[4444] はぐれの晩年は重低音でいく

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《どす黒くてヘビーでドロドロのスラップ》

■はぐれDEATH[44]
 はぐれの晩年は重低音でいく
 藤原ヨウコウ




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■はぐれDEATH[44]
はぐれの晩年は重低音でいく

藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20171027110100.html

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はぐれの「晩年は重低音でいく」……のっけから無茶苦茶なタイトルだが、本人は結構マジメだったりするので始末に負えない。

リスナーとしての音楽に関しては、マニアックな部分ばかりを色んなジャンルから集め倒しているので、ここで述べる気はない。

というか、そんなことをしだしたらもうデジクリ的に明後日の方向な上に大長編と化してしまいそうだし、ボクも面倒くさいのでやめておく。だからここでの話は楽器演奏に限らせてもらう。

それでも相当マニアックなんですがね。

本格的な楽器デビューは大学院の頃だから、相当遅い方だと思う。それでも、今まで何だかんだで続けているので、性にあっているのだろう。

最初は大学の先輩に誘われて、エレキギターを始めた。実はこの段階でこけているのだが。

今から思うと、打ち込み系フリー・ファンクとでも言えばいいのだろうか?とにかく、バックで一定のフレーズが(規則正しくなく聞こえるのがミソだ)流れている上に、人力が加わるという、当時としてはなかなか面白い企画だったと今でも思う。

この時の体験がモロにアルトで表れるのだが、ここについては後で述べる。

なぜギターになったのかはよく憶えていない。

とにかく初めて尽くしだったので結構パニクった。

ファンクという言葉は、ジェームス・ブラウンのおかげで薄らぼんやりとは知っていたが、演奏となると話は別である。特にギターの場合は、ファンク独特のカッティング技法があり(各種教則本が今でも売られているので需要はあるのだろう)、これが結構厄介なのだ。

こんなん。



映像にもTAB譜が出ているのだが、そもそもコードなるものがよく分からない。ギターをやる上で、致命的なのは言うまでもあるまい。

というか、コードがあるからギターを敬遠していたのだ。中学生になると誰か必ず始めるもんだが、「指の先に豆が……」とか「小指が……」とか「指が上手い具合に開かない」とか、話を聞いてるだけでイヤになった。

だいたい弦が6本もある段階で、ボク的には「めちゃめちゃややこしい楽器」なのだ。そこにネック上の移動が加わると、もうエラいことである。

「とにかく7thコードをかき鳴らしておけばいい」と先輩が言うので、それしかしなかった。ちなみにメジャー7thとか、マイナー7thなんてのは、未だにイマイチ分からない。実はこれで一度挫折したのだ。半年も保たなかったなぁ。

就職してからこれまた大学の先輩に誘われて、この先輩の結婚式の余興バンドに参加することになった。ここでもギターである。一度挫折したのだからやめておけばよさそうなものの、再チャレンジ。

このバンドはその後もしばらく続いたようだが、ボクは先輩の結婚式を機に抜けた。人間関係が厄介だったからだ。

ただ、ほんの少しだけギターが面白くなり始めたので、しばらくは社員寮の部屋でがちゃがちゃやっていた。

中学生の頃からジミ・ヘンドリックスの大ファンなので、とにかくこの人からパクろうとしたのだが相手が悪かった。何しろ歴史に残る名プレイヤーである。

後に未発表だったセッションとかも聴いたのだが、とにかくえげつない人である。どんなジャンルでもちゃんと合わせられるクセに、ジミヘン節は褪せないのだ。エラい人を参考にしたもんだ。

「最初は格好から」の法則にしたがって、ネックの持ち方からジミヘンの真似をした。ジミヘンは手がでかいので、親指で4弦ぐらいまで押してコードを鳴らしながら別のフレーズを弾いていたりするのだが、さすがにこれはボクの手では無理なので6・5弦を親指で押さえて、4〜1弦は他の指、というスタイルに矯正した。

要はネックを握り込む形になるのだが、これをしないと(特に6弦・5弦)の「開放弦を鳴らすと同時にすぐミュートしてコードカッティングをやる」というジミヘン初歩の初歩が出来ないのである。

