《人生が変わるほどのアドバイス》
■わが逃走[160]
コミュニケーションの巻。
齋藤 浩
■もじもじトーク[20]
母のデータベースは偉大だった
関口浩之
■わが逃走[160]
コミュニケーションの巻。
齋藤 浩
■もじもじトーク[20]
母のデータベースは偉大だった
関口浩之
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■わが逃走[160]
コミュニケーションの巻。
齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20150528140200.html
>
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去年の今頃だったか、韓国のグラフィックデザイナー、チェ・ビョンロクさんから突然連絡をいただいた。今日本にいるから会いたいという。
メールの文章はとても自然体な日本語だ。タダモノではない感が漂っている。
彼のポスターは国際コンペで何点も入選しているので、もちろん知っていた。オレ好みのシンプルなタイポグラフィを得意とする表現者が現れたなー、感覚に共通するものがありそうだなー。
と思ってはいたのだが、もちろん本人とは面識がない。そんな中、まさかの本人からダイレクトに連絡が来るとは嬉しいやら緊張するやら。
心を落ち着けて返事をした。「是非お会いしましょう。◯月○日の◯時はいかがですか?」
その頃私はぜんぜん仕事がなくてヒマだったのだが、「いつでもいいですよ」だとかっこ悪いのでこんな返事をしたのだ。
そして作りかけのプラモと読みかけの漫画を片付けはじめる。日韓友好のため、体裁を整えねばならん。
◯月○日の◯時、彼はやって来た。
「齋藤先生ですか。チェです。はじめまして」。
イケメンである。ちなみに私は先生なんて柄じゃないが、彼がそう言ってくれたので原文ママ。
漫画とプラモの山を隣の部屋に押し込んだため、一見真っ当なデザイン事務所風に片付いた空間へチェ氏を案内する。
しかし、なんでまたオレに会いに? 会話はそのあたりから始まった。
「私は齋藤先生のポスターに感激してデザイナーになったのです」。
「えーっ、まじすかー??」。
詳しく話すとこうだ。
今から約10年前、日韓デザイナーの交流展『東京・ソウル24時』にて、私は新作ポスターを発表した。
韓国文化に対する敬意を表す意味からハングルをモチーフとし、それらを建築に見立てたもの。ポスターは『東京』と『ソウル』の二点で、会場はソウルの国際交流基金のギャラリーだったと記憶している。
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学生だったチェ氏はこれをとても気に入ってくれたらしく、またハングルを使った表現ということもあり、はじめは韓国人によるデザインだと思ったそうだ。
当時の彼にとってグラフィックデザインという仕事は、進むべき道としての選択肢のひとつでしかなかったそうだが、(多少オーバーに言ってくれてるとは思うが)このポスターが彼の進路を決定づけたとのことである。
これを聞いたときの私の驚きと感動は、どんな言葉を使っても言い表せない。
私のポスターが伝わり、その人の人生に関わり、そしていま、ポスターの目的であった友好の種子が芽となり、葉を開くがごとくグラフィックデザインの世界を広げているのだ。
デザインとは色彩でもなく形状でもない。想いを伝えるための手段である。
デザインが機能し、新たなデザインが生まれ、さらにそのデザインが機能してゆく様を、論理でなく体感できたことは、このうえない幸せなのである。
その後、二人のデザイン談義は会場を近所の超ハイクオリティ居酒屋に移し、なんだかんだで7時間近くにも及んだ。
話題は影響を受けたグラフィックやプロダクト、映画、建築、そしてデザイナーなど。
すると、ある人物が浮かび上がった。なんと我々を繋いだのは、あの佐藤晃一さんだったのだ。
チェ氏は日本への留学をめざして勉強を続け、敬愛するデザーナーである佐藤さんが教授をつとめる多摩美術大学大学院へ見事入学する。いわば佐藤晃一さんの愛弟子だったのだ。
そして私は今から20年ほど前、銀座ガーディアンガーデンで開催されたワークショップにおいて、佐藤さんから人生が変わるほどのアドバイスをいただいている。
その頃コンピュータを使ってデザインすることに対して違和感を抱えていた私は、手描きを導入したCG表現に没入するなど、いかにコンピュータ"らしくない"デザインをするかということに躍起になっていた。
そんな私の仕事の無意味さをひと言で看破、目からウロコを落としてくださったのが佐藤さんだったのだ。
つまり、デザインの本質とは物事を伝えることである。であるなら、手描きだろうがいかにもなCGだろうが、「伝わる」表現をデザイナーは選ぶべきであると。ぐうの音も出ない。まったくもってそのとおりなのである。
佐藤さんのひと言がきっかけとなり、私はシンプルな形態や文字だけでの表現も模索するようになった。
そこで生まれたアイデアこそチェ氏がソウルで出会った"リッタイポ"のシリーズだったのだ。
これは"リッタイポ"シリーズの記念すべき第一作『DESIGN』。1999年発表のポスター。
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その後紆余曲折を経て、前述の『東京』と『ソウル』が誕生する。
これってコミュニケーションだなあ。と思う。
さてこの言葉をひと言で表現すると?
