[2845] 怒りと反抗の季節

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《若いモンは嫌いだ。未熟で、傲慢で、身勝手で...》

■映画と夜と音楽と...[462]
 怒りと反抗の季節
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[462]
怒りと反抗の季節

十河 進
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〈理由なき反抗/土曜の夜と日曜の朝/長距離走者の孤独/蜜の味/裸の十九歳】/if もしも...〉

●アラン・シリトー「長距離走者の孤独」は読むべき本だった

三月初旬だったろうか、佐々木譲さんがツイッターを始めたというので、譲さんのプロフィールを見にいったら、さすが旬の直木賞作家だけに、すでに何百人もの人がフォロワーになっていた。ただ、譲さんがフォローしているのはひとりで、東浩紀さんだけだった。その人選にはへぇーという感じだったが、あながち意外ではなかった。硬派の論客...というイメージが、佐々木譲さんにはあったからだ。

もちろん僕は、佐々木譲さんをフォローした。それからしばらくして、ツイッターメールで「佐々木譲さんがあなたをフォローし始めました」と入ったときには、嬉しかったけれど何となく緊張した。佐々木譲さんのプロフィールを見にいくと、譲さんがフォローしているふたりめに僕のアイコンがあった。おいおい、と僕はさらに緊張した。僕のつまらないつぶやきが、譲さんのタイムラインに流れるのだ。それも東浩紀さんとふたりだけである。

佐々木譲さんは直木賞を受賞したばかりなので、かなり多忙のようだった。あまりつぶやかず、直木賞受賞後の混乱が続いてる様子がうかがえた。ところが、先日、その佐々木譲さんのつぶやきで、僕はアラン・シリトーの死を知った。佐々木譲さんはシリトーの死を知り、かつて国際ペンクラブの会合でシリトーと会い、自分が最初に読んだ英語の本が「長距離走者の孤独」だったことを話した思い出をツイートしていた。

佐々木譲さんがアラン・シリトーの死に、何らかの感慨を抱くのはよくわかった。佐々木譲さんは僕より二学年上だから僕の兄と同じで、団塊世代あるいは全共闘世代と呼ばれる末尾に当たる。僕も世代的には近いので、その文化的体験なども共通するものがある。60年代半ば、アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」は、文学少年にとって読むべき本のリストの上位に位置していた。

「怒れる若者たち」というムーブメントが英国で起こったのは、1950年代後半である。ジョン・オズボーンの「怒りを込めて振り返れ」という戯曲が発表されたのが、1956年のことだった。そのタイトルから「アングリー・ヤングメン」と名付けられたとも言われている。

僕も昔、小さな出版社から出ていた「怒りを込めて振り返れ」の戯曲を買って読んだけれど、今から思うと主人公には若い頃にありがちな不寛容さが目立つ気がする。すべてのことに怒りを見せる主人公は、理由もなく苛立っていた。どちらにしろ、ジェームス・ディーンのように反抗や怒りは昔から若者たちの特権ではあったけれど...。

ジェームス・ディーンが「理由なき反抗」に主演したのは、1955年のことだった。英国で「怒れる若者たち」のムーブメントが起こるより前のことである。その映画は時代のせいか少しセンチメンタルで、主人公は社会に対する異議申し立てではなく、父親の愛情を希求する裏返しとして反抗的な態度を示し、不良たちとも心ならずも対立することになる。

●アラン・シリトーの最初の小説は「土曜の夜と日曜の朝」

アラン・シリトーが最初の小説「土曜の夜と日曜の朝」を出版したのは1958年、30歳のときだった。その小説は大変な好評で迎えられ、彼は一躍、英国文壇の寵児となった。しかし、英国は階級社会である。ジョン・オズボーンなど「怒れる若者たち」と括られていた作家たちは、ケンブリッジやオックスフォード出身のインテリだったが、アラン・シリトーは労働者階級出身で彼らとは一線を画していた。

アラン・シリトーは、「怒れる若者たち」と総称された作家たち中では異色の経歴を持ち、労働者階級の若者たちの怒りを描き出した。彼は、強い怒りを裡に秘めた労働者階級の主人公たちを創造した。その怒りを、主人公たちは何に向けてよいのかわからず、時代の閉塞感ばかりを感じている。苛立ち、怒り、それらは何に向かうのか。彼らに明確な敵の姿は見えるのだろうか。

