Otaku ワールドへようこそ![209]女装の学術研究者たち
── GrowHair ──

投稿:  著者:



一人は東京大学名誉教授、立命館大学客員教授、明治大学客員教授、女子美術大学客員教授、早稲田大学非常勤講師、放送大学非常勤講師。一人は明治大学、都留文科大学、東京経済大学、群馬大学、早稲田大学非常勤講師。一人は筑波大学助教。一人は筑波大学人文学類宗教学コースを去年の春に学類総代として卒業した若者。そしてもう一人は私。正直、ビビっている。

「ニコニコ超会議 2015」に出ることになった。4月25日(土)、26日(日)に幕張メッセで開催される。HALL9〜11の一部に「超まるなげひろば 2015」が設けられ、その一角を「第8回ニコニコ学会βシンポジウム」が占める。2日目の1:00pm〜2:00pm に「現実をハックする異性装」というお題でセッションがあり、5人が登壇する。

一人は原島博氏。1945年生まれ。1995年3月に「日本顔学会」を設立し、2011年12月まで会長を務めている。東大の教授であったが、2009年に定年で退官し、名誉教授の称号を得ている。

一人は三橋(みつはし)順子氏。1955年生まれ。ペンネームであって、戸籍上の性別は男性。性別越境(トランスジェンダー)の社会・文化史を専門とする研究家。著書に『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年9月)がある。

一人はくとの氏。1977年生まれ。A面で活動するときのペンネームで、B面のときは別の名前がある。筑波大学で宗教学を教える。ニコニコ学会βの運営委員長を務める。

一人はあしやまひろこ氏。1990年生まれ。女装家。筑波大学に在籍時代、学園祭のミスコンで、唯一の男性としてエントリし、並み居る美女たちを退けて優勝している。私とは、去年、知人の紹介で会っている。

「ニコニコ超会議 2015」のサイトの[出演者]のページに私の写真と本名がすでに掲載されている。200組ほどの出演者の中に小林が三人いて、うち一人は『おもいで酒』の小林幸子さんである。
< http://www.chokaigi.jp/
>




●経緯はやはりラーメンまで遡る

去年の12月12日(金)のこの欄に「浅草紅白歌合戦」のことを書いたとき、U子さんと出会うまでの経緯を、2011年の「ラーメンショップ高梨」まで遡って詳しくなぞったが、ニコニコ超会議に至る経緯についてもやはりそこまで遡る。簡単にまとめると次のようなことである。

「30歳以上でセーラー服を着て来店するとラーメン一杯タダ」という企画に乗っかって鶴見のお店に一番乗りで食べに行ったのが私で、三番手が勅使河原由美氏であった。2011年6月11日(土)とその一週間後のことである。

勅使河原氏は放送作家で、その後、担当のテレビ番組にゲリラ出演させてもらうなど、何回かお会いしている。去年、女装家のあしやまひろこ氏を紹介してくれて、10月5日(日)に新宿の居酒屋で三人で会っている。

勅使河原氏の発案で、11月1日(土)に浅草を散歩している。ネット上のメディアに掲載してもらえるあてがあるので、インタビューしたいとのことで。撮影は写真家の岩切等氏にお願いした。

あしやま氏は和装の女装姿で現れた。岩切氏の行きつけのお店「鈴楼」にて、あしやま氏と私が勅使河原氏からインタビューを受けた。それから二人で並んで人力車に乗ったり、仲見世を散歩したり。

道にやや張り出し気味のオープンな飲み屋で飲んで、散会してから岩切氏と二人で飲み足そうと再び鈴楼へ行った。そこでU子さんと偶然出会っている。この出会いが、「浅草紅白歌合戦」につながり「本宮映画劇場」訪問につながっていったのであった。

今回、ニコニコ超会議の話をもらたしてくれたのはあしやま氏である。それも元を正せば勅使河原氏のおかげってことになるわけだが。残念ながら、浅草インタビューの前後、勅使河原氏が体調を崩していたとのことで、結局記事にはならなかった。あしやま氏がネタを拾い上げてくれた。

