《私は「メカ蝉」と呼んでいる》
■わが逃走[171]
驚異! 南海の島に謎の生物を見た! の巻
齋藤 浩
■もじもじトーク[31]
「点と丸」について考える
関口浩之
■わが逃走[171]
驚異! 南海の島に謎の生物を見た! の巻
齋藤 浩
■もじもじトーク[31]
「点と丸」について考える
関口浩之
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■わが逃走[171]
驚異! 南海の島に謎の生物を見た! の巻
齋藤 浩
https://bn.dgcr.com/archives/20151126140200.html
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沖縄に行ってきました。
極親しい間柄の年上の女性Aさんとケッコンして、かれこれ15年になります。いわゆる節目というかキリがいいので、ここらで15年ぶりにリゾートホテルにでも宿泊しつつ、遅めの夏休みを堪能しようかねえ。
ということになりまして、某旅行会社にてフリーのツアーを申し込んだのです。奮発して新婚旅行以来の高級リゾートを指定、ただしオプション一切なしのいちばん安いプラン。
ところが何かの手違いで、レンタカーは燃料付き、さらにはホテルのディナーも付くという(ちょっとだけ)豪華バージョンで予約されたことになっていたのです。無論、精算は済んでいたので黙っていた。
というか、予約したのが三か月も前だったので、あれ? そうだったっけ?? という感じだったのですが、帰ってから調べてみるとやはり先方にミスがあったようだ。すまん、トクしちゃった。
後日、沖縄の友人にこのことを話すと、「間違えた人は絶対東京じゃないさー。沖縄さー」と言っていました。
やはり沖縄といえば“てーげー”。てーげーとは真面目といいかげんの中間より、ややいいかげん寄りを意味する島言葉です(オレ的意訳あり)。
さて、柄にもなくそんな豪華リゾートでのバカンスにおいて、メインダイニングのフレンチのナントカいうワインがどーのこーのとか、そういう話は苦手なのでしません。
ちなみにどれくらい豪華かというと、オホホそんなたいしたもんじゃないんですのよ。部屋からの眺めがこちら。あらやだ、ちょっとステキじゃない?

そして、翌日は朝からテラス席でお食事ですの。オホホホ。いやいや、そんな別にねえ。たいしたもんじゃないですよ。

というわけで、ここはひとつ、沖縄北部で遭遇した謎でもなんでもない生き物との出会いを回想しつつ、土産話でも。
●オオシマゼミ

機械音のような鳴き声なので、私は『メカ蝉』と呼んでいる。そう呼んでいるのはオレだけだが。
鳴き声をカタカナで表現すると「ヒャンヒャンヒャン…」「カンカンカン…」という感じで、11月頃に沖縄本島北部でこの音を聞くと「ああ、沖縄ももうすっかり秋だなあ」と思うことにしている。
去年初めて11月以外の沖縄を訪れたのだが、確かにこの蝉は鳴いてなかった!
さて、ちょうど15年前に初めて訪れた際、これが何の音かわからずホテルのフロントの人に聞いてみたのだ(我々には道路工事の機械とか、踏切の警告音みたいに思えた)。
すると、しばらーく考えた後「あ! 蝉の声です」と教えてくれた。
地元の人にとってはごくあたり前の環境音だったらしく、そういう質問は想定外だったのだ。分類としてはツクツクボウシの仲間だそうだ。たしかに前奏の立ち上がり部分、および後奏の終わりっぷりに共通するものを感じる。
●オオゴマダラのサナギ

