[2305] 偏見に充ちた大人たち

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,300文字)


<ま、「授業料」かね。>

■映画と夜と音楽と…[352]
 偏見に充ちた大人たち
 十河 進

■Otakuワールドへようこそ![61]
 武者行列にコスプレで紛れ込もう
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[352]
偏見に充ちた大人たち

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20071102140200.html >
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●警察内部のことが小説になる時代

ちょっと必要があって、久しぶりに警察関係の本をいくつか読んだ。北芝健という元刑事の人は知っていたけれど、本を読むのは初めてだった。この人の本は警察の裏話などが多くて、わりに楽しんで読めた。

僕は昔からいろいろ警察関係者の本を読んでいて、二十年ほど前には「警視庁対大阪府警」とか「兵庫県警と山口組」なんて本も読んでいた。佐々淳行さんの「東大落城」や「あさま山荘」の本なども読んだ。それなりに警察には詳しいと思っていたが、その組織図は複雑で未だによくわからない。

このところ、警察小説がやたらに出ている。大沢在昌さんの「新宿鮫」シリーズは有名だが、逢坂剛さんの「御茶ノ水署」シリーズや今野敏さんの「ベイエリア分署」シリーズなどもある。佐々木譲さんの「警官の血」は大作だ。今、しきりに映画を宣伝している「犯人に告ぐ」も警察小説が原作だ。

雫井脩介さんの「犯人に告ぐ」は、数年前に評判になったときに読んでみた。それなりに楽しめたが、少し無理があるような気もした。もっとも、ミステリに野暮を言っても仕方がない。その映画化作品は、これから劇場公開されるのだが、半年ほど前にワウワウで先行放映されたときに見た。

豊川悦司の役が管理官というものだった。これは捜査本部を統轄する役らしい。その上に理事官が存在する、というのは北芝さんの本で知った。管理官は職階的には警視が当たるらしい。例によって、現場の捜査員とキャリア組との確執にも重点が置かれている。

「犯人に告ぐ」の舞台は神奈川県であり、豊川悦司は神奈川県警の警察官である。最初に東京の警視庁との合同捜査が描かれ、警視庁と神奈川県警の確執が顕わになる。そのため捜査に失敗し、豊川悦司は左遷されるのである。左遷先は足柄だったと思う。

警視庁と神奈川県警の仲の悪さは有名で、他の小説でもずいぶん取り上げられている。警視庁の中では、本庁と所轄署の対立がよく描かれる。この辺は高村薫さんの小説にも詳しい。「レディ・ジョーカー」など、ほとんど警察内部の不祥事の隠蔽だけにページが費やされていた。

一般的に警察官僚の甲種国家公務員(キャリア)という存在が知られたのは、テレビドラマ「踊る大捜査線」によってだろう。キャリアの出世コースから外れ、所轄の生活安全課(生安)の刑事として活躍する鮫島が主人公の「新宿鮫」もキャリアについては詳しくなる。

最近の警察小説は、警察内部の組織小説の様相を呈していて、今野敏さんが吉川英治文学新人賞を受賞した「隠蔽捜査」は面白く読めたが、ほとんど犯罪現場に出ないキャリアの主人公が、警察内部の組織的な力学の中でもがく姿ばかりを描いている印象だった。

もっとも、「組織と個人」というのは近代文学最大のテーマだから、どれも現代人には切実に読める。特に、警察という組織は巨大であり、制約の厳しい世界なので、個人としての軋轢も大きいのだろう。よりドラマチックな設定ができるのだと思う。

●「天国と地獄」が描いた捜査本部のリアリティ

映画で、実際の警察の捜査活動に近い描き方をされていたのは黒澤明監督「天国と地獄」(1963年)だと、北芝健さんが書いていた。「天国と地獄」は、少し前にテレビドラマとしてリメイクされた。佐藤浩一の権堂金吾は三船敏郎より迫力はなかったが、よく頑張っていたと思う。