あしやま氏は同人誌『女装と思想』を発行し、コミケで「テクノコスプレ研究会」というサークル名でブースを構え、展示販売している。去年の冬コミでVol.4とVol.5が新刊として出た。分量が多くなったので二巻に分けたそうだ。

そのVol.5にインタビューの内容を書いている。12ページにわたって詳しく記述されている。岩切氏の撮影による写真も5枚掲載されている。オレ、確かにそう言っているのは間違いないのだけれど、文字に起こしたのをあらためて読んでみると、ずいぶん口が悪いなぁ。

冬コミでは3日目の12月30日(火)、評論系のエリアにブースを構えていたので遊びに行ったら、全号を2冊ずつ献本してくれた。私もブースに入ってしばらくわいわい騒いで通行人の注意を引いたが、最初っから目当てのサークルを決めて回る人が多いので、大して宣伝にならなかったかも。

同人誌だからといってあなどるなかれ。けっこうなビッグネームの面々が寄稿しているのだ。Vol.2ではろくでなし子氏が『「女装」とデコまんについての雑感』と題する文章とイラストを1ページ書いている。

Vol.4では『「男の娘」たち』(河出書房新社、2014年9月) の著者であるフリーライター川本直氏が登場する。あしやま氏との対談10ページに加え、『女装男子は魔法少女の夢を見るか? ─ 女装と同性愛から見た『魔法少女まどか☆マギカ』論』と題する書き下ろしが11ページにわたって掲載されている。

『女装と思想』のVol.1とVol.2とVol.3とVol.5に、くとの氏が登場している。くとの氏はVol.5に掲載されている、あしやま氏と私との対談を読んだようである。

2月中旬になって、あしやま氏からニコニコ超会議登壇を打診するメールが届いた。懇意にしている大学の先生から相談があったとのことで。OKの返事を送ったところ、数日経って、くとの氏からあらためて登壇依頼のメールが届き、お受けすることにしたという次第である。

ニコニコ超会議のウェブサイト上で「第8回ニコニコ学会βシンポジウム」のことが告知されたのは3月27日(金)ごろのようである。ツイッターでエゴサしていて、「ニコニコ学会にまさかのセーラー服おじさん」というつぶやきをその日に見つけたので。

われわれのセッションは次のように記述されている。

現実をハックする異性装

「現実」とはいったい...

女装や男装といった異性装というと、ここのところ世間やニコニコ動画界隈でも注目を集めていますが、そのわりに学術的なアプローチが知られていない印象があります。このセッションでは、ニコニコ学会βならではのアカデミックと野生の研究者の両方が登壇し、異性装について実践者・経験者として語ります。今回その手がかりとして みたいのが、「現実をハックする」ということ。異性装とは様々な「現実」と向き合って自他の心身にはたらきかける営みでもあるのです。そんな異色のテーマにニコニコ学会βらしく迫ってみたいと思います。

< http://www.chokaigi.jp/2015/booth/nico_gakkai8.html
>

近日打合せする予定なので、あしやまさん以外の登壇者にはまだお会いしたことがない。しかし、皆さんすでに公の人であるからして、著書を読んだりネットを検索することで、ある程度の人物像が浮かび上がってくる。

●「東大教授が女装」と新聞報道された原島博氏

人から人へ意思を伝達するのが「コミュニケーション」だが、複数のコンピュータ間でネットワークを通じて情報を通信するのも「コミュニケーション」だ。東京大学名誉教授であらせられる原島博氏のご専門は、両者の意味にわたるコミュニケーションである。

ご自身のウェブサイトで、研究分野について下記のように紹介している。

1964年4月に東京大学に入学して2009年3月に定年で退職するまで、以下のような分野で研究をしてきました。一貫したテーマは『コミュニケーションの基礎を探ること』で、数学的な情報理論から始まり、次第に人のコミュニケーションそのものに関心を持つようになりました。

(1)情報理論・通信理論
(2)信号理論・信号処理・生体モデル
(3)知的コミュニケーション・空間共有コミュニケーション
(4)感性コミュニケーション・情報技術と文化

