《本当に絵を描くしか能がないのだ》
■はぐれDEATH[82]
はぐれの本業/歪な機能原理主義者
藤原ヨウコウ
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■はぐれDEATH[82]
はぐれの本業/歪な機能原理主義者
藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20190719110100.html
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●ひたすらゲラ(原稿)を読み返す
最近、「本業をエカキと言っていいのか?」と、本気で思い始めているのだが、一応書籍(主に特殊な文芸方面だ)の装画や挿絵を描いて、口に糊している。かつては「装幀挿絵画家」という肩書きを、勝手に使っていたのだがやめた。世の「装幀」という概念から、ボク自身が確実に遠ざかっているからである。
あくまでも私的な原則論だが、中の小説があってなんぼである。内容を無視したり、意図的に歪曲したり、無意識に「今の流行は」というポイントから入られると、ボクはがっかりするだけだ。それでも、それなりにはやっちゃいますけどね。ならないんだけど。
「装幀」といわれると、何となく「上から目線やな」と思われるかもしれないが、単純にボクが「ブック・デザイン」なるものの言葉と、その成果品に対して、冷淡にしか接することができないので、むりやり日本語にしているだけの話だ。
デザインの心得はあるが、正直、下手である。コミュ障がデザインなどできるはずがないのだ。
これまた、私的な原則論になるのだが(こればっかりやな)、デザインはあくまでも「設計」であって、「表現」はあとから勝手についてくるもんだ。
完全に狭義の「機能主義」に他ならないのだが、ボクは大学時代にこれを徹底的に叩き込まれ、歪に理解しているので怪しげになる。極端な話「異常な原理主義者」にしかならないのだ。
この状態が、「設計」においてしばしば足枷になるのは言うまでもない。実際、それで「ならない」になってしまっているのだから、ボクの方法論なり価値観が狂っていると結論づけた方が、個人的には気楽である。担当さんに迷惑かけるのもイヤだしね。ここで昔の話を持ち出すような野暮はしない。
挿絵だって、その歪で狭いにも程がある機能原理主義からいくと、本来は不要になるのだ。読めば分かるように書いてあるし、そうなるように作家さんも編集さんもがんばっている。少なくとも、ボクの担当さんはみんなそうである。
だからわざわざ挿絵などという無粋なモノで、読者のイメージを阻害するのは不要なのである。
「じゃ、君はなにしてるの?」と素朴な疑問を抱かれた方は、実に健康的な思考の持ち主であると、褒め称えよう。ぜんぜん嬉しくないだろうけど。
どうやら、「読んでも分からない」読者が存在するらしい。「らしい」と書いたのは、ボクがそういう読者に会ったことがないから、という極めて薄っぺらい根拠に他ならないのだが、分からないモノは分からないのだ。
「分からないは分からない」は、ボク自身がそうなので、何となく分かる。何となくです。
で、そういった皆様のために、ボクは絵という形でイメージの取っ掛かりを提供しているに過ぎない。さらに、「読めば分かる」人のイメージの邪魔にならないようにも、気をつけている。
こう書いてしまうと、「めちゃめちゃ息苦しそう」と思うかもしれないが、これはこれで実に面白かったりするのだ。こういうところも、多分相当おかしい部類に入ると思う。
ちょっとひいてしまうかもしれないが、物語の「空気」を作れるかどうかに挿絵の機能は凝縮される。「空気」を作るためには、ひたすらゲラ(原稿)を読み返すしかない。可能な限り作者に近づくには、基本これしか手はない。
エカキと作家が直接話をするなどという、前時代的なことは基本しない。編集さんもいるし、そのへんは今のやり方で片をつけないと、これまた迷惑にしかならない。
幸い読解力に関しては、各担当さん曰く。「異常」なほど感度が高いそうなので(これはこれで問題なのだが)、ボクも安心してゲラの読み込みができる。月連載の挿絵でも、最低3回は通読するし(それでも1時間もかからない)、書籍となると7〜8回は軽く読む。それでも一日で十分読める。
