[4500] 猫シッターで考える「ワンダーラスト」

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《気がついたら4500号》

■ゆずみそ単語帳[17]
 猫シッターで考える「ワンダーラスト」
 TOMOZO

■グラフィック薄氷大魔王[552]
 自由に描きなさい
 吉井 宏

■展覧会案内
 成安造形大学・卒業制作展2018




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■ゆずみそ単語帳[17]
猫シッターで考える「ワンダーラスト」

TOMOZO
https://bn.dgcr.com/archives/20180131110300.html

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年に1回か2回、猫シッターに行く。知人のご夫婦が日本にセカンドハウスをもっていて、年に何度か長期間日本に滞在する。そしてシアトル近郊のひろびろした邸宅に4匹の猫たちが残されるので、その皆さんのお世話をするのがわたしの任務である。

2匹はメンズ。繊細で好き嫌いが激しいお公家さん的な性格のリンタロウ君と、耳が聞こえないためかまったく空気が読めないシンノスケ君である。この子たちはもう10年以上、この邸宅でのびのび暮らしている。

そこに去年加わったのが、2匹のガールズ。ふたごの(ほんとは多分五つ子か六つ子だったのだろうけど)ハナちゃんとノラちゃんで、まだ1歳未満のぴちぴちギャルズだ。

この4名の間に繰り広げられる猫ドラマは、かなりのエンターテイメントだった。特にふたごギャルのハナちゃんとノラちゃんの、キャラクターの違いには瞠目すべきものがあった。

今回は、その猫ドラマの一端をご紹介したいとおもう。

まずハナちゃん。この子は、満腹中枢がどうかしてるのかねと思うくらい、よく食べる。

ほかの子たちは、缶のフードをめいめいのお皿に少しずつあげても、ほんのちょっと食べるとどこかに行ってしまう。彼らが集中して食べている時間は、ほんの1分足らず。そしてしばらくするとまた戻ってきて思い思いの時間にちびちびと食べる。

リンちゃんなんかは、ほんのちょっと上澄みをなめただけでぷいっと中庭のドアのほうへ向かい、「まろは散歩に行くでおじゃる」と外遊を要求する。そして、しばらくして戻ってきてから、またフレッシュな気持ちで残りを食べるのがルーティンである。

でもハナちゃんだけは、完璧な集中力を発揮して目の前のごはんに取り組み、ほぼ完食するまで食べ続けるのだ。ハナちゃんの注意がごはんからそれるのは、自分が食べ始めた後で、他の猫がごはんをもらっている時だけだ。

みんなが自分とまったく同じものを食べているのにもかかわらず、この娘は人の皿めがけて突進し、頭をにょっと横から割り込ませて食べ始めようとする。

この攻撃を受けると、他の3名はすごすごと退散してしまう。特に王子様のように繊細なリンちゃんは、ハナちゃんが近くに寄って来ただけで食べる気を喪失するらしく、即退場する。そのまま放っておくと、ハナちゃんは他人の皿に盛られたごはんを余すところなく順番に食べ尽し、最後に自分のお皿に戻って、これもまたきれいに食べる。

まるで『千と千尋の神隠し』に出てくる「カオナシ」を見ているかのような、圧倒されるような食べっぷりである。

もちろんそれには結果が伴い、持ち上げてみるとまだ8カ月という小さい身体に見合わない、ずっしりとした重量感がある。そのままでは異常に巨大化してしまうのが目にみえているため、食事時間にはハナちゃんが他人のごはんの近くをうろつかないよう隔離しておく方策を取らねばならない。

ごはんのみならず、ハナちゃんは何に対しても躊躇がない。猫たちはみんなヒモの先に羽根のついたおもちゃが大好きで、これをリビングの真ん中でブンブン振っていると皆がたちまちそわそわしはじめるのだが、真っ先に飛び出してくるのはやっぱりハナちゃんである。

ギャルズがあまりにパワフルにリビング中で破壊活動を繰り広げるため、ヒトが眠れないこともあるので、夜の間二人だけを別の部屋に隔離しておくこともある。朝迎えに行くと、ドアのところで待っていて飛び出してくるのはハナちゃんで、姉のノラちゃんは必ず数メートル遅れて、妹の後を追う。

