私症説[12]ふたたび土石流/永吉克之

投稿:  著者:  読了時間:6分(本文:約2,800文字)


本日のコラムの内容は、つい最近、私が始めたTwitterに関することである。したがって、すでに長期にわたって利用しているユーザーにとっては、両耳を塞いで、わかった、わかったからもうやめてくれーと叫んで、膝から崩れ落ちて失神、失禁するほど分りきったことしか書いていないので、Twitterを始めてから2週間以上経過しているユーザーは絶対に読まないでいただきたい。

しかし、失神を覚悟のうえで敢えて読むというのであれば、私も止めはしないが、その場合、転倒しても安全なように、読む前に、周囲に危険物や壊れやすいものがないかを確認しておくことをお勧めする。

できれば、転倒するであろうと予測できる位置に蒲団、もしくはマットレスを敷き、セットした目覚まし時計を手の届かない所に置いておけば、落下時の衝撃が吸収されるだけでなく、失神から睡眠へとスムースに移行することができ、翌日の活動のための英気を養うことができるのである。



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最近、またTwitterを始めてしまった。「また」というのは、ちょうど1年前に、いったんはやめているからだ。「(始めて)しまった」というのは、その時に、俺はもうTwitterはやらん、金輪奈落やらん、やらんやらんと公言してしまったからだ。

・2009年2月13日のmixi日記より抜粋(原文のまま)
「誰かと会話するわけでもなく、じめじめと私生活の愚痴ばっかり書いているうちに自分自身が哀れになってきたので、やめました。もっと社交的かつ建設的かつ東京的な使い方ができるんでしょうけど、あたしみたいな田舎もんにゃむりですね」

このなかの「東京的」という言葉で何を示そうとしたのかは憶えていないが、私が言うと、皮肉とも卑下ともとられかねないような言葉だ。まあ、それはともかく、他人に読んでもらってもしかたのないことをだらだらと書いているのに嫌気がさしたのだった。

「だったらさ、他人が読んで面白いようなこと書けばいいじゃん。ポキ」

ポキ、というのは指の関節を鳴らす音で、この仮想の話し相手が、あまり品のよい人間ではないということを読者に了解してもらうためだ。べつに上品な人間でも差し支えはないのだが、上品な人間を想像させるための適切な擬音が思いつかないのである。

「確かにそうですね。面白いことを書けばいいんです。事実、限られた字数のなかで、精一杯、フォローしてくれている人たちのために、私もけっこう凝ったことをこつこつ書き連ねてたんです。始めの頃はね」

「じゃなんで、ポキ、つまんないこと書くようになったんだい。ポキ」

「それはつまり、私が練りに練って書いたコメント......じゃなくてツイートか。その私の大切なツイートが、後から後から湧き出てくる他のツイートの土石流にどんどん下流へと押し流されて、あっというまにモニター画面から追い出されてしまうのを見ていると、いったい何人が読んでくれてるんだろうと思って、なんだか、ちゃんとしたこと書こうという気持が失せてしまって......ま、それでやめたわけなんですけどね」

「ちゃんとしたこと書こうなんて、ポキ、考えなくていいんだよ。そういうのは、オピニオンリーダーみたいな奴らにまかせときゃいいんだって。グキ」

指の関節を全部鳴らしてしまったので、頸(くび)の関節を鳴らしている様子を表すために、グキ、という擬音を入れた。

「じゃあ、私のような凡夫は何を書けばいいんでしょう?」

仮想の話し相手は、手の指と頸以外で鳴らせる関節がないらしく、頸が鳴らなくなると、膝を折ったり、足首を回したりしたが、きれいな音が出ず、明らかに苛立ち始めていた。

「んなものは書き捨てでいいんだよ、カキ捨てで。Twitterってのは日本語で、さえずるとか、そんな意味なんだろ? だから、どっかの店のラーメンがまずかったとか、ひいきのサッカーチームが勝ってうれしいとか、最近、腹が出てきたとか、そんなことさえずってりゃいいの!」

なんだか、いかにも面倒くさそうに話すのが不愉快だったので、私は、この仮想の話し相手を削除することにした。彼は、哺乳類→爬虫類→魚類というぐあいに、系統発生の過程を退行しながら消えた。

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おお、諸人は挙(こぞ)りて我に問うであろう。なぜ再び Twitterを始めたのかと。それは、知り合いの日本人から「Twitterしてるますか? Twitterですのならは、わたしのフォローしますはどうしますか?」と訊かれて、そういえば、1年も経っているから様相も変わっているかもしれない、それに、やっぱり自分に向かないと思ったら足を洗うのも簡単だし、と思ったからだが、始めてみて、リツイートとかリストとか、機能は増えているものの、基本的には何も変っていないように思える。

講演【私はTwitterをこう考える】
講師:永吉ヤコブ・沖ノ鳥島大学名誉教授

ご存知の方も多いと思いますが、新幹線車内の通路ドアの頭上に電光掲示板があります。走行中、そこにニュースなどの情報が流れ続けているわけですが、乗っている間じゅう、乗客がそれを睨んでいるわけではありません。

窓ガラスに頭をもたせかけて居眠りしていると、窓の外側に小さな人間がはりついていて自分に助けを求めている夢を見て、はっと目覚めたとき、また、富士山が拝みたくて、窓外をずっと見ていたのに、その日は曇りで裾野しか見えず、このツキの悪さ、俺の人生そのものだと溜め息をついたとき、あるいはまた、トイレから席に戻ってきて、なぜ揺れていると用が足しにくいのだろう、まあいいや、それより腹が空いた、車内販売はまだかとドアの方を見たとき、そういった時に、ふと電光掲示板に目が行って「また民主党の支持率が下がったか」と苦笑し、ふたたび眠り、窓外を眺め、トイレに行くのであります。

さて、いったい私は何を申し上げたいのか。電光掲示板に現れては、あれよあれよと言う間に流れ去ってゆく情報。Twitterもそれと同じでいいのではないかと。ずっと見ているわけにもいかないから、たまに見たときに、ああ、こんなこと言う人もいるんだなと感心したり憤慨したりする、そして忘れる。それでいいじゃないかと。読み手のスタンスとしては、Twitterをそのように位置づけしておる次第であります。

で、発言者としてのスタンスでありますが、私は有益なことは何ひとつ書けません。ましてやオピニオンリーダーになろうなどと、夢でしか思ったことはありません。しかし役に立たないことなら人並に書けるつもりですから、駄洒落のひとつ、与太のひとつも飛ばして、たとえひとりでも笑ってくださる方がいれば功徳もあらんと、まあ、そんな風に考えておる次第であります。(拍手)

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このテキストは、以下のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz >