《責任と覚悟と寛容さがないとやってられん》
「京都人の高慢と偏見」とは、ただの都市伝説である
藤原ヨウコウ
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■はぐれDEATH[51]
「京都人の高慢と偏見」とは、ただの都市伝説である
藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20180202110100.html
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先日、編集長とのメールのやりとりで、「京都人のプライドの高さで不愉快な経験をしたことがありませんか?」(本当はこんな文面ではないのですが、大意はこんな感じ)と質問され「あるけど基本スルーです」とお返事しておいた。
そしたら翌日、某所で「これだから京都人はキライや」というぼやきを聞いてしまい、「これはもうネタにせなしゃぁないな」と思い書いた次第である。
当初はマジメに、京都人の悪口を盛大に書こうと思っていたのだが、よくよく考えてみると、ボクは京都人特有(と思われる)のローカル・ルールで不愉快な思いをしたことが、ほとんどないというのが事実である。
不愉快な思いは生まれ育ったところでもあったし、大学は京都出身者だけじゃないし、会社も同様。ボクだけに関して言えば、他の都市や地域・組織で日常茶飯事行われている不愉快なことぐらいか?
「京都人の高慢と偏見」とやらは、どうやら日本の津々浦々まで響き渡っているようだが、ボクに言わせればただの都市伝説である。
実際「京都ブランド」を盾に理不尽なことをする人がいるが、それほど特記するような実情ではない。この手の馬鹿は日本中どこにでもいるし、田舎に行けば行くほど得体のしれないローカル・ルールが残っており、よそ者は排除される傾向が強い。
「京都ブランド」とわざわざ銘打った理由の一つは、この街の歴史的な特殊性にある。
「千年の都」という俗称(?)からも分かるように、平安京遷都から明治維新に伴う東京遷都に至る期間、ながらく日本の首都の一つとして、大きな役割を果たして来たのは今更言うまでもなかろう。
別の言い方をすると、「千年の都」を抜いてしまえば、他の地方都市とさして変わらない街に過ぎない。
もっと突っ込めば、住人全員が全員、巷間言われるような「京都人」的な生活をしているわけでもないし、「京都人」的な振る舞いをしているわけでもない。むしろ普通の人の方が圧倒的に多いだろう。もっとも、「普通の人」がいかなるタイプなのか、ボクにはよく分からないけど。
更に「三代以上続かないと京都人ではない」という言い方をよくするようだが、ある特定の地域の一員としてしっくり馴染むには、どこだって三代ぐらいは必要だろう。
近年、地域住民同士のディスコミュニケーションが問題になっているようだが、ボクに言わせれば、先に記した条件が満たされていないからだ。よそ者同士が集まって、そうそう簡単に親密で日常的なコミュニケーションや相互扶助の環境が成立するとは到底思えない。
ちなみに、奧さんは立派な京女である。お爺ちゃんまで余裕で辿れるからなぁ。といって、おねえちゃんが立派な四代目の京女かというと、これはかなり微妙である。
何しろ、よそ者のボクがおとおさんな上に、京都だけでしか通じないことと、それ以外のことも雑談の時に教えているからだ。そもそも、おとおさんがおかしいからな(笑)
おねえちゃんとお喋りしてた時、「やっぱり上手に京都の言葉使うなぁ」と感心して言ったら「そうでもないで。友達みたいに京都弁喋れへん」と言うので、これはもう、完全にボクのせいである。ボクの言葉は無茶苦茶やからなぁ。
それでもボクに言わせれば、おねえちゃんの京都弁の方が圧倒的に流暢である。ボクはあそこまでキレイに喋れん。
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今の「京都ブランド」を保持しているのは、京都人だけではない。日本が全国的にブランド化してしまっただけの話である。勝手に妄想して、勝手に期待値を上げて、喜んだり憤ったりするのは筋違いである。
京都は決して、東京ディズニーランドのようなアミューズメント施設ではない。受け取り手の方もそれなりに注意した方がいい。
良きにしろ悪しきにしろ、「京都ブランド」が生み出すであろう様々な事象が突出して特殊化される理由は、恐らくこの辺にある。