つまり、数学的な理論を土台にした情報通信の基礎技術あたりがもともとの専門で、基本的にはバリバリ技術系の研究者であるが、後々、興味の対象が広がり、人のコミュニケーションも扱うようになってきたということのようである。性格的にも、面白いことへ積極的に飛び込んで行こうとの指向が強いようである。

原島氏は顔で有名だ。顔を対象とした学術分野を拓こうと 1995年に「日本顔学会」を立ち上げ、2011年まで会長を務めてきた。現在は理事になっている。

情報通信理論に端を発する流れからすると、コンピュータに顔を認識させるための画像処理技術の研究をする学会なのかと思いきや、研究対象はそればかりでなく、骨格、歯並び、筋肉、神経、形成外科、美容整形、眼鏡、心理、芸術等々と多岐にわたる。

従来の枠組みでは不可能だった幅広い研究分野・職業の人々の出会いが「日本顔学会」を通じてもたらされている。

そしてついには女装に目覚めてしまった。......というわけではないらしい。原島氏の女装顛末については、講演会でみずから語っている。

2007年6月23日(土)、財団法人花王芸術・科学財団の主催により、公開シンポジウム「顔と文化」シリーズ第2回『表現される顔』が開催され、4人の講演者が登壇している。

原島氏は基調講演でみずからの女装写真を表示しつつ、次のように述べている。

これは5年ほど前、日本顔学会のシンポジウムで「変身」というテーマを取上げたときのものです。人間変身することによって、何が見えてくるだろう。それを実際に実験してみようと、私がモデルにならされたわけです。

この時は、そこに朝日新聞の記者の方がずっと付いていて、後日それが文化欄の記事になりました。「変身に探る人の関係性、発想転換、柔軟な生き方可能に」。それで、私の変身前、変身後で、ミニスカートを穿いた全身像が掲載されました。あわせて一面の朝日新聞の題字の下に、今日の代表的な記事「東大教授が女装」と。

これで東大にいられなくなると思いましたら、皆「おまえは古いよ」と言われることを警戒して、「いいんじゃないの」「勇気あるよ」とプラスの評価を得ることができ、今もまだ大学におります。

< http://www.kao-foundation.or.jp/about/publish/face02/pdf/01_harashima.pdf
>

「女装によって別の自分を発見したというわけではありませんでしたが」と述べていて、これをきっかけに本格的に目覚めちゃったということにはならなかった模様である。

●異性装の文化史を研究し、性別越境者を社会的存在にと目指す三橋順子氏

三橋順子氏は、大学の教壇に立つときも和装の女装姿というところに筋金入りな感じが漂う。確実に何かを切り拓いてきた人といえる。性別越境者としての「女」である私を社会的な存在に、を目指してきたと述べている。

三橋氏は、日本の文化史という方面から異性装を学術的に研究している。太古の昔より、日本の文化に自然に溶け込んできた異性装の姿が見えてくる。

現代の日本は女装者に寛容であることにおいて、世界でもまれにみる特異な国だという。その寛容さはタイに次いで第2位なのではないかと述べている。

女装者というと、気持ち悪いという反応をする向きも多いのだが、それは明治以降になって上から外からの圧力で民衆に押し付けられた価値観であり、薄っぺらいメッキのようなものらしい。

異性装を服装倒錯と捉え変態性欲の一種として扱うと、おどろおどろしい精神異常の世界という暗いイメージがつきまとうが、こういう捉え方はキリスト教を道徳基盤とする西洋から伝来したものであって、日本古来のものではないという。

また、明治になって日本を戦争に駆り立てようとした政府が「男らしさ」とはこういうもんだというイメージを民衆に植えつけようとしたのではないかという推測もなされている。

『女装と日本人』は三橋氏が人生すべてのエネルギーをつぎ込んで書いたであろう感じが漂ってくる迫力と重み厚みのある著書である。古事記・日本書紀から現代の新宿二丁目界隈の文化にいたるまで、三橋氏の研究してきた女装のすべてが詰め込まれている感じがする。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が女装姿で熊襲(くまそ)を退治した話は古事記と日本書紀の両方に記述されている。

西のほうで暴れていて中央政府の言うことを聞かない熊襲建(たける)兄弟がいるので、行って退治して来いと命を受けたのは、まだ少年だった小碓命(おうすのみこと)である。

