[3623] 不幸なのはおまえだけじゃない

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《あの熊を自由にしてやってくれ》

■映画と夜と音楽と…[618]
 不幸なのはおまえだけじゃない
 十河 進


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■映画と夜と音楽と…[618]
不幸なのはおまえだけじゃない

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20140124140100.html
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    〈マイライフ・アズ・ア・ドッグ/砂漠でサーモン・フィッシング/
                      アンフィニッシュ・ライフ〉

●大掃除をしていたら映画のスチールが大量に見付かった

年末に大掃除をしていたら、映画のスチールが大量に出てきた。昔の映画ばかりだ。もう30年も前に休刊になった8ミリ専門誌「小型映画」では、双葉十三郎さんの新作映画紹介、佐藤忠男さんの名作映画解説のページがあり、それぞれに映画のスチールを掲載していた。新作映画のスチールは映画会社の宣伝部にいけばもらえたし、名作映画のスチールはフィルムライブラリー(現在の川喜多記念映画財団)で複写してもらっていた。

そのスチールは使用後、各号の資料袋にまとめて保管していたのだけれど、先輩のH女史に頼んで欲しいスチールをもらっていたことがある。佐藤忠男さんは東映の任侠映画をよく取り上げたので、「総長賭博」「三代目襲名」「お竜参上」などのスチールもあった。休刊の一年前には大森一樹監督に連載コラムをお願いしていたが、そこで「冒険者たち」(1967年)を取り上げたときには、迷わず数点のスチールをもらっておいた。

そんなことで、我が家の廊下には額に入れられたスチールが何点か掛かっている。その他のものは封筒に入れて、引き出しの奥にしまっておいたのだ。大掃除の途中だったが、懐かしくなってスチールを一点ずつ見ていった。その中に大量に(といっても10数点だったけれど)ラッセ・ハルストレム監督の「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985年)のスチールがあった。主人公のイングマル少年と「女になりたくない少女」サガが写っている。

このふたりはいくつになったのだろうと、スチールを眺めて思いを馳せた。映画の制作時期から数えると、30年近くが過ぎ去った。イングマルを演じたアントン・グランセリウス少年も、サガを演じたメリンダ・キナマンも40代である。ネットで調べてみると、メリンダ・キナマンは20代半ばの1999年に出演作があったが、アントン・グランセリウスは他の出演作はない。「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」だけで世界中の人々の記憶に残った。悲しみに充ちた笑顔が忘れられない。

「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」が公開されたのは、1988年末のことだった。単館ロードショーだったと記憶している。評判がよく、じわじわと観客を増やした。男の子のような美少女サガも話題になった。「スプートニク」というソ連の人工衛星の名前を久し振りに思い出した。後に村上春樹さんは「スプートニクの恋人」という長編小説を出すが、そのタイトルはこの映画に触発されたのではないかと僕は推察している。

「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」のイングマル少年には、様々な不幸が降りかかる。特別な不幸ではない。誰もが陥るかもしれない不幸だ。母親が病弱で、家族と別れてひとり田舎に預けられる。しかし、それは少年にとって、世界の終わりを感じるほどの不幸であるに違いない。そんなとき、イングマルは「人工衛星に閉じ込められ、地球をまわりながら死んでいったライカ犬より僕はずっとましだ」と言い聞かせる。

ソ連の人工衛星スプートニクが打ち上げられた時代だ。監督のラッセ・ハルストレムの子供時代のことだった。1946年生まれのラッセ・ハルストレム監督は、第二次大戦後のベビーブーマーのひとりである。スウェーデンのストックホルムに生まれ、子供時代は冷戦のさなかだった。子供の頃から、父親の8ミリカメラを使っていたという。「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」には、監督の子供時代の思い出が反映されているのかもしれない。

