《でもはっきり言います。それ間違ってます!》
■装飾山イバラ道[244]
未来へ想いを
武田瑛夢
■Scenes Around Me[49]
東京大学駒場寮の事(27)
1998年10月以降のこと
関根正幸
■crossroads[63]
アンプラグドに対する誤解
若林健一
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■装飾山イバラ道[244]
未来へ想いを
武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20190423110300.html
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東京2020オリンピックの観戦チケットの、販売の方法が発表された。まだかまだかと思っていたけれど、発表されてしまうと、もうそんなに時間がないのかと焦るような気持ち。
せっかくの東京開催なのだから、何かの試合は会場に出かけて見たいものだ。旅行のように、だいぶ前から色々を決定していかねばならない。
そして東京2020の文字を見ていると、何だか不思議な感じがしてくる。20が2回、繰り返す。
私は数字のゾロ目などは割と好きな方だ。しかし2222の時に私はいないし、西暦で数字が美しく並んだり、キリが良い時に自分が存在することは、実はかなり大変なことかもしれない。
大きなキリの良い数字だった2000年の頃、自分が何をしていたかはぼんやりと覚えている。2000年問題とか、懐かしい響きだ。皆がなんだかいろいろと、騒いでいた記憶がある。
キリが良い時というのは、普段とは少し違う気分が世の中に流れているような気がする。
西暦の頭が20から始まるということは、今生きている人はここ最近では2020が最も揃った感じの数字の上を通過することになる。上で書いた2222で、ざっくり言えば200年後なのだから。
3000年や3030年という時代に、人間がどんな形でこの地球を使っているのか、想像すらできない。地球、どうなっていますかね。
●道路の進化
50年という期間でも人間生活は大きく変わった。私はその程度しか生きていないので、リアリティを持ってイメージできるのも、その程度のものだ。あと50年経てば乗り物から、食べ物までかなり変わるだろう。
ここから50年間程度の変化なら、私にも予想できることが少しはありそうなので考えてみよう。
今までは地上で生活していた私たちも、もう少し空間を利用するようになるのだろうか。近未来映画を見ると、交通機関は大抵は空間に何層も交差しているイメージで描かれている。
重なり合うので縦の権利問題が大変そうだ。交通整理は自動運転で管理されているだろう。人間の注意力を使う運転というのは、私たちが最後の世代かもしれない。
自動運転道路と、自由運転道路が分けられて、運転を楽しむこともできるのだろうか。私は車の運転をしないけれど、移動しながら自分で進路を決めていく楽しさは、きっと何かで残るのだろう。
ランニングする人も透明チューブの中を走っているような、そんな絵が想い浮かぶ。そこを走れる人が、特別な人間だけだったりしないといいな。
そして、地上と並行した道路だけでなく、垂直な道路も登場してくる。宇宙へのエレベーターだ。宇宙エレベータとか、軌道エレベータというらしい。
宇宙へ向かって線が伸びること自体が不思議な感じがするし、地球って回っているのに、そんなヒモくっつけてしまって大丈夫なのだろうか。
両手を伸ばして皆で手をつないでぐるぐる回りながら、「人工衛星、人工衛星、飛んだ!」と言いながら、手を離して吹っ飛ぶ遊びを急に思い出した。その後の足を引っ掛けて倒すとか、人工衛星と何の関係もないような謎の遊び。
回っている時に手を伸ばすと、何かにぶつかって危険なのは簡単に想像できる。空間に何もない保証はないのに、大丈夫なのだろうか。これは飛行禁止エリアを作ったり、レーダーで常時監視するそうだ。
実際に使えるようになるまで、自分が存在しているかもわからないことだけれど、勝手な妄想は楽しい。
ランニング用透明チューブの中には、犬散歩用のラインも作ったりして。しかし、犬は今のように通りに自分のにおいを残しながら、散歩できるのか心配でもある。
自動洗浄機能があったら、においが流されてしまうのだから。雨が降らない透明チューブの道だから、自動洗浄はきっと必要だ。
いや、そんなこと言うなら、自転車用の透明チューブも必要だとか、けっきょく今の交通問題と変わらない状況しか想像できない。今の頭で考えてちゃダメなのに。笑。
●進化スピード