「天国と地獄」について書き始めると、また批判的になりそうだ。会社に「天国と地獄」が好きな若い人がいて、以前、僕がちょっと批判めいたことを言ったら、凄い勢いで反論されたことがある。僕は、基本的には好きな映画の話しか書かないようにしているのだが、権威になってしまった黒澤明だけはちょっと別だ。

「天国と地獄」を初めて見たとき、確かに捜査会議などのリアリティは凄いと感心した覚えがある。当時は、テレビドラマで「七人の刑事」などが人気があり、刑事の捜査は地味なイメージだったのだが、もっと大勢のチームワークで捜査が進められるのだとわかったものだった。

「天国と地獄」で僕が納得できないのは、犯人がわかったのに逮捕せず、そのため麻薬中毒者の女が殺されてしまうことである。警察が逮捕しない理由は、「誘拐だけで捕まえても死刑にできないから」だった。麻薬中毒の女は、警察に見殺しにされたのと同じだし、女を殺した誘拐犯を「これで死刑にできる」と戸倉警部(仲代達矢)はうそぶく。死んだ女を一顧だにしない。

ひねくれ者の僕には「子供を誘拐するような卑劣な犯人は死刑にしろ」というメッセージを、黒澤明が無邪気に単純に送っているように思える。犯人逮捕の瞬間、戸倉警部は勝ち誇ったように「これでおまえは死刑だ!」と叫ぶ。警察が犯人を裁くようになったらオシマイだ…と僕は思う。

「天国と地獄」では、犯人側のドラマは一切描かれない。彼の動機、犯罪に到るまでの事情、経過も何も見せない。彼は冷酷な誘拐犯であり、犯罪者としてしか登場しない。別に犯罪者に同情的に描けというのではないけれど、どんな人間にも生きてきた背景、犯罪に走る理由はあると思う。

ところで、実生活で警察官と接することがあると、なぜか人は緊張する。僕も同じだ。総務という仕事上、この一年でも何度か警察官と話す機会があった。その時にも緊張した。昔、自転車の無灯火運転で捕まったときのことなど、つい思い出してしまう。そう言えば、昔、一度だけ我が家に刑事が聞き込みにきたことがあった。

●刑事の偏見を感じた小学生の頃

僕がまだ小学生の低学年の頃だったろうか。あるいは、もう少し大きくなっていた頃だろうか。少なくとも、僕は十歳以下だったと思う。それでも、未だに覚えているのは、我が家に刑事がやってきた、という異常事態だったからだ。

それは、父が仕事にいって留守の昼間のことだった。母が刑事の応対をした。僕はどこにいたのか記憶にない。しかし、僕の記憶の中の映像では、開け放たれた玄関の外から、母が刑事と話しているのを見ている。「七人の刑事」と違って、やってきた刑事はひとりだった。

本当の年齢はわからない。かなり年輩の感じに見えた。くたびれたスーツを着ていた。ハンチングをかぶっていた記憶があるのは、後からの修正かもしれない。刑事は帽子をかぶっている、というイメージがあったからだ。「七人の刑事」の芦田伸介は、いつも帽子を頭に載せていた。

刑事は玄関の上がりがまちに腰を降ろして、母と話していた。母は、玄関の障子を開けて、畳に正座する形で応対した。どことなく不安な面もちだった気がする。誰だって、刑事がやってきたらそうだったろう。

その時、よく覚えているのは、母が「うちのは、地下足袋は履きませんから」と言ったことだった。これは後から僕が意味づけたのだろうけど、事件現場で犯人のものらしい足跡が見付かり、それが地下足袋だったという。それだけの証拠で、刑事は我が家にやってきたのだ。

父はタイル職人の親方をしていた。毎日、建設現場にいきタイルを貼る。その当時は、若い衆を何人も使っていた。朝になると、我が家の前には五、六人の若い衆が集まった。そんなに上品な町ではなかったから目立ちはしなかったけれど、今ならけっこう異様な光景かもしれない。人によっては、その道を避けるかもしれない。

