[2898] こだわりと無駄の中で育む力

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《回り道のようで実は王道》

■わが逃走[70]
 「あぜ道を撮りたい」その1 の巻
 齋藤 浩

■電網悠語:日々の想い[162]
 こだわりと無駄の中で育む力
 三井英樹

■日々これ徒然なり[06]
 20年前に『タイム・アウト!』を好きになれなくてゴメン
 えむ



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■わが逃走[70]
「あぜ道を撮りたい」その1 の巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20100729140300.html
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暑い。暑いなあ。こう暑いと、つい無意味なことを考えてしまう。真っ昼間に日陰のない世田谷線のホームで電車を待っていたのだが、たとえば「もしここでいきなり蒸気機関車がホームに入ってきたら余計暑くなるだろうなあ」とか。

あ、蒸気機関車を実際に見たことがない人も相当数いらっしゃるはずなので説明させていただくと、あれは近寄ると熱いものなのです。マニアだから心が熱くなるとかいう話ではなく、カマに石炭をくべて火をおこして、その熱で蒸気を発生させて動くものなので、あれは巨大なコンロとヤカンが走ってるようなものなのです。なので熱いのです。

そんなことを考えていると、「そういえば蒸気機関車のことを昔の人は陸蒸気と言ったんだよなあ」とか、どうでもいいことを思い出す。その昔"蒸気"といえば蒸気船のことをさすことが常識だった頃、その陸を走るバージョン現る!ということで陸蒸気と呼ばれるようになったのですね。つまり、ウミヘビやウミガメなんかとネーミングの構造が同じだということがわかります。

そういえば30年くらい前に、サーフボードを車の屋根に固定して街を走る陸サーファーなんてのがいました。他にも陸(おか)のつくネーミングを思い出せないものか...などと考えると、唐突に知人のYさんが脳裏に浮かびました。ちなみにYさんはオカマです。

オカマのオカが陸ってことはないだろう! と、灼熱のプラットホームのでひとりツッコミをいれたものの、ひょっとしたらひょっとするかも?? と思い直していろいろと仮説をたててみました。その中でもっとも隙のないものが以下の推論。

オカマとは、そもそも陸に上がった海女のことなのです。もともとオカアマだったものが、長い年月を経て訛ってきてオカマになったという。ということは、Yさんを海水につけると海女になっちゃうかも!! とか考えていると、暑さとキモチワルさで顔中に汗が玉になって浮かんできた。

と、首の後ろに突然刺すような痛みを感じたのだ! たまーにこういうことがある。蜂にでも刺されたかな? と思うのだが、触ってみるとなんともない。これはいったい何なのか?? これはきっと汗の玉がレンズになって太陽光を集めているのだ。昔、虫眼鏡で新聞の文字を焦がしたように、汗がレンズになって私の肉体を内側から焼いてしまう。こ、これはコワイ!!

なんてことを考えてたら電車がきた。車内は冷房が効いていて快適だ。で、ようやく落ち着いておかしな妄想から解放されたのでした。

みんさんこんにちは、齋藤です。暑い日が続きますが、私みたいに脳がおかしなことになっていませんか? ちなみにいままでの話はあくまでもプロローグでして、今回の本題とは無関係です。さて今回は、あぜ道というか未舗装の山道というか、そういったものについてです。

住宅密集地における細い路地なんかは、昔からグッと来る対象でして、尾道の山の手や東京の下町の雰囲気を、どうにかして美しく記録したい! なんてことを常々考えつつ写真を撮ったりしているのです。

その反面、農地や山道をうねる未舗装の道なんかにも子供の頃から魅力を感じていました。小学3年生だったと思うのですが、祖父の家にあった民芸品というか土産物屋で売ってるようなモノなのですが、幅1メートル天地35センチくらいのスライスされた木材に詩が...

