《それが芸術の源泉です》
■羽化の作法[86]
現在編:政治観の今昔
武 盾一郎
■LIFE is 日々一歩(99)[ウェブ]
『Adobe XD ユーザーフェス(大阪)』に参加してきました
森 和恵
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■羽化の作法[86]
現在編:政治観の今昔
武 盾一郎
https://bn.dgcr.com/archives/20190611110200.html
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《現在の政治観》
最近「投票ってどうなの?」と思っています。もちろん民主主義を否定してるのではありません。「投票行為」について疑問を抱いているのです。
投票は自分の意思で一票を投じます。ところがこの意思が曲者です。私の脳はちゃんと的確に議員や政党を選択しているのでしょうか?
支持者または支持政党がないとか、投票したところで何も変わらないとか、爺さんの代から決まった政党にしか投票しない家族の掟があるとか、確かにいろいろあるでしょう。熟考するにせよ、しないにせよ、投票は果たして最適解を選択しているだろうか? そんな疑問があるのです。
なんでこんなことを書いてるのかというと、私は意識について関心があって、なんとなくずっと調べたり考えたりしてきました。そこでこの「投票」という意識的な行為は、どうもあんまり良くないのかも、と思ってきたのです。
●投票所はトイレ
ところで「政治」って何でしょうか? 候補者が選挙で競い合うことでしょうか? 選挙になるとメディアが騒ぎ、そのすったもんだを「政治」だと印象付けてますが、それは「政局」であって「政治」ではありません。
「誰もが幸福に生きられるエコシステムを作る」
これって政治ですよね? どうでしょうかね? 異存はないと仮定して進みますね。
幸福に生きるためにはまず健康である必要がありますよね。その人が健康であるかどうかを最も正確に調べるには、本人に健康かどうかを喋ってもらうよりも、その人の体温を測るとか、血液や糞尿を調べたりした方がいいですよね?
言葉は嘘をつけますし、伝え方の上手下手もあります。しかし、糞尿は嘘をつきません。表現の上手下手もありません。小便、大便はまさにその人の状態の的確な「お便り」なのです。
糞尿からその人の健康状態が正確に分かるなら、それを投票とすれば良いのではないのでしょうかね? 投票が排泄になるのです。てことは、投票場はトイレです。すべてのトイレを糞尿検査ができるようにして、健康状態をモニタして、ネットに繋いでデータを集計するのです。
例えば、とある地域で何か特徴的な傾向があれば、それに基づいて具体的な対策が立てられます。政策立案は誰がやっても良いでしょう。AIでもいいし。
ほとんどの人が毎日排泄をするので、データの精度も高くなります。すべてのトイレから健康な便が検出されるように、政策実行するプログラムを組むのです。例えばこういった感じで、意識されない生体的なところをベースに加えた民主制を組み立てるのはどうなんでしょうかね。
●政治家と官僚
それでもやっぱり政治家は必要でしょう。結局のところそれは選挙しかないでしょうが、投票はネットでもOKにするべきです。
候補者に「いいね」ボタンが付いていて、タップすれば投票完了です。その頃はスマホがなくなって、メガネになってるかもしれないので、タップではなくてウインクかも知れませんが。
せっかくなので、「ヤダね」ボタンも付けましょう。プラス・マイナスの計算結果で当落を決めるのです。人気者はアンチも多いので、芸能人がいとも簡単に当選することはなくなるかもしれません。
泡沫候補が漁夫の利で、ちゃっかり当選するなどの番狂わせが起きて、面白くなったりするのではないでしょうか。
それから、政治家はなにも人間でなくてもいいでしょう。猫をアバターにしたチームが被選挙権を持ってもいいと思うのです。
ちなみに官僚は、ほとんどAIに交代してもらうことになるでしょうが、やっぱり多少は必要です。国民からランダムに選択するのがいいと思います。
「あなたのことは調べさせて貰いました。ぜひ我が国の力になって頂きたい。」とメッセージを送るのです。どうです? 国家に尽くしたくなりませんか。拒否権はあります。もちろん志願も受け付けます。
●生命体をモデルにした政治システム
そして、票田に利潤をもたらす役割でしかない政党制は廃止です。「パーティ」はもう終わりにしましょう。与党VS野党という構造も解体するのです。これらは「近代」の融通の利かない機械のようですから。
