[4747] 抽象画のようだった/砂の上の植物群◇数字キーを使わず数字を入力

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《音声入力はさらにラク!》

■日々の泡[005]
 抽象画のようだった
 【砂の上の植物群/吉行淳之介】
 十河 進

■グラフィック薄氷大魔王[601]
 「数字キーを使わず数字を入力」他、小ネタ集
 吉井 宏




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■日々の泡[005]
抽象画のようだった
【砂の上の植物群/吉行淳之介】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20190306110200.html

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吉行淳之介の「砂の上の植物群」を読んだのは、十六か十七歳の高校生の頃だった。友人たちは「そんなエッチな本を読んで----」と言ったけれど、僕がその小説を読んだ理由は性的な興味があったからではない。

今から振り返ると、性的にはオクテだった僕にその小説に書かれていたことが理解できたのだろうか疑問に思う。ただ、僕は高校生のときに新潮社から出ていた分厚い一冊本の「吉行淳之介短編全集」「吉行淳之介長編全集」を読破するほどの愛読者だった。

また、「砂の上の植物群」は、僕の中から抽象絵画への関心を引き出してくれることにもなった。「砂の上の植物群」とは、パウル・クレーの作品のタイトルから引用したものだと知ったからだ。

パウル・クレーを知らなかった僕は、彼の画集を見つけて開いた。新鮮な驚きがあった。その結果、具象画だけが絵画だと思っていた少年は、心象を描く作品というものが存在するのだと知ったのである。

その頃、吉行淳之介は流行作家(今や死語ですね)だった。週刊誌では座談の名手として座談会の連載を持ち、上品なエロ話ができる作家として売れていた。また、軽妙なエッセイを連載していた。エッセイ集に「栗と栗鼠」というタイトルのものがあり、僕がその意味を理解したのはずっとずっと後のことだった。

「桃栗三年、柿八年」ということわざをモジって、「股尻三年、膝八年」と言ったのは吉行淳之介だという話を聞いたことがある。女性のいる銀座の酒場で、隣に座ったホステスの体をさりげなく触るワザについてのフレーズだという。

吉行淳之介には、そういう「洒脱な遊び人」「性的技巧者」「軽妙だが軽薄ではない都会人」といったイメージがあった。その頃の吉行淳之介は、同じように性的なテーマを描いても、純文学作品とエンターテインメント作品を書き分けていた。

端的に言うと、扇情的に描くか、分析的に描くかという違いである。ポルノグラフィーは性的場面を扇情的に描き、読者を興奮させなければならない。純文学作品では、性的場面を描いても人が生きる意味を考えさせなければならない。

今でも、最初に「砂の上の植物群」を読んだときの印象を僕はよく憶えている。それは、化粧品のセールスマンである主人公が、仕事をさぼって公園で思いを巡らせている場面から始まった。

彼は、ある推理小説の構想を考えている。彼には若くして死んだ父親との葛藤があるらしく、その父親が死んだ後も残った妻の体を凶器にして殺人を図るという小説だが、その肝心なトリックが思いつかない。

やがて、主人公はセーラー服の女子高生(その唇に真っ赤な口紅を塗っている)と知り合い関係を持つ。女子高生には保護者のような姉がいて、その姉を堕落させたい願望があるのか、主人公に姉を誘惑するように持ちかける。

主人公は姉に近づき、誘惑し、関係を持つ。その姉には被虐趣味があり、何度も身を重ねる関係になり、ある日、主人公に手を縛って性交してほしいとねだる。しかし、それこそが主人公の父親が女の体に残した凶器だったのではないか、と主人公は疑い始める。

五十年も前に読んだので、記憶が曖昧な部分もあるのだけれど、ざっと要約すると、そんな物語が展開したと思う。今、書くとしたら、もっと直接的な表現もあるのだろうが、何しろ一九六三年に発表された小説である。露骨な描写はなかったと思う。

吉行淳之介作品は、独特の感覚的な表現が魅力的だった。評論家の川村二郎さんは「感覚の鏡」という長編の吉行淳之介論を書いているが、吉行淳之介の感覚的な文章は僕に大きな影響を与えていると思う。

