[3545] 十字架を背負った人生

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《主人公の描き方が身につまされた》

■映画と夜と音楽と...[602]
 十字架を背負った人生
 十河 進




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■映画と夜と音楽と...[602]
十字架を背負った人生

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20130913140100.html
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〈史上最大の作戦/最前線物語/プライベート・ライアン/ミッドナイト・イン・パリ/アンダルシアの犬/糧なき土地〉

●「ちょっとピンぼけ」に登場してきたピンキーとは

ロバート・キャパは、最も人々に知られたフォト・ジャーナリストだ。僕は大学時代から写真雑誌をずいぶん見てきたし、写真専門誌の編集部にもいたので様々な写真家の作品に触れる機会があり、思いつくままにあげてもロバート・フランク、アーヴィング・ペン、エリオット・アーウィット、エルンスト・ハースなど世界の写真家の凄さを認識したが、戦場に赴き最後は地雷を踏んで死んでしまったロバート・キャパの伝説は今でも燦然と輝いている。

僕が初めてロバート・キャパという名前を知ったのは、高校生の頃だった。何がきっかけだったのか憶えていないが、僕は「ちょっとピンぼけ」というノンフィクションを手に取ることになった。おそらく、その頃、僕は筑摩書房から出ていた「世界ノンフィクション全集」を続けて読んでいたから、その流れでキャパの自伝的エッセイを読むことになったのだろう。別のノンフィクション作品とカップリングされて一巻本になっていた。

読んだのが45年も昔のことなので、あまりよく憶えていないのだけど、ピンキーという呼び方で恋人が登場したのは記憶に刻み込まれている。僕が「ちょっとピンぼけ」を読んだのは高校2年、1968年のこと。その年の最大のヒット曲はピンキーとキラーズの「恋の季節」だった。だから、当時の僕にとってピンキーとは、今陽子のことだった。「ちょっとピンぼけ」に「ピンキー」と出てくるたびに、「恋の季節」が浮かんだ。「ピンキー」と呼ばれるキャパの恋人は、後にイレーン・ジャスティンという女性だと知った。

余談だけど、エリア・カザン監督に日本未公開の「ピンキー」という作品があることを知り、それはアメリカの黒人たちのスラングで「白人っぽく見える黒人女性」という意味だとわかったが、「ちょっとピンぼけ」で恋人を「ピンキー」と呼ぶのは「小指」という意味での愛称だろうと推察した。面白いのは「ピンカートン探偵社の調査員」も「ピンキー」と言うらしい。とすれば、ダシール・ハメットの「血の収穫」の主人公「名無しのオプ」も「ピンキー」である。

まあ、そういうことで「ちょっとピンぼけ」の内容についてはあまり記憶に残っていないのだが、ロバート・キャパに対してはずっと尊敬の念を抱いていた。だから、沢木耕太郎さんが翻訳したロバート・キャパの伝記も読んだし、写真集「フォトグラフス」も買った。その中には、ノルマンジー上陸作戦に従軍したときのオマハ・ビーチの写真もあった。砲弾が飛び交う中、岸辺で匍匐前進する連合軍兵士を撮影した写真である。

「ザ・ロンゲスト・デイ」と呼ばれたノルマンジー上陸作戦は、「史上最大の作戦」(1962年)として映画化され日本でも有名になった。さらに、リー・マーヴィンが若者たちを鍛える古参の軍曹役で主演した、サミュエル・フラー監督の「最前線物語」(1980年)でも重要なエピソードして描かれるし、スティーヴン・スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」(1998年)では、最新テクノロジーを駆使した映像と音で、まるでその場にいるような迫真のシーンを作り出した。

「プライベート・ライアン」を見たとき、冒頭の上陸用舟艇からビーチに飛び降り、銃弾が雨のように飛び交う中、決死の覚悟で匍匐前進していく兵士たちの恐怖がひしひしと伝わってきた。兵士たちは、一瞬で死んでいった。爆撃で躯が飛び散った。同時に、ロバート・キャパはこんな中を、ライカだけを握りしめシャッターを押し続けていたのかと実感した。改めて、ロバート・キャパの凄さを認識した。