政策ごとにプロジェクトチームを結成し、それを単位にしてネットワークする政権システムにするのはいかがでしょう。モデルにする政治システムは「ヨーロッパ」ではなくて「生物」です。政治システムも生物のように変化してきました。なので、これからも変わっていくことだけは確かです。
人間が作るものは、最終的には生命体に似ていきます。コンピュータがそうですし、建築物や車も生物に寄っていくと思うのです。さらには都市も。そして、概念である国家も。それは、エントロピー増大の法則から逃れているのが「生命体」だからだと思うのです。
かなり雑ですが、以上が現在の政治観でした。
《かつての政治観》
●政治と芸術の未分化状態
私は新宿西口地下道段ボールハウス絵画(95〜98)・東京大学駒場寮「オブスキュア」「蟻天国」(98)・被災地テント村「しんげんち」(98〜99)・246表現者会議(2007〜2012)までのアーティスト活動は、アクティビスト的でもありました。それを「アーティビスト」と言ったりもします。
「アーティビスト(Artivist)」とは、社会を変えようと運動を起こす活動家(アクティビスト)と芸術家(アーティスト)を合わせた言葉です。
現在ではフランスのJR、そしてネズミの絵で話題になったバンクシーも、アーティビストといっていいかもしれません。日本では「チン↑ポム」がそれに該当すると思ってます。思い付きですが。
JR
https://sniffingeurope.com/2017/02/17/streetartist9/
Banksy
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
Chim↑Pom
https://ja.wikipedia.org/wiki/Chim%E2%86%91Pom
かつての私は、それこそ「資本主義なんてなくなってしまえばいいんだ!」とか、「政府もなくていいんだ!」とか、「スクワット(不法占拠)上等!」とか、かなり雑に、そして本気で思っていました。
「持たざる者たちがスクワット(不法占拠)し、そこで自律運動(アウトノミア)を展開して生きていく革命」を夢見ていたのです。
そう書くと左翼のように聞こえます。ところが、例えば、共産党とかその他日本の野党には、まるで関心はありませんでした。それら現行の政治システムに古くからある「左派」と呼ばれてる政党に対しては、与党と一緒にまるっとまとめて「古臭くて要らないもの」として捉えていました。
デモにしても、ハプニングのように無許可でイリーガルにやらないと意味がないと思っていました。なので、ちゃんと届けてやってる普通のデモに対してすら、「なんか体制側だよな〜」って内心思っていたのです。
「革命」と言っても、マルクス主義の「世界共産主義革命」ではありませんでした。もっと全然違うイメージだったのです。というか、革命とは「イメージ」だったのです。
自分としては「アナーキスト」気取りでした。アーティストは必然的にアナーキストである。そう思っていましたから。
とはいうものの、新宿西口地下道段ボールハウス絵画〜246表現者会議まで、私がしてきた一連のアーティビスト的活動は、偶然に支えられていた観も強いのです。
自分がやってることは、政治的であるとか社会派であるとかは思ってなく、むしろ「芸術とはこういうものである」と思っていたのです。直感と偶然を頼りに、政治と芸術が分化されてない状態で、アーティスト活動をしていたのです。
●政治と芸術の分化
ところで「運動」には明確な目的があります。段ボールハウス強制撤去反対とか、駒場寮廃寮反対とか、テント村強制撤去反対とか、宮下公園ナイキ化反対とか(運動とはおおよそ反対運動のことで、それがちょっと残念ではあります)。
ところがです。例えば画家の目的とは何かと問われると、本質的に「絵を描くこと」だったりします。
「絵を描くことによって世界平和に貢献したい」とか、目的があるふうなことを言ったりするのも確かですが、それは結果としてそうなったら理想的という、外側から見た意味付けです。それとは別に、内部世界的には描き続けることそのものが目的だったりするのです。
それは生命体の目的が、「生きることそのもの」であるのと少し似ています。生きて何かをするのが目的なのではなくて、生きる・命を繋くことそのものが目的である、ということと。
なので、芸術には本質的に「閉じてる系」なところがあって、それが芸術の特徴だと考えていました。
