[4059] 私を構成する9枚

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《具体的な目標を定めて努力すれば状況は変わっていく》

■挑んで死にたい、ダンボールアーティストとして[17]
 夢をかなえる方法
 いわい ともひさ

■グラフィック薄氷大魔王[462]
 「私を構成する9枚」他、小ネタ集
 吉井 宏




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■挑んで死にたい、ダンボールアーティストとして[17]
夢をかなえる方法

いわい ともひさ
https://bn.dgcr.com/archives/20160203140200.html

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●夢をかなえる方法

「夢をかなえる」とか言うと、なんだか胡散臭い感じがしますよね。

もちろん、なんでもかんでも願いがかなうわけではありません。宝くじで一等を当てたいなど、運任せ、他力本願な夢は無理です。

しかし現実的な設定であれば、努力次第で夢をかなえられます。

近年の私は本当に物事がうまく進んでいると感じていますが、長い人生、ずっとそんな風に思えていたわけではありません。

特に若い頃は、将来の目標も見つけられず腐っていました。人間関係なんてどうでもいいと、投げやりになっていた時期もあります。

ですがここ数年、目標を定めて動くようになってからは、様々なことが好転してきました。運も味方してくれるようになったと感じています。

●具体的な目標を定めて努力すれば状況は変わっていく

夢をかなえるために一番大切なことは、「具体的な目標を定める」ということです。

具体的な目標設定をせずに物事を進めてしまうのは、ゴールを決めずにランニングを続けるようなもので、疲弊してしまいます。

「お金持ちになりたい」ではなく、「10年後に年収1,000万円になる」というように、より具体的に考えます。

現在の年収に満足しておらず、もっと給料を上げたいと考えていても、どれぐらいの年収があれば満足なのかが決まっていなければ、いつまで経っても不満は募るでしょう。

例えば、現在の年収が500万円で「10年後の年収を1,000万円にする」という目標を立てたとします。

現在の会社で頑張っても、10年後に得られる年収は700万円が限界だったとしたら、残る300万円をどうすればよいでしょうか。

不動産投資や投資信託、副業が認められているなら10年後に年収300万円にまで育てられそうなものは何かなど、目標が具体的であればそれを達成するために何をすればよいかが見えてくるので、現実的な解決策を考えやすくなります。

作家になりたいという夢があるなら、作家になるための本を読んだり、作品を書いてコンテストに出したり、出版社のイベントに参加したりと、様々な方法が考えられます。

ゴール(=夢)を具体的に設定できれば、あとはそこにたどり着くために何をすればよいかを考えればいいのです。

そんなことはわかっていると言われるかもしれませんが、実際にそのような目標設定ができていない人の方が多いと感じます。

●最初は仮の目標を定め、走りながら考えた

私は会社員だった2013年の元旦からブログを始め、翌年にテレビ局とディズニーから相次いでダンボールアートの制作依頼をもらい、そのことがきっかけになって独立を決意しました。

ブログは「独立のきっかけにしたい」という思いで始めましたが、何を生業にするのかは、ブログ開始時点では決めきれていませんでした。

しかし、漫然と独立したいと考えていても物事は進まないと考え、ブログを始めました。

なぜブログだったかというと、プロブロガーという人達の存在を知り、ブログの発信力と広告収入に注目したためです。

将来どのような事業で独立するにしても、ブログは個人メディアとして情報発信に活用できます。

芸能人やスポーツ選手のような著名人でもない限り、開設と同時に多くの人達がブログを見てくれることは期待できません。

少しでも多くの人達に存在を知ってもらうためには、少しでも早く始めた方がよいと思い、将来何をするかはブログを書きながら考えることにしたのです。

広告収入は魅力的ではありましたが、より多くの人がブログを見てくれるようになれば自ずと増えると考えて、副産物的にとらえていました。

ブログは会社勤めの傍ら、毎日更新することを目標に掲げました。

毎日ブログを書いていると、だんだんと書くことがなくなってきますが、そんな中、ブログ開始後に始めたダンボールアートが、ネタとしておもしろいと考えてブログに書きました。

