《体験主導なVRの面白さは言葉で伝えるのが難しい》
■はぐれDEATH[72]
はぐれの限界・ボクの思春期女子的潔癖症
藤原ヨウコウ
■晴耕雨読[50]
いまVTuberやVRchatが面白い
福間晴耕
■はぐれDEATH[72]
はぐれの限界・ボクの思春期女子的潔癖症
藤原ヨウコウ
■晴耕雨読[50]
いまVTuberやVRchatが面白い
福間晴耕
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■はぐれDEATH[72]
はぐれの限界・ボクの思春期女子的潔癖症
藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20190315110200.html
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本業は相変わらず芳しくない。いわゆるフリーランス・イラストレーターお仕事斡旋サイト(?)なるものに登録してみたのだが、どうもピンと来ない。
ワガママを言っているのではありません。業種がまったく違う副業よりも、こっちの方が本来の能力を発揮できるのではないかと思ったのだが、むしろハードルが高い。
最大の障害は、悲しいぐらいに癖のあるボクの線である。本来、最大の武器であるはずの手の内が、ここまでものの見事に封じられると手の出しようがない。
マンガっぽい絵に挑戦したこともあったのだが(ラノベ系のお仕事獲得のためだ)、やはりこの癖の強い線がものの見事に発揮され、何をどうしようがマンガ絵にならず見事に自爆した。
時々、同人系の塗りのお仕事も出てくるのだが、基本エロなのでボクには無理。
「なんでもやるって豪語してるんとちゃうんかいっ!」と突っ込まれても仕方がないのだが、エロに関してはかつて手酷い目に遭っているのだ。原因はエロを極端に禁忌するボクの思春期女子的潔癖症と、世間様のエロに関する一般的なイメージ像がイマイチ把握出来ていない。
ボクが勝手に「イヤや」と言ってる分には特に問題はないのだ。問題は本業で「エロっぽく」と言われた時の、手加減というか尺度が、ボクには全然分かっていないケースである。
「イヤイヤ、君、充分エロな絵を描いてるで」と思われる方も少なくないと思うし、確かにそれっぽいコスチュームなり何なりをしている女性はたくさん描いているが、ボクは「エロ」を描いているつもりはまったくなく、「かっちょええ」を描いているつもりなのだ。
この悲しすぎるギャップが、本業で「エロっぽい」を求められた時にとんでもなく高い障壁となって立ちはだかる。これは実例があるので、具体的に紹介しよう。
●何がどうエロいのかボクには全然分からない
藤木凛著『陰陽師 鬼一法眼 切千役之巻』(カッパノベルス/光文社)で、その後トラウマともなる事件は起こった。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334074626/dgcrcom-22/
藤木先生は氏のデビュー作である『陀吉尼の紡ぐ糸』(トクマ・ノベルス/徳間書店)以来、ある時期まで数々の作品でお仕事をご一緒した上に、公私にわたって家族ぐるみでお付き合いさせていただいていた。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198914117/dgcrcom-22/
そんなこともあって、絵に関して直接先生からお電話をいただき、「今回はこういう話だから、こういう絵にして欲しい」というようなこともよくあった。
ちなみにこの『陀吉尼の紡ぐ糸』は、一時マニアックな皆様の間で評判となり、その後の藤木先生のお仕事を切り開いていくとともに、ボクもちゃっかり便乗していた。
「陰陽師 鬼一法眼」シリーズは、藤木先生が伝奇時代劇にも活躍の場を広げるための作品だったのだが、これまたボクもちゃっかり便乗している。
「切千役之巻」はシリーズ第4巻にあたる。このシリーズですでにボクは3冊描いていたのだが、事件は起こった。
ちなみにボクが手掛けた時は全7巻だった(現在は構成が少し変わっているらしいのだが、関わっていないので知らない)
この巻で藤木先生から、「藤原さん的に目一杯エロにして」というリクエストがあった。ちなみに先生はボクのエロ苦手意識を既にご存じだったので、「藤原さん的に」とわざわざ前置きをしてくれたのだ。
ボクの苦手意識を前提にしてくれたので、エカキとしてはもう何がなんでも、どうにかしないといけないではないか。若かったということもあるが(発行が2002年3月なのでまだ36歳だ)ものの見事に空回りしてしまった _| ̄|○;
「エロが苦手」というのと「世間様のエロ標準」(?)が、ボクにはさっぱり分からなかったので(ちなみに今もさっぱり分からん)、とりあえずそれっぽいものを検索し、嫌悪感と戦いながらも「このあたりか?」と目処をつけ、ラフを何枚も描き(この当時はまだラフをしっかり描いていた)「これや!」と思ったもので作業に着手した。下描きですら相当な枚数を描いたと思う。当時はこれが普通だった。それからpcで作業。
普段ならこのまま流すところだが、なにしろお題が「エロ」である。不安どころの騒ぎではない。とりあえず奧さんに見てもらったのだが、「エロにも程があるわっ、どんなあたましてんねんっ!」と大爆笑で罵倒された。
ボク的には結構かっちょよくいけたつもりだったのだが、奧さんでこの反応である。このまま外に出すわけにはいかない。奧さんから「取り敢えず薄布を被せて露出度を下げてみたら」とアドバイスを受けたので、素直にそうした。
その結果「なんでますますエロくなんねんっ!」と言われ、完全に混乱。本当に素直に薄布を被せただけなのに。「これは相当マズいことになっている」ということは理解できたのだが、何がどうエロいのかボクには全然分からない。
そこはさすがに奧さんである。「もうとにかく隠しまくりっ!」とアドバイスをしてくれた。
その後、何度もダメだしの連発をくらいながらも「う〜ん、まぁこれくらいなら大丈夫かなぁ……」。
ボクのダメッぷりをよく知る奧さんでも呆れたのだが、世間様がどうとるかというところで、断言はできなかったようだ。
こうなったら、藤木先生自身に見てもらって判断をあおぐしかない。
