[2463] 中年男女の抑えに抑えた忍ぶ恋

投稿:  著者:  読了時間:26分(本文:約12,800文字)


<脳がケータイに合わせて退化しちゃってる>

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 中年男女の抑えに抑えた忍ぶ恋
 十河 進

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■映画と夜と音楽と…[382]
中年男女の抑えに抑えた忍ぶ恋

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20080711140200.html >
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●関川夏央さんと川本三郎さんの新刊は「昭和」もの

5月に出た関川夏央さんの新刊「家族の昭和」(新潮社)を書店で探してもなかなか見つからなかったので、アマゾンで検索したら川本三郎さんの「向田邦子と昭和の東京」(新潮選書)もヒットした。「この本を買った人は、こんな本も買っています」という例の奴だ。川本さんの本も4月に出たばかりだった。アマゾンは確かに商売上手である。

関川さんの新刊は出ると必ず買うけれど、川本さんの場合はテーマと値段によって選択買いすることが多い。どちらにしても、関川さんと川本さんの本は僕の書棚で一段を占めている。それに、今回はふたりとも向田邦子さんについての本だ。買わないわけにはいかない。

幸いなことに、僕は向田邦子さんのドラマもエッセイも小説も同時代で体験できた。すべての本を読んでいるし、亡くなってから出た弟の保雄さんが書いた「姉貴の尻尾」や妹の和子さんが書いたものも読んでいる。数年前には「向田邦子の恋文」という本が出て、これも読んだ。

もちろん向田邦子さんのドラマを演出し続けた久世光彦さんの「触れもせで」も読んだ。向田邦子さん関連の書籍は多いが、半分以上は読んでいる気がする。僕は向田さんが編集者として勤めていた雄鶏社の「映画ストーリー」の編集後記をまとめたものさえ読んでいる。ここまでくると、完全な「おっかけ」に近いファンだと思う。

向田邦子さんのドラマを最初に見たのは「七人の孫」(1964年)だった。デビューしたばかりのいしだあゆみが可愛かった。ラジオで森繁久彌の「重役読本」もけっこう聴いていた。それが向田邦子さんの仕事だと知るのは、ずっと後のことである。向田邦子という名前を意識したのは、「だいこんの花」(1970年)だったか、「寺内貫太郎一家」(1974年)だったか、その頃のことだと思う。

しかし、明確に「向田邦子」という名前でドラマを見たのは「阿修羅のごとく」(1979年)だった。今でも耳について離れない、あのトルコの行進曲…。タイトルバックから流れる、あの曲と共に八千草薫の夫の浮気を疑う沈んだ表情が甦る。娘の役は、まだ少女だった荻野目慶子だった。

その頃の「家族熱」「冬の運動会」「幸福」「蛇蝎のごとく」「あ・うん」などは、"向田邦子のドラマ"として見た。特番のドラマだった「隣りの女」は、どちらかと言えば向田さんの小説のドラマ化という意識で見た。桃井かおり、根津甚八、浅丘ルリ子が出演した大人のドラマだった。

印象深いシーンはいろいろとあるし、記憶に残るセリフも多い。「家族熱」では、先妻の残した食器類を少しずつ壊し、何年もかかってすべて入れ替えた現在の妻の心境が「女性作家らしい繊細なセリフ」で伝わってきた。後妻の役は、浅丘ルリ子。彼女をかばう血のつながらない息子が三浦友和だった。

「隣りの女」では、壁越しに聞こえてくる谷川岳までの電車の駅をひとつひとつ言ってゆく根津甚八のセリフ(?)が忘れがたい。隣りの女(浅丘ルリ子)のあえぎ声などという通り一遍のものではなく、男がひとつひとつリズムを刻むように数えていく駅名だけで、盗み聞きをしている主婦(桃井かおり)の心が騒ぎ始めるのが伝わる。名人の技だった。

●生きていれば今年で80歳になる向田邦子さん

向田邦子さんが今も生きていれば、今年で80歳になると川本三郎さんが書いていた。ちょっとショックだった。80の向田邦子さんは、とても想像できない。キリッとした表情で少し顎を上げた美しいポートレートが、今も出版社のサイトに掲載されている。ちょっと怖そうな、厳しそうな女性である。

