Otakuワールドへようこそ![266]あーっと赤面、旧友に掘り起こされた記憶
── GrowHair ──

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小学生時代、ホモじゃないかと噂されるほど仲のよい友達がいた。お互い親友、親友と言い合っていた。

ところが、別々の中学に進むと、すっかり疎遠になってしまった。そのまま接点なく、それぞれの人生を歩みつづけて終わるかもしれなかった。

BGM:松任谷由実『悲しいほどお天気』

ところが、ひょんなことから音信が再開し、40年ぶりに再会した。まあ、これもまた、セーラー服のおかげなんだけども。

吉原利一。京都大学農学部で博士号を取得し、電力中央研究所の上席研究員になってる。
http://criepi.denken.or.jp/jp/env/profile/yoshihara.html


出世しとるやんけ。聞けば、生物学に進んだのは、私の影響が大きいという。まりもとか、よつ葉3.4牛乳とか。4年生の夏休みに北海道に行ってきたときの土産話からかよ。

俺のなれなかったものに、ちゃんとなってくれてるとも言える。俺のほうこそ、なんかのスペシャリストになりたかったはずなんだけどなぁ。「なると思ってたよ。学者になるだろうな、って」と吉原。

いやぁ、あっちゃこっちゃ興味が分散しちまってなぁ。「なんでも器用にできすぎちゃうんだよ」。うぎゃあ。

今でも乗り鉄で、スタンプ集めしているという。うわ、それもまさしく俺の影響だね。続いとるのかー。広げっぱなしにしてしまったHOゲージの鉄道模型は、きちんとしまわれて、言われればいつでも返せる状態になっているという。

十河進さんがよく書いていたけど、人はふたつの人生を歩むことはできない。こっちの道を取ったら、あっちの道は消滅する。茨の道だったかもしれず、バラ色の道だったもしれないけれど、選ばなかった道の先の可能性をくよくよ言ったって始まらない。選ばなかった時点で、すでにゼロだ。

でも、そうスッパリとはなかなかいかず、できなかったことを後悔し、なれなかったものをうらやんで生きるわけだ。

けど、吉原を見てると、なんだか、パラレルワールドに住む自分と会っちゃったような、妙なお得感がある。




●セーラー服がもたらした40年ぶりの音信再開

8月11日(金・祝)、A面の格好で高円寺駅前を歩いているところを、小学校の5年と6年で同じクラスだったM下S子に発見されて捕獲され、40年ぶりの再会を果たしたことは、8月25日(金)配信分に書いた。
https://bn.dgcr.com/archives/20170825110100.html


中国雲南省昆明に出発する前日に、そんな奇遇が起きるとは、なんかの予兆? ひょっとして不吉なやつ? 飛行機が落ちて、これが今生の別れになるとか?

心配したことは起こらず、8月26日(土)に下北沢でまた会えた。悟東あすかさんが『教えて仏さま』を出版した記念イベントに光誉祐華(元・愛$菩薩)さんがゲストで呼ばれていて、見に行こうと誘ったら、来てくれたのである。帰りがけ、中野で一緒に飲んだ。「坊主バー」にも寄った。

その約一年前、小学校3年と4年で同じクラスだった吉原から、M下にメールが行っていた。巷で有名なセーラー服おじさんの本名が小林秀章っていうようなんだけど、あの小林かな?

M下はネットを検索して画像を見つけ、返信した。顔が合ってるじゃん、間違いないよ。

M下が私を捕獲したことは、さっそく吉原に伝えられた。で、吉原とも音信が再開し、8月31日(木)に湯島で二人で飲んだ。三人で顔を合わせたのは9月13日(水)のこと。秋葉原で飲んだ。

映画『よろずや探偵談』の上映が高円寺であり、9月24日(日)に二人とも来てくれた。吉原は奥さんを連れてきてくれた。

10月17日(火)、また秋葉原で三人で飲んだ。言われなきゃ一生思い出さなかったような記憶が掘り起こされて、脳の錆びついていた領域がよみがえった感じがある。

●三方を墓地に囲まれた杉並第八小学校

東京都杉並区立杉並第八小学校、通称「杉八」は、中央線高円寺駅の南方に位置する。東西に走る中央線の高円寺駅から南へ坂を下る商店街は、桃園川を渡ると上り坂に転じ、青梅街道に至る。商店街のちょい東、桃園川のちょい南に杉八がある。

