[5182] M5StickC+obnizOSを使ってみる/論語:報怨以徳、すばらしい精神

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《何を言い出すんだこの先生は》

■クリエイター手抜きプロジェクト[646]
 IoT編 M5StickC+obnizOSを使ってみる(1)
 IoTでのOSという感じ
 古籏一浩

■まにまにころころ[194]
 ふんわり中国の古典(論語・その57)
 報怨以徳、すばらしい精神
 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito
 


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■クリエイター手抜きプロジェクト[646]
IoT編 M5StickC+obnizOSを使ってみる(1) 
IoTでのOSという感じ

古籏一浩
https://bn.dgcr.com/archives/20210308110200.html

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今回は、obnizOSを使ってみます。obnizOSは、Wi-FiモジュールのESP32(ESP32-WROOM32)であれば動作する軽量OSです。

IoTでのOS、という感じで捉えてもらってもよいかもしれません。ネットワークが繋がる環境であれば、obnizOSを使うことができます。

・obnizOS
https://obniz.io/ja/products/obnizos


obnizOSでなくobniz boardというのもあります。

・obniz board
https://obniz.com/ja/products/obnizboard/


当初obnizと言えば、obniz boardのことを示していました。私が書いたobnizの書籍も、obniz boardがベースとなっています。

・みんなのobniz入門
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B083NSRG3S/dgcrcom-22/


この本を書いているうちに、obniz boardでなくEPS32モジュールがあれば、OSのように使えるのではないかと、開発者がひらめいてしまったのではないかと思います。

どのみち、ネットワークを介してI/O処理するだけなので、小型軽量OSとして組み込むことができるわけです。これにより、obniz board以外のデバイスでも、ブラウザからI/O制御することが可能になったのです。

本を出版した後に、すでにobnizは違うステージに入ってしまったわけで、なんともです。とはいえ、obnizOSによって使用できるデバイスが広がりました。その中のひとつとして、M5StickCがあります。

・M5StickC(本体のみ)
https://www.switch-science.com/catalog/6350/


obnizOSは、M5Stack社が提供しているM5Burnerでも、対応ソフト(ファームウェア)として表示されますが、うまく焼き込めない場合は、M5StickCにobnizOSがあらかじめ入っている商品を購入するのが無難です。

・M5StickC[obniz無期限ライセンス付属]
https://obniz.io/ja/products/m5stickc/


あと、コマンドラインからobnizOSを書き込むことができます。コマンドラインからでもOKだという人は、以下のページに手順が書かれているので、やってみるとよいでしょう。なお、この場合は、別途M5StickCを用意する必要があります。

https://obniz.com/ja/doc/reference/m5stickc/


ここでは、M5StickC[obniz無期限ライセンス付属]を使ってみます。なお、obnizOSは最初にWi-Fiの設定を行う必要があります。USB Type Cケーブルと、M5StickCをつなぎます。しばらくすると、obnizOSが起動します。初回でWi-Fi設定が行われていないと、設定手順が液晶画面に表示されます。

iPhoneなどスマートフォンで、Wi-Fi一覧を表示します。Wi-Fi一覧にM5StickCの画面に表示されている、obniz-12345678といった名前のネットワークが表示されます。このネットワークに接続します。パスワード等は不要です。

次に、ブラウザで http://192.168.0.1
と入力します。しばらくすると(かなり長く待たされることもあります)ブラウザの画面に、ルーターのネットワーク名とパスワード入力欄が表示されます。

接続するルーターのネットワークを選択し、接続するネットワークのパスワードを入力します。このパスワードがわからない場合は、接続するルーターの側面・背面に書かれていることがあります。

側面・背面に書かれていない場合は、付属のマニュアルに記載されているか、同梱されているシールを確認してみてください。

パスワードを入力すると、obnizOSが再起動します。しばらくすると、自動的にネットワークに接続されます。無事にネットワークに接続されると、obnizIDが液晶画面に表示されます。液晶画面にはQRコードが表示されているので、これをスキャンすれば開発画面のページになります。

ただ、このQRコードがうまく読み込めないという人は、以下のURLにアクセスしてから、デバイスのID (obnizID)を入れてください。

https://obniz.com/ja/console/blockprogram


するとブロックエディタの画面が表示されます。この状態で「実行」ボタンをクリックしても、一応動作はします。ただし、LEDは光りません。

今回はLEDの点灯処理はパスして、M5StickCの画面に文字を表示してみましょう。

上から2番目のブロック「[obniz]に("〜")を表示する」の(〜)内に、表示させたい文字を入れてください。文字を入れたら「実行」ボタンをクリックしてください。指定した文字列がM5StickCの画面に表示されるはずです。