「土曜の夜と日曜の朝」の主人公アーサーは、自動車工場に勤める工員だ。21歳だが、10代半ばから働いている。すでにいっぱしの大人である。彼は土曜の夜には、酒場で浴びるように酒を飲む。酒量を誇る相手と飲み比べをして、相手を負かしてしまう。ベロベロになりながらも、別のバーでさらにビールジョッキを傾ける。

彼はひどく酔ったまま、亭主と子どものいるブレンダの家へいく。ブレンダは、亭主が出かけて帰ってこない土曜の夜、子どもを寝かしつけて自身も飲みに出かけている。そのブレンダが帰ってくると、ふたりは夫婦のベッドに潜り込む。アーサーには、友人の男の妻を寝取っている後ろめたさなどは何もない。寝取られる間抜けが悪いのだ。

アラン・シリトーは「ピカレスク・ロマン」を得意とした作家だと言われるし、「土曜の夜と日曜の朝」もピカレスク・ロマンとして紹介されることがある。日本語では「悪漢小説」である。確かに、女を寝取り、酒を飲み、ケンカに明け暮れるアーサーは悪漢なのだろう。しかし、彼は正体のわからない苛立ちや怒りを抱えて、その爆発をおさえるために酒を飲み、女を寝取っているようにも思える。彼は怒りを向けるべき本当の敵を見出していないのではないか。

そんな「土曜の夜と日曜の朝」(1960年)のアーサーを、若きアルバート・フィニーが演じた。僕はアルバート・フィニーをオードリー・ヘップヴァーンとの共演作「いつも2人で」(1967年)で初めて知ったが、後に「土曜の夜と日曜の朝」を見たときに、そのイメージの落差に驚いた。その後、様々な役をこなし、半世紀経った今もハリウッド映画で活躍している。

「土曜の夜と日曜の朝」のアルバート・フィニーは、毎日、繰り返される単調な仕事にうんざりし、その憂さを晴らすように放埒な生活を送る若者の存在感を感じさせた。彼の無軌道な行動は、何かに対する異議申し立てのような気がした。酒を飲み、ケンカをし、人妻と寝る...、欲望のままに行動しているかのようだが、彼はそのことに倦んでいるように見えた。

欲望のままに生きているのなら、欲望が充たされれば満足するはずだ。しかし、何かを晴らすためにそんなことをしているのなら、それは代替行為に過ぎない。酒を浴びるように飲み、ケンカを繰り返し、人妻を寝取ることによっては充たされない何かが残る。その充たされない何か...が描かれているが故に、「土曜の夜と日曜の朝」は心に残る作品になったのだ。

●「長距離走者の孤独」の主人公は権力を敵として認識している

今でもよく憶えている。「長距離走者の孤独」(1962年)が日本公開になった1964年に、僕は月刊誌でその紹介記事を読んだ。従姉妹が買っていた「明星」か「平凡」である。大衆向けの芸能娯楽雑誌だ。その頃の雑誌の映画紹介は、なぜか映画のストーリーが詳細に書かれていた。向田邦子さんが編集者をしていた、雄鶏社の「映画ストーリー」という雑誌が出ていた頃である。

その雑誌の記事には、ラストシーンまで詳細に紹介されていた。最近は、映画や小説の紹介記事に「ここから先ネタバレ注意」などと書かれることがあるが、当時はそんな気遣いはあまりなかったように思う。さすがにミステリ作品の結末までは明かさなかったようだが、ミステリでなくてもどんでん返しはあるわけだから、その辺の配慮はどうなっていたのだろう(あまり人のことは言えませんが...)。

「長距離走者の孤独」も雑誌で僕は詳しいストーリーを知った。だから、後に原作を読んだとき、ストーリーそのものにはなじみがあった。「土曜の夜と日曜の朝」と同じようにアラン・シリトー自身がシナリオを書いているから、映画化作品も原作に忠実だった。「土曜の夜と日曜の朝」ではカレル・ライスに監督をまかせ、自分はプロデュースにまわっていたトニー・リチャードソンが制作と監督を担当した。

