うちゅうじん通信[28]うちゅう人とオバケ
── 高橋里季 ──

投稿:  著者:


夏も、もう終るかな。ということで、オバケの不思議を今日は考えてみました。私には恐怖体験っていうのは、あんまりないけど。

《オバケに注意》のマークを作ってみました。カワイク描けたので見てみてね。このマークをダウンロウードして、お守りにしよう! 高橋里季の「ご無事を祈る念」を入れておきました! 効きます。

携帯用



子供の時に、子供が川のまんなかにボンヤリずいぶん長いこと立っていて、遊んでいるふうでもないけど、あの辺は浅瀬なのかしら、どこの子かなぁと思って見ていて、あとでオトナに「あの辺は深いから近付いちゃイケナイよ。」って教えられて怖くなったとか……。

海の帰りに友達と車で走っていて、「このトンネルは、有名な心霊スポット、事故があったんだって。」なんて話を聞いていたら、車内にあった小型テレビが、いきなりスイッチ入っちゃって、びっくり。私が手を伸ばしてスイッチを入れられる場所にあったんだけど、「え〜? なんで? わたし、つけてないもん。」で車内全員蒼白。いっせいに「はらいたまえ! きよめたまえ!」って、リアクションが同じな似たもの同士の小旅行。

私はその日、海に沈んでいた酔っぱらいのオジサンを踏み付けて、「やだ〜、なんかサメの死骸みたいな感触〜」って思ったら、オジサンが浮かんできたので、走った走った友達のいる砂浜まで。「オジサンが死んでる〜!!!」っていうことで、救急車を呼んだけど、あとはタオルにくるまって泣きそうになっていて、友達に「オジサン死んでた?」って聞いたら、「大丈夫だったよ。」って言ってたけど、まあいいや。

そういう恐い体験は今までの人生でも二回だけ。それよりも、誰かのことを不意に思い出したら、その人から電話が来るとか、その人特有の光の形があって、その人から連絡が来る前に必ず見える(最初は目の病気かもと思っていた)とかは、日常。あ、フェデリコ・フェリーニが死んだな、と思って悲しくなって映画好きの友達に電話をかけると、翌日にフェリーニ死亡のニュース。「なんでわかったの?」って言われても、わかるものはわかってしまうの。こういうことを書き出すと、きりがない感じ。

ところで日本の怪談は、恨みや怨念という情念の話なんだけれども、ちょっと視点を変えると、合理的なお話だと思うの。

恨みを簡単に言葉にすると、「私は悪くないのに、あなたのせいで傷つけられて、しかもあなたはそれをどうもよくわかってない(謝る気も後悔もしていない)らしいのを私は怒っている。」ということかな、と思います。だから、どっちが悪いか、こんなことになったのは、誰のせいなのか? という事。

つまり、その時代時代の、私のおかれている状況は悪い状況であるとか、どっちが悪いのかという合理念の問題なんですね。その時代の理念に合った言い分は、どっちなのか、はっきりさせる話。

ユングは、感情とは、合理的なことがらだと書いていたと思いますが、私もそう思います。つまりオバケの言う「恨み」の言い分を聴衆が「もっともだ」と納得しなければ怪談にならない。「お化け」って書くだけでも恐い私。なのでオバケって書いてみたりして。

たとえばオバケが「あなた、クイズの答えを知ってたくせに、ちゃんと応募してくれなかったでしょ? もしかしたら家族旅行が当たったかもしれないのに、恨みます〜」って出てきても、本当に恨んでるんだか、冗談なんだか、ピンとこない。

ゲゲゲの鬼太郎の妖怪をどこかユーモラスに感じるのも、現代人だから、昔の理念や常識が、ピンとこない部分がたくさんあるからだと思います。毎日、テレビで天気予報を楽しく見ていたら急な夕立ちも、「あ、予報が当たったな。」くらいのこと。何か良くないことの前ぶれ、妖怪のおでまし? って、あんまり考えないものね。

だから、恨みや罪って、時代性や世論を確認するような事柄で、今、何が罪になるのか、怪談で説明するような感じなのかもしれない。そんなことしたら、恨まれて当然だよね、っていう認識、了解事項の確認をみんなでする感じ。

たぶん、戦時中なら食べ物の恨みは、本当に怖かったかもしれない。ひと昔前なら、女性の嫁ぎ先の問題とか、女の身の置きどころみたいな事が恐かったかも。今だったら人間関係や受験や出世の失敗が怖いのかもしれません。

昔むかしには、病人や狂人や殺人鬼も、「妖怪に取り憑かれた人」ということで、共同体全体でひっそりと面倒をみるような「罪を憎んで人を憎まず」な感じがあったらしいと思うんだけど、現代の多すぎる人口を思えば、そんなことは、もうできないのかもしれません。どうもこの辺のことは、パーセンテージではなくて絶対数……あ、脱線、別の機会に考えてみる。

私は時々、ホラーのDVDがすごく見たくなる時があるんだけど、なにか心配事や恐いことがある時に、ちょっと違う質の恐さにズラしたくなるっていうか。

「なんだか、この一週間、全然、ちゃんとした絵が描けなかった……このまま、アイデアとか出なくなるんじゃないかしら……」という時に観たいのは、ハッピーなドラマよりもホラー。自分の感じている恐さとは別の恐さで、自分の焦りや不安を忘れる感じ。

「あ〜恐かった。あの恐さに比べたら、一週間、絵が描けなかったくらいなんでもないわ。」みたいな感じ。ホラーでも、美少女が出てくる映像が好きで、ゾンビは、恐くもなく、よくわからない感じで終わってしまいます。

きっとね、日本で、お墓から人が出てきたら、なんか「生きてたの? 大丈夫ですか?」っていう感じ。「死人が生き返るハズがない」っていう感覚がナイっていうか。火葬だからかしら?

【たかはし・りき】イラストレーター。riki@tc4.so-net.ne.jp

・高橋里季ホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
>