「入力に対してナイスな出力を返す」つまり「期待に応える」「課題をこなす」などといったこととは、まるで違う何かが内部で蠢めいて、自己増殖しているです。それが芸術の源泉です。
最初は「問題を解決したい合目的な運動」と、「合目的ではない芸術」のミックスが面白かったのです。ところが、徐々にそれが葛藤となっていったのです。
運動のツールとしてのアートにならずに、アートの自律性を保ちながら運動と共存し続けること、それがとても自分には難しかったのです。特に人と関わりながら続けることの難しさでした。
なので、視覚芸術だけを抽出して、家に籠って制作したくなってきたのです。
●運動からの離脱
私はファンタジーを描きたくなりました。
実は昔からファンタジーを描きたかったのです。ところが、それをなぜか隠していたのでした。どこか恥ずかしかったし、ファンタジーを描くなんて、自分には無理だと思っていたからでしょう。
目的がファンタジーになると、絵を描く行為は手段になります。
「描くことそのものが目的の自己増殖する閉じてる系」から、徐々に「設計をしてから描く」がミックスされて行くのと同時に、運動からは離れたのでした。
アーティビスト的な活動をしなくなって、気が付いたことがあります。それは体制に対して批判的な考え方を持ってる人は、結構多くいるということでした。
まずは、自分が幸福であること。
それが、現在の私の政治性なんだと思います。(つづく)
【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/三日かかってます】
◎24回 国際公募アート未来展
http://www.artmirai.jp/
会期:2019年6月26日(水)~7月8日(月)
10:00~18:00(入場は30分前まで・最終日12:00まで 7月2日(火)休館
会場:国立新美術館「1階A室」・野外展示場
新作線譜を出展します!
https://twitter.com/Take_J/status/1138021645740756999
ガブリエルガブリエラ再起動!!
只今、13月世大使館オープンに向けて準備中!
Twitter https://twitter.com/G_G_jp
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ブログ「13月世の物語」 http://gabrielgabriela-jp.blogspot.jp
アーティストとアートファンを繋ぐプラットフォーム「メセロ(mecelo)」に、私のページができました! 応援よろしくお願いします! インタビューもあります。
https://mecelo.com/artists/take_junichiro
インタビュー前半
https://mecelo.com/artists/take_junichiro/interviews/57
インタビュー後半
https://mecelo.com/artists/take_junichiro/interviews/58
Facebookページ https://www.Facebook.com/junichiro.take
Twitter https://twitter.com/Take_J
take.junichiro@gmail.com
装丁画を担当しています! 『星野智幸コレクション・全四巻』(人文書院)
星野智幸コレクションI スクエア
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b226418.html
星野智幸コレクションII サークル
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b226413.html
星野智幸コレクションIII リンク
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b226414.html
星野智幸コレクションIV フロウ
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b278897.html
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■LIFE is 日々一歩(99)[ウェブ]
『Adobe XD ユーザーフェス(大阪)』に参加してきました
森 和恵
https://bn.dgcr.com/archives/20190611110100.html