ラッセ・ハルストレム監督は、不幸を描くと冴える。名作を作る。主人公は市井に生きる普通の人たちだ。彼らは名もない人たちであり、挫折したり、傷ついたりしている。無名だったレオナルド・ディカプリオが出たジョニー・デップ主演の名作「ギルバート・グレイプ」(1993年)、不幸を描く作家ジョン・アーヴィングが自作を脚色した「サイダーハウス・ルール」(1999年)、負け犬の主人公が北の孤島で再生する「シッピング・ニュース」(2001年)などを見ると、主人公たちの(日常的な)不幸が伝わってくる。

それは決して特別なことではなく、自分にも起こり得る不幸なのだと身に沁みる。まるで、「不幸なのは彼(あるいは彼女)だけじゃない」と言っているみたいだ。

●「砂漠でサーモン・フィッシング」は珍しくハッピーな映画

「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」でアカデミー賞にノミネートされたラッセ・ハルストレム監督はハリウッドに赴き、コンスタントに映画を作り続けている。最近では「砂漠でサーモン・フィッシング」(2011年)が公開された。映画評でも評価は高く、茫洋として特にいい男でもないと思うけど人気がある(僕も好きです)ユアン・マクレガー主演だったから、それなりにヒットはしたようだ。浮き世離れしたサーモン研究家の役は、ユアン・マクレガーにぴったりだった。

「砂漠でサーモン・フィッシング」は奇妙な物語で、アラブ地域の政治状況とイギリス政府の思惑、そこに巻き込まれるサーモンのことしか頭にない研究者という構図がユーモアにあふれて描かれた。戯画化されていたが、やり手の政府官僚を演じたクリスティン・スコット・トーマスが相変わらず素晴らしい。以前にイギリス女王ヴィクトリアを演じたエミリー・ブラントもよく、イギリスの俳優の層の厚さを感じさせてくれる。僕は見終わってから監督がラッセ・ハルストレムだと知り、「こんな楽しい映画も撮れるんだ」と少し驚いた。

日本未公開だった「アンフィニッシュ・ライフ」(2005年)をDVDで見つけたとき、ラッセ・ハルストレム監督作品だったので迷わず見ることにした。出演はロバート・レッドフォード、モーガン・フリーマン、ジェニファー・ロペスである。この顔ぶれなのに、日本で劇場公開されなかったのが不思議だ。地味な話ではあったけれど日本人受けする物語だし、レッドフォードの孫役の少女がかわいい。公開されていたら評判になっただろう。

クレジットを見ていてオッと思ったのは、プロデュースに「アラン・ラッド・ジュニア」と出たこと。アラン・ラッドの息子が制作者をやっているのは知っていたが、「まだやっていたのか」という驚きだった。他の制作者に「ケリアン・ラッド」と出たから、「シェーン」ことアラン・ラッドの孫も制作者になったのだろう。制作総指揮には、マーク・ライデルの名前もあった。ヘンリー・フォンダにアカデミー主演男優賞を穫らせた「黄昏」(1981年)の監督である。

冒頭はアップ中心で描かれるから、ずいぶんと思わせぶりだ。ストーリーの謎を提出し観客の興味を引くやり方は一般的だが、こんな風に描き方(観客に情報を見せない)で興味を喚起させるやり方もあるのだなと改めて認識した。大きな熊が森をのし歩く。牧場でレッドフォードが乳搾りをしている。レッドフォードが傷だらけの黒い肌に薬をすりこむ。フェードアウトし、ジェニファー・ロペスの横顔のアップになる。男が「殴って悪かった」と謝る声がフレームの外から聞こえる。ミステリアスな始まりだ。

女が返事をしないので、男はテーブルを蹴って席を立つ。少女が「今度殴られたら出ていくと言った」と厳しい顔で母親に迫る。「プロミスト」と何度も言う。「約束したじゃない」というニュアンスだろうか。10歳前後の少女だが、自分の意志を持つしっかり者だとわかる。男への未練を断ち切れない母親に決断を迫り、ジェニファー・ロペスは娘を連れて家を出る。ワイオミングへいくと聞いた娘が「なぜ?」と言うと、「あなたのおじいちゃんがいる」と答える。ここで初めてレッドフォードとの関係がわかる。

