[2409] 春の狂気

投稿:  著者:  読了時間:24分(本文:約11,800文字)


<とりあえず、バスとの競争はやめることにします。(笑)>

■笑わない魚[243]
 春の狂気
 永吉克之

■デジアナ逆十字固め…[74]
 コンパクトデジカメで水滴クラウン
 上原ゼンジ

■デジクリトーク
 フリーの身で骨折して絵を描くのはハッキリ言って大変っぽい
 武藤 修


■笑わない魚[243]
春の狂気

永吉克之
< http://bn.dgcr.com/archives/20080417140300.html >
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ある朝、寝床でインスタントコーヒーを飲みながら、目覚めたての重い瞼で毎日新聞を呼んでいたときだった。「余録」にスプリング・フィーバーのことが書かれてあるのを読んで一気に目が醒めた。

なるほどそうだったのか! そうなるほどだったのか! なるのだったそうほどか! と吠えて、掛け布団を足で天井まではね上げ、それが宙に舞っている間に洗面所に駆け込み、掻きむしらんばかりの勢いで顔を洗って寝室にもどり、敷き布団の上に体を放り投げたところに舞い降りてきた掛け布団が、聖母の腕のように私を優しく包み込んでくれた。そして私は赤子のように安心して、再びまどろみの淵に自分を見失ったのだった。遠のいてゆく意識の向こうで微かに聞こえたのは、子供の時に聞いた青函連絡船の汽笛だったのか。それとも父ちゃんのポーだったのか。

                 ●

スプリング・フィーバー。日本では「春愁」というらしい。春先の物憂い、けだるく落ち着かない気分、春の憂鬱病のことだそうだが、なぜ私がそれに関する記事を読んで、かくもわざとらしく感動したのかというと、今、春愁の物憂い気分がまさに溶岩のように燃えさかっている最中に自分自身がいるからである。何もやる気が起こらないからなのである。

いやもう、なーんにもしたくないのだ。壮絶なまでに何もしたくないのだ。私ほど何もしたくない人間はまだ見たことがない。あまりに何もしたくないので、何かしたくなるほどである。往来にいると、気の弱そうな通行人の胸ぐらを掴んで、私がいかに何もしたくないか、いかに何にも興味がないか、いかに腑抜けか、その思いをぶちまけたくなるのである。

「おい、貴様、ちょっと待て」
「誰ですか? いきなり」
「いいか、俺はな、何もする気が起きないんだ。俺が何かをしたいと思ってるんなら大間違いだぞ。俺のような腑抜けに何ができるんだ。いい加減にしろ!」
「いったい何の話ですか?」
「それだけじゃない。俺は世の中のありとあらゆることに関心がないんだ。北京オリンピックをハイビジョンで見るなんて、そんなことぜったいにしないからな。そのつもりでいろよ!」
「あの、すいません。何を怒ってらっしゃるんですか?」
「だいたい俺は性欲もないんだ。相手がどんなにいい女でも、まったく燃えないんだ。だから貴様の女房とセックスする気はない。帰って、そう伝えろ!」「わ、わかりました、伝えます」
「それと、貴様が晩飯に何を喰おうが、俺にはまったくどうでもいいことだ。すき焼きでも冷やし中華でも何でも勝手に喰え!」
「はい。ありがとうございます」

ここまでやれば、相手も、私がスプリング・フィーバーを患っていることを理解するはずだ。理解してもらおう、ではだめだ。理解させなければならない。事程左様に、スプリング・フィーバーとは、人間の意欲を殺いでしまうものなのである。

                 ●

私の場合、症状はある日突然やってきた。今年は、長らくサボっていた絵の制作にエネルギーを充填して、こわっぱどもにベテランの手並みを見せてくれるわ、と息巻いていたのが、つい先月のことである。それが先週のある日を境に、その威勢のいい言葉が、そらぞらしく響くようになった。まるで結果が判っている野球の試合を録画で見るように、自分の決意になんの期待も意気込みも感じなくなってしまったのである。