書籍の場合は、3〜4回読んでから、一晩寝かせて翌日にまた4〜5回読む。装画を描く時の、ボクのごく普通のルーチンである。ただ、これが早すぎるらしい。担当さんが読めてない場合も稀にあるので(ボクみたいに一つの作品にかかりっきりというワケではないのだ)これはこれで、またはた迷惑な話になるのだが、とにかくこの程度は読まないと打ち合わせもロクに出来ない。
この時点では、まだ決め打ちは間違ってもしない。しつこく読むのは、どういう切り口で来られても対応するため、という身も蓋もない理由に過ぎない。
大体、ボクの所にくる作品は作家さんと編集さんがちゃんとしてくれているので、こっちはその波に乗ればイイだけの話で、ボクの段階で決まるのは「波のどこにのる?」というところだけなのだ。この「どこ」がキーポイントなのは言うまでもないだろう。漫然と波に乗るだけじゃ話にならん。
ボクはサーフィンをしたことがないのでよく分からないのだが、眺めてるだけでも「ああ、そこはあかんやろう」とか、「ををっ、ピンポイント!」とかは分かってしまうのだ。できるかどうかは、まったく別次元の話なので割愛。
上手な人はきちんと波を選ぶし、選んだ波の最適な場所に、一番いいタイミングで乗れるようにしている。それでも恐ろしいコトに、波というのは微妙に変化するので(これは恐らく間断なく微妙に変化し続ける地形や気候と関係する)なかなか上手くいくモノでもないようだ。
作家さんと編集さんは波を選んではくれるが、ボクが「どこ」に乗るのかは、それこそボクの技量にかかってくる。「ここね」と言われても、そこに乗れなきゃ話にならん。
だから、事前に徹底的にゲラを読んで、頭をほぐしておく必要がある。それでも乗り損なうことはありますよ、実際の話。だから、ラフを送付して確認してもらうのだ。
「読めば読むほど面倒臭い」と思われるだろうが、ラフを送付するまでに要する日数は、連載なら半日(実際は4時間にも満たない)、装画なら中一日で十分可能な作業量である。もちろん、ラフ制作中もゲラはイヤと言うぐらい読み返します。それでも、上記の実働時間で余裕である。
担当さんにも「早いわ!」とよく言われるのだが、ボクは通常運行がこの速度なので、他の人のことは知りません。
多くのエカキを使っている編集担当さんが「早い」というのだから、多分早い方には入るのだろうが、それでもボクより早くて上手い人を腐るほど見ているので、ボク的にはまだ下っ端気分が抜けていない。
上記した「空気」はもちろんコミである。どう描こうが、作品の持つ「空気」そのものは、変化のしようがないのだ。根幹の部分なので、再校、念校で修正が入っても、ボクのやることは微動だにしない。
というか、変更が入りそうな所は間違っても絵にしないしね。ストーリーとして変更が必要なケースがあるのは、経験上ボクもよく知っている。でも作品自体の「空気」にまで踏み込む変更は、基本、ボクのところに話が来た時点ではあり得ない。
ここまでに述べたように、根幹に関わるところなので手の入れようがないのだ。もちろん、より良くすることは出来るでしょうが、完全な軌道修正はあり得ない。そもそもボクの所に来るというのは、もう出版が決まっている状態なのだ。
だから、ボクは後の工程に支障が出ないよう気をつけながら、安心して作業を進めればよろしい。締切だって、ボクに言わせれば「無茶」なものはないに等しい。というか、他の人が「それは無理」というヤツが全部こっちに来ているという噂もあるが、これは確認したわけではないので正直よく分からん。
午後10時に「これから原稿送るので明日の午前10時までに」でも余裕である。これは実際にあった話だ。印刷屋出身なので、大体どういう状態かも分かっちゃうしね。それでもラフは送っているのだ。この時は挿絵だったのだが、上記したルーチンはこなした上での話である。
とにかく、ボクに言わせれば「速度が大事」なのですよ。その速度を最優先すれば、やはりゲラの読み込みにしかならない。ゲラに全部書いてあるから、ボクは悩む必要などないのだ。
それでもラフはラフなので修正は入るし、修正が入っても大丈夫なように準備万端整えている。ラフというのはそういうもんだ。それでも「完成度が高すぎる」とよくあきれられるのだが。
ボクはゆとりがあるので、別に見た目の完成度の高さなど気にしていただかなくても平気なのだ。さっさと直しちゃうし。修正の連絡の電話を受けたついでに、四方山話をしながら修正して、「今送りました」はでふぉである。短ければ3分で済む。こういう時PCは便利だ。