看板をバックにしたプライドしかない人が、他の街よりも比率として多いとは正直思えない。少なくともボクの経験値から言えば、どこにだってこの手のプライドで人を不愉快な思いにさせる人はいくらでもいるし、陰湿な陰口やら仲間はずれだって、京都特有の現象とは到底思えない。
この手の輩に共通しているのは、勘違いと思い上がり・視野の狭さであり、ちゃんとした人は京都は言うに及ばず、どこにだってやっぱりある程度の比率でいるもんだし、逆もまた然りである。
「京都ブランド」と面子をかけて、京都市と寺社が真っ向から対立した事件がかつてあった。昭和57年(1982年)に勃発した古都税紛争である。ちなみに現在も、手を変え品を変え、この紛争は続いているようだが。
要は観光目的の拝観に税を課して上前を掠め取ろう、というケチな案件だったのだが、京都仏教界が「宗教上の拝観」を理由に、拝観停止に踏み切った事件である。清水寺の拝観停止に、異議を唱えた市井の(?)人達もいたようだ。
清水寺の「拝観は宗教上の自由」に対して「拝観は観光目的」であり「文化財保護の観点から、税金が投入されているので、観光都市である古都保全のために納税して当然であり、清水寺の行為は「坊主丸儲けに他ならない」」という論陣まで出たようだ。
百歩譲って「観光目的」と判断しても、その文化財保護のための税金の上前をはねても良い、というのは、正直しみったれた話にしかボクには思えない。
ボクの印象に強く残っているのは、やはり清水寺の拝観停止である。ご存じの方も少なくないと思うが、清水寺の門前町は清水寺でもっているようなもので、清水寺が拝観停止になれば、一番被害をこうむるのは門前町そのものなのだ。
ここで門前町が矛先を清水寺に向ける、というのは不思議でもなんでもないのだが、門前町は拝観停止中の清水寺にお布施という形で私費を投入して、完全に清水寺側に立ってしまった。
他のお寺でも拝観停止をしていたところはあったのだが、ここまでストレート且つ強硬に反対の立場を明確にした例を、ボクはこの時の清水寺と門前町以外に知らない。それ程までに徹底していたのだ。一種の籠城戦である。
門前町に代々住まう人達にとっての清水寺とは、それほど影響力が強かっただけでなく、心理的な距離の近さもあったのだろう。「清水寺が決めたのなら」という覚悟とプライドが、こうした行動に駆り立てたのだと思う。それほどまでに清水寺と門前町の関係は深いのだ。
清水寺が建立されたのは平安京遷都以前というから(諸説あり)「千年の都」よりも歴史は古い。『枕草子』や『源氏物語』(夕顔の巻)、『今昔物語』に拝観の様子が記されていることからも、平安時代中期には観音霊場として著名だったことがうかがえる。
清水寺の大伽藍は、応仁の乱を含めて康平六年(1063年)の火災から寛永六年(1629年)までの間に9回も焼失している。その度に再興させてきたのが、清水寺及び門徒や門前町の人々だったのは言うまでもあるまい。
それでも最盛期の威光・規模は、政治的な理由(廃仏毀釈も含む)から縮小している。歴史的に、清水寺と門前町は共に酷い目に遭ってきたのだ。
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ちなみに、この古都税紛争のまっただ中の時に、ボクは大学進学のために京都に来た。「京都恐るべし」と驚いたのは当たり前だが、一方で痛快極まりないと諸手を挙げて喜んだのも事実である。
上記したような事情は後から知った。まぁ、無責任に楽しんでいたのだ。
並行してボクは、鉾立の大工方手伝いというかたちで、祇園祭に関わることになったが、この辺の事情は散々書いているので細かいところは省く。
ただ、まだ右も左もよく分からないよそ者であるボクを、温かく迎えて下さったのは事実だし、歴代の棟梁・世話役の皆様にも色々とご助力、融通していただいた。
「最初分からないのは当たり前。続けて来てもうて、仕事をしっかり覚えたらよろし」という空気がゆったりと漂っていたのは、今でも忘れられない。
この時の空気を直接浴びているからこそ、ボクはまだ大工さんのお手伝いをしているし、ボクが受けた豊かな雰囲気を残したいとも思っている。よそ者だから高が知れてはいるが、恩は返さないといけないのだ。
だから、明らかにおかしい事を持ち出してこようとする輩には、相手が誰であれ噛みついた。大抵、自分たちの都合しか考えていないし、ボクはしょせんよそ者である。噛みつき役としてはうってつけであろう(笑)
