[3897] 新しい社会人のみなさんへ

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《オマエたちは猿か》

■Take IT Easy![50]
 新しい社会人のみなさんへ
 若林健一 / kwaka1208

■アナログステージ[134]
 直感的に動く「猿人類」
 べちおサマンサ




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■Take IT Easy![50]
新しい社会人のみなさんへ

若林健一 / kwaka1208
< https://bn.dgcr.com/archives/20150421140200.html
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こんにちは、若林です。今回は、4月になって昇格した若いリーダーや、新しく社会人になった人に向けて、自分の考えるチームの中での行動の仕方についてまとめてみました。

●安易に自分の責任にしない

何か問題があった時、うまくいかなかった時、「自分の責任である」と認める人は、一見ストイックで自分に厳しい人というように見られることがありますが、必ずしもそうではありません。

「私の責任です」というだけで具体的なアクションを取らない人は、単に関係する人たちとのコミュニケーションを避けているだけでしかないのです。

もちろん、きちんと目に見える形で「責任」を取る方もいて、そういう人は本当に「自分に厳しい」と言えます。しかし、「誰かひとりの責任」であることは稀です。

何か問題があった時、関連するメンバーとコミュニケーションを取ることは、「自分ひとりの責任」と結論づけるよりも勇気の必要なことなのです。

他人に対しても、自分に対しても、言うべきことはしっかり言う。それが「責任をとる」「逃げない」ということなんだと思います。

●責任って何?

そもそも「責任」って何なんでしょうか?

辞書で調べると「立場上当然負わなければならない任務や義務」や「自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと」とあります。

私の中での「責任」とは、「一定の結果に対して合意した上で、それを達成できなかった場合にとるべき行動」と考えています。つまり、「責任」は後から負うものではなく、事前に目標を明らかにし、それが達成できなかった場合にとるべき行動であると思います。

事前に何の合意もなく、後づけで「責任」を問うなら、誰もそのリスクを負うことはしないでしょう。組織の中では、達成すべき目標と各人の役割を明確にしておけば、自ずと「責任」は明確になってくるものです。

●ひとつひとつの人間関係を大切に

人生において、尊敬できる信頼できる人がいるということが、その人の人生を豊かにすると感じています。

「人生の師」とでもいうべき存在。私は、18歳で会社に入ってすぐにそういう方に巡り会えていました。もちろん、その時にはその人がそういう存在になるとはわかりません。

「この人が人生の師だったな」と心の底から思えたのは、40歳になる前後だったと思います。

残念ながら、私にとっての「人生の師」は昨年亡くなってしまいましたが、僕の中に残ったものはたくさんあって、それらは僕にとっての宝物です。

出会った時に将来のことなんてわからない、だからこそ一期一会という言葉があるように、ひとつひとつの出会いを大切にしてきちんと向き合って生きて行くことが大切なのです。

●リーダーはチーム全体のことを常に考える

人間、どんなことにもこだわりを持たないといけないと思いますが、リーダーを務める人は個人的なこだわりを捨てて、チームとしてこだわるべき部分を常に考えなければなりません。

それが個人的なこだわりと違っていたとしても、時にはメンバーに任せること、メンバーの考えに沿うことも必要。とても難しく、苦しいことですが、それらがチーム全体の目標にそっているかを考えるのがリーダーの役割なのです。

●議論は客観的に、決定は主観的に

議論の段階では、広い視野で客観的に考えることが大切ですが、いつまでも客観的では何も決まらない。いつまでも議論を続けているわけにはいかないので、いつかは「決め」が必要。その時には主観的に、わがままでいいんですよ。

毎年この時期になると、組織論、リーダー論、フォロワー論が頭をよぎります。自分の中でも完成されたものではないのですが、特に若い方の参考になれば幸いです。

【若林健一 / kwaka1208】 kwaka1208@pote2.net
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■アナログステージ[134]
直感的に動く「猿人類」

