私症説[78]幽霊に再会しようとする
── 永吉克之 ──

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僕は幽霊というものを見たことがない。霊を可視化する能力をもっていないのだろう。だから変なものを見ないで済む。ああよかったと思っていた。

ところが、番組のタイトルは忘れたけれど、ローカル局のKBS京都が昼に放映していたドラマをたまたま見て、自分が幽霊を見ていたことに気づいたのだ。

それは時代劇だった。今では見なくなった役者ばかり出ている、かなり古い番組の再放送で、以下のような内容だった。セリフまでは憶えていないので適当に作った。




                 *

江戸城下町。指物職人の千吉が、祝言を挙げたばかりの美貌の妻、お峰と夕涼みに出たところ、人気のない通りで、質(たち)の悪い旗本の放蕩息子の一団と出くわす。暇を持て余していた彼らは昼間から呑み続けていて、まるで質(たち)の悪い旗本の放蕩息子の一団のようになっていた。

単純な勧善懲悪ドラマだから、いうまでもなく、旗本の馬鹿息子たちはひとり残らず、細胞核まで腐った、どうしようもない連中のはずだ。 だから当然、お峰の美貌に眼をつけた。頭分が言った。

「おい、そこの女、一緒に来い。酌をいたせ」

そして千吉を無視して、お峰の腕を掴んで強引に連れていこうとする。

怯えるお峰。向こう意気の強い千吉だが、ことを荒立ててお峰に危害が及んではと、下手に出る。

「おーっと旦那方、そいつぁ無茶ってもんだ。こいつぁ、あっしの女房でござんしてね、どうか、ここはひとつ見逃してやっとくんなせえ」

「ふっ、お前の女房か。かまわぬ、しばしわれらが借りる」

「そっちがかまわなくても、こっちがかまいまさあ」

「ほう、しからば腕づくで女房を取り返して見せい!」

千吉はお峰を掴まえている頭分の侍に体当たりをすると、女房の手を奪い取って走り去ろうとするが、次の瞬間、その侍の刃が、千吉の背中を袈裟に走る。

お峰の悲鳴で、なんだどうしたと人が集まってくる声がするのを聞いて、侍たちは立ち去る。

                 *

酔狂で亭主を殺されたお峰は、復讐するために姿をくらまし、夜鷹に身をやつして往来を窺い、千吉を斬った侍と再びまみえる機会を待った。

ある夜、ひどく酔った侍の一団が、どけどけと通行人を突き飛ばしながらお峰の前を通りかかった。そのなかに、千吉を斬ったあの侍の忘れようもない赤ら顔がある。

とうとうこの時が来たか。お峰は帯のなかに忍ばせていた短刀を抜き出した。しかし、一団の背後からそっと近づいて、目当ての侍の背中を一気にブスリとやればいいものを、

「亭主の仇、覚悟しな!」

なんて喚きながら真正面から突進してきたものだから、酔っているとはいえ相手は武士、体をかわして切り捨て御免。お峰は恨み骨髄の仇にかすり傷を負わせることもできず地面に転がって息絶えた。

もちろん死に際に「せ、千吉っあん」と声を絞り出すように言うのを忘れてはいなかった。

                 *

お峰が登場してからずっと僕は、この顔は知っている、どこかで見た顔だ、別のドラマで見た女優だというのではなく、僕の周囲にいる誰かだ、いったい誰だったっけと一所懸命に思い出そうとして、ドラマどころではなくなっていた。

結局、思い出せないままいつの間にか忘れて何日か経ったが、その間も、僕の潜在意識の中では検索作業が続いていたのだ。

ところが、ある朝、ベランダで干した布団を叩いていたら、いきなり、ショートヘアのお峰が頭に浮かんだ。

小栗さんだ! そうそう、あの顔は小栗さんだよ。

小栗さんは、僕がときどき買い物をするイトーヨーカドーの台所用品売り場で働いている若い女性店員。以前、フライパンを買ったときに親切に応対してくれて、しかもショートヘアのよく似合う美人だったので気に入って、名札から苗字を憶えていたのだが、それ以後は台所用品売り場には行っていなかった。

つまり死んだお峰は、ヨーカドーで働いていたのだった。お峰の霊魂は平成の世になっても成仏できずに現世にとどまって、小栗と名乗ってヨーカドーに就職したのだ。あんな死に方をしたことの無念がお峰を現世に縛りつけていたにちがいないと思うと、いかにも不憫だった。

さっそくその日、お峰/小栗さんに再会しにヨーカドーに行こうと思い立った。

会ったからどうなるというものでもないけれど、幽霊だと知ったうえで会えば、また趣が違うだろうと思ったのだ。ついでだから、食料品のまとめ買いをしておくつもりで出かけた。

ところが、ヨーカドーの正面入り口から入るとすぐに、地下の食料品売り場に通じるエスカレーターがあるので、条件反射でそのまま降りて、カートにジャガイモや肉や缶詰をばんばん放り込んでレジを済ませてから、あっと、お峰/小栗さんのことを思い出した。

おかげで、商品で膨れ上がったレジ袋を二つづつ、両手に提げたまま、4階の台所用品売り場まで彼女に会いに行かなければならなくなってしまった。

自分の間抜けぶりに呆れながらエスカレーターに乗った。何やってんだ僕は。しかし重いな。もう手が痛くなってきた。だいたい買い過ぎなんだよ。牛乳パックなんて、家の向かいのコンビニでも買えるじゃないか。

それから、キャベツを買い忘れていたのを思い出したついでに、来る途中に郵便局に寄るのを忘れていたことも思い出して、僕は腹が立ってきた。こんな荷物ぶら下げて、帰り道とはぜんぜん方向違いの郵便局まで行くのか、勘弁してくれよ。とはいっても今日中に為替で送金しなくちゃ間に合わないしなあ。

僕はかなり不機嫌になっていたと思う。

荷物をステップに置いて、痛い手をさすりながらエスカレーターを乗り継いでいたら、4階に着いた。降りたところから左手の奥にある台所用品売り場に目を遣ったけれど、お峰/小栗さんの姿は見えなかった。多分、トイレにでも行っていたのだろう。

なんだか面倒になったので僕はそのまま帰った。


【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp

スイマセン。今回のテキストは、拙ブログに2008年12月8日に掲載したものの使い回しです。

・ブログ『無名藝人』
http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz


・小説非小説サイト『徒労捜査官』
http://ironoxide.hatenablog.com/


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