上野から東京に行く途上で一回電車を乗り換えた。成田駅で。
前回、若者が恋愛をしなくなったという統計を引いて、その原因の分析を試みたのだけれども、意に反して話があらぬ方向に行ってしまい、オカルトじみた怪しげなことになってしまいました。
気をとりなおして、今回こそはまっとうな論を張ろうとあらためて考えてみたのですが、今度は思考が発散気味で、うまくまとまらなくなっています。
この問題、たぶん「若者の恋愛離れ」にだけ焦点を絞っていたのでは、大きな絵を見損なうのだと思います。街コンや婚活ビジネスなどは対症療法にすぎず、そこを強化するだけでは大した効果が上がらないのだと思います。おそらくバブル経済崩壊以降の日本の社会構造の変化がすべて絡み合っています。
アジア諸国の経済急成長で世界市場においてシェア獲得競争が激化したこと、日本の企業は人件費削減と生産の効率化の必要性に迫られ、雇用方針を年功序列から成果主義へ、また、労働集約型から機械集約型へと切り替えざるを得なくなり、大規模なリストラや雇用形態の変化が起きたこと、
単純労働が機械に置き換えられていったことにより、学歴や技能や資格がぱっとしないと就職が困難になってきたこと、いわゆる勝ち組と負け組という高収入層と低収入層との二極化が進んだこと、そんな流れから、結局、仕事が忙しくて遊ぶ暇がないか、仕事がなくて暇だけど遊ぶお金がないか、どっちかに分離してしまい、どっちにしても遊べないという事態になっているのではないでしょうか。
いずれの側に立ったとしても、お金か時間かどっちかで常に切羽詰まった状態にあり、気持ちの上で余裕のないことになっていては、恋愛なんて始まりゃしないでしょう。億万長者になっても、貧乏農場へ行っても、結局「楽しさ」にはありつけない、負けと負けの二択しかない人生ゲーム。あんまり楽しくなさそうなゲームですね。
前回、若者が恋愛をしなくなったという統計を引いて、その原因の分析を試みたのだけれども、意に反して話があらぬ方向に行ってしまい、オカルトじみた怪しげなことになってしまいました。
気をとりなおして、今回こそはまっとうな論を張ろうとあらためて考えてみたのですが、今度は思考が発散気味で、うまくまとまらなくなっています。
この問題、たぶん「若者の恋愛離れ」にだけ焦点を絞っていたのでは、大きな絵を見損なうのだと思います。街コンや婚活ビジネスなどは対症療法にすぎず、そこを強化するだけでは大した効果が上がらないのだと思います。おそらくバブル経済崩壊以降の日本の社会構造の変化がすべて絡み合っています。
アジア諸国の経済急成長で世界市場においてシェア獲得競争が激化したこと、日本の企業は人件費削減と生産の効率化の必要性に迫られ、雇用方針を年功序列から成果主義へ、また、労働集約型から機械集約型へと切り替えざるを得なくなり、大規模なリストラや雇用形態の変化が起きたこと、
単純労働が機械に置き換えられていったことにより、学歴や技能や資格がぱっとしないと就職が困難になってきたこと、いわゆる勝ち組と負け組という高収入層と低収入層との二極化が進んだこと、そんな流れから、結局、仕事が忙しくて遊ぶ暇がないか、仕事がなくて暇だけど遊ぶお金がないか、どっちかに分離してしまい、どっちにしても遊べないという事態になっているのではないでしょうか。
いずれの側に立ったとしても、お金か時間かどっちかで常に切羽詰まった状態にあり、気持ちの上で余裕のないことになっていては、恋愛なんて始まりゃしないでしょう。億万長者になっても、貧乏農場へ行っても、結局「楽しさ」にはありつけない、負けと負けの二択しかない人生ゲーム。あんまり楽しくなさそうなゲームですね。