さらに、ここにジミヘンコード(X7+#9)なるものが登場する。これはコードがいくら嫌いなボクでもさすがに憶えた。というか、これしか知らないのは内緒だ。響きだけでジミヘン気分に浸れるので、ボク的にはマストである(笑)

右手親指の動きに注目していただきたい(ジミは左利きなので逆になります)



要は短3度と長3度(厳密には長9度)という、メジャーとマイナー両方を持つ変なコードなのだが、これはブルースの世界ではけっこう昔から使われていたらしい。

ジミヘン自身がブルースを入り口にしていた可能性は濃厚なので、恐らくそうだろう。ややこしい事はググって下さい。「ジミヘンコード」で腐るほど出てきます。

上記した6弦開放弦を使ってコードを鳴らす時に、ボクはこのジミヘンコードを多用するのですが、何がイイといって、開放弦を鳴らした直後に親指で6弦をミュートしながら、5弦7フレットを押さえられるという効率の良さである。

ちなみに、これを初めとしたボクのギターの基礎的な奏法は、全部ジミヘンのパクリである(笑)

チョーキング(2度オーバーチョーキングという荒業もパクッた)、プリング、ハンマリングだけなのだが、これで十分ギターは弾ける。

カッティングも結局ジミヘンのを真似していたら、いつの間にかできるようになっていた。後はフィードバックとかアーミングぐらいか。

ジミヘンの何が好きかと言われれば、とにかく爆音とリズム感である。プリングやハンマリングもそうなのだが、リズム良く叩いてやるとパーカッシブなのに音程まで変わるという、これまた一度で二度美味しいことができる。

上記した解放弦→コード・カッティングは、最終的にピックを使うのをやめて、フィンガー・ピッキングに変えて飛び道具にした。

親指でベースのスラップ奏法のように弦を叩いて、他の指で弦をかき鳴らすのだ。ピックでも出来ますが、最初の開放弦の「ぼにょ!」という音は、サムプリングの方が圧倒的に笑える。

スイマセン、ちょっとマニアックになってしまった。でもこれがないと後が続かないので、勘弁していただきたい。

「ジミヘンがブルースを入り口にして」と先に書いたが、いわゆるブラック・ミュージック全般に彼自身が傾倒していたようだ。ロックも元はブルースだし、ジャズもやっぱりそうだし(ジミヘンはジャズミュージシャンとのセッションをよくしていたらしい)、下手をするとファンク臭すら漂ってくる。

ブルースを源流とするジャンルは本当に多いのだが、ジミヘンを通じてボクはものの見事にはまっていくことになる。

とにかく、グルーブ感がたまらなくイイ。これは日本人には真似できないので、聴くだけで楽しむことにしているが(日本には日本特有のグルーブがあるのだ)とにかくかっちょエエのだ。

それからしばらくギターを触っていなかったのだが、とあるきっかけでアルト・サックスを手にすることになった。詳細はあちらこちらに書いたのでパスだ。

サックスはチャーリー・パーカーを聴いて目覚めたようなもんで、そこからエリック・ドルフィー、坂田明とアルト畑を突き進んだ。アルトを手にしたのはこの流れなのだが、致命的な勘違いをしていた。

とにかくこの3人の音は極端に太いのだ。だから、アルトの音の太さはこんなもんだろうと勘違いしていた。とんでもない話である。

この3人が図抜けているだけで、ここまで破壊力のある音を出すアルト・プレイヤーはなかなか見当たらない。特に坂田明さんは、ライブで生を聴く度に「ばけもんや」とただただ驚いている。

この勘違いが、後々尾を引くことになる。

ロングトーンという基礎練習をする時(ひたすらぼ〜っと鳴らすだけ)、アルトではなかなかさまにならないのだ。この点、最初から音域が低いテナーはお得である。何しろ初心者でもフレーズなんか鳴らさず、ロングトーンをするだけでカッコイイのだ。これは正直悔しかった。

その後、テナープレイヤーのCDを聴く度に悶えつつ、アルトではひたすらロングトーンとオーバートーンだけを練習して、爆音を出すことだけに努めた。これは坂田明さんの影響も大きいのだが、根はやはりジミヘンだったりする。

ジミヘンの場合はギターを叫ばせるのだが、ボクには無理だった。アルトはそのへん敷居が低い。後は音質だけを磨けばどうにかなる。だからフレーズの研究など一切せずに、でかくて良く通る音を目指した。

