[4333] CONTAXを酷使する

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《「?」が「!」になる》

■装飾山イバラ道[199]
 「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」感想 最終編
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[03]
 CONTAXを酷使する
 関根正幸




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■装飾山イバラ道[199]
「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」感想 最終編

武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20170425110200.html

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数回に分けて書いてきたゼルダのゲームの記事も、そろそろまとめにしよう。ゲームの進み具合としては、ようやくラスボスであるガノンを討伐し、やり残しの世界を歩き回っているところだ。
※以下はゲームのネタバレがあります。

祝・ガノン討伐と書きたいところだったけれど、やり残しを片付ける度に「これは先に済ませておくべきだったかー」という事を発見してしまっている。

もう少し先になりそうだけれど、再びガノン討伐に出かける時には、スカっと爽やかな終わりになるだろうか。今後はこのゲームにある色々な優しさのおかげで、いきなりゼルダロスにはならなそうだ。

このゲームは一度最後まで終えても、☆印のついたデータから続きをプレイできるようになっている。ラスボスを倒す以前の世界に戻って、やり残しを片付けることができるのだ。

●気づく楽しさ

前回、私はこのゲームを「ゲーム的に解釈された、この世の仕組み」と書いた。

オープンワールドというのがどういうことかを、このゲームを通して知ったのだ。自分で歩いたり馬に乗ったり、パラセールで飛んでいける。見つけたものに、どのような行動をしてみても良い。宝箱や謎解きが詰まった世界のセットなのだ。

全編を通して謎を解くことが多いけれど、もしかしてこんなことまでできるのか? と思ってやってみたことが、アタリだった時の楽しさは格別だ。

「?」が「!」になる気づきの連続だ。

この「気づく楽しさ」は、「できた」という達成感もあるけれど、この仕組みを作り上げた人たちの、巧妙さやユーモアに感動するのだと思う。

だからなるべくゲーム中は情報を絶って、自分で気づく回数を増やしたくなる。ずっと「?」だと苦しいので、ちょうど良いところで「!」になると嬉しい。

火をつけて燃やすと変化するもの、叩いて飛んでいくもの、拾って持ち歩けるものなど。ゲームの中で何が可能なのか、不可能なのかを試しながら学ぶのだ。

私は夫と協力してゲームしているので、「よくそんなことわかったね」と言われれば嬉しいので、なんとか先に謎を解こうと頑張ったりする。お互いに手柄を競いあっているのだ。

●何が起こるかはプレイヤー次第?

ゲームなのでほとんどの事件はあらかじめ用意されていることだけれど、たまに今のは偶然かも? と思えることが発生する。

戦っていた敵とは違うマモノの攻撃が、たまたま敵に当たってやっつけてくれることはよくあり、オウンゴールのようで笑ってしまう。

ある時、リザルフォスと戦っていたら、そばに小さい岩のマモノ、ミニイワロックがあった。するとリザルフォスが、ミニイワロックの腕を掴んで投げつけてきたのだ。

初めて見たので驚いたけれど、本当に投げたのか錯覚なのか、また同じ状況にならないと確認ができない。ゲームの中にいる生き物たちが、どんな絡み方をするのかは、かなりその場次第かもしれないのだ。

どうも後半になってくると、戦いに飽きないようにするためか、イーガ団がランダムに襲ってきて混戦状況になりがちだ。

天候も突然雷雨になったりするので、予想していた通りになりにくいのはこの世と同じだ。自然さに翻弄されるのもこのゲームらしいところかもしれない。

●リアルで美しいグラフィック

デジクリなのでグラフィック的には、リアルな背景のことについて触れたい。地面や木々、山肌はすべてがそこにあるように見事につながっている。

以前、海岸での波打ち際の水の美しさのことを書いたけれど、ゼルダではおなじみの火山地帯「デスマウンテン」の一帯の描写も、私にはとても面白かった。

固まって黒くなった溶岩の割れ目から、流れ出るオレンジ色のマグマなど、場所によって変化する岩の様子が実にリアルだ。メラメラとしたマグマの光り方が美しい。

盛り上がりながら固まるとこんな感じだろうなというザラザラとした岩肌は、本物のような繊細な質感なのだ。熱気で遠くの景色が揺らぐ感じや、目が痛い感じまでしてきて、あまり長くこの場所にいたくないという気分になってくる。