プロブロガーの友達がとても面白がり、これをブログの個性にするとよいという助言をもらって実行したところ、その記事がテレビ局とディズニーの目に留まりました。

ダンボールアートはブログと同じく2013年に始めたものですが、その設計図を作るために必要な3DCGは、いまから15年ほど前に始めたものでした。

CGソフトは今でこそノートパソコンでも動かせますが(用途によります)、私が始めた当時はパソコンも非力で、快適に動作させるためには高性能なパソコン(ワークステーション)が必要でした。

パソコンだけでも20〜30万円以上、3DCGのソフトウェアは安価なものもありましたが、それなりの機能を有するものは、やはり30万円以上はしました。

3DCGに出会った当初、その面白さに魅了されてCG制作を職業にしたいと思いましたが、そのときはすでに20代後半で結婚していました。

中部圏にはCG制作を行っている会社が少なく、あったとしても未経験で雇ってもらうことは極めて困難でした。

パチンコ関連の会社からCG制作の求人が出ていましたが、私が憧れたのは映画やCMなどの映像制作で、興味のないパチンコのCGは作る気になれませんでした。

東京にはCG制作専業の会社も多くありましたが、既婚だったため自分の希望だけを押し通すことはできず、また、正直なところ家族を説得してまで上京してCG制作の仕事に就きたいという熱意もありませんでした。

ただCGそのものは楽しかったので、趣味として細々と続けました。

ハードにもソフトにもお金がかかることに加え、始めた当時はインターネット上に今ほど情報がなかったため、なんでもない作品を制作するだけでも多くの時間が必要でした。

そのうえ何の役にも立ちません。よくもまあ15年以上もの間、飽きることなく続けてきたものだと自分でも感心します(笑)

こうして長年続けてきたCG制作の能力があったからこそ、すぐにダンボールアートの設計図を作ることができました。

ダンボールアートを作っていたとしても、ブログを始めていなければ、私の作品は誰の目にも留まらなかったでしょう。

制作依頼は狙って呼び込めるものではなく、これは運によるものですが、「独立のきっかけにしたい」という強い思いでブログを始めた(行動した)からこそ、このような運を引き寄せることができ、長年続けてきた3DCGが役に立ったのです。

●今はまだ夢の第一歩を踏み出しただけ

より具体的な目標を設定することが理想的ではありますが、私のようにそれが固まっていなくても何らかの行動をとることは可能ですし、そうすることによって具体的な方向性が見えてくることもあります。

物事が上手く行かないという人の話を聞いていて、その場で色々な提案をしたことがあります。

その人からは否定する言葉は調子よく出てくるのですが、どうしたいのかを聞くと口をつぐんでしまいました。

助言をしても「それは私には無理。そんな方法はわからない。時間がない」などの否定的な答えばかりです。考えることを拒否しているように感じました。

私の経験では年齢性別にかかわらず、将来の夢や目標を聞いても定まっていない人は多いようです。それで満足していて、将来に不安もないのなら、それはそれでいいでしょう。

しかし日常に対する不平不満や、将来に対する漠然とした不安があるなら、なにか具体的な夢を持ち、それに向かって進んでみることをおすすめします。そうすることで充実した日々が過ごせるようになります。

「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」とは、小説家である中島敦さんの言葉です。

具体的な目標が定まってからは、まさしくこの心境になりました。毎日を無駄にできないという思いが強くなっています。

一度だけの人生を悔いなく過ごすためにも、改めて自分自身の将来の夢について考えてみてはいかがでしょうか。


【いわい ともひさ/ダンボールアーティスト】
Blog :http://iwaimotors.com/blog/

Twitter:https://twitter.com/iwai

Behance:https://www.behance.net/iwai


今週の一言:今年の冬は気持ち悪いぐらいの暖かさですね。寒いのは嫌いだけど、冬はきちんと寒くならないと季節商売の人達が潤わずに、経済が回らなくなります。我慢するので寒くなって欲しい!