ブロックでなくコードの場合は、以下のようになります。コードは長いので、メインとなる部分のみ抜粋します。以下のコード例では、液晶画面には M5StickC+obnizOS の文字が表示されます。

なお、9999-9999の数値の部分は、使用しているM5StickCのobnizIDになります。何もプログラムが動いていない状態で、M5StickCの画面に表示される8桁の番号です。これを指定すればOKです。

<script>
$("#bploading").text("RUNNING...");
(async function(){
var obniz;
obniz = new Obniz.M5StickC('9999-9999');
await obniz.connectWait();
obniz.display.print('M5StickC+obnizOS')
})();


【古籏一浩】openspc@alpha.ocn.ne.jp
http://www.openspc2.org/


現在発売されている4月号の「Interface」誌は、リアルタイムOSのAmazonのFree RTOSの特集。RTOSと言えばOS-9やμTRONが思い浮かぶけど、それはもう昭和の時代。平成も終わって令和になったので、リアルタイムOSも新しいものに。よく読むとM5StickCがFree RTOSに対応していると書いてあって、なかなか興味をそそられるんですが、時間ないので多分入れて起動するだけで終わりかも。

https://aws.amazon.com/jp/freertos/


・創って学ぼうプログラミング
https://news.mynavi.jp/series/makeprogram


・8K/4K/ハイビジョン映像素材集
http://www.openspc2.org/HDTV/


・クリエイター手抜きプロジェクト
http://www.openspc2.org/projectX/



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■まにまにころころ[194]
ふんわり中国の古典(論語・その57)
報怨以徳、すばらしい精神

川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito
ttps://bn.dgcr.com/archives/20210308110100.html
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コロこと川合です。みなさんNHK大河ドラマ『青天を衝け』観てますか。昨日が第四話。そのひとつ前、第三話の後にTwitterで面白い(?)話題が出てました。

大河ドラマは、放送後ゆかりの地を紹介する紀行コーナーを挟んで、ニュースがあるんですが、そこで報じられたのがあの、みずほ銀行のATMトラブル。

このみずほ銀行は第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の分割・合併によりできた銀行で、その第一勧業銀行は第一銀行と日本勧業銀行が合併してできた銀行なんですね。第一銀行の前身が帝国銀行で、その前身が第一国立銀行で。

第一国立銀行とは、1873年に日本で最初に作られた銀行。それを作ったのが、渋沢栄一なんです。

要するに、渋沢栄一の伝記ドラマ放送直後のニュースで、渋沢栄一直系の銀行による大規模なシステムトラブルが報じられた、というのが話題に。

後ろ暗い不祥事なんかではなかったのが救いですが、ちょっと気まずい空気はありますよね……(笑)

もっとも日本に最初の銀行を作ったのが渋沢栄一なので、みずほに限ったことではなく、今後も放送期間中にどこかの銀行が何かやらかすたびに、似たような空気になるかもしれません。

諸説ありますが、BANKを銀行という言葉にしたのも渋沢栄一とのこと。これは中国語が先だとの話もありますし、明確な出典は不明ですけども。

まあ正直、銀行というものに対しては言い出したらキリがないほど不満だらけなんですが、それでも銀行がない世界は今では想像もできないです。

逆に、なくてはならない存在だからこそ尊大な態度……おっと手が滑りました。

ちなみに、第一国立銀行は、いわゆる国立ではありません。「国立銀行条例」に基づいて開設された銀行ですよ、という意味です。

一番最初にできていますし、たとえばいきなり「みずほ銀行」なんて名前のが作られても、みんな意味分からないでしょうしね。

なんにしても、なかったものを作る、しかも、あらゆる商業活動の根本に直結するようなものを作るというのはすごいことです。

大河でも既に、栄一の商いやお金に対する強い意識は描かれはじめていますね。

そのまま商い道を邁進するかと思いきや、剣術に惹かれたり、あげく攘夷思想や討幕運動にもかぶれたりするのですが、そのへんはおそらく次話くらいから、あるいはその後くらいからかな。

それはさておき、今回の『青天を衝け』も前回の『麒麟がくる』も、というか、大河ドラマって全般的に、序盤にどうでもいいエピソード多すぎないですか?