京都の人だからこそ、逆に言えないこともあるのだ。棟梁や大工さんが困っているなら、よそ者のボクが出張るのが一番穏やか(?)ではないか。よそ者だから角が立たない、ということもあるのだ。
まぁ、おかげで色々恨みを買っているようだが、そんなことはどうだっていい。間抜けな理由で現場を荒らされては困る。きちんと筋を通してくれる人や、こちらの言い分をきちんと聞いてくれる人には、こんなコトは間違ってもしない。
「君は任侠の徒か?」と思われる方もいるかもしれないが、筋は通さないといけない。これは京都だからという理由ではなく、ボク自身がそういう風に育てられたからだ。
母方の実家がド田舎の大地主の末裔なので(もっとも今もたっぷり土地は持っているようだが)、顔役としての役割というものを自然と知っているのだ。
幸い、せこい一族ではなかったので、ボクのような薄らぼんやりとした出来損ないが産まれたわけだが、それでも「責任と覚悟と寛容さがないとやってられん」というようなことは、幼心に思ったもんだ。
父は会社員だったが、この人も筋には恐ろしく厳しい。大企業で横行する理不尽と対決しながら、部下や同僚に親しまれ、会社員生活を全うした人なのだ。こんな人が父親だと倅は苦労するのだよ(笑)
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話を戻そう。京都のローカル・ルールは、昔に比べればかなり緩くなっている。時代と共に記憶が薄れているのも事実だが、他の地域からの移住者が増えたというのも一つの理由である。
移住者は、彼らのルールを優先するケースが比較的多い。コアな京都に触れていないからだと思うのだが(もっともそういう場が少ないというのも事実だ)、これをやられるとかなりキツイ。
以前にも書いたが、「加茂川アルトサックス爆音事件」がその典型である。
加茂川というのは、管楽器の練習場所としてボクが知っている限り、ボクの学生時代からその役割を全うしてきた。だから、昔から住んでいらっしゃる地域の人は、どんだけ滅茶苦茶なことをしても「アホや」程度で済ましてくれる。中には「懐かしい音出すなぁ」と仰ってくださるほどである。
ちなみにこれがボク的にはでふぉだったので、警察に通報されるようになって「?」と思っていたのだが、近所に新しいマンションやら何やらが建ち始めてから、通報事件が起こるようになったことに気がついた。
これはもう新参のよそ者の仕業としか思えない。彼らに言わせれば「静かに過ごす権利の侵害」になるのだろうが(ある意味、正論である)、こっちは加茂川のローカルルールに沿ってやっているだけの話である。
だからと言って、揉め事を起こすのも面倒なので色々工夫は重ねたのだが、クレームはどんどんエスカレートしていき、「それはもう言いがかりやろう?」としか思えないような段階までいってしまった。
これは「京都人の価値観で不愉快な思いをした」とは、根本的に違うのは明白である。だって、いくらよそ者でも一週間も加茂川沿いに住めば、ここが管楽器の練習場所であることがすぐに分かるはずだし、分からないとしたらそれはもう手に負えない自己中に他ならない。
というか、こんなことがまかり通っている状態なら、地域住人同士のディスコミュニケーションは必然的に起こるだろう。
ここに「京都に住んでいる」という、根拠薄弱なプライドが加わるともう手に負えない。実際、この手の馬鹿はそれなりにいる。「京都の評判を悪くしているのはこいつらとちゃうか?」と勘ぐりたくなってしまうほど酷い。
話が逸れたついでだが、最近の「常識」とやらの歪さには、正直げんなりしている。
「自由」「権利」をバックにすれば、何を言ってもいいような風潮を感じるのはボクだけだろうか? このへんは前に書いた気がするので省くが、ボクに言わせればもうビョーキの世界である。
キチガイのボクが言うのだから、正直何が正しいかは分からないが、あまりの酷さに目を背けるようなケースはよくある。特に電車に乗ってると、もうマナーもへったくれもない人の方が圧倒的に多いのでどうしようもない。
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話を戻す。ボクは幸運な例なのかもしれない。実際、上記したようにどちらかというと京都からは恩恵の方が圧倒的に多く、不快な体験に関しては、むしろどこでもさして変わりがない。