でも、彼らはみんな気のいい人たちだった。親切だったし、礼儀正しくもあった。口の悪い人もいたが、気持ちはすっきりした人ばかりだった。僕のことを可愛がってくれたものだった。後年、中上健次の「枯木灘」などを読んですんなり理解できたのは、彼が書く肉体労働者の世界が身近だったからだろう。

春になると、父は若い衆を連れて花見にいった。家族も一緒だった。そんなに荒れることはなかったが、若い職人の集団である。上品なはずはない。喧嘩騒ぎは記憶にないけれど、若い女性に声をかけたりはしたかもしれない。そんな時、周囲からは僕たちが何となく差別的に見られているのを意識した。

刑事が地下足袋の足跡を決め手にして、我が家に聞き込みにきたと知った僕も差別されているような意識を持った。地下足袋→建設現場の労働者→いつも若い衆が集まっている胡散臭い家、そんな連想をして聞き込みにきたのじゃないか、と僕は思った。

正直に言うと、その頃、僕は家業に引け目を感じていた。学校で仲良くなり遊びにいった友人宅は、四国電力など地元のエリート企業や森永乳業など有名企業の勤め人の家が多かった。また、四国銀行など固い勤め先の家もあった。彼らの上品な家が眩しかったのは事実だ。

ある日、僕は仲の良かったYクンの家へ遊びにいった。いつものように門扉を勝手に開けてYクンの部屋へ直接いこうと庭に足を踏み出したとき、お母さんの声が聞こえた。「あの子の家は、何やってるか知ってるの」と母親は言った。「毎日、怖そうな人が集まってるのよ。チンピラみたいな…」と聞こえたところで、僕は踵を返した。

それが僕のことを言っているのだと、すぐにわかった。Yクンは二学期に転校してきたばかりだった。父親は銀行勤めで、転勤が多かったのだ。僕は、クラス委員をしていて、Yクンの面倒を見るように先生に命じられ、仲良くなった。しばらくして、家に遊びにこないかと誘われて、頻繁にYクンの部屋にいくようになっていた。

お母さんは、僕がクラス委員をしている優等生だと聞いて、最初は歓迎してくれた。僕が頻繁に通ったのは、いくたびにお母さんが出してくれるオヤツが目当てだったこともある。しかし、その優しいYクンのお母さんが、「チンピラみたいな人たちが集まる家」と言ったのだった。

僕が地下足袋の足跡を証拠に我が家に聞き込みにきた刑事に差別意識を感じたとき、思い出したのはYクンのお母さんの言葉だった。刑事が立ち去るのを待って、僕は彼の方に小石を投げたのを今でも覚えている。もちろん、当たるようには投げなかったし、何も起こりはしなかった。

あのとき、僕は「偏見に凝り固まった大人にだけはなるまい」と誓った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
今年も残すところ二ヶ月。11月は僕の生まれ月です。「いいえ、私は蠍座の男…、お気のすむまで笑うがいいさ」というのが、昔からの気に入りのフレーズです。笑われてばかりの人生でした、という程でもないけれど、やっぱりけっこう笑われて生きてきたなあ。瀬戸内沿いの関西文化圏に育つと、人に笑われるのが平気になるのでしょうか。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >

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■Otakuワールドへようこそ![61]
武者行列にコスプレで紛れ込もう

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20071102140100.html >
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10月21日(日)、館山で南総里見八犬伝にちなんだ南総里見まつりが開かれ、暑いほどの晴天の下、八犬士、甲冑武者、女武者などに扮した約100名による武者行列が、JR館山駅から館山城までの2kmを練り歩いた。伏姫になって十二単姿で御所車に乗るのは、里見家の血筋をひくとされる堂本暁子千葉県知事。館山城の広場では、見物人が幾重にも取り囲む中、奇襲をかける北条軍と迎撃する里見水軍との、迫力ある合戦絵巻が繰り広げられた。