小碓命自身、父親に疎まれ、追っ払われる格好であった。強大な軍勢を引き連れて攻めつぶすのではなく、刺客として単身乗り込まなくてはならなかった。

小碓命は思案を巡らし、叔母の倭比売命 (やまとひめのみこと)から衣装一式を譲り受けて敵地に乗り込んだ。新築祝いの宴に女装姿でもぐり込み、熊襲建兄弟の隣の席を確保し、相手が酔っぱらったところで、隠し持っていた剣でぶすっとやった。

弟のほうが、息絶える前に「強いのは分かったからタケルの名前をもらってく
れ」と懇願する。かくして小碓命はヤマトタケルとなる。

これだけだと、女装といっても、敵を油断させて欺くための手段としての女装であって、ぶよぶよしたおっさんが女性用下着を身に着けたおのれの姿を鏡に映してうっふんあっふん言っているアレとは趣きが異なるではないかということになる。

まあ、それはその通りなのだが、日本書紀にちょっと気になる記述がある。宴席で熊襲建は小碓命の姿のよいのを喜び「まさぐった」とある。え? まさぐったりしたらバレちゃうんじゃない?

ここで可能性が三つに分かれる。
(1)なんとかバレずに済んだ
(2)熊襲建はホモっ気があったので、男でよかった
(3)女装した少年が宴席で酌をするのは普通のことであった
三橋氏は(3)を推していて、これがなかなか説得力がある。

古事記にも気になる記述が。剣でぶすっとやったのは、ケツの穴へだったらしい。最後の言葉を言い終わると、瓜を割るように体を真っ二つに引き裂いたとある。これは、「オレのケツの穴にブツをぶち込もうとするやつにはこれをお見舞いしてやる」という報復の意味合いだったのではないかと三橋氏は推測する。いやぁ、歴史っておもしろいね。

室町時代には「ぢしゃ」と呼ばれる女装姿のシャーマンがいたらしい。鼻の下にチョビひげを生やしたおっさんが十二単のようなのを着込んで占う姿が絵に残っている。女人禁制の僧侶の界隈には稚児がいた。近世では歌舞伎において相互の異性装が普通であった。江戸時代には陰間(かげま)を置く陰間茶屋があった。

歴史のいたるところに異性装の風景が普通にあった。性的越境者に寛容な日本社会の特異性の原点はそこにある、と三橋氏は分析している。

時代が現代まで下ったとき、三橋氏はご自身の来歴について語っている。性別違和に苦しんだ青年時代のことなどが述べられている。そうでありながら、これに「性同一障害」という名称を与え、心の病として取り扱うことには反対意見を述べている。

特異なことでもなんでもない、自然なこととして、社会に寛容されることが、一番ラクになれる道なのだと。一方、ケバヤシはちっとも苦しんでいなくて、おちゃらけて遊んでいるほうなので、大きなことは言えないが、その姿勢には大いに共感する。

歴史上、ごく最近になって上塗りされた異性装気持ち悪いの価値観を一度きれいに洗い流し、自然なものとして受け入れる社会に戻ればいいなぁ、と私も思う。その一助となれれば......いや、オレが出てくると話が余計にややこしくなるか。

●ゼロの性を希求するくとの氏

くとの氏は、2011年、あしやま氏がミスコンに出るときに、初音ミクの電飾ウェディングドレスを制作している。『女装と思想』のVol.1にくとの氏が「ゼミから男の子を出すなら優勝させないとね」という動機から制作したと述べているので、あしやま氏のゼミの指導教官だったってことらしい。え? 師弟で女装?