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■グラフィック薄氷大魔王[462]
「私を構成する9枚」他、小ネタ集

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20160203140100.html

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●私を構成する9枚

FacebookやTwitterで流行ってるハッシュタグ「#私を構成する9枚」をやってみた。以前「本棚の10冊で自分を表現する」というのが流行ったそうで、その音楽版。
http://www.yoshii.com/dgcr/yoshii-9mai

9枚では足りないのは当然だけど、う〜ん、こういう選択になるかな。出発点だったり分岐点だったり、これらを核にして興味が拡がっていったのは間違いないと思う。分岐点の先に好きなアーチストが大勢いるけど、ごっそり割愛。以下、解説。

◎映画「JAWS」のサウンドトラック盤

中1で初めて買ったLPレコード。めちゃくちゃ聴き込んだ。小学生時代からラジカセをテレビに押し当てて、テーマ曲をコレクションする映画音楽好きだった。サントラ盤の存在を知ったのもこの時。ついに本格的な音楽の趣味に一歩踏み出した記念盤。

◎「Mule Skinner」ブルーグラスのセッションアルバム

ブルーグラスにハマりかけの頃に、FM「軽音楽をあなたに」をエアチェックしたカセットテープ4本を聴き込みすぎて、ほとんど僕の「刷り込み」になってる。ずいぶん後、1990年頃にCDを買った。なんでブルーグラスかというと、やはり映画音楽から。「俺たちに明日はない」でブルーグラスとバンジョーに興味を持ったのでした。

◎YMO「BGM」

高3の時に「ソリッドステイトサバイバー」とか「増殖」とか大ブームだったけど、ファンになるほどではなかった。でも一年後の「BGM」でドハマり、次の「テクノデリック」で完全ノックアウト。以降、YENレーベルが終了してもしばらくの間YMOとその周辺を追いかけることになる。

◎「スイッチ・ト・オン・バッハ」ウォルター(ウェンディ)・カーロス

YMOで興味を持ったシンセサイザー関連の本で必ず紹介されてた、シンセ音楽の出発点となったアルバム。シンセの音の面白さより、バッハ音楽の骨格がめちゃくちゃわかりやすいところが好き。

これにハマりすぎて、シンセやオープンリールの4chデッキやミキサーなど本格機材、楽譜スコアなど買い込んで、「スイッチ・ト・オン・バッハ」の真似などする。以降、8年後の上京直前までローンに苦しむことになるのだ。

◎クラフトワーク「コンピュータワールド」

これもYMOと平行してハマッた。ぜんぜん色あせない。僕の中では、クラフトワークだけでひとつのジャンルとして完結してるところが特殊。ずっと聴き続けてる。YMOは滅多に聴かなくなってるのに。

◎ドビュッシー「ベルガマスク組曲」他

シンセ絡みで冨田勲のシンセ版「月の光」のオリジナル曲に興味を持ったら、ピアノのほうがぜんぜん大好きと判明。あらためて、クラシックをいろいろ聴く元になった。っていうか、実はこれが初めて買ったCDだったのでした。1985年頃。

◎カイリー・ミノーグ「ラッキー・ラブ」

仕事場で流れてるFMラジオ。バナナラマとかデッド・オア・アライブとかのPWL Records(プロデューサーチーム、ストック・エイトケン&ウォーターマンのレコード会社)が流行ってて好きだった。

この「ラッキー・ラブ」の飛び抜けた明るさに衝撃を受けて、急行したレコード屋の店員が高校の同級生でびっくりw タイトルもアーチストも不明なので口で「ターラッタラッっていう曲」って言ったら、一発で判明して購入した思い出。その後ずっとずっと今でもPWL大好き。CDやiTunesストアで手に入るものは全部集めた。僕の場合、カイリーなど歌手本人にはほとんど興味がなく、純粋に楽曲プロデュースのPWLのみ。

◎ザ・ビーチボーイズ「ペットサウンズ」

一応入れたけど、う〜ん。9枚なら「ペットサウンズ」ではなくカーペンターズの「ナウ・アンド・ゼン」かも。それに入ってたカバーの「ファンファンファン」から興味持って聴くようになったから。「ペットサウンズ」は地味で好きじゃなかったけど、ずいぶん後になって良さがわかってきて、「無人島一枚」的なアルバムになってる。

