《グラム単位で生きてる女》
■ショート・ストーリーのKUNI[238]
【番外編】お米の重さ
ヤマシタクニコ
■はぐれDEATH[64]
乗り物酔いしないはぐれが語る乗り物酔い
藤原ヨウコウ
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■ショート・ストーリーのKUNI[238]
【番外編】お米の重さ
ヤマシタクニコ
https://bn.dgcr.com/archives/20181122110200.html
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諸般の事情から今回はまた、小説ではなく、雑文というかいわゆる近況報告的なもの。
最近、メルカリを始めた。主に夫の遺品の本を売るため。大切にしていたことを知っている本はさすがに簡単に処分できない。さりとて私には理解できないし、価値の分からないものばかり。興味を持ってくれる人の手にわたるならこんなにうれしいことはない。ただでもかまわないのだ。と言いながらそこそこの値段をつけているけど。
おそるおそる始めたら、けっこう売れて、うれしいが割と大変である。少し前にまつむらさんがヤフオクでの経験について書いておられたが、やはり梱包に悩む。ぴったりの段ボールや封筒がなかなかない。
詰め物したり箱を作り替えたり(適当に切り込んだりして)してなんとかやっているが、大きさを何段階かで変えられる段ボール箱(になる段ボール)を作って安く売ってくれたらなと思う。この線で折ったらこの大きさになるけど、この線ならこうなる……と示してあるような。あるのかな、すでに。
そういうわけで、先日も、売れると思ってなかった本が売れて、梱包してコンビニまで抱きかかえて行った。広辞苑くらいの重さのごっつい本なのだ。帰りは買い物に寄って、その前にポケGOをして、「おっ」と思うものがあれば写真も撮って、などと思うのでリュックには普段通りのもろもろの装備が。
それを肩にかけ(私はリュックをいつも右肩にかける)たぶん2.5kgくらいあった本を抱えて歩くとかなりきつい。ひと足ごとに地面に体がめりこむ感じだ。
というと、何をおおげさなと思われるかもしれないが、朝目覚めたら、どうやって布団から起き上がればいいのかわからないくらい、どうにもこうにも体が動かないような腰痛を経験すればおのずと慎重になるのである。
年をとって出てきた腰痛は基本、治らない。できるのは「用心」することだけだ。またあんなふうになったらと思う「恐怖」もある。だから、まあ花瓶に、もとい過敏になっているのだとは思うが。花瓶になって花を生けられたりするよりはましではないか。
ミリ単位の正確さとか分刻みの忙しさとか言うが、それを言うなら私は「グラム単位で生きている女」なのである。
私の愛用のカメラはLumixのGM1というミラーレス機で、本体の重さ204g、標準レンズ(12~32mm、70g)をつけてもそこらのコンデジより軽い。
ただし最近は高倍率ズームを使うことが多く、これがなんと265g。一挙に重くなる。でも、本体が重いカメラだと当然もっと重くなるわけで、本体が軽いからちょっと重いレンズも使えるわけだ。と自分を納得させる。バッテリーが29g、替えをいつも2つ入れてるので合計三つで87g。
モバイルバッテリーを最近購入してリュックに入れているが、いちばん軽いのを探してネットで購入。でも124g。iPhoneはまだ「6」を使っているので129g。
財布が重くていやなので、最近は無印良品のトラベル用ウォレットを愛用。40gだ。布製なので、本当に軽い。硬貨もできるだけためないようにしている。10円玉が1枚4.5g、100円玉が1枚4.8gだからばかにならない。リュックもなるべく軽いものを選んだつもりだが、300~400gはあるだろう。
一方、玉ねぎが1個平均150~200g。キャベツ半玉は500gくらいある。帰りに野菜や調味料を買わなければならないときは、モバイルバッテリーやカメラをリュックに入れるのはあきらめなければならない。