昭和4年(1929年)、現在の東京都世田谷区若林で向田邦子さんは生まれた。昭和55年(1980年)に直木賞を受賞し、その翌年の夏、台湾で航空機事故に遭い亡くなった。岸本加代子の思い出話だったろうか、台湾旅行に出かける直前、「加代子、今度は『続々あ・うん』やるからね」と言ったという。岸本加代子が演じた「あ・うん」のさと子は、向田邦子さん自身だった。

向田邦子さんは満51歳で亡くなった。あの夏、台湾で旅客機が墜落したニュースは、乗客名簿に「ムコウダクニコ」の名があったと判明した頃から大騒ぎになった。僕もひどく衝撃を受けたのを覚えている。愛読する作家であり、熱心にそのドラマを追っかけた脚本家であり、そして何より名エッセイストだった。

僕は向田邦子さんのエッセイの中で、彼女が父親の転勤で一時期、高松市に住んでいたことを知った。鹿児島時代の後であり、東京に戻る前である。自宅は高松駅の近くだった。自宅の二階から見下ろすと、玉藻城の広い庭で兵隊が訓練していたというエピソードが書かれていた。向田邦子さんは10代半ば。向田さんを少し身近に感じた。

向田邦子さんは、高松の県女に通っていた。戦後、近くにあった高松中学と合併して新制の高松高校になる。僕の高校時代、ある教師から「この校舎は昔、県女だったから生徒の身体が冷えないように母性保護の観点から床下におがくずを詰めているんだ」と聞かされた。僕は、向田さんが学んだ同じ校舎で学んでいたのかもしれない。愛読者としては、そんな他愛のないことも嬉しかった。

昭和50年、彼女が直木賞を受賞した年。僕は出たばかりの「幸福」という短編を読んだ。自分のわきがを気にしているヒロインの視点から物語が始まる。いきなり恋人に抱かれるシーンだった。彼女は自分の恋人が、かつて姉と関係があったのではないかと疑っている…、そんな小説だった。大して長くはない。

しばらくして、「幸福」はワンクール続く連続ドラマとしてTBSに登場した。岸恵子の姉に中田喜子の妹、旋盤工の恋人は竹脇無我、その妹が岸本加代子、岸本加代子のボーイフレンドに本間優二と登場人物は増え、物語は発展していた。岸恵子は、昔、竹脇無我の兄の恋人だったのだが、兄は岸を捨てて出世のために上司の娘と結婚した。その結婚式の日、たった一度だけ竹脇無我は岸と寝たのだ。

面白かったのは、姉妹の父親役の笠智衆である。昔は校長先生をつとめた男だが、今はどこかの観光地で若い女(藤田弓子)と暮らしている。彼らは一時預かり所を経営しているのだが、少し惚けた笠智衆が客の荷物を開けようとして困る、と女が姉妹に訴える。名優・笠智衆の惚け老人の演技が印象的だった。今から思い出しても贅沢なキャスティングだったと思う。

竹脇無我の兄は、物語が後半に入ってもなかなか登場しない。誰が演じるのか気になった。その妻が義弟を訪ねてきたりするのだが、視聴者を焦らすように兄はなかなか出てこない。とうとう山崎努の兄が登場したとき、僕は「おおっ」と声を出した。それに、津川雅彦が演じた岸の幼なじみの中年男も印象的な役だった。魅力的な中年男たちを描くのは、向田さんの十八番である。

●テレビ版「あ・うん」のふたりはバランスがとれていた

「あ・うん」は昭和55年(1980年)の3月にNHKで4回にわたって放映された。「続あ・うん」は翌年の5月から6月にかけて、やはり4回にわたって放映された。先ほども書いたように、向田さんは「あ・うん」の続編を書くつもりだったが、その2ヶ月後には不帰の人となったのである。

「あ・うん」は、ふたりの中年男の物語である。勤め人の水田仙吉と成功した実業家である門倉修造は、兵役にとられた時の寝台親友である。水田の妻たみは、ふたりの友情を見守りながらも門倉に惹かれている。水田は、そんなたみの気持ちを知っていて、「俺が死んだらたみを頼む」と水田は口にする。門倉の妻は、そんな3人に嫉妬し、水田の娘さと子は両親と門倉のおじさんの関係に大人の世界を垣間見る。