だから、今年、出版されたときから評判になっていた沢木耕太郎さんの「キャパの十字架」は、読みたいと思う反面、読まない方がいいかもしれないな、という思いが交錯した。なぜなら、それはロバート・キャパが世に出るきっかけになった、スペイン戦争で撮られた「崩れ落ちる兵士」の写真が、本当に銃弾に倒れる写真なのかどうかを検証するルポルタージュだったからだ。その写真については、以前から「やらせ」疑惑があり、単に「足を滑らせただけ」と言う人もいた。

しかし、結局、僕は「キャパの十字架」を読んだ。それも夢中になって読んだ。巻おくあたわず...という感じだった。まるで上質なミステリーのように、沢木さん自身が探偵役として様々な手がかりや証言者を求めて世界を飛びまわり、謎を解こうと推理し、実験し、検証していく物語だった。最近、これほど面白い、知的な興奮に充ちた本はなかった。僕が普通の人よりはカメラと写真に詳しかったから、よけいにスリリングに読めたのだと思う。

たとえば、この本での検証のひとつに、ライカとローライフレックスの構造の違いから撮影者を限定していく過程がある。ライカサイズというように、35ミリカメラのフォーマットはライカが作った。ロールフィルムを使用し、画面サイズは24×36mmである。しかし、初期のライカには個体によって、画面サイズに誤差があることまで沢木さんは考慮する。また、二眼レフであるローライフレックスの特徴を専門家に取材し、読者によくわかるように記述する。

●ライカとローライフレックスの違いを実証していく面白さ

沢木さんの「キャパの十字架」はキャパに対するリスペクトによって貫かれているから、有名な「崩れ落ちる兵士」の真実を追求することが、伝説を覆すことになっても気持ちのよい読後感が残る。沢木さんは、この謎解きをNHKの取材班と一緒に動いているらしく、近いうちにドキュメンタリー番組として放映されるかもしれない。そこでは、最新の映像分析テクノロジーが使われているらしい。

しかし、本の方では「崩れ落ちる兵士」が巷間で言われているような、「やらせ」あるいは「単に足を滑らせただけ」かどうか、沢木さん自身が実際に掲載された雑誌のオリジナルを探したり、スペインの研究家を訪ねたり、撮影場所を特定するためにスペインのあちこちを探査するアナログさがとても面白い。

沢木さんは、様々な検証から「崩れ落ちる兵士」の撮影者がロバート・キャパ本人ではなく、当時のパートナーであり年上の恋人だったゲルダ・タローではないかという疑問を抱く。そもそもロバート・キャパという架空の有名写真家の名前で写真を売ることを思いついたのはゲルダであり、当時、ロバート・キャパという名はキャパとゲルダの仕事上のチーム名のようなものだった。

キャパはライカを持ち、ゲルダはローライフレックスで撮影していた。沢木さんは「崩れ落ちる兵士」の写真を詳細に調べ、それが二眼レフのローライフレックスで撮影されたことを実証していく。その過程は、サスペンスを感じるほどスリリングだ。ライカはアイレベル(目の位置)でファインダーを覗いて撮影するが、ローライフレックスはウエストレベル(腰の位置)で構え、ピントグラスを上から覗く。

ローライフレックスのピントグラスには、左右が逆になった鏡像が映っている。操作に慣れていないと、人物の突発的な動きをとっさに追おうとしたとき、カメラを逆に振ってしまう可能性がある。「崩れ落ちる兵士」の兵士が、なぜ中央ではなく左寄りに写っているのか...。「なるほど」と僕はうなった。沢木さんはキャパが使っていたのと同じライカ、ゲルダが使用したのと同じローライフレックスを、写真家の田中長徳さんから借りて自分でも写してみる。まさに実証主義である。

