《ある数の5分の3が12であった。元のある数はいくらか。》
■ Otaku ワールドへようこそ![233]
算数の復習 ─ そのつまづきの石をどけて進ぜます
GrowHair
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算数の復習 ─ そのつまづきの石をどけて進ぜます
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https://bn.dgcr.com/archives/20160513140100.html
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いきなりですが、算数の問題です。特にひねりも何もない、小学校高学年レベルのものです。
ある数の5分の3が12であった。元のある数はいくらか。
今回は、これを解説したいと思います。
デジクリの読者の方からメールを頂戴し、何回かやりとりするうちにこの話になって、それならば次のお題として拝借して、公開解説しましょう、という流れになったものです。
メールをくださったのは、シアトルに在住のTomozoさんという方です。もともとの用件は、4月1日(金)に配信した「自閉症の時代」の一部を、ブログで引用したことを知らせてくださったのでした。これです。
http://livinginnw.blogspot.com/2016/04/blog-post_15.html
私の書くものについて「理系の教養が頼もしい」と言ってくださり、一般的にも、「文学以外の読み物では、どちらかというと理系の方の書いた文章のほうが面白いものが多い」とおっしゃっています。
しかしながら、Tomozoさんご自身は、山の割とふもとに近いところで数学につまづいてしまい、そのまま今にいたるそうで、「理系の人の世界には常にジェラシーを抱いている」とのことです。
特に、分数の割り算が分からない、と。図を描いて視覚的に表現できることならすっと入ってくるけれど、分数の割り算は「何か全然世界が違うではないですか」と、飛躍を感じているようです。今もモヤモヤしてる、と。
あ、その感じ、なんとなく分かります。数学に限らず、ものごとが「あ、分かった!」って思うときの、あの感じ、ってありますよね?
「薔薇」という漢字とか、"stalactite"(鍾乳石)や "stalagmite"(石筍)という英単語などは、一度覚えたって、しばらく間が空くと忘れちゃいます。
しかし、自転車の乗り方を一度覚えたら、それを忘れちゃってまた乗れなくなるなんてことは、ぜったいにありえない気がします。数学の理解のしかたというのも、それに近いものがあります。身体にしみこんで、自分のものになったぞ、っていう、あの感じ。
「分数の割り算」について、Tomozoさんをその境地へお連れすることができれば、今回のコラムは成功ってことになります。
つまづきの石がどこにあるのかを発見して、それを取り除くことができれば、すっと行けるような気がします。候補となる石はいくつかあるように思います。どこでつまづいているか分からないので、ひとつひとつ取り除いていこうと思います。
しかしながら、最終的にうまくいかないかもなぁ、と、多少弱気になってたりもします。というのも、私自身が、そういう分かり方をもはや欲していないようなところがありまして。
感覚的に自分のものにできなかったとしても、論理の道筋において、どこにも穴が空いてなければ、受け入れる以外にないわけです。
「正しいってことは認めた。でも納得はできてないぞ」みたいなモヤモヤ感は残るんだけど、そこでモヤモヤしててもしょうがないから、あきらめて受容しよう、みたいな感覚。
もうそれでいいや、と思っちゃってます、私なんぞは。もはや図で分かろうなどという努力をしようとも思ってなかったりします。
多くの人はまったく気づいていないようですが、数学にはちょっと病的な側面もあったりするんです。感覚的にはとうてい受け入れがたいけど、証明されちゃったもんはしょうがないよなぁ、みたいな。
なので、ビジュアルで把握して自分のものにしようとしていると、いつかどこかでやっぱりつまづきます。そういうピュアさは、どっかの時点で結局は喪失します。だからといって、そっちの世界にお連れするのは、ちょっとどうかとは思いますが。
ところで、冒頭の問題は解けましたか?
●答えに至るためのふたつの道筋
さて、まずは、冒頭の問題の答えを言っておきましょうか。問題を再掲します。
ある数の5分の3が12であった。元のある数はいくらか。
数学が得意ではないとみずから言っている人に、試しに出題してみたら、ちゃんと解いてくれました。あ、プレッシャーをかけようってわけじゃないですけど。どうです? 解けましたか?
