私症説[16]ゴーストライター私
── 永吉克之 ──

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あっしゃ、9官鳥でござんす。前回の続きのようになりやすが、そいつは読んでいただかずとも差し支えござんせん。ただ、亡くなった、あっしの師匠である永吉克之に代ってコラムを寄稿していたのが、師匠に飼われていた9官鳥のあっしだったってことを頭においといていただきてえ、それだけでござんす。

師匠が、自分の余命いくばくもねえことを覚ってから、永吉克之という人間が存在した証を残すために、やみくもに「二代目・永吉克之」のばらまきをお始めになりやした。しかし、心斎橋に庵を結んで隠遁生活をなさっていた師匠に代って、炊事洗濯、買い物から家畜の世話までをこなし、町内会の当番を務め、メルマガのゴーストライターを続けてきたあっしにゃ、名跡を継げとは仰っていただけねえんでござんす。

しかも、二代目を継がせる相手ってえのが、たまたま集金にやって来た新聞屋とか、飲み屋で知り合った客とか、高校生の時に文通をしていたオーストラリア人だとか、昔、不倫関係にあった女だとか、思いついた人間なら、誰であろうがもう手当たり次第。「二代目永吉克之」は、あっしの知ってるだけでも、ま、50人は下らねえでしょう。



そこであっしゃ、恐れながらとお尋ね申しやした。師匠、どういうご了簡で、手前にはご名跡をお譲りいただけねえんでしょうか、と。するってえと師匠は、こっちを見もせずにひと言、お前が9官鳥だからだ、とこう仰るんでさ。

そんなべらぼうな理屈を聞いて、はいわかりましたと頭を下げちゃ、お天道様に申し訳ねえ。どうもお世話になりやした、今日を限りにお暇させてもれえやすと、あっしゃ庵を飛び出して、生まれ育った大阪も飛び出して、旅から旅へと居処定めぬ渡り9官鳥になった、とまあそういう訳でござんす。

9官鳥がひとりで生きてゆく道は、無頼しかござんせん。鉄火場にもずいぶん出入りいたしやした。いかさまがバレて切り刻まれ、真冬の石狩川に放り込まれて凍死したこともござんした。まあ、見てやっとくんなせえ。

----9官鳥、着物の前をはだけて片肌になる。あちこちに刀傷が覗ける。

総身をかけて三十四か所の刀傷(※)。幸いなことに、河口まで流れていったあっしの骸(むくろ)を、竹竿で岸まで引き寄せて、手厚い介護をしてくれた、お小夜ってえ漁師の娘のおかげで、生き返ることができやした。そして、お小夜の親父さんが獲ってくる海松食(みるくい)を毎日喰って力が戻ると、泣いて引き止めようとするお小夜を振り切って、また、あてのねえ旅に出たのでござんす。
(※)歌舞伎「源氏店」で、切られ与三郎が同様の台詞を言う場面がある。

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お節介な野郎とお笑いくだせえ。流浪している間も、メルマガにゃずっと原稿を送っておりやした。ツイッターやmixiまで代りに書いてたんでござんすよ。もう師匠が何も書けなくなってるってこたあ承知しておりやしたから、育ててもらった御恩返しと、その恩人を棄てた罪滅ぼしのつもりで、寄稿していたってわけでござんす。

野球を観ながらツイッターやるのも悪くねえと、横浜スタジアムに、タイガース対ベイスターズの試合を観にいった時のことなんですが、それがデイゲームで、晩春の日差しを浴びた外野席のあちこちにタイガースファンの衣裳や旗や幟の黄色が混ざり込んで、内野席から見てると、それがなんだかピラフみてえで、やけに美味そうだったんでござんす。

そいつを見て、あっしゃあ無性に喰いたくなっちまってね。たまりきれずに、外野席に手を伸ばして、ひと掴みを口に入れたんですが、さあ、それがいけなかった。まあ、その不味いこと不味いこと。舌の上にのっけたとたんに腐った野菜と正露丸とが混じったような臭いが鼻から抜けていって、あっしゃ、腹ん中にあったもんまでいっしょに吐き出しちまいやした。

ええい、こん畜生! この球場じゃ客に豚の餌喰わせんのかい! いや豚だって吐き出しちまわあな。こんなもんが「ピラフ」ってえありがてえ名跡をいたでえてるなんざ、どうにもこうにも合点がいかねえ。おう、おいらが、これこそ紛れもねえ本物のピラフだってえのを作って見せてやっから、目ん玉ひん剥いてようっく見てやがれ、唐変木!

----9官鳥、着物の裾を尻っぱしょりにし、韋駄天走りで球場を去る。

本物のピラフを作るため、二度と帰るめえと誓った大阪に、師匠が住んでおいでの心斎橋の庵に、あっしゃあ戻ってめえりやした。そして、庵の戸の前にひざまずいて、師匠、どうぞあっしを煮るなり焼くなり、お好きなようになすっとくんなせえ。ですから後生だ、台所を使わしてやっちゃあもらえやせんか、と申しあげやした。

で、しばらくそこにじっとしておりやしたが返事がござんせん。引き戸には、つっかい棒がされてなくて、すっと開いたもんで、ごめんなすってと入ると、奥の部屋に、すでにお骨となった師匠が横たわっておいでだったんでござんす。

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この9官鳥の話は、多くの部分が創作だと私は見ている。まず名跡をばらまいたという話は完全な創作であろう。また、前回のコラムの執筆者ということになっていた海鼠紅一也なる人物も、実は架空の存在で、9官鳥がその名を使っていたのだ。つまり、そもそも誰も二代目を襲名などしていなかったのである。さらに言うと、9官鳥が「師匠」と呼ぶ永吉克之なる人物も創作だったのではないかと思う。

大胆に踏み込んだ推理をしてみよう。それは、9官鳥すらも創作だということだ。そして、永吉克之や9官鳥や心斎橋やピラフを創り出したのは、私なのではないかということである。したがって、いま読者諸氏が読んでおられるこのテキストも、永吉克之という名前を借りて、私が書いているのかもしれないのだ。いまキーボードを打っているのは、私なのか、永吉氏なのか、それともまた別の誰かなのか、それは不可知の領域に属する。

あるいは、9官鳥の話に創作はなく、逆に私という存在が創作だという考え方もできる。そもそも私は実在せず、私がいない世界で起きたことを、9官鳥が記述したのかもしれないのである。いずれにせよ、今回の一件は「自己」とは何かという、古来より、多くの哲人を悩ませてきた問題に新しい地平を見出す契機となるかもしれない。

【私/わたし】