視点は、さと子に置かれる。さと子のナレーションが効果的に挿入されるのだ。最初のシリーズでは、さと子は観察者である。「続あ・うん」になって、さと子自身の物語が動き出す。見合いした相手と恋に落ちたさと子は、相手が熱中しているプロレタリア演劇に肩入れしたりする。

その恋人に徴兵令状が届き出征の挨拶に水田家にやってきたとき、怒る水田を制して門倉は「さと子ちゃん、今夜は帰ってこなくていいよ」と送り出す。はたでオロオロするたみに、門倉は力強くうなずく。このシーンを僕はよく憶えていて、門倉を演じた杉浦直樹の表情さえ思い出せる。

水田はフランキー堺、たみを吉村実子が演じた。フランキー堺と杉浦直樹というキャスティングは、実にバランスがとれていたと思う。若い頃、二枚目で売った杉浦直樹、若い頃にコメディアンとして主演作を何本も持っているフランキー堺。それに「豚と軍艦」(1961年)で注目されたが、しばらくテレビにも映画にも出ていなかった吉村実子。姉の芳村真理の方が有名だった。

周りの配役も豪華だった。華やかというより、贅沢なキャストである。芝居上手ばかりが的確な役に配置されていた。門倉の妻は岸田今日子、門倉の二号は池波志乃だった。水田とは不仲の父親役を志村喬が演じた。「続あ・うん」でさと子の見合い相手を演じたのは、若き永島敏行である。

当時、僕は30を目前にした時期だった。子供はまだいなかった。会社に勤めて6、7年たった頃である。水田も門倉も大人に見えた。だが、彼らの設定は43歳である。もちろん戦前の43歳は、今よりもっと大人だっただろう。しかし、今の僕と比べてもずっとずっと大人に思える。

「あ・うん」は、平成元年(1989年)に映画化が発表された。その話を聞いたとき、そして、主演が高倉健であり、久しぶりに映画に復活する藤純子がたみを演じると知ったとき、僕は複雑な気持ちになった。まず、テレビ版が素晴らしかったために、どんな映画もあれを越えられないだろうと思った。

それと同時に、僕らの前から引退という名で姿を消した藤純子が再び映画に出ることに関して納得がいかなかった。大学時代、級友のMは「さよなら、お竜さん」と泣き、同人誌に「彼女が結婚前に妊娠しているなんて嘘だ。本当だとしたら処女懐胎に違いない!」と悲鳴のように書いた。

藤純子は緋牡丹博徒「姓は矢野、名は竜子」であり、それ以外の何者でもなかった。彼女が高倉健と一緒に出る映画は「緋牡丹博徒・花札勝負」(1969年)の他にあってはならなかった。加藤泰監督の名作である。相合い傘をしたお竜さんと着流しの流れ者(高倉健)をローアングルで捉えた画面の奥を蒸気機関車が走りすぎる…。おお! 情感に充ちた名ショットよ!

そんな、お竜ファンを考慮したのかもしれない。藤純子は別人の富司純子(ふじ・すみこ)となって、僕たちの前に現れた。そして「新・網走番外地」シリーズ以来「冬の華」(1978年)「駅 STATION」(1981年)「居酒屋兆治」(19 83年)「夜叉」(1985年)と、まるで高倉健の専属監督のようになった降旗康男が「あ・うん」を撮ることになったのだ。

映画版「あ・うん」は、門倉修造の映画だった。水田を演じたのは板東英二。彼と富司純子が夫婦では、僕も納得がいかない。板東英二のコメディアンのような演技では、水田が軽すぎた。だから、よけいに高倉健演じる門倉の男としての華がスクリーンに咲き誇り、さと子(富田靖子)さえも門倉のおじさんになびいてしまいそうに見えた。

それでも、テレビ版では抑えに抑えられていたたみの門倉への思慕の念が、映画版では明らかにされたのだ。門倉が忘れていった帽子をかぶってふざけていたたみを、忘れ物に気付いてもどってきた門倉が見てしまう。そのシーンは、向田邦子さんのオリジナルではなく脚色だったけれど、「ああ、『あ・うん』とは、こういう話だったのか」と思わせた。中年男女が抑えに抑える、忍ぶ恋である。