この原稿にしてもそうである。私の連載は隔週だから余裕をもって書けるはずなのだが、どうしても書く気が起こらず、やっと書き始めたのが、締め切りの二日前だ。あ、いや、二日間もあったら50本は書けるよ、ずいぶんと余裕ぶちかましてるじゃないかキミ、という猛者がおられるのは先刻承知である。どなたとは申さぬが、お会いしたことのある方である。しかし、人はそれぞれだ。「個体差」というものを考慮に入れていただきたい。

例えば同じアーノルド・シュワルツェネッガーの中に、アンドロイドのアーノルド・シュワルツェネッガーもいれば、カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーもいる。アンドロイドのアーノルド・シュワルツェネッガーに知事のアーノルド・シュワルツェネッガーが務まるだろうか。また、知事のアーノルド・シュワルツェネッガーが、アンドロイドのアーノルド・シュワルツェネッガーのように、みずから溶鉱炉のなかに身を投じることができるだろうか。

締め切り三日前になってもアイデアが浮かばないので、いちかばちか、乾坤一擲の策を講じた。まず近くのマーケットでパック入りの刺身の盛り合わせ(サケ、ハマチ、マグロ)を580円で買ってきた。また、刺身を単独で食べるのももったいないので、菊正宗の180mlパックを三つ買って、刺身で一杯やったのである。まあそれだけのことだ。アイデアとは関係ない。

                 ●

とにかくこの病は、気合が足らんといったような精神主義で解決できるような代物ではない。身の危険に対してすら無関心になってしまうのだ。現在やっている倉庫作業のバイトの雇用期間が明日18日で明けるので、次の仕事を探さなければならないのだが、仕事探しという、気が遠くなるほどの大事業に身を投じるのと、このまま何もせずに衰弱死するのとでは、どちらが正しい生き方であろうか、などという選択をどことなく本気で考えているから恐ろしい。しかもそれを恐ろしいと感じないところが、また恐ろしい。

昔から「春になると、おかしな奴が出てくる」と言われるが、けだし事実である。また春を代表する桜の樹の恐ろしさについても、坂口安吾や梶井基次郎が、その小説のなかで語っている。実際、満開の桜を見ると憂鬱になるという人が私の知人にいるのだが、それはその人が正常だからそうなるなのである。桜の障気に頭が冒されていることにも気づかずに浮かれている人たちこそが、基地の外なのだ。花見とは集団ヒステリーなのである。

ではなぜ日本では、そんな不穏な季節に、年度初めという大切な時期をもってきたのであろうか? ここまできたら、その疑問を素通りすることはできない。

明治初期、秋を代表する菊が日本の国花だとする政治家と、いやいや春を代表する桜こそが日本の国花であると主張する政治家が対立していた。そこで菊派の総帥、片山重護が公家との姻戚関係を利用して、当時の内閣総理大臣で公家の出である三條實美に秘かに接近し、菊を国花にと推した。しかしそれが、桜派の推進者、葛城國在の知るところとなり、政治対立にまで発展した。騒動の責任を取って退陣した三條實美に代って総理大臣職を継いだ山縣有朋は、日本の国鳥を鶴にしようと主張する一派を抑え、雉を国鳥に制定することで、菊と桜、両派の顔を立てることに成功したのだ。「雉も鳴かずば討たれまいに」とは、歌舞伎『鈴が森』の名セリフである。四月を年度初めにしたのにはそんな経緯があったのだ。

【ながよしかつゆき/太夫】katz@mvc.biglobe.ne.jp
作品名を明かしていいのかどうか判らないので、一応伏せておくが、少し前、ある映画の大阪ロケにエキストラ出演した。エキストラといってもけっこうおいしい役で、某男優ふたりが居酒屋のカウンターに並んで飲みながら話をしているすぐ横に座っているふたりのサラリーマンのひとりが私だった。カメラの角度が微妙で、ひょっとしたら写っていないかもしれないのだが、念のため、とにかく同僚と酌み交わしている役を一生懸命に演じましたとさ。これって、DTPでいうところの「塗り足し」みたいなもんですかな。ちなみに映画のエキストラの出演料の相場は5000円。