●年老いたロバート・レッドフォードが素敵な映画だ

ロバート・レッドフォードは70歳になろうとする年齢だが、相変わらずいい男である。その彼が息子の死から立ち直れない父親アイナー役を演じている。息子はまだ20歳を少し過ぎたばかりだった。ロデオで優勝する自慢の息子だった。ジェニファー・ロペス演じる若い妻ジーンとふたりで出かけ、妻の運転する車が事故を起こし死んでしまったのだ。彼は嘆き、酒浸りになり、妻も出ていった。残ったのは仕事仲間であり親友のミッチ(モーガン・フリーマン)だけである。

一年前、ミッチは牧場の子牛を襲った熊に出会い、ひどい傷を負った。顔の片側は腫れ、傷跡が残ったままだ。歩くのも不自由し、毎朝、アイナーに痛み止めのモルヒネを注射してもらっている。ミッチが熊に襲われたとき、アイナーは泥酔していて助けられなかった。以来、禁酒しているが、ミッチへの負い目を感じている。ミッチの世話をし、10年以上前に死んだ息子の墓に話しかける日々を送っている。彼は、不幸という名の井戸の底に身を潜めている。

息子の嫁が帰ってくる。「何しにきた」と冷たく訊くアイナーに、「私だってきたくてきたわけじゃない。お金を貯めたら出ていくから一ヶ月だけおいてほしい」とジーンが懇願する。娘のグリフを「あなたの孫よ」と言う。孫がいたことを知らなかったアイナーだが、「女の子らしくない名前だ」と不機嫌につぶやく。孫がいたうれしさなどは見せない。アイナーは、ジーンが息子を殺したと思っている。ミッチが「誰の責任でもないから、事故と言うんだ」と言っても聞き入れない。

モーガン・フリーマンは、その落ち着いた深いバリトンの声を聞くだけでも素晴らしく、醜い傷のメイクをしていても思慮深い哲人の顔である。ミッチのような役は、ハマリ役過ぎて演技とは思えない。ミッチはアイナーに「そんなに不機嫌だと孫に嫌われるぞ」とことある度に忠告するが、息子の死を諦めきれないアイナーの心は溶けない。孫娘にどう対していいのか、戸惑っている気持ちもある。彼は息子しか持ったことがない。息子に教えることはいっぱいあったが、女の子のことはわからない。

しかし、彼は不器用におずおずと孫娘に和解の手を差し出す。古いピックアップトラックの修理を手伝わせ、運転を教え、馬に乗せる。「おじいちゃん、いつも不機嫌ね」と母親にこぼしていた少女も祖父に慣れていく。祖父と孫娘だ。それも最愛の息子がこの世に遺した一粒種である。アイナーの堅く閉ざされた心が、少しずつ開き始める。だが、居眠り運転をして事故を起こし、息子を死なせてしまった嫁は赦すことはできない。ある夜、ふたりは衝突し、ジーンはグリフを連れて出ていく。

●不幸なのは自分だけじゃないと理解すると人を赦せる

「アンフィニッシュ・ライフ」の大きなテーマは「赦し」である。それが象徴的に描かれるのが、ミッチと熊のエピソードだ。ミッチは熊に襲われて大けがをし、人の助けがなければ歩けない。体中に熊の爪痕が残り、顔も醜い傷が消えない。毎日、痛みに襲われる。その熊が捕らわれ、町の動物園で見せものにされる。餌を食べないと聞くと、ミッチはアイナーに「何か食べさせてやってくれ」と言う。やがて、自分でも対面したくなり、アイナーに檻の前まで連れていってもらう。

