[3652] 暴走老人たちとの一夜

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《生きることは避けられない》

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■映画と夜と音楽と…[624]
暴走老人たちとの一夜

十河 進
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                       〈ミッドナイト・ガイズ〉

●老けてしゃがれ声になったアル・パチーノにしびれた

アル・パチーノは1940年生まれだから、今年、74歳になる。僕が「ずいぶん老けたなあ」と思って見ていた「ゴッドファーザーPARTIII」(1990年)のときは、まだ50にもなっていなかったのだと少し驚く。前年の「シー・オブ・ラブ」(1989年)で四年ぶりにスクリーンに復帰したとき、ずいぶん顔が変わり声もしゃがれてしまったなと思ったが、そんなに老けたという印象はなかった。

「ゴッドファーザーPARTIII」では、明らかに老けメイクをしていたのだ。愛する娘を喪い、老いて父親ビトーと同じように死ぬラストシーンでは相当な年齢に作っていた。「シー・オブ・ラブ」ではベテランの刑事役で、愛した女(エレン・バーキンがいいですね)が連続殺人犯ではないかと疑うサスペンスだった。「シー・オブ・ラブ」のメロディが今でも記憶に残っている。

「シー・オブ・ラブ」まで四年間、アル・パチーノは出演作がなかった。それ以前も、公開当時は失敗作と言われた「スカーフェイス」(1983年)と「レボリューシュン・めぐり逢い」(1985年)に出ただけで、六年間で三本しか出ていない。ハリウッド・スターとしては忘れられそうだった。だから、アル・パチーノはアルコールに耽溺していた生活から、「シー・オブ・ラブ」でカムバックしたのだという話を僕は信じた。

先日、キネマ旬報から出ていたアル・パチーノのインタビュー集を読んで、その間の事情もよくわかった。アルコールの問題はあったようだが、舞台出身のアル・パチーノは映画に出るよりニューヨークで舞台に立つことを選択することが多かったのだ。ニューヨークのサウス・ブロンクス出身で貧しい生活を送り、アクターズ・スタジオで演技を学び舞台で活躍する。映画デビューは、「ナタリーの朝」(1968年)だ。

「ナタリーの朝」については「コンプレックスに生きる」(「映画がなければ生きていけない2003-2006」385頁参照)という回で書いているけれど、僕にとっては高校生のときに見た思い出の映画である。主演のパティ・デュークのファンだったからだ。彼女が生き生きとしているし、それに「ナタリーの朝」以外に彼女の出演作にはめぼしいものがない。

もちろんパティ・デュークと言えば、「奇跡の人」(1962年)のヘレン・ケラー役がある。しかし、あれは「名子役」と言われるが「名女優」とは言われない。僕は「奇跡の人」よりテレビの「パティ・デューク・ショー」を先に見て好きになったのだ。「ナタリーの朝」を気に入っていた僕は、その十数年後、LDが発売になったときに購入した。

その頃には「ゴッドファーザー」(1972年)のマイケル・コルレオーネ役で有名になっていたアル・パチーノのデビュー映画だと知っていたので、僕は「ナタリーの朝」のどこに出ているのか気にしながら見た。ワンシーンだけだった。いや、ワンショットと言ってもいい。パーティーでナタリーに声をかける若い男の役だった。セリフはひとつだけ。後に大スターになるアル・パチーノも数秒のシーンでデビューしたのだ。

●アル・パチーノ初主演作が四十数年気にかかっている

アル・パチーノは「ゴッドファーザー」で、いきなり主役をつかんだのではない。「哀しみの街かど」(1971年)という主演作がある。この映画が日本で公開されたとき、セツ・モードセミナーの長沢節さんが誉めていたのを憶えている。節さんは月刊誌の「装苑」で毎月、映画評を担当していたのだ。当時、カミサン(になる前だったけれど)が「装苑」を買っていたので、僕は欠かさずに節さんの映画評を読んでいた。

節さんも淀川さんなどと同じく同性が好きな人だったと後に知って、「ああ、それで………」と納得した映画評もあった。ピーター・フォンダとウォーレン・オーツ主演の「さすらいのカウボーイ」(1971年)を絶賛していたからだ。「イージー・ライダー」(1969年)の西部劇版みたいな話である。確かによくできた映画だったが、節さんの絶賛ぶりには少し違和感を感じたものだった。

僕は「哀しみの街かど」を見ていないのだが、節さんの映画評で誉められていたのでよく憶えている。それと原題を直訳した「針公園のパニック」という言葉が、なぜか頭にこびりついている。麻薬中毒者の物語である。前述のインタビュー集ではパチーノが相手役の女優キティ・ウィンを誉めていて、やっぱり見なければいけないなという思いを新たにした。四十数年間、見ていないことが気になっている一本なのである。