・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz > ブログ
・EPIGONE< http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Ework > 作品サイト
・ちょ〜絵文字< http://emoz.jp > au&Yahoo!ケータイ公式サイト
・アーバンネイル< http://unail.jp/ > ネイルアートのケータイサイト

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■デジアナ逆十字固め…[74]
コンパクトデジカメで水滴クラウン

上原ゼンジ
< http://bn.dgcr.com/archives/20080417140200.html >
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落下する水滴を写し止めるために、試行錯誤をしていた。水滴を一定間隔で滴下させるためのローラークランプを導入したものの、水に粘度を出すために、ローションを混ぜてみたら一発で詰まってしまい、装置は使えなくなってしまった。

分解して詰まっていたものを吸い出し、ようやく使えるようになったが、ローション作戦はもう使えない。しょうがないから、ミルクを使って試してみることにする。

しかし、私がやろうとしていたのは、水滴を使ってレンズにすることなので、レンズにならない牛乳の滴を写し止めても意味はないんだよね。自分の行動に少し疑問を感じながらも、せっかくローラークランプまで買ったんだし、なんでもいいから滴下させたいという欲望に後押しされ、ミルククラウンの実験をしてみることにする。まあ、これはこれで一度やってみたかったことではある。

実験の方法は、次のような感じ。

・複写台を使って、滴下装置を吊り下げる。

・滴下装置というのは、ペットボトルを逆さまにしたものから、チューブを伝って液体が落下するもの。途中に点滴なんかに使うローラークランプが付いていて、滴下量の調整ができるようになっている。東急ハンズで500円ぐらいだった。

・ストロボではなく定常光を使い、シャッタースピードを速くして、動きを止める方式を採用。

まず、問題になってくるのがピントだ。動きを止めることも重要だが、ピントもしっかり合わせたい。マクロだから被写界深度が浅いのでけっこう難しい。そこで考えたのは、ミルクが落ちる位置に画鋲を置いておき、そこにピントを合わせておくこと。

でも、ミルククラウンというのは、王冠型になるし、滴が跳ね返ったりもするので、けっこう奥行きが出てくる。被写界深度を広くしようとすれば、シャッタースピードは落とさなければならないし、ピント合わせはけっこう悩ましい。

しかし、繰り返し作業を行ううちに、画鋲なんかは使わず、滴下するミルクをファインダーで覗きながら、直接ピントが合わせられるようになってきた。まあ、心の眼でピントを合わせるというのかな……。

というような神業を会得したわけではなく、残像でもピントが合わせられるんだということを初めて知った。ぜひ、お試しください。

●やっぱりストロボがいい

やたらとシャッターを切り、それなりにミルククラウンっぽい写真を撮ることができた。フィルムであれば、そんなに浪費することはできないので、もうちょっと確実に写し止める方法が必要になる。そこで、落ちる瞬間にストロボを発光させるというような電子的な装置が利用されてきた。でもデジカメの時代では、気軽にミルククラウンの撮影ができる。

ただし、写した画像を拡大してみると、いまいちシャープではない。これは定常光の限界なのだろうか。もともとは、水滴レンズの向こう側にじっくりとピントを合わせたいという意図で定常光を使って撮影していたが、カチっと撮影したければ硬くて閃光時間の短いストロボの光のほうが当然いいだろう。

それから、被写界深度をもう少し深くしてみたいので、今度はコンパクトデジタルカメラを使ってみることにする。コンパクトなデジタルカメラは撮像素子(CCD/CMOS)のサイズが小さく、ピントの合う範囲が広くなる。マクロできっちりとピント合わせがしたい昆虫写真を撮っている人達は、こういった撮像素子の小さなデジタルカメラをうまく利用している。

