《「写真」なる「怪語」》
■デジクリトーク
「写真」ということば ──「写真」の語源について
笠井 享
■クリエイター手抜きプロジェクト[391]番外編
本の執筆
古籏一浩
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■デジクリトーク
「写真」ということば ──「写真」の語源について
笠井 享
< https://bn.dgcr.com/archives/20140609140200.html
>
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●はじめに
「写真」ということばは、西洋からフォトグラフィ(Photography)が伝来したときに訳されて命名されたと思っている方々が、一般の方々のみならず写真家や評論家などの専門家にも多くいるのだが、それは大きな誤解である。
1990年代後半から「写真」なる言葉が気になりだして、少しずつ調べるようになった。2006〜2008年頃には、ネット上のいくつか投稿欄などに考察を書き連ねたのだが断片的であった。Facebookを始めたのが2011年だったのだが、その時点で、少し整理してノートとして公開した。以下は、その論考とその後の追記である。
●最初のことば ── ダゲリヨティープ
最初のフォトグラフィ=「ダゲレオタイプ」の発明が、1839年(=天保九年:徳川家慶の頃)で、そのわずか10年後の1849年(=嘉永二年:徳川家慶の頃)には、日本に伝来した。長崎経由で薩摩藩(=藩主:島津斉彬の頃)に納品されている。この時この技術は、翻訳することなく『ダゲリヨティープ』とカタカナで記されている文献が残っている。
それよりもはるか前、1700年代半ば、杉田玄白のころには、西洋事情を紹介した書物の中に、『箱の内に硝子の鏡を仕掛け、山水人物をうつし描ける器、かの地にて写真鏡とよべるものあり。』
(カメラ・オブスキューラの紹介:
< http://bonryu.com/atelier_bonryu/PH_Salon_1.4.html
>)
つまり、フォトグラフィが発明される何百年も前から「写真(鏡)」という日本語(というか漢文)は存在していた。実は、写真ということばは、中国の明帝の時代(1300年代〜)の漢書の中に残っているそうで、おそらく言葉そのものは、もっと古く、もしかすると紀元前から中国にて使われていたかもしれない。ここまで戻ると私も専門外で調査する方法さえ知らない。
●「写真」とは似顔絵を意味した
このフォトグラフィ以前の写真とは、(王様や身分の高い)人物の姿をそっくりに描くことを指している。日本でも天皇の写真のことをかつては「御真影」と言ったが、この単語の「真」は人の姿を言い表している。つまり「写真」とは、「真=姿」を「写」したものであり、フォトグラフィ以外でも、水墨画や浮世絵や他の絵図でも肖像画は「写真」だった。
この時代の人物を描いた絵図の裏書きには、「ダレソレの写真」という記載が多々見受けられる。「写真」という言葉は明治時代中期までこの意味でも使われていたようだ。
●いろいろな翻訳
さて、伝来した「ダゲリヨティープ」は、その後10年ほどかけて研究された。日本人自身の手によってまともに写った(=まともに現像処理まで成功した)のは1857年(=安政四年:徳川家定の頃)である。そして、このころは、まだフォトグラフィは写真とは訳されておらず、「印影」「直写影」「留影」「撮景」などの言葉が文献に見受けられる。
1862年(=文久二年:徳川家茂の頃)に、長崎の上野彦馬が肖像写真スタジオをオープンしたが、店舗の看板に「一等写真師:上野彦馬」と表記した。同じ時期、江戸の勘定奉行の川路聖謨が記した文献でも「写真鏡」という単語が登場する。
よって、「フォトグラフィ」は、日本伝来当初から約15年くらいの間に、いろいろな呼ばれ方をしたが、結局、定着した最初の言葉としては「写真」だったのであろう。ただし、上野彦馬がここで「写真師」と自称したのも、肖像フォトグラファーという意味ではなく、(光学・化学的手段を使う)肖像画家というほどの意味だったのかも知れない。
●時代が求めたもの
何しろ、幕末のこの時代、数多くの武士たちが維新の戦争に行った。彼らはこぞって自分の姿をフォトグラフィに残そうとしたにちがいない。多くは下級武士であり、肖像画を描いてもらうほどの録はなかったはずだ。
他の国では、登場したフォトグラフィを宗教や政治のプロパガンダとして活用すること、あるいは、画家やその他の芸術家のツールのひとつとして活用することが主であったが、日本は、維新の最中にあって、少しだけ事情が違ったようだ。
ちなみに、中国ではフォトグラフィは「照片」と訳されている。台湾はここ十数年の期間で、「照片」から「写真」へとフォトグラフィの表記が変化しているそうだ。主として日本文化の、とりわけ若者に人気の日本のタレントの「×××写真集」(×××はタレントの名前)が影響を与えているとのことである。