時間や天候要素もあり、何層にも重なった複雑な見え方が用意されているのだ。

火山の火口付近に立ち入ることなどは、私はリアルの世界では経験できないだろう。マグマに耐えるマモノがいたりして、ゲーム世界のありえない山ではあるけれど、リアルな要素を大事にしたところに、作りこみの本気度を感じることができる。

●失われた記憶を取り戻しながら進むストーリー

親子、幼馴染、ライバル、恋人など、人生で関わる色んな人間関係がこのゲームの中にもある。主人公は失われた記憶を取り戻しながら進んでいく。

あらゆる人々と関わりながら記憶を思い出すことで、戦いに対する切実性が増すようになっているのもいい。

急ぐ人も時間をかけて丁寧に関わる人も、どちらも肯定できるようになっているわけだ。「その人の大事にしている事が最優先でいいんです」というのは、このリアルな世界にも必要な優しさだと思う。

このタイプのゲームは数年に一度しかプレイしないのに、問題なく飽きずに遊べるのが不思議だ。そのように作ってあるといえばそれまでだけれど、難易度設定が絶妙なのだと思う。

それにしても大変なボリュームのゲームだ。クリエイターの皆さんには、こんなに素敵なゲームをありがとうと伝えたい。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


宅配カーのロボネコヤマトってすごいけれど、近所には自転車で荷物を引っ張るリヤカー? のヤマトさんがいる。調べると新スリーターというらしい。後ろの荷台が大きくてバランスが難しそう。


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■Scenes Around Me[03]
CONTAXを酷使する

関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20170425110100.html

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前回に続けて、記録行為をするようになった経緯を書こうと思ったのですが、その前に、1995年以降、現在も(細々ですが)使い続けているCONTAXというブランドのフィルムカメラとの関わりについて触れることにします。

CONTAXというカメラブランドのことは、私が説明するよりも、wikipediaをご覧いただいた方がいいと思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/コンタックス


CONTAXを知るようになったのは、当時通っていた大学の生協の書籍コーナーに平積みになっていた、写真に関する本を立ち読みしたのがきっかけでした。

その本の著者名とタイトルについては記憶が曖昧だったのですが、今回原稿を書くにあたり、国会図書館で調べたところ、日沖宗弘「プロ並みに撮れる写真術」だと分かりました。

この本は第1集が1991年に出版されていて、「ひとりで仕事をする研究者・ライターのために」という副題があるように、カメラマンを雇う余裕のない研究者・ライターが取材先で失敗のない写真を撮るための指南本で、当時それなりに売れたらしく、第4集まで出版されたようです。

私が手にしたのは1993年に出版された第2集で、CONTAX T2というカメラを紹介している個所を読んでいました。

前回書いたように、当時は自転車で中山道の道筋を辿り写真を撮っていたので、なるべくかさばらず写りが良いカメラを探していました。

でもズーム式のカメラが希望だったこともあり、38mmの単焦点レンズの付いたCONTAX T2は購入しませんでした。

結局、カメラは1995年に仕事の関係でまとまった金が入った際、CONTAX TVSを12万円で購入しました。

そのカメラは1997年の秋、旅行中、一脚にくくり付けて自転車で坂を下っている途中に転倒、アスファルトに叩きつけて大破しました。

そのまま、数か月カメラを持たずに過ごしましたが、1997年の暮れに同じ機種を購入(ただし中古)しています。

さらに、交換レンズ式のカメラであるCONTAX G1が後継機種の発売により値下がりしたため、中古のボディと28mmのレンズを1998年夏に購入、以来、同じ機種を使い続けています。

