映画と夜と音楽と...[462]怒りと反抗の季節
── 十河 進 ──

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〈理由なき反抗/土曜の夜と日曜の朝/長距離走者の孤独/蜜の味/裸の十九歳】/if もしも...〉

●アラン・シリトー「長距離走者の孤独」は読むべき本だった

三月初旬だったろうか、佐々木譲さんがツイッターを始めたというので、譲さんのプロフィールを見にいったら、さすが旬の直木賞作家だけに、すでに何百人もの人がフォロワーになっていた。ただ、譲さんがフォローしているのはひとりで、東浩紀さんだけだった。その人選にはへぇーという感じだったが、あながち意外ではなかった。硬派の論客...というイメージが、佐々木譲さんにはあったからだ。

もちろん僕は、佐々木譲さんをフォローした。それからしばらくして、ツイッターメールで「佐々木譲さんがあなたをフォローし始めました」と入ったときには、嬉しかったけれど何となく緊張した。佐々木譲さんのプロフィールを見にいくと、譲さんがフォローしているふたりめに僕のアイコンがあった。おいおい、と僕はさらに緊張した。僕のつまらないつぶやきが、譲さんのタイムラインに流れるのだ。それも東浩紀さんとふたりだけである。

佐々木譲さんは直木賞を受賞したばかりなので、かなり多忙のようだった。あまりつぶやかず、直木賞受賞後の混乱が続いてる様子がうかがえた。ところが、先日、その佐々木譲さんのつぶやきで、僕はアラン・シリトーの死を知った。佐々木譲さんはシリトーの死を知り、かつて国際ペンクラブの会合でシリトーと会い、自分が最初に読んだ英語の本が「長距離走者の孤独」だったことを話した思い出をツイートしていた。



長距離走者の孤独 (新潮文庫)佐々木譲さんがアラン・シリトーの死に、何らかの感慨を抱くのはよくわかった。佐々木譲さんは僕より二学年上だから僕の兄と同じで、団塊世代あるいは全共闘世代と呼ばれる末尾に当たる。僕も世代的には近いので、その文化的体験なども共通するものがある。60年代半ば、アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」は、文学少年にとって読むべき本のリストの上位に位置していた。

「怒れる若者たち」というムーブメントが英国で起こったのは、1950年代後半である。ジョン・オズボーンの「怒りを込めて振り返れ」という戯曲が発表されたのが、1956年のことだった。そのタイトルから「アングリー・ヤングメン」と名付けられたとも言われている。

僕も昔、小さな出版社から出ていた「怒りを込めて振り返れ」の戯曲を買って読んだけれど、今から思うと主人公には若い頃にありがちな不寛容さが目立つ気がする。すべてのことに怒りを見せる主人公は、理由もなく苛立っていた。どちらにしろ、ジェームス・ディーンのように反抗や怒りは昔から若者たちの特権ではあったけれど...。

理由なき反抗 特別版 [DVD]ジェームス・ディーンが「理由なき反抗」に主演したのは、1955年のことだった。英国で「怒れる若者たち」のムーブメントが起こるより前のことである。その映画は時代のせいか少しセンチメンタルで、主人公は社会に対する異議申し立てではなく、父親の愛情を希求する裏返しとして反抗的な態度を示し、不良たちとも心ならずも対立することになる。

●アラン・シリトーの最初の小説は「土曜の夜と日曜の朝」

アラン・シリトーが最初の小説「土曜の夜と日曜の朝」を出版したのは1958年、30歳のときだった。その小説は大変な好評で迎えられ、彼は一躍、英国文壇の寵児となった。しかし、英国は階級社会である。ジョン・オズボーンなど「怒れる若者たち」と括られていた作家たちは、ケンブリッジやオックスフォード出身のインテリだったが、アラン・シリトーは労働者階級出身で彼らとは一線を画していた。

アラン・シリトーは、「怒れる若者たち」と総称された作家たち中では異色の経歴を持ち、労働者階級の若者たちの怒りを描き出した。彼は、強い怒りを裡に秘めた労働者階級の主人公たちを創造した。その怒りを、主人公たちは何に向けてよいのかわからず、時代の閉塞感ばかりを感じている。苛立ち、怒り、それらは何に向かうのか。彼らに明確な敵の姿は見えるのだろうか。

「土曜の夜と日曜の朝」の主人公アーサーは、自動車工場に勤める工員だ。21歳だが、10代半ばから働いている。すでにいっぱしの大人である。彼は土曜の夜には、酒場で浴びるように酒を飲む。酒量を誇る相手と飲み比べをして、相手を負かしてしまう。ベロベロになりながらも、別のバーでさらにビールジョッキを傾ける。

