《昭和は遠くなりにけりか》
■わが逃走[182]
ごぼごぼとお茶を飲む の巻
齋藤 浩
■もじもじトーク[42]
文字とは人類最強の発明である
関口浩之
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■わが逃走[182]
ごぼごぼとお茶を飲む の巻
齋藤 浩
https://bn.dgcr.com/archives/20160609140200.html
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あなたは、いつ、いかなるときでもごぼごぼとお茶を飲んでいる。
と、極親しい間柄の歳上の女性Aさん(年齢非公開)に言われて、ああ、たしかにごぼごぼと飲んでいるなあと、その擬態語選択のセンスに感心させられた。
お茶は物心ついた頃から飲んでいた。食後のお茶、一息ついてお茶、キリがいいのでお茶、帰宅してお茶、食前にお茶、寝る前にお茶。
文章にたとえるなら「、」のタイミングごとにごぼごぼとお茶を飲んでいたし、いまも飲んでいる。別に理由などなく、おいしいから飲んでいるだけだ。
上品に所作を愉しむ(←あえてこの字)とか、そういうことには興味はない。
お湯は沸騰したてでなく、少しさましたところを、器の七分目まで注ぐ、とか家庭科の本に書いてあったが、私は熱いお茶を湯のみにたっぷりと注ぐのが好きだ。だってその方がおいしいから。
実家の隣がたまたまお茶屋さんで、今でもそこで買うことが多い。
静岡産『深蒸し茶』と『ほうじ茶』という大雑把な名前のものをよく飲んでおり、とくに玉露がどうとか、どこ産のナントカいう品種をブレンドしてとか、そういったことにはこだわらないし、知らないし、とくに興味もない。
ただ、経験から言えることは、値段と味はほぼ比例する。安すぎるお茶は、心の底から後悔したことがあるので買わないようにしている。
さて、いずれのお茶も普通においしいのはせいぜい二番煎じまでで、三番煎じをするときは、急須の蓋をはずしてなるべく蒸気を逃がしてからお湯を注ぎ、抽出時間を多めにとる。
ビンボーくさいと思うが、おまじないみたいなものだ。
寝る前にあと一杯飲みたいけど、お茶っ葉を変えるほどじゃない、といったときに有効な気がしている。あくまでも気がしているだけー。
そういえば、最近のヒトはお茶というとペットボトルをイメージするらしい。
お茶屋の息子がペットボトルの緑茶を飲んでいて、それを見たオヤジが嘆いていたらしいが、そんな話を笑い話と受けとめられない人も多数派になっているようにも思う。
また、ときどき友人、知人からお茶を頂くことがあるのだが、そのすべてがティーバッグなのである。これにはかなり驚いている。
お茶を飲む習慣のない家には急須もないのかもしれないなあ。そしてまた、お茶っ葉の処理もめんどくさいのだろうか。紅茶ならまだしも、緑茶やほうじ茶だったらそんなこともないと思うのだが。
磯野家はもちろん、バカボン家や野比家の食卓にも急須と湯飲みは見られたはずだ。つまり、それが物語の中で家庭を表す記号として機能していたのだが、最近のプリキュア家とかでは、もうそんなものは姿を消しているのかもしれないね。見てないから知らんけど。
きっと新聞もとってないし、固定電話もないんだ。寂しいなあ。昭和は遠くなりにけりか。
お茶とは年寄りが飲むもの、と思う人は少なくないようだ。
極親しい間柄の歳上の女性Aさん(年齢非公開)もそのひとりだが、私が淹れるもんだから近頃(ここ15年くらい)はよく飲むようになった。
しかし、緑茶は胃に負担がかかるのと、夜眠れなくなるのでほうじ茶がよいと
言う。
私には眠れなくなるという経験がないので、その意見には驚いた。カフェインで眠れない=迷信だと思っていたのだ。
私は物心ついた頃からコーヒーを飲もうが濃い緑茶を飲もうが、横になれば寝てしまう体質なのだ。
小学生のときは布団に入るのが辛かった。
やわらかい“おふとん”は大好きなのだが、そこで横になり目を閉じた次の瞬間、朝になっており、さっき帰ってきたばかりの学校へ、また行かなくてはならなかったからだ。
よく手術のときの全身麻酔の経験を、同じように表現している文章を見かけるが、だとしたら私の脳からはそういった物質が出ているのだろうか。
謎が謎を呼ぶ。
ちなみに今でもその体質はほぼ維持しており、私には眠れないという経験がない。おふとんの中で読む本もせいぜい3ページが限界、ピロートークなど不可能である。
あなたは、いつ、いかなるときでもぶんかぶんかと寝ている。