この間出た新しいMacBook Airは1.35kgだった旧型より軽くなったが1.25kg。MacBookは0.92kgだけど、MacBook Pro13インチは1.37kg。
いま私が使ってる2012年製のMacBook Proは2.56kgだからだいぶ軽くなったけど、もう少し軽くならないものか。MacBook ProがMacBook並に軽くなれば、私でもパソコン持ってカフェで優雅にモバイル生活できるのに。
カフェで何をしたいのだと聞かれても困るけど。いや、することがないことはないんだよ。言うとくけど。
とにかくカメラやノートパソコンの新製品が出る度に目が行くのは「重さ」だ。性能はどうでもいい……ことはないけどね、もちろん。
そんな私だが、ちょっと前に郵便局でお米をもらった。
郵便局に行ったのは貯金が満期になったとか、そういう手続のためである。郵便局では時々キャンペーンをやっていて、何か景品をくれるが、はっきり言ってあんまりほしくなるような景品がない。どんな人が企画しているんだろうと首をかしげたくなるラインナップである。
そのときも「この中からどれか」とチラシを示しながら言われて、ざっと見ると、やはりろくなものがないようだ(読者で郵便局にお勤めの方がいたらすいません)。
うーん困ったな……と思いつつ、ラップの画像が見えたので「あ、これで」とさっさと決めた。すると係の人は「ラップですね。ちょっとお待ちください」と言って奥のほうに姿を消し、しばらくして現れると「ラップが切れてまして……お米はどうですか」と言う。
「お米? ああ、お米でいいです」
袋入りのコシヒカリ1kgだという。ラップよりずっといいじゃないか。すると担当の人はまた奥に入っていき、お米の袋を持って現れた。間違いなくコシヒカリ。ちらっと精米の日付が見えたが、別に古いものでもない。思いがけずお米をもらって喜んでいると
「もう一袋いかがですか」と言う。
「え? もう1キロ?」
「ええ、ちょっと重いですが」
かなり悩んだ。10秒くらい。ラップ1本がコシヒカリ2kgになるって、なんか変じゃないか。裏があるのでは。まるで舌切り雀に出てくるおばあさんみたいに、試されてる気がする……するけど、もらうことにした。単に余ってたんだろうか。なんで……?
係の人はまた奥に入っていき、同じようにお米の袋を持って現れた。私は2kg
のお米を持って郵便局を後にした。
歩き出すなり私は後悔した。その日もカメラやiPhone、モバイルバッテリ等普段通りの装備。いや、最近、一眼用の「宙玉レンズ」一式を購入したので、それと、でも普通に撮りたいものが出てくる恐れがあるので、高倍率ズームも入れていた。
ついでにいうと、硬貨も10枚以上入っていたと思う。そこへお米。案の定、ひと足ごとにずん、ずんとめり込む感覚がやってくる。
やはり試されていたのか。やっぱり私は大きなつづらを選んでしまう、舌切り雀のおばあさんなのか。自分の強欲ぶりを思い知れというのか。
ふだんから重さに敏感になっているくせに、2kgのお米を受け取ってしまう。これは何だろう。お米だけは別というのか。数ある食品の中でも、一粒でも捨てたら「目がつぶれる」と言われるちょー特別な食品、お米。
私もさすがこの国に長いこと生きてきて、その教えがしみこんでいるとでもいうのか。
話がそれるが、私の父親もお米、というかご飯は特別扱いしていてご飯粒ひとつでも粗末にすると罰があたると言ってたが、自分の気に入らないおかずは思い切り粗末にした。魚の食べ方が下手で骨に身がいっぱい残っていた。お米はとにかく特別なのだ。
とりあえず郵便局の帰りにあちこち寄るというプランはあきらめ、直帰することにする。家までそんなに遠くない。がんばれ私。あたりはもう夕暮れの色をしている。秋はなんて暮れるのが早いのだ。
また話がそれるが、何かのハリウッド映画で、だれだったか女優さんが研究者っぽい職業で(←ほとんど何も覚えてないじゃないか)資料をキャリーに入れて通うシーンがあった。ショルダーバッグとかリュックではなく。
私は「ああ、そうか。荷物が重くなればキャリーに入れたらいいんだ」と大いに納得した。日本では旅行でもないのにキャリーを引いてたら年寄りと思われるだけだが、ハリウッドのかっこいい女優さんがやると、それはかっこよく見えるのである。
