音喰らう脳髄[12]道は自分で作ればいい/モモヨ(リザード)

投稿:  著者:  読了時間:7分(本文:約3,200文字)


前回に続いていじめの問題を考えたい。実は、今回、反響メールが多く、さきの文章を読んだ皆さんからいろいろ思うところをうかがったが、皆さん、冒頭の「なぜ、いま、このタイミングで」という部分に相当こだわっておられるようだった。

むろん、言い出しっぺは私である。であるが、むろん、私は、ショッカーのような団体、秘密組織の仕業であるとは思っていないし、いま、あちこちから噴出する問題、暴露される組織悪などの全てが、ここ五〜六年の行政改革の結果であることは理解しているつもりだ。

ただ、加速する少年少女の自死増加については、精神とか神経を科学する人から、錯乱であったり狂気であったりは伝染する、という説が出ることだろうが、それは置いておく。

とにかくである。まず書いておくが、私は『いじめ』について語りたいのだ。ふろしきをひろげすぎると、ただ空気のみしか掬いえない結果になる。文章は、常に、シングルタスクであり、線形(リニア)なものである。


まず先だって見た「いじめ」についての討論番組について語ろう。その番組で、私と同世代(五十歳前後)の男性が、「昔は、イジメがなかった。いや、こんな陰湿なイジメはなかった」そう述懐していたが、それは、この発言者が如何にノウテンキであるかを物語るのみであって、一顧だにする価値すらない。

こういう発言について、ものもうしたい。とくに私より四〜五歳年上の団塊の世代の方々、学生運動経験者に言いたい。「浅間山荘、内ゲバ、総括という名のイジメがあったこと、忘れていやしませんか?」この点である。

浅間山荘は、犯罪組織内部の崩壊過程で起きたことのように思われている。しかし、よく考えていただきたい。そこには未成年が多数いたろうし、その初めにおいては、少しだけ正義感を満足させることのできるサークル活動程度の気持ちで参加した少年少女が多くいたはずである。

連合赤軍は突出しすぎた例かもしれない。しかし、60年代が70年代へと継がれていく年月、私は、多くの自死完遂者、自殺未遂者と巡りあっているのは事実だ。彼らは、年少者である私に対して、どういうわけか、それぞれ遺言めいた言葉を言い残して事に及んでいった。成功した者もあれば失敗者もいる。

が、自殺の理由は、皆、それぞれ微妙に異なるにしろ運動体に対しての失望が主たる原因だった。いや、運動体などと書くと誤解をまねくおそれがある。より露骨に言えば、友達、仲間との軋轢や失望が自死の契機である。言いかえればイジメによる自殺である。

現在の事例と異なるのは、そうした自殺者の失望の深さであろう。当時は、現実の社会に幻滅し、その上で運動体に跳び込むわけだから、当時の青少年は、ドロップアウトの段階ですでに一度、自殺に近い環境を経由している。そして、此の世の外側にあるアウトローの世界に身を置く。

しかし、人が集団で活動する現場においては組織悪というものの生成が不可避であり、その組織の構成者もまた現世的権力者に同じ人間。反体制組織から弾かれた多くは、こうした事実に気付いてしまった者達だ。

当時の自殺は二度にわたる絶望を経ている。そこが今と違う。今に同じく学校にもイジメはあった。しかし、それをものともせず自らドロップアウトするというのが当時の少年少女だった。

いま、私は六十年代後半に光をあてたが、その後、パンクの時代においても似たようなものだ。パンク時代にメジャーデビューを果たした私の視線はそうした少年少女に注がれていたから、私の印象に間違いはない。イジメは当時からあったのである。異なるのは、過去のそうした時代、此の世の外に縁切り寺に似た緩衝地帯があった、ということである。

というようなことを薄ぼんやり考えていて私はふと思い至った。

近年、少年少女を保護するために数多くの法律が制定されている。そうした結果、従来の緩衝地帯に似たものが消失してしまったのではないか、ということについて、である。自殺する前に従来なら家出を画するはずである。

しかし、昨今の例を見る限り、少年少女の失意はそれぞれ自殺に直結している印象がある。それは、家庭や学校から逃げ出す場所、此の世の外ともいうべき場所が消えうせているからではないか、そんな気もしてくる。それは近年多発した宗教犯罪などのためもあろう。現実的な少年少女の逃げ場が減少していることは事実だろう。

ニート、ひきこもりという存在が目だち始めた時、私たちは、その根底にある状況変化を見てとるべきだったのかもしれない。外の世界に自分のいる場所がひとつもないとすれば、学校ともう一つ、家庭しか少年少女には生存する空間が残されていない。このような状況下でそうしたテリトリーに自己を置く場所を見出せなくなった時、彼らが目にする絶望の深さは、いかばかりか……。むろん、私は、たやすく死を選択するべきではない、と思う者である。

少し、私自身のことを話そう。高校時代の夏休みだった。我が親しきクラスメートが集まって、ある女性に対するレイプを画策した。ターゲットは私のガールフレンドであり、当然、私は何も知らされていなかった。私は身体をはって彼女を無事救出した。結果、私は幾人もの友人を失なった。その事件の後も、私はふだんとかわらぬ顔で登校しつづけた。学校や警察には何も報告していない。そんな私に悪友達は不安を覚えたようだった。

ある日、彼らは私に対する襲撃を試みた。彼らは七人ほど。私からすれば多勢に無勢である。そのうえに夏休み前まで仲間だった相手である。彼等の凶暴さは知悉している。飲みかけていたコーラの空瓶を手に戦った私は、幾人かの頭をしたたかに打ちつけた。

これが騒ぎになり学校側の尋問となった。私は何も語らなかった。そんな騒動の最中にガールフレンドの名前をだすことは、彼女を汚すことだ、と思っていたからだ。しかし、審問の最中、悪友の一人が良心の呵責に耐え切れず、その夏休みに自分たちがレイプを画策したことを学校側に告白。全てが明白になったのである。

しかし、学年主任と学校側は、一人の不良少年が突然狂って友人を襲ったという報告を上にあげた。彼等のレイプ未遂事件が発覚するより、一人の危ない生徒を停学処分にする、ことの軽重を測り、その道を選択したのだろう。当然、親は即刻学校に呼ばれ、私を襲撃した『被害者』のもとを謝罪して歩かされるに至ったが、私はそんな親に真実を告げなかった。その時、学校を中退する決心がついていたからだった。高校中退の事由として、私はこれまで様々な事由を述べてきたが、いま、ここに書いたことが真の理由である。

学校と実家のほかに、私には何もなかった。ロックもパンクも存在しなかった時代に、芸能人ではなく、アーティストを志すというのは、ある意味で自死に等しい選択だったのかもしれない。

いずれにしろ、私はそんなに強くなかったことは確かである。むしろ弱かった。弱かったからこそ、その事態に対して、奔流に抵抗するでもなく、水底ふかく沈むでもなく、ぷかりぷかりと浮く、浮き身の姿勢で対処したのである。

その結果、私がしたことは、五百円にも満たない小銭を握り締めたまま家を出た。これだった。そして、私は、ロック、パンクに身を置く宿命を受け入れたのだ。

道は幾つもある。このことを少年少女に言っておきたい。

来週も引き続きこのことを考えたい。

Momoyo The LIZARD
管原保雄
< http://www.babylonic.com/ >

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