「崩れ落ちる兵士」について、キャパは公式には一度も語ったことがないという。この写真は雑誌社が勝手に兵士が銃弾に倒れる瞬間の写真として掲載したため、一躍、センセーションを呼び起こし、ロバート・キャパという写真家を有名にした。キャパもゲルダも写真をパリの雑誌社に送ったきり、スペインの戦場を巡っていたのである。そして、ゲルダは死にキャパは生き残る。やがて、パリに帰ったとき彼は有名人になっていた。

キャパが背負った十字架とは、「崩れ落ちる兵士」以上の写真を撮ることだったのか。彼はノルマンジー上陸作戦の従軍カメラマンに選ばれ、激戦になったオマハ・ビーチに上陸する。彼は兵士たちの背中ではなく、兵士たちを前面から撮った。つまり、背後から飛んでくる銃弾の中でシャッターを押したのだ。それは「崩れ落ちる兵士」と同じ撮影位置である。そのオマハ・ビーチで生き残ったキャパは、最後にインドシナ戦争で地雷を踏んで死んでしまう。

彼は毎日新聞社の招きで来日し、そのままインドシナに向かった。もう20年以上前のことになるだろうか、ロバート・キャパの大規模な回顧展が開催されたとき、僕は日本で撮影したキャパの写真に好感を持った。戦場の写真とは違った、生き生きとしたスナップだった。そこに写っている子供たちは僕と同世代だったし、当時の若い女性の流行がわかるようなスナップもあった。本当は、そんなスナップを撮りたかった人ではないか。そんなことを僕は思った。

●なぜ「スペイン市民戦争」と呼ばれるようになったのか

スペイン戦争にロマンチックなイメージを付与したのは、ヘミングウェイが「誰がために鐘は鳴る」を書いたからだ。アンドレ・マルローも義勇軍に参加し、後に「希望」という小説を書き、それを元に映画も制作した。また、スペイン戦争の頃、スペインは多くの偉大な芸術家たちを生んだ。詩人のロルカ、画家のパブロ・ピカソ、サルバトール・ダリ、音楽家のパブロ・カザルス、そして映画作家のルイス・ブニュエルである。彼らの存在が、スペイン戦争をロマンチックなものにする。

僕が「スペイン市民戦争」という言葉に興味を持ったのは、五木寛之さんの「裸の町」を読んだからだった。その長編小説はNET(現テレビ朝日)でテレビドラマ化(1968年10月〜12月)され宍戸錠が主演した。とても見たかったのに、僕の地方ではNETは映らなかった。ドラマ化される前に原作は読んでいたから、「ちょっとピンぼけ」と同じ頃、僕は「裸の町」を読んだのだ。「裸の町」を読んだから、「ちょっとピンぼけ」を手に取ったのかもしれない。僕は、なぜ「市民戦争」と呼ぶのかを調べたかった。

その結果、共和国政府に対してファシストのフランコ将軍が叛乱を起こし、世界中から「反ファシスト」を旗印に義勇兵が集まったことを知った。その中には有名な作家たちもいたし、ロバート・キャパのようなフォト・ジャーナリストもいた。「正しい戦争」というものがあるのかどうかはわからないが、高校生の僕は「スペイン市民戦争」に大義を感じた。彼らはファシズムに反対し、民衆のために戦ったのだ。そう思って以来、スペイン戦争の時代は僕にとって特別のものになった。

昨年、「ミッドナイト・イン・パリ」(2011年)を見たとき、ウッディ・アレンもそうなのではないかと感じた。第二次大戦後のパリ、ロスト・ジェネレーション、芸術家たちの交流、そしてスペイン戦争...である。その時代に、ある種の憧れを抱いているのが伝わる。映画のメッセージは「誰もが自分の存在する時代より先行する時代に憧れるが、結局は自分の世界で生きるべきなのだ」と正統的な教訓に落ち着く。ただ、それはウッディ・アレンの言い訳であり、本当は1920年代から30年代のヨーロッパに強い憧れを抱いているのは間違いない。