リビングにはプラスチック製のおやつディスペンサーがある。40センチくらいの高さで、3階建ての丸い立体駐車場みたいな形になっていて、ヒトがてっぺんの穴からカリカリおやつを入れると、まわりにいくつも開いた穴から猫が手をつっこんでそれぞれのレベルの床の穴に次々におやつを落としていき、最後に一番下からおやつが外に出てきて食べられるという仕掛けになっている。

このディスペンサーに入ったおやつが食べられるのはハナちゃんだけである。というか、敢えて挑戦するのがハナちゃんだけなのだ。

おやつを取り出すと皆わらわらと寄ってくるのだけど、ディスペンサーに入れたものにはハナちゃん以外見向きもしない。ハナちゃんも、まず床にあるおやつをしっかり食べてから、ディスペンサーに向かう。

で、このディスペンサーは一見パズル的な、ちょっとした知力を要求するもののように見えるのだが、そうではない。必要なのは、食えるまであきらめないという強い意思だけなのだ。

ハナちゃんはとにかく怒涛の勢いであらゆる場所から手を突っ込み、やみくもにかき回している。すると、そのうちおやつが下から出てくる。彼女にとってこれは、上段>中段>最下段という段階のあるパズルではなくて、「ひとかたまりの障害物」にすぎないようだ。

常に忖度も斟酌も躊躇もなく、目の前のものを全力で追い求めるハナちゃんは、まるでシリコンバレーのスタートアップ企業の人か、投資ファンドのマネージャーのようである。

資本主義社会で勝ち残っていくには、こういう何をも顧みないドライブが必要なのかもしれないなあ、と思わされる。ハナちゃんが人間だったら、きっと中学生の時からビットコインで5億円くらい儲けてると思う。

ノラちゃんにはドライブがないかというと、決してそんなことはない。でも、そのドライブは明らかにハナちゃんとはタイプが違う。

何が違うかというと、ノラちゃんには、いってみれば想像力みたいなものがあるのだ。そしてこの娘には「ワンダーラスト」がある。

猫は好奇心が強いといわれるけど、ノラちゃんの好奇心は筋金入りだ。

キッチンで料理をしていて、キャビネットの扉をほんのちょっとでもあけっぱなしにしておくと、閉めるときにはたいてい猫がはさまっている。これは必ずノラちゃんである。彼女は、普段は閉まっている扉がたまに開く時を決して見逃さない。

キッチンのごみ箱は引き出し式になっている。そのごみ箱の入っている引き出しの下に手をつっこんで、あける方法を知っているのはノラちゃんだけ。そもそも、ごみ箱の後ろに入り込んで探検しようとするのもノラちゃんだけだ。

大きなシダの鉢植えの中に飛び込んでいってしまうのもノラちゃんだし、スパイス棚の下にいつのまにか挟まっているのもノラちゃん。

ディスペンサーのおやつには興味を示さないのに、カウンターの上に置いてあるおやつの入った箱をかじったり床に落とたりして、なんとかフタをあけて食べようとするのも、ノラちゃんだけ。

あれだけ食べることに貪欲なハナちゃんは、そういう斬新な試みを思いつくことはない。しかしノラちゃんがカウンターから落下させてフタを開けることに成功したあかつきには、真っ先に走ってきて中身を一緒に食べている。

そしてノラちゃんは、外の世界に激しいあこがれをもっている。

この家の周りは自然環境が豊かで、コヨーテやアライグマもいっぱいいるし、何にでも無鉄砲に突撃していくノラちゃんは気の毒ではあるけど、とてもじゃないが心配で外には出せない。

わたしがリビングに坐って仕事をしていると、時々世にも哀しげな声でノラちゃんが啼いているのが聞こえる。世界のすべてが自分を置き去りにして、別の次元に旅立ってしまうのを目の当たりにしているかのような、悲痛な声である。