と、極親しい間柄の歳上の女性Aさん(年齢非公開)に言われて、ああ、確かにぶんかぶんかと寝ているなあと、その擬態語選択のセンスに感心させられた。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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■もじもじトーク[42]
文字とは人類最強の発明である
関口浩之
https://bn.dgcr.com/archives/20160609140100.html
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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。私事ですが、本日、誕生日を迎えました。うちの会社では誕生日休暇というありがたい制度があり、今日はお休みをいただいてます。
で、何才になったの? はい、56才です。デジクリ書いてるメンバーの中ではかなり年配の部類に属するのではないでしょうか。
これからも、文字の話や天体の話などを寄稿していきますので、引き続きお付き合いいただけるとうれしいです。
四年後に還暦祝いしてもらう年齢ですが(笑)、あいかわらず、月に二、三回は全国各地のセミナーに出演したり、ときどき徹夜仕事したりの日々ですので、体調管理には気をつけて健康で笑顔の一年にしたいと思ってます。
●「世界の文字の物語」という特別展
4月9日から6月5日まで、池袋サンシャインシティ文化会館で開催されていた「世界の文字の物語 〜ユーラシア 文字のかたち〜」特別展を観てきたので、今回はその時のレポートをお送りします。
まずは、その特別展のチラシをみてください。ジャーン!
http://goo.gl/O9hSwM
ぜったい行きたくなるチラシですよね! 文字好きな僕だけでしょうか………
「世界の文字の物語」のタイトルの書体は、フォントワークスの「筑紫アンティーク明朝」です。四、五千年前の文字の展示会チラシなので、アンティーク感のあるこの明朝体がとても似合います。
この書体、よく目にする明朝体とは趣きが違うと思いませんか?
『文字』の「文」という漢字の四画目、下から跳ね上がる筆の入りがあるデザインも、アンティークさを主張しています。この字形の要素を「ひっかけ」というらしいです。
そして、この書体、字形としては絞られたデザインですが「はらい」の部分がバビューンと伸びがあって素敵です。
そして説明文も「筑紫アンティーク明朝」ですね。一部「筑紫オールド明朝」も使っています。
あれっ、展示会のレポートじゃなくて、チラシの書体解説になってしまった。
さて、この展示会の開催日程は4週間近くあったのですが、結局、足を運ぶことができたのが最終日でした。
しかも、その日は四国のイベント巡業から東京駅に戻ってきた日だったので、大きなスーツケースをガラガラと転がしながら、池袋サンシャインシティに行ってきました。
でも、「無理して足を運んでよかった!」でした。
●文字の誕生
文字が誕生したのは今から約5,000年前といわれています。メソポタミア地方の楔形文字と、エジプト地方の聖刻文字(ヒエログリフ)です。また、それより1,000年ぐらい後に東アジアで漢字(甲骨文字)が生まれています。
特別展では、それぞれの文字が誕生した背景や歴史の解説、実際に出土された粘土板、石板、羊革紙に刻印された楔形文字や聖刻文字が展示されていました。また、甲骨、牛骨、青銅器に刻印された漢字やアラビア文字の展示もされていました。
これらの文字は、別々の地域で、お互い無関係に生まれたといわれています。今から約5,000年前(紀元前3,000年)の人類が、史実を記録したり、行政を司るための共通フォーマットとして文字が発明されたといわれています。
これは奇跡と言わざるをえません。とはいえ、必然性がありました。国家を統治するには、多くの人が共通に認識できるコミュニケーションインフラが必要だったのです。
それより少し前には、トークンという数字(数量)やモノを表す記号スタンプ、印章のような刻印は存在していたようです。実物の展示もありました。当時、それらを活用して商業活動や貸し借りの管理に使われていたようです。
さらに時代をさかのぼると、15,000年前に描かれたといわれているフランス南部のラスコー壁画があります。旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれたようです。
絵で表現されているので、生活の様子をある程度は想像することはできますが、文字ではないので正確な情報を知ることができません。。
人類が音声という言葉でコミュニケーションできるようになったのも、すごいことだと思いますが、文字が発明されたことにより、後世に史実を伝えたり、宗教を伝播したり、政治を司ったり、愛情表現したりできるようになりました。