本来なら編集さんを介して見てもらうのだが、この時ばかりはまず編集さんの眼が怖かった。奧さんが見て「う〜ん?」とうなるような代物である。とてもではないが、そうそう簡単に表に出すわけにはいかない。
そして、藤木先生から「エロ過ぎるっ!」とこれまた爆笑混じりの電話が掛かってきた。電話を握ったまま呆然としているボクから、奧さんが電話を奪い取って、二人で笑い混じりに「この絵をどうしてくれよう」という打ち合わせが始まった。
ちなみに、この奧さんの判断は正しい。だって、誰よりもボクの歪みをよく知っている上に、この絵に関しては最初からダメ出しをしているのだ。
さんざんダメだしをした結果が、「エロ過ぎるっ!」なので本腰を入れて(いや、それまでもちゃんとマジメにダメだしをしてくれていたんですよ)対策を練ることにしたようだ。
とりあえず、肝心要のボクは使い物にならないということが明確になったし、ボクはショックで廃人状態。打ち合わせどころではない。
この後、「藤木先生・奧さん」連合チームのダメだしをまたまた何度か受けて、「う〜ん、まぁ、これくらいなら……」というところまで、どうにかこうにかこぎつけた。
やっと編集さんにラフを見てもらうことになったのだが、またまた「エロ過ぎるっ!」とダメだし。
藤木先生と奧さんは「まぁそう言われてもしゃぁないな」と苦笑していたが、こっちは苦笑すら出来ない状態である。というか、茫然自失である。
それでもお仕事はお仕事なので、どうにかしましたよ。何をどうやって、どんな経緯で最終版ができたのかはまったく記憶にない。ただ、途中からボク自身がこの絵から「エロ」を捨てたことだけは憶えている。
にわか仕込みの〈ボク的「エロ」〉が元凶なのだ。ことここに至った以上は、この要素を排除するしか手はない。それでも3〜4回やり直した気がする。イマイチ憶えてないけど。
確か営業会議でも物議をかもした、というようなことを聞いた気がするのだが、さらに修正してやっと世間様に出ることになった。ちなみに世間様の評価は知らん。これは毎度のことなのだが、この絵に関してはうわさ話が耳に入ることすら恐れていた。それぐらいダメージが大きかったのだ。
この時以来、「エロ」は完全に忘却の彼方に去ってほしかったのだが、こういうダメージ・ネタというのは、なかなか忘れられるものではない。実際の出来事は相当忘れているのだが、「エロ過ぎるわっ!」だけは、今もしっかり憶えているし、未だに何がどうエロかったのか分からないのだ。
だからといって、件のブツを世間様に晒す気はない。「自分が分かったつもりになって描いたけど、実際はそうではなかった」という、恥そのものの現物を世間様に晒すほどボクは度胸があるわけではない。
更に幸いなことに(?)、元データが今どこにあるのか分からん。もっと言えば検証作業すらしたくないのだ。
ちなみに2002年3月というと、おねえちゃんが1歳になったばかりで、ボクはというと、この年から(正確な実作業の開始は2001年9月)SFマガジンで『ことのはの海、カタシロノ庭』の連載を始めている。
この『ことのはの海、カタシロノ庭』という企画は、「藤原が絵にしづらいようなショートショートを書くべし」と、21人の作家さんにお願いする一方「一度使った手は二度と使ってはダメ」という恐ろしい枷がボクに掛けられた、冒険的な(というか暴挙に等しい)ものだった。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07KKKMRS7/dgcrcom-22/
月刊少年マガジンGREATで、『Ymir』というマンガのようなそうでないような、得体のしれない隔月連載も並行してやっていたような気がするのだが、2002年あたりから10年ほど記憶がすっぽり抜け落ちているので(おねえちゃんとももちに関する記憶は別)よく分からん。
(たびたび編集部注 おねえちゃん:娘さん ももち:飼い猫)
とにかく一番無茶苦茶なことを自分に強いて、積極的(というか、ほとんど強迫概念に近い)にやっていた時期で、この反動が自律神経失調症で死にかける、というアホな目に遭った。
『ことのはの海、カタシロノ庭』は当初24回(2年)の予定だったのだが、中途で体調を崩し、編集長の計らいもあり3回ほど休ませてもらった。『Ymir』も1回休載している。自律神経失調症の予兆はこの時から既にあったのだが、まだ気づいていなかった。
ちなみに、自己都合でお仕事を休ませてもらったのはこの時だけだ。吐血をしようが、何がどうなっていようが、とにかくお仕事は休まない、という覚悟を持ったのもこの時以来だし、正直「落とすぐらいなら死んだ方がマシ」とすら、今でも思っている。
それはともかく、周りがどう見ていたのかは分からないが、やたら気負っていたのだろう。おねえちゃんも生まれたばっかりだったし。
ここで「普通に」(!)コツコツやれば、あのような目には遭っていなかったと思うが、とにかくボクである。同じコツコツでも、やっぱり当時やったようなことしかできなかったと思う。
その目一杯気負っていた時期に「エロ」をやろうとしたのだから、明後日の方向にぶっ飛んだのも、今となっては何となく分かる。だが、エロ自体は未だに、本当にさっぱり分からない。
上述したように「全方位型エカキ」を標榜しているのは事実だが、弱点だって露骨にあるのだ。その原因が「思春期女子的潔癖症」という、アホ極まりない性格によるのだから、これはもうどうしようもない。
それでも、実はボクが無理をしてでも「エロ」を描くべきかどうか、信頼できる人に相談したことはある。結果は、口を揃えて「やめとき」だったのは言うまでもあるまい。
「太陽が西から昇っても、藤原さんが意図的にエロを描けるとは思えない」とまで断言した人だっている。もちろん「普段描いている絵にエロを感じる人がいるかもしれない」という可能性は否定しないが、ボクがすすんで描いてどうこうなるとは思わない、というのが意見の大部分を占めた。的確な指摘なのだろうと思う。
もしあの事件がなければ、こうした周囲の反対を押し切ってでも、「エロ」にチャレンジしていた可能性はある。だが、結果は同じだっただろう。
意識の上では、上記したように「思春期女子的潔癖症」なのだが、実際に描くとなると、どうやら最初に触れた、癖のある線も相当くさい。
