《僕は偉そうなことを言えない》
■装飾山イバラ道[241]
インコの鷲掴み
武田瑛夢
■Scenes Around Me[46]
東京大学駒場寮の事(25)アリテンクロージングパーティー[3]
アリテン最期の数日間の写真
関根正幸
■crossroads[60]
就職活動中の若い人たちへ
若林健一
■装飾山イバラ道[241]
インコの鷲掴み
武田瑛夢
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東京大学駒場寮の事(25)アリテンクロージングパーティー[3]
アリテン最期の数日間の写真
関根正幸
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就職活動中の若い人たちへ
若林健一
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■装飾山イバラ道[241]
インコの鷲掴み
武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20190312110300.html
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私は猫動画が大好きだけれど、最近はインコやオウムの動画を目にする機会が多い。YouTubeでも歌を歌うインコや、音楽に合わせて頭をリズミカルに振る大きなオウムの動画が人気だ。
鳥たちは飼い主に向けて歌ったり喋ったりする以外にも、一人ブツブツブツブツ何か言っている子もいる。
「ピーちゃんはお留守番、えらいねー」などとインコのピーちゃんが口にすれば、私の心はもう鷲掴み(わしづかみ)だ。インコに鷲掴みされるとは、なんとも不思議。
●人間の声を真似する理由
もともとインコやオウムは、ヒナの頃から親の声を真似しながら育つものだけれど、その存在がいないペットの場合は、飼い主の声や周囲の音を真似るしかないそうだ。そう考えると少し切ない。
生活の中で自然に人の言葉を覚えて繰り返しているだけで、言葉の意味の理解はないという人もいる。
しかし、どうやら言葉をわかって喋っているように見える動画もあり、とても可愛いものだ。これは見ている側の心が、勝手に意味を重ねて見ているせいかもしれない。
そして野生のオウム類はパートナーの鳥の声を真似る「ラウドコール」という方法を使って、多くの鳥仲間の中から相手を見つけることができるのだという。
人からオウムの群れを見ても、みんなほぼ同じような顔に見える。オウムは洋服や髪型の違いもないので、オウム自身にも自分の妻は見た目ではすぐにわからないものなのだろうか。
しかし相手の声で鳴いて、返事を待つというやりとりを想像すると愛らしい。しっかりと絆を結んだ相手を、数多くの中から見つけ出して、自分の巣に帰ったりしているのだろうか。
飼われている場合は、飼い主の電話の声を真似したり、歌ってくれた歌を真似するのだろう。家族の一員だから、家族の出す音の真似をする。インコにとって当たり前で普通のことなので、言葉の訓練はストレスを与えない範囲でゆっくりするのが良いそうだ。
●なぜ鳥なのに人の声が出せるのか
人間に近いというチンパンジーでさえ人の声を出せないのに、まったく異なる口の構造をした鳥から、録音したように人の声が出てくるのはなんとも不思議なことだ。
これはインコの舌はほぼ筋肉で出来ていて複雑な動きが可能で、あらゆる音を再現できるからだそうだ。
そういえば子供の頃飼っていたインコが、ヒエやアワの種の粒を口の中に入れてクルクルと器用に皮をむくのを見ていた。
結構な肉厚の舌だった記憶がある。あの技も舌先を器用に使えるからこそなのだ。クチバシは硬くても、舌の形を器用に変えて、声を出している。
そして「今日何たべたの? 葉っぱ食べたの。」のようなことを一人喋りしている声は、少しこもったようなインコ特有の濁りがある。
これはもしかしてインコの耳で捉えた音だから、人の耳で聞く音とはトーンが変わっているせいではないだろうか。インコの小さい頭の小さい鼓膜で捉えた音の世界なのかもしれない。
インプットかアウトプットのどちらかで生じる微妙な差。インコらしさとなる魅力的な部分でもある。
さらにYouTube動画でヨウムなどの大型インコの人真似の声を聞いていると、その表現力の高さに驚かされる。人間の声帯模写の人もすごいけれど、大型インコ類はブザーや電気工事のドリル音なども、まるで録音して再生するように、音の質や抑揚をコピーすることができるのだ。
ヨウムは知能が高く、言葉の理解があると言われている。五歳児並みの知能で、平均寿命で50年というからすごい。
こうなると、経験から言葉の意味を理解しても不思議ではないし、人間と深いコミュニケーションが取れる存在なのだと思う。
●オウムとインコ
先ほどからオウムとインコを混ぜて喋る鳥として説明しているけれど、この違いは何だろう。これが結構難しいのだ。
ヨウムの場合は、オウム目、インコ科、ヨウム属なんだそうだ(笑)。