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こんにちは! 森和恵です。前回と同じタイトルっぽいですが、今回は大阪で開催された『Adobe XD ユーザーフェス 2019(大阪)』にも参加したよ、というお話です。
会場いっぱいに並べ尽くされた椅子席がすべて使われた、満員御礼のイベントでした。Twitterで実況するために、張り切ってはやく会場入りして、一番前の席に陣取りました。
https://twitter.com/r360studio/status/1137220000119287809
前回のコラムで、XDユーザーグループとはなんぞや? と解説しましたが、プロトタイプ作成ツール「Adobe XD」のユーザーが集う勉強会のグループです。
Adobe XD ユーザーフェス(東京)
https://xd-study.connpass.com/event/129011/
東京に引き続いて、二番目に大阪で開催されました。テーマが違っていたこともあり、わたしは両方参加しました。
東京は、制作者とツールの関わり方や大規模案件での事例紹介など、XDというツールを俯瞰した、広いテーマだったように思います。登壇された方の取り組みや姿勢に学ぶところが多く、自分も倣って襟を正して仕事に取り組もうと、気合いをいれてもらった感じを受けました。
対して大阪は、アニメーションの作り込みテクニックや、デザインシステムなど一歩突っ込んだ内容で、ツールの経験者は「家に帰ってすぐ試したい!」とメモを取ったし、これから使い始める人は「なんだかすごいことができそうだぞ」と魅了されたのではと思います。
これを書いている時点では、公式のフォローアップが届いていないので、資料がない状態ですが、当日のわたしのツイートを見ながら振り返ろうと思います。
https://twitter.com/r360studio/status/1137234580623073283
はじめのセッションは、松下絵梨さんの、5月のバージョンアップのお話でした。今回は、初めての参加する人・XDをこれから使う人が多かったので、XDの特長や概要の説明からスタートしたのが、スムーズな流れでさすがだなと思いました。
印象に残ったのが、プレステのコントローラーを使った「キーで操作できるアニメーション」。押されたボタンによって、画面のネコがアニメーションしてくれます。
アートボードに仕掛けた自動アニメーションをボタンの数だけ作っておき、押されたらそのアニメーションが実行されるという作品なのですが、かなりの数のアートボードが作り込まれていて、クオリティが高かったです。
https://twitter.com/r360studio/status/1137244333994725376
次のセッションは、海老江優太さんの「遊んで学ぶ Adobe XD 勉強法」。XDの機能を学んで身につけるために、「おみくじ」「ゲーム」など、自分が面白いと思う動きを作ってみて、遊びながら学ぼうというお話でした。
作品データを見ながら制作過程やテクニックを紹介くださったのですが、「オーバーレイ時は自動アニメーションが一時停止」など、いくつも試作を重ねた人だけが気づいたのであろう、わかりやすい説明が満載でした。
あまりにも関心したので、懇親会で「XDの機能を試したいから作品を作るのか/作りたい作品ありきで試行錯誤するのか」を海老江さんにお聞きしました。
すると、作りたい作品を思いついたら、XDでどうやったらそれが実現するかを、何度も試行錯誤して作り上げていくということでした。
XDはプロトタイプを作るためのソフトにしか過ぎないので、精細にアニメーションの表現をするとなると不自由なツールです。
Adobe After Effectsや Adobe Animateといった、アニメーション表現の専門ソフトを使った方がよほど楽に作れます。
それでもなお「XDでこれができると楽しそう」という理由で試しているという、ツールで遊ぶぞ! という楽しい気概を感じました。
ツールは、機能をどう組み合わせて使うか? という発想力で、どれぐらい深く使えるのかという熟練度が決まります。通り一遍の使い方を学んだ後、ツールとどれだけ向き合ったのか? がダイレクトに出るのです。
「楽しみながら学びたい」と思えるということだけで、違いがでてくるんだなと思いました。
https://twitter.com/r360studio/status/1137264649278087169