学校の北側に正門があり、残りの三方は墓地だ。正門のすぐ近くに「高文堂」という文房具屋があり、店のじいちゃんは額の真ん中に半球状のこぶがあった。自分の額に片手で丸をかぶせて「コブん堂!」とやるのが定番ギャグ。

生徒たちは概しておっとりしていたように思う。みんな仲良しだった。高円寺商店街のお店の子供たちが多く、あんまりがつがつしてなくて、和を重んじる協調性があった。

いま高円寺駅から青梅街道に至るまで、あのころあったお店は一軒も残っていない。道がミニチュアみたいに見えたり、町全体がやけに狭く感じられたりするのは、こっちが大きくなったからだ。ガリバー。

南北に走る環状七号線は、高円寺駅と中野駅との間で中央線を切り、学区域の東の境界線になっていた。私は環七の近くに住んでいた。桃園川公園を歩いて通学し、7分ぐらいの距離であった。

桃園川は西から東へ一直線に流れ、神田川に注ぐただのドブ川だったのが、小学校に上がるまでにはふたが施され、細長い公園になっていた。

建国記念日だったかの祭日には、環七を戦車がパレードした。青梅街道をまたぐ陸橋から、隊列をなして坂を下りてくるのがカッコよかった。

生まれた当時、環七は国鉄中央線と平面交差していた。しばらく後で、高架化の大工事が行われ、よく見に行ったらしいけど、覚えていない。総武線各駅停車は荻窪までだったが、三鷹まで複々線が延伸された。

そのタイミングで、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪は、大久保や東中野と同様に快速が通過する計画になっていたが、杉並区民が団結して大反対し、休日のみ快速通過という折衷案を勝ち取った。

当時、チョコレート色の電車が現役で走っていた。電車内にだるまストーブがあった。がくん、という強い衝撃とともに発車し、それからモーター音が、ガーーーと重く響き、トーンが徐々に上昇していった。

高円寺駅からは中野駅行きの関東バスが出ていて、氷川神社の前の坂を下り、中央公園の横からエトアール通りに出て、環七から大久保通りに入った。バス通りでもなんでもない、住宅街の細い路地を器用に走ったもんだ。

中央公園の近く、今のオーケーストアがあるところは空き地だった。壊れたテレビやら猫の死骸やら、捨てられていた。猫は、蛆がびっしりとたかり、蝿が飛び回る新鮮なやつから、カサカサの白骨まで、あらゆる段階のが常に見られた。不浄観のいい修行になる。木に登ると、隣りの銭湯の女湯が覗けた。

中野駅から北へ伸びる商店街には、右側にへび屋さんがあった。細くてけっこう長い蛇が密集してガラスの内側にへばりつき、ゆっくりとうねっていた。ある日、店の奥のほうに、若い女の人がこっちを向いて座っていて、へび料理を食べていた。非常に怖かった。

学校の校舎は木造だった。トイレは男女共用で、個室には鍵がなかった。廊下には、ヒトの形をした丸ごと一体分の骨が展示されていた。ショーケースを開けるとくさかったので、本物だったのであろう。たぶん猿のかなんかだけど。

校舎と体育館との間に水生園があった。コンクリートの枠の中に水が張られていて、底が地面と同じ高さにあった。冬になると分厚い氷が張り、乗っかれたが、たまに踏み抜いて落ちるやつがいた。

環七を渡った向こうに文化湯という銭湯があり、そこに行っていた。その関係で、私は、杉三にも友達が何人かいた。阿部将(まさる)もその一人だったのかもしれない。どう始まったか、お互いよく覚えていないのだ。

区立の中学に進む場合、桃園川が学区域の境界線になっていて、北側が高円寺中学、南側が高南中学だ。

●中学受験組の変な連帯意識

立身出世の大望などまったく抱いていなさそうな生徒たちが大半をなすクラスにあって、中学受験組は、いま振り返るとちょっとイヤ〜な感じの「選ばれし者」みたいな意識があったんじゃないかと思う。

のんびり遊んでられないオレたち、だけど、日々の気持ちの張りと楽しさがぜんぜん違うオレたち、みたいな。

私は4年生の2学期から、四谷大塚進学教室に通った。日曜の午前中、上智大学でテストがあり、その後、解説授業があった。平日も、週に 2回ぐらい、夕方に中野で予習教室というのがあった。

