[4406] 自工程前倒し計画で贅沢な湯を満喫

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《重さ(≒暖かさ)は枚数でかせぐ》

■アナログステージ[156]
 自工程前倒し計画で贅沢な湯を満喫
 べちおサマンサ

■はぐれDEATH[39]
 はぐれのお布団事情はとってもヘビー
 藤原ヨウコウ




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■アナログステージ[156]
自工程前倒し計画で贅沢な湯を満喫

べちおサマンサ
https://bn.dgcr.com/archives/20170901110200.html

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コンニチハ。ほとんど横浜にいないべちおです。夏季休暇はいかがでしたか? オイラは『自工程前倒し計画』で、なんとか数日の連休を作りだすことに成功し、ゆったりと会津(福島)旅行へ出かけてきました。

自工程前倒しとは、オイラが勝手につくった造語であり、カイゼン用語にでてくる『自工程完結』とは、なにも関係ありません(笑)

世間が連休に入るまえに、どうしても連休を取りたかったので、睡眠時間と週末の休日(といっても、ないようなものですけど)を削り、いま手が進められるところは進め、1セクション終わらせられるところは終わらせるという、同時進行タスクで、見事お休みをゲット!

一緒に作業している人にも、ベンダー(下請け)さんにも、誰にも迷惑をかけることなく、なおかつ、休暇中に仕事の電話が鳴ってシラけないように、自分への配慮も完璧。

「関東三十六不動」の続きが書けていないので、今回はオイラの旅行ブログネタのようなお話しでスイマセン、、、

●芦の牧温泉(一日目)

今回の会津旅行では、初日を芦の牧温泉、二日目は東山温泉、三日目を中丿沢温泉と、日替わり贅沢温泉旅行でした。初日の芦の牧温泉では、大川荘という老舗旅館に宿泊。厚いおもてなしで玄関からロビーに入ると、なんと館内に小川があり、中央のステージで三味線の生演奏が。

もう、この時点で完全に癒されました。普段とまったく違うロケーションは、現実逃避の入口には最高。なんだかんだと、常に付きまとっている仕事の「し」の字も脳裏に過ることなく、簡単に館内を案内されながら部屋へ。

渓谷を一望できる大きな窓に、12畳はある、ゆったりとした間取りの和室。久しぶりに嗅ぐ、い草の香りが合わさって、「うぉー! 旅行にきたー!」ってテンション爆上がり(笑)

・絶景露天風呂を会津 芦ノ牧温泉で愉しめる旅館 大川荘【公式サイト】
http://www.ookawaso.co.jp/


運転ご苦労さまの瓶ビールを飲んで、「夜食前にひとっ風呂」ということで、温泉へ。渓谷を眺めながらの露天風呂、「最高ぉ!」の言葉以外にでてこない。

湯は熱くもなく温くもなく、ずっと浸かっていられる。部屋に戻っても、ぜんぜん汗が引かない。夜食は会席料理で、先付けから甘味まで、すべて文句なく美味しい。機会があれば、いや、毎月通いたく旅館でした。

●東山温泉(二日目)

芦の牧温泉を後にし、大内宿で散歩を兼ねてお買い物。以前立ち寄ったときに、会津ちりめんで製作した巾着がとても使い心地がよく、別の柄でリピート購入。

この日は日差しがとても強く、夏用の作務衣を着ていたのですが、背中は汗だく。熱中症も怖いので、日傘男子デビューしました。黒の作務衣にあずき色の布草履、巾着ぶら下げて黒の日傘さしているオッさんは、某セーラー服オヤジくらい異様な姿だっただろう。

早めのランチでは、大内宿名物の高遠そばを食べることなく、蕎麦がき。モッチモチな蕎麦がきと蕎麦つゆの相性がバッチリ。美味しかった、胃袋のキャパがあれば、あと二杯くらい食べたかった(笑)

・大内宿観光協会
http://ouchi-juku.com/


お腹もふくれたところで、東山温泉へ行く前に寄り道。鶴ヶ城は何回か来ているので、まだ足を運んだことがない御薬園に寄ることに。植物や花はまったく分からないが、蓮がチラホラと咲いており、イタズラ(嫌がらせ)用の蓮の種のアップ写真を数枚撮り、ムスコとムスメに送信。