50年後でも自転車は走っているのかとか考える。
「自転車博物館」のWEBで調べてみたら、自転車の特許が取られたのは1818年で、二つの車輪の形は今と似ているけれど、まだ足で地面を蹴って進んでいたそうだ。およそ200年前に発明されたものにまだ乗っているのだから、50年後もきっと残っていると思う。
そしてセグウェイとかスケートボード風のものとか、直立した状態でスイスイ進める何かも実用化されると嬉しい。
未来の人たちはきっと頭がいいので、心配は無用か。いや、未来のAIが決めるのだろうか。
もし本当にAIが進化していったら、高度な思考の一つである「ええいごちゃごちゃめんどくさい!」を発動して、ラインを分けずに済む解決法を出してくれるだろう。
どこが高度なのかはわからないけれど、「めんどくさい」から進化したり簡潔化されたことは、世の中に沢山あると思う。
そして、人間や犬や自転車が一緒でもなんとか快適さを感じられるように、人の心を進化させるのだ。人間そのものが今よりももっと、柔軟に対応できる生き物へと変わっていてほしい。
そんなに数は分かれていないのに、物理的にも精神的にもぶつかり合うことのない道。
例えば森の中の獣道のように、使われているとできて、使われなくなれば消えていくような、柔らかい道。自然の仕組みが高度に再現されたような、有機的な道路が未来の道路かもしれない。
【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/
傘も自転車もスプーンも、発明された時から、あまり形が変わらないものたち。日本人のお箸も、昔も今も今後もずっと形が変わらないかもしれない、究極の身近な道具だ。出現した時に完全な形って、考えた人がすごいのかな?いや、いつか誰かが考えつくはずのものなのかもしれない。
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■Scenes Around Me[49]
東京大学駒場寮の事(27)
1998年10月以降のこと
関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20190423110200.html
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1998年10月にアリテンが終了して、駒場寮での足がかりをなくしたことから、私が駒場寮に立ち寄ることはめっきり少なくなりました。
一方、アリテンやオブスキュアギャラリーに出入りしていた人たちとは、駒場寮の外で会うことが多くなりました。
皮肉なことですが、それまでオブスキュアギャラリーのオープニングなどで、顔を合わせるだけだった人たちと、駒場を離れてから知り合うようになった訳です。
1998年11月末には、世田谷公園の野球場で、オブスキュアが野球の試合を行いました。対戦相手は確かテレビ局の関係者のチームで、コーキくんと関わりがあったのだと思います。
オブスキュアはほとんど素人の寄せ集めのようなチームだったのに対し、相手はセミプロだったのでしょう。なんとか1点は返したものの、健闘むなしく大敗(コールド負け)を喫しました。

また、12月13日にはゼロバーをやっていたエキンの送別会が、下北沢の飲み屋で行われました。この時エキンは大阪に旅立ったのだと思います。
私は少し遅れて行ったのですが、出発の時間が迫ったのか、エキンは私が到着してすぐに飲み屋から居なくなってしまい、その後残された人たちで飲んでいたようです。

当日撮影した写真のネガを見る限りでは、エキンが写っているのはこの1枚だけで、あとは、コーキくん、チュンジくん、内藤くんたちが写っている写真がほとんどでした。
ちなみにエキンとは、何年か後に新宿でばったり会いました。その時飲みに誘われたのですが、こちらの都合が悪くて断ってしまい、エキンに会ったのはそれが最後になっています。
◆
その一週間後に、オブスキュアが駒場寮から豪徳寺に引っ越したのは、前々回に書いた通りです。
また、写真が見つからない(撮影しなかった?)ので、正確な日付は分かりませんが、これと前後して、写真家の小山基彰くんが六本木のレンタルスペース(?)で企画したパーティーに参加しています。
さらにその1週間後、駒場寮のクゲちゃんの部屋(ホワイトルーム)でクリスマスパーティーがありました。
1998年10月、駒場寮委員会はすべての学外生を寮から排除したわけではなく、問題を起こしていない学外生の更新は認めました。
クゲちゃんも、めでたく部屋の更新が認められて、内藤くんやユミコフさん達とホワイトルームに集まりました。