テストの採点結果は週の半ばくらいに郵送されてくる。成績上位者は、順位表に氏名が掲載される。半年間の総合得点により、次の半年間のクラスが決まる。

夏休み中も、連続一週間の夏期講習があった。西武新宿線中井駅から、五の坂というきつい坂を登ったところにある目白大学で、理科実験というのもあった。私は午前中にそれを取って、午後は中野に移動して授業を受けた。

日曜クラスでちょっとばかり仲よくなっても、次の半期にはクラスどころか会場までもが別々になり、どこにも姿が見えないということがよくあった。夏期講習では、期間が終了すれば、もうばらばらになった。ウラサキコウジというやつとすご〜く仲がよかったはずなんだけど、どこに行ったんだか。

学校のクラスじゃ一位二位の成績でも、四谷大塚ではぱっとしない自分の位置を思い知らされた。郵送されくる順位表には上位百人ぐらい載ってたはずだけど、自分の名前があることなど、めったになかった。

授業の難易度や空気の緊張感も雲泥の差だった。講師は切れ者揃いだった。なので、学校の授業なんて馬鹿馬鹿しくてしょうがなかったのと、区立の小学校の教師なんて、大して頭がよくないのを見抜いていた。

学年が進んで教科書が配布されたら、まず全部読んだ。吉原は、国語の教科書など、文章の途中までしか掲載されていないので、図書館に行って続きを読んだそうだ。

算数で、180°よりも広い角度を測る問題があった。180°までしか測れない分度器で、残りの角を測り、360°から引いて求めるというもの。私はコブん堂で全円分度器を買って備えた。

これがめっちゃうらやましがられ、次の授業では、かなり多くの生徒が全円分度器を持ってきた。出遅れたら売り切れてて、遠くの文房具屋まで探し回ったなんて人もいた。いやいや、全円分度器なんて、そんなに実用的なもんじゃねーから。

学校のテストでは、あっという間に解き終わり、見直しも終わり、だいたい満点だろという確信があり、時間が大量に余った。それで、隣りのM下と雑談してたら、小池先生にこっぴどく叱られた。そりゃそうか。

M下は、ある科目で、すべてのテストが満点だったのに、五段階の四の成績をつけられ、親がびっくりして抗議に行ったら、ノートを取らなかったからだと言われたという。M下は、教科書をただなぞってるだけの授業でノートを取る必要性を感じていなかった。それが、態度悪いとみなされてたわけだ。

区立高円寺中学に行った吉原は、やはりテストで大量に時間が余り、机を指でトントコトントコ叩いていたら、いきなりパンチが飛んできて、「まわりの迷惑を考えろ!」と怒鳴りつけられたそうである。

教師からみれば、授業をナメきっている生意気な生徒に見えたのかもしれないけど、こっちはこっちで、退屈な時間をやり過ごすのは苦痛だったし、大した学力もないくせに威張り散らしている教師の薄っぺらさに辟易していた。

給食の時間、牛乳を飲んでるやつを横から笑わせるのが得意だった。K脇S一が一番の被害者だった。当時、大の大人が素っ裸で街中を駆け抜けるストリーキングという反社会活動が世を騒がせており、テレビのニュースがそんなのをいちいち取り上げていた。

あの「ストリーキング」をボンキュッボンな抑揚をつけて言うと、素直な性格のK脇は、もう笑いをこらえることができなかった。「言うなよ、ぜったい言うなよ」と念押しするので、「わかった、言わない」と一旦は安心させておいて、牛乳を飲み始めたところで、「言わないから、自分で想〜像〜してくれ」と言ったら、もうだめだった。

笑ってる口からあごへ、胸へと牛乳が流れ出た。見ていたS江H子は、「もう、小林の顔にぶーっと吹いちゃいなよ」と言った。

S崎H子には、まるで太刀打ちできなかった。大人びているって点において。あいつ、いつも冷静なんだよ。場のムードに流されず、ごくふつうのトーンで、核心を衝いたことを、すっと言うんだ。

幼稚園の初日、道の途中で私はぐずって大泣きした。ふだんは過保護で、目の届かないところに勝手に行くことさえ喜ばなかった母親が、無理やり突き放そうとする態度の豹変ぶりが怖かったのだと思う。こっちから何を聞いても黙って答えず、力づくで連れて行こうとする態度に苛立ってもいたんだと思う。