「砂の上の植物群」では三十四歳で死んだ画家の父親が主人公に大きな影を落としているけれど、現実の吉行淳之介にも三十四歳で死んだ父親・吉行エイスケの影が見え隠れする。父親も作家だったからだ。

NHK朝の連続ドラマ「あぐり」は、吉行淳之介の母親あぐりの人生を描いており、エイスケを野村萬斎が演じていた。ちなみに淳之介の妹は女優の吉行和子と、詩人で後に芥川賞を受賞した吉行理恵である。兄と妹で芥川賞を受賞したのは、他にはいないと思う。

ちなみに「砂の上の植物群」は原作が出版された年に映画化され、一九六四年八月末、東京オリンピックの五十日前に公開された。才人の評判が高かった中平康が監督し、脚本には池田一朗(後の時代小説作家・隆慶一郎)が参加している。

僕は公開当時に見たかったのだが、さすがに中学一年生では映画館に入りにくく、後年、思いを果たした。主人公は「日本のアラン・ドロン」と言われた頃より少し年を取った仲谷昇、女子高生は西尾三枝子、その姉は稲野和子だった。

西尾三枝子は三田明のヒット曲を元に作った青春映画「美しい十代」(1964年)でデビューしたばかりの清純派だったが、この映画への出演をきっかけに大胆派に転向し、後にテレビドラマ「プレイガール」に出演することになる。

稲野和子という女優は、思い出すと今でも背筋がザワッとするほど官能的な人だった。十代半ばの少年にとっては、「イヤラシゲーな」人だったのである。小説は抽象画を見ているような印象だったが、映画はセックスシーンも直截的で僕は戸惑ったものだった。


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■グラフィック薄氷大魔王[601]
「数字キーを使わず数字を入力」他、小ネタ集

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20190306110100.html

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●数字キーを使わず数字を入力

テンキー付きキーボードの右に手を移動するのが面倒なくらいには、テンキーなしキーボードに慣れた。でも、上の数字キーを無意識にブラインドタッチできるところまでは行ってない。

だから、特定の日付を上の数字キーとアルファベットで「2月28日」などと打ち込むのは少し苦痛。普段はATOKの日付変換でラクしてる分、変換できない特定の日付や値段などの、数字の打ち込みを特に面倒に感じてしまう。

試してみたら、「にがつにじゅうはちにち」を変換するほうがぜんぜんラクだ! 手をホームポジションから動かさなくていいし、数字キーを打ち込むときの若干の頭のモード切替も不要。

そういえば、矢印キーや記号も「みぎや」「あんど」「かっこ」「から」などと打ち込んでるな。

●音声入力で楽チン!

ついでに、ヘッドセットをつけて音声入力も試してみた。さらにラク!

「右command2回」で音声入力オン(再び2回押しでオフ)に設定。長いテキストやメールを音声入力するのはしんどいけど、日付に限るならぜんぜん実用的!
https://support.apple.com/ja-jp/HT202584


全角スペースは「タブキー」と言えば入力できる。これで日付+見出しの1行くらいは音声入力でできちゃう!

実は、勝間和代氏がタブレットの音声入力のみで仕事してるという話を読んで、音声認識がまたちょっと気になってたのだった。

以前この連載でMountain Lionの音声入力ついて書いたけど、普段使うようにはならなかった。
https://bit.ly/2SCoeQ9


ヘッドセットをつけるのは面倒だけど、マイクがついてるマシンやマイク内蔵スピーカーならそれも必要ない。

普通の操作のコマンドを認識できればいいのにな。「コピー!」「ペースト!」とか、「ベベル! 」「UVパネル!」「下のレイヤーと統合!」とか。できそうだけどな。

「ロケットパーンチ!」とか、必殺技のコールみたいだが、あれはもともと音声認識で武器が発動するシステムになってるのだという話もw

●巨大バッテリーの分厚いスマホ

ネットではボロクソに書かれてるようだけど、ぜんぜんアリだと思う。まあ、ここまで分厚くなくてもいいけど。
https://bit.ly/2EsvxF3


スマホの何が重要かって「通信できること」+「バッテリーが切れずに動き続けること」。動き続けることを最重要視するのなら、巨大バッテリー搭載の分厚いスマホが普通に存在しないほうが不思議と思ってた。