べちおサマンサ
< https://bn.dgcr.com/archives/20150421140100.html
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コンニチハ。春の嵐真っ最中、旬のイワシを天ぷらでモグモグの、べちおでございます。今回も、これといってネタを仕込んでおりませんので、サラりと書いて終わりにします。

新人研修は順調にも見えるが、新人くん(ちゃん)たちの、突拍子もない言動に困惑。そういう世代なのか、オイラがオジちゃんに進化してしまったのか、彼らの頭のなかが謎すぎる。

80年代に「新人類」という言葉が巷を賑わせたことがあったが、彼らは「類人猿」ならぬ、「猿人類」ということばしっくりとくる。講習中も「オマエはたちは猿か」と何度も言いそうになったが、プライドを傷つけて、明日から会社に来なくなっても困るので、グッと我慢。

しかし、あまりにも猿っぽいので、「オマエたちは猿か」と言ったら、なぜか喜んでいた。いまの理系は、理屈ではなく、直感で動くタイプなのか。そんなこんなで、今週でオイラの研修当番も今週で終わり。GW明けからは、別の人間へバトンタッチ。

教える側の立場にはいるものの、ある程度の経験値を積んでいる人間が部下ちゃんでくるので、さほど労力を必要とはしないが、約一か月の研修期間、右も左も分からないヒトにモノを教えるということが、こんなにも大変なことだとは予想もせず、オイラ自身も雲っていた視点が晴れたり。

なんだかんだと、オイラも彼らと一緒に新鮮な空気を吸えて、愉しかったです。ドヨドヨしいるからね、この会社。

●そして唐突にスミマセン

急で大変申し訳ないのですが、今回をもって、しばらくデジクリを休載することにしました。というのも、地下進行していた新事業が、ホイホイと起動に乗り始めてしまったため、安定するまでは、そちらに時間を注ぎたいのです。

デジクリ自体も、以前のような「硬派なデジタル物産」ではなく、あれこれと幅広いジャンルで配信するようになってきているので、書き手さんを選ばなければ、オイラが休載で抜けたところで、ネタには困らないはずですし。

といっても、完全に休載するつもりでもなく、雨傘で使ってもらえるようなネタは寄稿していくつもりです。

またいつかの火曜日にお会いするまで、ごきげんよう(^^

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp

NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト。ぶら撮り散歩師。愛機はD90とGRD4。全国寺社巡りで、過去の懺悔道中をしております。
※江戸三十三観音霊場を巡礼中です(2015年4月現在)

○昨年、富岡八幡宮で開催されていた骨董市(フリーマーケット)で、貝合わせになっている、木彫りの不動明王をひと目惚れして購入し、お守りとしてとても大切にしておりました。その木彫りの不動明王さまは、非常に精巧に作られており、色づけもとてもきれいな仕上がり。

こともあろうに、先日の巡礼中に、鞄からご朱印帳を取り出した際に落としてしまったようだ。巡礼(札打ち)のときは、一般的な蛇腹タイプのご朱印帳ではなく、綴じ込みタイプのご朱印帳を解いて使っているので、ちりめんのご朱印入れに仕舞っている。

その日は、いつものスタイル(黒い作務衣に雪駄、頭陀袋)ではなく、ジーンズ姿だったので、鞄が小さめのショルダーバッグをチョイスしたのが失敗だった。大変ショックではあるが、オイラの元を離れ、次の人をお守りするタイミングだったのだと考え、胸がスッキリ。

・無くなったことに気が付いたときのTweetはコチラ(画像あり)
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○ねこあつめ、くりーむさんがまったく来ない。来ないというより、存在すら怪しく思っているのだが、友人やフォロワーさんのところには、チョロチョロと登場している模様。なにがいけないんだ。始めて早々に課金したのが良くなかったのか、もしかして。

○そうか、そうか、来週からGWですね。事故などに気をつけて、楽しいGWをお過ごしください(^^


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編集後記(04/21)

○読者のみなさん、かんだとしあき、神田敏晶、で検索してみてください。デジクリでおなじみの神田さんが、また。

○読者のみなさん、あなたもデジクリに書いてみませんか。〆切のある生活って充実していて楽しいですよ(きっと)