S崎H子は、それを見ていたもんだから、小学校を卒業するまでネタにされた。対抗しようにも、その材料をまったく見せてこなかった隙のなさにおいても、勝てぬ。

17日(火)の飲み会には、M下からS崎に声をかけてもらったのだが、先約があって来れなかったのは残念。言われて絶叫しそうな恥かしい話を淡々と語ってくれそうだったのに。M下によれば、S崎のあの感じはまったく変わっていないという。

卒業式の後、クラスに戻ってほんとにこれで最後の最後となったとき、小池先生も含め、クラス中が大泣きした。だけど、M下と私は、ぜんぜん泣けなかった。お互いに、うーん、泣けないねぇ、なんて言い合っていた。

クラスが嫌いだったわけではない。これほどの仲良しクラスが、今日をもって解散なんて、もったいないなぁ、とは思っていた。けど、四谷大塚で離合集散の練習をしすぎて、別離に慣れていた。

学区域が真っ二つに分断されているとは言え、非受験組は、高円寺中学か高南中学かどっちかで半分とまた会えるんじゃん。私立桜蔭中学に受かったM下も、私立桐朋中学に受かった私も、これからそれぞれ一人だかんね。それも四谷大塚で練習済みで、ちっとも心配していなかったけど。

小池先生が一人一人と握手して回った。受験組はあんまり好かれていなかったんじゃないかと思っていたけど、私と握手した瞬間、小池先生の目から激しく涙がこぼれ落ち、ちょっとびっくりした。

●鉄仲間だったが若干暴走気味だったか

当時も今も私はそうとうなお調子者で、都合の悪いことは、みんな忘れちゃう。忘れたふりをしてごまかすのではなく、ほんとうに記憶から消えちゃうのだ。

吉原とよく上野駅へ列車を見に行っていたのは、割と鮮明に覚えている。けど、日曜も夏休みも四谷大塚があって、いつ行ってたんだっけ?

吉原の記憶によると、四谷大塚で午前中、テストを受けた後、解説の授業をさぼって抜け出していたらしい。17日(火)にそう説明されたのだが、そうだっけ? 覚えてないぞ。

上野駅にいると、東北線から上信越線から常磐線から、次から次へとおもしろい長距離列車が入線してきて、見ていて決して飽きることがない。だが、そのうち、珍しい列車にどうしても乗ってみたいという衝動が抑えきれなくなってきた。

成田行きに乗ったことは、私のほうがよく覚えている。ディーゼル機関車がチョコレート色の客車を引いている列車だった。常磐線から我孫子駅で成田線に入るのだが、その区間が電化されていない。

電気機関車からディーゼル機関車につなぎ替えるのではなく、上野からディーゼル機関車だった。

特急券や急行券を必要としない快速列車だったため、最初に停まる駅まで一区間だけ乗ろうということにした。ところが、最初の停車駅は我孫子だった。さすがにビビってうろたえていると、隣りのおっちゃんが、「心配するな、オレも無賃乗車だ」と言って、初乗り料金の切符を見せてくれた。

味をしめて、エスカレートしていったらしい。特急列車に乗り、検札が回ってくると、二人で一緒にトイレの個室に隠れてやりすごした。私はまったく覚えてないのだが、この話はM下から聞いた。私が自慢話として語ったんだそうで。

17日(火)の吉原証言によると、何回もやったらしい。ついにはとっ捕まるところとなり、車掌からひどく説教されたが、「親には黙っといてやるから」と情けをかけてくれたんだとか。うー、まるっきり覚えとらん。

さすがに特急料金のちょろまかしはやりすぎだけど、あのころは、世の中いろいろゆるゆるだった。高尾駅では、頼むとよく発車のベルを押させてくれた。

荷物電車というのが走っていた。東京駅の中央線ホームに停車しているのをめずらしがって見ていたら、乗っていいよ、という。駅を通過するときだけ頭を引込めて隠れててくれれば、次の駅まで乗っていってもいいと。

しかし、次の停車駅は武蔵小金井だそうで。どう見積もっても、帰りが遅くなりすぎる。今振り返ると、千載一遇のチャンスなんだから、親に怒られることぐらい恐れず、乗っておくべきだったかと。