◎追記 その1
私は、若い頃6年間ほど海外に住んでいた。職業は写真や印刷に関連する業界だったので、周辺には写真家や評論家もいた。
そこではフォトグラフィはフォトグラフィであり、Taking truth(真実を写す)とか、あるいは、もう少し哲学的にTaking essential(本質を写す)というような、日本の写真のような概念でフォトグラフィを語るシーンに一度も出くわしたことはない。
フォト(=光)・グラフィ(=絵図)はフォトグラフィなのであり他意はないのである。ダゲレオタイプの発明の一年後、英国ではタルボットが別の方式の写真を発明したが、彼は、その技術をフォトジェニック・ドローイング(=光的描画とでも訳しておきます)と呼んだ。ここでも「まことを写す」という概念はない。
油絵がオイルペインティングと呼ばれるのと同じ延長に、フォトジェニックドローイングやフォトグラフィということばの展開がある。フォトの代わりにライト(光)を使って、ライトペインティングでもぜんぜん構わないわけだ。
日本でフォトグラフィが写真と呼ばれるようになったのは、不幸なことなのかもしれない。「写真が写すのは真実」などという大それたものではなく、単純な「光学的事象」だけであり、その写っている事象に撮影者が意図を託すのが写真的表現なのである。その状態をもって、真実を写すと解釈するのは飛躍しすぎのはず。そもそも「真実」と「光学的事象」の間の違いについて誰もきっちりと語り、定義していない。
フォトグラフィが写真と呼ばれるのではなく、最初から「光画」とか、「写影」・「写景」とか呼ばれていたら、誰も「まことを写す」などとは考えず、あるいは、縛られずに、光学的事象の描写能力を借りて、撮影者の意図を表現すること、自由奔放に自分が視た世界・光景を表現することだけに集中できたのに〜と思う。
ところで、明治末期から大正中期に、写真と俳句を重合するような表現や方法論が流行った時期がある。俳句は、その五七五の句の裏にたいへん奥行きや広がりのある光景を表現できる。
写真で「真実を写す」というとき、日本人は、写真に俳句的な表現力を期待しているのかもしれない。すなわち、写っているものごとの向こう側にある、写っていないけれども、読み手が写っていると感じることのできることがら、それが真実なんだと〜。
同じ文化、同じ風土、同じ民族、同じ言語、同じ価値観を持つ日本人だからこその写真の見方かもしれない。
◎追記 その2
「真実の真」という意味において「まことを写す」というように写真を解釈し始めたのは、写真批評・写真論が盛んになった大正時代ではないか? と、私は仮説をたてている。この説の探索は芸術史や写真史の研究者のよい研究テーマかもしれない。
「写真」は、そのことばがフォトグラフィのことを指し示すようになったころは、既述のように別の意味でも写真という元祖のことばがあったわけだから、多くの人々にとっては「精密描写似顔絵」という程度の意味合いだったのであろう。
そもそも、フォト+グラフィであるから「照図」とか「光画」と訳されていれば、写真は真を写すという解釈を土台にした、表現範囲の狭い日本の写真の傾向は生まれなかったのかもしれない。それほどまでに、写真ということばは日本写真界にある意味、悪しき影響を与えてきたとも言えそうだ。
欧米のフォトグラフィック表現へのおおらかさや寛大さ、ゼラチンシルバープリントなどを絵画同様に敬ってくれる文化などは、フォトグラフィなることばが、真を写すというような呪縛に捕らわれていないからだと思うのは私だけなのだろうか。
一方で、デジタル写真は? というと、その登場によって、「真を写す」という呪縛から解放するという効果が生まれている。何しろ、ダイアルひとつで、ファンタジックアートやらデイドリーム、ラフモノクロームなどなど、「マコト」の向こう側にある心象光景を写す(いやこの場合は「映す」か?)能力を得たのである。
このへんのこと、すなわち、フォトグラフィとデジタルフォトグラフィの比較表言論については、またのチャンスに論じてみたいものである。
◎追記 その3
「写真」の語源について、その後、文献をあたっていると、下記の写真論の中に、似たような記述があることを発見した。
「日本芸術写真史:浮世絵からデジカメまで」西村智弘著、美学出版、2008年10月発行 ISBN978-4-902078-16-9 3,150円(3,000円+税)
< http://nishimuratomohiro.web.fc2.com/nihongeijutu.html
>
470ページ余の大作。「写真」なる言葉に関する関連ページは各所にある。特に、54ページの記述は、同様のアプローチで私の「写真」ということばへの考察を補完してくださっている部分だ(多少、見解は違うようだが)。
写真前夜からデジカメ登場までの180年余について、かなり深く述べている。技術論や道具論ではなく表現論を基盤にしていて、私の好きな切り口だ。