目立ってしょうがないだろ、と思わず突っ込みたくなるゴールドに輝く絢爛豪華なサナギは、オオゴマダラのものだ。
こんなに派手だと、すぐ天敵に襲われてしまうのではないかと心配してしまうが、実際にそのへんを歩いていてもこの蝶は普通に飛んでるので、とくに苦労しているわけではなさそうだ。
写真は美ら海水族館の隣の植物園『熱帯ドリームセンター』にて撮影。何年か前にも書いたけど、ここのランドスケープデザインは素晴らしい。手入れの行き届いた古代遺跡と表現すべきか、実在するラピュタとでもいうべきか。
とにかく、敷地内をほんの少し歩くだけでも、次から次へと景色が変わり実に楽しい。
ただネーミングがダサく、隣の水族館が有名すぎる影響からか、いつ行っても空いている。そうそう、今回の旅でいちばん驚いたのが中国人観光客の多さだが、ここはまだ知られてないっぽいぞ。
翌日はネイチャーナントカガイドさんに連れられて、初心者向けリバートレッキングなるものに参加してみた。
こういうジャングルみたいなところを沢伝いに歩き、こういうところに行ってきたのだが、


人里からほんの少し入っただけで、ここまでの秘境感を味わえるとはさすが沖縄である。まるでジャングル。さて、そこで遭遇した昆虫がこれ。
●リュウキュウハグロトンボ

沢に沿うようにひらひらと美しく舞う。その動きから蝶の一種かと思ったが、よく見たらトンボだった。そのへんのギャップがなんとも萌えポイント。
黒い羽根とメタリックグリーンに輝くビビッドなボディとのコントラストも、いかにも南国的である。
●ハンミョウ

どこにでもいる虫だが、あらためてこうして見ると美しいものだなあ。仮面ライダー1号のデザインモチーフはバッタだそうだが、こいつはなんともサイボーグ的。
●リュウキュウキノボリトカゲ

ハンミョウが去ったと思ったら、こいつが現れた。わ、かっこいい! コモドドラゴンの小さいやつだ。犬猫の場合は毛並というが、爬虫類の場合はウロコ並というのだろうか。
うん、ウロコ並が美しいな。もしかして、カナヘビより大きな天然モノ四足爬虫類に初めて会ったかも。
彼はモデルとしての意識が高く、カメラを向けている間は微動だにしなかったが、撮影を終えた瞬間脱兎のごとく、いや脱兎の3倍のスピードで密林の中へと消えていった。
●猫

備瀬のフクギ並木近くの駐車場にて。この辺りの集落には古い木造家屋がまだまだたくさん残っており、昔ながらの風景に出会うことができる。こういう場所に猫はよく似合うのだ。
しかし、近隣に巨大ホテルがオープンし、周辺の環境も変わりつつある。USJができるのもこのあたりだという噂。
●犬

備瀬の集落にて。風情を表現したかったのでこれだけモノクロです。首輪をしているから、おそらく飼犬なのだろう。塀の脇でじっとしている。しかし彼の視線の先には誰もいなかった。そういうことが沖縄ではわりと多い。
●ナントカガニ

砂浜を歩いていると、砂と同じ色をした2センチくらいの物体が、さささーっと素早く動いた。カニである。名前は知らない。
それにしても、この迷彩ボディはたいしたものだ。近くに寄っても砂との区別がつかない。単に砂に似た色というわけでなく、半透明の外殻に濃淡のパターンを重ねているようにも見える。
誰がデザインしたんだろうか。スゲエ。敵から身を守るとはこういうことだと、オオゴマダラに教えてやりたい。
●ニセクロナマコ