私が最も適当と思うのは、ネイティブアメリカンの教え、自助という概念である。初めて知ったのは、細野晴臣さんのインタビュー記事だった。
つまり、誰もが自分のために努力をしなさい。自分を助けなさい。それは巡り巡って誰かを助けることになりますよ、という考え方。
日本のことわざ"情けは人のためならず"と同義ともいえる。誰かのために犠牲になる必要なんかなくて、みんなが自分のために努力する。それで世界はきちんと繋がってゆくのだ。
以下ご報告。
さて、チェ氏との出会いから一年後。
この度ソウルにて『one letter/一文字』と題した展覧会に参加させていただくこととなりました。チェ・ビョンロクさん、そしてタイポグラフィの大家アン・サムヨルさんとの三人展です。
B1サイズのポスター、一枚に一文字を表現した作品をそれぞれ約十点ずつ、計三十点ほど展示される予定。
畏れ多くも韓国の超一流デザイナーと同じ土俵で、私の『リッタイポ』が展示されるのです。どどどどうしましょ!
私は新作三点とリファイン作品二点、過去の作品を五点、展示させていただく予定です。
会場はルデンローケンカフェ(5, Bukchon-ro 4-gil, Jongno-gu, Seoul, Korea)。6月5日より展示スタートで、会期は未定です(おおらかだね)。
< http://www.menupan.com/restaurant/onepage.asp?acode=D102665
>
オープニングパーティは5日の夕方。
「東京・ソウル間は約2時間」(←YMOの名曲より)。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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■もじもじトーク[20]
母のデータベースは偉大だった
関口浩之
< https://bn.dgcr.com/archives/20150528140100.html
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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。今年の5月は真夏ですねー。でも湿度が高くないので過ごしやすいかな......。。
さて、前回のメルマガ配信の日、おふくろを天国に見送るために帰省中でした。メルマガお休みしようか正直迷ったのですが、そのときに感じていたことを書かせていただきました。
おかげさまで無事おふくろを見送ることができました。母が亡くなってから三週間が経ち、落ち着いてきました。たくさんの方からお気づかいいただきありがとうごさいました。
哀しいことですが、身近な人との別れはいつか必ずやってきます。
こんなときでないと書けないので、葬儀屋さんや住職から教えてもらったことを書きとどめておきたいと思います。
その地域の慣習などにより形式や考え方はまちまちですので、実例のひとつと思って聞いてください。
●突然の別れがあっても......
病院で亡くなった場合、なるべく早めに病院から出されることが多いようです。母は深夜に亡くなったのですが、その4時間後の明け方に葬儀社が手配した寝台車で自宅に戻ったと聞きました。
急な不幸の場合、病院で心の整理をしている余裕がないですね。だけど、故人のためにも家族は立ち止まっているわけにはいかないのです。
医師による死亡告知がされたあと、看護師により医療行為としての死後措置をした後、全身をアルコールまたはお湯で拭いてもらうことが一般的のようです。本来の湯灌の儀と解釈することもあるようです。
病院ではそこまでです。措置室の近くには葬儀社の一覧表が置いてありました。病院にしばらく居られると思っていたのですが、すみやかに自宅に戻るか、葬儀社の霊安室などに移動するが一般的のようです。
病院と提携している(というか出入りしている)葬儀社から「寝台車ご用意しましょうか」「葬儀はお決まりですか?」と声を掛けられるケースも多いようです。
冷静でいられる状況でない中、高額請求してくる葬儀社もあるので注意したほうがよさそうです。
家に戻ると、葬儀社の方が母をドライアイスを使って布団に安置してくれました。お化粧などもすべてやってもらいました。