ホワイトルームは3枚目の写真の通り、壁や天井が白く塗られています。ピンクルームと並んで駒場寮では有名な部屋で、ロケ撮影でよく使われたと聞いています。
また、1998年の始めには伊東篤弘さんがこの部屋で個展を行ったと記憶しています。これまで紹介していませんが、1998年6月頃にもこの部屋で撮影した写真があるので、1998年4月以降、ギャラリーではなく居住用の部屋になったのかもしれません。
◆
駒場寮の部屋の更新については、思い出がもう一つあります。
1999年6月頃に、のざらし画廊のミッシェルの個展が、渋谷のルデコで行われました。
その時、客として来ていた人形作家のSさん(名前は伏せます)が駒場寮にまだ住んでいるというので、私がアリテンやオブスキュアに出入りしていたと話しかけたことがありました。
そうしたら、Sさんは「あなたたちのせいで駒場寮の治安が悪くなった」と怒りをあらわにしました。
この時、私自身は治安を悪化させることは何もやっていなかったので、私に文句を言われても、という対応になってしまいました。
もっとも、駒場寮を追い出された人が、Sさんのことを「一人だけ上手く立ち居振る舞った」と話しているのを聞いているので、要するに互いに仲があまり良くなかったのかもしれません。
私が最後に駒場寮内に入ったのは、1999年2月のことでした。どういう事情で駒場寮に立ち入ったのか、その経緯は覚えていませんが、ある部屋の中に道玄坂付近から運んできたと思しき、巨大な三角コーンが置かれているのを見つけて写真に撮っています。

【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos(2019年3月まで)
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔
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■crossroads[63]
アンプラグドに対する誤解
若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190423110100.html
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こんにちは、若林です。
この週末、世間は選挙で騒がしかったようですね。私が住む町でも町議会議員選挙が行われるはずでしたが、立候補締め切り後の候補者数が定数と同じだったので無投票になりました。
SNSでは「わが町の投票率が低い!」となげく声もありましたが、選挙が行われる余地があるだけマシです。
ちなみに、定数10で立候補者の平均年齢が60.7歳、一番若い候補者が48歳。高齢者がダメだとは言いませんが、若返りの必要性をひしひしと感じます。
■コンピュータを使わないプログラミング教育
来年のプログラミング教育必修化に向けて色々な動きがある中で、「アンプラグド」と呼ばれる、コンピュータを使わないプログラミング教育が話題になっています。
「アンプラグド」とは「コンセントに挿さっていない」=「電気を使わない」という意味で、かつてはアコースティック楽器のみのライブでも使われた言葉です。
この言葉がプログラミング教育界隈で使われるきっかけになったのは、「CS Unplugged」という本の存在。この本では、コンピュータを使わずにコンピュータサイエンスを学ぶ(Computer Science without a computer)をテーマに、その実践方法を紹介しています。
CS Unplugged
https://www.csunplugged.org/en/
日本語版はこちら
https://csunplugged.jp/
この本が扱っているのは、「コンピュータサイエンス」であって「プログラミング」ではありません。
実際読んでみれば分かりますが、この本には「プログラムを作る」ことは一切出てこないのです。どちらかといえば、「プログラムを作る時に必要になる基礎的な考え方やセオリー」を取り扱っています。
この本をきっかけに「コンピュータを使わない=簡単」と誤解されたのか、なぜかプログラミングにも適用され、「コンピュータを使わないプログラミング教育」という考え方が生まれてしまったようです。
プログラミングが小学校の授業に導入されるにあたって、コンピュータが苦手な現場の先生から反発があるんじゃないか? という「忖度」が働いた結果、「アンプラグドなら簡単」とかいう認識が広まったのではないかと。
でもはっきり言います。それ間違ってます!