ということで、僕はTSUTAYAの検索サイトに入り、アル・パチーノを入力した。僕はアル・パチーノの出演作を二十八本見ていたが、見逃しているものもかなりある。評価の高い作品は見ているつもりだったけれど、未見のものもけっこうあった。インタビューを読んで、改めて見ておきたいと思ったものもある。たとえば初期の「ジャスティス」(1979年)だ。この作品では、青年弁護士を演じている。

「クルージング」(1979年)は、当時、映画館で予告編を見て見る気をなくした。若い頃のパチーノには、あまり魅力を感じなかったのだ。ゲイの殺人事件が起こり、主人公の警官がおとり捜査でゲイの世界に潜入する。インタビューを読むと、ゲイたちが抗議デモを行ったらしい。この映画が日本でも公開され、「ハードゲイ」という言葉が広まったと記憶している。エイズという病が存在していない頃だった。

インタビューを読んでよくわかったのは、パチーノ(昔はパシーノと表記した)が舞台を愛し、特にシェイクスピアに傾倒していることだった。シェークスピアのセリフはいくらでも言えるらしい。彼の初監督作「リチャードを探して」(1996年)は大変に面白いドキュメンタリー・ドラマだが、これはシェイクスピアの「リチャード三世」がテーマだ。

その中でパチーノが演じたリチャード三世が素晴らしい。ラストの戦場での「馬をくれ、馬を。我が王国をくれてやる」という有名なセリフも、パチーノが口にすると深遠な言葉に思えてくる。

●老人になったクリストファー・ウォーケンの登場で物語が始まる

なぜ、急にアル・パチーノの今までの作品が気になったのか。昨年暮れに「ミッドナイト・ガイズ」(2012年)を見たからだ。今のところ、アル・パチーノの最新作である。老け方は現実なのだろうけれど、「ゴッドファーザーPARTIII」の頃からあまり変わっていない印象だ。あのだみ声が耳に心地よい。僕は英語は苦手でアメリカ人の話し方が癇に障る(スタローンの間延びしたセリフまわしや黒人俳優のマシンガントークなど)こともある。しかし、パチーノのしゃべり方は好きだ。

「ミッドナイト・ガイズ」は、素晴らしいの一語に尽きる。朝焼けをカンバスに描いている老人ドク(クリストファー・ウォーケン)がいる。一方、刑務所を出る老人ヴァル(アル・パチーノ)が登場する。ふたりのカットが交互に現れ、ヴァルが刑務所を出たところでドクが迎えにきている。「老け込んだな」とヴァルが言い、「君には負ける」とドクが答える。ふたりは抱き合い、再会を喜ぶ。ヴァルは口を割らず、すべての罪をひとりで背負い、二十八年間、刑務所にいたのである。

ふたりはドクの部屋へいくが、「ひどい部屋だ」とヴァルが言う。確かに狭い安アパートだ。質素な独居老人という風情である。ヴァルは自分が口を割らなかったから、ドクは手に入れた金でもっと優雅に暮らしていると思っていたのかもしれない。ヴァルが顔を洗う後ろで、暗い顔をしたドクが拳銃をつかみ逡巡する。そんなドクのためらいをヴァルは見抜いている。ふたりの会話からドクが娘と義絶し、行方のわからなくなった孫がいるのがわかる。

ヴァルが「パーティだ」と騒ぎ、ドクは昔なじみの娼館にヴァルを連れていく。顔を出したのは若い女だ。彼女は彼らが知っていた娼館のマダムの娘である。ここでも、彼らが長い年月を生きてきたことを思い知らされる。娼館でヴァルは若い美女と部屋に消えるが、しばらくすると出てくる。役に立たなかったのだ。ドクはヴァルをつれてドラッグストアへいき、昔のように鍵を開けて忍び込む。ヴァルは精力剤を飲み、ドクは成人病の薬を盗み出す。

老人たちを主人公にすれば、「老い」を笑いのネタにできる。彼らは体力も落ち、セックスもバイアグラの力を借りなければ不可能なのだ。ヴァルは精力剤のおかげで思いを遂げるが、薬の飲み過ぎで倒れ病院に運び込まれる。ほとんど暴走老人である。ヴァルが入った病院の看護士を、ドクが昔の仲間のハーシュ(アラン・アーキン)の娘だと紹介する。ドクは彼女を子どもの頃に「高い高い」をしたと話し、「憶えているわ」の答えに満足そうにうなづく。長い年月が、ここでも強調される。旧友の娘は立派な看護士になった。それが、自分たちの老いを実感させる。