と思ったら、このニセクロナマコも白い砂の上で目立ちまくっている。ほとんど天敵がいないとのことなので、まあよしとしよう。
いつもなまーっとしている。砂(に付着した有機物)が大好物だそうで、おいしいものに囲まれてシアワセなんだろうな。
ちなみに砂を食べて、砂のウンコをする。こうすることで海がきれいになるのだ。水族館でさわらせてもらいました。やわらかくて、性格もよさそうだ。
飼いたいと思ったこともあるが、そうもいかない。せめてぬいぐるみでもと思ったが、おみやげコーナーにそれらしきものはなかった。残念。
というわけで、11月初旬に夏休みをとるという非常識なことをやってのけました。おかげさまで身も心もリフレッシュ!
年末に向けてがんばりつつも、あーまた沖縄行きたいなー。とぶつくさ言ってしまう齋藤浩でありました〜。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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■もじもじトーク[31]
「点と丸」について考える
関口浩之
https://bn.dgcr.com/archives/20151126140100.html
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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。暖かかったり寒かったり、寒暖の差が激しい11月でしたが、風邪などひいてませんか?
年末年始に向けて風邪はひきたくないですよねー。おたがい体調管理に気をつけていきましょう!
さて、先日、デジクリ編集長の柴田さんから、文字に関する貴重な資料が送られてきました。これです。じゃーん!
http://goo.gl/rHNzBz
この写真を見ただけでは「ただの文字テーマの冊子じゃん」って感じですよね。ところが、この冊子、日本の文字についての貴重な資料になると思われます。
まだ一冊しか読んでないので、今度、11冊全部、じっくり読んでみます。そうだ、せっかくの機会だから、読書感想文のようなノリで皆さんにも情報共有したいと思います。
●「モジカ」って何?
「モジカ」(MOJICA)という季刊誌。発行は「文字デザイン研究会」で、創刊は1995年2月でした。正確に言うと、モジカ創刊準備号が1995年2月発行、モジカ1号が1995年3月発行でした。その後、やや不定期に刊行されて1998年12月発行のモジカ12号までは確認できました。
何号まで発行されたのだろうか…。Google検索してもあまり情報はでてきませんでした。
先日、文字に詳しい人が集まるイベントがあったので、数冊持参したところ、「すごく貴重な資料もってますね!」とか「会社に一式揃っていたけど知らないうちに処分されていた」など、反響がすごかったです。
モジカが創刊された時代背景を振り返ってみました。
Windows95日本語版が発売されたのが1995年11月20日なので、モジカが創刊された時は、まだWindows3.1の時代でした(Windows95が発売されてから、もう20年なんだぁ…。時の流れは早いです。年をとるわけだ…)。
一方、MacintoshはPower Macintoshシリーズが発売され、System 7.5と漢字Talkの時代でした(Mac OSになったのは1997年のMAC OS 8からになります)。
Macintoshによる日本語組版、つまりDTPが日本で普及しはじめたのが1990年代前半だったと記憶しています。DTP黎明期におけるソフトと言えば、アルダス社の「Aldus PageMaker」(のちのAdobe PageMaker)とQuark社の「QuarkXPress」が双璧だったです。
ちなみに、DTP(DeskTop Publishing)という表現はアルダス社の社長ポール・ブレイナードによって生み出された造語のようです。
また、当時の通信回線と言えば、ダイヤルアップ接続でした。当時、僕はパソコン通信をやってました。インターネット幕開け前夜を感じていた頃です。Yahoo! JAPANがスタートしたのが1996年4月1日でした。
そんな時代背景の中、モジカは創刊されたわけです。創刊準備号の「創刊にあたり」の一節を引用します。
デジタルフォントは、活字、写植に次ぐ「第三の波」であることは自明です。好むと好まざるとにかかわらず、我々は、まさにDTP時代の扉を開けてしまいました。とはいえ、ただやみくもに現代を睥睨(へいげい)するのではなく、あせらず、だが着実に歩みを進めなければなりません。本誌はいま、ひたすら使う側・表現する役割の観点から、風化しながらも変化していくこの国の文字や組版について、考えてみたいのです。