●鈴木大介「老人喰い──高齢者を狙う詐欺の正体」を読んだ(ちくま新書、2015)。裏稼業で生きる若者たちを徹底取材した、なんとも恐ろしい内容だ。「彼ら犯罪者があなたたち高齢者を狙うようになった原因が、あなたたち自身にあると考えたことはありますか?」と筆者。「ありません」とわたし。必死に働いて貯めた(でもないが:わたしの場合)資産が狙われる理由が、なぜ我々高齢者にあるのか。不用心だからか。読み進めると著者による解釈が示されるが、本当にそうなのかと思う。筆者は詐欺の番頭から聞かされた、詐欺の大義名分にかなり肩入れしている感じだが、それは違うだろう。

詐欺のプレイヤー研修システムで示される、詐欺の大義名分──詐欺は立派な「仕事」である。店舗に編入されるプレイヤーは選ばれた人間である。詐欺は犯罪だが「最悪の犯罪」ではない。なぜなら「払える人間から払える金を奪う」商法であり、詐欺被害者が受けるダメージは小さなもので、もっと悪質な合法の商売はたくさんあるからだ。詐欺で高齢者から金を奪うことは犯罪だが、そこには「正義」がある。金を抱え込んで消費しない高齢者は「若い世代の敵」「日本のガン」である。ここで稼ぎ抜くことで、その後の人生が変わる──洗脳以外のなにものでもないが、なかなかうまいアジテーションだ。

この「刷り込み」は、いくら頑張ろうと経済的に報われることがあまりない若者たちの「経済的なルサンチマン」を強く強く賦活する。現代の若者の停滞感、閉塞感、失望や諦観は根強い。必然的に、高齢者を「支えることより奪うこと」を選ぶ者は生まれた。これが老人喰いだ──という。「大きな誤解を解いておきたい。高齢者を狙う犯罪とは、高齢者が弱者だから、そこにつけこむというものではない。圧倒的経済弱者である若者達が、圧倒的経済強者である高齢者に向ける反逆の刃なのだ」と断言する。卑劣な詐欺プレイヤーを正当化するようにも思える論調には、どうもついていけない。筆者も洗脳されたか。

「詐欺に遭う側が愚かだ」という言説がいかに愚かなのかはよく分かった。騙す側が圧倒的に洗練されているのだ。すでに老人喰いは高度に組織化され、徹底的に合理化をとげた「産業」になっている。「階層化社会」がある限り、老人喰いはなくならないと筆者は断言する。昨日の読売に、警視庁は昨年30か所の詐欺アジトを摘発、一網打尽狙う、というナイスな記事があった。警視庁は捜査の重点を拠点摘発に方向を転じ、政府は通信傍受法の対象に特殊詐欺を加える方向で検討を進めている。詐欺グループの壊滅に至ればいいなと思う。読み物として途轍もなく面白いが、高齢者としてはちょっと不愉快。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480068155/dgcrcom-22/
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鈴木大介「老人喰い──高齢者を狙う詐欺の正体」


●べちおさんが!(涙)

住宅ローン続き。新しい先との本契約は借換日の一週間前。それまで一度も担当者さんとは会っていないし、実店舗にも足を運んでいない。電話とメール、郵便のみ。

契約は担当者さん自身ではなく、近隣支店の方が司法書士事務所に来られて、そこで手続き。この時点でも、騙されるんじゃないかって思ったよ。ミナミの帝王とか見ちゃってるし。銀行だとこういう心配しなくていいんだよね......。

でもまぁ、お金を払うわけじゃないし、融資してくれるわけで、借り先は住宅金融支援機構だから大丈夫なんだけど、権利証と印鑑証明書、実印や身分証明書のコピーなんかもあるわけで......。司法書士さんの名前まで検索したよ。

司法書士事務所は偶然にも、知人のオフィスと同じビル。続く。 (hammer.mule)