答えは20ですね。検算してみると、
3
20 × ─── = 12
5
と、ちゃんと12が得られるので、たしかに答えは20で合っています。
★(等幅フォントで表示していただくと、数式がズレずに表示されると思います)
問題は、そこに至る道筋です。その人はこうやって解いていました。
ある数の5分の3が12だということは、元のその数の5分の1が4であるはずだ。ということは、その4を5倍すると元のその数に戻るはずだ。だから、答えは20。
計算としては、
12 ÷ 3 = 4
4 × 5 = 20
としています。これで合っています。
正しい答えに行き着くことができたのだから、それ以外のことを考える必要はないのですが。そうは言いながら、同じ問題を別の角度から眺めてみます。
ある数を5分の3倍して12が得られたのであれば、その「5分の3倍する」という操作の逆の操作を施してやれば、12を元へ戻すことができるはずです。「5分の3倍する」ことの逆の操作とは、「5分の3で割る」ことです。
なので、答えを求めるための数式として、
3
12 ÷ ───
5
が立ちます。つまり、この問題は「分数で割り算する」問題だったということが分かります。
さて、数式が立ったところで、これの計算のしかたが分からないと、先へ進めません。「分数で割り算することは、分子と分母をひっくり返して掛け算するのと同じ」って法則を知っていると、突破できます。
5
12 × ─── = 20
3
さて、いま、ひとつの問題について、2通りの解き方を示しました。一見すると、後の解き方のほうが難しいです。易しい問題をわざわざ複雑にしてみせただけのようにみえるかもしれませんが。
しかし、ほんとうは違います。最初の解き方は、場当たり的に、なんとなくごちゃごちゃやってたら解けちゃったって感じです。一方、後のほうの解き方は、問題の本質をちゃんと捉えています。
問題を解くための考え方は異なっていても、中身の計算は、結局12を3で割って、しかる後に5倍していることには変わりありません。答えに至るために、それ以外の計算があるわけではありません。
ふつう、われわれは、「あれ」と「これ」とは別のことだと区別します。しかし、視点を変えてみたときに、それらはほんとうは一緒だったのだとみることが可能だったりします。仏教ではこれを「一如(いちにょ)」といいます。
一如を会得すると、悟りの境地にだいぶ近くなります。
●つまづきの石はどこにあるか
この手のことは、順を追って、一歩一歩進んでいけば、最終的に目的地へ到達することができます。どっかでつっかえているとしたら、その石をどければいいだけのことです。
つまづきそうなところはいくつかあります。
(1)掛け算とは何か
(2)割り算とは何か
(3)分数とは何か
(4)分数の割り算とは何か
(5)その計算はどうすればいいか
順を追ってみていきましょう。
●その1 掛け算とは何か
3に2を掛けると6になります。サンニガロクです。数式で表すと、こうですね。
3 × 2 = 6
3という数字が何を表しているか、なんてことは、数学の側からは、ごちゃごちゃ考えたりしません。
現実世界で3という数字が出てくる場面としては、
・猿が3匹いる
・体重が3kg増えた
・3kmの距離を歩いた
・柏手を3回打った
・正月三が日を寝て過ごした
・消費税を3%に戻そう
・気温が3℃である と、いろいろあります。
しかし、数学は現実世界の奴隷ではありません。そこから独立した、もっと自由なものです。現実世界がどうなっていようと、知ったこっちゃないのです。
数学は、現実世界の問題を解決する実用の用途へと応用することもできます。そんな応用例が今のところ見つかっていない数学もあります。使えるなら使えばいいし、使えなければ使わなくていいのです。
現実問題に応用可能かどうかなんていうのは、副次的なことであって、そんなこととは関係なく数学は数学です。サンニガロクはサンニガロクであって、それだけでいいのです。
とは言え、サンニガロクを現実世界のことに対応づけようとするならば、たとえば次のようなケースを考えることができます。
・三脚が2個あるので、脚は合計6本
・講演会を催したらお客さんが3人しか来なかった。次回はがんばって2倍に増やし、6人を目指そう
・厚みが3cmの本を2冊重ねたら、厚みが6cmになった
・縦と横がそれぞれ3mと2mの長方形の面積は6m^2
・時速3kmの速さで2時間歩いたら、6km進んだ
気温が3℃から2倍の6℃になったというのはナンセンスです。マイナス273℃を基準とする絶対温度ならばともかく。
●その2 割り算とは何か