ところで、トニー・リチャードソンと聞くと、理由はないが僕は大島渚監督を連想する。先日、レッドクレーヴ家のコリン・レッドグレーヴが亡くなったというニュースをネットで読んだが、その葬儀にトニー・リチャードソンの娘たちが出席したと出ていた。コリンの姉のヴァネッサが、トニー・リチャードソンと結婚し、娘たちを生んでいたからだ。

レッドクレーブ家は、日本でたとえると梨園の名門一家だ。父親のマイケル・レッドグレーヴはローレンス・オリヴィエを凌ぐ名優と言われ、娘のヴァネッサとリンは女優として成功した。息子のコリンは、「フォー・ウェディング」(1994年)でアンディ・マクダウェルの結婚相手を演じたくらいしか知られていないが、英国演劇界では評価の高い俳優だった。

驚いたのは、その記事に「姪のジョエリー・リチャードソン、姪の故ナターシャ・リチャードソンの夫リーアム・ニーソンが出席したほか、大学時代の親友イアン・マッケランが弔辞を述べた」とあったことだ。リーアム・ニーソンはトニー・リチャードソンの義理の息子だったのか。もっとも、トニー・リチャードソンは20年近くも前にエイズで死んでいる。

そのトニー・リチャードソンは「蜜の味」(1961年)の監督で注目され(主題曲はスタンダードになった)、「長距離走者の孤独」で世界的に評価された。「長距離走者の孤独」には、後に義父になる名優マイケル・レッドグレーヴが重要な役で出ている。彼は、主人公を長距離クロスカントリーの選手にし、感化院の名誉を担って走れと命じる感化院の院長を演じた。

主人公は貧しい家の生まれで、子どもの頃から生活は荒れていた。彼の足が速くなったのは、子どもの頃からかっぱらいや万引きをやっては、逃げてばかりいたからだ。しかし、彼はとうとう警官に捕まり感化院送りになる。そこで、彼は長距離クロスカントリーの選手にされ、自らその才能を見出し走る喜びを感じるのだ。

反抗すべき真の相手が見えていなかった「土曜の夜と日曜の朝」のアーサーと比べると、「長距離走者の孤独」の主人公は生まれたときから権力を敵として認識している青年だ。警官や、教師や、政治家や、感化院院長や...、言ってしまえばすべての大人は彼にとって戦うべき相手であり、反抗すべき対象なのである。それは、明確に意識されている。いや、その気持ちは本能的なものなのかもしれない。

そして、感化院では絶対的な権力者である院長が、彼の戦うべき相手、反抗すべき敵として認識される。その権力者をマイケル・レッドグレーヴが威厳を持って演じた。院長は感化院の名誉のために、主人公に優勝することを絶対条件として負荷する。主人公は走ることの中に純粋な喜びを感じ、練習を重ねて才能を開花させ、優勝候補と目される存在になる。しかし、優勝目前のゴールの前で、彼は立ち止まる...。

このシーンが40年近く経っても、僕の記憶に残っている。彼は懸命に走る。野原を走り、森を駆け抜け、ゴールが見えてくる。院長を始め多くの人たちが彼に声援を送る。誰もが優勝を確信している。しかし、彼はゴール直前で立ち止まり、追ってくる二着の選手を待つ。主人公を演じたトム・コートネイのそのときの表情を、僕は今も甦らせることができる。

いつの時代も若者にとって、権威や権力、大人たちの世界は戦うべき存在だった。それらを否定し、反抗し、その中から新しい何かが生まれてくるはずだった。「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンも、大人たちの世界を「インチキ」と糾弾した。僕にも憶えがある。20歳の僕は「30以上を信じるな」という、当時、世界中の若者たちが合い言葉にしたフレーズを口にした。

先日、WOWOWの新藤兼人監督特集で「裸の十九歳」(1970年)を40年ぶりに見た。僕が18で上京したときに公開された映画だ。主人公は、連続射殺犯の永山則夫をモデルにしている。その足跡を丹念に調査し、忠実に映画化したものだ。主人公が大学生のデモを見るシーンが、頻繁に出てくる。そういう時代だった。