くとの氏の専門は宗教学である。思想の側面から宗教を考えることを旨とする。そこには性に分かたれる以前の「根源」に接近したいという動機もあったようである。C・G・ユングの言うアニマ・アニムス論やM・エリアーデの言う男性性と女性性の統合という思想にどうしようもない魅力を感じていたという。

エリアーデによると、ギリシアなどで古来より、儀礼や祭のときに限定して男女相互で衣装を交換し合う風習があったらしい。それはインド、ペルシア、アジアの農耕儀式においてもみられるという。

これは三橋氏の著書で述べられていた「稚児」の風習に相通じるものがあるように感じられる。京都では今でも稚児行列において女装した男児が参加するという。ハレとケにおける、ハレを象徴づける慣習なのかもしれない。

私は以前、遠野へ行ったとき、河童淵の近くのお寺で、偶然だが、鹿踊り(ししおどり)を見ることができた。踊りの団体がその年の最後の踊りをお寺に奉納するとのことで。大人たちは鹿になっていたが、子供たちは浴衣姿で、どう見ても男女の衣装があべこべであった。2007年9月23日(日)のことである。

10月5日(金)のこの欄でレポートしている。
< https://bn.dgcr.com/archives/20071005140100.html
>

写真はこちら。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Kappa070923/Kappa070923.html
>

本来、異性装の儀礼は日常の俗なる時間・空間を顛倒させて聖なる力を顕現させるものであり、その状況は現実世界において日常となりうるものではない、とくとの氏は述べる。

しかしながら、日常的に異性装で過ごすことができる特別の人たちというのがいて、それがシャーマンであったという。エリアーデによると、「シベリアのシャーマニズムにおいては、シャーマンは象徴的に男女両性を具えもつことができる。彼の衣装は女性の様々なシンボルで飾られ、ある場合にはシャーマンは女の行動を真似ようとする」とある。

これもまた、三橋氏の著書で述べられていた「ぢしゃ」に相通じるものがある。性別を越境することで神秘的な力を授かるというのは、人の精神に宿る、ある種の普遍的な信仰なのかもしれない。

くとの氏ご自身も女装するが、その目的は、性別を中和するためだという。『女装と思想』Vol.2で述べている。「男になんてなりたくなかった。かといって女になりたかったわけでもない。性を持ちたくはなかった」。性別違和、ではなく、性別が存在すること自体への違和である。

「中学生や高校生の頃、周囲が競って男や女になっていこうとすることにどうしても嫌悪感を覚えずにいられなかった」。「私にあったのは、分かたれないままの初源に触れていたい、保っていたいという思いだったのかもしれない」。

現実にはいやおうなく身体も装いも男性側に寄らざるをえない状況にあって、その性別をゼロに戻すための中和剤として女装があるというわけである。いやはや、女装にもいろんな動機がありますな 。

しかし、Vol.5まで来て、目論見が成功していない苦悩が語られている。「今年の秋頃になって異性装の頻度が上がるにつれて、むしろ男性性と女性性の分裂が感じられるようになってきた」と。B面のときはより男っぽくなり、A面のときはより女っぽくなって、両者が反発しあうようになってきているという。これじゃ中和になっていない。

シャーマンでもない者が日常的にやってはいけなかったのかと分析する。くとの氏の初源探しの旅は続く。

●若きインテリ女装のあしやまひろこ氏

あしやまひろこ氏とは三回会っている。いずれも去年のことで、勅使河原氏に紹介してもらったとき、浅草散歩のとき、冬コミ3日目の同人誌販売のときである。

頭の回転が速く、弁舌さわやかで、物識りである。それでいて、物腰やわらかく、親切で、明るくて、ノリがよい。

そうとうモテてもおかしくはないと思うのだが、学生時代はぜんぜんモテなかったらしい。あまりにも女っ気がないもんだから、いっそのこと自分がなっちまおうと女装を始めた、とか、とか。もうこの際だからパートナーも男性でいいや、と思って、近い線までいきかけた、とか、とか。

『女装と思想』ではさまざまな観察・考察が記述されていて非常に面白い。筑波は女装天国なんだとか。地元出身の人があんまりいなくて、ほとんどの人が寮に入っているもんだから、店で飲むのではなく、部屋飲みが多い。

そうすると、その場のノリで、「女装してみる?」「あ、やるやる」みたいになることがよくあり、始めるハードルがやたらと低い。外をうろうろしても、何か言ってくる人はあんまりいなくて、そのまま授業に出てもお咎めがないらしい。