「写真的思考」飯沢耕太郎著、河出ブックス、2009年発行ISBN978-4-309-62408-2、¥1200
< http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624082/
>
この本では、第二章の第二節で、「『写真』と『フォトグラフィ』」と題してフォトグラフィが日本に伝来したころの、日本語としての呼び名についての考察などは、私が教科書として参照している写真史の各書の同じベースであるが故に、ほぼ同じ展開といなっている。
特にフォトグラフィ渡来以前の「写真」という言葉が当時(江戸時代中期)にどのような意味づけ・位置づけであったかについて司馬江漢(しばこうかん< http://ja.wikipedia.org/wiki/司馬江漢
> )の「西洋画談」を引用して述べているあたりはたいへん興味深い。
◎追記 その4
この考察を私が私的に展開しはじめたのは、1990年代初頭であった。というのも、当時私は玄光社の季刊Mook「SUPER DESIGNING」誌のレギュラーライターであって、その記事中で「デジタル写真」に対比する形で、いわゆる銀塩写真感光材料を使った従来からの写真手法を、「銀塩写真」と呼んで区分けする必要が生じたからだ。
「銀塩」という言葉は、「銀塩写真」と呼ぶ時期より少し早い時代から技術用語として存在しているのだが、「デジタル写真」に対して「銀塩写真」と呼ぶようにしたのは私自身だと自認していて、そこにはそれなりの理由がある。
そのことについては、また別の機会に述べるとして、かくして「デジタル写真」と呼ぶときに「写真」という言葉をこのまま使ってゆくべきなのかどうかを、私なりに考察しはじめ、結果として、そもそもフォトグラフィとは似ても似つかぬ訳語としての「写真」の語源が気になってしまった。
同誌はまもなく休刊したのだが、私自身は「写真」なる「怪語」を調べはじめて今日にいたっている。
【かさいあきら】< bonjour_ia@infoarts.jp >
1990年代にデジタル画像処理の各種解説書などを執筆し、94年に設立したインフォーツ株式会社にて、デジタル写真関連メーカーの製品開発支援/大手印刷需用社内のコンピュータ化/フォトアルバムサービスシステムの開発などのコンサルタント事業を展開して来た。
現在では、一般撮影も積極的にこなしているが、中でも自作品をていねいにインクジェットプリンターを活用して、ファインアートプリントに仕上げる創作活動にウエイトを置いている。
また、つい最近に「笠井アキラのデジタル写真塾」を京都市にて展開しはじめた。現在はテストラン的な活動だが、今秋からはプリントを仕上げて作家的作品作りをめざす、写真家向けの本格的ワークショップなどを計画している。
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■クリエイター手抜きプロジェクト[391]番外編
本の執筆
古籏一浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20140609140100.html
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今回は自動化ネタではなく、本の執筆に関して少し書きたいと思います。さすがに50冊近く本を書けば、いろいろとネタはあります。連載された雑誌なども含めると結構な量になります。ネタもそれなりな量になりますが。
たまに「本を出したいんだけど」「どうやって書くんですか?」といった質問が来ることがあります。回答としてはいつも同じような具合で「書いて出版社に送る(編集者にメールする)」。ツテも何もない場合は、この方法くらいしか思いつかないというのもあります。NHKの連ドラでやっている「花子とアン」でも、書いた原稿を出版社に持ち込んでいます。
・花子とアン
< http://www.nhk.or.jp/hanako/
>
まあ、本を書きたいと言っていても実行に移す人は少なく、メールしてきた中で実際に本まで出した人はひとりだけ。実際のところ、本を出すのが難しいというよりも、書くことが難しいのではないかと思います。
文章を書くと言っても、本の種類によっては一応書いてあればよいというのもあります。リファレンス系の本は、小説のように感情移入するような文章は逆に邪魔です。最低限必要な事を短く書けばそれで十分です。
リファレンス系でなく雑誌の場合は、もっと字数制限がきついこともあります。特にプログラムと図版が含まれると、Twitter並みに少ない字数で説明しないといけません。
さすがに140文字ということはありませんが、300文字以内ということは何度もありました。あとは800文字、次は1500文字といった感じで、とにかく説明に使える文字数は非常に少なくなっています。Twitterで鍛えられている世代には、案外とリファレンス系、プログラム系の本の執筆に向いているかもしれません。