・鶴ヶ城 会津若松城 御薬園 松平家廟所
http://www.tsurugajo.com/oyakuen/


チェックインまで時間が中途半端だったので、少し距離はあるけど、喜多方まで足をのばして、ひまわり畑を観にいってみました! が、まったく咲いておらず、しょぼーんとしながら東山温泉へ。

・三ノ倉高原ひまわり畑のお知らせ - 喜多方市ホームページ
https://www.city.kitakata.fukushima.jp/soshiki/sangyo-a/6927.html


東山温泉で選んだ旅館は、国の文化財に指定されている旅館、『向瀧』。映画にでてきそうな旅館だと思ったら、『聖の青春』という映画の撮影で使われていたそうです。

番頭さんに館内の説明を兼ねながら、部屋に案内してもらい、さっそく瓶ビールを注文。うまい。仕事あとのビールとは違った旨さだ。何もしないで、「酒飲んで寝ればいいだけ」という安心感も旨さを手伝っているのかも。

・【会津東山温泉 向瀧】公式HP 会津東山温泉の源泉かけ流し
http://www.mukaitaki.com/


湯治場としての温泉だけあって、湯は源泉だけの熱めの『きつねの湯』と、滝の音が聞こえてきて、「なにこの贅沢っぷり、いいの?」と薄ら笑いがこぼれる『さるの湯』。お湯がとてもサラサラしており、柔らかいお湯という表現がぴったり。

夕食は昨日に続き、会席料理。味は文句なしなうえ、会席料理なのにボリュームがすごい。ただでさえ腹がたまる会席料理なのに、食事の途中で満腹に。料理を出す時間を少し遅らせてもらい、小休止しながらなんとか完食しました。

寝るにはまだ少し早い時間だったので、夜のお散歩で周辺を散策。旅館の横に流れている川の真上で、盆祭りのやぐらを組んでいるのを初めてみた。相当賑やかになるそうだ。見てみたかった。少し坂をあがってみると、これまたレトロな射的場を発見。

この先の灯りはついていなかったので、射的場で必死にブタメンを狙う。弾は当たるが落ちない。箱型のお菓子は簡単に落とせるんだけど、ブタメンの円筒の安定感は抜群らしい(笑) 帰り際、射的場のおじちゃんがブタメンとオマケを袋にいれてくれて、旅館に。

●中丿沢温泉(三日目)

東山温泉を後に、この日最初の寄り道は、会津武家屋敷。当時のまま保存されているお屋敷は、想像以上に広く、見応えあるものでした。

猪苗代湖のほうへ向かい、新しくできた、道の駅に立ち寄り、昨日のひまわり畑が見られなかったリベンジで、ハーブ園にある『ひまわり迷路』へ。「また開花していなかったら、どうしよう……」という不安は他所に、見事な咲きっぷりでした。ひまわりは見ていると元気でますね。

・会津武家屋敷は歴史感動ミュージアム
http://bukeyashiki.com/


・ハーブ園|グリーンシーズン|猪苗代温泉リゾートホテル ホテルリステ
ル猪苗代
http://www.listel-inawashiro.jp/green_season/herb.php


中ノ沢に向かいがてら、不動明王様を祀ってある滝ということで、お参りを兼ねて、いなわしろ新八景の『不動滝』へ。水量が多く、迫力がすごい。夏休みで家族連れで賑やか。

・達沢不動滝(猪苗代町)(福島県観光スポット)─ふくしまの旅[公式]
http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot_disp.php?id=5576


時間も15時過ぎていたので、チェックインしてダラダラしようと考えたけど、せっかくなので、磐梯吾妻スカイラインを通り、国立公園の浄土平へ。

スカイライン通行中、雲の中を走って景色は真っ白。なにも見えない。対向車来たら怖いと思いつつ、浄土平に到着。時間が少し遅かったのか、平日だったせいなのか、広い駐車場には、車がポツンポツン。

吾妻小富士散策という案内があったので、登山道をのぼって火口へ行ってみることに。頂上へついた途端に、山全体を覆っていた雲が抜けた。見えなかった火口がはっきりと見えるようになり、見ないと形容できないほどの綺麗な景色が、視界一面に広がる。

火口壁から火口底まで、落ちたら確実に死ねる高低差があるけど、安全柵などいっさいない。高所恐怖症のかたには、絶景スポットならぬ、絶叫スポット確定なところだ(笑)