はっきりしていない時期のことを埋めるためというのもあると思いますけれど、ここでその話をだらだらやる必用あるのか、みたいな。で、後半になってくると時間が足りないとばかりに詰め込みだしたりして。

そのあたり、実に配分も伏線も見事だったのは『いだてん』ですね。あれは、ほんと良くできていたと思います。今からでもオンデマンドで観てください。

ああ、どうでもいい話がだらだら長くなってきたので、論語に移ります。

◎──巻第七「憲問第十四」三十五

だいたいの意味:孔子先生は仰った。名馬とはその力が称賛されるのではなく、その徳が称賛されるのだ。

◎──巻第七「憲問第十四」三十五について

馬に徳なんてないだろ、と、ちょっと分かりにくい話かも知れません。

大前提として、人が乗るものである、としての話ですが、走力が優れていれば名馬なのか、というと、そうじゃないですよね。

よーいどんで馬だけ走らせて、どんなに速く、どんなに長距離走れる馬でも、馬としてそれは確かにすごい馬ですが、名馬とは呼ばれないと思います。

人を乗せて、訓練によって乗り手の存在や意図を理解し、その上で素晴らしい走りをすることが、名馬としての条件のひとつではないでしょうか。JRAの名馬トウカイテイオーは、騎手から「乗り心地が良すぎる」とまで言われていました。

競馬の場合、名前が残っている名馬はみんな人を乗せて速いので、みなそのまま名馬は名馬なのですが、その中でも誰もが知っているクラスだと、プラスアルファが何かあったりします。能力だけでなく、ドラマ性であることもありますけどね。

トウカイテイオーの父シンボリルドルフは、史上初の七冠馬として知られる名馬ですが、シンボリルドルフはテクニックも精神力も優れ、逃げてよし、差してよしのオールマイティで、さらには記者がカメラを向けるとキメ顔でポーズを取ってくれたと言われています。

どんどん馬の話になってしまいましたが、孔子先生は馬の話がしたかったわけではありません。

馬でさえ、名馬と呼ばれるものは、持って生まれた身体的特長から称えられるものではなく、後天的に獲得した精神性あってこそ名馬と称えられるのだ、と。いわんや人間をやって話です。徳の重要性を馬の比喩で語っています。

◎──巻第七「憲問第十四」三十六

だいたいの意味:ある人が言った。徳をもって怨みに報いるというのはいかがでしょうか。

孔子先生は仰った。では徳には何をもって報いるのでしょう。怨みには真っ直ぐな正しさで報い、徳には徳をもって報いるものです。

──巻第七「憲問第十四」三十六について

解釈は色々ありますが、色んな解釈があること含め、何となく理解できますよね。

怨み、つまり相手の悪に対して、徳、つまり善で返す、というのはどうかと。実はこれは『老子』にも出てくる言葉です。

『老子』「恩始第六十三」中に、報怨以徳(徳をもって怨みに報いる)とあり、それ自体に深い言及はないのですが、言いたいことは分かりますよね。

そういう気持ちでいなさいと。そのまま報怨以徳(ほうえんいとく)という四字熟語になっています。

『老子』の成立は『論語』より後と言われているので、孔子先生が老子を意識して言ったわけではなく、その考え方自体は古くからあったんだと思います。だから、ある人がそれを聞いてみた、と。

論語も老子も知らなくても、そういう考えに至ることはありますよね。

ただ、孔子先生は、怨みに徳で報いるなら、徳には何で報いるんだよと反対。怨みに対しては、真っ直ぐな心、正義をもって報いなさいと仰っています。

悪は正義でぶちのめせ、って意味ではありません。(笑)変に感化しようとか余計なことをせずに、それぞれに適した真っ直ぐな対応をしなさい、という話です。

なお一部の人、というかそれなりに年配の方にはこの「報怨以徳」という言葉、蒋介石が第二次大戦後、日本に対して掲げた言葉として有名だそうです。

異論もさまざまあるのですが、事実として蒋介石の政権は日本に対して寛大な対応をとっています。異論というのは、そうせざるを得ず結果的にそうなっただけだというようなものですが、まあとりあえず今はどっちでもいいです。

個人的にはこの報怨以徳、すばらしい精神だと思います。みながこうであるといいのになと。できるだけ実践したいと思っています。

でも、だいたいの場合において、怨みを与える側というのは、徳を感じない。相手があまちゃんでラッキーだった、くらいにしか思わないだろうと思います。

徳という観念がそもそもない人ほど、人に怨みを与えるので当然ですね。それでも徳を貫ける、相手の態度にモヤモヤしない、自分の徳に胸を張れる、そういった人でないと、なかなか辛いものです。私も、そこまでは無理です。