残された家族が心やすらかになるには時間が掛りますので、自宅に戻ってから二日ぐらい一緒にいる時間があったほうがいいと思いました。心を整理する時間もできると思います。
とはいえ、親戚知人への連絡、葬儀社と打ち合わせなど矢継ぎ早にやることがあり、心を整理する時間はないですが...。
●納棺の儀
納棺の儀は実家の自宅でおこないました。家族・親戚みんなでおくりことばを書いた「おくりたたみ」という厚さ数cmの畳を柩の中に敷いてあげました。
昔の風習である「最後は畳の上で」という故人への思いやりを形にしているようです。
そして、旅支度をしてあげました。
・手に「手甲」(てこう)
・足に「脚絆」(きゃはん)
・さらに「白足袋」と「わらじ」
・頭の上に「網傘」
家族みんなで旅の準備をしてあげました。十字結びで解けないようしっかり結ぶことが大事です。旅の途中で解けないために。
そして、
・頭陀袋(ずだぶくろ)
・頭巾(三角形の白い布)
・生前にお気にだった品々
これらも柩に入れました。三途の川の渡り賃として頭陀袋に小銭も入れました。頭巾は頭につけずに(生前のままの姿のほうが見た目がよい)、頭の周辺に置くのが最近では一般的のようです。
●通夜と葬儀と告別式
お通夜は、本来、故人の霊が極楽浄土に無事に行けるよう住職にお経をあげてもらい、家族で一晩故人を見守る行事だと聞きました。
葬儀および告別式は通常、日中なので仕事の都合上、お通夜のみに参列するケースが増えているようですね。
実家の菩提寺住職からは「形式にこだわらず、残された家族が心おだやかになるためにも、故人に寄り添ってあげることが大切。ずっと起きてる必要はなく(次の日、体が持たない)、柩の近くで一晩一緒にいるだけで心通じますよ」とおっしゃっていたのが心に残りました。
兄と僕は二十畳ぐらいの和部屋(昼間は親族控え室として使用)でおふくろの柩の近くに布団を敷いて一緒に一晩過ごしました。ほとんど寝られなかったけど、別れの心の準備は少しできたと思います。
葬儀と告別式ですが、本来、葬儀が宗教的な行事で、告別式は生前親しかった一般の方々を含めたお別れ会になります。
お別れ会(告別式)といっても、住職がお経あげながら親戚や友人からお焼香してもらうので、告別式も宗教的な儀式に思えてしまいます......。
告別式に続き、初七日法要もとりおこないました。あわただしかったです。
初七日法要の後に出棺の儀になりますが、その前に、最期のお別れの儀式として、お花をみんなで柩に献花しました。この儀式が本当の意味のお別れ会だと思いました。
貴金属類は火葬で残ってしまうので遠慮するよう言われましたので、生前好きだった食べ物、着物や趣味の品などもいっしょに入れました。
これが最期の対面だと思うと哀しくなります......。
そのあと、親族と火葬場に向いました。うちの葬儀社では火葬場でも最期のお別れの対面をさせてもらいました。たくさん泣いたけど、笑顔と感謝の気持ちいっぱいで送り出すことができました。
●初七日から七十七日(四十九日)法要
死後四十九日間は、故人にとって極楽浄土へ旅立つための大切な期間だそうです。
住職が「閻魔大王の最終の裁きがあるので、それまでの旅の道程の間、家族で応援してあげてください」と言ってました。
えっ、生前の行いが良くてもすぐに極楽浄土に行けないの? 亡くなってからも四十九日間修行しないといけないの? 死後七日ごとに極楽浄土に行けるかどうかの裁判があるの? と思ってしまいました。
このような言い伝えがあるのは、残された家族が時間をかけて心おだやかになるための慣習なのだと思いました。
住職から「家族の応援が一番心強いけど、この期間、満中陰(四十九日)までの間、不動明王から薬師如来まで七人の仏様が故人の魂をサポートしてくれてますから安心して応援してください」とのお話もありました。
四十九日法要(お棚上げ)が終わるまでは、「白木位牌」をお骨と一緒に祭壇に飾ります。仮の位牌です。四十九日法要の日に納骨し、弔明けになると「塗位牌」(本位牌)を仏壇に飾ることになります。
東京に戻る際に住職から戒名が書かれ紙のお札をいただきました。住職に聞いたら「親元離れるでしょうから、東京でこのお札を飾ってお水を毎日替えたり好きだった食べ物をお供えして、四十九日まで応援してあげてくださいね」と教えてもらいました。
毎日、東京から母を応援しています! ある意味、楽しい日課であり、生前に言葉にあまりできなかった感謝の気持ちを今伝えているのかもしれません。