火口壁を一周するには、かなり時間を要するようなので、写真をパチパチと撮って、空気をたくさん吸いこんで、駐車場へ。

・磐梯朝日国立公園[磐梯・吾妻地域]|浄土平・吾妻山
http://www.bes.or.jp/joudo/vc/


中ノ沢温泉でチョイスしたのは、16歳未満はお断りの大人の宿、『万葉亭』。中ノ沢も湯治場として有名。番頭さんに館内を案内してもらいながら部屋へ。ここまでは三日間同じ。風呂のまえに、まずはビール。今日も旨い。THE旅行を十分すぎるほど満喫している。

・福島県会津中ノ沢温泉 御宿 万葉亭[古の旅人となる季節]
http://www.manyoutei.jp/


時間が時間だったので、お風呂のまえに、夕食に。三日連続の会席料理になってしまいましたが、どこも趣向を凝らした品書きで、飽きることはなかった。

会席はどうしても途中で満腹になってしまう。お残しするもの申し訳ないので、台の物がでてきたところで、ストップしてもらった。

お腹かがいっぱいになってしまったのと、浄土平での登山がキツかったのか、この日は温泉には浸からずに、爆睡。朝食前に温泉に浸かり、「朝風呂で温泉って、本物の贅沢」と、旅行最後の日を楽しみました。出発前に再度温泉に浸かり、支度をして、三日間の贅沢な贅沢な夏季休暇は終わり。

あー、楽しかったな、このテキストを書きながら思い出しては、いま目の前に
ある書類たちに溜め息を漏らしてます……。


【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp

NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト。ぶら撮り散歩師。愛機はD90とGRD4。最近はiPhone6で写真撮影多し。全国寺社巡りで、過去の懺悔道中をしております。→ついに西国を打ち始めました。結願まで何年掛かるのやら。


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■はぐれDEATH[39]
はぐれのお布団事情はとってもヘビー

藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20170901110100.html

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「はぐれだから」というより、ただ単に幼少期の経験値に過ぎないとは思うのですが、ボクのお布団事情はなかなかにヘビーらしい。らしい、というのは友人・知人やCMなどで流れる色々な種類の布団が、まったくボクの趣味に合わないからである。

「軽くてふんわり、夏は涼しく冬は暖かい羽毛布団」……なんてのはその筆頭である。

寝る時は重い掛け布団がないと不安になる。ナゼかはさっぱり分からん。とにかく軽い布団は、どれだけ高機能を謳ってもボクには不安感しかもたらさない。一定の重さがどうやらボクの眠りには必要なようなのだ。

ここに、ももち(猫です)が加わると、もう快適そのものなのだが(笑)

特に冬場は重くしないと暖かくなりそうな気がしない。完全に勘違いなのですが(実験済み)。掛け布団が軽過ぎると、どうにもそわそわして、寝るどころの騒ぎではなくなる。

「一種の胎内回帰願望みたいなもんか?」とも考えたのだが、なんか話が大層になりそうなのでこの考えはソッコーで捨てた。

身体に負荷がかかると、暖かくなるように感じるだけの話だろう。寝ながら加圧トレーニングみたいなもんか? どこが鍛えられるのか、さっぱり分からないけど。

大体、ほとんど寝返りを打たないのだ。動く人なら(こっちが普通である)軽
布団の方が動きやすいだろうし、そもそも圧迫感を感じることなく、深くて快適な眠りに入れるのではないだろうか。

初っ端からコケてるのだから、世間様のでふぉは通用しないに決まってる。

これが春から夏にかけてとなると、結構な騒ぎになったりする。だって、布団の枚数が減るんだもん。当たり前だけど。

「重さ(≒暖かさ)は枚数でかせぐ」というのが、ボクの基本パターンだ。

実際、冬の重ね着は相当無茶苦茶である。それでも着膨れしないようなもので構成しているので、ぱっと見た感じは、それ程重ね着をしているようには見えないというところがキモである。

一番寒い時期(と言ってもボクは結構早かったりするのですが)は、タオルケット×2→薄くて重い毛布→薄くて軽い毛布→二つに畳んだ重くて厚い毛布→掛け布団、という構成である。これが暖かくなるにつれ徐々に枚数が減っていくのだ。

いくら重い布団が大好き、と言っても京都の寝苦しい夜に(伏見の方が上賀茂よりきつい)何を好きこのんで、こんな重い布団構成で寝なきゃあかんねん。

と、自分で自分に言い聞かせているのだが、それでも何となく不安になる。暑いからダメに決まっているのは頭ではちゃんと理解してるし、不快なのもばっちり分かっている。それでも不安になるのだ。これはもう一種の強迫概念のような気すらしてくる。