「すべての犯罪は革命的である」と言ったのは、先日、亡くなった平岡正明さんである。そのフレーズは、当時の僕には意味深く響いた。そして、「裸の十九歳」の金ほしさにタクシー運転手を冷血に射殺する、19歳の主人公の心情に共感することができた。その苛立ちや怒りや反抗心に、己を重ねることができたのだ。将来の不安や、閉塞感が、僕をそんな気分に駆り立てていた。

しかし、40年後の今、「裸の十九歳」を見た僕の頭に浮かんできたのは、未熟、短絡、怠惰、身勝手、堕落...といった否定的な言葉ばかりだった。学生たちの本物のデモを撮ったであろうシーンも、僕に何の昂揚ももたらさない。これは一体、どうしたことだ。僕が年老いてしまったということなのか。大人の世界にどっぷり浸かってしまったのか。

最近の僕の口癖は、「若いモンは嫌いだ。未熟で、傲慢で、身勝手で...」というフレーズだ。これじゃあ、まるで「グラン・トリノ」(2009年)で、クリント・イーストウッドが演じた偏屈な老人である。僕は若者たちの怒りと反抗の対象である「インチキな大人」になったのか? 空疎な言葉で説得しようとする教師に向かって、拒絶の銃弾を放つ「if もしも...」(1968年/この映画は怒れる英国の若者たちがいき着いた果てではないか)に興奮した頃もあったのだけれど...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951
>

カンヌ映画祭特集で、近々、「蜜の味」「if もしも...」がWOWOWで放映されるようです。ところで、ツイッターでいろいろぼやいているので、ココに書くべき内容がありません。だぶってもいいのだけど、「また、書いてる」と言われるのも何ですし...。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
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■Otaku ワールドへようこそ![117]
見ることと見られることと

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写真を撮るためには、まず前提として、ものを見るということがある。よい写真を撮ろうと思うなら、常日頃から、ものをよく見ることに意欲的であらねばならぬと思う。それはそうなのだが、しかし一方では、見るばかりの人生というのもバランスとしてどうなんだろうとも思う。世の中で日々起きているあれこれを、当事者という輪から一歩退いたところに身を置いて、いつも眺めているだけ。傍観者の人生。

撮る者がみなそっちへ引っ張られがち、とは言わないけど、そこにはなんとなく、居心地はいいけど実はあんまり実りをもたらさない甘い水が誘い言葉を送ってきているような感じがする。やはりここはアレだ、思い切って、見られる側に回るというのが重要なんじゃないかと。見られてナンボ、やがて快感、そんな世界を一度通り抜けてみてこそ、撮るほうにも奥行きが出でくるってもんなんじゃないかと。

......というのは、今考えた理屈であって、どうでもいい。なんか運命の見えない糸に導かれるように上がってしまった人生の初舞台、覚悟が甘かったせいか、たくさんの視線が自分に注がれているという状態に、一瞬パニックを起こしかけた。けど、2秒後にはなんとか立ち直り、無事に神父の役をこなすことができた。後で聞くと「よかった」、「落ち着いていた」、「初舞台とは思えない」、「主役を食ってた」と評判は悪くなかったのだが、あの一瞬を思い出すと今でも冷や汗がどっと吹き出る。

●あっ、客席に人がいっぱい

なんかものすごい大それたことをしでかした、とは自分の中の感覚であって、客観的にみれば、ほんのチョイ役である。30分の演目の中で、最後のほうで出てきて、台詞を言うのはほんの30秒。けど、いい役だ。16世紀のネーデルランド、10年ぶりに姫が帰還すると、街は荒廃し、城には誰もいない。姫帰還の噂を聞いて駆けつけ、国がいまどんな状況にあるのかを伝えるために登城する神父という役。教会の一員でありながら、内部の問題に対してどうすることもできない無力な自分に苦悩をあらわにする。

ストーリーとしても、重要なメッセージを伝える役であり、人物としても、あ、いい神父じゃん、とちょっとホロリとさせる役でもある。もしトチったりした日にゃ、主役2人のそれまでの30分間の熱演が台無しになる。台詞は完璧に刷り込んでおこうと思った。たとえ頭が真っ白になったとしても、台詞だけは自動的に口からすらすら出てくるように。すごい早口でも言えるようになった。そうすることで、台詞の全体像が俯瞰でき、どこにどういうふうに強弱・高低・遅速のメリハリをつけたら効果的かが自然に分かってくる。