三年半前に父が亡くなった時にも同じことをしました。今回、菩提寺住職からいろいろ教えてもらったのがありがたかったです。
住職曰く「形式的なことよりも、故人や残された家族がお互いに感謝して、心やすらかに過ごすことが一番」と言ってました。
●知恵袋がいなくなってしまった
父が亡くなった際、葬儀社に全体を仕切ってもらいましたが、昔ながらの慣習を熟知した母が知恵袋になり、影の葬祭ディレクターをしていました。
そんな知恵袋がいなくなってしまったので、もろもろ一段落したあと、兄と一致した感想は「母は偉大なるデータベースだったね...」ということでした。
母の人脈データベースはとにかくすごかった。遠い親戚を含めれば百人以上の情報が頭の中に入ってました。
また、近所の誰さん家の誰さんが最近子供が生まれたとか、数百人の情報が頭の中に入っているのです。
どうやら、おふくろは仲人を六十組ぐらいしたらしい......! いわゆる、仲人おばさんである。聞いた話ではこんなことだったようです。
・婚期が遅れている人のための駆け込み寺だった。
・写真と経歴書を持参して「いい人いない?」と相談されると、頭の中のデータベースから「この子がいいんじゃない」とインスピレーションが働くらしい。
・お見合いはホテルじゃなくて、我が家の茶の間でおこなう。
・母はモデレーター役として、場を和ませるため、笑いを誘う世間話をする。
・早々に「そろそろ二人で食事かドライブでも行ってくれば〜」と軽い乗りで送り出しちゃう。
・デートから帰ってきたら女性のほうからさりげなくフィードバックもらう。
(年は離れていても女性同士は話しやすいようです)
・深入りせず、マッチングだけして、あとは本人同士に任せる。
・ときどき、女性のほうをフォローアップする。
こんなスタイルだったようです。
結婚式の仲人をするというよりも(どうしてもと頼まれたら時々やっていたらしいが)、マッチング支援するのがライフワークだったようです。
パソコンもなければ台帳もない状態で(写真と名前と経歴書は保管してたと思いますが)、非常に高い成約率だったようです。
●葬儀ディレクターという仕事
三年半前に父が亡くなったときに、親身になって段取りしていただいた葬儀社に今回もお願いしました。
今回の担当者は女性の方で、父のときにはアシスタントをやっていた方でした。名刺には「葬祭ディレクター」と書いてありました!
そうです! 山村美紗サスペンス「赤い霊柩車シリーズ」に出てくる大村崑さんが演じている一級葬祭ディレクターです。
その方に「葬祭ディレクターには一級とか二級とかあるんですか?」と聞いてみたら実際にあるそうです。
その方は遺族に対する心づかいといい、全体のディレクションといい、素晴らしい葬祭ディレクターでした。地域地域のさまざまな慣習もしっかりと理解してました。
田舎かつ農家のお葬式は、何かと古いしきたりを重んじるので、僕ら遺族が困った顔をしていると、それを察して寄り添うようにアドバイスしていただきました。
ここ四年で六十件の葬儀を取り仕切ってきた経験値も凄いですが、約一週間、僕ら遺族に寄り添って相談役になっていただいたことは本当にありがたかったです。
ビジネスとはいえ、なかなかできることではありません。なかには相続争いで遺族が不仲であったり、サスペンス劇場にででくるような事件もあったりしたそうです。
最近は田舎でも遺族の負担が少ない家族葬が増えてきたとか、葬儀はその地域の慣習にしたがう必要があるので、地域密着型でないとうまくいかないと、その方が言ってました。
●6月はイベント月間
ゴールデンウィーク明けにおふくろが亡くなったので、あっという間に過ぎた5月でした。
急なことではあったけれど、こうやって文章に書けるってことは、心もおだやかになってきた証拠だと思います。
6月はいま決まっているセミナーイベントだけでも三つあります。
・MTDDC 東北 6月6日(土)
< http://mtddc2015.mt-tohoku.net/speaker/#speaker06
>
・FontLovers #2 6月12日(金)
< http://fontlovers.connpass.com/event/14866/
>
・WDF 金沢 6月13日(土)
< http://wdf.jp/
>
いまから楽しみです。準備をしっかりやってセミナーにのぞみます!!