最近のスマホは激しく使わなければ数日は平気でバッテリー持つけど、6〜7年前に使ってた一台目のAndroidスマホは夕方には半分以下になり、すごい不安だった。薄く軽くより、バッテリーの持ちを優先してよ〜! とか思ってた。背面いっぱいサイズのバッテリーを搭載してくれ〜、と。

あちこち飛び回る仕事の人は、分厚いスマホも歓迎じゃないかな。持ち歩きの軽さ優先で、シャツのポケットに入るようなスマホと、バッテリーの保ちや頑丈さ優先のスマホ。どちら優先かではっきり分かれてるほうが自然。

もちろん、モバイルバッテリーや予備のバッテリーって手もあるけど、荷物が増えて煩雑になるから、一個で済むに越したことない。ただ、大きすぎるバッテリーは飛行機に持ち込めないという話も。

別の記事。Energizer社って、よくガジェットなどの製品にお試し電池で入ってる電池の会社! それでバッテリーをフィーチャーしたんだな。
https://bit.ly/2UlfyPS


●Oculus Goで映画を観る

Firefox Realityと標準ブラウザを使い、Oculus Goで本格的に映画を観てみた。「大きなスクリーンの目への圧力と没入感」は本当に素晴らしいんだけど、一時間以上観てると相当目が疲れる。あと、表示が重くてもたつくし、やはり操作UIが使いにくい。

もうちょっとなんとかしてくれないと、日常的に映画観る専用にするにはしんどいかな。観たい部分だけOculus Goの大きなスクリーンで見直すのなら、ぜんぜん良いけど。

あと、U-NEXTが標準ブラウザでもFirefoxでも観れなかったのだが(デスクトップモードでも)、何かがアップデートされたらしく、両方で観れるようになったのはよかった。


【吉井 宏/イラストレーター】
http://www.yoshii.com

http://yoshii-blog.blogspot.com/


昔、3.5インチHDDと巨大バッテリーを内蔵した、ヘビーデューティなプロ仕様のiPodがあったらいいのに、とか思ってたなw

先日、3個作って落ち着いたばかりの3Dプリンタ利用の立体制作。なぜか別の大量出力に突入してしまい、大きめ6体の計40ピースを2週間かけて出力完了〜。全出力物を机に並べた写真が撮りたくて意地でがんばったw
http://www.yoshii.com/dgcr/3dprint-IMG_1777

○吉井宏デザインのスワロフスキー、新製品がいくつか出ました。

・見ざる聞かざる言わざるの「三猿」
https://bit.ly/2UF4LzF


・フクロウHOOT、踊りたい気分! 「HOOT LET’S DANCE」
https://bit.ly/2Dc6p4Z


・恋に落ちたフクロウHOOTたち「HOOT WE ARE IN LOVE」
https://bit.ly/2BlyBC4


○MyMiniFactory
3Dプリンタ用のデータを売ってます。
https://www.myminifactory.com/users/Yoshii



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編集後記(03/06)

●偏屈BOOK案内:「アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい」
 ジェイソン・モーガン

さいきん、安易に長いタイトルを冠する本が増えているようだが、編集者の怠慢であろう。筆者は歴史学者、アメリカの大学で東洋史(とくに中国史)を研究し、その後、韓国で英語教師として働き、現在は麗澤大学外国語学部助教、4冊目の著作。日本という国と日本人の、素晴らしいところ、克服すべきところは何かという問題意識を基底に置いて、歴史や憲法などを論じている。

「独善的記憶喪失者」であるアメリカの、歴史学会の日本に対する偏見は、戦時中よりひどくなっている。罪もないのにいつまでも悔い改めている、それが筆者の感じる日本人の特徴だ。自分が悪くなくても謝ってしまう傾向がある。その性質を表す英語はない、ということは日本の独特な心境、精神性なのか。