もちろん、ラフと入稿データは別モノなので(あくまでもボクの勝手な価値観です)それなりに手を入れるが(この時点でもまだゲラは読んでる)、それでもオッケーが出れば、半日以内に入稿データは送ってしまう。
送る前にもう一度ゲラを読み直してそれからなのだが、それでも当初の予定締切日の遙か前になるのは言うまでもあるまい。
で、これは実を言うと困った事例なのだ。ボクの早さに担当さんがついて来れないケースが増加している。ボクは別段困らないのだが(そりゃそうだ)、担当さんはどうやらケツを叩かれているような気分になるようで、どうもイマイチ反応がよろしくない。
その後の連絡を待つけどね。というか、待つしかないし。原因がボクの速度にあるのだから、ボクが待つのが筋である。それでボク自身の気分がどうこうということはない。前にも書いたが、ボクは筋には厳しい人なのだ。特に自分自身に対して厳しくしている。ボクが怠け者で横着者でコミュ障だからだ。
●「程々」というヤツを心得ていないボク
「お仕事に自分の都合を持ち込まない」というのも徹底している。どうしても都合がある場合は、さっさとお仕事の方を片付ける。これまた速度偏重だが、とにかく基本、速度を上げないとどうしようもないのだ。
そういうお仕事だし、この点に限って言えば、デビュー前から腹をくくっているし、デビューしてから今に至るまで、速度を早くすることしか考えず、鈍らせることはやっていない。
話がめちゃめちゃ逸れた。要はゲラを読むスピードと、読解力がある程度あり、絵にする技術があれば、誰にだって挿絵ぐらいは余裕で描けるはずなのだ。ここで既に「間違っている」と言われそうな気もするが、ボクに言わせれば、どう考えてもこの結論にしかならない。
ちなみに、挿絵で経済的にどうこうなるとは、間違っても思ってはいけません。そもそもボクがデビューする前から、「出版だけで飯を食うとか言う人は今時珍しすぎる」と言われたぐらいなのである。
実際、挿絵の単価の変動はほとんどないので、実質上は値下がりしているコトになるので、「これから挿絵で」などという考えは、さっさと葬った方がよろしい。
これがあるからボクは装幀もやっていたのだ。素材提供レベルのコトも実際にしている。
だが、実情は上記したように「歪な機能原理主義者」と化してしまうので、編集さんに迷惑がかかる。
ボクが「程々」というヤツを心得ていないので、こういうことになる。もちろん、コミュ障も大きく影響しますよ。通りすがりの読者に訴えるというのは、ある意味ビラ配りにも等しいコトで、ここにある程度の効率を加えると、ハードルはぐんと上がる。
分かりやすく言えば、「くたびれたおっさんよりも、カワイイお姉さんにもらう」みたいなもんだ。ものすごい独断だけど。これでジェンダー問題が勃発したら、それは完全にボクのせいであると今のうちに断っておこう。
ちっちゃい子相手なら、着ぐるみをかぶるみたいなもんだ。なんだか火に油を注いでいるような気もするがまぁ良かろう。
ももち(猫)相手ならお魚を焼くみたいなもん(いい加減にしぃや)。
要は、分かりやすく親しみやすい演出である。これがボクにはできない。これに関しては、余裕で一本書けるので詳細はまたの機会に譲る。
とにかく徹底的にピンポイントでコンセプトをクローズアップさせるので、本当にピンポイントでしか当たらない。プロの狙撃手ならこれでいいのかもしれないが、ボクが相手にしているのは、あくまでも標的すらも怪しい読者の皆様である。こういう皆様にしてみれば、目の前でいきなりドアを閉められたようなもんだ。
狙撃ではなく無差別絨毯爆撃(また物騒な例えだな)ができないと話にならない。当たるか当たらないかを、精度ではなく物量で決めようという発想ですな。
それでも的はある程度しぼられるはずなのだが、ナゼか明後日の方向で(ちなみに無人であることも付け加えておく)一生懸命爆撃をして、「所有残弾0!」とか言ってるようなもんだ。アホもここに極まれりである。
そもそもミュニケーションは、広く取れればそれに越したことはないのだ。わざわざ狭き門にする方がどうかしている。ボク個人の話なら別にそれでも構わないのだが、ショーバイとなると話は別である。それでも十分めんどうくさい人になっている。
機能主義そのものが悪いわけではない。素直な原理主義でも機能主義は十分過ぎるぐらい柔軟性が高いのである。大量生産・大量消費を前提としているので当然である。応用が効かない機能など、機能として成り立っていない。あくまでも考え方であり、最終的に出来上がるものではない。