「京都は閉鎖的である」というのも、ボクに言わせれば事実と異なる。京都大学を始めとして、この狭い地域に大学が山とあるのだ。地元の学生だけでなく、地方から出てきた学生の方が、比率としては圧倒的に多いだろう。
京都という町は、学生さんにかなり優しい。個人的な経験でしか言えないのだが、東京の学生さん達よりもよほど手厚くしてもらっているような気がする。このことは、東京の大学に行った高校の同級生達の話を元に出した推測に過ぎないことを書き添えておこう。
今はどうかよく分からないが、基本学生の無茶ぶりには寛容だし、無茶が過ぎるときちんと上手にあしらうスキルがある。もっとも、無茶が過ぎそうになると仲間内の誰かが、お店なりその場から問題児を引きずり出してしまうのが通例ではある。
お店に迷惑を掛けないように心がけるのはむしろ常識であり、それが出来なければ怒鳴られたり、出禁になったりするのは当然である。
少なくともボクが学生の時は、仲間内で「ヤバい」と思ったらさっさと逃げ出すのが普通だった。特に酒乱の気がある人がいる時は要注意である(笑)
ボクは下戸なので(学生の時は無理矢理、ある程度は呑んでましたが)、たいていはフォローか、介護役にまわるのが通例だった気がする。
ボクも酔っているのだが、ボクの場合、酒が入ると意識は逆にどんどん冴えてきてしまうので、周囲に対してもどんどん過敏になるのだ。一緒に呑んでいる仲間を見るよりも、周囲にばかり気をとられているケースの方が多い。
それに、京都は観光都市でもあるのだ。門を閉ざして観光業が成立するわけないではないか。
閉鎖性の一つとして祇園の花街があるのだろうが、こっちだってボクの学生時代に比べればくだけたもんである。むしろ寛容になっているのではないかと思うぐらいだ。敷居の高さなら、銀座の高級なお店とさして変わらない。
以前、銀座の高級店にエカキの大先輩に連れて行っていただいたことがあるのだが、「さすがやなぁ」と感心したもんだ。
ちなみに祇園の元お茶屋さんには、学生時代に先生が「社会勉強の一環」と称して連れて行っていただいたことがあるので、比較しやすい。こちらはこちらで、やっぱり「さすがやなぁ」としか言えないのだ。
銀座と祇園の差異は地域性だけで、もてなしたり会話を楽しんだり気を遣ったりという点では、どちらもレベルが恐ろしく高い。ボクが最近よく目にする馬鹿共が相手にされないのは当然で、それなりの良識なり人徳なりがないと入れないようになっているのだ。
「どこでその良識とか人徳の線を引くねん?」と思われる方もいらっしゃると思うが、そんなもん見ればすぐに分かるのだ。人間観察の達人が銀座・祇園に揃っている(そうなるようにきちんと教育している)というだけの話である。
「京都人の陰口の酷さ」も典型の一つだろう。だがボクに言わせれば、4人以上集まったらナゼか陰口が出てくるという、アホな法則がある。
4人というのはボク的には危険なラインなのだ。3人までなら、まぁたいてい内輪の話で終わるのが大半である。3人までで連んでるうちは、趣味なり価値観なりがよく似ているからであって、共通の話題は腐るほどある。
だが、4人以上となると俄に崩れやすくなる傾向がある。話の接ぎ穂を失った時に、一番出やすいのが陰口なのだ。これに尾ひれ羽ひれが付いて、とんでもない黒い噂になるなどボクに言わせれば日常茶飯事で、特に京都に限った話ではない。
「京都」という地域が陰口の温床と見なされる傾向が高いのは、この場所の狭さが原因の一つだろう。とにかく、あっという間に広がる。
何しろ知り合いの知り合いが、ナゼかボクのことを知っていたり、横の繋がりがあったりするのはザラなのだ。京都人の性質というよりも、面積の狭さの方が影響力が強い。心理的な距離よりも、明らかに物理的な距離が近いのだ。
別に連絡網があるわけでも何でもない。「ああ、あんた○○さんの息子さんのお友達と知り合いか」というような感じである。とにかく、どこで誰がどうつながっているのかは京都の人だって知らないし、日常的に「割とよくあること」と割り切っていると言った方がいいだろう。
まぁ、この辺は気をつけるに限るのだが、先日も知り合いの知り合いに会ったばかりなので(!)油断も隙もない。イヤなら広いところに行くのがよろしかろう。
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「京都人のプライド」で酷い目に遭った人が、「人を勝手に判断するな」というのは筋違いで、そもそも「人としてどうよ?」というケースの方が多いのではないだろか?