赤塚不二夫の漫画『ひみつのアッコちゃん』において、アッコちゃんが鳩に変身する際、鏡に向かって「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、鳩になぁれ〜」とおまじないをかけます。
元に戻るときは、「ラミパスラミパスルルルルル〜」といいます。一説によると「ラミパス」とは「スーパーミラー」の逆読みなんだとか。
Aになにか操作を施してBになったのだとすると、逆の操作をBに施せばAに戻るはずだと考えることができます。
3に2を掛けて6になったのだとすると、6を3に戻すための逆の操作があるとうれしい。それが、「2で割る」という操作です。
つまり、「2を掛ける」という操作と「2で割る」という操作は互いに逆の操作になっており、ある数に2を掛けてから、しかる後に2で割れば、元の数がいくつであれ、必ず元に戻ります。
数学の側からは、これだけでよく、現実の場面の問題において、割り算によって解決するのはどのようなときか、というのは現実側の問題です。
・6mのリボンを3等分すると、1本の長さは何mになるか
・6mのリボンを2mずつ切ると、何本のリボンになるか
・6kmの距離を時速3kmで歩いたら、何時間かかるか
・6kmの距離を2時間で歩くためには、時速何kmで歩く必要があるか
・講演会を2回催したら、来場者数はそれぞれ3人と6人だった。何倍に増えたか
・講演会を2回催したら、2回目には来場者数が2倍に増えて6人になった。最初は何人だったか
数学のモデルとしては、どれもこれも等価なのに、現実の問題としてみるとき、直感的に把握しやすいのと、なかなかピンときづらいのがあるのが不思議なところです。
比率で割るとか、速度で割るというのが、考えづらいと言われています。
●その3 分数とは何か
1という単位を5等分したとき、そのひとつ分が5分の1です。数式では、
1
───
5
と表記します。
5分の1が3つあると、5分の3になります。数式では、
3
───
5
と表記します。
1mのリボンを5等分すると、ひとつ分の長さは5分の1メートルです。これは20cmと同じ長さです。それ3つ分の長さは5分の3メートルです。これは60cmと同じ長さです。
分数は、このように、長さのような単位のある量を表すのに使ってもいいのですが、よく使われるのは、単位なしの、比率を表す用途においてです。
100人いた人が、いつの間にか60人に減っていたとすると、比率として、5分の3に減ったことになります。
●その4 分数の割り算とは何か
割り算が理解できて、分数が理解できたのなら、そのコンビネーションが、分数の割り算です。
さきほど、割り算のところで例として挙げた問題をもう一度見てみましょう。
6mのリボンを2mずつ切ると、何本のリボンになるか。
答えはこうです。
6 ÷ 2 = 3
よって、3本。
じゃあ、問題を次のように焼き直してみたら、どうでしょう。
6mのリボンを5分の3メートルずつ切ると、何本のリボンになるか。
これ、なんにも変ってませんね。数値が置き換わっただけ。なので、答えを求めるための数式も、同じ要領で立てることができます。
3
6 ÷ ───
5
この計算の続きをどうするかについては次の項で述べることにして。
分数の割り算って、結局のところ、これだけのことです。割り算をすべき場面において、割る数が整数から分数へと置き換わっただけです。割り算をするという本質にはなんら違いはなく、数値の置き換えにすぎません。
ただ、この例は、長さを長さで割ることによって個数を求めるタイプのものであるため、比較的考えやすいということはあります。比率で割ったり、速度で割ったりするのは、直観的に把握しづらく、リボンの問題よりは、ちょっと難しく感じられるかもしれません。
しかしながら、そこは「割り算」の問題に伴うことであって、「分数の割り算」になったからって急に発生したことではありません。
冒頭の問題
ある数の5分の3が12であった。元のある数はいくらか。
についても、「5分の3倍する」という操作の逆の操作が「5分の3で割る」ことだと分かれば、
3
12 ÷ ───
5
という数式がすっと出てくるのではないでしょうか。
●その5 その計算はどうすればいいか
さきほどの問題で、
3
6 ÷ ───
5
という式が立つところまでは行ったけれども、その先の計算をどうするかについて、保留になっていました。
分数の割り算は、分子と分母をひっくり返して、掛け算に置き換えることができます。したがって、上の式は、
5
6 × ───
3
となって、計算を進めることができます。
けど、それってどうしてなんでしょう。これが最後の石です。こいつをどけて、道を開通させれば、すべてがクリアになるはずです。けど、こいつがけっこうデカくて重い石だったりします。