私がやるとかっこよく見えないだろうか。見えるはずない。しかし、あの映画は何だったのだろう。
ああそういえば。私はまた思い出した。
昔、職場の昼休みにお米の話が出たことがあったのだ。だれかが「若いころは10kgのお米を持てたけどもう無理」というと、そうそう、という声が続いた。ほとんど女、というよりおばさんばかりの職場だ。
さらにだれかが言った。
「10kgのお米は持てないけど、10kg以上ある子どもは抱っこできるのが不思議なの」
「お米も抱っこしたらいいんじゃないの?」
「いや、抱っこしても重いよ」
「お米の袋のかたちを人のかたちにすればいいのでは……。抱っこしやすいように」
ええっ? とだれかが言って、笑いが起こった。
「いっしょじゃないですかねー」
「重さは変わらないもんね……」
人のかたちのお米。そのとき、私の頭に浮かんだのはお猿さんのお人形、いわゆる「さるぼぼ」のかたちだ。
私は子どものころに祖母から、「お猿さんのお人形」の作り方を教えてもらった。たまたま赤い端切れがあったのだと思う。布を真四角に切り、四隅から縫い込んでいくとそれだけで胴体に手と足がついた形になる。
この手足の先っぽをぎゅっとまとめて縫い付けると、お猿が背を丸めたようになる。頭は別に作り、この胴体に縫い付ける。
祖母が教えてくれたのは、針金の芯を入れた長いしっぽもつけるもので、こうしておくとしっぽをひっかけて連結したり、どこかにぶら下げることもできるのだ。そんな作り方がむかし流行ったことがあるものなのか、祖母のオリジナルなのかは知らない。
成人して、あのかたちの基本は全国各地でみられる「さるぼぼ」といわれるものだということを知った。
どこかの資料館で見たさるぼぼは、頭もなく、白い布で作られたものだったが、人間の子どもくらいの大きなものだった。
縫い目がところどころほつけて中から綿がのぞき、かなり不気味なものだったが、それがこっちに向かって手足を広げ(もちろん、祖母の人形のように手足の先がひとつにまとめられたりしていない)、抱きつこうとでもするように見えてぞっとした。その記憶が脳裏にあったせいかもしれない。
さるぼぼのかたちの米袋なら子どもを抱っこするように楽に運べるだろうか? 袋をかかえようとすると腕の部分が自然にこちらの肩にきて……介護の現場でも、相手に抱きつかせるようにしている様子を見たことあるような。
私は思わず自分の肩にかかる、ぼってりと重い腕を想像した。肩に、お米のつぶつぶの感触がわかる。私の耳元でささやく声がする。
──コウスルト ラクデショ
いやいや、それはない、ない! 変な想像はやめよう。だが、さっきからだいぶ歩いているのになかなか家に着かない。おかしいなあ。すっかりあたりは暗くなっているというのに。
ふと見ると、私は両腕にお米ではなくひとりずつ、とても重い子どもをかかえている。私はあわてて手を離した。だが、子どもは離れない。小さな手で私にしがみついているからだ。お米のようなつぶつぶの触感を伝えるその手。そして、私の体は文字通りひと足ごとに沈み込み……。
【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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「やあ、○○○(私のアカウント)また会えてうれしいよ!」と呼びかけ、「改めて感謝したいんだが、きみがいないと研究が思うように進まなくてね。助かっているよ」とおだて、「さて、またきみに手伝ってもらいたい調査があるんだ」と言ってひとに仕事をさせるウイロー博士に最近すっかりのせられているような気がする(ポケGOの話です)。
博士は(童顔の)中年男性の風貌だが、私よりは年下だろう。その割にはよくわかっているじゃないか。やっぱり人をその気にさせるのは「まずちゃんと名前で呼ぶ」「仕事の内容や目的をわかりやすく説明する」そして、完了したらどーんと「ごほうび」。これが大切ですよね、みなさん?