30〜40代はもうこれ一辺倒だったのだ。さすがに20年近くこればっかりやっていると、多少は上手くなるもんである。曲は一曲も吹けないけど(笑)

いわゆる「フリー」(インプロとも言うがここではフリーで通す)の世界に突入したのだ。これは坂田明さんもそうだし、山下洋輔トリオの影響である。

だが、これまたフリーとの最初の出会いは、ジミヘンのいわゆる「ウッドストック・インプロビゼーション」が初めてで、これでボクはギターを完全に諦めたのだ。あれは真似しようと思ってできるもんじゃない。

参考までに当時の模様を撮影した映像のリンクを張っておく。

http://www.dailymotion.com/video/x29dbn


ここでやってることは、ボクがパクった奏法から後半のとてもではないが真似できない、6弦を親指で押さえながらのウォーキングベースとカッティングの組み合わせまで、すべてが詰まっている。

前後するのだが、ここでジミはソロになっているが、これは結果としてなってしまっていて、実は他のメンバーがマトモについていけていないだけなのだ。

ここには映っていないが、他のメンバーに「早く次にやれ!」と眉間に皺を寄せて催促しているのだが、結局まともに反応出来たのは、生涯の盟友ミッチ・ミッチェルだけという悲しさ。

フリーの恐ろしさが露骨に表れている場面だが、今見ても「フリー系のミュージシャンがいたらなぁ」と思ってしまう。

ちなみに、「フリーとかインプロビゼーションは音楽ではない」と言う方は結構いる。プレイヤーにもそこそこいる。

基本、何をやっても構わないのでそう言われてしまうと身も蓋もないのだが、ボク的に「フリー」は「音そのものを聴かせる」という基本定義をしている。

坂田明さんのように、とにかく音がすごければどれだけ滅茶苦茶なことをしても大抵オッケーだったりする。狭い世界だけかもしれないけど。

上記したように、ボクがアルトで「爆音」というのはとにかく「びっくりするようなでかい音を聴かせる」と言う目的のための方法論である。めちゃめちゃ分かりやすい。

「ギターの悔しさをアルトで取り返そう」と思っていたのだが、とにかく低音域楽器の音のすごさと言うか破壊力(ここがキモだ!)には憧れ続けた。

特に絶叫系テナーはぞっこんだった。特に入れ込んだのはピーター・ブロッツマンとローランド・カーク、イリノイ・ジャケの三人とジェームズ・カーターである。

ジェームズ・カーターはまだ若いので、当分は安心していられる。絶叫系テナーは数多くいるが、この人は完全にフリーというわけではない。ちゃんとした基礎技法もあって、その上でこんな無茶苦茶なコトをしているのだ。



ちなみにローランド・カークは化け物度では群を抜いている。これまたリンクを張っておく。

https://m.youtube.com/watch?v=ZIqLJmlQQNM


ご覧いただければ分かると思うが、サックスのマウスピースを三本も一度に咥えて、それぞれ別のフレーズを吹くのだ。加えて循環呼吸(鼻で息を吸いながら口で息を吐く)という、鬼のようなことまでやっている。

もちろん真似をしたのだが、アルトサックスとクラリネットの二本が限界で(これ以上口に入らん)これをやるとたちまち脳酸欠を起こすので、滅多にはしなかった。

もちろん、循環呼吸などということは出来ないから、息が保つギリギリまで我慢するので、脳酸欠の度合いは危険領域に達している(笑)

そんなところに突如出たのが、Hamiet Bluiett率いるバリサク(バリトンサックスの略)4人+ドラム1人というとんでもないユニットだ。

今もまだ売っているかどうかはしらないが『Libation For The Baritone Saxophone Nation』というアルバムでぶったまげた。

その後、今度はバリサクが気になり始め、それ系のフリーばかり聴いていたのだが、さすがにバリサクはおろかテナーにすら手は出さなかった。出せなかったが正しいか。とにかく値段が高すぎるのだ。

ボクの持ってるアルトだって、結構なお値段なのだ。他の楽器はよく分からないが、サックスの場合、音が低くなればなるほど値段はうなぎ登りだし、場所も取られれば楽器本体がとにかく重い。