一言で言えば「どこに特化するか」なのだが、生産面でのアプローチはそれこそ腐るほどゆとりを残しているのが、本来の機能主義である。このへんは、ボクがそう思っているだけかもしれないが。
「ポイントがぶれなきゃ、あとは何をしてもおっけー」的な考え方であり、それこそ応用など星の数ほどあるだろう。
「コンセプト」という言葉は、こういう時に本来使われる(とボクは思っている)。「コンセプトさえぶれなければ何をしてもイイ」というのは「読んだら読んだ人の数だけイメージがある」に直結するし、そうなると、上述したように本来は挿絵は不要となる。
ボク一人でも、一つのゲラでめちゃくちゃイメージはできるのだ。このへんは生い立ちなり職業柄なりがあるかもしれないので、特殊な例とするのが妥当だろう。ちなみに奧さんやおねえちゃん(注:娘さんのこと)も特殊な部類に入る(笑)
奧さんはデザイナーとしてやっているが、これは彼女の能力の高さにあるだけの話だ(いや十分すごいんですけどね)。ちゃんと見る人のことを考えて設計するので、間違ってもボクのようにはならない。
おねえちゃんの方はかなり怪しい。とある原作を元にしたドラマを、「イメージが違う」と言って断固見なかった子である。なんでこういうヤヤこしいところばかりボクに似たんだろう??? 実際、ボクもそうなので、おねえちゃんの気分はよく分かるのだが。
ただこれで世間をまかり通っていけるかというと、そんなことはない(と思う)。
●あくまでもエカキです
やっと本題である!(こっから?)
エカキにとって挿絵というのは、金にならないショーバイである。テレビが家庭に普及する以前は、「新聞連載を一年やったら家が建った」という凄まじい状態だったようだが、今はまったく状況が違う。
そもそも読者人口は減っているのだ。もちろん出版部数も減る。高齢化社会という言葉が、先日の年金発言で物議をかもして(アホや)「今さら」大騒ぎをしているが、こんなコトははるか前から分かっていたことだ。
少なくともボクは、老後の悠々自適な生活など最初から望んでいすらいない。もちろん期待もしてないですよ。いくらボクがとんでもない怠け者でも、エカキである以上、絵は死ぬまで描く。
ところが、ボクの主戦場は出版である。斜陽産業もいいところなのだが(特に印刷系)ボク自身はドロ船と分かっていて乗っている。沈んだらそこまでだが、完全に沈むよりも先に、ボクが先に死ぬだろう。今時こんなアホな話は通用しないですよ、本当に。
だから、他のエカキの皆様は挿絵を副業にしているのだ。これまた今に始まった話でもなんでもない。大昔からある話で、むしろ挿絵を専業にできた時代があった方が特別だった。そう考えた方が分かりやすいかもしれない。
ここでこの国の挿絵の歴史を紐解くつもりはない。言われりゃいくらでもネタはあるが(実際これで修士論文を書いているのだ)、あまりにマニアック過ぎるのでパス。それこそ、今マジメに論文を書けば、余裕で博士論文くらいのレベルにはできる。作文がネックなのは、もちろん言うまでもないが。
これは実際に同窓の友人に薦められているのだが、ボクはもう学究の徒ではないので、話だけありがたく聞いて、ほったらかしにしているのが現状である。
あくまでもエカキです。ここは絶対に譲れない。
相当はしょっても普通の修士論文くらいにはなるだろう。ちなみに修士論文のボクの基準は「400字詰め原稿用紙300枚以上」が最低ラインである。研究論文として考察するなら、この程度の量は当たり前。今は知らんけど。
先輩方の中には1000枚越えだってザラにいる。ボクが母校に在籍していた当時でも実際にいたし。あくまでもボクの学生時代の話なので、今は分からん。奧さんも600枚近く書いてたんじゃないかなぁ? これで大体普通のレベルの話。
相当話が逸れたが、ボクの価値観がここまで狂っている実例としては、分かりやすいだろう。20代から30代の時の知見は、その後の人生に大きな影響を与える。ボクの知見が歪すぎるから、得体の知れないコトになっているのだ。
まず予想が色々おかしい。デビュー前に「月に最低30枚は描けるようになっておこう」という目標がいきなり間違ってるし。描けるようにしましたよ、もちろん。月に30枚も描けるほどお仕事の依頼はないのですよ。致命的である。
ここで「ボクの絵の間口が狭すぎる」と考えて、いきなりそっち方面に爆走するのも相当おかしい。おかげで、引き出しは異常なぐらい増えたけどね。自分でも正直、何ができるのやら分からないところまで行けば、それはそれで立派と言えば立派だが、アホ丸出しではないか。