◎「Carnival Jump-Up」トリニダード&トバゴのスティールバンド

最初に買ったスティールバンドのCD。FMラジオで夕方やってた「ザ・ミュージック・ネットワーク」って番組で週に一度、スティールバンドの曲がかかってて興味を持った。上京後すぐ六本木や池袋のWAVEなどを回って、スティールバンドのCDを集めまくった。一時は中南米音楽の研究者が借りに来るくらい大量にあった。今はiTunesストアでけっこう買えるみたい。

……「私を構成する9枚」的にはジャケット画像がないけど、僕の音楽的ルーツとして、小学3〜4年の頃、背伸びして何度も聴いてるうちにハマり込んだベートーベン「第五交響曲」。家にあった映画音楽全集のボックス。ポピュラー音楽全集みたいなボックスに入ってたスーザなどの行進曲集。

このへんが僕の下地になってる。あと、初めて音楽に陶酔状態になった音楽はNHK大河ドラマ「国盗り物語」のテーマ曲だった。

●PWL復活?

カイリー・ミノーグの昨年のクリスマスアルバム「カイリークリスマス」の中の「Every day's like Christmas」がストック・エイトケン&ウォーターマンだったんだって!

http://www.itv.com/news/2015-12-03/kylies-new-christmas-single-given-truly-80s-remix-in-comeback-for-producers-stock-aitken-and-waterman/


なんだ、よく見たら、特別にリミックスをやったってだけだった。アルバムに入ってるのは元バージョン。リミックス版は単体でリリースされてる。カイリー、当時アイドル歌手扱いされるのが嫌でPWLから離れたらしいけど、これだけ時間がたったんだから、シャレか同窓会的でもいいからもう一度がっつり組んでアルバム出してほしいなあ。

●TDW、再起動

海津さんが毎日アップ作品が5000枚突破だそう。僕が始めたのは海津さんの一年前の1999年2月からだけど、まだ半分の2500枚ちょっと。3DCGで作るようになって毎日アップが不可能になったのもあるけど、仕事が忙しいと半年くらい平気で止まる。

海津さん「ちなみに毎日1点が守られ続けたとしたら、10000回目は2027年6月6日」と書かれてますが、当時言ってた「毎日やれば27年で10000点!」を実現しちゃいそうですねw

僕は昨年10月2日から2516個で止まったまま。とはいえ、TDWは僕のエンジン。比喩ではなく、事実。続けてるからいろんなものが回ってる。止めるとヤバい。2月になって多少時間ができてきたので、最近の仕事の効率的量産体制をそのままTDWに応用するぞ!

とか書いたのに、すぐまた「量産するぞ!」的な状況じゃなくなってしまったw それでも再起動はしておく。1日1個は無理としても、とりあえず2〜3日に1個は作ろう。

ってことで、3個ほど同じファイル内で作り始めて思い出したんだけど、TDWで複数個同時進行の量産はダメなのだった。3Dに移行してから十数年たってるのに、今まで試してないわけがない。何度も量産しようして断念したのだ。いくつか理由がある。

・10個とかのグループ内で、色や形の傾向のバランスを取ろうと、デザイナーの本能が働いてしまう。テーマを決めてシリーズにするのでなければ、ぜんぜん意味がない。

・複数個あると、仕上げやレンダリング作業に移るタイミングを揃えてしまいたくなる。結果、「これで完成」のレベルが低くなるものが出てくる。

・行き詰まってムリヤリの打開策としていいアイディアが出るのに、複数個あると別のをいじり始めてしまい、行き詰まったものがいつまでも置いてけぼりになる。注入エネルギーが分散してしまう。

・ひとつのグループが完成すると、次のグループに取りかかるための気分のハードルが上がり、結局止まってしまう。個別に作るほうが気分の小回りがきく。

などなど。いくつか同時進行でもいいけど、1ファイルには1個ずつ作ろう。っていうか、「10〜20個をひとつのファイル内で量産体制」っても、メリットは「作りかけの他作品を見るのがラク」以外にはないんだよね。目移りする弊害だけw

●Googleフォト、困った

上のテキストでTDW作品アーカイブのリンクを貼ろうとしたら、とんでもないことが判明。Googleフォトが変更されたらしく、ホームページのリンクから見れなくなってる!