特に後者は、脆弱なボクにはあまりに高すぎるハードルなのだ。アルトですら大概な重さなのに、それ以上となると移動だけで体力を使い果たしそうな気がする。

ジミヘンの音も大概太いし(半音下げチューニングをしている上に、左利きなのにむりやり右利き用のギターを使っていたので、低音の弦のテンションが極端に変わって太くなる)、サックスでも太い音にばかり気が逸れる。これはもう好きだからとしか言いようがない。

トドメを刺したのがおねえちゃんの和太鼓だった。

どっかで書いた気もするので詳細は省くが、おねえちゃんが通っていた保育園では年中さんから和太鼓を始め、卒園後も園で教えてくれていて、おねえちゃんは小学校を卒業するまで和太鼓を続けていた。

とにかく音はでかいし太い。園児さん、小学生レベルでも圧倒的である。まぁ教えて下さっていた先生方のおかげでもあるんですが、これで低い音と爆音にはある程度見切りをつけた。

完全に諦めたわけじゃないけど、生の和太鼓には到底かなわない。アマチュアレベルのドラムセットの方が、可愛くきこえるほど差があるのだ。

ちなみにこの頃からボクは、フリー系のセッションにちょくちょく顔を出し始め、各ライブハウスでことごとく「フジワラのアルトはマイク禁止」令が出たぐらい、それなりの音量が出せるようになっていた。普段は屋外でしか鳴らしていなかったからなぁ。

とにかく、おねえちゃんの和太鼓の音が基準なので(!)かなり異常な方だろう(笑)

伏見に来てからは滅多に鳴らさなくなったのだが、体調管理も兼ねて宇治川で鳴らすことがある。が、上賀茂時代と違い、気楽にひょいひょい鳴らせるような環境ではないのだ。そもそも誰も鳴らしてないし。加茂川はその辺めちゃめちゃ気楽だった。管楽器天国である。



これがボクの上賀茂時代の特徴的な練習。バックで雷が鳴っているのですが、それにあわせて鳴らしています。注目すべきは前を通る皆様。何事もなかったかのように通り過ぎていく。ここが加茂川のいいところなのだ。

関東時代も練習場所が見つからなくて、ほとんど鳴らさなかったので、少しアルトから距離が出始めているのだ。最近はもっぱら安もんのエレキギターを、アンプに繋がずペチペチやってる方が多い。

上述したように、ギターと言ってもジミヘン+ファンクなのでさして大したことはしていないのだが、最近になってスラップに気を取られたのが間違いのものとだった。

アルトのセッションなりユニットなりで、ベースの方にいつもお願いしていたのは「どす黒くて、ヘビーでドロドロのスラップ」だった。冒頭のファンク経験が、自分では気づかなかったがずっと続いていたのだ。

何でもそうだと思うのだが、「はじめての経験」というヤツは結構キョーレツに印象を残してしまうようだ。少なくともボクはそうだった。

ギターを始めた頃はThe J.B.'s の『Hustle With Speed』を専ら聞いていてた。それからSly And The Family Stone、P-Funkは折に触れ聴いていた。

ファンクではないが、Red Hot Chili Peppersの『Mother's Milk』で聴いたFleaのベースにはびっくりした。この人です。



最近のお気に入りは、Larry Graham率いるGraham Central Stationである。

初期のSly And The Family Stoneで活躍したベーシストだが、とにかくこのおっさんのスラップはエグい。スラップの元祖と言われる人は他にも何人かいるようだが、ボクの肌に一番あったのはLarry Grahamだった。

とにかくカッコいい♪ これまた一応リンクを張っておく。後半のソロで露骨にやっているのが、いわゆるスラップである。

https://m.youtube.com/watch?v=Z1IuD6F3R5I


にもかかわらず、すぐにボクがベースに手を出さなかったのは、リズム感に自信がなかったからだ。リズムセクションは屋台骨である。そうそう下手なコトは出来ない。

これが頭のどこかで常に警告を鳴らしていたのだが、フリーでベース+ドラムのデュオなら屋台骨もクソも無く好き勝手できるではないか。おまけにコードいらないし(イヤ使おうと思えば使えるんですが)。

ここで、やっと気がついた。ボクがベースをやればいいのだ。ボクがいつもお願いしていた「どす黒くて、ヘビーでドロドロのスラップ」をボクがマスターすればいいだけの話である。