からまつの林を過ぎて
からまつをしみじみと見き
からまつはさびしかりけり
たびゆくはさびしかりけり
からまつの林を出でて
からまつの林に入りぬ
からまつの林に入りて
また細く道はつづけり

...てな感じに、からまつからまつと延々と続くアレです。モトはただの板っきれです。板っきれといえば平面だ。その平面からなんて立体的な風景が溢れ出るのだろう!!! からまつに囲まれた一本道の遠近感、そして深く息を吸い込むとその香りまでもがイメージできる。

「すげえ! この板すげえ!」なんてことを思った小学3年生のオレ。翌朝、小川の脇のあぜ道を半ズボン+ランニングシャツ+虫かご+捕虫網という完璧なファッションで歩いていると、朝露で濡れた葉っぱが足を濡らす。そいつがちょっと乾いてくるとなんともカユい。で、ちょっと立ち止まって右足のツメで左足のスネを掻きながらいま来た道を振り返ってみると、朝日が朝霧に反射しつつ、そこら中の葉っぱについた露に反射している。

それを「いやー、なんとも風流でしてね」などと小学3年生が言える訳もなく、どう表現していいのか分からずそのまま30年以上経ってしまった。

そんなことを思い出し、あの日見た風景(のような風景)をなんとかしてナントカできないものか...と考え、写真に撮ってみよう! と思い立った。目標はでかい方がイイ。『あぜ道を、白秋の詩みたいに撮る!』をテーマに、これから10年くらいかけて地道に撮っていこう。

さて私は、過去に何度も自分の好きなあぜ道の写真を撮っているのだが、どうもイマイチ上手く撮れない。「ここにこんな感じで山があって、ここんとこに木が生えてます」みたいな説明的な絵になっちゃうのだ。じゃ、どうすれば思い通りの絵になるのか? といえば、よくわからんのです。

なので、今回は最初なので「感動しながらシャッターを押す」というなんとも曖昧なルールを決めて、早朝の蓼科へ向かった。        つづく!!

スミマセン、なにやら本業が激多忙モードに突入してしまったため、写真を紹介したいんだけど今回はこれにて。

それにしても、何故みなさん一斉に示し合わせたかのごとく仕事をくださるのでしょうか。謎です。とはいえ、今までの暇すぎる恐怖と比べれば、いまの激務なんざ夢のようです。でも過労死しないように気をつけなければ...。ほんと、極端な人生です。

真夜中にコンビニに行くと客が3人くらいいて、みんな商品を選んだり立ち読みしていたりします。で、オレがレジに行こうとすると何故か皆一斉にそう思うらしく、誰もいなかったレジに行列ができるという不思議。この現象を科学的に解明できないものか。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■電網悠語:日々の想い[162]
こだわりと無駄の中で育む力

三井英樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20100729140200.html
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細部にこだわる。小さなことに見えかねないことで悩む。そんな積み重ねの重みをひしひしと感じるときがある。Webサイトを構築しながら、大きな構造を練りつつ、細部が引っかかってしょうがない。そこを紐解ければ、全てのパズルが解けるかのように、全力でその細部を解決する。もちろん、それで万事解決にはならないことの方が多いのは経験から知っている。でも、やらないと気持ち悪い、片付けるとかなりすっきりする。

全然効率的ではない。ある程度の時間をかければ、次に進むべきなのだろう。全体スケジュールを思い浮かべながら、ヤバイよなぁとつぶやきながら、こだわる。ここで頑張っても、誰も気付かないだろな、とか口をつく。

でもいいや、と思う。もう少しだけ時間をかけると覚悟を決める。プロジェクト管理上は、それがいけないのかもしれない。でも自分が納得できないものでは、クライアントに説明ができない。自分の中で、どこかしっくり来るまで、諸々煮詰めなければ、「そこ」に辿り着けない。


「そこ」って何処だよ。自分の中でも悩むときがある。もはやどの会社もWebサイトを持っている。品質上、上下の幅は実は拡大しているけれど、保持しているかどうかの指標の方が大きく映る。相対的に圧倒的な個性を求めるクライアントは減っている気もする。5年強前までは、作るなら凄いのを作ろうという野心に溢れたクライアントが目だっていたし、彼らが牽引した部分は大きい。

でも、目指すべき「そこ」は今もあるのだろうと思う。無理やり存在を信じようとしている部分は自覚しているけれど、ないと困る。達成感という言葉が当てはまるのか、それともゴールなのか。いずれにしても目指すべき到達点。そのために頑張れる、目の前に吊るされたニンジン。

誰が決める訳でもない。個人的な「掟(おきて)」にも近い。自分自身が納得する線を自ら引いていて、それを越えるまでは、なんだかしっくりこない、落ち着かない。意地と言ってもいいかもしれない。


そんな経験が活きて来る場面がある。何もかもが、クライアントのお気に召してしまう瞬間。え? これも気に入ってもらえるの?? 自分でも驚くほどの出来事。不思議な嬉しさの包まれながら、その根底に、重ねたこだわり苦労が横たわることに気がつく。そっか、あそこでこだわったから、あの作業がなんなくできたのだ。