とか言いながら、タオルケットだけは意地でも手放さない。これまたそこそこ重いのですが。

本来、バスタオルだけで十分なのですよ、ボクの場合。お腹が冷えないようにさえしておけば問題はない。

実際、動かないからバスタオルの面積で必要十分なのだ。でもやっぱりバスタオルだと、またまた不安になる。愛用しているタオルケットは、もうギリギリのラインだったりする。

もちろん、こんなアホなコトをするのはボクだけで、おねえちゃんが小さい頃にお布団の中に潜り込んだ時「おとおさんのおふとんおもたいなぁ。おとなのおふとんはこんなにおもいん?」と、どう答えたらいいか分からないことを聞かれて往生したことがある。

話のついでだが、おねえちゃんの寝相はかなり酷い。まだ保育園に上がる前だと思うのだが、一階の八畳の和室を横断して、隣接する玄関まで転がっていった猛者である。

玄関は上がり框が結構高い上に、土間はもちろん硬いので発見した奥さんは血の気が引いたそうだ。そりゃそうやわな。

何しろおねえちゃんは部屋の奥の方に寝かしていたのだ。横で寝ている奥さんを器用に迂回しつつ、玄関にまで辿り着いたようだ。点点とお布団が散乱していたので、迂回コースは丸分かりである。

まだハイハイしか出来ていなかったので、赤ちゃん用の柵を用意していなかった。慌てて入手したのは言うまでもあるまい。「しかしよくギリギリの所でとまったもんや」と、奥さんとビビりながら呆れた記憶がある。

ちなみに小学校に上がる時、おねえちゃん用に個室を与えた折にベッドを買ってあげた。もちろん柵付きだ! それでもあの狭い空間の中でめちゃめちゃ動いてるし。

朝起こしにいったら、いつもぐっちゃぐちゃになったお布団の中で、とんでもない方向を向いて寝ていたりする。恐らく今もこの癖は全く直っていないだろう。っていうか、矯正の仕方なんか分からん。

ちなみに、程度にもよるが寝る時は適当に動く方が身体にはイイらしい。と言うか、こっちが自然なのだそうだが。

で、ボクは寝てる間ほとんど動かない。死体の如くじっとしている。こっちの方が不自然極まりないのだ。

ところが、ももちや昔実家で飼っていた猫が、冬になるとボクのお布団に潜り込んでくる。動かないから安心して寝るようだ。

ももちに至っては、最初は隅っこの方にちょこんと潜り込んで、右太腿の辺りにぺっとりひっついていたのに、目が覚めたらボクの脚を無理矢理押して(多分、無意識だと思うのだが、押されるとボクが自ら譲っているようだ)お布団のど真ん中にいるという図々しいにも程があることを平気でする。

もちろん、ボクは本来動かないので脚だけ平行に動かされる。上から見れば、仰向けなのに腰の所からかくんと15度弱ほど曲がっているという始末である。

まぁ、どっちもどっちやな。これで身体が痛まないのだから、柔らかい身体というのもなかなか便利である。

動かないというのは、身体の特定の場所(ボクの場合は背面になるのか?)に負荷がかかることになるが、敷き布団だって負荷が掛かる場所はピンポイントで決まっている。

だから、大体5年でボクが使っている敷き布団は綿が出てくる。結構マメに裏返したりしたりしているのだが、5年が限界である。これは完全にボクの寝方の問題である。

敷き布団は敷き布団で、硬くて薄くないとダメである。動かないのだから負荷に沿って沈むような布団が良さそうなものだが、なぜかダメなのだ。

掛け布団さえあれば、板張りの床でも平気で寝てしまう人である。あ、頭はぼーずなので枕は必要ですが。で、枕も硬くないとイヤなのだ。どこまでも歪な就寝習慣である。

で、今春、ついに使っていた敷き布団が手の施しようもなくなったので買い換えることにした。

頑丈で薄くて長持ちしそうで安いやつ(笑)