個人個人に遊ぶ余裕がなくなってくると、社会全体においても「遊び」の幅が狭まってくるのではないでしょうか。映画や音楽などのクリエイティブ産業、居酒屋やレストランなどの飲食店、遊園地やテーマパークなどの娯楽施設、カラオケ店やキャバクラなどの遊興施設、どれもこれも経営が苦しくなってきているのではないでしょうか。
単に景気が悪いからということだけではなく、二極化により、遊びの部分がしぼんできたから、という要因が大きいのではないかと思います。
つまり、個人個人における気持ちの余裕のなさは、社会全体に波及して、恋愛の場を育む娯楽産業の伸び悩みを招来しているのではないかと案じられます。それが、世の中の恋愛ムードの空気の温度を低下させ、悪循環を形成しているのではないでしょうか。
恋愛ムードの沈滞化は、お金か時間かいずれかの欠乏からくる、人々の気持ちの余裕のなさという要因以外にも、システム社会の浸透からくる、人々の心の無機質化というか、人間のパソコン化というか、そのあたりにもひとつの要因があるように感じられます。
2002年ごろだったか、「ちょびっツ」の「ちぃ」のコスプレが流行り、なんで人がわざわざパソコンになりきりたがるのか不思議な思いで眺めていましたが、最近二〜三年は「初音ミク」などのボーカロイド系のコスプレの流行りが続いており、もはや不思議という感覚すら薄れてきています。うんうん、分かる分かる、なりたいよね。システム社会の無機質な基盤に心が適応してきちゃったって感じでしょうか。
元来、恋愛においては、相手のことをより深く知りたいと願う心が働き、それにはじっくりと時間をかけて対話を重ね、徐々に徐々に相互理解を深めていく以外になかったように思います。互いに相手の幸せを願い、自分の時間や損得や労力が多少犠牲になってでも、相手のことを優先して、何かしてあげたいと思う、その思いやり精神に美しさが宿っていたように思います。オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』、いい話でしたよね?
最近はなんだか情報戦みたくなってきて、自分がちょっとでも得するように、あるいは虚栄心が満たされるように、学歴だの地位だの年収だのといったカタログスペックが重視されてきているのではないかと感じられます。
二極化社会において、いわゆる負け組の側から「そもそも年収など、自分のスペックが基準値以下なものだから、恋愛にありつける可能性の欠片すらない」と嘆く声をよく耳にします。
しかし、仮に勝ち組の側に立ったとして、スペックで選ばれたことをもって素直に喜んでいいもんかどうか、疑問ではないでしょうか。むしろそういう動機で近寄ってきた人からは、逃げたほうがよくはないでしょうか。自分が選ばれたのではなくて財布の中身が選ばれた、と。追いはぎですかい。どうにもこうにも美しくない関係のような気がしてしかたがありません。
また、相手に年収なり美貌なり若さなり、スペック的な何かを求めるのは、自分の内面に欠乏する何かを外から賜って補填したいという他力本願な望みが根底にあるのではないかという気がします。
あたかもジグソーパズルの正しいピースとピースがぴちっとはまるかのごとく、互いに自分の足りない部分を相手が持っていて相互補完が成り立つような関係が成立すればよいのですが。
元来、恋愛においては、もともと一人であってもそこそこ幸せであった者どうしが出会って、二人で過ごすことによって、互いがもともと持っていた幸せが相乗効果をもたらしあって、単純な合計よりも遥かに大きな幸福へと増大して双方に還元されるというのが美しい形かと思います。