自分はガラス窓のむこうの世界に、どうしても行かなくてはいけないのだと切実に感じているのがわかる。

この悲しいほどのあこがれは、きっと人間の中に呼び起こされるものと基本的には同じ作用なんだろうなと思う。ただ言語化されていないだけで。

ハナちゃんとノラちゃんには明らかな指向性の違いがある。すごくよく似た遺伝子を持って、ほとんど同じ条件で育っているはずの姉妹なのに。

見たことのないものに死ぬほどあこがれて全力で追い求める人と、目の前に置かれたものにすべてのエネルギーを注ぐ人。

人類には旅に出たがる個体と安定を求める個体があって、全体として種の存続に役立ってるという話を聞いたことがある。

その状態にい続けるのが好きな保守的なグループと、見知らぬ土地に旅立っちゃうグループがいるから、新天地に突撃していって全滅する人びとも多いなかで何割かは生き残り、種は全体としてより広い土地に広まっていったのだ、という説だったと思う。

遠くのものをあこがれてやまない気持ちを「ワンダーラスト」という。ドイツ語が語源だそうで、「WANDER」(漂泊する、ふらふらする)ことへの「LUST」(渇望)。病的なまでに強く、遠くに行きたくなっちゃう気持ちである。

こういう傾向を持っている人は、つまりホモサピエンス中の突撃隊だってことなんだろう。

わりに最近の研究で、ある遺伝子がこのワンダーラストに関連しているのがほぼ確実だというのが実証できたという話を聞いた。人類の20%は特定の遺伝子「DRD4-7r」を 持っていて、どうやらその人たちはワンダーラストが強いという説だ。

これはドーパミン受容体の感度を決定する遺伝子で、これを持っている人はほかのグループに比べてリスクを取るのが好きで、新しい刺激を求める傾向があるので、旅好きなだけでなくアル中やヤク中にもなりやすく、精神疾患にかかる傾向も強いらしいという。

(『Telegraph』紙の記事はこちら)
http://www.telegraph.co.uk/travel/travel-truths/the-wanderlust-gene-is-it-real-and-do-you-have-it/


この遺伝子「だけ」がそういった特性を決めると結論するのは、ちょっと単純すぎるんじゃないですかと思うけど、わたしたちの志向や嗜好はその多くが生まれつき埋め込まれたものだっていうのは、まあそうなんだろうなと思う。

人間の生活にはほんとうに沢山チョイスがあるから、成長していく間にミュートになるものや、活発になるものもあるんだろう。

殺人鬼になりやすい遺伝子構造、お坊さんになりやすい遺伝子構造、会計士になりやすい遺伝子構造というのもあるのかもしれず、でもそれにたいする適切な環境のはたらきかけがなければ、殺人鬼もお坊さんも会計士もできあがらないという、そういうことなんじゃないかと思う。

まだ誰にもわからないすごく複雑なしくみによって、わたしたちはいろんなものを、人や場所や香りや味や音や感触や、さらには思想や信条も、致命的に好きになるように運命づけられている。

個性というのは、究極的には「自分は何が好きか」っていうことなんじゃないかと思う。何ができるか、よりも、きっと何が好きかのほうが大きい。

その志向のほとんどが遺伝子で決定されているにしても、わたしたちは「好き」に引きずられて喜びを感じ、湧き上がる願いを切実に生きずにはいられない。

ノラちゃんの切ない啼き声は、紛れもなく「ワンダーラスト」の表明だとおもう。はてしなく大きな空間、遠くで飛んだり動いたりする不思議なもの、見たことのない色や形や感触。窓の外に見えるものや、ごみ箱のウラにあるかもしれないなにものか(なにもないけど)に、ノラちゃんのタマシイが引き寄せられているのだ。

人間の2割にさまよい系の人がいるなら、猫にもさまよい系がいないほうが不思議だ。

もしかしたらもっと単純な生きもの、爬虫類とか昆虫の中にも、安定を志向する個体と遠くへ行きたがる個体が、同じくらいの割合で存在してるのかもしれない。

「タマシイ」がアミノ酸の雲のどこかにしまわれているのなら、タマシイ構造が単純なものから複雑なものまで、生命体の間で共通しているのは当たり前な気がする、と最近よく思う。「何がしたいか」「何が好きか」だ。