オウム目でオウム科がオウムで、オウム目でインコ科がインコ。「科」の違い。最近はDNA研究が進んで、祖先が違うことがわかっているので、しっかりと異なる科の鳥だそうだ。
見分け方は色、大きさ、冠の毛が生えているかどうかで違うらしい。なんとなく大きくて地味な色のがオウムなような気がスル? こだわる人は調べよう。
●インコと人間の共存
飼われているインコやオウムは、餌もあり危険もなく、遊ぶ余裕のある状態だからこそ「歌う」のかもしれない。これは人間と同じだ。作業中でも余裕のある時だけ鼻歌を歌ったり、気分の良い時に体を揺らす人は多いものだ。
相手の行動を真似ることは、その相手を好きな場合に多いと思う。なんと言っているかわからなくても、真似して返すことでコミュニケーションの一歩が始まるのは、どんな生き物でも同じような気がする。
実際に人間が好きなタイプの鳥が、多く声真似をするらしい。
「生命の危険がなくて好きな人のそばで暮らせる」から、喋ったり歌ったり踊ったりする。この状態は「幸せだから」で間違いないと思う。もちろん、野生の状態でないことや、自らその状態を選んでいるのかを考え始めたら単純ではない。
それでもインコたちが幸せそうに歌う動画に私は癒されるし、人間味のある愚痴をこぼすインコに笑う。インコの頭の中の記憶に残った、同居人の暮らしぶりの再生。一緒に暮らせば似てきて当然なのである。
【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
花粉が大量に飛散する毎日。私はさほど症状はきつくないけれど、マスクはした方が快適だ。ピッタマスク(PITTA MASK)って人気らしいので買ってみたら、すごく息がしやすい。洗えるって知らなくて、一枚目は使用後捨てちゃったけど、次のからは洗おう。
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■Scenes Around Me[46]
東京大学駒場寮の事(25)
アリテンクロージングパーティー[3]
アリテン最期の数日間の写真
関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20190312110200.html
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前回書いたように、アリテンは駒場寮委員会から1998年10月3日までに駒場寮から退去するように命じられました。
私は、この頃、自宅に帰ることが多くなっていましたが、9月末のアリテンクロージングパーティーに先立つ数日間は、アリテンに泊まって写真を撮っています。今回はその間に撮影した写真を紹介します。
1998年9月28日 前々回の写真とは違い部屋が真っ暗ですが、駒場寮が電源を引いていた寮食堂が9月に原因不明の火災により消失、このため電気が使えなくなったためです。
アリテンに着いた時、先客の女性が寝ていたのですが、室内の写真を撮ろうとした時起き上がったので、心霊写真のように写っています。
ろうそくを灯して宴会。シャッターを開ける時間をある程度長くしないと、部屋の奥の方が写らないのですが、その結果、人がブレている写真が多く、まともに写っているのは1〜2枚でした。
1998年9月29日 ネガ上ではひと続きになっているのですが、内藤くんの服が違うので、次の日に撮影したようです。内藤くんの隣の女性とは、おそらくこの日初めて会いました。
1998年9月30日 アリテンクロージングパーティー この日は大勢の人が集まりました。アリテンの常連だけでなく、テツくんがやっていたゼロバー時代のお客さんもやってきました。
アリテンにやってきた人の多さに、私は部屋全体を撮影したいと考え、壁ギリギリにカメラをセットしてタイマー撮影しようとしました。ところが暗闇で設定を間違えて、多重露光に設定してしまいました(CONTAX G1では、連続撮影→タイマー撮影→多重露光の順に切り替わる)。
私は間違いに気付き、改めてタイマー撮影しようとしたのですが、再び多重露光に設定してしまいました。三度目でやっとタイマー撮影になりました。
その結果、同じ人物が3回写っている写真になりました。背景がダブっていないのは、二度の多重露光ではシャッタースピードが速かったからだと思います。
中央で話しこんでいるのは、舞踏家の鶴山欣也さんと上々颱風の白崎映美さんです。武盾一郎さんは右側に、蟲くんは左側に写っています。暗闇で撮影するのは難しいと思ったので、CONTAX TVSでフラッシュ撮影もしています。
1997年の冬に、オブスキュアギャラリーで展示を行った小山くんと、ユミコフさん。
くげちゃん(鵠沼笙)と白崎映美さん
パーティーは一晩中続き、朝まで過ごした人が何人もいました。
この写真も多重露光撮影しています。
アリテンは、その次の日に部屋の中のすべての荷物を運び出しました。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔
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■crossroads[60]