本チャンは4月18日(日)、池袋のロサ会館地下2階のLIVE INN ROSA。前々日、仕事帰りにどこかでメシを食って帰ろうと、池袋を一人でうろうろしていてロサ会館の前を通ったとき、なんだかドキドキした。飲まれてるぞ、俺。前日、下北沢で、最後の通し稽古。青炎(セイレーン)さんと瓏砂さんの演じっぷりが、それまでにないものすごい緊張感に満ちていて、出番を待つ間に圧倒されかけるが、跳ね返すぞ、と自分に言い聞かせ、役を演じる。台詞をトチることもなく、自然に演じることができた。総合プロデュースの奥井さんからも、格段によくなっているとほめられた。最初に声をかけた時点で期待していた以上だ、と。

すっかり気をよくした単純な私、調子に乗って、要らんことを口走ってしまった。どんな話の流れだったかは忘れたが、「言われれば何でもしますよ」。なんちゅうナマイキな発言! 奥井氏の目がキラリと光った。「じゃあ、こういうのはどうですか」。神父の姿で舞台を降りた後、楽屋から出てくるときにはセーラー服姿で。ほぅ、面白いジョークですね、やるわけないでしょ、とは言えない。言質をとられてる以上。

夜、スネ毛を剃って、準備にあたる。けっこう大変なんだこれが。当日、声の出をよくするために、ヒトカラで1時間半ばかり歌ってから、いったん帰り、セーラー服持参でロサ会館へ。もし舞台で失敗したりなんかしたら、そんなジョークやってる場合じゃないので、棚上げにするつもり。セーラー服のためにもがんばるぞ。って、なんか方向性違ってないかい? しかも、そっちに合わせて、下着も、もにょもにょ......。なんか変な神父だぞ。あ、ナイショでよろしく。

リハーサル。全部を通す時間はなく、断片だけだが、自分の台詞のところは全部演じさせてもらえるよう、配慮してもらった。スタッフがちらほらいるだけで、当然のことながら客席はがらんとしているので、特に臆することもなく、のびのびと大きな声で演じられた。

見知った面々としては、劇団MONT★SUCHTのみなさん。後で出演し、そのときは私は撮る役。物販コーナーにはピアノ&ヴォーカルの永井幽蘭さん。開場すると、人形の橘明さんと、映像の寺嶋真里さんがいらして下さった。私が寺嶋さんの上映を見に行くならアタリマエだが、逆ってなんかとんでもない感じで恐縮。ありがとうございます。

VANQUISHは初っ端の出演。始まると、私は舞台の袖の黒い幕の陰で出番を待つ。その間にも小声でぶつぶつと台詞の練習。腕時計と眼鏡と誓いの薔薇の指輪は外してある。この舞台を終えて引っ込むとき、自分は違うものに生まれ変わるんじゃないか、そんな妄想さえ沸き起こった。さなぎの背中がぱっかと割れて蝶が出てくるように。

曲が変わり、出番が来た。割と落ち着いて出て行くことができた。衣装の裾を踏まないように、少し伸び上がって歩く。人影に驚いて振り向く姫にゆっくりと目礼して、「あなたは?」の問いかけに「この街で神父をしておりますグスタフと申します」。ここまでは落ち着いて、威厳たっぷりに言えたと思う。声のトーンは低く、しかし声量は大きく。

客席は真っ暗。眼鏡を外していてよく見えないこともあり、照らされている舞台だけが、空間のすべてのような感じ。客席には人があまりいないようだ。10時まで続くイベントの最初の演目で、まだ6時も回っていない。これから徐々に混んでくるのだ。これならガチガチに緊張するまでもない。リハーサルのときとまったく同じく、スカスカの客席に向かって、大きな声でのびのびと演じればよいのだ。そう思いながら、ここまで台詞を言い終えたところで、ぱっと照明が変わった。客席も明るく照らし出される。