最初は素直に布団で探していたのだが、「もしかして簀の子もありか?」と一瞬脇道に入りかけた。もっともこの案は、嵩張るので邪魔くさいということでソッコー却下だ。

そこで目をつけたのがヨガ・マットである。お布団と比べるとめちゃめちゃ安かったしなぁ。おまけに収納が楽でコンパクト。

初日は少しドキドキしながら寝たのですが、起きても別に身体が痛くなったり異常があったりしたりはしていない。ばっちり熟睡。

ただ、さすがに素のままだと肌触りは良くないので、パイル地の薄いベッドシートを追加した。これで気持ちよくなった。ベッドシートなのでお洗濯も超楽ちん。メンテが楽なのは重要だ。

だが硬いというのも度が過ぎると、ロクなコトにならない。最初のうちは快適だったのですが、ナゼか両足の付け根が痛くなってきた。色々調べた結果、またまた座骨神経痛である。

何しろヨガ・マットは厚さが6mmしかないのだ。圧力を分散させる隙は微塵もない。やり過ぎ、というのはこういうことを言うのだろう。

よくよく考えてみれば、直に床の上で寝るなんていうのは明らかに一時的な事でしかなく、今回のように五か月にも及ぶ臨床実験はしたことがなかったのだ。おまけに昨年に座骨神経痛を一度やってるので、身体も老いているのだろう。

最初は我慢していたのだが、さすがに痛くて眠れないとなると、これはもう危険ゾーンである。あきらめて一番薄くて硬そうな三つ折りマットレスを買った。これで症状はなくなった。本当はもっと硬い方が良かったんですが。

もちろん一番安いヤツだ(ここ重要)。

枕もかなり長い間好みに合うヤツを捜していたのだが、先日やっと発見した。結局、ぐるっとまわってソバ殻だ。低反発枕とやらも試したのだが、とにかく気持ちが悪い上に高さが全然あわない。

今回入手した枕は、硬さと高さも袋の紐でいくらでも調整できる。おまけに良い具合に頭の形に沿ってフィットしてくれるので、快適そのものである。

とまぁ好みが偏りすぎているので入院時は大変である。

枕は薄くて柔らかいわ、掛け布団も薄くて軽いわ、敷き布団もそこそこ柔らかい。ボクの就寝習慣とは真逆なのだ。もっとも、入院中というのはほぼ常時点滴を打たれているので寝てばかりなのですが、気がついた時の機嫌の悪さは自分でも絶望的なほどだ。だから病院は嫌いだ。

ホテルも同様で、たいがいまともに安心して寝れない。いっそ寝袋を持って野宿した方がマシな気すらする。高いから買わないけど。

以前に書いたような気もするのだが、お布団はお日さまの匂いがしないとイヤだ。だから冬でも夏でもとにかく乾かす。夏場の乾いたお布団は暑いばっかりなのだが、それでも干す。冬はなかなかいい匂いがつかないけど干す。

春と秋はお日さまの匂いがよくつく。春が一番好きかな。

とここまで書いて「こいつ結構面倒な人やな」とやっと気がついた。

産業革命を引き合いに出すつもりはないのだが、量産品というのは規格がある。だいたい母集団が大きい方にあわせるのが一般的だ。それでも、昨今はかなり多様な展開をしているにも関わらず、ここまでお布団だけで苦労するというのはいかがなものか?

冒頭で「幼少期の経験」と書いたが、実は幼少期のボクのお布団は昔ながらの作りで、両家の祖父母の家に遊びに行った時も、お布団はやっぱり昔ながらの作りなのだ。

実はこの体験で、そば殻枕の快適さを知ってしまったのだ。枕に限らずすべてがそうで、この状態に身体が慣れきってしまうと元に戻せない。

お布団は新調する必要などなく、大抵両家の実家から送ってくれる。これをイチイチ愛用していたのだから、もうどうしようもない。というか、ボク専用で送ってもらっていたような気がする。

この手の変な習性は、ちょっと思い出すだけで結構な数になるのだが、何しろオンリー男孫である。もうすぐに送ってくれていたような気がする。

こうして昭和初期の寝床事情をキープする事が可能だったのだが、さすがに21世紀となると上手くいかんもんである。まぁ、ボクは老い先が短いのでどうでもいいのだが、問題はおねえちゃんである。

さいわい、お布団に関しては保育園に入園した時に、お昼寝用の最新鋭のお布団(もちろん軽い)を与えたので、ボクのようにはならないですんだ。だが他の方面は色々なぁ……。

なにしろ、ほぼ1980〜90年代様式で育ててしまったのである。2001年生まれなのに。ボクの稼ぎの悪さが露骨に出てしもうたしなぁ。その他、生活環境もほとんどボクの価値観で作られているので尚更である。今更言ってみたところで、どうにかなるわけではないのだが。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/

http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/


最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m


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編集後記(09/01)