なんとここに辿り着くのに30年以上掛かったことになる。アホである。

更にアルトで気がついていたのだが、基本単音指向なのだ。アルトでも一度に違う音を複数出す荒業はありますが(マルチフォニックという)、これはもうほとんど飛び道具みたいなもんで、基本は単音で積み重ねていく。

鍵盤楽器も少し触るのですが、ここでも基本は左右単音づつである(まぁ、楽器の構造上和音も出しますけど)。

取り敢えずは、ベースを買うお金などないので相変わらずギターだが(どうせアンプを通さないので特に問題はない)、スラップの練習を始めている。ありがたいことにギターとアルトの経験値はあるので、フリーでならどうにかなりそうな気がしている。

もっとも、人前で出来るようになるにはまだ半年近く掛かるだろうし、そもそもベースが買えない(笑)

スラップそのものは、ジミヘンコードの時の応用である。今度はコードを「じゃ〜ん」と鳴らさずに、ゴーストノート(ギターの場合はミュート・カッティング)だのハンマリングだのを駆使すればいいだけだ。

もともとボクは、ブルース・スケールしか知らないのだが、スラップをやる上で特に問題はない。今のところの問題は、ベースを持っていないということぐらいか?

ベースの敷居は、ギターとアルトのおかげでかなり低くなっている。何しろ弦が4本しかないのだ(!)。これはかなりでかい。

さらに、音量に関しては今回のコンセプトから外すことにした。エレキなら、ボリュームのつまみだけでどうにでもなるのだ。

ボクとしてはやはり、人力でどうにか出来るところを集中的にしたい。となるとスラップをするときのパワーとスピードであろう。

もっと言えば、手首の回転速度と、慣性モーメントで生まれるベクトルエネルギーと、弦に当たる時の力強さである。だから、とにかくひたすら右手首を鍛える。柔らかくないとダメです。早く回転しないといけないんだから。

ギターの6弦からすればソリッドそのものである。アルトは運指が基本リコーダーと一緒なのだが、裏技で超高音を出すコトが出来る(フラジオという)。低さはどうにもならないが、高さはその気になれば理論上は天井知らずである。

ところが、これはもうめちゃめちゃ練習をしないと出しようがない。ボクは本来F#で終わるところを、その上のEまで出せるようにはしている。素人ならまぁまぁだろう。だが、とにかく練習が大変だったし、コントロールも難しい。

ベースはネックの長さだけだが、それでもアルトよりも音域は広い。高音と最低音の組み合わせは、アルトで散々やっているので感覚的には理解が出来る。

アルトの場合は、この高低差を極端に使って驚かす(!)のだが、とにかくコントロールが難しいのだ。ベースは下手をすれば左手の移動すら必要ない。

このへんは、一応ギターでシミュレーションしているのだが、とにかく2弦と1弦が邪魔だし、ギターを弾いていると手癖でついチョーキングもしてしまうので困ったもんである。ベースでもチョーキングしたろうか?

で、練習曲がジミヘンの『Voodoo Chile』だったりする。どうもとことん好きらしい。最近は二代目広沢虎造も参考にしている。

いったいどんなベースになるんだろう(笑)


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/

http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/


最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m


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編集後記(10/27)

●半藤一利・阿川佐和子「昭和の男」を読んだ(2017/東京書籍)。昭和5年生まれの男と、昭和28年生まれの女が、その時代と人間について語りあう。予めそれぞれ自分にとって経験的・体験的な「昭和の男」とは誰か四人を挙げて、その人について語り合うという構成だ。半藤選:鈴木貫太郎/今村均/松本清張/半藤末松 阿川選:William Merrell Vorie/植木等/小倉昌男/阿川弘之。

それぞれが自分の父を挙げている。おそらく編集部の指定だろうが、両者とも父親の影響は大いに受けている。鈴木貫太郎と今村均は軍人、小倉昌男は元ヤマト運輸会長、William Merrell Vorieは阿川の母校を建てた建築家である。二人のやりとりはいいテンポでスイスイ読める。とくに阿川の対応は絶妙だ。