あっ! 人がぎっしり! 3段重ねぐらいで顔、顔、顔。そのすべての目がこっちを凝視している。しかも、すごい至近距離ではないか。なんか、すぐ目の前にいる人たちに向かって大声出してたよ、俺。ここで軽くパニック。自分がなぜここにいて、何をしているのか、まるで分からなくなりかけた。現実、拒否。頭、真っ白。台詞、蒸発。「この国でいったい何が起きているのですか」の姫の問いかけに、「いま、この国を含む大陸全土で」と言わなくてはならないところ、あれほど練習して、寝言でも自動的に出てきそうなほど刷り込まれていた台詞が、出てこない。

けど、必死で思い出そうとがんばったら、なんとか出てきたのは幸いだった。ここのフレーズだけ、著しくスローダウンした。後で、青炎さんと瓏砂さんに「一瞬ヒヤッとしなかった?」と聞いたら、特に気がついていなかったとのこと。奥井さんは、気をもたせるために、わざとゆっくりしゃべったのかと思い、いい効果だと思っていたとのこと。そんなもん? 内心の動揺は、表面にはほとんど現れていなかったようだ。

同じ文の後半に入ったら、なぜか完全に立ち直っていた。というか、上から降りてきた何かに憑依された感じ。自分が自分でない感じ。なんの作為も図らずとも、勝手に手足からだが動き、自分の中からの言葉として台詞が出てくる。「私にはどうすることもできず」で頭を抱えてうずくまり、神父の台詞は終了。割とちゃんとできた感じ。イタダキかな。

これならセーラー服やれる。着替えて客席へ。奥井さんからは「どの回の練習よりも、本番がいちばんよかった」と言っていただけた。幽蘭さんからは、しみじみ「よかった」と。橘さんからは「低い声がよかった」と。寺嶋さんからは「初舞台とは思えないほど落ち着いてた」と。うーん、評判、上々。セーラー服の評判も割とよく。

去年の5月30日(土)に秋葉原の「パセラ」でカラオケやったときは、幽蘭さんから「意外と違和感ないわね」というコメントがあったが、今回は「似合ってる」とのこと。セーラー服の似合うおじさん。自分では意識していなかったが、幽蘭さんによると、やせたらしい。それで、動きがなめらかになっている、と。思い当たるのは、酒断ちしかない。2月26日(金)に話を持ちかけられたのは飲み会の席でだったので飲んでいたけど、翌日からは飲んでいない。やせれば女装の幅も広がるし。ずっと酒抜きでいこうかしら。

それはともかく、今回の舞台の経験は、人生でも最大級のいい思い出になった。舞台に立ったこと自体もさることながら、稽古も含めて、一緒に舞台を作ってきた過程全部が。私などはたったの30秒でひぃひぃ言っていたのに、青炎さんと瓏砂さんは30分にわたる大量の言葉を頭に叩き込んでいて、きれいに演じている。稽古や連絡のやりとりを通じて演じること、演出することへの真摯な情熱が伝わってきたし、人としても尊敬できるすばらしいアーティストたちだと思えた。仲間に入れてもらえたことで得たものは大きかった。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/ClassicAlamodeNo3#
> 写真

●人形撮影で脳内モルヒネ

6月のパラボリカ・ビスでの人形展示のメンバーで、5月1日(土)に新宿で打合せ。赤色メトロさんから、「森の写真を撮ってきて」と頼まれる。合点。とは言え、どこ行こうか。その日の夜、中野にあるバーに一人で入る。初めて行く店。前々から行きたいと思っていたけど、なかなか機会がなく。カウンターと小さなテーブルがひとつあるだけの、こぢんまりしたお店。店内は写真ギャラリーになっていて、約3週間ごとに、展示作品が入れ替わる。店名は「tokinon 50/1,4」という。デジクリの姉妹誌「写真を楽しむ生活」で知った。注文したのは、もちろんウーロン茶。
< http://tokinon.cool.ne.jp/index.html
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さて、そんな店だから、筋金入りの写真好きとカメラ好き(←微妙に異なる)が集まる。テーブル席は、相席が基本。私の向かいは、近所の中古カメラ店の店長さんだった。ポッケのいっぱいついた、網網のダークグリーンのベストを着ている。うーんいかにも。「撮る人」のコスプレですかぃ? そうか、カメコがカメコのコスプレをしてコスプレイヤーを撮るって、いいかも。