●世界最強の戦略家であるエドワード・ルトワックの「中国4.0 暴発する中華帝国」を読んだ(2016/文春新書)。危険な隣国の真実が明らかにされて、実に興味深い。まだ読んでいる最中だが(何冊もの本を同時平行で読んでいる)、これはナイスな指摘だと思った個所を見つけたので、ご紹介したい。

韓国について書かれた「記憶のパラドックス──戦わなかったからこそ許せない」という、見開きひとつ分の記述。これまで日本は、韓国に対して求められるままに、十分に謝罪を繰り返してきた。これからもこのスタイルのやりとりは続く。それらは、結局、無駄だった。これからも無駄である。その理由は。

「なぜなら、韓国がそもそも憎んでいるのは、日本人ではなく、日本の統治に抵抗せずに従った、自分たちの祖父たちだったからだ」。終戦の直前まで、例えば日本の軍部の高官が、夕食を楽しんで官舎に帰ってくるとき、護衛をつける必要がなかった。日本の統治は、当時、大した抵抗に遭っていなかったのだ。

ヨーロッパで似たような例がある。ナチスドイツの侵攻に、殆ど抵抗せずに従ったのがオランダだ。にもかかわらず、オランダは戦後の1960年代までドイツを激しく嫌っていた。ドイツ人は休暇に最適なオランダの民宿を訪れることができなかった。「ドイツ人お断り」の看板が出るほど嫌独感情が強かったのだ。

その反対がユーゴスラビア。ダルマチア地方(現クロアチア)では、ナチスドイツと激しい戦闘が行われ、双方に多数の死傷者が出た。戦後の民宿には「ドイツ人無料」の看板が出ていた。ドイツ人の観光客は大歓迎されたのだ。オランダとユーゴスラビアの、ドイツに対するこの著しい違いはなぜ生まれたのか。

ユーゴスラビアはドイツの攻撃に激しく抵抗した。だからこそ、戦後「俺はドイツ人と戦ったぞ!」と誇ることができたし、民宿でドイツ人と食事を共にできるのだ。一方、オランダ人はドイツ人と戦わなかった。彼らはドイツ人に従っただけであり、そこが韓国人と同じなのだ。韓国人は日本人と戦わなかった。

「今日の韓国人は、自分たちの祖父たちを恥じている。その怨みが現在の日本人に向けられている。だからこそ、彼らは決して日本人を許せないのだ」。こういう視点は思いもよらなかった。せいぜい、韓国の真実と真逆のドリーミーな歴史教育のせいだと思っていた。遺伝子がらみ(?)の感情にあったとは。

韓国では「慰安婦強制連行」とか「性奴隷」とか、声高にまことしやかに語られているが、それが本当のことだったら、それに抵抗せずに従った、自分たちの祖父たちを憎むべきだろう。強制連行され、性奴隷にされる少女たちを、命がけで助けようとした勇敢な祖父たちの話、……聞いたことがない。(柴田)

エドワード・ルトワック「中国4.0 暴発する中華帝国」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166610635/dgcrcom-22/



●まにまにフェスティバル(まにフェス)は、いよいよ明日!

/淡路島続き。大人は登る前に距離を把握していたけれど、甥らはそうでないから延々と続くように思えたろうなぁ。距離感がない時って、ほんとしんどいよね。

城跡が近づいてきていることを何度も伝え、お茶やクエン酸飴などを渡し、元気を出してもらう。

リタイヤしてもいいよ、とも伝える。登れる人だけが登るので、登りたくない人はどうぞ、と。時々待ってあげるけれど、ペースは下げない。

こういうのってダラダラ登ったら退屈だろう。子供時間と大人時間って違うから、とても長い時間に思えてしまうだろう。やる気が続く時間中に登り切らないと。

海や旅館を見下ろせるスポットは絶景で、疲労はあるものの爽快。翌日以降、旅館や海からも城跡は見えたので、あの高いところに行けたんだねぇ、と機会あるごとに口にしてみたら笑顔が返ってきた。甥らの一つの経験、成功体験として記憶に残ればいいなぁ。 (hammer.mule)

まにフェス
http://m2college.net/fes5/


洲本城跡からの景色
http://www.jalan.net/kankou/spt_28205af2170020379/