自分を殺しそうになった熊と対面し、その夜、ミッチは「あの熊を自由にしてやってくれ」とアイナーに頼む。「食事の途中に邪魔をされ、怒るのは当然だった」とミッチは言う。彼は、すべてを赦す。そのミッチと熊のエピソードが、息子が死んだ事故を起こした嫁を赦せないアイナーと重なる。アイナーは出ていった妻も赦せず、突然、帰ってきた嫁も赦せない。その嫁を追ってきたDV男も赦せず、嫁に惚れた保安官も赦せない。そんなアイナーにミッチは言う。

──不幸なのは、あんただけじゃない

人は、自分の不幸しかわからない。「人は自分が傷つくのには敏感だが、人を傷つけるのには鈍感だ」という言い方にならえば、「人は自分の不幸は感じるが、人の不幸は想像しない」となる。特に人生の経験を積み重ねていないときは、自分の不幸だけで世界が終わる気になる。絶望が…人生を覆い尽くす。イングマル少年のように「人工衛星に閉じ込められ、地球をまわりながら宇宙に消えていったライカ犬より僕はまし」と考える人はあまりいない。

「人の痛みを知れ」と言うけれど、自分の傷はどんなに小さくても痛いが、人が受けた傷の痛みを実際に感じることはない。どんな場合でも、人の傷は痛くないのだ。実際に大怪我した人を見れば「痛そうだな」と思うが、精神的な傷や不幸は目に見えないだけに共感しにくい。しかし、肉親が死ぬといった不幸を経験すると、同じ経験をした人の不幸を親身に感じられる。人生最大の不幸は、子供に先立たれること。経験した人なら、張り裂けるような気持ちが理解できるだろう。

不幸なのは自分だけじゃない。アイナーは、孫娘のグリフと共に出かけて事故に遭い、ようやくそう理解する。息子を失った不幸に埋没し、心を閉ざしていた自分を客観的に見るようになる。嫁は、夫を事故死させた負い目を抱えて生きてきた。自分が死ねばよかった、と責め続けた。グリフの寝顔を見つめ「お腹に芽生えていたこの子を産むために、生かされたと思うことがある」とつぶやいた嫁を、アイナーは深い心で赦す。そして、心を閉ざしていた不機嫌だった自分自身も赦すのだ。

「不幸なのは自分だけじゃない」と気付いた人間は、人を赦すことができる。「自分だけが、なんでこんなに不幸なのか」と思っている人間は成長しないし、はた迷惑だ。そんな人間は、誰の共感も得られない。同情もされない。むしろ、嫌われる。イングマル少年のように「人工衛星で死んでいったライカ犬より僕はまし」と言い聞かせると共に、「不幸なのは僕だけじゃない」とつぶやくのも大切なことだと、ラッセ・ハルストセム作品を見ると胸に刻まれる。

【そごう・すすむ】sogo1951@gmail.com < http://twitter.com/sogo1951
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詩人の吉野弘さんが亡くなった。87歳。ほぼ僕の父親の年齢だ。高校生の頃から詩集を愛読した。「魂の話をしましょう 魂の話を…」「日々を慰安が吹き荒れる」などのフレーズをいつも口ずさんでいた。好きな詩がいっぱいある。ほとんど諳んじている。労働運動をやっているときには、初期の詩編に力づけられた。尊敬する人がまたいなくなった。

●長編ミステリ三作
(黄色い玩具の鳥/愚者の夜・賢者の朝/太陽が溶けてゆく海)
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編集後記(01/24)

●沢木耕太郎が藤圭子を描いた「流星ひとつ」を読んだ(新潮社、2013)。藤圭子が自死してわずか2か月後の出版である。意地の悪いわたしは、あざといとか、商魂とか、マイナスの違和感を感じながら手に取った。だが、この本がこのタイミングで刊行されたわけをあとがきで知って、悪意を持ってすまなかったと思った。