そういう人ならいいロケ地をご存知なんではないかと思い、「森のいいとこ知りませんか」と聞いてみた。そしたら、気前よく教えてくれた(すいません、伏せさせてください。分かっちゃうかもしれないけど)。ちょっと遠い。けど、「すごくいいから」と力説する。じゃ、行ってみましょうかね。「バス、あることはあるけど、運転間隔がまばらだから、車ないと無理だよ」。ない。

調べてみると、運行頻度は1週間に2往復。土日しか走らない。連休中は5日続けて走るが、翌週の土日は運休。2日後の5月3日(月)に行ってみる。6時台東京発の新幹線に乗り、降りた駅からバスに乗る。乗客は私ひとりだった。途中のローカル線の駅から3人乗ってきたけど。川沿いの国道を走ってきたバスはその駅で別れ、山道をずんずん登っていく。約2時間乗り、11時前に峠の手前のバス停で降りる。

あ、れ? 予想していた景色とちょっと違う。雪景色。森の写真って、これでいいのかな? ま、来ちゃったもんは仕方がない。車の道は脇に高さ50センチほどの雪の壁が続いていて、道自体は露出していたが、バス停から横へ伸びる山道に入っていくと、道は完全に雪に覆われている。雪山をひとり黙々と登っていく硬派な俺。

帰りのバスまで約4時間。真っ白な池のまわりを一周できる。カメラ屋の店長さんが力をこめて薦めただけあって、すんごくいい景色。苔に覆われた倒木が一部分だけ雪に覆われてるのとか。う、ここで人形撮りたいな。池の周回路から分岐する道を湿地帯のほうへ行くと、木道になっているのだが、これがひどい。尾瀬みたいに2本になってなくて、1本なのだが、これがまっすぐにつながっていない。ひとつの板が終わると、1歩分ぐらいの長さで隣接して次の板が始まる。右に左に右に左にと踏み換えて渡っていく。たぶん、継ぎ目のとこですれ違えるようにってことなんだろうけど。

これが丸ごと、深い雪に覆われているのだ。板が終わってもうっかりまっすぐ歩いていくと、ひざの上、というかほぼ股のとこまで片足がズボッと雪にもぐるのだ。先に誰かが空けてくれた穴があれば避ければいいのだが、ないと自分が空ける羽目にあう。8個ばかり空けてきたんで、後の人、感謝しろよ。

池を一周して、さっき見た山小屋に戻る。ここで分岐する道を戻ればバス停だ。あ、違った。だいぶ行き過ぎてた。戻らなきゃ。道に迷ってる暇はないぞ。少しあせってきた。来たときは気温8℃とぽかぽか暖かかったが、3時を過ぎると夕方の景色で、風がびゅうと吹くと、おそろしく冷たい。遭難したら朝までもたんぞ。実際この山の名前はそういうニュースでよく耳にするのだ。

池とバス停の間の道は登って下る。その下り道の途中、実際にはバス停まであと10分のところで、バスの時間までは30分以上あるのだから、ゆっくり歩けばよかったのだ。けど、あせっていた。疲れてもいた。ずるっとすべった瞬間、右足は斜面をすべっていき、左足は雪にずぶっともぐる。その足首にひねりが加わって、ぐぎっとやってしまった。ピキピキピキっと、何かが3つぐらい切れる感触がする。ああ、やばい、やっちまった。俺がニュースか。死んでもカメラを離しませんでしたとか。

まあ、歩けなくなるほどでなかったのは幸いで、バス停まで自力で降りることができた。駅の階段とか、痛くて泣きそうだったが、とにかく帰ってきた。足の指は自力で動かせるので、骨には異常なかったはず。こういうのは、薬をつけたからって治りが促進されるってもんでもないんだろ、と思い、自然治癒にまかせる。翌々日、5月5日(水)は人形撮影のダブルヘッダー。都内2箇所のスタジオで、それぞれ赤色メトロさんと美登利さんの人形を撮影。