就職活動中の若い人たちへ
若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190312110100.html
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こんにちは、若林です。私ごとでありますが、この4月から娘が大学4年生になり、いよいよ社会にでる準備を始めます。こと、就職に関してはひとりの社会人として、なんらかのアドバイスをしたいと思いつつ、何をアドバイスしたらよいのかわからない。
社会人経験長いはずなのに、いざとなったら役に立たないものですね。そこで、自分が就職したときはどうだったか? ということを思い出して、ひとつの結論に達しました。
私は、高校を卒業してすぐにシャープ株式会社に就職しました。普通なら親に相談して就職先を決めるものでしょうけれど、私は親には相談しませんでした(できなかったという方が正しい)。
幸い、当時はまたバブルが弾ける前だったので、高卒でも選択肢はたくさんありました。大企業に入ることも難しくなかった時代です。
といっても生産ラインの仕事がほとんどで、私の同期でも生産ラインの交代制採用の方が多かったぐらいです。
募集職種は技術職(開発系)と技能職(生産系)の2種類ありましたが、開発系の方が面白そうぐらいの理由で、技術職を選びました。当時の私は、それらの違いもよくわかっていなかったと思います。
会社を選んだ理由も、職種を選んだ理由も、今思えば超いい加減です。
シャープを選んだのは、当時自分がシャープ製パソコンのMZユーザーだったから。シャープのパソコン事業は奈良の大和郡山で、実家(これも今はありません)からそう遠くないけど、通える距離ではなかったこと。
なぜこの距離が良かったかというと、家を出たかったから。だったら東京とかでも良かったんじゃない? って思われるかもしれないけど、東京とかいう発想はゼロでしたし、今でもわざわざ東京に出ようとは思わない。
入社する前は、パソコンの部門に入れればいいなとそればかり思ってたので、配属先が流通機器の部門だった時は相当がっかりしました。
パソコンの部門に配属された同期が羨ましかったものです。配属後、ソフトウェア開発のグループに入りましたが、これも当時の自分にとっては意外なことでした。
メーカーの仕事ってハードウェアのイメージしかなく、半田付けだと思ってたぐらいです(笑)。
今思えば何ひとつ分かっていない若者で、何の計画もなく、ただ流されるままに生きてきましたが、18歳の考えることですからこんなもんですよね、きっと。
今の自分が当時の自分をみたら危なっかしくて、思慮が足りなくて、ハラハラしてたと思います(危なっかしいのは今も同じか)。
しかし、今思えばほぼすべてのことが、悪いことではありませんでした。
当時の私が出た学校からなら、地元の松下電器に就職することもできたと思います。実際、自分よりも成績の良かった同級生がたくさん松下に入社しました。
しかし、もしそうしていたら開発の仕事にはつけなかっただろうし、その後に経験するたくさんのことに出会うこともなかっただろうと思います。
心から尊敬できる先輩にも会えなかったでしょうし、たぶん黎明期のインターネットに触れることもなかった。
そう思うと、超いい加減な理由で仕事を決めてもいいんじゃないかなって思う。将来なんて誰にも分からない。人生万事塞翁が馬、何が幸いするか分からない。
今は正解がない時代といわれる。正確には正解がないのではなく、唯一の正解がないというべきか。そんな時代に、周りの大人があれこれ言ってみたところで何も始まらない。
今は、色んなことに挑戦できる時代。とにかく関心のあることをやってみたらいい、そんな選択肢を渡すのが僕らの役目だと思う。そして、いつでもやめられる選択肢も必要。とにかくやってみて、ダメだったらさっさと切り替える。
今の若者は根性がないとかいうなかれ、あなたの若い頃はどうだったか、思い出してみてほしい。少なくとも、僕は偉そうなことを言えない。
【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/
子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/
貧困問題に取り組みお寺の福祉活動「おてらおやつクラブ」
https://otera-oyatsu.club/
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編集後記(03/12)
●偏屈映画案内:「その男ゾルバ」
なにしろ「その男」だ。昔から気になっていた映画。私はずっと、図抜けた武勇の男か、知的に優れた男か、女性に敬愛される男か、そんな内容だろうと思っていた。ところが、パッケージには、そんな男はいない。青年と冴えない中年男、むしろ初老に近い男だ。「さまざまな苦難に直面しながらも前向きに生きるゾルバ」って、その表現は共演の英国人作家・バジルの方じゃないの?