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■はぐれDEATH[64]
乗り物酔いしないはぐれが語る乗り物酔い
藤原ヨウコウ
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●船や飛行機が揺れても平気
実を言うと、物心ついてから乗り物酔いなるものになったことがないので、かなり無理があるネタなのだが、先日某SNSで「?」と思ったことがあったので、備忘録代わりに思いつくまま記すことにした。
体質もあるのだろうが、乗り物酔いとやらはどうも平衡感覚を司る脳(なのか神経組織なのか)が、不慣れな動きの変動で情報処理が追いつかなくなって起こるらしい。
てっきり三半規管が強いか弱いか、というだけの話だと思っていたのだが、三半規管はあくまでもセンサーの一種であり、最終的な情報処理はあくまでも脳、というのが現代医学の知見のようだ。
中学だったか高校だったか忘れたが(どっちも修学旅行先が九州だった)、熊本から長崎に連絡船で移動した時、付き添いの先生を含めて全員が船酔いする中、舳先に近いところで一人平気な顔をして喜んでいたのがボクである。
それなりに波は高かったし、結構な雨も降っていたのだが、連絡船が出る程度である。しかも内海。外海の荒れ方に比べればたいしたことないと思うのだが、まぁそのような状態になったので、それなりに揺れていたのだろう。
そのうち喜んでいる場合ではなくなったので、即席看護係をやらされたのだが、とにかくなんで船酔いするのかがさっぱり分からないので、正直あまり役に立たなかったと思う。
船酔いが軽微な人に「遠くを見ろ」と言っても、遠くが見えない天候なのでどうしようもない。もちろん、最初は症状が軽微でも悪化する。
それまで乗り物酔いになったことがなく、道中のバスの中で車に酔った同級生をからかっていた連中も、もれなく船酔いしたのには苦笑したが。
船の揺れ方、というのは陸上の乗り物の揺れ方より、ある意味エゲツない。
陸の上なら地面や線路の揺れ程度で済むのだが、海はこれに波が加わる。そもそも安定度から言えば、陸よりもはるかに不安定であることは言うまでもあるまい。
そんなとき、船は横波を受けないように航行するのが鉄則である。横波をモロに受けたら転覆するからだ。だから波に対して垂直に向ける。
荒れていなければ、まぁさしてたいしたことはない。波が高くなると、エラいことになる。
波は高さにかかわわず、それなりの周期でやってくるのだが、まず波を越える時に舳先が持ち上がる(当たり前や)。波を越えたと思ったら、舳先から海面に落ちる。
この高低差だけでも乗り物酔いに弱い人はやられるのだが、ここに妙なウネりが加わると左右にも揺らされる。で、波は一回で済むはずがなく、また高さもけっこう変わったりするので効果覿面である。
さらに横波に関して言えば、船には「復元力」というヤツが設計時におりこまれている。要は横の力で斜めになった船体を、正常な位置に戻すだけの話なのだが、モノの本によると復元力が強すぎるのもあまりよろしくないらしい。
振り子と同じなのだが、復元力が強すぎると慣性モーメントが強すぎて、戻った時に舷側から浸水し、ひどい場合は横転の恐れもあるらしい。
要するに、前後左右の揺れにはそれぞれ作用反作用が当然のことながらあり、これらが複合的に起こりやすいのが船なのだろう。
だろう、としか言えないのは、飛行機に乗って多少揺らされても酔えない、というアホな現実がボクの場合あるだけだし、海の波に比べれば雲上まで上がってしまえば空は快適そのもの、というアホな思い込みがあるからだと思う。実際、雲の上まで上がってしまえば気流は比較的安定してるし。
このようなボクが自動車で酔うはずもない。
●アウト・イン・アウトとはなにか
ところで、先日とあるSNSの書き込みで「山道を運転する時のコーナーの曲がり方はアウト・イン・アウトで、これは乗り物酔いしやすい人の苦痛をやわらげる」というとんでもないものがあったからだ。
SNSで物議をかもすつもりはなかったので、放置しながらTLを眺めていたのだが「???」という方向にどんどんいってしまい、尻すぼみ状態で終わった。
もちろん、「アウト・イン・アウト」と「乗り物酔い」の因果関係はほぼ皆無である。
軽く「アウト・イン・アウト」について説明すると、道の路側からコーナーに侵入して、コーナーの頂点ではセンターラインに近いところにステアリングを切って、路側に進行するというだけの話である。