でなければ、「京都を槍玉にあげて悪口を書いて金儲け」などというケチくさいことが横行するはずがない。更に言えば「そんな程度のことで京都を勝手に判断するな」と言い返したいくらいである。
上記したように、京都といっても基本は地方都市である。地方には地方特有のルールがあるのは当たり前で、それをよそ者が無遠慮に踏みにじっていいものではないし、それは京都に限った話ではない。
「わざわざ時間とお金を掛けてきてやったんだから、もっとサービスしろ」という発想そのものがゲスいのは、言うまでもない。もっとも、この手の輩はいつの時代にだっているし、どこにでもいるだろう。
バブル期の「買春ツアー」なんてのは最たるもんで、タイで明らかにそういう日本人に遭遇した時は、恥ずかしくて逃げ出したかった。悲しいコトに船に乗って川下りツアーに参加していたので、逃げようにも逃げられなかったのだ。
腹に据えかねて、よほど「川に突き落としたろうか?」とも思ったのだが、連れのタイの女の子や船員さんに迷惑が掛かりかねないので、とにかく出来るだけ離れた場所にいるようにしたのだった。
だが、悲しいかなちいさな船である。エンジンの音に負けないでかい声で、下品極まりないコトを話しまくっているのでもう最悪である。
ここまで日本人ばかりを取り上げてきたが、迷惑な馬鹿もいい人も外国人にいくらでもいる。アメリカ人はかなり極端に分布しているようだが、それでも気のいいおっちゃんやおばちゃんもいれば、どうしようもない成金馬鹿もいる。
アメリカには一度しか行ったことがないが、ここでも幸運に恵まれたのか、いい人にしか会っていない。
韓国・中国・台湾・タイ・ベトナム・フィリピン・シンガポールの知人もいるが、いずれもいい人ばっかりである。まぁ、「ヤバそう」と思ったら(無自覚に)背中を向けているからかもしれないが、不幸にもイヤな人に出会うこともある。
その時はもうスルーだ。相手をするのもアホらしいし、これは日本人が相手でも同様である。というか、日本人相手の方が情け容赦ないかも。
ボクはわざわざ馬鹿の集まりに首を突っ込むほど、付き合いがいいわけではない。それどころか「馬鹿ばっかりやな」と思ったら、たとえ所属していても、さっさと逃げ出す人なのだ。しつこいようだが、京都に限った話ではない。
基本、群れるのが苦手なのだ。社交的とは到底言えないし、気難しい人と思われても、特段異議を唱えるほどマメでもない。面倒くさがりなだけである。
だから、自分から首を突っ込むなどというのは、よほどのことがない限りあり得ない。
元々は京都人の悪口を書きまくるはずだったのだが、結局、京都擁護論に徹してしまった。
ボク自身が恵まれているのか、それともおめでたいのかはさておき、ここまで書いたように、京都の特殊性はこの街の持つ歴史と、寺社仏閣をはじめとする古跡、さらには盆地という狭さにある。
それを言いだしたら奈良も同様なのだが、奈良よりも悪目立ちするのはやはり「千年の都」という看板のせいだろう。
ただ、踏み越えてはいけない一線というのはどこの地域にもやはりあるし、その一線を無遠慮に踏み越えて文句を言うのは、正直どうかと思う。
京都の場合、この「一線」が「プライド」という言葉に置き換えられているだけのような気すらする。一種の情報操作ですな。
金儲けのネタになるのも京都ならではだと思うのだが、いかがなもんだろうか?