だって、このお人好しの金持ちボンボンはゾルバを雇ったばかりに、さまざまな苦難や迷惑をかけられ、経済的に破綻していくのだから。バジルは、ギリシャ人の父が遺した亜炭(褐炭)炭鉱を再開するためにギリシャに来た。クレタ島行きの船を待つ間、調子のいいギリシャ人のゾルバと知り会う。鉱物を嗅ぎ当てる鼻は一級さ、と売り込み、「ゾルバが要るか要らないか」と迫る。
「無謀な気もするけど雇おう」と、バジル。無謀だよ。炭鉱近くの村に着いた二人は、フランス人のマダム・ホーテンスが経営する安ホテルに泊まる。女好きのゾルバはすぐにこの未亡人と懇ろになる。島にはもう一人の未亡人がいる。孤高の美人で、村の有力者の息子がゾッコンだが、歯牙にもかけない。ゾルバは「彼女をものにするのはあんただ。これは神の贈りものだ」と断言する。
まあ、そうなるだろう。映画なんだから。大変な美貌である。一人暮らしである。何か起きない方がおかしい。二人の外国人未亡人は、島から出られない貧しい人たちの中では異質な存在だ。バジルとゾルバが島にきたばかりに、その微妙なバランスが崩れて、結局この二人の女性は気の毒な最期を迎える。
ゾルバはホテルの女主人のところに入り浸りで、彼女は結婚する気満々。映画のお約束通り、美貌の未亡人とバジルはいい仲になる。ところが、それを知った片思いの弱気男が自殺してしまったから大変。村中が殺気だって、教会の礼拝にきた未亡人を狩り立て、ついには刺殺してしまう。これは怖ろしい場面だ。
しかし、バジルとゾルバが彼女を救助に入るわけでもない。ってところがどうにも納得がいかないのだが、島の閉鎖社会の暗部を見せるための一場面といったところなんだろうか。ゾルバに任せた仕事がうまくいかない。大損になりそうだが、バジルは「君に賭けるよ」と鷹揚だから、予想通り亜炭採掘は失敗。
「森の木を全部切り出すんだ。木材工場をやろう。うんと稼いで自家用船で世界を航海しよう」とゾルバ。「俺を何歳だと思う? とにかく急ぐんだ。老いは男の中の熱い火を消す。山に挑戦するか、何もせずに引き下がるか」とか言って、材料を買うからと大金を受け取り、女の誘いを無視すると天罰が下る、なんちゃって町で大散財しちゃうんだから、鷹揚なバジルよ、それでいいのか。
ゾルバと婚約したホテルの女主人が病死すると、町の者たちが押し寄せ家財を残らず持ち去る。彼女は異教徒だから葬式も出してもらえない。ゾルバもバジルも彼女をベッドに放置したまま帰っちゃうんだから、なんだかなあ。二人は砂浜で延々と踊る。バジルは破産だな。ゾルバは寅さん的だな。ギリシャのいいとこ何もない。その辛辣な表現に、よくギリシャが合作したな。(柴田)
その男ゾルバ(Zorba the Greek)1964 イギリス・ギリシャ・アメリカ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B007KUZ7H4/dgcrcom-22/
●「カメラを止めるな」の地上波放送を録画で見た。公開映画館の数が増え続け、ブームになったということで気になっていた。
見たい映画の情報はなるべくシャットアウトすることにしていて(浜村淳の映画紹介は聞かない!)、知っているのは「ゾンビ映画」「最後まで見ないと面白さがわからない」「映画館数が増えた」「クレジットでもめている」ぐらい。
まだ見ていない人は、ぼかしてますがスルーしてください。
最初のゾンビなところは、ホラー系が苦手なので不安であったが、全然怖くなくてほっとした。時々違和感を持ちつつ、心で突っ込みながら、ゾンビ部分を見終わった。
その後は少し退屈しつつ、我慢しながら、しかし冒頭のゾンビ部分はそういうことだったのか、この映画はゾンビ映画じゃないのね、とわかってきた。続く。 (hammer.mule)
■装飾山イバラ道[241]
インコの鷲掴み
武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20190312110300.html
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私は猫動画が大好きだけれど、最近はインコやオウムの動画を目にする機会が多い。YouTubeでも歌を歌うインコや、音楽に合わせて頭をリズミカルに振る大きなオウムの動画が人気だ。
鳥たちは飼い主に向けて歌ったり喋ったりする以外にも、一人ブツブツブツブツ何か言っている子もいる。