ちなみに、ここに至ってもまだ、これらの経験を全然「無駄」と思っていなかったりするので質が悪い。
普通はエカキのブランドを確立することを目指すのだろう。目指したことがないのでよく分からないのだが。
「こういう絵を描くこういう人です」というイメージがないと、挿絵どころか他の絵のお仕事だってできない。
こう書くと「分かってるやん」と思われるかもしれないが、これまでの狭くて僅かな見聞やらなんやらを寄せ集めて推測(いや憶測だな)に推測を重ねて、「こうなんかなぁ?」程度にしかボクは思っていないのだ。
そもそもボク自身が、ボクの絵をまったくポジティブに評価していない。それどころじゃ、評価することそのものだって放棄しているのだ。
もちろん、創作活動らしきこともまったくしていない。いや、「いなかった」が正しいのか? 今やってることは、本当に創作なのか正直かなり疑っているので、やっぱり「していない」にしておこう。
編集長と知りあうきっかけになった、とある団体(はるか大昔に短期間でそっこー脱退済み)のグループ展に出す作品だって、マジメに創作はしていない。「次は何をやったら笑いが取れるか?」というコトしか考えてなかったのだ。
もちろん、歪な笑いのネタしか思いつかないし。そりゃ、見てもぽかーんとなるわなぁ。的外れなんだから。見てるこっちはそれはそれで面白かったんですが、すぐに浮きますよ。
とにかく、色々なことがとことん狂っているのだ。見たこともなければ、想像すらできない読者の皆さま相手に、まともな絵が描けるはずがない。いや、そういうお仕事を本業にしてるんですがね。だから、ますます自信がなくなる。負のスパイラルもここに極まれりだ。
転職という手も、実はマジメに考えた。副業もその延長線上にあったし。
結論から言うと、本当に絵を描くしか能がないのだ。我ながら徹底していると思う。自分でも面倒臭いけど。
でも、創作はしない。自分のブランドを確立させる努力も、まったくしない。完全に自家撞着を起こしてるではないですか。
ブランド云々に関しては、創作と同様「本当に自分の絵にそれなりのオリジナリティーらしきものがあるのか?」という、ネガティブ指向満載な発想しかできないので、どうやっても無理である。
20〜30代の体力と世間知らずさ加減をもってしても、この結論にしか達していない。それなりに世間様を眺めてると、どんどん自信はなくなる。今住んでいる賃貸マンションの全住人の中でも(10人しかいない)「真ん中へんぐらいかなぁ?」なのだ。
もちろん、そんなことはあり得ないのだが、論理的に推測できたことと実際の自分の感情は別もんである。
ありがたいことに、そんなボクに創作活動らしきことを強要(失礼)してくれる人がいたので、またゾロ懲りないことをやらかしているのだが(もう死屍累累だ)、これだって実現するかどうか分からないのだ。
そもそも、読者層を想定するなどという高度なことをボクができるはずもなく、それどころか、目の前にあるいかがわしいメモの山と格闘するので精一杯なのだ。そもそもこのメモの山からして、既にダメかもしれないと思っているぐらいだ。
だからまた、メモの山をあらたに作る。作っては削るがすぐにまた盛るもんだから、別々だったはずの山がいつの間にか連峰と化して、ますます得体の知れないコトになっている。
これで傾斜がきつかったり、起伏に富んでいたりすればまだマシなのかもしれないが、だらっと長いのでだらしないことこの上ない。自然現象ではないので、風化もない。だらしなく、ただ高く大きく広くなっていくだけである。整理してもこの体たらくなのだ。
どっちに転んでも、エカキとしての岐路に立っているのは事実だろう。かと言って「失敗したら潔く廃業」は一切ない。これは断言できる。他にできることが何一つないんだから、死んでもかじりついてないと仕方がないのだ。
ここまでくると、猟奇的で狂気しかない犯罪者同然だが、おそらくこの世のあらゆる厚生施設をもってしても、ボクのこの犯罪的な悪癖は治らないだろう。
死んで仮に地獄(全然信じてないけど)があったとしても、受け入れ拒否されそうな勢いである。つまり、仮定の話だが死んでも治らないのだ。バカよりも質が悪いぞこれは。
そこで、自分のことをちゃんと心配しているのかと問われると、これまた一切ない。心配なのは、こんなのを親に持ったおねえちゃんの方である。このおかしな作文を書いてて、どんどん心配になってきたぞ。本業どうこうどころじゃないな(そこかいっ!)。