玉梓(たまずさ)などの怨霊の姿で行列に紛れ込むのは、仮装とコスプレとの境界線をなし崩しにしてやろうとの狙いを秘めたコスプレイヤーたち。それを狙うカメコ(は私だ)。今回のイベントは個人的にも随所で縁やゆかりを感じ、薄れかけた過去の痛い記憶が引きずり出されたりもした。レポートよりもむしろ日記のように書いてみたいと思う。

●仮装と混ざっていくコスプレ

このイベントのことを知らせてくれたのは、コスプレイヤーの万鯉子さん。万鯉子さんは、去年の世界コスプレサミットで日本代表として蝶子さんと二人で「ベルサイユのばら」のオスカルとマリーアントワネットに扮し、準優勝を獲得している、日本のトップクラスのコスプレイヤーである。私はその後、和歌山のテーマパーク「ポルトヨーロッパ」や鳥取の中華庭園「燕趙園」のイベントで撮らせてもらっている。

南総里見まつりでの仮装行列は400年前の戦国大名を偲ぶ時代物であって、遊園地などの会場で漫画やアニメのキャラに扮するコスプレイベントとはがらっと趣きを異にするが、こういう方面にも活動領域を広げていく動きは、意欲的で面白いのではないかと思う。もっとも、これ自体は新しい現象ではなく、四年前に千葉県の佐倉で開かれた時代まつりでも、似たような感じの仮装行列に知り合いのコスプレイヤーが混ざっていたけど。

このところ、コスプレ人口がすごい勢いで増加しているようで、コスプレイベントはいつも大盛況、時には入場制限がかかるほどらしい。「らしい」というのは、私は最近あんまり行かなくなってしまったので。だって、戦国武将を撮ってると背景に赤いセーラー服が入っちゃったり、誰が撮っても似たような絵になっちゃったりして、撮る意欲がそがれるんだもん。壁の模様で会場当てクイズとかやったら、ほとんどのコスプレイヤーがあらかた当てると思うぞ。

それなので、記念写真以上のものを撮りたい人たちの間で、スタジオや庭園を借りての個人撮影がけっこう盛んに行われるようになってきた。都内に何か所かある日本庭園の和室は、以前なら一か月ぐらい前でもたいてい空いていたが、今は半年前から計画立てないと予約が取りづらい。それから、借り賃は高いけど、廃墟スタジオなんていうのもあって、けっこういい雰囲気の写真が撮れたりする。

オタクの中には、イタい姿を一般人に晒すことを批判する人もいる。オタクのイメージ下げるな、同類として見られたくない、と。だけど、実際に撮っていて、嘲笑的な目を向けられたり、悪く言われたりしたことは一度もなく、楽しい場面に遭遇することができたのを喜んで、ほめてくれる人がほとんどである。日本庭園やバラ園の来場者って、くつろげる風景だけではどこか物足りなさを感じているのか、こういう活動的な場面に出くわすと運がよかったと思ってくれる人が多いようである。

時として、一言もなくカメラを向ける人がいるのはマナーとしてどうかと思うが、こっちも目立つことしてるんだから、仕方がないかとも思う。一方、コスプレイヤーたちが大騒ぎしすぎて、一般の来場者から苦情が出たという事件もあったようで、以降はコス撮影の許可が下りなくなっちゃった会場もあるので、みんな、ちゃんと手続きを踏んで、他の来場者の方々に迷惑をかけないよう、マナーを守ってね。