「ピーちゃんはお留守番、えらいねー」などとインコのピーちゃんが口にすれば、私の心はもう鷲掴み(わしづかみ)だ。インコに鷲掴みされるとは、なんとも不思議。
●人間の声を真似する理由
もともとインコやオウムは、ヒナの頃から親の声を真似しながら育つものだけれど、その存在がいないペットの場合は、飼い主の声や周囲の音を真似るしかないそうだ。そう考えると少し切ない。
生活の中で自然に人の言葉を覚えて繰り返しているだけで、言葉の意味の理解はないという人もいる。
しかし、どうやら言葉をわかって喋っているように見える動画もあり、とても可愛いものだ。これは見ている側の心が、勝手に意味を重ねて見ているせいかもしれない。
そして野生のオウム類はパートナーの鳥の声を真似る「ラウドコール」という方法を使って、多くの鳥仲間の中から相手を見つけることができるのだという。
人からオウムの群れを見ても、みんなほぼ同じような顔に見える。オウムは洋服や髪型の違いもないので、オウム自身にも自分の妻は見た目ではすぐにわからないものなのだろうか。
しかし相手の声で鳴いて、返事を待つというやりとりを想像すると愛らしい。しっかりと絆を結んだ相手を、数多くの中から見つけ出して、自分の巣に帰ったりしているのだろうか。
飼われている場合は、飼い主の電話の声を真似したり、歌ってくれた歌を真似するのだろう。家族の一員だから、家族の出す音の真似をする。インコにとって当たり前で普通のことなので、言葉の訓練はストレスを与えない範囲でゆっくりするのが良いそうだ。
●なぜ鳥なのに人の声が出せるのか
人間に近いというチンパンジーでさえ人の声を出せないのに、まったく異なる口の構造をした鳥から、録音したように人の声が出てくるのはなんとも不思議なことだ。
これはインコの舌はほぼ筋肉で出来ていて複雑な動きが可能で、あらゆる音を再現できるからだそうだ。
そういえば子供の頃飼っていたインコが、ヒエやアワの種の粒を口の中に入れてクルクルと器用に皮をむくのを見ていた。
結構な肉厚の舌だった記憶がある。あの技も舌先を器用に使えるからこそなのだ。クチバシは硬くても、舌の形を器用に変えて、声を出している。
そして「今日何たべたの? 葉っぱ食べたの。」のようなことを一人喋りしている声は、少しこもったようなインコ特有の濁りがある。
これはもしかしてインコの耳で捉えた音だから、人の耳で聞く音とはトーンが変わっているせいではないだろうか。インコの小さい頭の小さい鼓膜で捉えた音の世界なのかもしれない。
インプットかアウトプットのどちらかで生じる微妙な差。インコらしさとなる魅力的な部分でもある。
さらにYouTube動画でヨウムなどの大型インコの人真似の声を聞いていると、その表現力の高さに驚かされる。人間の声帯模写の人もすごいけれど、大型インコ類はブザーや電気工事のドリル音なども、まるで録音して再生するように、音の質や抑揚をコピーすることができるのだ。
ヨウムは知能が高く、言葉の理解があると言われている。五歳児並みの知能で、平均寿命で50年というからすごい。
こうなると、経験から言葉の意味を理解しても不思議ではないし、人間と深いコミュニケーションが取れる存在なのだと思う。
●オウムとインコ
先ほどからオウムとインコを混ぜて喋る鳥として説明しているけれど、この違いは何だろう。これが結構難しいのだ。
ヨウムの場合は、オウム目、インコ科、ヨウム属なんだそうだ(笑)。
オウム目でオウム科がオウムで、オウム目でインコ科がインコ。「科」の違い。最近はDNA研究が進んで、祖先が違うことがわかっているので、しっかりと異なる科の鳥だそうだ。
見分け方は色、大きさ、冠の毛が生えているかどうかで違うらしい。なんとなく大きくて地味な色のがオウムなような気がスル? こだわる人は調べよう。
●インコと人間の共存
飼われているインコやオウムは、餌もあり危険もなく、遊ぶ余裕のある状態だからこそ「歌う」のかもしれない。これは人間と同じだ。作業中でも余裕のある時だけ鼻歌を歌ったり、気分の良い時に体を揺らす人は多いものだ。
相手の行動を真似ることは、その相手を好きな場合に多いと思う。なんと言っているかわからなくても、真似して返すことでコミュニケーションの一歩が始まるのは、どんな生き物でも同じような気がする。
実際に人間が好きなタイプの鳥が、多く声真似をするらしい。
「生命の危険がなくて好きな人のそばで暮らせる」から、喋ったり歌ったり踊ったりする。この状態は「幸せだから」で間違いないと思う。もちろん、野生の状態でないことや、自らその状態を選んでいるのかを考え始めたら単純ではない。