17日(火)、吉原はスタンプ帳の第一冊目を持ってきてくれた。国鉄純製のやつだ。割と最初のほうに静岡駅のが押してあり、一緒に行ったときのだ。登呂遺跡を見て、日本平を見て、いちご狩りした。

ゴールデンウィークだったかで、帰りの新幹線が激混みだった。今は禁止されているけど、われわれはグリーン車の通路に立っていた。そしたら、座っているおばさんがたいへん親切で、足を乗せるとこにわれわれを腰かけさせてくれた。ここは、吉原も私もよく覚えている。

鉄とは関係ないけど、吉原の家で、二人でこっくりさんをやっていて、九尾の狐を怒らせてしまった。油揚げを持って、八重山まで詫びに来いという。なんとか高円寺の氷川神社で許してもらい、豆腐屋で油揚げを買って、狛犬の代わりにいる狐にお供えした。

HOゲージの鉄道模型を吉原の家に持ち込み、吉原のと合せて壮大なレイアウトを敷いた。卒業してからあまり会わなくなり、そのまま放置していた。

何年か後に、アパートを建てなおしたそうで。住人に立ち退いてもらい、空き部屋ができた。それを丸ごと使って、新たなレイアウトを作り上げた。それを見に来い見に来いと言われていたが、結局行けずじまいだった。一年半ぐらいは広げてあったそうだ。これは見ておくべきだったと悔やまれる。

三人で、しょうもないディテールまで思い出そうと互いの記憶を照合しあってがんばっていると、ついこの間のことのように錯覚される。しかし、話している当人の姿が当時とは似ても似つかないおじさん、おばさんであるところに、音信のなかった40年の歳月がいやおうなく表れている。


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
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〈ヤクザより怖い変態の役でドラマ出演〉

ほんの10秒間ぐらいのチョイ役だったけど、テレビドラマへの初出演を果たした。テレビ東京『新宿セブン』。原作は、同名の漫画だ。

8月6日(日)、こいぬまめぐみさんの映像作品『ささくれ』の上映が江古田であり、帰ると共同テレビジョンからメールが来ていた。10月から始まるドラマへの出演依頼。

無理無理無理無理。オレ、演技はめっちゃ大根だし。ぶちこわしだよー。というのを、ややていねいな言葉で表現して返信した。

それに対して「もしお引き受けいただくことになった場合は、こちらも小林様に失礼のないよう注意してまいります」。あのー、話、かみ合ってなくないですか?

ドラマ収録風景のイメージが、私の中でどうやって形成されたのか不明だが。

強面の監督が、筒に丸めたぼろぼろの台本とメガホンを手に、役者へ、キャメラへ、美術担当へ、照明へ、鋭い声で、ばんばん指示を飛ばす。監督の頭の中にもともとある、台詞の抑揚と間、表情、しぐさが完璧にできるまで、何十回でもやり直させる。プロの役者でも、なかなか出来ないことにあせってきて、泣いちゃうときもある。まあ、やるからには、私も精一杯がんばりますけどね。

台本が郵送されてきた。印刷屋が印刷・製本したもので、すご〜くちゃんとしている。第1話から第3話まで収められ、けっこう分厚い。

新宿歌舞伎町で質屋を営む七瀬(KAT-TUN の上田竜也)は、天才鑑定士として裏社会からも一目置かれている。歌舞伎町は24時間眠らない歓楽街、どんなやつがいても、どんなことが起きてもおかしくない。例えば?。

で、来店するのは素っ頓狂なおっさん。着ているセーラー服を自慢すると、「欲しい? 売らな〜い」と言って去っていく。じゃ、何しに質屋へ来たんだ?

直後の餃子屋のシーンで、七瀬質店見習いの健太(中村倫也)が「昨日のヤクザ、怖かったですねぇ」と振り返ると、七瀬が「どこが? さっきの変態のほうが100倍怖いだろ」と返す。つまり、私の役は、ヤクザの100倍怖い変態。

私の台詞の脇に「原作4巻26話参照」とある。1巻から4巻まで全部買って、読み込んだ。なるほど、出てくる、セーラー服のおっさん。それでこっちへキャスティングが振られたってわけか。本人役だね。顔は似てないけど。