この説明でうまくいくのか、実はあんまり自信のないところなのですが、やってみましょう。
冒頭の問題でふた通りの解き方を示しました。考え方の道筋は異なるけれど、中身の計算は当然のことながら同一でした。この「一如」が会得できると、この問題も解決します。
示したいのは、「5分の3で割る」ことは、分子と分母をひっくり返して「3分の5を掛ける」のと同じだ、ということです。
さて、まず、ある数に5分の3を掛けるとは、どういうことでしょうか。
中身の計算としては、ある数を5で割って、しかる後に、3を掛けるということです。
次に、ある数を5分の3で割るとは、どういうことでしょうか。
「割る」は「掛ける」の反対の操作です。つまり、「ある数」に何かを掛け算して「別の数」が得られたとするならば、その「別の数」から出発して、元の「ある数」に戻すための操作が割り算する、ってことです。
さきほどみたように、「ある数」に5分の3を掛けて「別の数」を作り出す操作というのは、その中身を見てみれば、5で割って3を掛けるという操作でした。
それを元に戻す操作とは、3で割って、しかる後に5を掛ければいいということになりましょう。ところで、3で割って5を掛けるという計算は、言い換えれば、3分の5を掛けるのと一緒でしょう。
これでできました。「5分の3で割る」とは「3分の5を掛ける」のと同じ、ってことです。
上記の説明で、もし「ああそうか、ポン!」と合点がいっていただけたのなら幸いです。なぜなら、ものごとをハートで受け止めたいというピュアな動機に対して、ご期待にお応えできるようにがんばっちゃった、薔薇の花束によるアプローチだからです。
実は、同じ問題に対して、もっとこすっからい説明のしかたも可能なのです。力づくの弁論で有無を言わさず説き伏せちゃおうという、無味乾燥な敏腕弁護士アプローチです。
論理という鎧で武装して、どこにも隙がないように証明しちゃえば、文句のつけようがないでしょ、ってわけです。それもいちおうやってみましょう。
証明のしかたは何通りかありますけど、直感を寄せつけない、いちばん悪辣なのを採用してみます。じゃ、行きますよ。
いま、
b
(求めたい数)=(ある数)÷ ───
a
だったとします。このとき、ゴールとして行き着きたいのは、
a
(求めたい数)=(ある数)× ───
b
です。上のほうの数式を徐々に徐々に変形していって、最終的に下のほうの数式に行き着くことができればいいわけです。
元の式において、最後に1を掛けても結果は変わりませんね。なので、
b
(求めたい数)=(ある数)÷ ─── × 1
a
です。そんなことして、いったいなんの得になるのかは、ひとまず置いといて。さて、この数式は、このままいったん置いておきます。
さて、一方、次の数式は自明のこと、でいいでしょうか。
b a
─── × ─── = 1
a b
スパッ、スパッと約分すれば、1しか残りませんね。
さて、さきほど唐突につけ足した1のところを、この数式で置き換えます。
b b a
(求めたい数)=(ある数)÷ ─── × (─── × ───)
a a b
さて、続けざまに掛け算をするとき、計算の順序を変更してもだいじょうぶで、結果は変わりません。なので、括弧をつける位置を変更します。
b b a
(求めたい数)=((ある数)÷ ─── × ───) × ───
a a b
さて、括弧の中を見てみると、(ある数)をa分のbで割り、しかる後に、同じ数を掛けてますね。掛け算と割り算は互いに逆の操作なので、その結果、往って帰って元に戻っているはずです。つまり、
a
(求めたい数)=(ある数) × ───
b
これはまさに、ゴールの式です。証明おわり。
ハート方面がどんな濃い霧にまかれていようと、この証明の筋道に論理の欠陥が発見できなければ、結果を受け入れる以外にないわけです。ひどいですね。
しかし、一度、このように証明しておくと、後が便利です。分数の割り算に遭遇したとき、そこでいちいち頭を働かせて意味を分かろうとする努力が必要なく、何事もなかったかのごとく、機械的な操作により、上と下とをひっくり返して、÷を×に置き換えればいいのです。
ものごとを考えるための頭は、もっと難しいことに取り組むときのために取っておいて、こういうところは何も考えずにさらっと通過できるように道を整備しておけば思考が節約できるというものです。これも、数学の恩恵のひとつなのです。
さて、これでいちおう全部の石をどけて全線開通したことになっているはずですが、どうでしょう? これで分数の割り算は卒業できそうでしょうか?