ということで、今度はコンパクトなデジタルカメラ(リコーのGX100)を使って、ミルククラウンではなく水滴クラウンに挑戦。滴下装置は使わずに大きなスポイトを使って、自分で水滴を落とすことにする。

ここでも問題になるのがピント合わせ。まず、レンズから被写体までの距離を測って合わせようと試みるが、近すぎて物差しが入らない。そこで液晶画面を見ながら、ピント合わせを行うが、釣りのオモリの鉛板で水滴クラウン大の輪っかを作り、それにピントを合わせることにする。

ピントの合う範囲というのは、ジャスピンの位置から手前は浅く、向こう側の方が深くなる。そこで、鉛の輪っかの一番手前から少し奥寄りの部分にピントを合わせるようにする。そうすればクラウン全体にピントが合うはず。水滴を落とすスポイトはもちろん固定してあって、同じ位置に落ちてくるようになっている。

左手でスポイトをつまみながら、右手でシャッターを切る。水は一滴ずつ落とすのではなく、連続的に。そして、シャッターの方も連写にしておく。こうすれば当たる確率も高くなる。一滴ずつ落として、タイミングよく写そうと思っても、まあ無理。

作例はそうやってポタポタと水滴を落としたもの。一眼レフで撮影したミルククラウンよりも、クリアに撮影できた。

◇Zorg
< http://www.zorg.com/photo/zenji/ >

あまり深い水槽に水を落としても、きれいな冠型にはならない。まず、水が全然入っていない状態から滴下を開始すればいい。それと水滴を落とす位置も重要。うまく跳ね返らすためには、少し高いところからのほうがいい。

私が本当にやりたかったのは、水滴クラウンの撮影ではなくて、水滴レンズに写ったものの撮影なんだけど、とりあえず第一段階はクリアか。

【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/ >
◇「カメラプラス トイカメラ風味の写真が簡単に」(雷鳥社刊)
< http://www.maminka.com/toycamera/plus.html >

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■デジクリトーク
フリーの身で骨折して絵を描くのはハッキリ言って大変っぽい

武藤 修
< http://bn.dgcr.com/archives/20080417140100.html >
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フリーでイラストレーターをやっている武藤修です。

フリーと言えば何となくそれっぽい(どれ?)わけですが、結局仕事がなければ無職と同じ、病気や怪我して仕事が出来なくなればこれまた無職同然という、体が資本の職業です。

そんな自分の環境を思い知らされたのが今回の骨折で、手術とリハビリ生活の半年間がスタートした「フリーの身で骨折して絵を描くのはハッキリ言って大変っぽい」のお話です。

当日、週末の仕事も終え、プレゼンも通ったので、いつもならバスで出かける所を自転車に乗って出かけ、調子こいてバスと競争してたんですねー、いい歳こいてるのに。

抜きつ抜かれつのいい勝負でした(笑)。デットヒートの最中、歩道と車道の段差に前輪が捕まってしまい、走馬燈のように、いや、マトリックスのように時間の感覚がスローになり、前方に放り出される自分。

歩道に落下した私の上を、愛車が飛び越えていきます。体の左側面を強打し、しばし起きあがれず……。何とか立ち上がり左肘を触ってみると、思いっきり腫れてる、いや、異常に腫れあがってる。

その時点で骨折は覚悟し病院へ。結果は、「はい、左肘の骨折ですねー、入院手術になると思いますが、週末なので月曜日にもう一度来てもらって日程決めましょう。今日は帰宅して下さいねー。」

えっ、月曜日までこのまま? え、入院と手術? え………。めでたく人生初手術の運びとなりましたー。簡易ギブスしたのでじっと、ホントにじっとしている限り多少痛みは和らいでいるのですが、帰宅後横になれません。

しかも仕事色々入ってるんだよねー。目先の仕事は一本キャンセルだなー、クライアントには迷惑かけてしまい申しわけない。レギュラーの仕事はやらないといけないので、骨折当日も仕事しました。他の仕事も何とか納品したいし、病院でパソコン使えないかな。MacBookは持ってないけど、使えるなら買っちゃおうかなー。