半藤「(60年安保の年、議事堂前の白兵戦のような衝突のあった二日後の「週刊文春」編集会議で)デスクが『半藤君、いいテーマがあるから、これやってくれよ』と、寄こした紙を見たら、『デモは終わった さあ就職だ』と、いくらなんでも軽過ぎないかと思いましたが、実際に東大に行ってみると、そのとおりでした」阿川「はあー、そんなケロリンチョだったんですか」

半藤「ええ、6月12日ぐらいから東大の就職説明会。当時の各大企業が交替で大就職説明会をやっているんです」阿川「ハハハハ、変わり身の早いこと!」。安保闘争は「戦後のお葬式」or「戦後の徒花」、経済成長はもうグングン始まっていたのだ。当時わたしは中学生、新聞読んでもさっぱり分からない。わが家にテレビジョン(モノクロ)が入ったのは、1964東京オリンピックの時だ。

阿川弘之は家庭内では陸軍仕様だが、海軍仕込みの高尚なユーモアが絶妙である。佐和子さんが好きなのはコレ。マッカーサーが訪ねて来たとき、吉田茂が「GHQとは何の略ですか?」と訊いたら「General Headquartersの略でGHQだ」と答えたので「ほう、Go Home Quicklyの略だと思った」。阿川作だったのか……。

半藤は阿川弘之の担当編集者だったとき、阿川からの出題。お菓子が6個あってサルが5匹、この菓子に一切手をふれずに5匹のサルに平等に分けるにはどうしたらいいか。難問である。阿川はうれしそうにこう言う。「これをむつかしゴザルというんだな。ハハハハ」。みなこれをやられたそうだ。ビミョー……。

半藤は阿川から「阿川弘之と言っても知らない人が多くなって、阿川佐和子の父ですというと皆わかるんだよ。これは半藤君、不合理と思わんかね」とほんとに言われた。電話で「阿川先生いらっしゃいますか?」と聞かれ「私ですが」と言ったら「いや、阿川佐和子先生のほうです」と返されムッとしたのも実話である。

この対談は、10人の昭和の男が出てきて、全然知らない人(とくに軍人さん)でも二人のやりとりから、人となりが覗えて非常に興味深い。半藤「清張さんってのは、困ったことに、お読みになればわかるのですが……晩年はとくに、書いていて終わりが見えてくると書くのいやんなっちゃうんだよ。飽きちゃうんだね。何とか早く終わりたいと。そしてもう次の仕事に関心が移っちゃう」

おお、すごい暴露。「晩年の小説で、終わりがいつも脱兎のごとくというか」「なんだ、ちょっとおかしいんじゃねえかと思う小説が、かなりあるんです」半藤によれば「戦後日本と、やや下品にいうと、実によく添寝」した人で、自分の書くこと以外は関心がない。趣味がない。完全な意味での「作家」であった。どうやら晩年の作品以外を読んだ方がよさそうである。 (柴田)

半藤一利・阿川佐和子「昭和の男」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487810914/dgcrcom-22/



●ほんとだ雷の音が聞こえる。

/安藤忠雄氏設計の一般建築が、近場にあることを知った。1986年竣工らしい。地名を聞いて最初に思い浮かべた建物があったが、氏のものではあり得ないカラーリングだったので違うのだろうと思った。

候補はあと二件あって、そのうちの一件はやはりそうであった。そばにもう一件あるとのことで検索したら、そのあり得ないカラーリングのものであった。建てられた当初は無機色で、後に窓枠や玄関がピンクに塗られたようだ。

大阪には、あちこちに氏設計のものはある。公共施設ばかりだが、昔は一般建築を手がけられていた。昔電気街、いまオタク街の大阪日本橋近くにもあるとのこと。

この土日(10/28〜29)に「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2017(イケフェス大阪)」が開催され、その日本橋の家も会場になっているそう。そこでは「Architects of the Year 2017『越境プロジェクト』展」(10/27〜11/12)も開催されるんだって。(hammer.mule)

イケフェス大阪 2017
https://ikenchiku.jp/building/251/


日本橋の家(1994年)
https://ikenchiku.jp/building/251/


Architects of the Year 2017「越境プロジェクト」展
http://www.adan.or.jp/news/event/1832


一体何件あるのか、安藤忠雄の建築
http://9784130638005.blogspot.jp/2008/07/blog-post.html


Googleストリートビュー ペグマンと行く建築探訪
http://seigomiyake.web.fc2.com/google/google_map_street_view.html