断っておくが、ことさら努めて癖のある線を描いているわけではない。ボクが描けば、ああいう線にしかならないのだ。ボクという個体が持つ運動律と、ボクの見る風景の融合が、ああいう線を生んでいるにすぎない。
オリジナリティーとかそういう問題ではない。どうやったって、ボクはボクであり、線だってそうならざるを得ないのだ。
逆に、無個性な線(実際にあるから恐ろしい)の方がボクには信じられないし、そのような線を普通に描ける人というのは、一体どのような環境で育ち、物事を考えているのだろうという、素朴な興味すらわいてしまう。
上述したお仕事紹介サイトで求められるのは、正にこの「無個性な線」なのだが(もっと言えば、どうやっても無難な絵)これがボクにはできない。
それぐらいボクとは縁遠い話だし、これは「エロ」に関しても同様である。ボクが明らかに「おかしい」人であることは分かっているつもりだが、「どの程度おかしいか」は正直よく分からん。多分、相当おかしい部類に入るとは思うのだが、客観的なデータがないのでここは端折る。
ただ「エロ」方面を向くと、ボクの不思議さは露骨に表れるようだ。「変人」「奇人」の一種かもしれないし、ある種のセクシャル・マイノリティー(ボクの場合は、性同一性障害の気配が濃厚)かもしれない。
ボクの性的な障害について、ここで(この先も)わざわざ取り上げる気は毛頭ない。ただ、相当歪(いびつ)であることだけは事実である。
ここまで来ると、もうエロがどうこうの話ではなく、単に「できるだけエロからは離れておいた方が周りは平穏」という結論にしかならない。人格としての限界が、エカキとしての限界も生み出しているイイ例だとは思うが(もちろん、有利に働くことも多々あります)、当事者としては「なんだかなぁ……」とぼやいてしまう。
それはともかく、もうあれから16年以上経ったのか。昨日のような気もするし、はるか大昔のような気もするし。とにかく時系列の記憶はグチャグチャだからなぁ。まさかまだ生きているとは。
話を戻して、「エロ」はとにかく捨てるに限る。問題は、何を新たに発掘するかである。
「まだ何かする気なんかいっ?」などと、突っ込まないでいただきたい。何もしないで死ぬぐらいなら、何かして死にたい。「昨日より今日。今日より明日」の精神がなくなった時、ボクは死んだも同然なのだ。生きたまま死ぬのはご免こうむりたいので、生きることに集中するしかないのだ。
死んだ時が寿命なのだよ、呵々♪
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com
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■晴耕雨読[50]
いまVTuberやVRchatが面白い
福間晴耕
https://bn.dgcr.com/archives/20190315110100.html
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昨年末に一瞬、ネットで話題になった「バーチャル蠱毒」をきっかけにVTuber(バーチャルYouTuber)やVR技術に嵌っている。
バーチャル蠱毒自体がどんなものかは、話すと長いし今回のテーマでないので詳しくは以下のリンク先を見てもらうとして、一言で言えばVTuberのアバターの公開オーディションが、そのルールからまるでデスゲームのように見えることから付いた名称である。ちなみに、本当のオーディションの名称は「最強バーチャルタレントオーディション極」と言う。
バーチャル蠱毒終演!61名が作り上げたドラマとフィナーレ、そして新たなる…
https://mato-liver.com/archives/4725
前置きが長くなったが、それを追いかけているうちに今、VTuberやVR技術の爆発的な発展期に立ち会っていることに気がついた。それこそ週単位で新技術が発表され、プロ・アマ問わず多くのエンジニアが、様々なツールやアプリを開発し、それを先進的なユーザーが使って数多くの作品をが作られ、月に100人以上もの勢いでVTuberが増えていく。
一部ではそれを称して、大学生の学園祭のようだと揶揄する向きもあるが、規模が大きくなりすぎて、もはや個人では作ることの難しくなったゲームやフルCGアニメーションなどと違い、まだこのジャンルでは個人で活動する余地が残っているとも言える。
それどころか、個人で新しい技術や作品を作り上げて発表する事が、そのまま最先端のトレンドに結びついているという、黎明期のパソコンや初期のインターネットのような状況なのだ。
それはちょうど、2000年台初頭のCGアニメーション「君の名は。」で大ヒットを出した新海誠氏が、ほとんどの作業を一人で行った約25分のフルデジタルアニメーション「ほしのこえ」を作ったような状況だ、と言えば分かりやすいだろうか。
例えば、VTuberは一昨年の2017年にいわゆる四天王と呼ばれた、キズナアイを筆頭とした5人が話題になったが、今ではVTuberの数は8千人を超え、筆頭格のキズナアイはNHKとタイアップするまでになっているし、個人でも参入の敷居はますます低くなり、携帯アプリからキャラを作って配信できるようになり、毎日のように新人がデビューしている状況なのだ。
またVRのジャンルでも、2年ほど前からVRchatというサービスが話題になっている。これはヘッドセット(パソコンだけでも参加することは可能)をつけて、仮想空間上でチャットや散策ができるというものだ。
面白いのはユーザー自身が、仮想空間上の自分の身体(アバター)を自由にデザインできるだけでなく、そこにある小物や、果ては世界全体(部屋から町並みから更には山や川など巨大なものまで)を自由に作れる(とはいえ、自由に作るにはある程度プログラムの知識が必要)点にある。
このことから大きな人気を集め、ここ最近でユーザー数が10日で100万人以上のペースで増えているのだ。
また、当初はVIVEやOculusなどのVR体験用の機材(ヘッドセット等)を開発している会社を除けば、良くも悪くもアマチュア主導の空間であったのが、今年の3/8から3日間にわたって、その中で仮想空間上の展示即売会「バーチャルマーケット」(Link:https://www.v-market.work/