その脚色を向田邦子さん自身がどう思うかはわからないが、自らも脚本家だった向田さんは笑ってすませるような気がする。それにしても、なぜ、あんなに中年男の心理を的確に描写できたのだろう。僕は、今では向田邦子作品の登場人物たちの年齢を上回る。いや、いつの間にか向田邦子さんの年齢を追い越してしまった。それでも、日々、惑うことばかりだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
先週の原稿で訂正メールをいただいた。「広島県加茂郡」は「賀茂郡」の間違いです。また「太陽を盗んだ男」では本物のお札はばらまかなかったとのこと。後者のご指摘は、エキストラとしてデパートの場面に出演した方でした。ありがとうございました。やはり、本物をまいたというのは後から作られた伝説だったか…、残念。それともう一点。「福井春敏」さんは「晴敏」さんです。いかんなあ、気をつけよう。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■Otaku ワールドへようこそ![77]
兆候

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20080711140100.html >
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私のコラムは長すぎるらしい。いや、自分でもそんな気はしていたし、実際どんどん長くなっているんだけど、この前、昔のNOVA高田馬場校の仲間と北京ダックを食いにいったとき、はっきりと言われちゃって、うんうん、やっぱりそうだよね、と思った次第です。

というわけで、反省を示して、今回はこれで終わりにします。……とか言ってると、「極端なんだよ」とまた文句を言われそうなので、もうちょっと書きますが、無理にひねり出そうとがんばったりせずに、ふだん頭に勝手に浮かんでくるよしなしごとをささっと吐き出して、終わりにしましょう。

今、「終わり」と打とうとして、画面に出たのは「お笑い」だった。だいじょうぶか、俺。……ってなこと言ってるうちに、もうこんなに行数を使ってしまってるあたり、ちょっと不安ではありますが。もうちょっと書いたら、ほんとに終わりにしますです。

しかし、まあ、こっちにも言い分はありまして。何でこの程度のものがそんなに長く感じられるのか聞いてみると、ケータイで読むのに長すぎるのだという。は? そんなこと、考えてもみなかったよ。私はまだ使ったことがないのだが、世の中では、今、ケータイとかいう道具が流行っているらしい。

まるで疎い方面について、ああだこうだ述べるのは危うい感じがしなくもないけど、仮説としてあえて言わせてもらうと、この程度の文章が長く感じられるとしたら、それはひょっとして、ケータイのほうの機能がまだまだ貧弱だから、ってことではあるまいか。いやいや、十分間に合ってる、という人がいたとしたら、もしかして、脳がケータイに合わせて退化しちゃってる、なんてことは、ないかな? 「ゲーム脳」がどうしたこうしたと憂いている御仁は、ついでに「ケータイ脳」についても心配してみてはいかがだろうか。

ネットの掲示板への書き込みや、ブログやミクシィの日記へのコメントなどを見ていると、時々、10行ばかり書いて「長文失礼しました」と結んでいるのがあるけど「短文失礼しました」の間違いではないかと思えてしまう。そんなのを見るにつけ、ますますケータイを持とうという気がくじけるのだけれど、そんなこと言ってると、世の中の流れからますますずれていっちゃうのだろうか。どっちへ転んでも、不安だ。

●もし最後なら言っておきたいこと……うーん、特にないか

このところ、どういうわけか、街行く若い女性がみんなきれいに見える。モンシロチョウの大群じゃあるまいし、客観的にみて、世の中の女性がまるでさなぎから羽化するかのように、みんないっせいに変貌を遂げるという現象が起きたとは考えづらいから、たぶん原因は眺めてるこっちの側にあるのだろう。はて、何か、悪い兆候だったりしなければよいが。

前に一度書いたことがあるが、私は以前、C型肝炎を患っていたことがある。中学時代に輸血を受けたことがあって、あのころはまだ、A型とB型以外にも何かあるようだとだけ分かっていて、非A非B型と呼ばれていたが、ふるいにかけることはできていなかったので、そのときに感染したのだとしたら、まあ仕方があるまい。ところで、この病気は 20〜30年潜伏し、その間は無症状で、黄疸などの症状が出てきたときには肝硬変になっているという、怖いものである。

実際、無関係なことで調子が悪くて血液検査を受けたことによって偶然に感染が分かったのは、30歳の少し手前のころである。自覚症状はまったくないことになっているのだが、不思議なことに内部からの声のようなものが聞こえていた。「おまえは30歳まではもたないから、やりたいことがあったら、今のうちに済ませておけよ」と。んで、なんとなくそのつもりで生きてきた。20代のうちに結婚して離婚して、さてと思っていたら、病気が見つかり、ああこれだったか、と。