このような最近のコスプレ事情を考えると、仮装行列に紛れ込んで、一般の方々の目に馴染んでいただき、徐々に市民権を得て活動領域を広げていくというのは、大変よろしいのではないかと思う。堂本知事は、二日後に配信されたご自身のメルマガで、伏姫を演じるのは四回目になるが、怨霊玉梓が現れたのは初めてで、びっくり仰天したと書いている。「怨霊そのものの姿なので尋ねてみると、日本のトップクラスのコスプレイヤーの方が、玉梓の衣装を自分で作って参加したとのことでした。来年は館山で和風コスプレ大会をやるそうなので、若者が集まってくるかもしれません」。

●鳥取とのつながりも

里見氏10代忠義は、慶長19年(1614年)、徳川幕府の外様大名取り潰し策にあい、領土を鳥取の倉吉に移され、29歳の若さで没している。倉吉と言えば、燕趙園のあるところである。そんなつながりがあったとは。

南総里見まつりの前日、倉吉市から「里見桜」の苗が館山市に贈られ、館山市長の手によって館山城に記念植樹されている。この植樹の実行委員会のメンバーに、燕趙園のコスプレコンテストで司会を務めた通称駱駝さんがいる。私は館山と倉吉のつながりのことも、記念植樹のことも知らずに行ったので、万鯉子さんたちを撮っているときに駱駝さんとばったりと会って、びっくりしてしまった。

後で関連記事を調べてみると、日本海新聞のサイトに駱駝さんのコメントが載っていた。「倉吉が全国に名高い里見氏ゆかりの地であることは市民の誇り。忠義公や八賢士の思いがこもった里見桜が館山の地にしっかり根付き、(里見氏生誕の地である群馬県高崎市を加えた)三市の交流が大きく広がっていけば」。なお、次回の燕趙園のコスプレイベントは11月23日(金・祝)、24日(土)に予定されている。
< http://www.nnn.co.jp/news/071023/20071023004.html >

●この前館山に来たのは20年前

学生時代である。花畑にストックやポピーが咲く早春。書いてて非常に恥ずかしいのだけど、デートである。デートと言っても、今振り返ってもつきあっていたんだか何だったのか……。さゆりちゃん。

'05年6月17日(金)の本欄にも書いたのだが、中学時代から繰り返し夢に出てくる女性がいた。丸顔で、前髪は眉毛のすぐ上で横一直線に切り揃え、顔の両サイドと後ろはストレートに長く伸び、つやつやととても美しい。その女性の正体は、中学一年の夏休みに沖縄海洋博に行くために博多駅で新幹線から在来線特急に慌しく乗り換える際、横目で見て通り過ぎた博多人形であったと判明したのはずっと後のこと、就職して何年目かに出張で九州へ行ったときのことである。それまでの十数年間、私の理想像であり、将来出会う運命の人なのかもしれないという勘違いに支配されていた。

大学時代、その理想の女性がサークルに入ってきた。それがさゆりちゃん。女子美短大のグラフィックデザイン専攻で、ゴッホが好きだった。もうこの人が私の運命の人に違いないと勝手に決めて、当時は自分から人に話しかけることもできないほどシャイだった私が、彼女が卒業してサークルを抜け、このままではもう会えないというときになって意を決して電話をかけ、誘い出して二人で会うことに成功したのである。有頂天になるまいことか。最初は喫茶店で会ったりしていたが、何回目かのデートで花を見に行こうと、特急さざなみで館山へ日帰りした。

武者小路実篤の「友情」は稚拙な恋を描いた話だが、あんな恥ずかしいことを題材に小説を一本書くよりも、「一人相撲」の一言で済ましてくれてもよかったのではないか、と思う。私の場合も、まじめに全力で好きだったような気がするのだが、その割にはちっとも相手を見ていないし、相手の気持ちも考えていなかった。猪突猛進。思いさえ抱いていれば、そういうことは自然に伝わるものだと勝手に信じ込んで、わざわざ気持ちを話したりはしなかった。