文字って、人類最強の発明だなぁとつくづく痛感した特別展でした。
でも、地球誕生が46億年前、人類誕生が700万年前(諸説ありますが)と考えると、文字の歴史って比較的近い過去のような気もしました。
今後、改めて、それぞれの文字の歴史を紐解いて、寄稿したいと思います。
・書体デザイナー藤田重信さんがテレビ出演
「世界の文字の物語」のチラシで使われていた書体、筑紫シリーズの生みの親、フォントワークス社の書体デザイナー藤田重信さんが、6月13日(月)22:25〜NHK総合の「プロフェッショナル 仕事の流儀」に登場します。
予告動画もアップされてます。皆さん、今度の月曜夜、お見逃しなく。書体好きなあなたも、そうでないあなたも、すごく楽しめる番組内容になっていると思います。おすすめの番組です。是非ご覧ください。
NHK総合『プロフェッショナル 仕事の流儀』告知ページ
http://goo.gl/e0TJQG
【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
http://fontplus.jp/
1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。
その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。
小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。
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編集後記(06/09)
●またまたろくでもないゾンビ映画を見てしまった。「ウォーキング・ゾンビランド」ってタイトルだけで、パロディかパチモンだと分かる(原題は「The Walking Deceased」だけど)。「ウォーキング・デッド」と「ゾンビランド」と「ウォーム・ボディーズ」などいくつもの有名ゾンビ映画、TVドラマを引用しているらしいが、わたしはゾンビマニアではないし、前に見た映画のことなど覚えてはいないから、それへんはよくわからない。マニアには登場人物のチーム構成や行動が、有名ゾンビ映画いくつかのパロディだとすぐわかるそうだ。そういう人にはすごく美味しい映画のようだが、知らないわたしには退屈だ。
ゾンビ映画っていちおう緊張感があるものだが、この作品には殆どない。コメディとしても笑える部分も殆どないが、元ネタを知る人にはきっとかなり面白いんだろうな。8人の(だったかな)男女混成チームがゾンビ・フリーゾーンの「約束の地」である農場を目指すって話で、着いてからのドタバタもあって、結局は農場を襲うゾンビどもを全滅させるが、その方法が安易で、レストラン店員が手を洗わずに握った寿司をホームレスに与えたため、ゾンビウィルスが発生したというのと同じくらいバカバカしい。ところが、世界はゾンビとは別なトンデモ理由で滅亡するのであった。よい子にはおすすめできませんね。
そして、ゾンビを見る度に必ず生まれる疑惑はいまだに解決されない。3年前に書いたこの件。「ゾンビは人食する。食われた人間もゾンビに感染(?)してゾンビ化する。ゾンビが獲物を完食しちゃったら、新規のゾンビは誕生しない。そんなケースはあるのか。両足食われたりしたら動けなくなるし。適当なところで食事を中止するお約束があるのか」。さらに「ゆらゆら歩きまわるゾンビが、人間を発見できなかったら食事ができないわけで、餓死するのか」。同じような疑問を持つ人がネット上でいろいろ考察している。ゾンビは次第に腐敗が進むようだから、放っておけばいずれ消滅するのではないか、とか。
ゾンビは生者と死者を何で(どこで)見分けているのか。なぜゾンビ同士で喰いあわないのか。捕食される側に、ゾンビ化するのと、跡形もなく喰われてしまうふたつの型がある理由は。そういったことを一生懸命考えている人々がいる。勝手に日本ゾンビ学会を頭の中に育てて、ああだこうだとこねくり回す人もいる。現行のゾンビ像を決定づけたのは、1968年のジョージ・A・ロメロのアメリカ映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」だ。それから50年近くなるが、「オブ・ザ・デッド」で終わる作品は山ほど現れた。ほとんどがバカ映画だ。ゾンビメイクを施され、エキストラで出演させてもらいたい。(柴田)
「ウォーキング・ゾンビランド」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01420LYJY/dgcrcom-22/
●関口さん、お誕生日おめでとうございます!