だからこそ孔子先生は、そこまでしなくていいよと言ってるのかも知れません。

◎──巻第七「憲問第十四」三十七

だいたいの意味:孔子先生は仰った。私を知ってくれる者はいないね。

子貢が言った。どうして先生を知ってくれる者がいないなんて仰るのですか。

孔子先生は仰った。天を怨みず、人をとがめず、身近なことから学びを進めて高いところに達する。私を知ってくれる者は、天くらいかなあ。

──巻第七「憲問第十四」三十七について

人知らずしていきどおらず、って『論語』の最初の最初から散々言っておいて、何を言い出すんだこの先生は、と思いました。(笑)たぶん、子貢もそう思ったんじゃないかと。

知る、というのは、有名になるというだけでなく、理解してくれるという意味。

知られるために、分かってもらうために学ぶんじゃない、ただただ学べって、自身を高めるために学べって言ってきたじゃん先生! って思ったら、やっぱ、孔子先生は別に、不満を持って言ったわけじゃなかった。

でも、理解してもらえない寂しさはどこか感じますね。

◎──巻第七「憲問第十四」三十八

だいたいの意味:公伯寮が子路について季孫に訴え出た。

子服景伯が(孔子先生に)告げて言った。あの方(季孫)は公伯寮の訴えに戸惑われているようです。私の力ででもあの者(公伯寮)を処刑して広場にさらしてやることはできます。

孔子先生は仰った。道が行われようとするのは天命ですし、道が廃れてしまうのも天命です。公伯寮などに天命をどうこうできましょうか。

──巻第七「憲問第十四」三十八について

人物があれこれ出てくるのでややこしいですね。子路が季孫に仕えていた話は前にも出てきましたよね。

公伯寮(こうはくりょう)は、孔子の弟子とされることもありますが、違うとする説もあります。どっちでもいいのですが、こいつが、季孫と子路の間の溝につけ込んで、子路を陥れようと讒言したんです。

子服景伯(しふくけいはく)は魯国の大夫で、孔子先生とは旧知の仲でした。この話を聞いて、孔子先生に顛末を話し、公伯寮をやっちゃいましょうか、と憤っているわけです。

でも孔子先生は、どう転ぶかは天命。公伯寮なんてほっとけばいい、と。

本題とは離れますが、なんとなく孔子先生って、色んなところで煙たがられたりするイメージなので、子服景伯みたいな好意的な人が出てくるとホッとします。

そして、素っ気なく答える孔子先生に、そういうところ! 直そ! って言いたい。ま、実際はちゃんと感謝も伝えてたかも知れませんけどね。

◎──巻第七「憲問第十四」三十九

だいたいの意味:孔子先生は仰った。賢者は世を避ける。(乱れた世を避ける)
その次は土地を避ける。(乱れた土地を避ける)
その次は顔色を避ける。(顔色、雰囲気が良くない君主を避ける)
その次は言葉を避ける。(言葉の良くない君主を避ける)

孔子先生は仰った。それをなした方が七人いる。

──巻第七「憲問第十四」三十九について

賢者というのは、そういったものを避けて、隠遁してしまうと。それ以上でもそれ以下でもない話で、なんとでも解釈できそうな話な上に、最後に言ってる七人が誰を指すのかは不明です。誰も指さないのかも知れません。

賢者を得たくても、賢者はこういったことで離れて言ってしまいますよ、と。実際これまでに七人もの賢者が人知れず遠ざかってしまいましたよ、と。

そう言いたかったのかなって。

──今回はここまで。次回で「憲問第十四」も終われそうです。

ちょっと馬の話をあれこれ書きましたが、特に競馬ファンというわけでもなく、単に最近話題になっていた「ウマ娘」というコンテンツについて調べてた時に、あれこれ目にしただけです。(笑)

最近スマホゲーム化されて盛り上がっていたんですが、ゲームはちょっと肌に合いませんでした。あれこれ面倒で。先にアニメ化されていて、数話観ました。アニメはとても良かったです。

馬を擬人化したコンテンツなのですが、実在した名馬の名前を冠したキャラがメインの登場人物(?)で、それらがちゃんと、細かいところで史実(?)を踏まえているという。

さっき挙げたトウカイテイオーは、テイオーステップと言われた独特の歩き方をするのですが、それがトウカイテイオーという名前のキャラの特徴に上手く反映されていたり。主人公であるスペシャルウィークは、生い立ちなどが設定に反映されていたり。