これは仏教的な考え方につながっていくのだと思う。もっと言うなら、きっと植物にだってそういう指向のスイッチはあり、感受性のモトがあると思う。

ショウジョウバエもドーパミンを持っている、ということを忘れてはいけない。わたしたちの知っている嬉しさや恐怖のエッセンスのコアである原始的ななにかを、ハエたちも知っているのだ。ましてや猫たちは。

言葉の檻、主観の檻、ロジックの檻に閉じ込められていない猫や犬たちは、人間のタマシイの真ん中にあるものを、そのまんまのかたちでみせてくれる。だから犬や猫といるのがこんなに面白いのだ。

言語獲得以前のワンダーラストを、ノラちゃんがかいま見せてくれる。


【TOMOZO】yuzuwords11@gmail.com

米国シアトル在住の英日翻訳者。在米そろそろ20年。マーケティングや広告、雑誌記事などの翻訳を主にやってます。

http://livinginnw.blogspot.jp/

http://www.yuzuwords.com/



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■グラフィック薄氷大魔王[552]
自由に描きなさい

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20180131110200.html

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先日話題になってた、昔の図工の教科書の前書きらしい文。

「【40年前の教科書がすごい】小学生が美術をする意味をズバリ解説」
https://feely.jp/76873/


「これを昔聞きたかった!」ってコメントを読むと、気分的には8割くらい賛成したいところなんだけど、僕はちょっと違う考え。中段はその通りだと思うから、三分の一だけ賛成w

「上手に描くことが目的ではありません」……いや、上手に描くことを目的の一つにしてもいいんじゃない?

絵を描いたり工作って、技術やテクニックで相当なところまで行けるものだって、最初に教えてあげなきゃ。数学だって楽器だって基本から順に学んでいくのに、絵だけ「自由に感じなさい。自由に描きなさい」って放り出される。

下手と言われて傷ついた子や、下手と思い込んでる子も、技術を学んで上手に描けるようになっていたら、不要な劣等感を持たずに済んだかもしれない。

形の取り方も線の描き方も技術。構図も色の選択も技術。テーマやアイディアをどう落とし込むかも技術。

それらをすっ飛ばしていきなり「自由に表現しなさい」では、むずかしさに萎縮するばかりなんじゃないかと。特に、苦手意識があったりどう取りかかったらいいのか悩む子にとっては。

画数の多い漢字をきれいに書けるんだったら、記号的な絵を描くくらいの技術は誰でも習得できるはず。技術があれば、表現できない/しないというもったいない状況が減る。

やはり、コミュニケーション手段の一つと割り切って「絵で伝えること、的確に表現すること」を、従来の美術とは別に置くのはアリなんじゃないかと。

手塚治虫「マンガの描き方」の表情や表現のリスト、ポーズのゴム人間などのお手本。ああいうのを学校で教えたらいいのに。「ボブの絵画教室」は嫌いだったけど、まず技術という点で言えばアリだし。

「技術がなくて表現できない。描くと笑われるからさらに描かなくなる」は、英会話が上達しないのと同じ。伝えるための最低限の技術ってものはある。

たぶん「自由に描きましょう」と対極にある、「つまんない反復訓練」みたいのが必要なんだろうな。他の科目と同様に「絵のドリル」「絵のテスト」も効果的かも。

まず技術を習得。そこから先は自由に、でいいと思う。ピカソなんて子供の頃に技術を極めちゃったから、そこから先の前人未踏の地へスタートできた時期が早かったのが勝因なんじゃないかと。モーツァルトやベートーヴェンも。

以下、雑感。

・美術鑑賞だって歴史や流れなどの知識が必要なのに、「自由に感じなさい」じゃわかるわけないもん。それで、わからない美術に反感を持たれてしまう。

・技術とアート性や精神性は直接は関係ないかもしれないけど、伝えたい内容や衝動があっても、技術が追いつかないことはあるだろう。逆に、衝動が弱ければ、技術がすごくても意味ないこともある。

・技術とセンスがごちゃ混ぜになってるのが混乱の元かも。技術を学べばセンスは後からついてくるし、個性もにじみ出ちゃうから心配しなくても大丈夫だと思う。

・ガチガチに規則で縛られた学校は「自由になりたい! 自分を表現したい!」って気持ちが芽生える。図画工作だけ自由にされた結果、表現欲や個性が消える、かも。

・ネットで大人気の「写真みたいに描いててスゲ〜!」。あれだって、ほとんど技術の範疇。根気があれば誰でもできる。

そんなのできるわけない! って人は「根気があれば」を3桁くらい思い違いしてる。1時間じゃ無理。100時間とか1000時間とか費やすんだよw

・学校でダンスを基本から教えるんなら、絵だって!