そういうわけで、何度会っても二人の距離が縮まっていくことはなく、会話もぎくしゃくした。お互いの都合がなかなか合わなくて、会う頻度が減っていったが、会いたい気持ちが強ければ都合なんて何とかなるものである。これは見込みがないかと思い始めたときには、向こうもそうだったようで、そのころから別の人と会い始めたことをだいぶ経ってから知らされた。

まあ、めちゃくちゃ痛い目にあったわけだ。好きならば相手の幸せを願うのは当然だけども、相手の幸せのためには自分の存在はどれほどのものでもなかったということをはっきりと思い知らされたわけだ。そういうことなら、と円満に別れた。いや、別れるもなにも、あれはそもそもつきあっていなかったね。今にして思えば、あんなものが万が一にも成就していたら、どれだけ軽薄なうぬぼれ野郎になっていたことか。今でさえ相当なのに。だからあれはあれでよかったのだ。

20年ぶりに館山に行くと、駅前の景色がさほど変わっていない。朝の9時半。館山城への臨時シャトルバスが発着するのは海側で、人の往来がほとんどなく、バスを待つ30分間、もうさびしーてさびしーて。あのときのことがいやおうなく蘇ってくる。摘んだ花が、油断した隙にヤギに食われちゃったりして、デート自体はちょっと楽しかったかな。

●アメリカからも来襲

甲冑隊の中に英語を話す外国人が5〜6人いる。聞いてみると、館山市の姉妹都市である米国ワシントン州べリングハム(Bellingham)から招かれて来たのだそうで、今回が初めての参加だという。米国西海岸最北端の町ということは、多分、行っているぞ。え〜っと、…デートで。10年前だ。

Match.com は当時、世界で唯一の出会い系サイトだった。簡単な自己紹介文を書いておいたら、三日に一人ぐらいの割合で新しい人からメールが来て、返信に追いまくられて大変だった。アメリカだけでなく、フランス、オランダ、マレーシア、フィリピン、台湾、オーストラリア、韓国、インド、ネパール、アラブ首長国連邦、ラトビアなどからも来た。

しかも、インターネットにアクセスする人たちは限られていて、テレビのディレクタ、ファッション雑誌の編集者、写真家、作曲家など、クリエイティブな方面でのプロが多かった。まず接点がなかったであろう、世界中の面白い人たちと知り合いになれる、文化もものの考え方もがらっと違う人たちとコミュニケーションができる……インターネットとは、なんちゅうすごい仕掛けなんだと感嘆したものである。

しかし、出会うのは大変だ。シアトルに住むグレッチェン(Gretchen)は大学を二つ出たというインテリで、マイクロソフトに勤めていた。両親はオーストリアの出身。丸顔に金髪、髪は座ると尻に敷きそうなぐらい長く伸ばしていた。9か月間メールをやりとりし、職を変わる合間の一週間暇になるというので、上司には英語の短期集中講座を受けると嘘をついて、シアトルに飛んだ。トム・ハンクスとメグ・ライアンの映画「ユー・ガット・メール」が封切りになる前年の12月初旬である。

車でサンファン(San Juan)島に連れていってもらった。海岸線沿いに走るハイウェイを北上し、フェリーからの景色の一部はカナダだと聞いていたから、乗ったあたりがベリングハムだったのではないかと思って今調べたら、その30 kmほど手前のバーリントン(Burlington)で左折していた。島では、静かな森の中にある湖のほとりのコテージを借りて過ごした。丸太を横にして積み上げたような構造なのにすきま風が吹き込むことはなく、燃えさかる暖炉のおかげで部屋は暖かかった。ロマンチックな時を過ごした。

帰ってからがいけなかった。毎日電話したのだが、だんだん出てくれなくなり、聞くと重い病気だという。心配で心配で居ても立ってもいられないのに、なかなか連絡が取れないので、行ったときに会った彼女の友人に電話して、様子を聞いてみた。そしたら、元気で次の人とつきあっているという。こんのやろ〜。別れるなら別れると言ってくれりゃ後腐れもなく別れたのに。何なんだっ!