)が行われ、pixivやupd8、avex、にじさんじなどの企業が、仮想空間上でブースを構えるなどビジネスにも結びついた動きも出てきている。
そして、ここにきてバーチャル空間内で使えるモデルを、販売したりやり取りしたりする動きが出てきたのも面白い。
これまでどんなにカッコいいモデルでも、それ単体では使いみちがないので、なかなか一般向けの需要はなかったのが、多くの人が仮想空間に入れるようになると、そこで使う自分専用のアバターや小物、インテリアのモデルが欲しくなり、それが市場を生み出しつつあるのだ。
また、作り手にとっても、これまでは個人で作るにはゲームもアニメーションもあまりにも大掛かりになりすぎて、なかなか自分の作ったものを発表する機会がなかったのが、こうしてちょっとした小物やテクスチャでも需要が出ることで、気楽に成果物を発表し、場合によっては購入という形で評価がもらえるようになることは、大きな励みになるだろう。
正直、ここまで書いてもVRの面白さや可能性が、うまく伝わったか自信がない。ある意味、ストーリーのあるゲームや漫画、その他映像作品よりも体験主導なVRの面白さは、言葉で伝えるのが難しいからだ。
そんなわけで、補完する意味で他の人の書いた紹介記事を下に貼っておくが、百聞は一見に如かずで、できればヘッドセットなどを使わずに、デスクトップPCからでも良いので、ぜひとも自分で一度覗いてみてほしい。
話題のVRアプリ『VRChat』その魅力と始め方を紹介
https://www.moguravr.com/vrchat-6/
【福間晴耕/デザイナー】
フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/
HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。
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編集後記(03/15)
●偏屈映画案内:「M★A★S★H」
朝鮮戦争時のアメリカ進駐軍の一部隊を舞台にした、3人の軍医を描くコメディである。だが、途中までは誰がメインなのかよくわからぬまま、血まみれ手術シーン、不謹慎なブラックジョークの応酬、上官を罠にかけて笑うシーンなどを追うのが精一杯であった。時々スピーカーから日本のナツメロが流れる。
「本日の映画はMASHでした。負傷兵の手術の合間に見せる軍医のあきれ果てた道化ぶり、そして砲弾飛び交う中での崇高なる医師の献身、恋も笑いも桁外れの痛快編でした」なんて、スピーカーのアナウンスもある。まさしくそういう映画なのだ。従来のモラルや軍隊、戦争に対する痛烈な批判が満載、面白い!
だが、半分くらいまで誰が主役かわからない(わたしの場合)。戦争映画なのに、敵軍との戦いシーンはないし、規律正しい訓練のシーンもない。ただただ基地内でのだらしない、アブノーマルな、アウトローな非戦闘シーンを延々と描く。日本の映画では、こんな弛んだ軍隊生活が描かれたことはないと思う。
監督捜しは難航、15人に断られて、テレビ界出身の大胆で斬新(型破りで偏屈)なロバート・アルトマンに決まった。60年代末、若い映画ファンは反体制的なストーリーを好んだが、映画会社の経営陣は保守的で、20世紀フォックスはその時期に「トラ・トラ・トラ」「パットン大戦車軍団」を制作中であった。
反戦的コメディ「M★A★S★H」は、上層部の目から隠して制作しなければならない。撮影所の外で撮れば目立たないので、干渉されずにすむと監督は考えた。350万ドルと低予算のため、無名の生きのいい俳優を招集、14人の新人が大作デビューを果たした。結果的にリアリティが増した。ロケ地はカリフォルニア州マリブの社有地。俳優達はテントで寝起きし、羽目を外して楽しんだという。
彼の映画作りは不可解で、どんな映画になるのか俳優達には分からなかった。脚本は無視、俳優達がセリフを変更するのを奨励し、セリフはすべてアドリブだという。複数の出演者達が同時にしゃべるのもOK。ドキュメンタリーのような臨場感が生まれた。ズームレンズの使用も革新的で、誰にピントを合わせているのか、どの会話を拾っているのか、俳優達には全然わからない。
現場で不和も生じたが、監督はその気まずい雰囲気を効果的に映画に持ち込んだ。撮影が進むにつれて俳優達は監督の奇抜な技法に慣れ、彼を信頼するようになった。撮影が完了した。会社側は編集中のフィルムを見て仰天する。会社創立以来の駄作だ、公開できないと判断する。明確な筋がないのが最大の難点であることを、監督も分かっている。そこで思いついたのがスピーカーだった。
スピーカーから流れる通達などは、朝鮮戦争時の記録や教範にあったものだという。これで仕上がりは万全だが、会社はリアル(っぽい)手術シーンに難色を示し、カットせよという。それでは単純なコメディになってしまう。監督は圧力に屈せず、ディレクターズカットの試写を承諾させた。観客は熱狂した。
1970年1月25日、「M★A★S★H」が劇場公開された。結果、興収8000万ドル以上の大ヒットになった。自分が書いた脚本を完全に無視された脚本家・ラドナーは怒り心頭だったが、皮肉にも1971年アカデミー賞に5部門ノミネートされたうち、脚本賞のみが受賞した。暁テル子の「東京シューシャインボーイ」がスピーカーから流れていた。幼児の頃に聞いたことがあるような……。(柴田)
「M★A★S★H」予告編
「M★A★S★H」1970 アメリカ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001HDJHS/dgcrcom-22/
●藤原さんの絵はエロい。タッチの違う絵も描かれてはいるけれど、総じてエロい。/VTuber、注目しておこうっと。
/「カメラを止めるな」続き。観客の脳内に見えているもの、都合の良い想像や常識を覆す、その手法がお芝居っぽい。
場にそぐわないことばかり言ってるなぁと思って見てたが、舞台背景がわかったら腑に落ちる、気持ち悪さにぞわっとする。思い返すと二重の意味に取れるセリフばかりで、話が進むにつれて疑問点が増え、ラストはホラーになるとか。