この作品は30年以上も前に完成し刊行されるはずだったものを、沢木自身が迷い、藤圭子の了解を得て眠らせたままにしておいたものだった。2002年から数年かけてノンフィクション選集(文藝春秋)を出す時に、未刊の作品として収録しようかと考えたが、どうしても藤圭子と連絡がとれずに時間切れとなり、沢木は「流星ひとつ」を永遠に葬る決意をした。

2013年8月22日、藤圭子が死ぬ。沢木には自分の知る藤圭子が、「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげく投身自殺をした女性」という一行で片づけられ、それ以前のすべてを切り捨てられるのがあまりにも忍びなかった。そこで「流星ひとつ」を新潮社の担当に見せて相談する。そして、「宇多田ヒカルさんに読ませてあげたい」という、宇多田とほぼ同年齢の女性担当の言葉に衝撃を受ける。沢木もどこかで同じことを考えていた。

なぜ30年以上前に、できあがった作品を世に出さなかったのか。沢木は作品を読み返したとき、果たしてこれでよかったのだろうかという疑問がわき起ったからだ。歌手を引退し、これから新しい人生を切り拓いていこうとしている28歳の藤圭子にとって、プライベートも多く明かされるこの作品は、邪魔にしかならないのではないか。また、自身のノンフィクションの「方法」のため、藤圭子を利用しただけではないのか。この方法では藤圭子という女性のもっている豊かさを描き切れていないのではないか。そんな疑問を覚えるようになって刊行をとりやめたという。

ノンフィクションを書くとき、沢木がエネルギーとしたのが「方法」に対する強いこだわりだった。「流星ひとつ」はいっさい地の文を混ぜず、会話だけで長編ノンフィクションを書き切るという新しい方法がとられている。時代の歌姫がなぜ歌を捨てるのか。その問いと答えを、彼女の28年間の人生と交錯させながら、インタヴューだけで構成するのだ。インタヴューが行われたのは1979年の秋の一夜で、それ以後も事実の正確さを期すため、また細部にふくらみをもたせるため、さまざまなところでインタヴューを重ねた。

だいじなことは覚えていない。他人事みたいに言う。得意の「別に……」も多く出る。けっこうやりにくい相手に対して、31歳の沢木の話術は自然だ。「たとえばさ、あたしの歌を、怨みの歌だとか、怨歌だとか、いろいろ言ってたけど、あたしにはまるで関係なかったよ。あたしはただ歌っていただけ」「そこに、あなたの思い、みたいなものはこもっていなかった?」「全然、少しも」「何を考えながら歌ってたのかな?」「何も」「何も?」「ただ歌ってた」「何も考えず、何も思わずに?」「うん」。

引退の理由は、ポリープの切除手術をした結果、勝負どころの高音が変わってしまい、もう「藤圭子」はこの世に存在してないと思ったからだという。歌姫の活動は1969年の秋から1979年12月26日まで。その10年間とその前の18年間、あるひとりの女性の姿を、沢木はインタヴューでみごとに描いてみせた。34年間の封印と、あえて今世に出した決断を讃えたい。そして、一時期、沢木を「いい気なもんだ」と感じて敬遠していたことを恥じるのであった。(柴田)

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「流星ひとつ」


●去年の話。ジョギングの帰り道。その日は寝坊してお昼前になってしまったため、大通りにはたくさんの人がいて走ることはもちろん、歩く時に人を追い越すのも一苦労。ひとつ中に入った通りを軽く流すことにした。

オシャレな喫茶店や和菓子のお店などを見つけて楽しい。と、コーヒーの良い香りがしてきた。ちゃんとデザインされたロゴや外観は、上品で地味だったため、香りがしなかったら見逃していたと思う。

あ、コーヒー豆屋さんが出来たんだ、と、入り口に貼られていたA4サイズの紙の開店案内を見ていたら、中から女性がドアを開けて出てきて、どうぞと。その時の彼女の笑顔が素敵で、入りたいと思ったものの、何しろジョギング途中。汗だくの上、もしものコンビニ用にVISAのIDカードを持っているだけで現金はなし。続く。(hammer.mule)