・僕の時代の授業を思い出すと、道具や手順を教えてもらったことはあっても、描き方そのものや何をどう表現するかは、生徒まかせだった。この文が40年前ってことは、僕が小学生だった頃の数年後か。現在はどうなってるんだろ?

・子供が自由に描いた絵は「すっげ〜!」ってものが時々ある。大人には真似できない。けど、本人には「子供らしくて素晴らしい」なんてわからないし、逆に「こういう絵が大人にウケるのね」って思われたら不健全w

・僕は「大人ウケ」する絵を描く子供だったのか、賞をもらったりして「絵が上手い子」のくくりに入れられた。学校関係の絵はつまらなかったし、何を評価されてるのかもわからなかった。

それより、クラスメートの子が描くとんでもなく面白い絵(化け物だったり図鑑風だったりドイツ軍や戦艦だったり)に打ちのめされて、ものすごい劣等感だった。そっちが出発点。

・昔、子供絵画教室に通いはじめた近所の友達が、みるみるうちに上手くなっていくのも見た。知らないけど、ああいう教室って技術を教えてくれたんだろうなあ。

・「自由に描きなさい」が苦手だった人も、身近に魅力的な見本があって、様式がある程度固まっていて、How Toもあふれてて、世界でちゃんと評価してもらえる! って飛び込むのが、マンガ絵アニメ絵の世界なんじゃないかと思う。


【吉井 宏/イラストレーター】

HP  http://www.yoshii.com

Blog http://yoshii-blog.blogspot.com/


現在の図画工作指導がどうなってるか知らないので、話半分でおねがいします。ところで、まとめない雑感の列記ってアリだなw 無理に流れを作らなくていいし、書くのラクだし読みやすい。

◎吉井宏がデザインしたスワロフスキーの招き猫が発売されてます。
フクロウや干支シリーズなどよりひとまわり大きい5cm。
http://bit.ly/2ni8HaD


・スワロフスキー干支モチーフの「ZODIAC」
https://www.fashion-press.net/news/33277


・スワロフスキーのLovlotsシリーズ「Hoot the Owl」
http://bit.ly/2ruVM9x


・パリの老舗百貨店Printemps 150周年記念マスコット「ROSEちゃん」
http://departmentstoreparis.printemps.com/news/w/150ans-41500


・rinkakインタビュー記事
『キャラクターは、ギリギリの要素で見せたい』吉井宏さん
https://www.rinkak.com/creatorsvoice/hiroshiyoshii



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■展覧会案内
成安造形大学・卒業制作展2018

https://bn.dgcr.com/archives/20180131110100.html

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まつむらまきお(デジクリ「ユーレカの日々」連載)がイラストレーション&マンガを教えている、滋賀県にある美術大学・成安造形大学イラストレーション領域の卒業制作展が開催されます。

イラストレーション領域は、「イラストレーションでできること」を探求すべく、雑誌や広告などをターゲットとしたメディアイラスト、マンガやアニメなどのストーリー表現、個性を追求するアート・イラスト、フィギュアやドールなどの立体造形まで、幅広く網羅。社会で活躍するイラストレーターやマンガ家、アニメーター、デザイナーを多数輩出しています。

未来を担う、若き才能たちの取り組みをぜひご高覧ください。

成安造形大学・卒業制作展2018
〜イラストレーション領域〜

会期:2018年1月31日(水)〜2月4日(日)9:30〜17:00 最終日は16:00まで
会場:京都市美術館 別館(京都市左京区岡崎円勝寺町 ロームシアター隣)
地下鉄 東西線「東山」駅下車、1番出口徒歩10分
市バス「岡崎公園 ロームシアター京都・みやこめっせ前」下車すぐ

