコラムを始め、丸14年が過ぎました。とうとう15年目に入ります。いつもの言い方だと「5000回の朝と昼と夜が過ぎていった」ことになります。来週は600回。何を書こうかと迷いつつ、特別なことを書く必要もないだろうと思っていますが...

●長編ミステリ三作が「キンドルストア(キンドル版)」
「楽天電子書籍(コボ版)」などで出ています/以下はPC版
< http://forkn.jp/book/3701/
> 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/
> 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/
> 太陽が溶けてゆく海

●日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞のシリーズ4巻発売中
「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2003-2006」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2007-2009」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2010-2012」2,000円+税(水曜社)
●電子書籍版「映画がなければ生きていけない」シリーズもアップしました!!
「1999年版 天地創造編」100円+税
「2000年版 暗中模索編」から「2009年版 酔眼朦朧編」まで 各350円+税
※電子書籍版はhonto.jpなどで購入できます


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編集後記(08/23)

●我が家のそばの荒川土手のロードを、レーサーパンツにヘルメット、ピンディングシューズの"正装"で10万円を越える(であろう)自転車で走っている人たちを「ローディー」と呼ぶ、らしい。もっこり股間のレーサーパンツの下は、何も穿いていないことを知っていたが、すね毛を剃っているとは知らなんだ。その理由は空気抵抗が減るから、ではなくその方が玄人っぽいからだという。ローディーたちは、速い人の脚の筋肉とすね毛の有無を必ずチェックする(もちろん自転車も)、という。Team South East編、玉井雪雄ほか3名の漫画が中心の「自転車脳の人々」(辰巳出版、2013)で教わった。

わたしが自転車乗りの現役であった頃は、"正装"してロードに出ているのは競輪選手くらいで、一般人は違和感のない普通の格好をしていた。自転車だってドロップハンドルのランドナーかスポルティ−フが主流で、いまのようなロードバイクやクロスバイクなんて存在しなかった。もちろんパーツに凝って、カンパニョーロをはじめ欧州の高価な部品をつかって自転車を組む人もいたが、最近の"自転車脳の人々"とはちょっとニュアンスの違うマニアであった。とくに違うのは、ローディーのような悪目立ちする自転車乗りはいなかった。

この本はローディーの生態「あるある」の大連発で、見に覚えのある人は大共感だと思うが、ふーん、そういう新人類もいるのか、でも理解はできるというのがわたしの感想。「お父さん、そんなカッコで家の近くをウロウロしなで!」という娘の声、わかるわかる。「100g=1万円の法則」もわかる。パーツの軽量化は財布の軽量化に等しいけど。「ママチャリだって容赦なくチギるぜ」「信号が青に変わると『よ〜いドンッ』と聞こえる(気がする)」なんてわかんねーよ。市街地で傍若無人な走りするんじゃねえよ。

よくわかったのは、ロードバイクを愛する人は自己愛も激しいということ。「あるある」は理解できるが、仲間になりたくはない(もっとも、仲間に入れてもらえない)。フレームの太いロードバイクのデザインが嫌いだ。なんたって、昔のスポルティーフは美しい。ところで5月に買ったドッペルギャンガー20インチ小径車、暑い間はまったく走行できない。キャリアがないから荷物はデイパックになる。背中が大汗である。仕方なくママチャリアンパンマン号でトロトロ走っている。本格的な秋よ、早く来い。(柴田)

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自転車脳の人々


●続き。診断としては、歯ぎしりや、歯の食いしばりのせいなのだそうな。虫歯じゃないと知ってほっとしたよ。ストレスだろうって。そういえば、起きた時に歯をぐーーーーっと食いしばっている日が続いたよ。肩こりや頭痛もひどかった。でも仕事があって休めなかったの。

歯の食いしばりや歯ぎしりで、歯の根っこのあたりが打撲みたいになるらしい。なので、しばらくほっとくと治るでしょうって。

痛い時に薬を飲むのは負けた気がするので、バファリンすら飲んでおらず、出してもらった頓服にも手を出さず。先生は噛み合わせの調整をしてくれたのみ。歯を極力離すように、ぽっかーん口で過ごしていたら、三日ぐらいでおさまってきたさ。原因を知ってほっとしたのもあるわ。(hammer.mule)

< http://news.mynavi.jp/c_career/level1/yoko/2012/06/post_1898.html
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通常は、上下の歯が接触する時間は、食事を含めても一日のうちに15〜20分程度です。