とても印象に残った一節でした。これだけ読んでも、この資料がいかに貴重であることがお分かりいただけると思います。
●あたり前のように使っている「句読点」
モジカ1号「点と丸」を読んだ感想を書きたいと思います。
「点と丸」という表紙を見て、最初、小説のタイトルかなぁ〜って思ってしまいました。そうではなくて、句読点のお話でした。
みなさんもあたり前のように使っている句読点ですが、どんな歴史背景があって、どのような法則に基づいて使われるのか、考えたことありますか?
正直いうと僕も考えたことありませんでした。いっしょに考察してみましょう。
江戸幕末期までは「句読点」はないに等しかったようです。江戸時代の木版印刷の書籍や写本を資料館で見たことありますが、句読点を使用した書物は、たしかになかったと思います。
明治時代に入ると、活版印刷が新聞、雑誌、書物などで広く普及しました。とはいえ、明治時代前半においては、句読点が使われることはあまりなかったようです。
明治25年に発行された幸田露伴の『尾花集』が、本格的に句読点が使われた書物と言われています。
http://goo.gl/3qXEJt
この見本をじっくり観察すると、意図をもって組まれていることがよくわかります。
・句点「。」は、ひとつのセンテンスが終了したことを表しています。「文章が終わった」ことを示す働きです。同時に「終わった後の余韻を残す」働きもあります。
・読点「、」は、「語の区切りを明確にする」働きです。同時に「息継ぎ」の働きもあります。
この本は五号活字の4分アキ組みで作成されていますが、じっくり観察すると、読点のあとのアキよりも句点のアキが二倍になっていますよね。
それにより、読点の息継ぎを感じられますし、句点のあとにしっかりとした余韻を感じることができます。
ところで、二行目の「でしたか」のあとには句点がありません。このケースでは、そこで段落が終了しているので、句点がなくてもセンテンスが終了したことが明確なのです。そして、余白がたっぷりあるので余韻を感じられます。
幸田露伴の『尾花集』は明治25年発行ということなので、西暦でいうと1892年になります。100年以上前の組み見本ということになりますね。句読点の本来の目的が明確に表現されたすばらしい組み見本だなぁと感動しました。
ところで、明治時代の活字では、句読点の大きさが漢字かなと比較すると大きめですね。とくに読点は濃いめ(太め)です。当時、句読点の活字はそのような傾向があったようです。
少し観点がかわりますが、現在でも、句読点を使わないケースがいくつかあります。結婚式案内状や年賀状挨拶文では、句読点を使用しない文字組みをすることが多いと思います。
なぜかというと「目上の人にあてた手紙では句読点を使わない」という古い慣習に関連しているようです(現在では、そのような慣習は残っていませんが)。
●文字はホントに奥深いのです
「何を今さらというなかれ。句読点(テン・マル)には印刷文字の原点がある。たかが句読点、されど句読点」ということですね。
皆さんもいろいろなシーンで文章を作成すると思います。読みやすさの観点だけでなく、息継ぎや余韻を感じられる句読点の活用を心掛けたいですね。
この場を借りまして、柴田編集長に感謝申し上げます。実は、モジカという雑誌、知りませんでした。こういう情報が掲載された本が欲しかったんです。詳しいうえにわかりやすい、すばらしい資料です。
20年前に発行された雑誌ですが、組版の正しいお作法は普遍ですね。まだ読んでいない、約物、記号、漢字と構造、文字コード入門など、どんなことが書いてあるか非常に楽しみです。
僕はWebの仕事を20年やっていますが、組版やタイポグラフィについてはまだまだ修行の身です。最近は紙のデザインの勉強する機会がないまま、Webの仕事をしている人も多いと思います。
僕自分も勉強中ですが、みなさんと一緒に文字に関する情報を楽しく共有したいと思っております。仕事でWebのことしか関わっていない方でも、文字の基本を学ぶことは重要です。それにより、日本固有文化である文字(漢字・かな・カナ)を知ることができ、そしてビジネスにも必ず役に立ちます。
そんなことを感じていたこともあり、一年半前に『もじもじトーク』を始めた次第です。
でも、天体や宇宙、カセットテープやオーディオなどの趣味のテーマもたびたび書かせていただいております…(笑) これからももじもじトーク、よろしくお願いします。
参考文献:
モジカ創刊準備号(1995年2月発行)モジカ1号(1995年3月発行)点と丸