コメディで軽口ばかり叩いている流浪人が、いろんなことに巻き込まれて、めちゃくちゃ大きなことを成し遂げる感動ものだったりとか。実は小人だったとか、宇宙人の話だったとか。
規模とか場所とか姿形は、こちらが勝手に解釈し想像しているわけで、そこを逆手に取ってくる。続く。(hammer.mule)
■はぐれDEATH[72]
はぐれの限界・ボクの思春期女子的潔癖症
藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20190315110200.html
───────────────────────────────────
本業は相変わらず芳しくない。いわゆるフリーランス・イラストレーターお仕事斡旋サイト(?)なるものに登録してみたのだが、どうもピンと来ない。
ワガママを言っているのではありません。業種がまったく違う副業よりも、こっちの方が本来の能力を発揮できるのではないかと思ったのだが、むしろハードルが高い。
最大の障害は、悲しいぐらいに癖のあるボクの線である。本来、最大の武器であるはずの手の内が、ここまでものの見事に封じられると手の出しようがない。
マンガっぽい絵に挑戦したこともあったのだが(ラノベ系のお仕事獲得のためだ)、やはりこの癖の強い線がものの見事に発揮され、何をどうしようがマンガ絵にならず見事に自爆した。
時々、同人系の塗りのお仕事も出てくるのだが、基本エロなのでボクには無理。
「なんでもやるって豪語してるんとちゃうんかいっ!」と突っ込まれても仕方がないのだが、エロに関してはかつて手酷い目に遭っているのだ。原因はエロを極端に禁忌するボクの思春期女子的潔癖症と、世間様のエロに関する一般的なイメージ像がイマイチ把握出来ていない。
ボクが勝手に「イヤや」と言ってる分には特に問題はないのだ。問題は本業で「エロっぽく」と言われた時の、手加減というか尺度が、ボクには全然分かっていないケースである。
「イヤイヤ、君、充分エロな絵を描いてるで」と思われる方も少なくないと思うし、確かにそれっぽいコスチュームなり何なりをしている女性はたくさん描いているが、ボクは「エロ」を描いているつもりはまったくなく、「かっちょええ」を描いているつもりなのだ。
この悲しすぎるギャップが、本業で「エロっぽい」を求められた時にとんでもなく高い障壁となって立ちはだかる。これは実例があるので、具体的に紹介しよう。
●何がどうエロいのかボクには全然分からない
藤木凛著『陰陽師 鬼一法眼 切千役之巻』(カッパノベルス/光文社)で、その後トラウマともなる事件は起こった。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334074626/dgcrcom-22/
藤木先生は氏のデビュー作である『陀吉尼の紡ぐ糸』(トクマ・ノベルス/徳間書店)以来、ある時期まで数々の作品でお仕事をご一緒した上に、公私にわたって家族ぐるみでお付き合いさせていただいていた。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198914117/dgcrcom-22/
そんなこともあって、絵に関して直接先生からお電話をいただき、「今回はこういう話だから、こういう絵にして欲しい」というようなこともよくあった。
ちなみにこの『陀吉尼の紡ぐ糸』は、一時マニアックな皆様の間で評判となり、その後の藤木先生のお仕事を切り開いていくとともに、ボクもちゃっかり便乗していた。
「陰陽師 鬼一法眼」シリーズは、藤木先生が伝奇時代劇にも活躍の場を広げるための作品だったのだが、これまたボクもちゃっかり便乗している。
「切千役之巻」はシリーズ第4巻にあたる。このシリーズですでにボクは3冊描いていたのだが、事件は起こった。
ちなみにボクが手掛けた時は全7巻だった(現在は構成が少し変わっているらしいのだが、関わっていないので知らない)
この巻で藤木先生から、「藤原さん的に目一杯エロにして」というリクエストがあった。ちなみに先生はボクのエロ苦手意識を既にご存じだったので、「藤原さん的に」とわざわざ前置きをしてくれたのだ。
ボクの苦手意識を前提にしてくれたので、エカキとしてはもう何がなんでも、どうにかしないといけないではないか。若かったということもあるが(発行が2002年3月なのでまだ36歳だ)ものの見事に空回りしてしまった _| ̄|○;
「エロが苦手」というのと「世間様のエロ標準」(?)が、ボクにはさっぱり分からなかったので(ちなみに今もさっぱり分からん)、とりあえずそれっぽいものを検索し、嫌悪感と戦いながらも「このあたりか?」と目処をつけ、ラフを何枚も描き(この当時はまだラフをしっかり描いていた)「これや!」と思ったもので作業に着手した。下描きですら相当な枚数を描いたと思う。当時はこれが普通だった。それからpcで作業。
普段ならこのまま流すところだが、なにしろお題が「エロ」である。不安どころの騒ぎではない。とりあえず奧さんに見てもらったのだが、「エロにも程があるわっ、どんなあたましてんねんっ!」と大爆笑で罵倒された。
ボク的には結構かっちょよくいけたつもりだったのだが、奧さんでこの反応である。このまま外に出すわけにはいかない。奧さんから「取り敢えず薄布を被せて露出度を下げてみたら」とアドバイスを受けたので、素直にそうした。
その結果「なんでますますエロくなんねんっ!」と言われ、完全に混乱。本当に素直に薄布を被せただけなのに。「これは相当マズいことになっている」ということは理解できたのだが、何がどうエロいのかボクには全然分からない。
そこはさすがに奧さんである。「もうとにかく隠しまくりっ!」とアドバイスをしてくれた。
その後、何度もダメだしの連発をくらいながらも「う〜ん、まぁこれくらいなら大丈夫かなぁ……」。
ボクのダメッぷりをよく知る奧さんでも呆れたのだが、世間様がどうとるかというところで、断言はできなかったようだ。
こうなったら、藤木先生自身に見てもらって判断をあおぐしかない。
本来なら編集さんを介して見てもらうのだが、この時ばかりはまず編集さんの眼が怖かった。奧さんが見て「う〜ん?」とうなるような代物である。とてもではないが、そうそう簡単に表に出すわけにはいかない。