まずは医者に交渉して、一日二日程度で退院させてもらわなきゃ。講師をしている学校も二回休ませてもらい、間近かの展示会も断念。自営業のつらいところですね。

幸か不幸か、週末のために即入院でなく中一日の猶予が与えられたので、翌日の日曜日に、入院中でも仕事なるべく進めるためにMacBookを購入。はい、骨折の翌日、奇しくも骨折前に自転車で向かった目的地の量販店にタクシーで行き購入しました。

この時点で入院の費用は出ていく、仕事は少なくなるので収入は減る、しかもMacBookを購入という出費も加わり、収入と支出のアンバランスさはピークに達しました。

そして月曜日に再診察。肘の複雑骨折で手術と入院(一週間から十日程)が必要ということに………。一日二日程度で退院させて、という甘すぎる考えは無理という事が判明。

医者「明日入院、翌日検査し、明々後日手術しましょう。局部麻酔は痛いこともあるので全身麻酔で。」
私「………え、全身麻酔ですか。ちなみに肩も打ったので、肩もすんごっく痛いんですが。」
医者「そうですかぁ、骨折はしていないと思うけ………あ、ここ、肩胛骨も骨折してますね」
結局左肘の骨折に加え、肩胛骨も骨折ということになりました。

個室も用意できると言われましたが、6人部屋をお願いしました。退屈な入院ライフ、普段は会えないような人たちと話ができたので、それに関しては正解でした。

入院中、手術前は検査以外は夕方までパソコンで仕事、しかし術前後24時間は点滴、そして麻酔医による麻酔事故に関する告知で軽くびびる……。手術当日はベットごと移動して手術室へ。裸でいろんな物を装着された後、点滴用チューブから麻酔剤を注入し10秒程で爆睡。気がつくと手術は終わり、左腕にはギブスされてレントゲン室へ移動。

意識もうろうのまま、その後は病室へ。当日夜は、隣の人の強烈なイビキと前の人のリアルな寝言と発熱で眠ることが出来ず、恥ずかしながら看護師さんに座薬で熱を下げてもらい、朝方にはウトウトと。

翌日はカテーテルも抜いてもらい点滴のチューブのみとなり、ちょっと楽になりましたが、点滴と言えば一度かなり空気が入ったんだよねー、極力入らない方が良いはずだけど、なんかこわかったな。

ちなみに腕にはワイヤーが大小数本入っており、抜糸に二週間、ギブス取るのに一か月、リハビリやって、ワイヤー抜くのは三か月後という予定でした。手術では、けっこう骨がバラバラになっていて、拾い集めてくれたそうですし、麻酔からなかなか目覚めなかったようで、予定の一時間半が二時間半かかったみたいですねー。

手術後は、ギブスの中で腕が腫れているので数日は仕事にならず、腫れがひいてからようやく仕事も出来るようになりました。で、保証のない自営業ですので仕事のためと頼み込んで、六日間で退院させてもらい仕事開始。

検診の時、肘よりも肩が痛いのでその事も言うと、緊張しているのでしょうね、肩は動かしてもかまいませんと、ギブスを持ち上げて上下左右に動かす……あの…私……肩胛骨、骨折してるのですけど??? はい、主治医は完璧に肩胛骨の骨折忘れてます。ちなみに、その後も検診時毎回忘れます。

手術した肘は憶えてるけど、肩胛骨はなにもしないので忘れちゃうんだよねーって……。肋骨同様ギブスはしないので、そのまま治癒するのを待つだけなのですけど、たまには思い出して欲しかったな。

そんな中でも、仕事はしないとますます収入がなくなり生活も出来ませんので、働きます。とはいえ、退院直後は体を動かすだけで腫れてくるので、クライアントには近所まで打ち合わせに来てもらうか、なるべくメールで終わらせることに。当時は多くの編集の方に来てもらいましたねー、そのままずっと来て欲しかったけど……。