主人公は小説を書きたいのに、ハリウッドのシナリオライターとして糊口をしのいでいる優柔不断な男だ。いつものように、ウッディ・アレン的な主人公である。つまり、ウッディ・アレンの分身だ。昔なら自分で演じただろう。主人公は自分の身過ぎ世過ぎの仕事であるシナリオライターに誇りを持てず、世間に認められる文学作品を書こうと苦闘している。ヘミングウェイ、フィッツジェラルドといった作家たちに憧れを抱いている。

そんな彼は婚約者の父親がパリに仕事があるというので、便乗してパリ旅行にきている。婚約者の父親は俗物で、彼のことを認めていない。母親も有閑マダムで、彼とはまったく話が合わない。婚約者も今風の女性で、友人の恋人のペダンチックさを真に受けて、その男に感心したような視線を向けるのが主人公は気にくわない。美術館でその男が知ったかぶりの知識を披露したとき、主人公はムキになって訂正する。

この主人公の描き方が身につまされた。まるで、僕自身を見ているようだった。小心でお調子者、見栄っ張りで未練たらしい。婚約者の俗物性に気付きながら、彼女のセックスに惹かれて別れられない。婚約者とも彼女の両親とも話は合わず、文学や芸術を至上とする自分と、金銭を最高位に置く価値観しか持たない彼らとの齟齬に気付いていても、それを拒否することができない。金になる今の仕事を棄てて、小説に専念する覚悟が持てない自分を情けなく思うしかない。

そんな彼が深夜のパリでタイムスリップし、1920年代のパリに迷い込む。深夜の酒場で乱痴気騒ぎをしているのは、スコット・フィッツジェラルドとゼルダ夫妻だし、カフェで深刻そうな言葉を口にするのはヘミングウェイである。ピアノを弾いて自作の歌を歌っているのは、コール・ポーター(だったはず)だ。ヘミングウェイに連れていかれるのは、彼らを「ロスト・ジェネレーション」と名付けたガートルード・スタインの自宅である。

主人公はそこでパブロ・ピカソの恋人の女性と出会い、彼女に恋をする。魅惑的でミステリアスなピカソの恋人を演じるのは、マリオン・コティヤールだ。大きな瞳が魅力的なエキゾチックな美女である。主人公は彼女に会いたくて、連夜、真夜中のパリでタイムスリップを待つ。そして、その世界でサルバトール・ダリと出会い、ダリと一緒にいるルイス・ブニュエルの若き姿を見る。この頃、ダリとブニュエルはすでに「アンダルシアの犬」(1928年)を撮っていたのだろうか。

いきなり死んだ犬の眼球をカミソリで切る映像で観客を失神させた「アンダルシアの犬」の4年後、ブニュエルは当時のスペインの貧しい人々の生活を撮影したドキュメント「糧なき土地」(1932年)を制作する。スペイン市民戦争が起こった背景を、目の当たりにするような映像的証言だった。この映画が日本で公開されたのは1977年のこと。「糧なき土地」が公開されるという記事を、当時、僕はキネマ旬報で読んだ。

僕は、就職して2年目の冬を迎えていた。長らく忘れていた「スペイン市民戦争」という言葉が甦ってきた。フランコ総統が死んで、2年が経っていた。その年の6月、スペインで41年ぶりの総選挙が実施された。1936年2月16日の総選挙では人民戦線が勝利し、フランコに率いられたファシストたちが叛乱を起こすきっかけになった。その戦いの場でゲルダは命を落とし、キャパは世界に名を知られ、沢木耕太郎さんによれば「十字架を背負った人生」を歩むことになった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951
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少しずつ朝晩が過ごしやすくなった。家の中に鈴虫が迷い込み鳴き始め、鳴き声が移動する。ようやく見付けて保護し、ベランダから外へ放した。鈴虫って部屋の中で何を食べて生きていたのだろう。

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< http://forkn.jp/book/3701/
> 黄色い玩具の鳥
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> 愚者の夜・賢者の朝
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編集後記(09/13)