そして、藤木先生から「エロ過ぎるっ!」とこれまた爆笑混じりの電話が掛かってきた。電話を握ったまま呆然としているボクから、奧さんが電話を奪い取って、二人で笑い混じりに「この絵をどうしてくれよう」という打ち合わせが始まった。
ちなみに、この奧さんの判断は正しい。だって、誰よりもボクの歪みをよく知っている上に、この絵に関しては最初からダメ出しをしているのだ。
さんざんダメだしをした結果が、「エロ過ぎるっ!」なので本腰を入れて(いや、それまでもちゃんとマジメにダメだしをしてくれていたんですよ)対策を練ることにしたようだ。
とりあえず、肝心要のボクは使い物にならないということが明確になったし、ボクはショックで廃人状態。打ち合わせどころではない。
この後、「藤木先生・奧さん」連合チームのダメだしをまたまた何度か受けて、「う〜ん、まぁ、これくらいなら……」というところまで、どうにかこうにかこぎつけた。
やっと編集さんにラフを見てもらうことになったのだが、またまた「エロ過ぎるっ!」とダメだし。
藤木先生と奧さんは「まぁそう言われてもしゃぁないな」と苦笑していたが、こっちは苦笑すら出来ない状態である。というか、茫然自失である。
それでもお仕事はお仕事なので、どうにかしましたよ。何をどうやって、どんな経緯で最終版ができたのかはまったく記憶にない。ただ、途中からボク自身がこの絵から「エロ」を捨てたことだけは憶えている。
にわか仕込みの〈ボク的「エロ」〉が元凶なのだ。ことここに至った以上は、この要素を排除するしか手はない。それでも3〜4回やり直した気がする。イマイチ憶えてないけど。
確か営業会議でも物議をかもした、というようなことを聞いた気がするのだが、さらに修正してやっと世間様に出ることになった。ちなみに世間様の評価は知らん。これは毎度のことなのだが、この絵に関してはうわさ話が耳に入ることすら恐れていた。それぐらいダメージが大きかったのだ。
この時以来、「エロ」は完全に忘却の彼方に去ってほしかったのだが、こういうダメージ・ネタというのは、なかなか忘れられるものではない。実際の出来事は相当忘れているのだが、「エロ過ぎるわっ!」だけは、今もしっかり憶えているし、未だに何がどうエロかったのか分からないのだ。
だからといって、件のブツを世間様に晒す気はない。「自分が分かったつもりになって描いたけど、実際はそうではなかった」という、恥そのものの現物を世間様に晒すほどボクは度胸があるわけではない。
更に幸いなことに(?)、元データが今どこにあるのか分からん。もっと言えば検証作業すらしたくないのだ。
ちなみに2002年3月というと、おねえちゃんが1歳になったばかりで、ボクはというと、この年から(正確な実作業の開始は2001年9月)SFマガジンで『ことのはの海、カタシロノ庭』の連載を始めている。
この『ことのはの海、カタシロノ庭』という企画は、「藤原が絵にしづらいようなショートショートを書くべし」と、21人の作家さんにお願いする一方「一度使った手は二度と使ってはダメ」という恐ろしい枷がボクに掛けられた、冒険的な(というか暴挙に等しい)ものだった。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07KKKMRS7/dgcrcom-22/
月刊少年マガジンGREATで、『Ymir』というマンガのようなそうでないような、得体のしれない隔月連載も並行してやっていたような気がするのだが、2002年あたりから10年ほど記憶がすっぽり抜け落ちているので(おねえちゃんとももちに関する記憶は別)よく分からん。
(たびたび編集部注 おねえちゃん:娘さん ももち:飼い猫)
とにかく一番無茶苦茶なことを自分に強いて、積極的(というか、ほとんど強迫概念に近い)にやっていた時期で、この反動が自律神経失調症で死にかける、というアホな目に遭った。
『ことのはの海、カタシロノ庭』は当初24回(2年)の予定だったのだが、中途で体調を崩し、編集長の計らいもあり3回ほど休ませてもらった。『Ymir』も1回休載している。自律神経失調症の予兆はこの時から既にあったのだが、まだ気づいていなかった。
ちなみに、自己都合でお仕事を休ませてもらったのはこの時だけだ。吐血をしようが、何がどうなっていようが、とにかくお仕事は休まない、という覚悟を持ったのもこの時以来だし、正直「落とすぐらいなら死んだ方がマシ」とすら、今でも思っている。
それはともかく、周りがどう見ていたのかは分からないが、やたら気負っていたのだろう。おねえちゃんも生まれたばっかりだったし。
ここで「普通に」(!)コツコツやれば、あのような目には遭っていなかったと思うが、とにかくボクである。同じコツコツでも、やっぱり当時やったようなことしかできなかったと思う。
その目一杯気負っていた時期に「エロ」をやろうとしたのだから、明後日の方向にぶっ飛んだのも、今となっては何となく分かる。だが、エロ自体は未だに、本当にさっぱり分からない。
上述したように「全方位型エカキ」を標榜しているのは事実だが、弱点だって露骨にあるのだ。その原因が「思春期女子的潔癖症」という、アホ極まりない性格によるのだから、これはもうどうしようもない。
それでも、実はボクが無理をしてでも「エロ」を描くべきかどうか、信頼できる人に相談したことはある。結果は、口を揃えて「やめとき」だったのは言うまでもあるまい。
「太陽が西から昇っても、藤原さんが意図的にエロを描けるとは思えない」とまで断言した人だっている。もちろん「普段描いている絵にエロを感じる人がいるかもしれない」という可能性は否定しないが、ボクがすすんで描いてどうこうなるとは思わない、というのが意見の大部分を占めた。的確な指摘なのだろうと思う。
もしあの事件がなければ、こうした周囲の反対を押し切ってでも、「エロ」にチャレンジしていた可能性はある。だが、結果は同じだっただろう。
意識の上では、上記したように「思春期女子的潔癖症」なのだが、実際に描くとなると、どうやら最初に触れた、癖のある線も相当くさい。
断っておくが、ことさら努めて癖のある線を描いているわけではない。ボクが描けば、ああいう線にしかならないのだ。ボクという個体が持つ運動律と、ボクの見る風景の融合が、ああいう線を生んでいるにすぎない。