【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
http://fontplus.jp/
1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。
その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。
小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。
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編集後記(11/26)
●佐藤愛子「晩鐘」を読んだ(文藝春秋、2014)。92歳の佐藤が88歳から書き続けた、たぶん最後の小説になるだろう。15年間の結婚生活と、その前後を加えて30年近い密接なつきあいを続けた田畑麦彦(作中では畑中辰彦)と佐藤愛子(作中では藤田杉)の愛憎を描いたもので、梅津玄先生(とっくに死んでいる)にあてたひとり語りの手紙パートと、第三者の視点で佐藤自身や同人誌仲間(モデルがいるがわたしには分からない)たちがいかに田畑に翻弄されたかをリアルに、しかしユーモラスに描いた杉と辰彦を描いた小説パートで構成されている。いる。田畑麦彦とはどんな男だったのか、次第に明らかになる。
しかし、佐藤本人にとってはここまで書いても「彼にとってこの私がどういう存在だったのか。彼が私に科した苦闘の歳月、あれは何だったのか、そのことを彼はどう思っていたのか、何も私にはわからないのです」という。読者は、ここに描かれた畑中の行状から、非現実的で鈍な理想をかざす、ちゃらんぽらんで、いいかげんな男だったことがすぐわかる。臆面のなさ、厚かましさ、どこまでも人を甘く見ている。自分で自分を人一倍賢い人間だと自負している。その自負のために反省ということをしない。パチンコや麻雀にうつつを抜かし、借金やら不義理を抱えて平然としている。詐欺師、モンスターである。
「この20年あまりの間に辰彦に舐めさせられた苦汁の数々、しかしそのことについて、わたしは心ゆくまで怒ったり罵ったことがなかったのは、働いて働いて働き続けて怒る隙がなかったからだということに始めて気がついて、そうして更に考えてみれば、彼はその私に対して一言の謝罪も感謝も犒いの言葉もかけなかったことにも始めて気がついて」怒りの火だるまになっても、いわれるままに金を出す。その繰り返し。どうしてそうなんだ、怖い物知らずの放縦な女・佐藤愛子が。そして、何が田畑を支えたのか。やっぱり彼は特別製の「ぼんくら」「コンクリートの塊」だったのだろうか。不可解な二人である。
「しかし畑中辰彦というこの非現実的な男は、書いても書いても、いや、書けば書くほどわからない男なのでした。刀折れ矢尽きた思いの中で、漸く『わからなくてもいい』『不可能だ』という思いに到達しました」とあとがきにある。佐藤愛子といえばストレートな怒りや批評が持ち味のひとつだが、この小説ではそれが現れず、なにごとも「そういうものだ」と肯定し、皆が「かく生きた」と淡々としている。それが円熟というのか。90年生きて到達した境地というのか。面白く読んだが元気は出ない。佐藤愛子の文庫本はいくつも持っているが、やはり大冊の「血脈」がいいな。読み直すべき本がまた増えた。 (柴田)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163901787/dgcrcom-22/
佐藤愛子「晩鐘」
●続き。地図にまったく興味のなかった私が、Ingressでの動向知りたさに、毎日近所の地図を見ている。縮尺を変えてみることだって少なくない。
この地域は行ったことないなぁ、どんなところだろう、いつか行ってみようなどと考える。母が地図を眺めていた理由が少しずつわかりはじめた。
私がIngressで取り合っている一辺3km程度の地域で、自分なりに満足の行く大きさのCFが作れたなと地図で確認して、縮尺を小さくしていくと、小さすぎて見えなくなっていく。なんてチマチマした戦いなんだろう(笑)。
けれどそんな小さな地域の小さな活動を足していくとローカルスコア、それをさらに足して世界スコアが出ている。その世界スコアで優劣が決まり結果になる。チマチマにだって意味があるんだよね。 (hammer.mule)
http://m2college.net/fes4/
まにまにフェスティバル(まにフェス)P4
http://repiquebag.exblog.jp/
案内状。3人展。陶、ジュエリー、革カバン。11/29まで。