クライアントとの関係がしっくり行くと、プロジェクトもまわる。プロジェクトが回らないから関係が悪化することはよくあるけれど、プロジェクトを円滑に進めるために良い関係を構築すべきなのだと改めて想う。

同じこだわりの海を航海してきた仲間には、不思議な連帯感が生まれる。まるで、同じ会社のようだ。こだわりを共有して、辿り着いたのだ、最早ブラザー(兄弟)じゃないか。同じ課題、同じゴールに取り組み続けるからこそ、成立する共有感。プロジェクトマネージメント(PM)的に言うと、あのこだわりの季節は、チームビルディングにあたる期間だったのかもしれない。

個々の個性とスキルを活かしつつ、同じ目的(サイト構築)のために全力以上の力を発揮できる環境つくり。そう考えると、一朝一夕にできる訳のない話だと思える。多少の無駄がかかっても致し方ない。むしろ、効率的な無駄作業を選んで行くべきとさえ思える。

それがこだわり議論の部分なのだろう。ユーザビリティへの関心が低い人には、まさにどうでもいいような細部に対して、真剣に白熱した議論ができることは、互いの考え方の傾向までも提示しつつ、合意形成のパターン認識の練習とも言える。


Webサイトが一般的になるにつれ、実は開発プロセスは二極化する。いかに早く安く作れるかという方向と、いかに細部にこだわりつつ様々な価値観を収束させて作っていくかという方向。「ポテトも如何ですか?」と紋切型の店員を放置する接客と、相手の顔色を見ながらおもてなしを考えるコンシェルジュとどちらが好ましいですか、という問いで分類できるものだとも言える。

前者は価格競争に呑まれて行くのが分かっている道だ。ある程度は企業努力すべき必須部分ではある。けれど、全面的にモットーとしていくには、Web屋の生活を脅かす部分がありすぎて危険だ。一発芸で散っていく覚悟ならまだしも、疲弊の蓄積の先には明るい未来はない。

それに対して、後者は、理想論に見えつつも、実はニッチ領域、あるいはエッジのきいたユーザやコンテンツ(商品)に活路を見出そうとするなら、まっとうに見える道だ。そして、実はそうした領域が多くなっていく気がしてならない。十羽一からげ的なコミュニケーションの時代は終わっている。多種多様な商品を、多種多様なユーザにマッチングしてあげる時代のはずだろう。

だからWebサイトは、決まったブロックを積み上げて、はい終了という訳には行かない。一見そうであるかのように見えて、実はそうした手抜きはユーザにはバレバレで、そうなっては本来の目的に反して、ユーザとのコミュニケーションに対する真摯さが低いように見えてしまう。

Webサイトは、自己満足のために情報を羅列している訳ではない。いかにユーザを大切に扱っているかを示すためにも、精一杯の分かり易さでお話ししているようなものなのだ。だからこそ、こだわりは必要になる。


こだわりの連続の先での提案に、「おぉ、やるじゃないか」、と言ってもらう。その一言で、それまでの苦労が消える。威張るわけではない、奢るわけでもない。頑張ったことへの報酬、この一言のためだけに頑張れる魔法の言葉。そして今までの涙が、底力(ポテンシャル)に変わっていく瞬間。そして、連帯感が強まる瞬間。互いにパートナーとして認め合う瞬間。

ここにショートカット(近道)はないのだろう。効率化と声高に叫ぶと、するりと抜け落ちてしまいがちな、大切な部分。回り道のようで、実は王道。これを短期化に拍車がかかるプロジェクトでいかに成すか。大きくも楽しみな課題である。精進あるのみ。

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■日々これ徒然なり[06]
20年前に『タイム・アウト!』を好きになれなくてゴメン

えむ
< https://bn.dgcr.com/archives/20100729140100.html
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◎今週の一枚──佐野元春「タイム・アウト!」
「佐野元春 1990-1999 オリジナル・アルバム・リマスタード」
(ソニー・ミュージックダイレクト DQCL 1642〜7)より
佐野元春の1990年代のオリジナル・アルバム全6枚が、ボックスセットとなっているうちの1枚。2009年12月発売。完全限定生産。