それでもインコたちが幸せそうに歌う動画に私は癒されるし、人間味のある愚痴をこぼすインコに笑う。インコの頭の中の記憶に残った、同居人の暮らしぶりの再生。一緒に暮らせば似てきて当然なのである。
【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
花粉が大量に飛散する毎日。私はさほど症状はきつくないけれど、マスクはした方が快適だ。ピッタマスク(PITTA MASK)って人気らしいので買ってみたら、すごく息がしやすい。洗えるって知らなくて、一枚目は使用後捨てちゃったけど、次のからは洗おう。
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東京大学駒場寮の事(25)
アリテンクロージングパーティー[3]
アリテン最期の数日間の写真
関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20190312110200.html
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前回書いたように、アリテンは駒場寮委員会から1998年10月3日までに駒場寮から退去するように命じられました。
私は、この頃、自宅に帰ることが多くなっていましたが、9月末のアリテンクロージングパーティーに先立つ数日間は、アリテンに泊まって写真を撮っています。今回はその間に撮影した写真を紹介します。
1998年9月28日 前々回の写真とは違い部屋が真っ暗ですが、駒場寮が電源を引いていた寮食堂が9月に原因不明の火災により消失、このため電気が使えなくなったためです。
アリテンに着いた時、先客の女性が寝ていたのですが、室内の写真を撮ろうとした時起き上がったので、心霊写真のように写っています。
ろうそくを灯して宴会。シャッターを開ける時間をある程度長くしないと、部屋の奥の方が写らないのですが、その結果、人がブレている写真が多く、まともに写っているのは1〜2枚でした。
1998年9月29日 ネガ上ではひと続きになっているのですが、内藤くんの服が違うので、次の日に撮影したようです。内藤くんの隣の女性とは、おそらくこの日初めて会いました。
1998年9月30日 アリテンクロージングパーティー この日は大勢の人が集まりました。アリテンの常連だけでなく、テツくんがやっていたゼロバー時代のお客さんもやってきました。
アリテンにやってきた人の多さに、私は部屋全体を撮影したいと考え、壁ギリギリにカメラをセットしてタイマー撮影しようとしました。ところが暗闇で設定を間違えて、多重露光に設定してしまいました(CONTAX G1では、連続撮影→タイマー撮影→多重露光の順に切り替わる)。
私は間違いに気付き、改めてタイマー撮影しようとしたのですが、再び多重露光に設定してしまいました。三度目でやっとタイマー撮影になりました。
その結果、同じ人物が3回写っている写真になりました。背景がダブっていないのは、二度の多重露光ではシャッタースピードが速かったからだと思います。
中央で話しこんでいるのは、舞踏家の鶴山欣也さんと上々颱風の白崎映美さんです。武盾一郎さんは右側に、蟲くんは左側に写っています。暗闇で撮影するのは難しいと思ったので、CONTAX TVSでフラッシュ撮影もしています。
1997年の冬に、オブスキュアギャラリーで展示を行った小山くんと、ユミコフさん。
くげちゃん(鵠沼笙)と白崎映美さん
パーティーは一晩中続き、朝まで過ごした人が何人もいました。
この写真も多重露光撮影しています。
アリテンは、その次の日に部屋の中のすべての荷物を運び出しました。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔
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■crossroads[60]
就職活動中の若い人たちへ
若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190312110100.html
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こんにちは、若林です。私ごとでありますが、この4月から娘が大学4年生になり、いよいよ社会にでる準備を始めます。こと、就職に関してはひとりの社会人として、なんらかのアドバイスをしたいと思いつつ、何をアドバイスしたらよいのかわからない。