競馬好きにはたまらないんじゃないでしょうか。特別競馬が好きというわけでもない私でも、知ってるような馬ばかり出てきます。

サイレンススズカ、メジロマックイーン、グラスワンダー、テイエムオペラオー、ナリタブライアン、エアグルーヴ、ヒシアマゾン、ツインターボ、ハルウララ、オグリキャップ、キタサンブラック、ライスシャワー、ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、マヤノトップガン、マチカネタンホイザ、などなど。

Amazonプライム・ビデオなどで配信されているので興味あればぜひ。
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【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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・わぐちゃんねる:日本ウェアラブルデバイスユーザー会
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コロナ禍で「コミニュケーション」が問い直され、再注目されたAPIについて。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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編集後記(03/08)

●偏屈BOOK案内:梶原しげる「会話のしくじり 失敗から学ぶ[反面教師の会話術]」
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797387637/dgcrcom-22/


会話のしくじり? 山ほどある。メールのしくじり? 山ほどあるわい。わたしの場合。

なにしろ我ながら軽率である。そして賢明ではない。思慮分別のある自制心を欠く。行動が早いが、熟考の欠乏、軽はずみ。間違いを指摘されたら、素直にあっさり謝る。そして「ばかはしんでもなおらない」を標榜している。

この本では「会話でしくじらないための基礎の基礎」を肩肘張ることなく、やさしくかつ縷々(るる:こまごまと詳しく)述べている。ま、いまさら教わってもあんまり効果はないと思うが。

本来の意味と逆の意味で使って〈しくじる〉慣用句をあげている。役不足、枯れ木も山の賑わい、流れに棹さす、煮詰まる、これらは危険な言葉だから、現役のみなさんは辞書をひいて確かめたほうがいい。

「しくじらない」ためには、言葉づかいは保守的であることが求められる。とはいえ、言葉は生き物であり、ときには多勢に無勢を認めたほうが身のためである。わたしが大っ嫌いなのは、「やばい」を「良い」「おいしい」「かっこいい」と肯定的に使う風潮である。

残念ながら10代、20代では定着してしまい、中高年も迎合せざるをえない。というか、もはやそっちの意味で使わないとしくじりになるようだ。

逆なのが「微妙」で、中高年にとっては「繊細で趣深い」とポジティブに受け止める人が少なくないが、10代、20代の人たちは悪いニュアンスを伝えるときに使うらしい。じつは老齢者のくせに、わたしは若い人たちの感覚に近い。

敬語を間違える人はしくじっている。昨今は、会社の上司から敬語を学ぶことが難しいらしい。信じられないことだが、あまり細かく叱ったり、キツく叱ったりするとパワハラ認定されてしまうそうだ。

「敬語でしくじる人」は思った以上に多い。結果として大恥をかき、人間関係を損なうことだってある。会社は馬鹿を放し飼いにしてはいけない。きちんと教育すべきだ。

「なぜなら敬語は『敬えば何とかなる』という『心の問題』である以上に、『具体的なスキル』の問題であるからです」。

自分を低めて話し、相手を高める謙譲語も「相手を敬っているから使う」とは限らない。「敬う心」とは逆な「近づかないでくれ、かかわるな、嫌いだ」と、「敬う心」などさらさらない場面でこそ、威力を発揮するのが「敬語の力」でもある。わたしも、けっこうこのテクニックを使う場面があった。

敬語を「武器」とするためには「心」ではなく「技」を習得する必要がある。たった二つである。
1)敬語の大原則、自分や身内は高めない
2)目上の人をほめたり励ましたりしてはいけない

それから、よく耳にするのだが、「〜してもらっていいですか」「よろしかったでしょうか」「〜じゃないですか」「そうなんですね」なんてのは、知性ゼロの最低の表現だと思う。たまにテレビを見るとむかつく。もともとリアル他人との会話は少ないが、さらに減ったコロナ下(禍)である。とくに苦ではない。(柴田)


●そうか、みずほは……。/クドカンのドラマは、最後まで見ないとあかんのです。舞台なら途中で席を立つお客さんは少ないだろうけど、連ドラだと、きついのです。なので評価が真っ二つなのです。

/ゲームや物語で、子孫が活躍する話は好き。実は彼はあの勇者の子孫だったのだ! なーんて鳥肌。でも現実にはつまんないと思ってしまう(笑)。人生決まってるようなものじゃないかって。

現実的には、背の高い親からは背の高い子が生まれるし、遺伝よね〜って思うけど。

異世界転生物で、主人公が現代の知識を持って活躍したり、二度目の人生だからと努力する話にワクワクするのは、遺伝リセットできるからかも。

/会話しくじりまくりだわ。(hammer.mule)