それらが終わったあとに、おふくろの四十九日法要で帰省し、もう一度たくさん感謝しておやじのいるお墓に送りとどけてあげようと思います。
次回は「街もじ」のお話を予定しています。
【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
< http://fontplus.jp/
>
1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。
その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。
小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。
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編集後記(05/28)
●死ぬのは怖いけど、人間は生まれたとたん死に向かってスタートするのだから、これはもう仕方がないことだ。できることなら、たいした苦痛なく、じゃあサヨナラと笑って死にたいものだ。死より怖いのが、認知症になった上なかなか死ねないことだ。とんでもない醜態をさらし、周りの人たちに忌避され目をそむけられる中で生き永らえるなんて、考えられる最悪の未来だ。そのとき、認知症のわたしは、常識や世間体や人間関係から離れ、本性むきだしの醜悪な怪物になっているのだろうか。野村進「解放老人 認知症の豊かな体験世界」を読んだ(講談社、2015)。なんだ、この不思議なタイトルは。
認知症はいまや各メディアで頻繁に特集が組まれているが、そこに描かれるのは一片の救いもない認知症のイメージである。重く、暗く、絶望的で、厄介者としての患者像である。筆者が山形県南陽市の「佐藤病院」という精神科病院にある、通称「重度認知症治療病棟」の長期密着取材から得られたものはそうではない。間近で接した重度認知症の人びとは、まったく違っていた。なんと個性的な人びとであろうかと、その圧倒的な存在感に目を見張らされる思いがしたという。もちろん通常では出会えないような、とんでもない言動の老人たちだったが、筆者は粘り強く彼らと向き合い、彼らの世界に分け入っていく。
彼らにはいわゆる"悪知恵"がまるでない。筆者はこう思う。彼らの魂の無垢さが、そんなまねをさせないのだ。言い換えれば、俗世の汚れやら体面やしがらみやらを削ぎ落として純化されつつある魂が、悪知恵を寄せ付けないのだ。「こうしたありようにおいては、われらのいわば"成れの果て"が彼らではなく、逆に、われらの本来あるべき姿こそ彼らではないか。人生を魂の長い旅とするなら、彼らはわれらが将来"ああはなりたくない"とか"あんなふうになったらおしまい"と忌避する者たちでは決してなく、実はその対極にいる旅の案内人、そう、まさしく人生の先達たちなのである」。
そこまで言うかと思うが、なんとなく共感できる。認知症患者の多くが、がんの耐えがたい痛みとも無縁なことは医療関係者の間ではよく知られたことだ。また、認知症患者の末期はたいがい苦痛も死への恐怖もなく、ごくごく穏やかなものであることも専門家の間ではほぼ常識となっている。「認知症は、終末期における適応の一様態と見なすことも可能である」という医師もいる。認知症を新たな可能性を秘めた"救い"という視点から見直せるかもしれない。この本に登場する"百花繚乱"の重度認知症患者たちの言動はじつに興味深い。筆者の考えに共感はするが、本音はまだ「ああはなりたくない」だ。(柴田)
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野村進「解放老人 認知症の豊かな体験世界」
●マラソン続き。タイツはミズノのバイオギアシリーズ「BG-8000」裾ファスナーつき、ロングタイプ。普段の練習ではタイツなしで、本番と直前だけタイツで底上げ。
これを選んだのは、以前ランニングスクールに参加した際、FM802のDJさんが「これがなかったら完走できていない」、店員さんが「薄い筋肉」と話されていたのが頭の中に残っていたため。ワコールの古いCW-Xのタイツは持っているけれど、当たり前だが、やはり新しいものは性能が上がってて良い。
裾ファスナーつきは、走っている間にファスナーが上がってくるというレビューがあって不安になったが、買って正解。走り終わって疲れている時に、脱皮するのは一苦労。ファスナーがあると楽だし、金具を倒すとロックするため上がってこなかった。
あと膝の裏がすれて痛いというレビューもあったので、擦れそうなところは、身体側にワセリンを塗っておいた。そのせいかどうかわからないけれど擦れもなし。
脱線するが、女性はスポーツブラ着用がおすすめ。男性にはニップル。擦れて
血が出る人もいるそうだ。続く。 (hammer.mule)
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BG8000。「動くためのサポートがある。」
< http://www.mizuno.jp/biogear/bg_series/faq.html
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着用ポイント2の時に、手をがばっとタイツの中に入れてぐぐーっと
< http://www.mizuno.co.jp/customer/wear/pdf/biogear_03.pdf
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位置合わせが大切
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手持ちのスポーツブラは全部CW-Xだ。ホールドはもちろん、肩甲骨が動かしやすいタイプがいい。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00ECL3NVQ/dgcrcom-22/
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メンズニップル。「走る前に、貼る。」レビューにはサーファーも。