リファレンス系ではなく入門書となると、使える文字数もまったく違ってきます。入門書の場合は文字数の制限はありません。基本的に出版社の意向に沿っていれば、どんな文章/内容でも構いません。小説のような文章でも、ライトノベル風でも、会話だけが長く続くようなものでも構いません。実際に、そのような本は結構存在します。
どんな内容の本であれ、売れないとどうしようもありません。自費出版の場合(Amazon DTPでもいいですけど)は、売れなくても仕方ないか、とあきらめがつくこともありますが、商業ベースだと出しました、売れませんでした、というのは執筆者や出版社にとっては辛いところがあります。
特に出版社の場合、売れるか売れないか分からない部分(まあ、博打みたいなものですが)を著者に代わって負担しているので売れないと困ってしまいます。ですので、一定数売れるであろう本の企画が多くなってしまいます。
もし、あらかじめ何らかのデータによって売れる見込みがあると判断できれば、執筆者、出版社とも楽です。特に新しい系統のものであれば、確実に売れるという保証があれば、安心して出版できます。
ブームに乗るのが一番簡単なのですが、そうでない場合は何らかのデータがあると助かることは間違いありません。紀伊国屋書店など大手の書店の販売データは出版社にも渡されます。もちろん、何の本がどのくらい売れたかといった程度です。これから出そうという未知のジャンルに対しては、あまり効果はありません。
それでは、出版してみるまでどのくらい売れるのか判断するデータはないのでしょうか。書く側としても、新しい系統の本を出す場合に出版社・編集者を説得する材料がないと企画が通りません。編集者もよいと思っても、企画を通すことが難しくなってしまいます。1990年代には、情熱で押し通して出版した本もありましたが、2014年ともなれば情熱だけでは無理があります。
そこで、裏で密かに統計データをとり、その集計結果で判断するようにしています。月間訪問者数が一定数を超えているならば、商業ベースの出版が可能だろうという判断です。残念ながら、その数は極秘事項となっており公開することはできません。(←タイムスクープハンターのパクリです。すみません)
・タイムスクープハンター
< http://www.nhk.or.jp/timescoop/
>
ということで、何とか出版したのが、先週発売したD3.js本です。
●データビジュアライゼーションのためのD3.js徹底入門
Webで魅せるグラフ&チャートの作り方
< http://www.amazon.co.jp/dp/4797368861
>
執筆時の統計データ的には、まあ何とか商業ベースに乗るギリギリのラインといったところでした。ギリギリなので、とにかく宣伝しないことには売れないのが明白です。ということで、ここまで長々と書きましたが今回はこの本の宣伝のための文章だったわけです。
ということで、この本に関しては、まだネタがあるので気が向いたら次回も書きます。
【古籏一浩】openspc@alpha.ocn.ne.jp
< http://www.openspc2.org/
>
統計データ数的には問題なくても、競合が多かったり、タイミングが合わずに出版までいきつかないこともあります。例えば、先週から急激に増えたのがGoogleが出したChromecast。でも、こういうのは,あっという間に本が出たりします。特にコンピュータ系は一日で状況が変わってしまいますので、じっくり書くなら小説の方がよいのかもしれません。
・Chromecast
< http://www.google.com/intl/ja_ALL/chrome/devices/chromecast/
>
・Chromecast (クロムキャスト) 使い方辞典
< http://www.openspc2.org/reibun/Chromecast/
>
・データビジュアライゼーションのためのD3.js徹底入門
< http://www.amazon.co.jp/dp/4797368861
>
・D3.js例文辞典
< http://www.openspc2.org/reibun/D3.js/
>
・ExtendScript Toolkit(ESTK)基本編
< http://www.amazon.co.jp/dp/B00JUBQKKY/
>
・ExtendScript Toolkit(ESTK)基本編(紙バージョン)
< http://www.amazon.co.jp/dp/4844396137/
>
・ExtendScript Toolkit(ESTK)基本編(iBooks)
< https://itunes.apple.com/jp/book/extendscript-toolkit-estk/id868057300
>
・4K/ハイビジョン映像素材集
< http://www.openspc2.org/HDTV/