本来なら見事に更正した姿を見せるべきなのだろうが、今更感は満載だし、ここまで書いてきたように、更正できるとも思っていないので論外だな。やっぱり、はぐれでーす(DEATH)……。
【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com
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編集後記(07/19)
●偏屈BOOK案内:宮脇淳子「世界史のなかの蒙古襲来」
モンゴル帝国5代目の皇帝フビライ・ハンは東アジアへの支配を拡大し、独立を保っていた日本も征服しようと企てた。フビライは、まず日本にたびたび使いを送って、隷属するように求めた。しかし、朝廷と鎌倉幕府は一致して、これをはねつけた。幕府は、執権の北条時宗を中心に、元の来襲に備えた。元・連合軍は、1274(文永11)年に対馬・壱岐を経て博多に来襲した(文永の役)。
さらに7年後の1281(弘安4)年には、大船団を仕立てて日本をおそった(弘安の役)。日本側は、略奪と残虐な暴行の被害を受け、元軍の新奇な兵器にも悩まされた。しかし、鎌倉武士は、これを国難として受け止め、果敢に戦った。元軍は、のちに「神風」とよばれた暴風雨にもおそわれて、敗退し(略)日本は独立を保つことができた。この2度にわたる元軍の来襲を、「元寇」という。
これは自由社 中学社会「新しい歴史教科書」にある「元寇」の説明である。この程度が日本人の一般常識といっていいだろう。大正時代に小谷部全一郎が「成吉思汗ハ源義経也」を著し、義経=成吉思汗説が世間に流布した。戦後、高木彬光が推理小説「成吉思汗の秘密」を著し、最近では義経説のコミックがあるらしい。井上靖「蒼き狼」は日本人的なチンギス・ハーンを描いてる。
ロシア映画「モンゴル」で、チンギス・ハーンを演じたのは浅野忠信だった。司馬遼太郎の「韃靼疾風録」は満洲人とモンゴル人を混同している。日本人の描くモンゴル人や満洲人は「日本的なもの」の再生産であった。この本では史実に基づきモンゴルやモンゴル人の姿に迫っていく。鎌倉時代に「蒙古来襲」といっていた出来事は、江戸時代に「元寇」という呼び名になり定着した。
元という国が攻めてきたのは確かである。それを「蒙古襲来」ともいうから、蒙古すなわちモンゴル人が攻めてきたと日本人は思っている。モンゴル型の鎧や兜を身につけていても、それがどんなモンゴル人だったのか、本当に草原の遊牧騎馬民だったのか、大きな疑問が浮かぶ。そもそも何を「モンゴル」と考えるのか。文永の役、弘安の役は本当に「蒙古襲来」と呼ぶものだったのか。
正解は「蒙古来襲は決してモンゴルが主になって攻めてきたのではなかった」である。日本討伐を担当したのは「征討行省」が置かれた東の地域の、特に遼陽行省を含め、モンゴルの家来になったもとの女真族と契丹人、金の漢人、そして高麗人らだった。モンゴルの中央にいた「羊を飼って遊牧する草原の人」であるモンゴル人には、ほとんど関係のないところで行われた遠征だった。
その担当部署が自分たちの領分で、仕事として日本征伐を行って功績をあげれば、自分たちの取り分が多くなり、役所も大きくなって地位も上がるというのが理由だった。モンゴル帝国をよく知った筆者が再検証してみると、「蒙古来襲」というが、モンゴル人はほとんどいなかったという実態が見えてくる。元軍が勝てなかった理由は一つでなく、いろいろな要因が積み重なったからだ。
元は二度の日本遠征の失敗にもかかわず、日本を征服する気満々で、三度目も企画されたようだ。13世紀後半、フビライ・ハーンの命で日本に遠征してきたのは、モンゴルだけがやってきた蒙古来襲ではなく、元寇だった。元朝にモンゴル人はいた。それより多くの種族がいたのだ。リアル「蒙古襲来」は大相撲である。元大関照ノ富士はいま幕下、捲土重来を期す。がんばれー。(柴田)
宮脇淳子「世界史のなかの蒙古襲来 モンゴルから見た高麗と日本」2019 扶桑社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594082416/dgcrcom-22/
●京アニでの放火殺人事件に憤っている。胸が痛い。人を、文化を、今後生まれたであろう作品を返して! 悲しすぎる。ご冥福をお祈りいたします。そして一人でも多くの方が助かりますように。(hammer.mule)