右利きなので、絵を描くこと自体は致命傷にはならないことは幸いでした。それからギブス後気がつきましたが、左腕は小さく前にならえ状態で固定だったので、ショートカット使うためのキーボード操作はまったくできなかったんですよ。

なのでキーボードでショートカット使うために、ボルトと10円玉で重りを製作し「左指初号機」と命名、後に100円玉、10円玉、1円玉を重ねて、テープでとめた「零号機」を完成させ使用。時間はもの凄くかかりますが、利き腕でなかったためにクオリティーは落とさずに、何とか仕事出来ました。

約一か月後、無事にギブスも取れ、手首も動くようになりショートカットも押さえることが出来るようになりましたが、手首を中心にゴム手袋のように腫れ、腕は90度曲がった状態でほとんどそれ以上は曲がりません。伸ばすのは骨が痛むし……完全に筋肉固まってます。

手首も同様で、リハビリはやはり重要だと思い知らされてます。腫れのひいていない腕は、ほとんど別物のデフォルメされたデザインの腕のようになっておりました。

そして自宅での二週間のリハビリにもかかわらず、まったく動かない肘のため、病院通いのリハビリが開始。ビビリの私としては、うめきながらのリハビリイメージが出来上がっていましたが、マッサージで筋肉をほぐし、肩、腕、手首まで全体の運動を、どんな運動か説明を受けながらやるので案外と楽でした。

もちろん、曲げ伸ばしには多少の痛みはありますが、マッサージしながらなのと、先生の絶妙な加減もあり、「うっ」程度でピタリと止めます。いやぁー、何も知らないで曲げ伸ばしやっていたのとは違うね。自分的には曲げるより伸ばす時の方が激痛がおこりやすいので、心配していましたが、伸ばす方が結構伸びて、曲げる方がなかなか頑固だということも判明。

一時は、一生肘が動かないのでは……と思ったこともありましたが、努力のかいもあり、少しずつ曲げ伸ばしの角度が大きくなってきて、顔にも触れるようになる頃には、リハビリも楽しくなって前向きな気持ちに。

その後約三か月のリハビリも一応終了となり、曲げる方も伸ばす方もまだ完全ではありませんが、それなりに力を入れても大丈夫のようで、先生もリハビリ中ここまで力を入れることが出来るのは珍しいと誉めてくれました。

さぁ、最後は肘のワイヤーの除去手術です。局部麻酔の手術ですが、パンツ姿に手術着、手術台に寝て心電図装着、右腕には血圧計、足の指にも血圧計(?)を挟みます。局部麻酔だから、意識のある手術です。

ちなみに、右腕はというと、たまに痛がって患部をかばう人がいるのでと、マジックテープで手術台に固定されました。え、そんなに痛い場合があるんだ。しかし、全身麻酔の時もなかなか目が覚めなかったし、麻酔はよく効く方みたいで、まったく痛みなし!! ですが、押したり引いたりペンチで針金切って引き抜く時の振動など、何とも言えない気持ち悪さはありますね。

切開から縫合までは20分くらいだったか結構早かったですし、手術中も医者や看護師と談笑しながらの和やかな雰囲気。戦利品として、腕の中に入っていたステンレス製ワイヤーを二本もらってきました。

こういう急な事はこれからも起こりうるので、そのための備蓄は日頃から考えておかないといけないということは痛感しました(金銭的な蓄えは相変わらずないのですけど……)。

そして、もし腕の怪我が利き腕だったら、数か月間は仕事も出来なかったということ。レギュラーの仕事はなくなり、お世話になっているクライアントも離れてしまう、そういう現実もあったかもしれません。

体が資本の仕事では、不注意によるちょっとした怪我でも、仕事上の致命傷になる場合もあるし、ましてや歳を重ねるにつれ、病気、子供にかかる費用、そして親の介護問題も現実となる日は近づいています。