だが、ヴァルは久しぶりの娑婆に大はしゃぎだ。それを沈んだ顔でドクが見つめている。ドクは、ボスからヴァルを殺せと命じられているのだ。ヴァルのせいで自分の息子が死んだとボスは思っている。ヴァルに二十八年のオツトメをさせ、娑婆に出てきたところで殺したいのである。ヴァルはそのことを感づいている。ドクに、「いつまでに殺せと言われている?」と訊き、「翌朝の十時まで」とドクが言うと、「まだ時間はあるな」とほくそ笑む。

ヴァルはやくざな男たちの高級車を盗み、老人ホームにいるハーシュに会いにいく。病身のハーシュだが、古い友だちと会い一緒に深夜の大騒ぎを始める。昔は強奪計画ではドライバー役だったハーシュは、盗んだ高級車で衰えないテクニックを見せ、ヴァルに「腕は落ちていないな」と言わせる。だが、その車のトランクに全裸で手足を縛られ、猿ぐつわをされた若い女が放り込まれていた。彼らは娘を助け、事情を聞く。

●人は生まれ落ちた瞬間から死に向かって生きている

僕はアル・パチーノを四十年前に知り、その後の四十年間を見てきた。また、クリストファー・ウォーケンは「ディア・ハンター」(1978年)で初めて認識し、以来、長く間があいたこともあったけれど様々な映画を見てきた。アラン・アーキンは「暗くなるまで待って」(1967年)に始まり、「愛すれど心さびしく」(1968年)を経て、「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年)で再会した。中学生のときに映画雑誌で「アメリカ上陸作戦」(1966年)の記事を読んだときから数えれば、ほとんど半世紀のつきあいだ。

「ミッドナイト・ガイズ」のドクのアパートに一枚の写真が飾られていた。三人が肩を組んでいる写真だ。一瞬だが、そこには「ゴッドファーザー」のマイケル・コルレオーネを演じた頃のアル・パチーノ、「ディア・ハンター」の青い目が印象的だった繊細なクリストファー・ウォーケン、「愛すれど心さびしく」(心はさびしい狩人)の聾唖青年だったアラン・アーキンがいた。その彼らは、しわの多い顔になり、動きも姿勢も老人そのものになっている。

時は流れる。一度も立ち止まることはない。人は生まれ落ちた瞬間から、死に向かって生きているのだ。どんな人間にも時間は等しく流れる。ただし、与えられる人生の長さは人それぞれだ。どんな環境に生まれるのかもわからない。しかし、人は死によって人生を閉じるまで生き続けなければならない。生きることは避けられないのだ。どんなに苦しく辛くとも、死ねない限り生きていくしかない。ヴァルは二十八年間、刑務所で暮らし、ドクは同じ年月をボスの下で過ごした。

彼らは犯罪者であり、若い頃は人に言えないことばかりしていたに違いない。だが、老人になり、ドクは孫を気遣うよきグランパになり、落ち着いた心境をカンバスに描き出す。彼の描いた朝焼けの絵がオープニングとエンディングに使われるのは、ある意味で人生を悟った男の心境を観客に伝えるためだ。ドクがそんな心境に至ったのは、ヴァルのおかげである。一夜、ヴァルと過ごしたドクは、ずっと心を占めていたある思いをヴァルの手助けによって解放する。

ヴァルは親友がボスの命令に従わざるを得ないことを知っている。それでも、一夜の大騒ぎで二十八年間溜めてきた何かを発散させる。彼は、結局、人間は死んでオシマイだと悟っている。だから死を怖れない。死を怖れない人間は、強い。何より、強い。夜が明け、タイムリミットが近づく中、ヴァルは陽気さを失わない。「残り何時間だ?」と確認し、開いていた教会の告解室に入る。

──私は罪を犯しました。
──すべての罪を告白しなさい。
──それじゃあ、永遠にここから出られない。

神父とのやりとりで笑わせた後、ヴァルは刑務所を出てからの一日に犯した罪だけを告白する。薬局で薬を盗んだ。娼婦と四回やった。高級車を盗んだ。男たちの膝を撃った………。神父が「一日でそんなに?」と絶句する。しかし、真顔になったヴァルは、しみじみとこうつぶやく。

──ただし、ある娘が誇りを取り戻すのを助けた。親友の心の痛みをやわらげてやった。それに何より二十八年間、口を割らなかった。これで、赦してもらえるか?