そういうわけで、そっちのほうから来たというのなら、帰りがけにちょっとシアトルあたりに寄って蹴っ飛ばしてきてほしい人がいるんだけど。それを言ったら、甲冑隊は大笑いだった。

久しぶりに館山に行って、過去の領域に捨てっぱなしでよかったものを図らずも拾い集めてしまい、明るく盛り上がる盛大なまつりのさなかにひとりで少しばかり感傷的になっていた。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
30万人いると言われる被害者の一人。"Voice Room"(フリートークの部屋)のチケット24枚は紙屑になってしまうのか? 返金してくれないのなら、せめてあのでっかいNovaうさぎを奪ってきて、これ見よがしに担いで電車に乗って帰ってきてやろうと思って交渉に乗り込もうとしたが、時すでに遅く、閉まったシャッターと張り紙に跳ね返されて終わった。こんなに教室増やしちゃって経営は大丈夫なのか、とは前々から生徒たちの間でささやかれていたことだが、「Novaは武富士が親会社だから絶対に潰れないんだ」と言うのを何回も聞いた。ま、「授業料」かね。

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■編集後記(11/2)

暴走老人!・藤原智美「暴走老人!」(文藝春秋、2007)を読む。タイトルからして、高齢化社会における主役たる老人の諸問題を扱ったものと予想した。とんでもない老人たちの大暴走のサンプルをたくさん集めて、困ったことになっていますぞとまとめた軽い本かなと思っていた。ところが違った。分別があってしかるべきとされる老人が、ときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは暴力的な行動に走る。こうした高齢者を著者はひとまず「新老人」と呼ぶ。なにが彼らを出現させたのか、それは現代の状況が要因であることは間違いない。それをデータやスコアをもとに語るのではなく、「時間」「空間」「感情」の3テーマに分けて、著者自身の体験から独自の考察を進めているので非常にわかりやすく共感を呼ぶ(わたしも同世代だし)。しかし、新老人の批判を展開しているのではなく、変貌する時間感覚、膨張するテリトリー感覚、丁寧化する社会といった視点から(スリリングで、みごとな切り口だ!)現代社会の巨大な不安をあぶりだすのが狙いのようだ。インターネットやケータイの普及による情報化、IT化は社会の表層的な変化、風景に過ぎない。問題は、社会風景の深層で大きく根底的に変わりつつある、人と人とのかかわりである。「老人たちの行動から今の社会が実に窮屈であるということを言いたかった」と著者はインタビューに応えている。新老人が暴走するのは無理もないと思う(わたしも当事者だし……)。(柴田)
<http://www.fujiwara-t.net/info.html>『藤原智美ということ』

・えっ。GrowHairさんが。被害者を身近に感じるとNOVAへの怒りの度合が違ってくるな。NOVAの場合、講師への評価と会社とは別だしなぁ。/中日おめでとう。クライマックスシリーズって……。/去年、着物の着付けを習おうとした。自己流じゃダメだなと。無料着付け教室なるものがあることを知り、そこには「日本文化を伝えるため」「着る人が増えれば、着物屋さんも将来的に潤うので無料に」というようなことが書かれてあった。しばらくたって当選ハガキが来たので、予習しておこうとネットで調べてみたら、苦情ブログがいっぱい。有料のところも同じようなものらしいけれど。対面での売り込みが苦手なので、講習キャンセルの電話を入れた。無料より高いものはない、という言葉を改めて感じた。フリーペーパーが市販雑誌より情報量多かったりするし、最近この言葉はまんまじゃない気がする。まぁ広告モデルなんだけど、そこの教室も同じようなものだと考えていたわ。着る人増やさないと廃れるもん。宣伝力があるところは大丈夫な気がするし、信じてしまうんだよなぁ。 (hammer.mule)
< http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071102-00000010-maip-soci >
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