前回に続いての佐野元春作品です。「佐野元春 1990-1999 ...」は、90年代に出たオリジナル・アルバムすべてがリマスタリングされた上で、Blu-spec CD仕様で再発売されたものです。「タイム・アウト!」から「Stones and Eggs」までの6枚の再発売は、これが初めてになります。

リマスタリングの恩恵を最も感じるのは、やはり1990年発表の「タイム・アウト!」でしょう。実はこのアルバムを、僕はあまり好きになれずにいました。先行シングルだった「ジャスミンガール」のように軽快なロックナンバーもあるのに、オリジナル盤(ESCB 1111)では全体的に元春のボーカルが元気なさげに聴こえ、かなり地味な印象だったためだろうと思います。ジャケットもモノクロっぽい色調で、明るさを感じるものではありません。

ところが大変うれしいことに、この再発盤で印象が一変しました。発売から20年も経った今になって、お気に入りの一枚となっています。技術の進歩には、どれだけ感謝してもしすぎることはありませんね。再発盤を聴いて、元春のボーカルは、前面に出しゃばらないよう控えめにミキシングされているだけで、実はいつものように元気よくシャウトしているんだと分かるようになりました。そして、元春を支え、バンドサウンドを形作っているのはザ・ハートランドの面々。彼らの演奏のシンプルさと締まりの良さも明確になっています。

また、このアルバムでは、内省的な元春の心情が、通奏低音のごとく響いているように感じます。元春自身が「タイム・アウト!」を「ホームアルバム」と称していることにも、なるほどと納得のいくサウンドです。象徴的なのが10曲目「ガンボ」のラスト。フェードアウトしていく部分で元春は「誰か ここに来て 救い出してほしい」というセリフを語っています。この時期の元春は、心の中の「ホーム」へ回帰しようとしていたようです。おそらくは、このアルバム制作のごく近い時期に身内を亡くしたことも影響していたのでしょう。

この新たにリマスタリングされた音源で「タイム・アウト!」を聞き直すと、オリジナル盤が実際以上に地味に聴こえていたんだと、つくづく感じます。当時のマスタリング技術や機材が、まだ十分と言えるレベルでなかったことに、地味さを増していた一因があるのは確かでしょう。

けれども、当時を振り返り、よく考えてみて、僕自身の心境のほうが大きく影響していたんじゃないかと思えてきました。このアルバムが出た頃の僕は、初めての一人暮らしを始めておよそ一年半。世間はバブル景気の真っ最中です。貧乏学生の僕が、絶好調の日本経済の恩恵に浴することはほとんどなかったはずで、むしろ逆に、僕の大学生活は決して好調と言えない状態でした。

そんな僕にとって「タイム・アウト!」は積極的に聴きたい音楽じゃなかったようです。寂しさや辛さを紛らわせるため、もっと華やかで派手なサウンドを無意識のうちに求めていたのかもしれません。中島みゆきを聴いてますますどっぷり落ち込み、カタルシスの中で精神的に浮上する、というのとは逆ですね。どうしようもなく今さらですが、「20年前に『タイム・アウト!』を好きになれなくてゴメン」と、この場を借りて元春に謝っておきます。

さて、「佐野元春 1990-1999 ...」の発売から半年以上が経ちました。6枚組とは言え、15,000円というのは安くありませんし、一般のレコード店では売られてないので、このセット品を買うのはよほどのファンに限られます。そういう商品特性を踏まえた上での完全限定生産ですから、そろそろ売り切れていてもおかしくないのですが、実際は今も販売が続いています。販売数が想定を下回っているのは想像に難くありません。ファンのひとりとして、これはちょっと残念です。全体的にCDが売れなくなっていることが、こんなところにも現れているように思います。

また、「佐野元春 1990-1999 ...」収録の6枚については、公式サイトに書かれているようにアルバム単体での販売計画もあり、今年の春に発売予定となっていました。しかし、まだ何もアナウンスのない状況です。「佐野元春 1990-1999 ...」の売れ行きが芳しくないとすれば、これも合点の行く話です。延期されているのか、すでに中止が決まっているのか分かりませんけれど、日が経つごとに、単体販売されない可能性が高まっているように感じます。ひょっとしたら、今回のような形で「佐野元春 1990-1999 ...」の6枚のアルバムを入手できるのは、これが最後かもしれないとも思います。次はCDではなく、「高音質仕様でのネット配信」が待ってますから。

佐野元春オリジナル・アルバム・リマスタード 1990-1999 - Moto's Web Server
< http://www.moto.co.jp/remaster/90s/
>