「アンプラグド」という手法は魔法ではありません。なんでもかんでも「アンプラグド」で簡単になったりしません。一見簡単になったように見えるかもしれないけど、実は遠回りしているだけかもしれない。
そこを考えられるのは本質がわかっている人だけなので、「プログラミング」や「コンピュータサイエンス」をわかってない人が、「アンプラグド」に手を出すのは危険だからやめとけと言いたいです。
「アンプラグド」流行の発端となった「CS Unplugged」の内容にしても、「アンプラグドだから低学年でやろう」と考えるのは早計。
この本には「テキスト圧縮」や「エラー検出とエラー訂正」の考え方を、コンピュータを使わずに理解するというところがありますが、今の職業エンジニアだって、全員がこれ分かってるわけじゃありません。
もちろん、そういう基本的な知識が備わっているべきとは思いますが、知らなくてもエンジニアとして仕事する上で差し支えありません。
「テキスト圧縮」や「エラー検出とエラー訂正」の方法を知らないエンジニアでも、ライブラリやフレームワークを使えば、データの圧縮や通信処理を使ったソフトウェアを作れてしまうのが現実です。
そういった状況で「テキスト圧縮」や「エラー検出とエラー訂正」を低学年で学んでも、それを実際に使うケースが出てくるのはかなり先ですし、もしかすると出てこないかもしれません。
むしろ、そういう知識が必要になる、もっと高次の教育課程において導入としてやった方が絶対効率的です。こういうことって、その中身をきちんと分かった人でなければ判断できないんです。
このように書くと「そもそも、コンピュータサイエンスが分かってないのにプログラミングやるの?」という意見もいただきそうですが、「プログラミングがコンピュータサイエンスに触れる入り口になってもいいんじゃない?」と思ってますし、それはまた別の議論だと考えています。
けっして「CS Unplugged」がダメだといいたいわけではありません、むしろこの本の内容は素晴らしいと思っています。
ただ、その扱い方は難しい。「プログラミング」や「コンピュータサイエンス」に色んな方が関わるようになった今、必ずしもみんながみんな、その本質を理解しているとは思えないので、自分たちの都合に合わせて「アンプラグド」という言葉を使うことに警鐘を鳴らしたいのです。
【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/
子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/
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編集後記(04/23)
●偏屈BOOK案内:黄 文雄「なぜ韓国は未来永劫幸せになれないのか」2
現代の韓国人学者やジャーナリストが主張する「もし日帝の支配がなければ超先進国になったはずだ」という話は、まったくの空想・妄想である。日韓合邦時に原始社会から産業世界に入ったことに関して「奇跡だ」という声が上がらないことや、当時の学術研究があまりにも遅れていることに、筆者は大いに不満である。ではなぜ、韓国が超先進国になるのが「絶対不可能」なのか。
李朝朝鮮の時代、地質学や自然生態学から見ても、すでに山河が崩壊、自然も社会も連鎖的に劣化の悪循環を繰り広げ、朝鮮半島はすでに物々交換の原始社会へと先祖返りしていた。車輪を作る技術さえなく、染料がないから白い服しかできない。それを「清潔愛好」というのは真っ赤なウソ。原始社会から一躍、超先進国になるというのは、ウリジナル世界の空想妄想でしかない。
開国・維新後の日本が人類史に果たした歴史的貢献とは何か。筆者は「資源小国から経済大国になるハウツウ(ノウハウ)システムの確立」を挙げる。それは日本だけでなく、満州、台湾、朝鮮でも成功したサンプルとして世界に知られている。欧米列強だけでなく、露・清でさえ李朝朝鮮をどうすればいいか万策尽き、「東洋の永久平和」という大義名分で、日本にその責任を押し付けた。