ただし、カメラの使い方が荒っぽく、ボディは何台もダメにして、中古品のボディの購入を繰り返しました。

例えば、多少の悪天候でも、スイッチ付近を軍手で簡単に覆うだけで使ったり、蓋がしっかり閉まっていないペットボトルとカメラを同じカバンに入れて、カメラをショートさせたこともあります。

また、カバンから落下させるのは日常茶飯事で、酷かったのは、カメラを三脚に付けたままその場を離れたところ、脚が緩んで三脚が倒れ、レンズがボディから外れなくなった時で、メーカーに修理不能と診断されました。

詳しくは、2014年の横浜トリエンナーレで展示されたアートビン(アートのゴミ箱)に、G1のボディを11台捨てた時の日記と映像(youtube)がありますので、それを紹介します。

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長い間、同じ機種のフィルムカメラを使い続けています。

その間に落下や冠水などの不注意によってカメラを何度か修理に出しました。

忘れもしませんが、たまたま見に行ったソンクラン(タイの水かけ祭り)で水をかけられたのがカメラを修理に出した最初で、その後も故障するたびに修理に出していました。

しかし、ボディに関しては数年前にメーカーのサポートが終了したことと、その大分前からボディの中古価格が修理費を下回るようになったことにより、ほぼ使い捨て状態になりました。

購入した時点では良い状態のボディ(少なくとも外見は)も、衝撃や雨天での使用がたたって、具合が悪くなったり、挙動不審になったりしました。

ピント合わせのダイヤルがしぶくなったり、ファインダーの視力調整ダイヤルが壊れてボケボケの状態で使わざるを得なかったこともあります。

オートフォーカスがうまく作動しない場合は(これはボディの個体差があるので故障とはいえないのですが)、コンベックス(メジャー)を使って距離を測ることも。

そうこうするうち、レンズの繰り出しに異状をきたしたり、シャッターやフィルムの巻き上げに問題が出たりすると、買い替えを検討しましたが、それでも、決定的なことが起こるまでは、だましだまし使い続けました。

そうして、新しいボディを手に入れたとき、どうして今まで我慢して前のボディを使い続けたのだろう、と痛感するのですが……

ということの繰り返しで、気がつくと壊れたカメラのボディが11台になっていました。

これらのカメラは夏に板橋 ART STUDIO DUNGEONでの「記録魔」展で展示しました。

そして、このたび横浜トリエンナーレのアートビンに申請したところ、失敗の歴史と認定されたのか、それとも、撮影した写真も廃棄すると申請したことが功を奏したか、申請が通ってしまったので、これから横浜に向かいます。

ボディにとって最後の晴れ舞台になるとは思います。

https://c1.staticflickr.com/3/2929/34218512255_082c1ed75b_c


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今回紹介する写真は、上述の通り、1997年の暮れに2台目のCONTAX TVSを購入した直後に撮影しました。

https://c1.staticflickr.com/3/2937/33834451690_9bf0471d43_c

これは、3月の高円寺鳥渡で展示したもので、その時準備したテキストを紹介します。


1997年12月 東京大学駒場寮 北寮1階オブスキュアギャラリー

歌舞伎の女形中村しのぶ(芝のぶ)さんは、歌舞伎の演目「鳴神」を題材とした芝居の上演を企画、1997年末に2日に渡り公演を行ないました。

しのぶさんは当時、占い師に余命が30年と占われたことに焦りを感じ、自らが鳴神上人を籠絡する美女役を務める芝居を企画したのだそうです。

写真は会場入口で出番を待つしのぶさん。

CONTAX TVSを小さな三脚にくくりつけ、低い位置からノーファインダーで撮影したので、ピントが後ろに抜けて廊下の奥行きが目立っていますが、妖しの者を演じているのでピントが合わないほうがそれらしいと、強がった記憶があります。

駒場寮関連の話は、後日改めて触れることにします。


【せきね・まさゆき】sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔。


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編集後記(04/25)