Picasaウェブアルバム時代から、TDWや作品のアーカイブ的に整えていろんなところからリンクしてあったのに! Googleフォトのトップにしか行けないし、アルバムがぜんぜん変わっちゃってるし、写真の並び替えも不自由になってる。PicasaはFlickrよりぜんぜん扱いやすかったのに。

いつからか知らないけど、変更以来ずっと僕のギャラリーが見れなくなってたわけか。……困ったなこりゃ。急いでなんとかしないと非常にまずい。

「アルバムのリンクを取得」すれば、他の人から見れるURLを取れるらしい。これをいちいち各所で書き換えるわけだが、めんどくさいなあ。「アルバム更新情報の取得」とか「他ユーザーに写真の追加を許可」とかもSNSで使う前提なのかややこしい。何か別の写真サイト見つけるかな。

写真が多すぎて手動で順番を変える気がしなかったTDWのアーカイブだけど、Picasaも一応生きてるのを発見したので、順番だけソートした。いつまで使えるかな?
https://goo.gl/photos/GkVBqsdtarVdYEzc9



【吉井 宏/イラストレーター】
HP http://www.yoshii.com

Blog http://yoshii-blog.blogspot.com/


仕事は基本的に楽しいけど、TDWを作れないことと映画を見れないことだけがツライ。以前ここにも書いてて忘れてること、「一日の中でふたつのための時間だけは確保」をやらないとなー。

・パリの老舗百貨店Printemps 150周年記念マスコット「ROSEちゃん」
http://departmentstoreparis.printemps.com/news/w/150ans-41500


・rinkakの3Dプリント作品ショップ
https://www.rinkak.com/jp/shop/hiroshiyoshii


・rinkakインタビュー記事
『キャラクターは、ギリギリの要素で見せたい』吉井宏さん
https://www.rinkak.com/creatorsvoice/hiroshiyoshii



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編集後記(02/03)

●雪朱里+グラフィック社編集部編著「もじ部」を読んだ。楽しんだ。「書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ」というサブタイトルがないと、何の本か分からない人もいるだろう。わたしはすぐ分かった。なぜなら、50年近く前に大学で愛好会「もじ部」を設立したからだ。正しくは「レタリング研究会」。当時、日本通信美術学園のレタリング専科を受講していて、この分野は面白いなー、仲間を集めて研究しようと思ったからだ。どうやら、若い頃から「組織化」が趣味だったようだ。後に「日本語の文字と組版を考える会」の運営に携わったのだから「もじ部」との付き合いは長い。

グラフィック社「デザインの引き出し」の読者からフォントユーザー、文字好きの「もじ部員」を募り、フォントメーカーや書体デザイナーなどの作り手のもとを訪問し、作り手の「もじ部長」から、制作背景やデザインコンセプト、セールスポイントなど文字のあれこれをレクチャーしてもらう企画だ。字游工房、タイプバンク、フォントワークス、モリサワ文研をはじめ、14の会社、個人を訪問している。わたしはフォントやデザイン関係のつきあいから離れて久しいので、それらの半分は知らない。「もじ部員」の質問はなかなかいい。4回目には祖父江慎が部員になって、フォントワークスに突っ込んでいてお茶目。

部活のレポートは面白い。部長の話も興味深い。そして、巻末綴じ込みの別刷り32ページの「もじモジ座談会:フォントデザインについてあれこれ語りました!」がまた充実。小宮山博史、藤田重信、鳥海修、小林章、祖父江慎という、フォントの作り手と使い手たち5人による「笑点」みたいな趣きだが、フォントに関心がない人にとっては宇宙語に等しいかもしれない。かつてはフォントに一言も二言も注文つけられたわたしだが、もはや分からないことの方が多い。不幸なことに、いまは書体づくりの基礎を身につけていなくても、文字が作れる時代になってしまったという小宮山博史の指摘の意味は大きいと思う。

わたしの作った「もじ部」だが、地味な活動なのになぜか女子が多く、華やかな雰囲気だった。30周年の記念誌があるが、その何年後かに間口を広げたアート系のクラブに変身し、やがて消滅したと聞く。OB・OGにはデザイン関係に進んだ人も少なくない。ところで、わたしが使い続けているminiはSnow Leopardで止まって、その後に搭載された、游ゴシック、游明朝体が使えないのが残念。Mac OSにヒラギノが標準搭載された経緯や、MavericksとWindows8.1に游ゴシック、游明朝体が選ばれた理由は知らないという字游工房・鳥海だが、そういう事情は言ってもいいの? と小宮山さんから突っ込まれてた(笑)