※イラストレーション以外は別会場別日程です。Webでご確認ください。

成安造形大学・卒業制作展2018
http://exhibition.seian.ac.jp/2018/



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編集後記(01/31)

●伊集院静「文字に美はありや。」を読んだ(2018/文藝春秋)。カバーは紫地に白抜きで筆者の手書きタイトル(あまり美しいとは思えない)と、白抜き明朝体で筆者名。このタイトルでは、書家の起用や、フォントを用いるわけにいかなかったのだろう。わたしは、もはやフォント名を判定する眼力は失った。

文字に美しい、美しくないということが本当にあるのだろうか、という極めて個人的な疑問から歴代の名筆、名蹟をたどったという「文藝春秋」に連載された四十話だ。疑問に思うほうが疑問だと思うわたしは「文字に美はあります!」と小保方さんみたいに力強く言い切る。文字ほど美しく、奥深いものはない。

わたしは書道の心得はないが鑑賞するのは大好きだ。「市展」なる市内の美術愛好家たちの展示は必ず見に行く。絵画や写真の上手下手はわかる。書道はよく分らないものの(そもそも読めない字が多い)非常に興味深い。大学でレタリング研究会を主宰し、10数年後に「日本語の文字と組版を考える会」の世話人・会報編集長を務めるなど、書道とは別世界の文字にどっぷり浸かってきた。

「書聖」と呼ばれている人は、今も昔も王羲之しかいない。まずこの人をもってくるのは当然である。およそ1700年前の一役人の字が今も残る。と思っていたら、真筆は世界中のどこにもないという。現存するのは唐代の模写専門の職人の手によるもので、遣唐使が持ち帰ったのもそれだ。王羲之の「蘭亭序」という真筆は、唐の太宗皇帝が入手したが、一緒に陵墓へ葬られたと伝えられる。

秦の始皇帝が征服する前の大陸には七つの国があって、それぞれ独自の言葉、文字が存在した。始皇帝は焚書を以て(さすが中国のやることは今も昔も強権発動である)漢字、漢文を統一した。2000年後、清国の時代に「康煕字典」が編まれた。中国には敵わないと思うのが漢字の世界だ。だが、漢字だけの中国に対し、日本には漢字に加え、平安時代に作られたひらがな、カタカナがある。

「かな」誕生の過程は、よく知られていることだが、さすが日本人とうれしくなる。この本では歴史上の有名人はどんな字を書いてきたかを、写真で示してくれる。筆者はまことに文字の見巧者であった。安心して文字の世界で遊ばせてくれる。百数十点の画像はじつに見応えがある。現存する日本人の書の中で最高峰は空海である。「風信帖」のごく一部の画像がある。さすがに美しい。

まったく読めないが、清蓮院流の細川ガラシャの筆の運び、スピード感が群を抜く美しさだ。筆者は、やけに字が上手い女は鬼やもしれない、という。同意する。「文字は果たしてその人をあらわすか」というのは、この連載のテーマのひとつだが、龍馬の書は文字はイラストは、その人を現しているようだ。

最後の書家は書道ロボット「筆雄」である。筆者が筆に墨を含み紙に文字を書く。ロボットがその動作や墨の量、筆の動きなどをデータ化し、再生する技術である。大袈裟な仕掛けがユーモラスだ。この本の最終行は「文字の中に“哀しみ”が見えたのである」。これが言いたいために253ページ使う。 (柴田)

伊集院静「文字に美はありや。」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163907777/dgcrcom-22/



●気がついたら4500号/書籍プレゼント中! ご応募お待ちしております!

/大阪マラソン続き。ランニング用GPSウォッチ「GARMIN ForeAthlete 35J」。GARMINのスマホアプリの唯一の不満が、記録したマップルート上にスピードがわかる色分けがなかったこと。

私の知るメジャーなアプリはすべて、ルートに緑から赤の色がつき、どこでペースを上げたのか、落としたのかが見える。

ああ、ここ坂道だったからなぁとか、スピード上げたつもりなかったけど、そういや後半気持ち良く走ったわとか振り返りがしやすいのに。(hammer.mule)

プレゼント「グローバルWebサイト&アプリのススメ」
https://bn.dgcr.com/archives/20180130110100.html


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