●「分かる」とはどういうことか
前置きが長くなったが、ここからが本題。いや、マジでそのつもりだったのですが。今までのところだけで、思ったよりも長くなってしまいました。
Tomozoさんからのご質問は、これで終わりではなく、まだ続きがあるのです。
……………………………………………………………………………………………
それでいつも思うのですが、「理解」という現象って一体なんなんでしょう。たとえば分数という概念を脳が理解した、その時の体験って、どのくらい普遍的なものなのか、再現可能なものなのか。
「クオリア」と呼ばれているものと類似だと思いますが、結局は脳の中のネットワークと複雑な条件が生み出す一瞬ごとの「現象」なのか。
……………………………………………………………………………………………
めっちゃ面白いご質問をありがとうございます。ええ、ええ、考えましたとも。すでに見出しは書き出してあって、さあ、これから中身を書くぞと意気込んでたわけですが。
残念ながら、ここまでのところで、時間も紙面も尽きました。申し訳ありませんが、このご質問に対する私からのお答えは、先送りとさせてください。
しかし、その一部は、今回すでにお答えしているとも言えます。2種類の理解のしかたというものが出てきました。
ひとつは、腑に落ちたという納得感と爽快感を伴い、あたかも自転車の乗り方のように、自分のものになったという理解のしかた。「ユリイカ!」と叫んで、素っ裸で街を駆け抜けたくなるアレですね。
もうひとつは、きちんと証明されちゃった以上、いやがおうにも受け入れざるをえないという、不承不承の気持ちの残る理解のしかた。
「オレの論理の筋道のどこに欠陥があるか見つけて指摘してみろ。できないのなら、受け入れろ」と喉元に突きつけられて、「はい、どこにも欠陥は見当たりません」と屈服させられる感じ。
前者だけでずっといけると大変幸せなのですが、なかなかそうもいきません。かといって、後者だけになると、ちっともおもしろくありません。行けども行けども、よその村の祭りを遠くから眺めてるだけ、みたいなことになり、輪の中に入っていけません。
図を描いて、視覚的な理解に訴えることができればハッピーなんだけど、抽象的な空間の定義やそのココロなんて、そんなの不可能だしなぁ。ってな葛藤の中身の話を、回を改めて、そのうちやります。
●おまけ
図1はなんでしょう?
立方体の展開図です。折り曲げて、コンニチハした線と線とを合わせてセロテープで留めていけば、立方体ができあがります。サイコロキャラメルですね。製造終了になっちゃったけど。
折り曲げるときは、正方形を起こしてやる必要があります。その際、起こされた正方形は、元の平面から抜け出し、第3の方向へと出ていきます。
同じ平面内で無理矢理折り曲げようとしたら、破れてしまいます。第3の方向へ起こし始めた瞬間、2次元平面内だけで生きている平面世界の住人からみると、正方形がひとつ、突然消滅したように見えるかもしれません。だって、彼らにとっては、第3の方向は想像もつかないわけですから。
さて、図2はなんでしょう?
四次元立方体の表面を三次元に落とした展開図です。各立方体を折り曲げて、コンニチハした面と面とを合わせてノリで貼り合わせていけば、四次元立方体ができあがります。
われわれ3次元世界の住人が見ると、折り曲げるなんてことは不可能なようにみえます。無理に曲げようとしたら、壊れちゃうだろ、と。
それは、3つの方向しか知らないからです。その空間内で折り曲げるのではなく、第4の方向へ折り曲げるのです。そのとき、われわれからみると、立法体がひとつ、急に消滅したようにみえるかもしれません。
だって、われわれ3次元の住人にとっては、第4の方向なんて、想像もつかないわけですから。
感じ、つかめました?
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/
うんがー!!! やってしまいました。ステージパフォーマーにあるまじき大大大チョンボ!!!