加えるとすれば、コーナーに侵入する際、減速して出口でアクセルを踏むということだろうか。まぁ、アクセルを踏むタイミングは、人それぞれだが。もっと手っ取り早く言えば、早い速度でコーナーを曲がるテクニックであり、乗り物酔いとは基本関係ない。
それはともかく、ここでまるっと抜けているのは慣性モーメントの話である。
コーナーの手前で減速といっても、80km/hから30km/hへの減速距離が短ければ、当然のことながら、進行方向へ大きな荷重がかかる。そこへもってきて、アクセルをいきなりどかんと踏めば、今度は進行方向と逆の方向へ大きな荷重がかかる。
さらに、柔らかいサスペンションだと、上記した前後の振り子状態が起きやすくなり、前後だけでもじゃんじゃん揺さぶられることになる。
ここに曲がる際の横荷重(外側に向かう)が加わると、もう最悪である。横でも上記した船の復原力と同じ動きをするのだ。さらに車高が高くなると、特に横の揺れは激しくなる。タイヤの接地面と、乗車している人の頭の高さの距離が広がれば当たり前の話ではないか。
別に山道に限った話ではない。市街地を走っていても同様である。
面倒くさいのでさっくり結論から言えば、そもそもスピードを出しすぎているのと、ブレーキの掛け方が荒すぎるだけの話なのだ。
もっと酷い言い方をすれば、教習所で習う模範的な安全運転をしていれば車酔いはある程度回避できる。あくまである程度ですよ。
上記したように、車高が高くなればどうしても揺れ方は大きくなるので確実ではないし、一般的に売られている自動車のサスペンションは、ボクに言わせれば柔らかすぎる。
最近のサスペンションは機能満載なのだが(詳細を書き出すとエラいコトになるので飛ばす)、とにかく揺れ方が不自然で気持ち悪い。
ボクに言わせれば、「地面の状態がタイヤとハンドルに直接伝わって来ない」状態なのだが、これはタイヤとハンドルの間に色々なハードやソフト(!)が加わっているからだろう。だろうとしか言えないのは、ボクが運転したことがある最新鋭に近い車は、妹夫婦の自動車だけだからだ。
ややこしくなりそうなので、自動車のメカニズムそのものについては割愛。
「ある程度」にはと言うのには、もちろん先天的に乗り物に弱い人も含まれている。体質はどうしようもない。めちゃめちゃハードな訓練でどうにかするという手はあるようだが、一般人向きではないだろう(どんな想像してんねん)。
あくまでも「ある程度」という前提で話を進める。
「アウト・イン・アウト」を例に取れば、コーナー前の減速距離を伸ばしたり、最初からスピードを出さずに減速すればイイだけの話である。
40km/hから30km/hの減速なら、下手をするとブレーキを掛ける必要すらないかもしれない。エンジン・ブレーキで充分、この程度なら減速できる。当然、慣性モーメントは少なくて済む。もちろん、その後に急加速してはあんまり意味ないです。
ちなみに、80km/hから70km/hに減速しても無意味であることは、言うまでもあるまい。10km/hの減速は同じだが、70km/hで一般的なドライバーが曲がりきれる山道のカーブはほとんどない。曲がりきれずに自爆で済んでも、後の処理は必ずあるし、他の車や人を巻き込んだらエラいコトになる。
だからといって、80km/hから30km/hに短距離で急減速をすれば曲がれるから安全、というワケではない。乗り物酔いのことを忘れてもらっては困る。そもそも、山道を80km/hで走ること自体無謀なのだし。
山道なら登りだと、本当にアクセルを外すだけでそれなりに減速する。当たり前だけど。降りは逆に加速しやすいので、エンジン・ブレーキで充分に減速して、ちょろっとブレーキを踏めば、あとは惰性でコーナーは曲がれる。あくまでも低速で走っていればの話です。
まぁ、日常的に山道を自動車で走る人なら、それなりの運転をしていると思いたいのですが、そうでもないらしいので恐ろしい。市街地でも普通に(!)危ない運転する人の方が非常に多いしなぁ。
ちなみに、伏見の一方通行になってるような細い路地で「アウト・イン・アウト」なんぞされると危険極まりない。が、恐ろしいコトにやるのだ。
本気で「アウト・イン・アウト」をしているのではなく、単に内輪差を考えずに運転しているだけなのだが、歩行者や自転車などを巻き込む可能性はもちろん高い。
そもそも内輪差のことを、きちんと理解できているのかどうかすら怪しい。これだって教習所でちゃんと教えられているはずで、内輪差を考慮に入れるのは恐らく駐車する時くらいで、それも車体に傷を付けたくないというアホな理由に過ぎないだろう。
全員が全員そうだとは言わない。ただ伏見の路地を歩いたりなんかしていると、思いっきり内輪差を無視した運転をするケースがあまりに目につくのだ。