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/
http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/
最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m
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編集後記(02/02)
●井上章一「京都ぎらい」を読んだ(2015/朝日新書)。誰もがうすうす気づいているが、あえて書こうとしなかったことがここに書かれている、らしい。「ひとことで言えば、洛外で暮らす者がながめた洛中絵巻ということになろうか。(略)この街は、洛外の人間による批判的な言論を、封じてきた。それだけ、洛中的な価値観が、大きくのさばる街だったのだ」と前書きにある。
筆者の「京都市に生まれ、そして育った」という自己紹介に偽りはない。だが、そう書くのにためらいをおぼえるという。彼は右京区の花園生まれ、嵯峨育ち、宇治市民である。行政上、京都市にはいっていても、洛中の人々からは、京都と見なされない地域がある。洛外の地は京都扱いされないのだという。
「出生地の、ずいぶんちっぽけなちがいにこだわるんだなと、思われようか。しかし、こういうことで私を自意識の病へ追い込む毒が、京都という街にはある。精神の自家中毒を余儀なくされているのは、私だけに限るまい。洛外そだちには、同病の者もおおぜいいるだろう」って、埼玉県人には全然分からない。
京都自慢のプライドを鼻先にぶら下げた、うぬぼれの強い洛中人士たち。「洛中生息」なるいやみったらしい表題の本を書いた杉本家当主、嵯峨の言葉を見下した梅棹忠夫、筆者のうらみがましい記述に読んでいて当惑する。彼は自分には京都人としての自覚はない。京都流に言えば「よそさん」だと思っている。
洛中のつどいへ顔を出す場合も、一種の居留民として臨んできたというからただごとではない。東京のメディアの京都びいきを訝しく思い、迷惑だという気持ちもある。メディアが京都人を誤解させる。あなたたちがそうやって京都におもねるから、洛中の人々もつけ上がり、洛外を見下ろすんじゃないか。
洛中なにするものぞ、そう気合いながら話が進む。洛外生息の劣等感が、執筆の動機になっている。だが筆者は、洛中人と同じようないやらしい偏見で、亀岡市や城陽市への優越感があることを告白し、自己嫌悪する。京都的な差別連鎖の末端にいつの間にか据え付けられた。京都人たちの中華思想に汚染されて、その華夷秩序を、反発はしながらも受け入れるに至ったのだ。ヘタレだ……。
「その一点で、私は自分にも京都をにくむ権利がある、と考える。わたしをみょうな差別者にしてしまったのは、京都である。人を平等にながめられなくさせたのは、この街以外の何物でもない」とは、言いがかりに近い妙な理屈だが洛中文化・いけず目線を浴びることで育った人だから、こうなるのだろう。
結びでは、京都の中華思想をふりかざす手合いと、似たようなことを書いている。自分と京都人との違いをあれこれあげつらうのは、似たもの同士の中で自らを際立たせようするからだろう。ずいぶん屈折した京都論で、なかなか面白かった。バブルな編集者時代には仕事にかこつけ、頻繁に大阪や京都に行って遊んでいた。河原町通で藤原夫妻とバッタリ出会ったこともある。 (柴田)
井上章一「京都ぎらい」
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●プレゼントのご応募お待ちしております!
/ヘリコプターの騒音。大きめの病院がいくつかあって、まれにドクターヘリが着陸する。テレビ局が複数あり、事件があると通る。観光用のが飛ぶのも見る。マンション建築ラッシュなので、広告用に撮影しているのであろうものもある。自衛隊駐屯地の記念行事があると集まるようで、隊列まであって壮観だ。
昨日、ヘリが飛び始めた。通過するだけなら数分なので慣れっこだ。が、時間が長い。離れては戻ってくる。マンション広告用の撮影としても長すぎないか?
消防車が通過すれば火事なのだが、サイレンは聞こえない。30分は経っただろうか、さすがにイラついてきて窓の外を見た。複数のヘリコプターが列をなして飛んでいる。弧を描いているようにも見える。
だんだん低空飛行になり、数が増える。壁や窓に振動が伝わりはじめる。頭痛がする。何もできない。Googleでニュース検索しても、何も引っかからない。Twitterで「ヘリ うるさい」で検索したら、同じように困っている人のが少し。
ツイートしてみたら、記事つきのリプライをもらった。聴覚支援学校で子供たちが重機にひかれた、と。テレビで速報が流れ始めた。ヘリは1時間は飛んでいたように思う。順番に撮影するために弧を描くわけか。飛び始めてからニュースになるまで2時間はかかっていたのではないだろうか。
ジョギングやIngressで学校の前を通ったことがある。道路を拡張し、車道と歩道の段差をなくす工事をずーっとしているところだ。まさかあんなところで? ヘリがうるさいという気持ちはしぼんだ。助かった人たちの回復を祈る。(hammer.mule)
八尾駐屯地エアーフェスタ2017 in YAO
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ショベルカー突っ込む 女児死亡
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