女装する人は、超インテリか普通の会話もまっとうにできないか、両極端らしい。鉄ヲタ(鉄道オタク)、ミリヲタ(ミリタリーオタク)が多いとか。なんとなく、男性的なイメージのある趣味だけど。閉じた自分の世界に耽溺するって意味では共通性があるのかも。

あしやま氏の女装は、中身が男性であることがバレない、「パス度」の高さを身上とする。B面での飲み会などで女装することを言うと、女の子たちがきゃーきゃー面白がって、「写真見たーい」って言うから、ケータイの画面で見せてあげると、しーんと静かになっちゃう。「げ、負けてる」と思うのであろう。

女装するならかわいく、美しく、と指向するので、賞味期限というものを気にしている。いつかはおっさんくさい外見となり、女装が似合わなくなるのではないかと。

賞味期限については三橋氏の著書にも述べられている。江戸時代、陰間茶屋において、陰間としての人気の寿命は長くなかったという。11〜14歳を「蕾める花」、15〜18歳を「盛りの花」、19〜22歳を「散る花」にたとえられている。

「少年のときを陰郎(かげま)と言い、年長(た)けたるを化郎(ばけま)と呼ぶ」などど悪口を言われ、人気が下り坂になっていくという。三橋氏は「うう、耳が痛い」とコメントしている。

一方、私の場合、まったく逆で、ある年齢になったからこそ始めることができた。言わば、化郎の開き直り。ひらひらした格好して外を歩いてもおかしくない女性たちをうらやましがってるくらいなら、やりゃーいーじゃん、と。

かわいさ、美しさを追求してきた路線からこっちへ切り替えるのはおそらく不可能であろうから、あしやま氏も三橋氏と同様に、成熟した美しさを追求する路線へ行くんだろうなぁ。

「女装と全裸は両立するか」という哲学的問いがある。三橋氏の著書にはご自身が温泉に入っているサービスカットが掲載されており、これがどう見ても女性にしか見えない。肯定的な解答を提示している。

まだ若いあしやま氏はこれからどうなっていくか、非常に楽しみである。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
< http://www.growhair-jk.com/
>

福島県の「本宮映画劇場」に行ってきたことを前回レポートした。館主の田村修司氏は、閉館してから50年にわたって黙々とメンテナンスを続け、映画館と機材を生きた状態に保ってきた。

写真家でライターである都築響一氏は田村氏にインタビューして著書『独居老人スタイル』で紹介している。その都築氏にお会いすることができた。

3月21日(土)〜4月24日(金)、恵比寿の画廊「NADiff a/p/a/r/t」で『宮間英次郎 80 歳記念 大展覧会』が催されている。キュレーションするのは畸人研究会と都築氏である。

宮間英次郎氏は、過剰に装飾された巨大な帽子をかぶって横浜界隈をうろうろしているじいさんとして有名である。帽子には、主に拾ってきたというキャラクタグッズなどがごてごてと接着されており、左右の耳から提げた鉢の中では金魚が泳いでいたりする。奇矯な老人だ。

2013年10月13日(日)に放送された関西テレビ『千原ジュニアの更正労働省』に宮間氏は出演している。私も出演している。近所で悪評のダメな人を引っ張り出して、番組をあげて更正させてあげるという主旨で、宮間氏も私も栄えあるダメな人として抜擢されている。収録が別々だったため、お互いに顔を合わせる機会はなかった。

NADiffの展示の初日に、宮間氏とキュレータ2者とのトークショーが催された。U子さんを誘ったら、もともと行くつもりで申し込み済みだという。

U子さん:セーラー服おじさんが明日やって来る情報を都築さん、ナディッフの方にお伝えしたら、帽子おじさんマネジャーさんみなさん、楽しみにしていると連絡ありましたよー。

うわっ、手回しのいいこと。その時点で、私が本宮に行ったことを都築氏はご存知であった。氏の有料メルマガの後記に書いてあった。会わないうちからお互いに接近感が高まっていた。

当日行ったら、皆さんの大歓迎を受け、大盛り上がりだった。宮間氏はテレビ番組で一緒に出たことをちゃんとご存知であった。記念すべき2ショ写真撮影に、都築氏は「神と仏が出会った瞬間」と表現されていた。