アメリカ人も、奴隷制度やアメリカン・インディアン虐待、ベトナム戦争での蛮行など、意外とそうした事実を認めている。しかし、「それは自分の責任ではない」つまり「現在の我々とは関係ない」と、過去のことは過去の人の責任で、自分たちは進歩し改善できた人間だと強く信じている。しかし、日本はまだ十分反省していないから贖罪を続けよ、というご都合主義は続いている。

一般的アメリカ人が共有しているのは、自分たちは正義である、従って悪に対しては原爆を使わざるを得なかったというストーリーである。それを矛盾させないために、日本を悪者にし続けなければならない。日本をナチスドイツと同じ存在だと思っている人が、アメリカには大勢いる。戦後70年に行われた大手民間調査機関の調査でも、アメリカ人の56%が原爆投下を正当化している。

アメリカ人は過去を「映画化」する。正義の味方・アメリカが、悪の権化・日本をやっつけたという自己肯定感がものすごく強い。自己肯定感があまりに低い日本とは対照的だ。これは間違いなく、戦後から今に続く「自虐史観」教育の結実だ、とアメリカ人に言われてしまった。筆者は大学の授業で、「もし徴兵制度があって、あなたが徴兵されたらどうしますか」と学生たちに尋ねた。

殆どの男子大学生は「行かない」という。自分の意思と関係なく、行かなければならないのが徴兵制度だ。しかし、日本を守るためという理由でも、徴兵を拒否する。「北朝鮮が攻撃してきて、自分の家族の生命が危険に晒されるとしたらどうするか」と問うと「それでも戦わない」と答える。筆者は心底驚いた。国も、町も、家族も守ろうという気概がなく「自分は平和主義者だ」と言う。

こういう考え方をする人はアメリカにもいるが、リアリティのない連中だ。武器を持った悪人が家に侵入してきたら、と聞くと「警察を呼びます」だと。武士とカウボーイは過去のものとなった、古き良きものはなくなったと筆者は嘆く。白人、キリスト教信者、男らしさを大切にする筆者のような人は、レイシスト、ファシストといわれなき批判をされ、攻撃されたのがオバマ時代だった。

筆者はちょっと変わったアメリカ人で、「民主主義」は国の基軸にはならないと考える。国旗に忠誠を誓うより、人間に誓ったほうがいいのではないか。象徴だとしても国のトップが交代する際に、厳かに穏やかに譲位できるのは平和の表れだと思う、という皇室が大好きな人。翻ってアメリカは、文化や道徳がないと。だが日本は、グローバル化を勘違いしていると。つづく。(柴田)

「アメリカも中国も韓国も反省して日本を見習いなさい」扶桑社 2018
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/459408012X/dgcrcom-22/



●Mac本体で音声入力! そっか! 試そうとしたら、クラムシェルなので外部マイクがいるよ〜んと言われてしまった。何年も使っていなかったBluetoothヘッドセットを充電中。

/MacBook Pro続き。ポートは4つあるから、ハブは使わなくてもいいという気もするが、外出する時にケーブル1本外すだけでいいのは楽だろうなぁと。

で、いろいろ考えた結果、買ったのは「ディスプレイとThunderbolt 3(USBType-C)を繋ぐケーブル」と「Thunderbolt 3をUSB 3.0に変換するアダプタ2個入り」だった。

ディスプレイケーブルの変換アダプタが引き出しに数種類あって、まだ増えるのか〜と思ったりもしつつ。

ハブに踏み切れなかった理由は、商品説明がどこも中途半端だったため。日本メーカーの公式サイトに行っても、疑問点が解決できない。中国メーカーのは変な日本語があったり、日本メーカーに比べて安すぎたり。(hammer.mule)

Uni USB CタイプからDisplayPort変換ケーブル
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B075V27G2R/dgcrcom-22/


Rampow USB Type C to USB 3.0変換アダプタ(USB 3.1 Gen1)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0791YX2D1/dgcrcom-22/

定価で買ったけど、ちょくちょくセールやってます