オリジナリティーとかそういう問題ではない。どうやったって、ボクはボクであり、線だってそうならざるを得ないのだ。
逆に、無個性な線(実際にあるから恐ろしい)の方がボクには信じられないし、そのような線を普通に描ける人というのは、一体どのような環境で育ち、物事を考えているのだろうという、素朴な興味すらわいてしまう。
上述したお仕事紹介サイトで求められるのは、正にこの「無個性な線」なのだが(もっと言えば、どうやっても無難な絵)これがボクにはできない。
それぐらいボクとは縁遠い話だし、これは「エロ」に関しても同様である。ボクが明らかに「おかしい」人であることは分かっているつもりだが、「どの程度おかしいか」は正直よく分からん。多分、相当おかしい部類に入るとは思うのだが、客観的なデータがないのでここは端折る。
ただ「エロ」方面を向くと、ボクの不思議さは露骨に表れるようだ。「変人」「奇人」の一種かもしれないし、ある種のセクシャル・マイノリティー(ボクの場合は、性同一性障害の気配が濃厚)かもしれない。
ボクの性的な障害について、ここで(この先も)わざわざ取り上げる気は毛頭ない。ただ、相当歪(いびつ)であることだけは事実である。
ここまで来ると、もうエロがどうこうの話ではなく、単に「できるだけエロからは離れておいた方が周りは平穏」という結論にしかならない。人格としての限界が、エカキとしての限界も生み出しているイイ例だとは思うが(もちろん、有利に働くことも多々あります)、当事者としては「なんだかなぁ……」とぼやいてしまう。
それはともかく、もうあれから16年以上経ったのか。昨日のような気もするし、はるか大昔のような気もするし。とにかく時系列の記憶はグチャグチャだからなぁ。まさかまだ生きているとは。
話を戻して、「エロ」はとにかく捨てるに限る。問題は、何を新たに発掘するかである。
「まだ何かする気なんかいっ?」などと、突っ込まないでいただきたい。何もしないで死ぬぐらいなら、何かして死にたい。「昨日より今日。今日より明日」の精神がなくなった時、ボクは死んだも同然なのだ。生きたまま死ぬのはご免こうむりたいので、生きることに集中するしかないのだ。
死んだ時が寿命なのだよ、呵々♪
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com
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■晴耕雨読[50]
いまVTuberやVRchatが面白い
福間晴耕
https://bn.dgcr.com/archives/20190315110100.html
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昨年末に一瞬、ネットで話題になった「バーチャル蠱毒」をきっかけにVTuber(バーチャルYouTuber)やVR技術に嵌っている。
バーチャル蠱毒自体がどんなものかは、話すと長いし今回のテーマでないので詳しくは以下のリンク先を見てもらうとして、一言で言えばVTuberのアバターの公開オーディションが、そのルールからまるでデスゲームのように見えることから付いた名称である。ちなみに、本当のオーディションの名称は「最強バーチャルタレントオーディション極」と言う。
バーチャル蠱毒終演!61名が作り上げたドラマとフィナーレ、そして新たなる…
https://mato-liver.com/archives/4725
前置きが長くなったが、それを追いかけているうちに今、VTuberやVR技術の爆発的な発展期に立ち会っていることに気がついた。それこそ週単位で新技術が発表され、プロ・アマ問わず多くのエンジニアが、様々なツールやアプリを開発し、それを先進的なユーザーが使って数多くの作品をが作られ、月に100人以上もの勢いでVTuberが増えていく。
一部ではそれを称して、大学生の学園祭のようだと揶揄する向きもあるが、規模が大きくなりすぎて、もはや個人では作ることの難しくなったゲームやフルCGアニメーションなどと違い、まだこのジャンルでは個人で活動する余地が残っているとも言える。
それどころか、個人で新しい技術や作品を作り上げて発表する事が、そのまま最先端のトレンドに結びついているという、黎明期のパソコンや初期のインターネットのような状況なのだ。
それはちょうど、2000年台初頭のCGアニメーション「君の名は。」で大ヒットを出した新海誠氏が、ほとんどの作業を一人で行った約25分のフルデジタルアニメーション「ほしのこえ」を作ったような状況だ、と言えば分かりやすいだろうか。
例えば、VTuberは一昨年の2017年にいわゆる四天王と呼ばれた、キズナアイを筆頭とした5人が話題になったが、今ではVTuberの数は8千人を超え、筆頭格のキズナアイはNHKとタイアップするまでになっているし、個人でも参入の敷居はますます低くなり、携帯アプリからキャラを作って配信できるようになり、毎日のように新人がデビューしている状況なのだ。
またVRのジャンルでも、2年ほど前からVRchatというサービスが話題になっている。これはヘッドセット(パソコンだけでも参加することは可能)をつけて、仮想空間上でチャットや散策ができるというものだ。
面白いのはユーザー自身が、仮想空間上の自分の身体(アバター)を自由にデザインできるだけでなく、そこにある小物や、果ては世界全体(部屋から町並みから更には山や川など巨大なものまで)を自由に作れる(とはいえ、自由に作るにはある程度プログラムの知識が必要)点にある。
このことから大きな人気を集め、ここ最近でユーザー数が10日で100万人以上のペースで増えているのだ。
また、当初はVIVEやOculusなどのVR体験用の機材(ヘッドセット等)を開発している会社を除けば、良くも悪くもアマチュア主導の空間であったのが、今年の3/8から3日間にわたって、その中で仮想空間上の展示即売会「バーチャルマーケット」(Link:https://www.v-market.work/
)が行われ、pixivやupd8、avex、にじさんじなどの企業が、仮想空間上でブースを構えるなどビジネスにも結びついた動きも出てきている。
そして、ここにきてバーチャル空間内で使えるモデルを、販売したりやり取りしたりする動きが出てきたのも面白い。