乗り物酔いそのものは、どんな乗り物に乗ろうが必ずついて回る。もっと言えば、慣性モーメントが存在する限り、脳が動く風景を処理する限りついて回る現象であり不可避なのだ。
自動車に限って言えば、しつこいようだが教習所の教科書に載っているような模範的な安全運転が、一番手軽でハードルが低い方法の一つだろう。
本来、免許所持者はこうしたことが身についているはずであり、責任と義務を負っていることも理解しているはずなのだ。が、現実はあまりに違いすぎる。
乗り物酔いと縁のないボクが、ここまで暴論を展開したのは乗り物酔いを単に個人差のある生理現象と考えて欲しくないからなのだ。
ちなみに、ここで展開した乗り物酔いに関するメカニズムやなんやらは、大間違いをぶっかましている可能性があることを素直に白状しておく。しつこいようだが、乗り物酔いしたことないんだから。
ただ、乗り物酔いは横に置いといてでも、安全運転は率先して実行いただきたい。本当に周囲にとっては危ないので。
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com
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編集後記(11/22)
●天候次第だが、ほとんど毎日、午後の数時間は自転車でどこかの路上にいる。住んでいる戸田市はそんなに広くない(18.19km2)から、ほとんど行き尽くした。隣の蕨市は日本全国の市の中で一番狭い(5.11km2)から、とっくに制覇した。とはいいながら、まだ道に迷う。走っているうちに知ってる場所に出る。
東隣の川口市は61.97km2もあり、まだ一部、せいぜい1/4くらいしか行っていない。いま、さいたま市を攻略中である。こっちは217km2と広大であり、たぶん全地域に行くのはほとんど無理だろう。午後の数時間では、行ける距離は知れたもので、とにかく戻ってこなければならないのだ。土日に行くしかない。
愛車ドッペルギャンガーは好調である。さいきん一万円近くかけて、前後輪のチューブとタイヤを更新したからだ。埼玉県立現代美術館は、電車で行ったら3系統を乗り継ぐから6駅も先だ。でもわが家から17号線に出て北上すれば、せいぜい40分もあれば着く。途中に長い上り坂があるのは厭だが、帰りは楽だ。
先日は「2018CAFネビュラ展」という、現代美術をコンセプトに活動するグループの作家100名超による展示があった。一般展示室4室を全使用、日本画、水彩、油彩、版画、彫刻、インスタレーション、映像などで、正直わけのわからない自己満足的な作品だらけだった。無料だったからいいけど。いまは第57回高校書道展をやっている。書道は大好きなジャンルなので、必ず行く。
図書館制覇も野望のひとつである。各市の図書館の本館・分館の全部に行ってみるという、ひまじんしか考えない企画である。戸田市は本館が工事・休館中、いま4館しか開いていない。とっくに全部行った。蕨市も本館が工事・休館中、分館が3つある。殆ど期待できないので行ってないが、60分以内で回れそうだ。
川口市の中央図書館は日常的に行っている。ほかに5館あり、全部に行っている。ひとつは相当に遠くて、道路地図なしではとうてい行き着けない所にあった。分室が3つあるが、これは行かなくていい。とにかく、毎日、雨が降っていない限り、どこかの路上にいるという、その歳でなにやってんだ的生活である。
一昨日は南浦和の、元住んでいた家のそばの図書館に行ったら工事中だった。そこで一駅先の浦和まで走り、駅前パルコの上にある「さいたま市中央図書館」へ初めて行ってみた。広大できれいなワンフロア、平日の日中なのに、学生はともかく、老若男女、善男善女(違うか)が沢山。君たちは仕事もせずになぜここに。まあ、かなり快適だから休みにくるには最適だ、無料だし。(柴田)
●普段使いのものが、超安価で売られていたら、つい大量に買ってしまう。お店のカゴの中に入れている時は軽いのに、会計して持つとズシリと重くなる。キャリーバッグが欲しくなるが、何もない時に持ち歩くには重い〜。/お財布重い。ポイントカードのせいでもある。全部スマホアプリになったらなぁ。
/お米の特別感は染みこんでる、確かに。/その人形を自分のお土産用に買ってきたことがある。可愛いと思ったの。/ウイロー博士はおだて上手に同意。そしてイケメン。ホイホイ依頼に応じているが、「相棒と歩いて5個アメ」で止まっている。あっ、相棒をココドラにすれば良かった! 1kmで1個。
/乗り物酔い、3Dゲーム酔いする〜。横になって寝ていれば酔いにくいから、やっぱり目からの情報処理の問題なんだろうな。/大きな図書館いいなぁ〜。 (hammer.mule)