社会人経験長いはずなのに、いざとなったら役に立たないものですね。そこで、自分が就職したときはどうだったか? ということを思い出して、ひとつの結論に達しました。
私は、高校を卒業してすぐにシャープ株式会社に就職しました。普通なら親に相談して就職先を決めるものでしょうけれど、私は親には相談しませんでした(できなかったという方が正しい)。
幸い、当時はまたバブルが弾ける前だったので、高卒でも選択肢はたくさんありました。大企業に入ることも難しくなかった時代です。
といっても生産ラインの仕事がほとんどで、私の同期でも生産ラインの交代制採用の方が多かったぐらいです。
募集職種は技術職(開発系)と技能職(生産系)の2種類ありましたが、開発系の方が面白そうぐらいの理由で、技術職を選びました。当時の私は、それらの違いもよくわかっていなかったと思います。
会社を選んだ理由も、職種を選んだ理由も、今思えば超いい加減です。
シャープを選んだのは、当時自分がシャープ製パソコンのMZユーザーだったから。シャープのパソコン事業は奈良の大和郡山で、実家(これも今はありません)からそう遠くないけど、通える距離ではなかったこと。
なぜこの距離が良かったかというと、家を出たかったから。だったら東京とかでも良かったんじゃない? って思われるかもしれないけど、東京とかいう発想はゼロでしたし、今でもわざわざ東京に出ようとは思わない。
入社する前は、パソコンの部門に入れればいいなとそればかり思ってたので、配属先が流通機器の部門だった時は相当がっかりしました。
パソコンの部門に配属された同期が羨ましかったものです。配属後、ソフトウェア開発のグループに入りましたが、これも当時の自分にとっては意外なことでした。
メーカーの仕事ってハードウェアのイメージしかなく、半田付けだと思ってたぐらいです(笑)。
今思えば何ひとつ分かっていない若者で、何の計画もなく、ただ流されるままに生きてきましたが、18歳の考えることですからこんなもんですよね、きっと。
今の自分が当時の自分をみたら危なっかしくて、思慮が足りなくて、ハラハラしてたと思います(危なっかしいのは今も同じか)。
しかし、今思えばほぼすべてのことが、悪いことではありませんでした。
当時の私が出た学校からなら、地元の松下電器に就職することもできたと思います。実際、自分よりも成績の良かった同級生がたくさん松下に入社しました。
しかし、もしそうしていたら開発の仕事にはつけなかっただろうし、その後に経験するたくさんのことに出会うこともなかっただろうと思います。
心から尊敬できる先輩にも会えなかったでしょうし、たぶん黎明期のインターネットに触れることもなかった。
そう思うと、超いい加減な理由で仕事を決めてもいいんじゃないかなって思う。将来なんて誰にも分からない。人生万事塞翁が馬、何が幸いするか分からない。
今は正解がない時代といわれる。正確には正解がないのではなく、唯一の正解がないというべきか。そんな時代に、周りの大人があれこれ言ってみたところで何も始まらない。
今は、色んなことに挑戦できる時代。とにかく関心のあることをやってみたらいい、そんな選択肢を渡すのが僕らの役目だと思う。そして、いつでもやめられる選択肢も必要。とにかくやってみて、ダメだったらさっさと切り替える。
今の若者は根性がないとかいうなかれ、あなたの若い頃はどうだったか、思い出してみてほしい。少なくとも、僕は偉そうなことを言えない。
【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/
子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/
貧困問題に取り組みお寺の福祉活動「おてらおやつクラブ」
https://otera-oyatsu.club/
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編集後記(03/12)
●偏屈映画案内:「その男ゾルバ」
なにしろ「その男」だ。昔から気になっていた映画。私はずっと、図抜けた武勇の男か、知的に優れた男か、女性に敬愛される男か、そんな内容だろうと思っていた。ところが、パッケージには、そんな男はいない。青年と冴えない中年男、むしろ初老に近い男だ。「さまざまな苦難に直面しながらも前向きに生きるゾルバ」って、その表現は共演の英国人作家・バジルの方じゃないの?