市の高額医療費補填、生命保険からの保険金なども入ってきますが、それでも今回はけっこう出費はかさみ、仕事も減らさなければいけない負の相乗効果。フリーの人間が安定した生活を送るためには、病気や怪我には細心の注意が必要と痛感しました。とりあえず、バスとの競争はやめることにします(笑)。

【むとう おさむ】イラストレーター
企業、雑誌表紙、ポスター等のキャラクターデザインや絵本制作を、3DCGやエアーブラシのタッチで手掛けています。他にはCM、番組タイトル等のアニメーションも。二年前に捨て猫を家族に迎え、すっかり犬派から猫派に変わってしまったのか、ネコ喫茶に行ったり、仔ネコを保護したり昔では思いもよらない経験をさせてもらってます。
e-spers会員。ディジタル・イメージ会員。日本児童出版美術家連盟会員。
< http://www.ne.jp/asahi/muto/hp/ >
E-mail:muto@o.email.ne.jp

・パソコンの上に置いているのが、ショートカット使うためにボルトと10円玉で制作した「左指初号機」です(笑)。使い方は想像できるでしょう。
< http://www.dgcr.com/kiji/20080417/01.jpg >
・肘の部分のみギブスを取りはずせるようになっていて、ギブスのまま抜糸したりしました。
< http://www.dgcr.com/kiji/20080417/02.jpg >

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■編集後記(4/17)

・都築響一の「だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ」という、開き直ったようなタイトルの本を読んだ(晶文社、2008)。ヤンゴンで撃たれて死んだ長井健司さんが言ってた「だれも行かないところは、だれかが行かなくちゃならない」がヒントだという。でも、著者は以前から、「やらなきゃならない」「自分がやらなきゃ仕方がない」と行動する編集者で、文筆家で、写真家である。写真を始めたきっかけは、作りたい写真集があるのに企画に乗ってくれる出版社がないので、仕方なく自分でカメラを買って撮り始めたのだという。シロウトのくせにいきなり4×5の大型カメラ。その後、悪趣味なB級スポットを撮り歩いた「ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行」で、木村伊兵衛賞を受賞するほどの腕前になっている。本当に読みたい本を全力で追い続けたいという本バカで、売れない本を作り、売れない本を買う、本まみれの人生を送る人。やわな趣味の読書人ではない。そんな壮絶な人の15年間の文章をまとめた一冊である。著者は、なるべく書評に取り上げられることの少ない本を世に出したいと、新聞や雑誌に書評の機会がある度に書き続けた。自分で本屋で探して自費で求めた本ばかりだ。その数ざっと160数冊、それも何冊も買った中から選んだ本だ。ほんとうにだれも買わない本かもしれない。初めて見る本がほとんどだ。わたしが知っている本はわずか9冊、持っている本は2冊(雑誌「マージナル」創刊号、「東京アンダーワールド」)しかない。それにしても、知られざるおもしろ本ってたくさんあるものだ。とくにひかれる本をリストアップして探すことにした。都築響一によれば「出会うべき運命の本ならば、いつか必ず出会う」そうだ。しかしこの本、ベストセラーとは縁がないような気がする(あまり売れないかも)。(柴田)
< http://www.shobunsha.co.jp/tsuzuki1.html >
都築響一、自著を語る(晶文社ワンダーランド)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794967233/dgcrcom-22/ >
アマゾンで見る

・人間の体は水分が多いらしい。エステに行けばウエストを一時的に細くすることはできる。筋肉だって二~三週間鍛えれば、目に見える効果が出る。しかし柔軟運動は数週間程度じゃさほど効果出ないんだよなぁ。武藤さんのコラムを読んで、中学生の時、指の手術をしてギプスを一ヶ月ほどしていたのを思い出した。とった時には、指が動かなくなっていて、リハビリに数ヶ月を要した。動かない指は自分のものじゃないみたいだった。人間、怠けたら、いくらでも退化するんだなぁと実感。適応力があるとでもいいましょうか……。事故や病気は自営業にとって一番怖いものだよなぁ。(hammer.mule)