これが逆に、山賊と海賊が出会って、お互いから宝を奪い合うような展開になっては悲惨なことになりそうです。互いがもともと持っていた良きものでさえ、吹っ飛んでいきそうな気がします。貧乏人と貧乏人が共同生活を始めても大金持ちになならない理屈で、足しても増大していきません。自分が持っていないものを相手から吸い取ろうとする関係は、あんまり美しい感じがしません。
本来、充足感と充足感とが出会って増殖していくような関係が望ましいのに、そういう形の出会いを起きづらくさせている、内面の欠乏感とは、いったいどのようなものでしょうか。
今に見ておれ、人生の逆転満塁ホームランをかっ飛ばして、世の中を見返してやるぜ。そんなハングリーな動機で格闘技や芸術などに立ち向かえば、もしかするといい結果につながる可能性もあるのかもしれませんが、こと恋愛に関しては、その姿勢で向かっていったのでは碌なことにならないような気がします。
システム社会においては、個々の人々がシステムに隷属する代替可能な部品のように扱われ、人としての尊厳が破壊され、自己の内なる人間性が回復を希求しているのかもしれません。トップクラスのスポーツ選手やミュージシャンや科学者や宇宙飛行士などが脚光を浴びることはあっても、それ以外のごく普通の人々にとっては、承認願望が満たされる機会の乏しい時代になってきているのかもしれません。
システムが個人に対して求めるのは均質で代替可能な部品としての機能であって、光る個性などはむしろ余計でしょう。社会はもはやヒーローを求めなくなってきているようにも思えます。個性的な人を発掘してヒーローに祭り上げようという風潮が消えていき、むしろ、注目されたがりのウザいやつは叩くなり黙殺するなりして、凹ませてやろうという動機が渦巻いているように感じます。
その一方、自分という存在は、代替のきかない無限大の価値をもつ個として尊重されたい、尊厳を保ちたい、という思いが根底にあるものなのではないかと思います。それを裏づける根拠がほしい。それが承認願望なんだと思います。ところがそれがなかなか満たされにくくなってきています。ご近所からなる小さなコミュニティの中で、人々が互いにちょっと優れたところを認め合ってほめ合う、ぐらいで満たされちゃう程度のものだとしても、それが社会構造的になかなか起こらないわけです。
で、承認願望はくすぶり続け、認められたがっている自意識は異常に肥大していくのでしょう。人々の多くは内面にしつこい油汚れのようなコンプレックスを抱え、一発逆転満塁ホームランの夢をみて生きているのかもしれません。こうなると、自意識を満足させることが第一の目的となり、恋愛はその満足のために利用可能な手段となり下がっていきかねません。これは本末転倒、なんかおどろおどろしい暗いエネルギーを感じます。
どうも社会も個人も、恋愛モードのスイッチがオフになってしまったように感じられます。「恋愛市場の冷え込み」という現象に対して、分析を施し、病巣を特定して、適切な処方箋を出そうとすると、社会にあっては全体の仕組みを根底から変革し、個々人にあっては自己の内面を深層から大掃除し、結局のところ、社会も個人もオーバーホールみたいなことをしないと始まらないのではないかと思えてきます。
こんなことをごにょごにょと考えているうちに、考えが発散していき、まとまらなくなってしまいました。なので、そこのところをちょこっと言い訳して、ムヅカシイことを考えるのを先延ばしにしておいて、今回は日常的なことでも軽く随筆的に語ろうかと思ったわけです。それで冒頭の文が出てきたわけです。
え? もう忘れちゃいましたか? これです。「上野から東京に行く途上で一回電車を乗り換えた。成田駅で」。ところが、言い訳部分がすでにけっこう長くなっちゃいました。言い訳が長くなったことの言い訳を始めちゃうとますます長くなっていきそうなので、とにもかくにも、日常の話に行きましょう。
●周回乗車の鉄道パズルはいかが?