>
・JavaScript逆引きハンドブック
< http://www.amazon.co.jp/dp/4863541082
>
・Adobe CS2〜CS6,CC JavaScriptリファレンス&ライブラリ
< http://www.openspc2.org/reibun/AdobeJS/index.html
>
・Adobe JavaScriptリファレンス
< http://www.amazon.co.jp/dp/4844395955
>
・Nexus 7(アンドロイドタブレット)使い方辞典
< http://www.openspc2.org/reibun/Android/Nexus7/
>
・クリエイター手抜きプロジェクト
< http://www.openspc2.org/projectX/
>
・Adobe Illustrator CS3 + JavaScript 自動化サンプル集
< https://www.ddc.co.jp/estore/cgi/item/start.cgi?m=DetailViewer&record_id=243
>
吉田印刷所の「印刷の泉」でも購入できるようになりました。
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編集後記(06/09)
●嵐山光三郎の本つながりで、亀和田武「夢でまた逢えたら」を読む(光文社、2013)。2011年から「小説宝石」に連載されたものを一部割愛、加筆・修正したものだ。「私のほうは鮮明に覚えているのだが、相手は恐らくきれいさっぱり忘れているかもしれない。そんな人たちにまつわる記憶」を書いている。自分史であり各界有名人のゴシップ集でもある。亀和田ら「小説宝石」連載陣は「文壇避難民にしてゴロツキの風格」と嵐山に高評価されている。筆者のことは、自販機ポルノのアリス出版を設立したという人、という他は知らない。
亀和田は作家だが、あしかけ15年もテレビに出ていたすれっからしだから、じつに多くの人脈がある。ただし、ジャズなどの音楽系やテレビ番組のことは、わたしにはよくわからない。売れっ子マンガ家の高信太郎から紹介された、テレビに出る前の寡黙なビートたけしのたたずまいが興味深い。昭和の終りから平成の幼年期にかけてのあのころは、テレビとナンシー関を軸に社会が動いていたような気がするという。ナンシー関は、テレビの中の違和感を一言で簡潔に言い当てていた。「いま思えば、彼女の宣託をゴーマンに消費していた。思想のタダ貰いである。(略)なんとゼイタクな時代だったかと思う」。
意外な話では、堺屋太一がジャパン女子プロレスの熱烈ファンで、後楽園ホールではひんしゅくもんだったという。堺屋と同じく筆者も尾崎魔弓ファンで、印刷史研究者として有名な府川充男もその仲間とは驚き。ファンジン「終着の浜辺」はB5判16ページのワープロ・コピー誌で、府川の編集制作である。わたしも世話人だった「日本語の文字と組版を考える会」のセミナーで、組版関連の講師を何度も務めてくれた学者さんが、女子プロレスに夢中とは知らなんだ。テレビ局にはいかにもジゴロを絵に描いたような、濃い顔のバイト大学生ADがいたという話。六本木界隈のディスコでも名の知られた黒服だという。現在、日本維新の会の松野頼久である。なんかありそうな顔だと思っていたよ。
立川談志と手塚治虫は親密だったという。家元はどれだけ手塚を尊敬しているか、純情丸出しで語っている。家元は77年の参院選にも出馬の意思があったが、手塚から「アナタの貴重なその才能を、お願いですから政治なんかに費やさないでくれ」と懇願されて「政治はやめます」といわざるをえなかったそうだ。並々ならぬ上昇志向とスットコドッコイなコメントでズレにズレまくったキャスター蓮舫、10歳上のかっこいいオネーサン佐野洋子、激しいバッシングをうけた裕木奈江の魔力など、やっぱりゴシップは面白い。軽装版で240ページ、貧弱な装幀、いまどきの本は高いから1200円くらいかと思ったら1600円+税、とても買う勇気はない。図書館で借りたんだけど。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334977405/dgcrcom-22/
>
亀和田武「夢でまた逢えたら」
●続き。検索をかけるとAppleサイトには、ファイアウォールを切れとか、iTunesを最新にとか、Macの再起動をしろとか書かれてあり、試してみたがダメだった。
誰かのblogに、4005はUSBの問題だとか(なのでケーブルをいくつか替えてみた)、Appleでもお手上げとか、どうしようもないとか書かれてあった。
純正ケーブルを購入して認識できた人、ファイアウォールとウィルス対策ソフトを切った人、何度も試した人はリカバリできていて、元から純正ケーブルだったので、ポートを替えてみたり、ファイアウォールを切ってみたりしたがダメ。続く。(hammer.mule)