●スピルバーグ監督の「A.I.」を見た。2001年制作だから既に古典といっていいような気がするが、ビジュアルは今見ても新しい。この映画は見なくてもいい、むしろ見ない方がいいと直感したので、長いことさわらずにいたが、たまたま図書館のAV棚で見つけて、自己規制を破りとうとう見てしまった。

パッケージには「“愛”をインプットされて生まれて来たA.I(人工知能)少年の、数千年にわたる壮大な旅を描いた物語」とある。感情を植え付けられたロボットと人間との、めんどうくさくてお涙頂戴のやりとりを描くのだろうと思ったいたから、壮大な旅には興味をひかれた。でもその部分は余計だった。

予想通り居心地の悪い映画だった。人間そっくりで、しかも感情のあるロボット少年ディビッドを息子代わりにするなんて設定(しかも成長しない)そのものが受け入れられない。想定外のよけいな動きをする、変に知恵のついたロボットなんて鬱陶しい。息子のように可愛がっていたら、実の息子が帰ってきた。

きれいな顔した息子だが、相当に意地が悪い。母親の手料理をこれみよがしに頬張るから、対抗するディビッドは無理やりほうれん草を大量に食べてしまう。異物の侵入で体内のメカは壊れるのはわかるが、なぜか顔の半分が無惨に溶けてしまう変な見せ場もある。息子の悪意は本物だ。いやな描写ばかりである。

こうなったらディビッドを製造元の会社に戻すしかないだろう。母親は彼を連れ出してサイバートロニクス社に向かうが、考えを変えて森の中に捨てて去る。ここまでの家族とディビッドの関わりのシーンは、見ていてつらくて、何度も停止しようと思った。つくづく映画に見るアメリカの家族は病んでいる。

これは母親の精一杯の愛情だと想像するのだが、最先端のロボットを会社に返さず置き去りなんてありえないだろう。何考えているんだかよくわからない母親と、無責任を絵にような父親と、底意地の悪い息子の一家、その後は描かれないが、巨大な損害賠償で一家は破綻する。って誰も想像してないだろうが。

物語がようやく面白くなるのはこれからだ。ところが、ロボット殺戮ショーの描写は悪趣味の極みで、ここまでやるのかよーと思う。ロボットにはどんなひどいことをしてもいいんだという人間たち。嗚呼、とんでもない未来である。インディアンを残酷に殺戮し尽くした、アメリカ人の精神がここに表れている。

ディビッドを助けるのは男性セクサロイドである。このキャラクターが超絶にイカす。それからの展開はほとんどピノキオを思わせるファンタジーだが、ディビッドの乗ったポッドは水底で動けなくなる。これで終わりだと思ったら、ナレーションで説明する2000年後の世界へ。これが余計だっての。後味最悪。この物語の中で一番好きなキャラクターは、理性的なテディベアだ。 (柴田)

「A.I.」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005S8LJ/dgcrcom-22/



●ドラマ「人は見た目が100パーセント」をTVerで見た。研究職の理系女子が、会社買収に伴い、丸の内勤務になるため、オシャレコンプレックスが刺激されて……というコメディ。頷きまくった。爆笑した。あるあるだらけ。

地味に生きてきたし、キラキラ女子はまぶしいと思い続けているので主人公らの戸惑いがよくわかる。オシャレ度の高いものより、機能性の高いものの方が心を動かされる。たまに頑張ってみようとするが続かない。行き過ぎる。洗練しない。しんどい。居心地が悪い。めんどくさい(笑)。

最近やっと光るものが好きになってきたのだが、これは超派手な宝塚を見て、それよりも一般的なものの方が地味に見えるという相対効果のように思う(笑)。

ドラマで爆笑したのがクラッチバッグのエピソード。お財布やスマホなど必要なものを入れていくと入りきらない。入ってもパンパン。しかしパンパンはかっこ悪いというハードルが! 続く。 (hammer.mule)

人は見た目が100パーセント。木曜日22時から
http://www.fujitv.co.jp/hitopa/


TVer(ドラマ一覧)
http://tver.jp/search/?genre=%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E