最後は、境祐司さんの「Adobe XD 最新動向〜これから搭載される機能/デザインシステムって何?」。XDを中心にした、デザインシステムと制作フローのお話でした。
デザインシステムとは、ウェブサイトやアプリをチーム制作する時の指標となる「デザインの設計書」で、複数の人が制作にたずさわっても、見た目や使い勝手に一貫性が保たれるようにさまざまなルールを書き記したものです。
境さんのサイトで「デザインシステム」について解説されているページでは、Microsoft・Google・Appleのような大手のウェブサイトで一般公開されているデザインシステムへのリンクや、参考書籍などがまとめられています。
http://design-zero.tv/AdobeXD/design-systems.html
いろんなデザインシステムを見比べることで、その要素として何を決めておかなくてはならないか、現在どんな手法やデザインが支持されているかなどを学ぶことができます。
セッションでは、デザインシステムの大切さや、デザインシステムはたんに見栄えを定義したものではなく、チームで連携して働くときのコミュニケーション手法や、生成されるコードについてなども包括したものであることなどの話もありました。
https://twitter.com/r360studio/status/1137263308879216646
とツイートしたのですが、いま勉強を進めている「UIのインタラクション」をウェブページのコードに落とし込むために、Adobe Animateを用いる方法について、家に帰ってさっそく試してみました。
Adobe Animateで作った動きを、CCライブラリ経由でDreamweaverに持ってこれたら楽だなと思ったのですが、残念ながら現在は対応していなかったようです。
Adobe AnimateからCCライブラリに、「アニメーション」としてモーショントゥイーンを登録できますが、それを読み込めるのはAdobe Museと Adobe InDesignで、Dreamweaverで見たところ「アニメーション」ライブラリは扱えませんでした。
https://helpx.adobe.com/jp/animate/using/sharing-symbols.html
ですが、Adobe Animateから「OAMファイル」を書き出して、Dreamweaver側でアニメーションコンポジションとして読み込むことができました。
https://helpx.adobe.com/jp/dreamweaver/how-to/export-oam-files-animate-website.html
簡単なムービーで試してみたら、実現できて嬉しかったです。あとは、読み込んだムービーをどうやってインタラクションに利用していくのかを、試行錯誤してみたいと思います。
海老江さんを見習って、面白そうだな、と思ったらすぐ試していくスタンスで楽しく学ぼうと思います。
ということで、今回はここまで。
公式からフォローアップメールが届いたら、メモったテクニックを試してみた結果をレポートする予定です。公開は少し先になりますが、よかったらみてみてください。(いまは、当日のツイートをまとめたページになっています)
【Adobe XD User Fes 2019 大阪レポート】
https://note.mu/r360studio/n/n352c2aa18218
ではまた、次回お目にかかりましょう!
(^^)
近況報告:ようやく、YouTubeチャンネルの登録者数が1000人越えとなりました。応援くださったみなさま、ありがとうございます。6月18日より、新シーズン「WordPress再入門(仮題)」を始める予定です。よろしくお願いします。
https://www.youtube.com/r360studio
【 森和恵 r360studio ウェブ系インストラクター 】
mail:r360studio@gmail.com
サイト:http://r360studio.com/
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編集後記(06/11)
●偏屈映画案内:「アンコール!!」Song for Marion
「72歳の頑固じいさんが歌う、世界でいちばん不器用で、世界でいちばん泣ける歌。」とパッケージにある。現在のクリント・イーストウッドみたいなじいさんが、目を閉じて歌っているビジュアル。彼は無口で気難しく近隣で有名な頑固爺、アーサーである。最愛の妻マリオンにだけ笑顔を見せる。もうベタベタの老夫婦で、見ていて気恥ずかしいが、西洋人はこれが普通なのでしょうか。