●荒山徹「竹島御免状」を読む(角川書店、2010。文庫化)。なんというキャッチーなタイトル! 帯に「国境をめぐる「竹島問題」はここから始まった!「これだけは書かずにいられなかった!」──荒山徹」とある。この問題で変なことを書かないでくれよと思いながら読んだが、心配無用、柳生と妖術と朝鮮の3点セットはいつもの荒唐無稽の「荒山ワールド」だ。

Amazonの内容紹介では「将軍・綱吉が日本漁民に鬱陵島渡海を禁止した「竹島一件」から4年、美女軍団を従え朝鮮妖術師が日本に侵入した。迎え撃つのは老柳生十兵衛と孫婿の友信。妖術師の目的は? 竹島問題の原点を抉る伝奇長編!」とあるが、一番最後はウソだな。荒山定番商品の「柳生と朝鮮妖術師とのバトル」の背景に竹島が使われたに過ぎない。

荒山のやりたかったことは竹島問題なんかではなく、柳生十兵衛と荒木又右衛門の闘いであろう。しかし、この物語では59年前に鳥取で死んだはずの荒木と、47年前に死んだはずの十兵衛が相見える。どういう仕組みで実現させたかというと、荒木は妖術で甦り、十兵衛は91歳ながら現役の柳生冽堂という設定なのだ。十兵衛は44歳で死んだことになっているが、死んだのは末弟の六丸16歳(列堂義仙)だった。十兵衛は幕閣の承認を得て44歳が16歳になる超絶の入れ替えを実行した。冽堂としたのは第二の列堂という暗示である。

十兵衛は相棒の陰陽師・柳生友信に「実はここだけの話、荒木又右衛門は以前にも一度、この世に甦ってきたことがあるのだ。父但馬が没してまもなく勃発した怪奇極まりない事件であった。何せ、これは躇錯剣に絡む問題ゆえ、詳しい次第は申されぬが」と語る。一方の荒木も、甦った五郎右衛門に同様のことを語る。「森─いや、さる妖術師によって、他の剣客たちともども甦らせられ、十兵衛と剣を交えたのだ」......これって、山田風太郎の「魔界転生」である。躇錯剣(ちょさくけん)に絡む問題(笑)。おもしろいシカケだ。

朝鮮妖術師と荒木らが鳥取藩の行列に斬り込み、藩主を拉致した理由はなにか。そのへんは竹島も含めたなんやらめんどうくさい経緯が描かれるが、それはどうでもいいみたい。妖術合戦、大怪獣バトル、剣戟が繰り広げられればいいのだ。もはやなんでもありの「荒山ワールド」全開。助さん格さんを従えた水戸光圀まで出て来る。最後に、日本と朝鮮の間に一大謀略を仕組んだ稀代の妖術士は死ぬ前に竹島に呪いをかける。「島というも憚られる、ちっぽけな、この絶海の孤島、とるに足らぬこの岩島を巡って、朝鮮と日本がいつの日か必ず相争い、互いを憎み合う間柄にならんこと!」そうだったのか!(笑(柴田)

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荒山徹「竹島御免状」


●続き。何かあるからこそ、その人は書いているのだろうから、スルーしてしまうと、なんだか悪い気がする。踏みにじっているような気がしてくる。考え過ぎ? ええ、だから難民なんです。

だって私の些細な書き込みに、コメントつけてくれる人がいらしたら、とても嬉しいし、申し訳なくも思う。次からもうちょっと考えて書き込むよ、時間を使わせてしまってごめんなさい、と思う時もある。となると、読む人が読んで良かったと思うようなことを書かなければと思い、プレッシャーになる。真面目すぎるのを書いて、ひかれることだってある。で、気をつけているつもりでも、ついその場その場の書き込みをしてしまう。

考え過ぎ? ええ、だから難民なんです。距離感がわからない。自己PRも下手。恥ずかしいと思ってしまったり、絶対どの世界にも自分より上の人がいるから、その人を差し置いてと思っちゃう。誰かにPRしてもらえるぐらいの何かを持てたらなぁ。ということで、観劇したり、ジョギングしたりが気楽に思えてきちゃう。続く。 (hammer.mule)