妄想に駆られた、頭のおかしいやつって感じで演じれば、怖さが出せるかな?だいたいのイメージを頭に描いて、8月30日(水)午前中の収録に臨んだ。

呼ばれて控室から現場へ行くと、「小林秀章さんです」。私「よろしくお願いします」。スタッフ全員、大きな明るい声で「よろしくお願いします!」。真剣みの伝わってくる、ピリっと引き締まった空気。

「では、テスト行きます。よーいっ!」。えっ? えっ? いきなりですか?えーっと、説明とか指示とか演技指導とか、そういうの、ないんですか? 戸惑う私。

しかし、空気に気おされて声に出せず、流れに任せるしかない。じゃ、直してもらうための叩き台ってことで、自己流のやつをやってみますよん。

台本にはなかったが、台詞の後に「アーッハハハハハ...」と気狂い笑いを添えてみた。軽くどよめきが起きる。上田氏は、軽くプッと吹いて笑っていた。

監督「左右の動きをやや小さめでお願いします。じゃ、本番いきます」。えっ? えっ? 今のでよかったんですか? 監督さんのイメージと合ってなくないですか?

後は、カメラの位置を変えて、同じことを5〜6回繰り返した。一度、台詞を噛んでしまい、「明瞭に言ってください」と指示があって、撮りなおした。しかし、演技については、何も注文が来なかった。

そうか、芸能に生きるってのは、そういう具合に厳しいんだ。誰も手とり足とり教えちゃくれないんだ。どういうふうにやるかは本人の裁量に任されていて、気に入られればまた声がかかって登竜門を駆け上がっていけるし、ダメだったら、その場では何も言われず、次がないだけなんだ。今、現役で活躍している芸能人たちは、そうやって上がってきたんだ。

一度帰って着替え、午後から出社した。その後、何も言って来なかった。番組のウェブサイトが立ち上がってからも、予告映像に出てこないし、ゲスト出演者の欄にも載らないし。ひょっとして、シーン丸ごと、ボツった? あるいは、放送されてみたら、ぜんぜん別のプロの役者さんが、ちゃんと上手に演じてたりして。
http://www.tv-tokyo.co.jp/shinjuku_seven/


10月13日(金・正確には翌日)0:12am、高田馬場の漫画喫茶で見た。完璧に台本通りの進行だが、テンポが思ってたよりずっと早い。拳銃、テディベア、木片、象牙と来て、次がセーラー服だ。わっ、映ってる! 気狂い笑いは声だけ採用されている。

twitterでエゴサしてみると、0:22の一分間だけでも78ツイート出てくる。インパクトじゅうぶんだったようだ。

・セーラー服おじさん、ドラマデビューしたの爆笑爆笑爆笑爆笑
・セーラー服おじさんだ!爆笑
・ちょ、まさかのセーラー服おじさん!
・やだまってこのセーラー服のおじさん有名な人じゃんwwwwwww
・セーラー服おじさんドラマでてて吹いた
・セーラー服おじさん...えー...ドラマ出てるの...
・セーラー服おじさんの本物がでとるw
・セーラー服おじさん、ドラマ出演www
・このセーラー服おじさん一般人じゃないの!? 笑
・セーラー服おじさんを見つめる七瀬のお顔がカワイイです
・なんでセーラー服おじさんがwww 七瀬の顔www
・まさかのセーラー服おじさんがドラマデビューしてる笑笑笑
・このおじさん知ってるwww 冷たい目で見る七瀬さんわろたwww

以上、ぜんぶ、0:22 - 2017年10月14日

・セーラー服おじさんがまさかうえだター坊と共演するとは、、、
0:23 - 2017年10月14日

・かめにゃんやたー坊と共演できる人生ならセーラー服おじさんになりたい
0:25 - 2017年10月14日

・セーラー服おじさんになりたい。セーラー服おじさんずるい
0:28 - 2017年10月14日

・面白かった! 新宿のリアル裏社会は知らないけど怖かった! けどやっぱ一
番怖かったのは久々セーラー服おじさん
1:48 - 2017年10月14日

ネットで「見逃し配信」してて、タダで見れます。最初にCMが入るけど。
7分37秒から私が登場。

【ネットもテレ東】
http://video.tv-tokyo.co.jp/shinjuku_seven/episode/00063215.html

【TVer】
https://tver.jp/episode/35466442

【GYAO!】
https://gyao.yahoo.co.jp/player/11140/v00096/v0000000000000001776/?list_id=2104416