幸いなことに、インターフェロンの治療が功を奏して、血液1ミリグラム中に何万匹かいたというHCV(ウィルス)は、すっきり退治することができた。発見された時点での完治の確率は、半々であったとのこと。ここ一番のときに当たりくじが引けたので、後は全部はずれでもいいや、という気分。

まあ、そんなことがあったので、また、悪い兆候でなければいいが、と落ち着かないのである。「そろそろ迎えに行くからな」ってことなのか? 先が長くないのはもうどうにもならないのだから、せめて、種の保存のために、子孫だけは残しておくように、という本能の指令が下って、急に三次元の女性がきれいに見え始めたのだろうか、などと考えちゃうのである。

さて、最悪のケースを想定して、もし今回のが私のコラムの最終回になるとしたら、何か言い残しておかなくてはならないことはあるだろうか。いやもう、すでにクソ長いコラムを76回も書いてきた身としては、言いたいことはだいたい言い切っている感じで、今さら特には、ありませんなぁ。

●しかし、アキバの事件のことは、やはりもう一言

秋葉原で加藤智大が突いたダガーナイフは、私の中にまだぐっさりと刺さったまま、そんな気分。その後の各週刊誌の関連記事はなるべく読むようにしている。今まで、凶悪犯罪が起きると、それに対する反応として、刑罰を重くしよう、防犯カメラを増やそう、善悪を学校でしっかり教えよう、犯人と同じカテゴリでくくれる人たちに気をつけよう、といった、他者に厳しい意見が多く聞かれたが、今回の事件に関しては、犯人がネット上の掲示板に大量のメッセージを残していて、心のありようがどんなふうであったか、ある程度世間に知られたという事情もあってか、もっと広い角度から論じられているような空気が感じられる。

特徴的なのは、このような犯罪を生み出してしまう社会の側にも、どこか病んだところがあるのではないかという反省の姿勢がずいぶん見られることである。派遣労働のあり方への見直し論、格差社会や「自己責任」論への疑問の投げかけ、日本はいわゆる「負け組」に対して世界一冷たい社会なのではないかという意見、日本はいずれスラム化するのではないかという懸念、自殺問題に対する要因分析や社会福祉的なアプローチの模索、などなど。

この傾向は、歓迎すべきことだと私は思う。今まで、重箱の隅をつつくように他人のあら捜しをしたり、ことあるごとに責任者をつるし上げ、地へ叩き落としてきたけれど、結局、世の中はちっともよくなっていかなかった。確かに、他人に厳しい意見というのは、自分は正義の側に立った上での、善意から発せられる、極めて正論ではあるのだけれど、悪いことはすべて他者のせいにしてかたづけるような姿勢では、かえって社会のある側面が覆い隠されて、問題の本質への踏み込みが浅くなってしまいそうである。

一件の事件としてみれば、無関係な人が責任を問われるいわれはないのだけれど、こんな事件が起きるような社会を作り出してしまった、その社会の構成員としてわが身を振り返るとき、まったくの部外者としてガラス越しに眺めている見物人でいるわけにもいかないような気がする。

そんなことをエラそうに言っている私のほうこそ、言いっぱなしで何もしないのでは無責任きわまりなく、実際の行動として具体的に何かできることはないだろうかと考えるのだが、特にこれといって思いつかず、途方に暮れるばかりであるのがもどかしいのだけれど。

事件の関連でいろいろ読んだ記事の中で、特に感銘を受けたのは、6月18日(水)付けの日経ビジネスオンラインの伊東乾氏の記事「無差別殺人はいつ起きるか? ルワンダから秋葉原を考える」である。
< http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080617/162350/ >
再発防止へとつなげていくために、司法がどう取り組むべきかを、「修復的正義」という観点から提案している。

その前の回の6月12日(木)の「『修復的正義』はいかにして可能か?」
< http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080610/161342/ >
で、ルワンダに滞在して大虐殺からの復興を取材する中で、「応報的正義」と「修復的正義」を対比させ、それはたとえて言えばおまじないと医学ほどに違う、と主張している。私も漠然と感じていたことを、きっちりと言っていただけた感じで「これだ、これだ!」と雲が晴れるような爽快感を得た。そしたら、次の回ので、秋葉原の事件を取り上げて、再発防止の観点から「修復的正義」がいかに大事かをより明確にしている。