ゴールデンウィークに中国へ行ってきたのですが。4泊5日で3か所を巡るという、詰まったスケジュールで。最初の日は日本から中国への移動、最後の日は逆の移動、間の3日で太原、鄭州、西安でのイベントに出るという無駄のない予定が組まれていました。
ところが、ペナルティー・キック航空がゴールを外してくれて、別の空港に降りちゃったもんだから、大慌て。リカバリー策を打ったものの、それにも失敗し、結局、太原にたどり着くことができませんでした。
イベント出演に穴を開けてしまったというわけです。ポスターからすると、私はメインのゲストになるはずだったと思うのですが。
http://picasaweb.google.com/Kebayashi/6283884226122436801#6283884228315939586
空港で、暑くもないのに、私一人だけ、止めどもなく汗が流れ出るというのを経験しました。
詳しくは、次回にレポートします。あ、そういう名前の航空会社はないのですが。便名がピー・ケー・なにがしという……。
とりあえず、写真だけ先に。
鄭州:
http://picasaweb.google.com/Kebayashi/6282061540490391809
西安:
http://picasaweb.google.com/Kebayashi/6282062428392063569
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編集後記(05/13)
●「老後破産 長寿という悪夢」続き。一人暮らしをする高齢者は、多くが自分の年金だけを頼りに暮らしている。そうした現実が広がっている今、年金収入が生活保護水準を下回る「老後破産」寸前の人たちが急増している……という。なんだか日本中の高齢者が「老後破産」危機のような印象を抱かせるが、このレポートで主に語られるのは、「国民年金で暮らしている単身の高齢者」である。日本の高齢者すべてにあてはまるわけではない。他にも厚生年金保険、共済組合などの受給者もいるし、一人暮らしではない高齢者も普通にいる。日本中の高齢者が等しく「老後破産」の危機にあるというわけではないのだ。
平成25年度の厚労省年金局の発表によれば、公的年金受給者は、国民年金3140、厚生年金保険3216、共済組合444、福祉年金0.1(単位は万人)である。ただし併給者の重複分も含まれる。いずれにせよ、国民年金受給者は全体の半分以下である。そのうち単身者が半分としても、このNHKレポートがいうほどの国をあげての「老後破産」危機ではない、ような気がするのはわたしだけであろうか。悲惨な例ばかり紹介されているのは、絵になるだからだ。日本の高齢者の一部にはこういう気の毒な人がいることは確かで、問題意識をもった報道の価値はある。しかし、NHKはちょっと煽りすぎではないかと思わぬでもない。
「生活保護水準以下の国民年金で暮らしている単身の高齢者」の実態について貴重な問題提起ではある。意義ある仕事だと思う。しかし、高齢者全体を見てはいない。ところが、もっと広い範囲の高齢者となると4/17のNスペみたいな、無理矢理「老後破産」導引番組になってしまうのだ。本書の最後では、家族がいても「老後破産」が避けられないという厳しい現実を語る。ここ数年で、介護を理由に仕事をやめる介護離職者は、10万人近くにのぼる。親の介護のために仕事を辞めた子供が、親と同居して共倒れになるという痛ましい現実は恐ろしい。働く世代にも「連鎖」や「共倒れ」の形で「老後破産」現れ始めている。
その背景は「雇用」という社会を支える土台が揺らぎ、将来に備える余力のない労働者が増えているという、構造的な要因があるからかもしれない。さらに「日本の家族」の形が変わり、互いに支える力が薄れてきていることもある。こうした「超高齢社会」の実情に社会保障制度が追いついていない。ではどうしたらいいのか。年金は物価水準などと照らして減額が続いている。ホント、我々高齢者はどうなるんだ。NEXT高齢者はもっときつくなるぞ。お先真っ暗。「結局、高齢者問題はお金でほとんど解決できる」という頼もしい研究者いるようだ。NHKは是非くわしく取材してもらいたいものである。 (柴田)
●名古屋ウィメンズマラソン続き。次にバイブレーション機能。1kmごとにラップ通知を設定できるのが便利。
私の場合だと、8分ペースとし、前後1分で震えるように設定した。普段の練習は7分ぐらいで、調子が上がると6分ちょいになる。5分台はしんどい。長距離なので、バテないように8分が良さそうだなと。
7分を切ると「速すぎますぜ」、9分かかると「遅すぎるけど大丈夫?」と知らせてくれる。まぁこれがうっとおしくもあるんだけど。
歩くとブルブル鳴って、わかってるってば、ちょっと休憩しているんだってばと言い訳したくなるのよね。気持ち良く6分台で走っている時にも鳴るけど、心拍(脈拍)数を見つつ、スピードを落として行く。 (hammer.mule)
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