※有名な人には敬称をつけないという自己流ルールで書いているが、ときどきそれでいいのかと迷う。とくに知ってる人の場合。関西では常に企業名に「さん」をつけるお約束があるらしいが、それには違和感。かつて取材先で、相手の社名を出さなければならないとき、「御社」とか「○○さん」とかむりやり言ったことがあるが、そう言わなくてもいい会話を模索していた。 (柴田)

「もじ部 書体デザイナーに聞く デザインの背景・フォント選びと使い方のコツ」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766128583/dgcrcom-22/



●「夢」って寝る時に見るものとしか認識してなくて、「夢を持て」「夢を見なさい」と言われても、意味はわかるもののピンと来ないままだ。みんないつからわかるようになったんだろう……。今年の目標を立てようと考えたまま、一か月過ぎた。もわもわしたままだ。

「さん」づけ当たり前の関西というか近畿に住んでる。この話は以前後記で書いたはずだ! 飴だって飴ちゃん。だいたいどこかで繋がっているわけで、呼び捨てはしにくい。企業だって法人格だし……あかんあかん、またこういうのを書き始めるとキリがない。

あ、でも外国企業や新興企業、関連なさそうなところはテレビの影響か、耳が慣れてしまって、関東流に呼び捨ててる。「お」「ご」も最近省略するようになってきた。ご飯、お菓子、お風呂、お布団なんかはまだ大丈夫。ご本、は言わなくなったなぁ。

私は「さん」づけより、口に物を入れたまま、くちゃくちゃしゃべるドラマや食レポーターが苦手だ。ドラマは特にそうだよね。当たり前のようにやってる。どこの国の文化やねん! なぜ現場の人たちは注意しないの?

会話のタイミング云々、食卓の風景は必要というのはわかる。でも口に入れる前や、飲み込んですぐとか、お箸を置いてからでもいいんじゃないの? こういうドラマが海外に輸出されて、日本文化では口に物を入れたまま会話するのが普通だと思われたら心外だ。おそばやおうどんの日本流すすり方云々より大切な話だと思うんだけどなぁ。

……と展開しそうになってる。っていうか、編集長の後記ネタについてはメールでのやり取りで終わったはずなのに(編集長がぼやく→私が反論する、同意する)、いまさら朝からストック無視して書くのはどうかと思いとどまる。

いや、でも編集長の意見だけが載ってしまったら、デジクリ編集部統一見解だと思われてしまう可能性がないこともないわけで、多少は書かなければと考え直し、でも書き始めると裏付けがいるんじゃないかと検索が必要となり、あらこんなのもあるのねと付け加え、気がつくと、ぎゃーこんな時間、どうすんのよ! 仕事の時間取れないじゃないの! となり、

あー中途半端だわ、微妙なのはさらっと書いたら後で大変なのよ、説明責任を適当にして後で大変なことになる日本政府みたいだわ、日本人の「わかるはず」「伝わるはず」「当たり前」「めんどくさいから今度にしよう」が後々大事になるのよね、

相手方の心情を慮ってのやんわり「NOとはっきり言わなかったから断られたわね、これは」の日本流は海外では通用せず、「NOと言わなかったからYES」と向こうの良いように取られてしまうのよね、主導権握られて、不利な後攻になって言い訳じみた話や、膨大な資料を用意する手間が増えてしまうのよね、

あーでも消すわ、朝の数時間でこんな深い話を書ききれないわ、これじゃ納得できないわ、ストックに戻すわ、となるいつもの流れなのよね。

まで、書いてみました。ハライチの長時間バージョンの最後のうだうだっぼい感じ(独りボケが長引いている)を思い浮かべていただければ(笑)。投げっぱなしジャーマン的な。長くなったけど、このまま出そうっと(笑) (hammer.mule)

ハライチ 漫才


プロレス技スロー再生 投げっぱなしジャーマン