MOTOHARU SANO 1990-1999 ORIGINAL ALBUM REMASTERED - Sony Music Shop
< http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&cd=DQCL000001642
>

【えむ】 emuyama@gmail.com
< http://twitter.com/emuyama
>
< http://emuyama.cocolog-nifty.com/
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■編集後記(7/29)

・電子書籍は過去に2回、日本でも大きな動きがあった。それは結果として失敗に終わり、3度目がいまの「黒船」騒ぎだ。読書端末は2003年にΣ BookとSD-book、2004年にリブリエが出た。そうとう完成度が高かったと思うが、紙の本に対する優位性を示せず撤退した。不完全な流通・購読システム、貧弱なくせに高価格なコンテンツ、加えて読書端末も高かった。読書端末(いまは電子書籍リーダーともいう)のメリットを、6年前の日本の読者は享受できなかった。外圧があれば日本は動く。2010年は、今度こそホンモノの、電子書籍&電子書籍リーダーの元年になると思う。年内に1万円の電子書籍リーダーが出る、フォーマットもEPUBが完全に日本語対応になる、以上は希望。ところで、電子出版の魁、「新潮文庫の100冊」「新潮文庫の絶版100冊」CDを取り出して、わたしのマックG4(Intelではない)に入れたら「アプリケーション新潮文庫の100冊は、Classic環境に対応しなくなったため、開くことできません」と出た。ん? OSX環境に対応しなくなったため、じゃないのか? 意味不明。このCDには貴重な200冊超が入っている。いまは使っていない純白iBook(PowerPC G3)をClassic環境に戻して、新潮文庫専用の電子書籍リーダーに使おうかと思っている。ほかにいい方法があるのだろうか。(柴田)

・Magic TrackPadは、現在「配達中」モード。引っ越し前はルートの関係で、ヤマトのお兄さんが8時半〜9時過ぎまでには届けてくれる場所であった。引っ越し後は午前中の配達でも12時ぎりぎりというのが少なくない。早く来い〜!/細部にこだわる、で連想するのがバレエの吉田都さん。トゥシューズへのこだわりとか、足下の1mmのズレが上体では何cmにもなる、とかのお話をされている。/ちょっと考えなあかんな、と思った瞬間。iPhoneを購入してすぐに、図書館でiPhone関連書籍を予約した。大量にあるので、予約枠が空くと追加予約した。書店で気に入って購入した本や雑誌もある。どんなアプリがあるのだろうか、執筆するぐらい詳しい人は、どういう使い方をしているんだろうかと興味があったからだ。だいたいどの本も薦めているアプリは同じだし、使い方も同様。しかしそれぞれ切り口の違う章がある。先週は二冊到着してしまって、もういいんだけどな〜と思いつつ斜め読み。はたと気づく。最近、仕事関連の書籍で、同じテーマのものを複数読んだか? 否。たとえばPhotoshopはバージョンがあがってきたので、昔の記憶とは違っているものも多い。一からブラッシュアップしたいなぁと思いつつ、そのまま。パワーポイントやKeynoteなど、大抵のソフトはマニュアルすら読まずに使っちゃってる。あかんがな。新機能は動画で見て、ほうこんなことができるようになったのね、と記憶にとどめておき、そのまま実戦に使う程度。/今後図書館では「iPhone」で検索するのではなく、「HTML5」にしよう......と思ったにも係わらず、「電子レンジ」で検索しそうになった。電子レンジでの簡単調理レシピってどれぐらいあるんだろうと思っちゃってつい。納期が重なったりして徹夜が続くと、冷凍食品や生協最強と思い、暇な時に食材を大量に買い込んだり、鮭を焼いて冷凍していた自分に感謝し、もっと続くと、カップラーメンってこんなに美味しかったっけ〜? と思ってしまう。少し仕事が楽になってスーパーに行くと、あらこんなものが、そういや最近あれは作っていないわね〜と思ってカップラーメンが嫌になるんだけど。疲れている時のカップラーメン類の香りや味は最高だ。(hammer.mule)
< http://www.nhk.or.jp/professional/tool/070424/
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プロフェッショナル
< http://twi-tou.rao.jp/
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ラ王追湯式典7月30日開催。歌ってるのは誰?
< http://www.murakami-s.com/recipe/rec_index/re_index_renji.htm
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村上祥子さんの電子レンジ調理レシピ