新興日本はやむをえず「火中の栗」を拾った。そして判明したのは、李朝の宮室の財政は百年赤字が続き、土地も資源も列強に売り尽くされていたことだ。韓国はいまも「日帝三十六年の七奪」というが、逆説だ。正しくは「日本の七大歴史貢献」だ。
(1)朝鮮を中華の千年属国から解放した
(2)植物依存文明から産業社会化による半島の国土改造と生態学的更正を達成した
(3)優生学的医療・衛生・環境改善および教育の普及によって国民の民力向上と近代民族の育成に貢献した
(4)日本とともに世界に雄飛させ民族生活空間を地球規模へと拡大させた
(5)伝統的階級制度を廃止し奴隷を解放した
(6)朝鮮伝統文化を保護し保存と再生を行った
(7)朝鮮半島の民力を超えた近代的社会を日本政府や企業による投資によって建設した
この「七大貢献」は「七奪」を逆説的に述べたものではない。マクロ的に全史を眺めながら、「日韓合邦」時代を総括的にまとめた、筆者の史観と史説によるものである。戦後、「日韓合邦」は一時禁忌用語となって、日本のマスメディアでは日本が無理やり吸収したという、「韓国併合」が強調される時代が長かった。しかし、歴史を「戦後の目」で見たり語ることはタブーである。
小中華はわざわざ「日帝三十六年」の「七奪」やら「強制連行」「性奴隷」を選んで「反日」のお題目にするが、すでに自作自演のノンフィクション、ファンタジーにすぎない。反日パフォーマンスは常に新しいお題目を探しながら、韓流劇場を続演せざるをえない。「慰安婦像」の次は「徴用工」だ。しかし、それもウソとバレている。さて、大中華と小中華の「反日」の違いは何か。
筆者の目には大中華が「計算」であるのに対し、小中華は「病気」に見えるという。「事大主義」の小中華の「反日」をやめさせるには、病気を治すしかないが、大中華をやめさせれば、小中華の芸もタネ切れになると断言する。さらに、小中華と「どうつきあうか」の卓見高見を捨てて、「そもそもつきあうかどうかから再考すべきだと思う」と。いまの日韓、そんな雰囲気。(柴田)
「なぜ韓国は未来永劫幸せになれないのか 中韓を自滅させる準備を始めよ」
黄 文雄 2019 ビジネス社 ……それにしてもすごいタイトルだ(二度目)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4828420835/dgcrcom-22/
●大阪ダブル選挙続き。ただ、大人数を海側に運ぶには、交通手段が乏しい。市からお金は出さず、IR事業者側に交通インフラの費用を出させるように交渉しているようだ。
G20サミット、ラグビーワールドカップ、大阪万博、うめきた開発、なんば駅前再開発、IRとそれに伴う開発。まだまだ大阪が元気になる材料はありそう。
東京の開発に比べると、規模は決して大きくない。けれど、大阪って緑少ないよなぁとか、中心の一等地が放置されたままでもったいないとか、そういった不満が目に見える形で解消されつつある。
まだしばらくお願いしたいなぁ、そう思う大阪府民・市民が今回の選挙に多く足を運んだのだと思う。(hammer.mule)
IR事業者VS大阪府市、誘致めぐってバトル勃発 交通整備費負担めぐり
https://www.sankei.com/west/news/180505/wst1805050026-n1.html
大阪府市=鉄道延伸200億円負担をIR業者選定条件に~許容範囲
http://casino-ir-japan.com/?p=21092
【2024年街開き】うめきた2期(JR大阪駅北再開発)三菱地所グループに決定
https://kansai-sanpo.com/umekita2/
なんば駅周辺道路空間の再編に係る基本計画
http://www.namba-hiroba.jp/pdf/kihonkeikaku.pdf