メンバー全員が年寄りなのに、ポップスやロックを歌う異色の合唱団「年金ズ」のマドンナでもあるマリオンだったが、がんが再発してもはや治療はできない状態になり、合唱団への送迎はアーサが支える。デブと白髪の合唱団の指導者は、この映画で唯一の若くて明朗な美人、エリザベス。老人にロックやポップスを無償で指導する変わり者だから、男にはふられてばかりという高校教師だ。
アーサーには自動車修理工の中年の息子がいるが不仲、原因はアーサーの偏屈にあるが、母親のいない孫娘にはメロメロのアーサー。やがてマリオンが死ぬ。歌なんかバカバカしいと公言していたアーサーだったが、遺志を尊重して「年金ズ」に参加すると、意外にも歌がうまかった。その場面はない。とっておきにするのだ。「年金ズ」は国際合唱コンクールに出場が決まって狂喜する。
本戦が始まった。最初の男声合唱団が歌い始めたとき、「年金ズ」の一同は沈んだ顔でバスの中にいる。規格外につき除外=出場停止、という処分を受けたのだ。規格外とは彼らのバラバラな服装をいうのだろう。エリザベスは涙ながらに「笑いものにならなくてよかったのかも」と言う。「笑われるのがなんだといってたな。君にシゴかれたあの歌を歌うんだ」とアーサーはバスを降りる。
最初の男声合唱団が退場した舞台に、呼ばれもしないのに「年金ズ」がどやどやと出てくる。どこの年寄りも図々しい。いや、日本ではありえないだろう。対応に困り果てた司会者は審査員と相談し、彼らはスーツ姿ではないが品格がある、と苦しまぎれに紹介する。舞台を占領されたからには仕方がない。
客席の人々は好意的である。合唱は無難に終えて、いよいよアーサーのソロ。しかし、アーサーはなかなか歌い出さない。歌い出せないのか。ざわざわしそうな客席から、「おじいちゃん、がんばって」と孫娘の声。なんちゅうベタな展開だ。彼が歌うのは、ビリー・ジョエルの「眠りつく君へ」だという。
お約束通りの大喝采、スタンディングオベーション。でも「アンコール」の声はわたしには聞こえない。原題は「Song for Marion」である。帰りのバスの中で3位入賞のトロフィーが回される。失格なのに強引に出場した者に授賞するとは、寛容過ぎるコンクールである。その夜、寝ているアーサーに留守電が入る。息子から和解の喜びと賛辞の声、孫娘の「カッコよかったよ」の声。
彼らの歌がうまいのかへたなのか、わたしには分からない。そこそこ上手なような気がする。音楽の専門家である妻を呼び、「年金ズ」の歌とアーサーのソロを見せて、評価を聞いた。合唱はうまくもヘタでもないが、男声が老いているという。ソロは「スリル満点」だと表現する。まあ上手なほうだといえるが、いつダメになるのか、外すのか、ハラハラして聞いていたという。(柴田)
「アンコール!!」 2012 イギリス
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00HVQVX20/dgcrcom-22/
●線譜『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』が素敵すぎる。/XD面白そう〜。アプリの進化をユーザーが追い越してるっ。いい意味で皆様変態やわ。/「YouTubeチャンネルの登録者数が1000人越え」おめでとうございます!!
/QRコード決済の続き。失敗例。「残高不足の時の流れが違う」。チャージ残高が必要額より少ない時に、まずはそのチャージ分より支払い、残りを設定してあるクレジットカードや口座から引き落としにするものもあれば、チャージ残高には手をつけず全額をクレジットカードなどから引き落とすもの、単に残高不足だとエラーを返すだけのものも。
なのでレジに行く前に残高を確認し、前もって少し多めにチャージしておく。お財布確認して足りなさそうならATMで下ろすのと同じ。
「コードに時間制限がある」。時限式コードの場合、早めにコードを表示していると、自分の番になった時に切れていることがある。リロードすれば再発行される。多くは5分。
「勝手にログアウト」。アプリアップデート後や、認証後一定期間で再ログインが必要なことがある。パスワードを手動入力しないといけない(保存できない)、二段階認証でSMS受信が必要な決済アプリもあって、今のところお店での失敗はないが、レジに並ぶ前や外出前に一度は立ち上げておくと安心。続く。 (hammer.mule)