すばらしい記事をありがとうございます。……と、これを言っておけば、急に上(あるいは下?)のほうからお呼びがかかったとしても、ずいぶん軽い気分で旅立てるかな。お互いに疑いあい、細かく監視しあい、厳しく糾弾しあう冷たい社会から、協力しあい、気を許しあえる、安心感のある暖かい社会へと方向転換するような動きが出てきたのだとしたら、まあ少しはほっとした気分で上から眺めていられるかな。下からでもいいけど。

●伝家の宝刀ではなかった「自己責任」、そろそろ鞘に納めては?

よく夢の中で、もしこんなことが起きたら怖いだろうな、とふと思った瞬間に、それが起きているということがある。現実の社会にも、どこかそういうところがあって、人々の間に漠然とした不安が広がっていくと、実際にその不安が間違っていなかったことを裏付けるかのような、よからぬことが起きてしまう、という妙なメカニズムがはたらいていたりはしないだろうか。

どうも物騒な世の中になってきたな、とみんなが思うようになると、実際、物騒な事件が増えるとか、同じ人間どうしなのに、人が何を考えているのか分からない、不気味な社会になってきたな、とみんなが感じると、ますますお互いが魔物のように見えてくる、みたいな。

「自己責任」という言葉は、もとはと言えば、戦争中のイラクへ個人的に出かけていった学生が人質にとられ、救出するのに日本政府が一苦労したときに出てきたのではなかったかと思うが、そのうちあらゆることに適用され、ついには、おまえの生活が思い通りにいかないのは努力を怠った自分が悪い、文句を言うな、と不満を封じ込める呪文として流通していった。

不思議に思ったのは、格差が拡大しつつある社会にあって、負け組の側に入れられて割りを食いそうな人たちが、この自己責任の概念をさも美徳であるかのように支持したことである。もしかして、社会の下層の人々が、もっと下層の人々を突き放して憂さ晴らしをする、いじめの呪文として便利だったってことはないかな? いずれ自分が立ち行かなくなったとき、そうだよね、これは自己責任なんだから仕方がないよね、と納得する準備はできているのかな?

日本の食料自給率は、40%を割っている。供給が安定しているときはそんなに危機感はないかもしれないが、もし世界的な天候不順や政情不安定に見舞われたりすれば、どの国も輸出している余裕はなくなるから、輸入量はほぼゼロに落ち込む可能性がある。国内生産量を維持できたと仮定しても、総量は40%に減る。

このとき、日本人全員が、食う量を40%に抑えて我慢すれば、なんとか生き延びることはできるかもしれない。けれど、自由経済の法則でいけば、食料の価格が高騰し、金持ちは懐を痛めつつも食う量は維持できるけど、貧乏人は買えなくなる。このとき、自己責任なんだからしょうがないね、って納得してくれるのだろうか。

学生時代に猛勉強して高い学歴なり難しい資格を獲得しておくとか、何かに打ち込んで特別の技能や芸を磨くとかしておけば、それなりの収入にありつくことができたはずなのに、それを怠って、好きなことばかりやって遊んできたのは、すべて自分が悪い。そう納得して静かに餓死していきました、っていうのなら、「自己責任」を一度は支持した以上、論理的に一貫した態度であり、美談に値すると思う。が、たぶん、実際にはそうはならないだろう。

腹が減ったときのイライラは、理性で抑えられるもんじゃ、ないよね? だけど、こういうときだから、みんなで食う量を40%にして、お互いに我慢しあい、譲りあってしのいでいきましょう、というふうにならなければ、日本社会は混乱して自己崩壊してしまうだろう。システムまかせの、協調なき社会は、何かの折に脆弱さを呈してしまわないだろうか。

格差社会というけれど、半々に分かれて、上はさらに上へ、下はさらに下へと分離していっているのではない。砂時計の砂のように、さらさらさらさらと上から下へ、人が落ちていっている。何とか勝ち組に残っていられても、しがみついているのが、なぜかだんだん苦しくなってくるのだ。今に砂が全部下へ落ちたら、日本は何もできなくなって、沈没する。