「ファンクラブに属するなんて考えられない」と言っていた中二病時代があった。今でもそういう変なこだわりが多少残っているが、歳をとるにつれマシになった。
そんな私が情報欲しさに、こだわりを捨ててまで入ってしまったのが、ソフトバレエのファンクラブだ。初めてライブのために宿泊費を使ってしまったのもソフトバレエだ。
好きになる音楽のベースは親が聞かせる音楽だろう。父親は演歌や純邦楽、母親はクラシックにブルーグラス、カントリー&ウエスタンという何でもアリな状態。耳が鈍感なのか許容範囲が広いのか、板書中のチョークのキーという音や、ガラス窓を爪でひっかくような音に耳をふさぐことなく、読経や行進が音楽に聞こえる。
最初にはまったのは、親の聞いていた音楽ジャンルとは違うYMO。ピアノを習っていたので、音階のはっきりした音楽をいいと思ったのかもしれない。といっても子供の頃なので一枚しかアルバムは持っていなかったように思う。もっぱらラジオ派。
ラジオ、それも深夜に流れる洋楽が好きになった。歌詞がわからないので、音から入る。テレビで流れる歌謡曲とは違っていて、ユニークで面白かった。
親の好きなジャンル以外にも、ワールドミュージックや歌謡曲、アニメソングなどに好きな曲はあるわけで、ジャンルを分けて音楽を聴くことはせず、好き嫌いだけで判断していた。
音を求めているだけであって、洋楽を聴くことがかっこいいとか、マイナー音楽の方がいいとか、そういうのはなかった。というより、そういう価値観を知らなかった。
どんな音楽が好きかと同級生らに問われて答えると、知らないと言われる。求められて聞かせると「変」「こんなのどこがいいの」と馬鹿にされる。「気持ち悪い」「お前の好みはわからん」とまで言われたことがあった。
私は変で気持ち悪いんだ、どうせ答えても誰も知らないし、音楽の好みは人に言わないでおこう、歌謡曲の中からピックアップしよう、同調しようと決めた。
そして大阪という文化的田舎で、洋楽やインディーズ音楽を取り扱う雑誌を読み漁っていた。人や場を求めて移動することを覚えた。主張して気持ち悪いと言われる必要なんてない、わかる人のいるところに行けばいいだけなのだ。レンタルショップでバイトし、いろんな音楽を聞き、ライブに行った。
テレビで初めてソフトバレエを見た時の衝撃は忘れない。NHK番組で数曲演奏した。好みの音楽を日本人がやっていて、のっている観客が大勢いた。え、なんで? こういう音楽って気持ち悪くて変で、かけると嫌がられるよね? なんでこんな音楽をテレビでやってるの?
日本も変わってきているんだと思った。私が人に変に思われたくなくて封印していたものを、彼らは堂々とやっていて、それが受け入れられている。なんて凄い人たちなんだろう。
ネットのない時代だった。すぐにCDを探してショップをはしごし、日本のメジャーバンドを扱う音楽雑誌を買い求めた。好きな曲ばかりだった。彼らはツアーが終わり、長い休みを取っている時期で情報がなく、中二病ポリシーを曲げてファンクラブに入った。
しばらくして、特に音楽を好んで聴いていないだろう年下の人たちと接した時、好きな音楽を尋ねられた。わからないと言われるのを予想しながらも、こわごわと伝えたら皆は、知ってる、あの曲が好きと口々に答えてくれた。音楽で共感される嬉しさったら。
同世代には知られていなかったが、下の世代には知られているというのは勇気になった。人の価値観なんて世代で変わるし、時代も変わる。いつひっくり返ってもおかしくない。いまはネットに繋げば情報は手に入り、様々な国の文化を知ることができ、自ら作ったコンテンツを世に出せるのだ。
一週間ほど前、古いカード類の入った箱を整理し、会員証を目にしていた。気恥ずかしいけれど、大事な時期だったなぁと回顧していた。本当に好きだった。
森岡賢さん。あなた方の作った音楽は、大阪の一人の女に届いていました。救われました。大好きでした。
minus(-)のライブで見たあなたが最後でした。サイン会に参加しなかったことが悔やまれます。ジ・アンダーテイカーの腕は、うぉーとばかり触りに行ける私ですが、好きすぎると近寄れないものなのです。あの世でお見かけしても、たぶん近寄れずにいると思います。
安らかに眠ってくださいと書きかけました。どうぞあの世でも歌い踊り続けてください。 (hammer.mule)