鉄ヲタというわけでは決してないが、鉄道はそんなに嫌いなほうじゃないので、列車に長く乗っていてもさほど苦にはならない。まあ、あんまり長く乗りっぱなしでは飽きてきそうだけど、12時間くらいなら特に倦むこともなく楽しめる。
楽しむことを意図して作られた遊園地の乗り物よりも、機能優先で長年にわたる技術の蓄積を経て完成度を高めてきたリアルな乗り物のほうがかえって楽しめるという皮肉。しかも、首都圏の大回り乗車を利用すれば値段も安い。さらに、わざわざ遠くの遊園地まで出向かなくてもそこらへんに走っているというお手軽さ。早朝や深夜も営業してるし。
ひとつの列車に乗っている時間の長いコースを選ぶと、読書環境としてもなかなかよい。私がよく利用するのは、中野─八王子─高崎─小山─友部─上野コースだ。都心から放射状に伸びる中央線、上越線、東北線、常磐線を円環状に渡っていくコースなので、読書の進み具合に応じて途中で打ち切って、短いコースで帰って来られる柔軟さがよい。
会社帰りのちょい回りコースとしては、新宿─大宮─川越─高麗川─八王子─中野が重宝している。最近試してみてよかったのは、上野─我孫子─成田─千葉─東京コースだ。実際に電車を乗り換えるのは、成田の一回で済む。それが冒頭の一文だったというわけだ。
常磐線の快速電車は通常15両編成なのだが、成田線に乗り入れる列車は10両編成なので、やや混んでいる。今度乗るときは、早めに上野に行って、座席を確保しておこう。でないと、日暮里と北千住でどどどっと乗ってきて、本も開けないほどに混んでしまう。
このコースで回っているとき、ちょっとした鉄道パズルを思いついた。どの駅から出発してもよく、一回だけ列車を乗り換えて、往きと同一ではない経路で元の駅に戻ってくるコースを挙げよ。往復のコースが交差したり一部が重複したりしても構わない。その中で最長経路のものは何か。
付帯条件その壱:現行ダイヤで走っている乗車可能な旅客列車に限る。通過する駅で飛び降りたり飛び乗ったりしてはいけない。
付帯条件その弐:新幹線を利用してはいけない(問題がいきなりつまらなくなるから)。
例えば、東京─(中央線)─西国分寺─(武蔵野線・京葉線)─東京なんてコースがある。西国分寺駅ではJR中央線とJR武蔵野線とが立体交差で直交していて、両方の路線に東京行が来るのでややこしい。しかも赤い電車だし。乗り間違える人、いないのだろうか。
条件を満たしていながら、なんだかいんちきっぽい答えというのがある。
堕落した回答、その壱:山手線や都営大江戸線や大阪環状線など、もともと乗り換えなくても一周できるコースの途中でわざわざ乗り換える。
堕落した回答、その弐:バイパス路線を利用する。
大垣─(東海道本線)─関ヶ原─(垂井経由)─大垣
岡谷─(みどり湖経由)─塩尻─(辰野経由)─岡谷
堕落した回答、その参:競合する二路線を利用する。
新宿─(湘南新宿ライン)─小田原─(小田急線)─新宿
新宿─(中央線)─高尾─(京王線)─新宿
池袋─(埼京線)─川越─(東武東上線)─池袋
まっとうな答えとしては、下記のようなのがある。
千葉─(外房線)─安房鴨川─(内房線)─千葉
千葉─(総武線・成田線)─銚子─(総武線)─千葉
東京─(京葉線・東金線)─成東─(総武線)─東京
博多─(鹿児島本線・久大本線)─大分─(日豊本線)─博多
今と違って長距離夜行列車がいっぱい走っていた昔のダイヤだと、東京─青森間や東京─西鹿児島間でコースの異なる夜行列車を利用するという手があった。今、北斗星もカシオペアも往復とも青森駅を通過してしまうので、惜しいところでこの手が使えない。
結局、現行ダイヤの下での最長コースはどこなんだろう?