彼はひどく酔ったまま、亭主と子どものいるブレンダの家へいく。ブレンダは、亭主が出かけて帰ってこない土曜の夜、子どもを寝かしつけて自身も飲みに出かけている。そのブレンダが帰ってくると、ふたりは夫婦のベッドに潜り込む。アーサーには、友人の男の妻を寝取っている後ろめたさなどは何もない。寝取られる間抜けが悪いのだ。

アラン・シリトーは「ピカレスク・ロマン」を得意とした作家だと言われるし、「土曜の夜と日曜の朝」もピカレスク・ロマンとして紹介されることがある。日本語では「悪漢小説」である。確かに、女を寝取り、酒を飲み、ケンカに明け暮れるアーサーは悪漢なのだろう。しかし、彼は正体のわからない苛立ちや怒りを抱えて、その爆発をおさえるために酒を飲み、女を寝取っているようにも思える。彼は怒りを向けるべき本当の敵を見出していないのではないか。

そんな「土曜の夜と日曜の朝」(1960年)のアーサーを、若きアルバート・フィニーが演じた。僕はアルバート・フィニーをオードリー・ヘップヴァーンとの共演作「いつも2人で」(1967年)で初めて知ったが、後に「土曜の夜と日曜の朝」を見たときに、そのイメージの落差に驚いた。その後、様々な役をこなし、半世紀経った今もハリウッド映画で活躍している。

「土曜の夜と日曜の朝」のアルバート・フィニーは、毎日、繰り返される単調な仕事にうんざりし、その憂さを晴らすように放埒な生活を送る若者の存在感を感じさせた。彼の無軌道な行動は、何かに対する異議申し立てのような気がした。酒を飲み、ケンカをし、人妻と寝る...、欲望のままに行動しているかのようだが、彼はそのことに倦んでいるように見えた。

欲望のままに生きているのなら、欲望が充たされれば満足するはずだ。しかし、何かを晴らすためにそんなことをしているのなら、それは代替行為に過ぎない。酒を浴びるように飲み、ケンカを繰り返し、人妻を寝取ることによっては充たされない何かが残る。その充たされない何か...が描かれているが故に、「土曜の夜と日曜の朝」は心に残る作品になったのだ。

●「長距離走者の孤独」の主人公は権力を敵として認識している

今でもよく憶えている。「長距離走者の孤独」(1962年)が日本公開になった1964年に、僕は月刊誌でその紹介記事を読んだ。従姉妹が買っていた「明星」か「平凡」である。大衆向けの芸能娯楽雑誌だ。その頃の雑誌の映画紹介は、なぜか映画のストーリーが詳細に書かれていた。向田邦子さんが編集者をしていた、雄鶏社の「映画ストーリー」という雑誌が出ていた頃である。

その雑誌の記事には、ラストシーンまで詳細に紹介されていた。最近は、映画や小説の紹介記事に「ここから先ネタバレ注意」などと書かれることがあるが、当時はそんな気遣いはあまりなかったように思う。さすがにミステリ作品の結末までは明かさなかったようだが、ミステリでなくてもどんでん返しはあるわけだから、その辺の配慮はどうなっていたのだろう(あまり人のことは言えませんが...)。

「長距離走者の孤独」も雑誌で僕は詳しいストーリーを知った。だから、後に原作を読んだとき、ストーリーそのものにはなじみがあった。「土曜の夜と日曜の朝」と同じようにアラン・シリトー自身がシナリオを書いているから、映画化作品も原作に忠実だった。「土曜の夜と日曜の朝」ではカレル・ライスに監督をまかせ、自分はプロデュースにまわっていたトニー・リチャードソンが制作と監督を担当した。

ところで、トニー・リチャードソンと聞くと、理由はないが僕は大島渚監督を連想する。先日、レッドクレーヴ家のコリン・レッドグレーヴが亡くなったというニュースをネットで読んだが、その葬儀にトニー・リチャードソンの娘たちが出席したと出ていた。コリンの姉のヴァネッサが、トニー・リチャードソンと結婚し、娘たちを生んでいたからだ。

フォー・ウェディング (ベストヒット・セレクション) [DVD]レッドクレーブ家は、日本でたとえると梨園の名門一家だ。父親のマイケル・レッドグレーヴはローレンス・オリヴィエを凌ぐ名優と言われ、娘のヴァネッサとリンは女優として成功した。息子のコリンは、「フォー・ウェディング」(1994年)でアンディ・マクダウェルの結婚相手を演じたくらいしか知られていないが、英国演劇界では評価の高い俳優だった。

驚いたのは、その記事に「姪のジョエリー・リチャードソン、姪の故ナターシャ・リチャードソンの夫リーアム・ニーソンが出席したほか、大学時代の親友イアン・マッケランが弔辞を述べた」とあったことだ。リーアム・ニーソンはトニー・リチャードソンの義理の息子だったのか。もっとも、トニー・リチャードソンは20年近くも前にエイズで死んでいる。