この告解室のシーンを見て、アル・パチーノのうまさに舌を巻いた。しみじみした情感が漂い始める。テンション高くはしゃぎまわっていたヴァルの心の底の思いを、アル・パチーノはここでしんみりと観客に伝えるのだ。ほんのささいな表情の変化だけで……。彼の演技は、ヴァルの気持ちを観客の心の深いところまで響かせる。だから、この後の展開が納得できるのだ。最近、こんなに気持ちよく映画館を出たことはない。

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編集後記(03/07)

●この半月の間に「海苔弁」を2回食べた。ほっかほか亭の「のり弁当」320円、ではない。妻がこしらえた、ごはん、海苔、かつおぶし、醤油だけの正調海苔弁である。海苔はもちろん二段重ねだ。午後いちにご飯を炊いてささっと作っちゃう。ご飯が冷めた夕食にいただきます。シンプルでじつにうまい。これだけで満足だが、我が家は常におかずが多いから、もう過食でございます。

なぜいま「海苔弁」なのかというと、「ひさしぶりの海苔弁」を読んだからだ。書いたのは「食を愉しみ、食を哲学する」平松洋子。週刊文春連載「この味」の単行本化で、食エッセイの名人芸がつまっている。新幹線で食べる海苔弁のうまさを描いた回を読んだら、矢も盾もたまらず、というわけだ。東京駅の駅弁コーナーで、一個1000円もするKINOKUNIYAのソレ。食べてみたい。

名人芸の例をあげる。「油揚げ賛江」では、いきなり「油揚げは人格者である」ときた。「ずいぶん古いつきあいだが、すごいなあ、えらいなあ、いまだに頭が下がる。ぐちを聞いたことはいっぺんもない。たまには異論のひとつもあるだろうに『ハイわかりました』『ようございます』、つねに律儀そのもので、思わず手を合わせて後ろ姿を拝んでしまう。ただしどっちが前か後ろか、油揚げの場合はちょっとわかりにくいのだけど」。うまいねえ。みごとだなあ。さらに「なのに脇役の顔を崩さず、あくまでも寡黙。志村喬の顔など浮かんでくる(アブラっ気の抜けかげんが極限の近似値)」。うまい。うますぎる。

筆者は「どこのうちにも、自分の家でしか通じない呼び名の料理があるのではないか」という。「なっとーみそ」がわが家(実家)のオリジナルであったと知ったのは10年くらい前だ。ネットでいくら検索しても、わたしがかつて食べていた「なっとーみそ」は出て来ない。母がつくった「なっとーみそ」はまさしくご飯の友で、ほかになんのおかずがなくてもご飯は何杯でも食べられた。しかも数日の保存も利いた。味噌を油で炒めながら納豆を加えて作ると聞いた覚えがあるが、正しいレシピを教わる前に母は逝ってしまった。

「きゅうりをがぶり」はなつかしかった。「夏に挑みかかるつもりで息を荒らし、夢中で一本わしわしと齧ると、こどもにかえる」と筆者は書く。真夏のきゅうりをそのまま齧っていた子供時代を思い出す。どちらかというと貧しかったあの頃、半農半勤め人だったわが家、おやつなんてなかったから、畑のきゅうりやトマト、柿や枇杷や栗などを勝手に食べていた。乾燥芋もつくっていたっけ。だから今もきゅうりはそのままかぶりつきたいし、トマトは青い色が残るかたいやつが好きだ。筆者オリジナルの「パセリの白和え」「パセリのカレー」木綿豆腐と溶き卵とごま油、醤油、みりんでつくる「ぽろぽろ」なる一品、作ってみたい。わがやの復刻版「なっとーみそ」も。(柴田)

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「ひさしぶりの海苔弁」


●「爪」だと生っぽく、「ネイル」だと手入れしているようなイメージがあるのは何故だろう。飛び込みでオフとグラデしてもらってきた。フィニッシュ時には、閉店時間が過ぎてしまった。ごめんなさい。一部が浮いてきたり、親指・人差し指の先が割れたりしたのだ。ジェルしてて割れるって、どういう過酷な現場にいるのだ……。

オフは自分でするのは難しそうだなと知った。薬剤を含ませたコットンを各指にのせ、アルミホイルで包む。お湯を張った容器にビニール袋を置きそこに手を入れて、濡れないように沈ませた上で温める。

薬剤でゆるめた後、スプーンみたいなヘラでゴリゴリ削る。簡単そうなんだが、ゆるむタイミングとか、削る強さの加減がわかるようでわからない。

削ると生爪と元ネイルの部分とで色が変わってしまう。シールを剥がした後みたいな感じ。湿り具合が違う時みたいな。爪はだいぶ元気になっていた。割れてた部分はどれも切れるまで伸びていた。(hammer.mule)