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
< http://www.growhair-jk.com/
>
展示会の告知です。人形と写真のグループ展を開きます。4人の人形作家さんたちは、人形教室「アトリエ果樹園」で人形作家清水真理氏に師事している方々です。
『記憶 〜 5人の標本技師の obsession 〜』
会期:10月10日(木)〜15日(火)12:00〜19:00(最終日〜17:00)
会場:西荻窪 Gallery MADO
人形制作:はてなぐみ・ヒムカコノエ・Marie・今井亜樹
写真撮影:GrowHair
< http://www7.ocn.ne.jp/%7Emado3/schedule.html
>
この展示は、小川洋子氏の小説『薬指の標本』からヒントを得ています。時間の経過による変化・劣化・風化に抗い、いまある状態でストップさせておくことが何よりも大事な記念のモノの数々。それがもし風化したら自分の心まで一緒に風化していきそうな、自分史を刻む大切なあれこれ。崩壊していきそうな自己をかろうじて支える危ういつっかい棒。自己存在と切っても切り離せない究極の標本。
展示用の写真を9月15日(日)に撮影しようという話になっていた。ロケ地として中野の「哲学堂」を押さえてあった。ところが、前々日くらいになって、大型の台風が日本列島を直撃しそうという予報。太平洋から紀伊半島あたりに向かって北西に進んできているのが、くっと右折して本州の背骨に沿って北上していくという進路予想。まさに撮影予定の日に東京を直撃しそう。こりゃ屋外撮影、無理だわ。
さてどうしたもんか。日曜の予定が直前になっても空いているスタジオなんて、おそらくないだろうなぁと思いつつもいちおう探してみると、奇跡的に見つかった。池袋にある「MY-STYLE」。ごく最近オープンしたばかりで、また広く知られていないらしい。
< http://ms-mystyle.com/
>
ウェブサイトから予約フォームを送ったのが撮影の前々日で、予約の確認がとれたのが前日の午後で、それから人形作家さんたちにメールを送り、翌日の撮影の予定を伝える。かなりスリリングな進行。4人の人形作家さんたちはとてもいい人たちで、私は今までにひとかたならずお世話になっている。
ぐみさんは、デザフェスのときに東京ビッグサイトまで早朝から手伝いに来てもらっているし、TBSテレビの「有吉ジャポン」の収録では清水真理さんの人形の撮影のアシスタントとして、私が勝手に「スピリチュアルの森」と呼んでいる山奥の沢まで同行してくれた。さらに、その翌日の VICE MEDIA のドキュメンタリー映像の収録のときには、入間川の河川敷まで同行してくれた。
ヒムカさんは、同じデザフェスのとき、私が足を骨折してしまったためにもう一人設営のお手伝いが必要になり、急遽お願いして、やはり早朝から来てもらっている。初台の画廊喫茶「Zaroff」での個展のときは、私の撮影した写真を壁に展示させていただいた。
Marieさんは、新宿の「ロフトプラスワン」でトークしたとき、聞きにきてくれた。今井さんは、「スピリチュアルの森」のときに来てくれた。いい仲間たちに恵まれて、たいへん幸せな私である。
さて、当日、多少の雨や風はあったものの、なんだか拍子抜けするくらい威力に乏しく、どっかへ逸れたのかなーなんて言ってたけど、実は途中でぐずぐずしていて、まだ来てなかったのである。ともかくもラッキーで、往き帰りに苦労することもなく、無事撮影することができた。
こんな感じのが撮れました。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/Obsession1310
>
展示の開催期間は三連休を含みます。ぜひお越しくださいませ〜。
テレビの出演依頼がきました。関西テレビからです。今のところの予定では、10月13日(日)の深夜に近畿地方限定で放送されることになっています。千原ジュニアさんが総合司会を務める一時間の特番だそうです。私はセーラー服を着て東京の街をうろつくおっさんとして登場する予定です。
収録、順調に進行中です。先日は渋谷でインタビューを受けてきました。インタビュアーはピースの綾部さんというお笑い芸人さんでした。恥ずかしながら収録時点では存じ上げておらず、たいへん失礼をばぶっこいてしまいました。
後でいろんな人に聞いてみると、みんな知ってました。有名なお方だったんですね。活躍中の人に特有のなんか張りのあるオーラを放っているな、とは感じていました。スタジオ収録では千原ジュニアさんにお目にかかれるかもしれず、楽しみです。
残念ながら東京では放送されないようですが、関西方面にお住まいの方、もしご覧になったら感想などお聞かせいただけるとありがたいです。