これまでどんなにカッコいいモデルでも、それ単体では使いみちがないので、なかなか一般向けの需要はなかったのが、多くの人が仮想空間に入れるようになると、そこで使う自分専用のアバターや小物、インテリアのモデルが欲しくなり、それが市場を生み出しつつあるのだ。
また、作り手にとっても、これまでは個人で作るにはゲームもアニメーションもあまりにも大掛かりになりすぎて、なかなか自分の作ったものを発表する機会がなかったのが、こうしてちょっとした小物やテクスチャでも需要が出ることで、気楽に成果物を発表し、場合によっては購入という形で評価がもらえるようになることは、大きな励みになるだろう。
正直、ここまで書いてもVRの面白さや可能性が、うまく伝わったか自信がない。ある意味、ストーリーのあるゲームや漫画、その他映像作品よりも体験主導なVRの面白さは、言葉で伝えるのが難しいからだ。
そんなわけで、補完する意味で他の人の書いた紹介記事を下に貼っておくが、百聞は一見に如かずで、できればヘッドセットなどを使わずに、デスクトップPCからでも良いので、ぜひとも自分で一度覗いてみてほしい。
話題のVRアプリ『VRChat』その魅力と始め方を紹介
https://www.moguravr.com/vrchat-6/
【福間晴耕/デザイナー】
フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/
HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。
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編集後記(03/15)
●偏屈映画案内:「M★A★S★H」
朝鮮戦争時のアメリカ進駐軍の一部隊を舞台にした、3人の軍医を描くコメディである。だが、途中までは誰がメインなのかよくわからぬまま、血まみれ手術シーン、不謹慎なブラックジョークの応酬、上官を罠にかけて笑うシーンなどを追うのが精一杯であった。時々スピーカーから日本のナツメロが流れる。
「本日の映画はMASHでした。負傷兵の手術の合間に見せる軍医のあきれ果てた道化ぶり、そして砲弾飛び交う中での崇高なる医師の献身、恋も笑いも桁外れの痛快編でした」なんて、スピーカーのアナウンスもある。まさしくそういう映画なのだ。従来のモラルや軍隊、戦争に対する痛烈な批判が満載、面白い!
だが、半分くらいまで誰が主役かわからない(わたしの場合)。戦争映画なのに、敵軍との戦いシーンはないし、規律正しい訓練のシーンもない。ただただ基地内でのだらしない、アブノーマルな、アウトローな非戦闘シーンを延々と描く。日本の映画では、こんな弛んだ軍隊生活が描かれたことはないと思う。
監督捜しは難航、15人に断られて、テレビ界出身の大胆で斬新(型破りで偏屈)なロバート・アルトマンに決まった。60年代末、若い映画ファンは反体制的なストーリーを好んだが、映画会社の経営陣は保守的で、20世紀フォックスはその時期に「トラ・トラ・トラ」「パットン大戦車軍団」を制作中であった。
反戦的コメディ「M★A★S★H」は、上層部の目から隠して制作しなければならない。撮影所の外で撮れば目立たないので、干渉されずにすむと監督は考えた。350万ドルと低予算のため、無名の生きのいい俳優を招集、14人の新人が大作デビューを果たした。結果的にリアリティが増した。ロケ地はカリフォルニア州マリブの社有地。俳優達はテントで寝起きし、羽目を外して楽しんだという。
彼の映画作りは不可解で、どんな映画になるのか俳優達には分からなかった。脚本は無視、俳優達がセリフを変更するのを奨励し、セリフはすべてアドリブだという。複数の出演者達が同時にしゃべるのもOK。ドキュメンタリーのような臨場感が生まれた。ズームレンズの使用も革新的で、誰にピントを合わせているのか、どの会話を拾っているのか、俳優達には全然わからない。
現場で不和も生じたが、監督はその気まずい雰囲気を効果的に映画に持ち込んだ。撮影が進むにつれて俳優達は監督の奇抜な技法に慣れ、彼を信頼するようになった。撮影が完了した。会社側は編集中のフィルムを見て仰天する。会社創立以来の駄作だ、公開できないと判断する。明確な筋がないのが最大の難点であることを、監督も分かっている。そこで思いついたのがスピーカーだった。
スピーカーから流れる通達などは、朝鮮戦争時の記録や教範にあったものだという。これで仕上がりは万全だが、会社はリアル(っぽい)手術シーンに難色を示し、カットせよという。それでは単純なコメディになってしまう。監督は圧力に屈せず、ディレクターズカットの試写を承諾させた。観客は熱狂した。
1970年1月25日、「M★A★S★H」が劇場公開された。結果、興収8000万ドル以上の大ヒットになった。自分が書いた脚本を完全に無視された脚本家・ラドナーは怒り心頭だったが、皮肉にも1971年アカデミー賞に5部門ノミネートされたうち、脚本賞のみが受賞した。暁テル子の「東京シューシャインボーイ」がスピーカーから流れていた。幼児の頃に聞いたことがあるような……。(柴田)
「M★A★S★H」予告編
「M★A★S★H」1970 アメリカ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001HDJHS/dgcrcom-22/
●藤原さんの絵はエロい。タッチの違う絵も描かれてはいるけれど、総じてエロい。/VTuber、注目しておこうっと。
/「カメラを止めるな」続き。観客の脳内に見えているもの、都合の良い想像や常識を覆す、その手法がお芝居っぽい。
場にそぐわないことばかり言ってるなぁと思って見てたが、舞台背景がわかったら腑に落ちる、気持ち悪さにぞわっとする。思い返すと二重の意味に取れるセリフばかりで、話が進むにつれて疑問点が増え、ラストはホラーになるとか。
コメディで軽口ばかり叩いている流浪人が、いろんなことに巻き込まれて、めちゃくちゃ大きなことを成し遂げる感動ものだったりとか。実は小人だったとか、宇宙人の話だったとか。
規模とか場所とか姿形は、こちらが勝手に解釈し想像しているわけで、そこを逆手に取ってくる。続く。(hammer.mule)