あぐらをかいて撮り、高さが足りないと思えば正座に組み替える。あれ、できてるじゃん。朝までは痛くて正座などとてもできなかったのに。治ってきたのかな、と思ったが、帰ってみるとやっぱりできない。人形を撮っている間、脳内モルヒネがドバドバと分泌されているに違いないということが、よーく分かった。痛み止めの効果のある人形。それもなんかすごいぞ。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。今週末、5月15日(土)16(日)はデザインフェスタ。通路を挟む12ブースを「妖怪横丁」が占め、そのうちの3ブース(C-676〜678)で人形と写真を展示します。人形作家は、美登利さん、成沢知子さん、八裕沙さん、赤色メトロさん。フライヤーにはまたセーラー服姿、載せちまったぃ。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/DesignFestaVol31105#
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DM とフライヤー

今回の原稿は、そっちの準備で忙しくて書いてる暇がどうしても作れなかったので、永吉さんちの9官鳥にお願いして書いてもらいました。器用な9官鳥で、俺の文体をよく真似てくれてるけど、そこは俺だったらそうは書かんぞ、って箇所もちらほらと。ままいいや、その程度ならきっとバレない。できれば次回もよろしく。

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■編集後記(5/14)

・加藤五十六「肥満自転車」(えい出版社、2010)を読む。みょうなタイトルだが、サブタイトルの「メタボ医師の経験的自転車生活」で、ほぼ内容は予想できる。身長168cmで一時体重が100kgを超えていたという内科医が、まず肥満者の運動の問題点について語り、次いで楽しい自転車話を展開する。肥満者には肥満であることの事情を理解した運動指導が必要だが、市中施設のトレーナーはまず肥満者ではないから、肥満に対する知識が不十分だったり、想像力が欠けているなど、適切な指導はなされていないのではないかという。そこで体験的に、肥満者の膝を守り、排熱と補給に配慮できる運動の道具として、自転車が特におすすめであると説く。しかも自転車は旅の道具としても使える。そして、肥満者の自転車えらび、小物えらび、ペダリングテクニック、下りのトラブルと対策、自転車ツーリングのすすめなど、実用的で楽しい(苦しい体験も)記述が続く。自転車生活においても、肥満者はハンディだらけである。そこをどう乗り切ったか、結果70kgになった経験者が語るからおもしろい。わたしも元サイクリストだったから、マニアックな話は楽しい。自転車に乗ってみようと考える肥満者におすすめだ。わたしも肥満寸前の身として大いに参考になった。加藤直之のユーモラスなイラストが素敵だが、横組の本文はわたしには読みにくい。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4777915697/dgcrcom-22/
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・つるとんたん。有名な讃岐うどんのお店らしいのだが知らなかった。おいしいと聞いて、本店に行ってみた(支店があるのを知らなかった。注文時に麺の太さを聞かれた際の会話で、店員さんが「この地に創業してから〜」と)。メニューに「おうどん」と書かれてあるのが嬉しい。おうどんはもちろん、カレーのおうどん、丼もおいしいらしい。観光スポットのはずれにあるのに、行くと満席。一番端の席に案内され、座ると食前酒がサービスで出た。迷った上に、今度いつ来るかわからないしと、カレー、天ぷら、山かけの三種のおうどんがセットされた「つるとん三宝」1,300円を選んで注文。ちょっと高いなぁ、まぁ観光地だしなぁと。が、運ばれて来たのを見て、全然高くないと思った。三種のおうどんはそれぞれ普通の器サイズに普通量。セットだと個々は小さいものよね? 単品のものだと、直径30cmはあったと思う。きつね揚げはB5ぐらいあったんじゃないかと。大阪に来られた人に案内できる場所がなくて困っていたから、良い場所を知ったと喜んで帰宅したが、東京にも支店があるじゃないか〜。食べつつ、この器って自動食器洗浄機には入らないよなぁ、特注洗浄機なのかなぁ、手作業だと洗うの重いだろうなぁ、収納スペース大変だなぁ、積み上げたら壮観だろうなぁ、などと考えていたのであった。(hammer.mule)
< http://www.tsurutontan.co.jp/
>  つるとんたん
< http://www.tsurutontan.co.jp/soemon/menu/
>  メニュー
< http://twitpic.com/1nk170
>
写真汚くてごめんなさい。iPhoneが長辺115.5mm。
< http://www.phyzios.com/
>
PHYZIOS Studio。iPhone版がアップデートできなくなってる〜