あっ。……。今ふと頭に浮かんだんですけど……。これはさすがに、言うのも怖い。みなさん、落ち着いて聞いてくださいよ。ひょっとして、薄着になったってことなのかも。兆候って、もしかして、夏の兆候? ……だったりして。キャミソールふうのひらひらした格好が流行っているようでもあるし。モンシロチョウの大群って、それだったかぁ。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。ああ、私は短く書けない体になってしまったのでせうか。これでも、いろんなネタを切り捨てたんですよ。また山へロケハンに行ったら、見たこともないすばらしい景色に遭遇できて感動したけど、行程があまりにも危険なのでガイドブックなどで紹介されることはないのだと納得したこととか、アキバ系地下アイドルのライブを見にいき、ヲタ芸を超えたとうわさに聞くFICE芸なるものを見て、長生きしてよかったと思ったこととか、ある劇団から宣伝用の写真を撮ってくださいと頼まれたんだけど、これがゴシック系というかホラー系というか、べったりと血糊のついた白いワンピの女の子が金属廃材を武器にして構えているシーンだったりして、下手なところで仮装ゲリラやったら全国区のニュースになっちゃうよなぁ、どこにしようかと悩んでることとか、江戸川乱歩を初めて読んだけど、これが面白くて、「名探偵コナン」の青山剛昌が表紙絵を描いたら面白いんじゃなかろうかと思ったこととか、関連で、皆川博子を読んでみたいと思っていることとか。ま、ぜったいに言い残しておかねばならぬ、ってほどのもんじゃないですがね。これじゃ、言葉の下痢だ。

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■編集後記(7/11)

・新聞広告では、大きなモナ・リザの顔が「右半分は女性? 左半分は男性?」といったヒントで登場して大目立ち、TVCMもばんばんやっている。パートワーク(分冊百科)創刊号特別定価購入マニアのわたしは書店に走る。講談社から出版された「週刊世界の美術館」の創刊号「ルーブル美術館(1)」全館MAP付きで290円。期待以上にいい出来だ。印刷がじつに美しい。編集がじつにうまい。このシリーズの特徴は、各美術館で必見のベスト3を、クローズアップや鑑賞のポイント付きで紹介。作品にまつわる謎や背景、技法上の特徴などをわかりやすく解説。さらに、「比べて分かる!名作の裏側」「名画ギャラリー」「見落とせないこの1点」「美術館の歩き方」など、ビギナーにも楽しめるポイントを絞った構成だ。この号のベスト3は、モナ・リザ、ナポレオンの戴冠、サモトラケのニケである。ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」ラファエロの「美しき女庭師」アングルの「グランド・オダリスク」などおなじみの作品も大きな画面で登場する。レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯の記事もある。この本は美術館を歩く時の絶好のガイドだ。わたしも大英博物館、テート・ギャラリー、故宮博物院には実際に行ったことがあるが、何を見て来たのか、完全に記憶がない。あの頃こんなガイドがあったらなあとつくづく思う。全80巻のうち日本の美術館も10くらい出て来るようだ。もう海外に行くのは億劫なので、このシリーズの日本の美術館くらいは、読んでから見に行こうかと思った。本文のレイアウトもきれいで、めりはりがあって細いケイが効果的に使われている。ひとつだけ気に入らないのは本のタイトル書体だ。漢字はたぶん視覚デザイン研究所のアドミーンであろう。このファンシー書体が、歴史ある美術館にふさわしいかというと、ちょっと疑問だ。(柴田)
< http://sekabi.jp/ > 週刊世界の美術館

・携帯ワンセグで朝ズバッをかけていた。7時数分前から表参道のソフトバンクに中継映像が切り替わり、さあこれからカウントダウン。と、急に電波が入らなくなり、アンテナをこきこき触ってやっと繋がったと思ったら、お店の遠景とみのさんの顔。か、肝心なところがっ! これはドコモの妨害かっ?(なわけない) 初日で売り切れるのではという話だ。iPhoneのためだけにソフトバンクに乗り換えた人、多いんだろうなぁ。/日本は目玉。インドやニジュールはロボットの目みたい。ちょっと眠そうな。ブラジルのも。(hammer.mule)
< http://www.apple.com/jp/iphone/countries/ >  日本は目玉