そのトニー・リチャードソンは「蜜の味」(1961年)の監督で注目され(主題曲はスタンダードになった)、「長距離走者の孤独」で世界的に評価された。「長距離走者の孤独」には、後に義父になる名優マイケル・レッドグレーヴが重要な役で出ている。彼は、主人公を長距離クロスカントリーの選手にし、感化院の名誉を担って走れと命じる感化院の院長を演じた。

主人公は貧しい家の生まれで、子どもの頃から生活は荒れていた。彼の足が速くなったのは、子どもの頃からかっぱらいや万引きをやっては、逃げてばかりいたからだ。しかし、彼はとうとう警官に捕まり感化院送りになる。そこで、彼は長距離クロスカントリーの選手にされ、自らその才能を見出し走る喜びを感じるのだ。

反抗すべき真の相手が見えていなかった「土曜の夜と日曜の朝」のアーサーと比べると、「長距離走者の孤独」の主人公は生まれたときから権力を敵として認識している青年だ。警官や、教師や、政治家や、感化院院長や...、言ってしまえばすべての大人は彼にとって戦うべき相手であり、反抗すべき対象なのである。それは、明確に意識されている。いや、その気持ちは本能的なものなのかもしれない。

そして、感化院では絶対的な権力者である院長が、彼の戦うべき相手、反抗すべき敵として認識される。その権力者をマイケル・レッドグレーヴが威厳を持って演じた。院長は感化院の名誉のために、主人公に優勝することを絶対条件として負荷する。主人公は走ることの中に純粋な喜びを感じ、練習を重ねて才能を開花させ、優勝候補と目される存在になる。しかし、優勝目前のゴールの前で、彼は立ち止まる...。

このシーンが40年近く経っても、僕の記憶に残っている。彼は懸命に走る。野原を走り、森を駆け抜け、ゴールが見えてくる。院長を始め多くの人たちが彼に声援を送る。誰もが優勝を確信している。しかし、彼はゴール直前で立ち止まり、追ってくる二着の選手を待つ。主人公を演じたトム・コートネイのそのときの表情を、僕は今も甦らせることができる。

いつの時代も若者にとって、権威や権力、大人たちの世界は戦うべき存在だった。それらを否定し、反抗し、その中から新しい何かが生まれてくるはずだった。「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンも、大人たちの世界を「インチキ」と糾弾した。僕にも憶えがある。20歳の僕は「30以上を信じるな」という、当時、世界中の若者たちが合い言葉にしたフレーズを口にした。

先日、WOWOWの新藤兼人監督特集で「裸の十九歳」(1970年)を40年ぶりに見た。僕が18で上京したときに公開された映画だ。主人公は、連続射殺犯の永山則夫をモデルにしている。その足跡を丹念に調査し、忠実に映画化したものだ。主人公が大学生のデモを見るシーンが、頻繁に出てくる。そういう時代だった。

「すべての犯罪は革命的である」と言ったのは、先日、亡くなった平岡正明さんである。そのフレーズは、当時の僕には意味深く響いた。そして、「裸の十九歳」の金ほしさにタクシー運転手を冷血に射殺する、19歳の主人公の心情に共感することができた。その苛立ちや怒りや反抗心に、己を重ねることができたのだ。将来の不安や、閉塞感が、僕をそんな気分に駆り立てていた。

しかし、40年後の今、「裸の十九歳」を見た僕の頭に浮かんできたのは、未熟、短絡、怠惰、身勝手、堕落...といった否定的な言葉ばかりだった。学生たちの本物のデモを撮ったであろうシーンも、僕に何の昂揚ももたらさない。これは一体、どうしたことだ。僕が年老いてしまったということなのか。大人の世界にどっぷり浸かってしまったのか。

グラン・トリノ [Blu-ray]最近の僕の口癖は、「若いモンは嫌いだ。未熟で、傲慢で、身勝手で...」というフレーズだ。これじゃあ、まるで「グラン・トリノ」(2009年)で、クリント・イーストウッドが演じた偏屈な老人である。僕は若者たちの怒りと反抗の対象である「インチキな大人」になったのか? 空疎な言葉で説得しようとする教師に向かって、拒絶の銃弾を放つ「if もしも...」(1968年/この映画は怒れる英国の若者たちがいき着いた果てではないか)に興奮した頃もあったのだけれど...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951
>

カンヌ映画祭特集で、近々、「蜜の味」「if もしも...」がWOWOWで放映されるようです。ところで、ツイッターでいろいろぼやいているので、ココに書くべき内容がありません。だぶってもいいのだけど、「また、書いてる」と言われるのも何ですし...。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
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by G-Tools , 2010/05/14