だって、このお人好しの金持ちボンボンはゾルバを雇ったばかりに、さまざまな苦難や迷惑をかけられ、経済的に破綻していくのだから。バジルは、ギリシャ人の父が遺した亜炭(褐炭)炭鉱を再開するためにギリシャに来た。クレタ島行きの船を待つ間、調子のいいギリシャ人のゾルバと知り会う。鉱物を嗅ぎ当てる鼻は一級さ、と売り込み、「ゾルバが要るか要らないか」と迫る。
「無謀な気もするけど雇おう」と、バジル。無謀だよ。炭鉱近くの村に着いた二人は、フランス人のマダム・ホーテンスが経営する安ホテルに泊まる。女好きのゾルバはすぐにこの未亡人と懇ろになる。島にはもう一人の未亡人がいる。孤高の美人で、村の有力者の息子がゾッコンだが、歯牙にもかけない。ゾルバは「彼女をものにするのはあんただ。これは神の贈りものだ」と断言する。
まあ、そうなるだろう。映画なんだから。大変な美貌である。一人暮らしである。何か起きない方がおかしい。二人の外国人未亡人は、島から出られない貧しい人たちの中では異質な存在だ。バジルとゾルバが島にきたばかりに、その微妙なバランスが崩れて、結局この二人の女性は気の毒な最期を迎える。
ゾルバはホテルの女主人のところに入り浸りで、彼女は結婚する気満々。映画のお約束通り、美貌の未亡人とバジルはいい仲になる。ところが、それを知った片思いの弱気男が自殺してしまったから大変。村中が殺気だって、教会の礼拝にきた未亡人を狩り立て、ついには刺殺してしまう。これは怖ろしい場面だ。
しかし、バジルとゾルバが彼女を救助に入るわけでもない。ってところがどうにも納得がいかないのだが、島の閉鎖社会の暗部を見せるための一場面といったところなんだろうか。ゾルバに任せた仕事がうまくいかない。大損になりそうだが、バジルは「君に賭けるよ」と鷹揚だから、予想通り亜炭採掘は失敗。
「森の木を全部切り出すんだ。木材工場をやろう。うんと稼いで自家用船で世界を航海しよう」とゾルバ。「俺を何歳だと思う? とにかく急ぐんだ。老いは男の中の熱い火を消す。山に挑戦するか、何もせずに引き下がるか」とか言って、材料を買うからと大金を受け取り、女の誘いを無視すると天罰が下る、なんちゃって町で大散財しちゃうんだから、鷹揚なバジルよ、それでいいのか。
ゾルバと婚約したホテルの女主人が病死すると、町の者たちが押し寄せ家財を残らず持ち去る。彼女は異教徒だから葬式も出してもらえない。ゾルバもバジルも彼女をベッドに放置したまま帰っちゃうんだから、なんだかなあ。二人は砂浜で延々と踊る。バジルは破産だな。ゾルバは寅さん的だな。ギリシャのいいとこ何もない。その辛辣な表現に、よくギリシャが合作したな。(柴田)
その男ゾルバ(Zorba the Greek)1964 イギリス・ギリシャ・アメリカ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B007KUZ7H4/dgcrcom-22/
●「カメラを止めるな」の地上波放送を録画で見た。公開映画館の数が増え続け、ブームになったということで気になっていた。
見たい映画の情報はなるべくシャットアウトすることにしていて(浜村淳の映画紹介は聞かない!)、知っているのは「ゾンビ映画」「最後まで見ないと面白さがわからない」「映画館数が増えた」「クレジットでもめている」ぐらい。
まだ見ていない人は、ぼかしてますがスルーしてください。
最初のゾンビなところは、ホラー系が苦手なので不安であったが、全然怖くなくてほっとした。時々違和感を持ちつつ、心で突っ込みながら、ゾンビ部分を見終わった。
その後は少し退屈しつつ、我慢しながら、しかし冒頭のゾンビ部分はそういうことだったのか、この映画はゾンビ映画じゃないのね、とわかってきた。続く。 (hammer.mule)