[2903] デジタル教科書は子供の創造性の夢をみるか

投稿:  著者:  読了時間:26分(本文:約12,500文字)


《未来は教室に並んだ小さな机で育つ》

■電網悠語:日々の想い[163]
 デジタル教科書は子供の創造性の夢をみるか
 三井英樹

■ショート・ストーリーのKUNI[84]
 炊飯器
 ヤマシタクニコ

■ローマでMANGA[32]
 イタリアのバカンスと8月15日
 midori



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■電網悠語:日々の想い[163]
デジタル教科書は子供の創造性の夢をみるか

三井英樹
< http://bn.dgcr.com/archives/20100826140300.html >
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自分の子供の頃と、我が子の頃とを思い出しながら、デジタル教科書を想っている。現実的なデバイスと、先進的なユーザと、声の大きな企業家と、文科省。教育論者の声が小さく、現場担当者の先生も静観し、当人である子供達の声が一切聞こえてこないのが気にかかる気はするけれど、何度目かのこの波こそが本当に乗るべきビッグウェーブに見えてくる。


電子書籍が定着する前に、未来を担う子供たちへの導入には少なからず抵抗感はあるけれど、現時点での私にとってのデジタル教科書に必要なスペックを並べてみた。

A)最優先要件(必須)

 01)見易いこと(含、拡大縮小)
   → 屋外室内問わずに可読性を保証すること
   → 最低6インチ、可能であれば7インチの画面
 02)立って音読しやすいこと
   → 最大でも200g、可能なら150gを切るレベル
   → 片手で持ちながら操作できること
 03)読むあるいは見ることに集中できること
   → 気移りするような仕掛けは不要、目的は集中力の育成
 04)乱暴に扱えること/頑丈なこと(原則6年間使用を想定)
   → 机から落とすことは想定すること
 05)ページを指定し易く、指定したならすぐにジャンプできること
   → メイン画面以外のUIもあり
 06)充電は最低2週間に一度でよいこと/高速充電が可能なこと
   → 電池切れによる授業の妨げを最大限に回避
 07)安価なこと(1台目だけでなく、なくした場合なども)
   → 買換えや親用買い足しを想定すること、5,000円/台あたり
 08)タッチパネル機能をoffにできること
   → 画面に表示された文字をお手本になぞる学習が可能なこと
 09)膨大な文書量をコンパクトに、容易に収納できること
   → 無線による教材配布が可能なこと
   → 小学校6年間の主教材、副教材が収納可能なこと
 10)別UIを別途接続する余地があること
   → 文字盤キーボードやピアノ鍵盤を想定

B)次点要件(基本必須)

 01)無線を含め、使いこなすには、多少の鍛錬が必要なこと
   → デバイスを使いこなすのに工夫や探究心を要すること
 02)音読機能
   → 国語主教材に関しては正式な声優品質での音声学習が可能なこと
   → 他教科教材に関してはマシン音読でも許容
 03)インタラクション
   → 簡単なクイズ(選択式回答)と集計と、音楽に関する教育的刺激に
     なるものを想定
 04)ブックマーク/注釈機能
   → 備忘録的なもの。基本的には別途紙のノートの活用を前提とする
 05)ストラップ取り付けや静止画などのカスタマイズ性
   → 自分のものという意識を育てやすい仕掛けがあること
 06)録音機能
   → 授業時など、ある程度の時間内で音声記録が可能なこと
 07)検索機能
   → 文字検索が可能なこと(初等時には子より親が対象)
 08)デバイス間通信機能
   → 先生からの優先度高の連絡:「このページ見なさい」通知
   → 生徒間での連絡
 09)時間割と座席表、校歌、校則など学校独自情報などの特別コンテンツ
   → アクセスしやすい状況であること
   → 時間割には変更が行われること、緊急対応を想定すること
 10) データ交換機能
   → 連絡レベル:先生から&生徒間の短文メッセージ
   → 文書レベル:平時アナウンス、卒業文集、サイン帳

C)不要要件(禁止はしないが、実装しても評価加点しない)

 01)メモ&落書き機能
   → 手書き学習への促しとしても、実装する必要なし
 02)動画サポート
   → 参考情報としての映像なので、副教材でカヴァーすればよい

D)コンテンツ要件

 01)学年指定によって漢字の表示を変更できること
   → 同じ教材でも、1年生用と6年生用とでは表示される漢字が異なる
 02)ルビのon/offができること
   → 当然双方美しい行間になること
 03)コンテンツの総ページ数/現在位置とが明に分かりジャンプ可能なこと
   → 基本的にページ番号が現場での拠り所になる
 04)図の拡大/縮小が可能かつ見易いものであること
 05)漢字、図、索引、作者など、複数のインデックス機能を備えること
 06)ページ区切りがコンテンツ単位との整合性がとられていること
   → ページ間を行ったり来たりしないと読めない教材が少ないこと
 07)試験範囲などの指定が、教師側の操作で一斉に設定できること
   → コンテンツ自体の修正権限
 08)レイアウトは美しいこと
   → デコレーションではなく、培った組版の美しさを目指すこと
 09)複数のツールで作成&編集できること
   → 標準と定めたフォーマットを守ること(noMoreブラウザ戦争)


子供たちには、教室で、校庭で、日差しの下で、木漏れ日の中で、コンテンツに見入ってほしい。その思いは、上記の文字教材主体からも透けて見えると思う。正直、音楽と美術については悩んだ。誰もに才能を開花させる可能性を提供すべきかとも思った。でも、音楽はともかく、美術の色の再現までサポートするとなると大事だと思った。

それはアナログで体験すべきだろう。紙に絵筆が触れる瞬間。色数の多さに戸惑う感覚。目の前に広がる情景を二次元化する分解能力。ないものをそこに描く想像性。これを5,000円デバイスで実現するのは、現実的ではない。それらは、手を汚し、紙を汚して学んで欲しい。楽しんで欲しい。

同時に、メモ書き系も優先度を落とした。何もかもデジタルで処理することは、大人でさえ無理である。デジタルで資料を配布し、それ自体をデジタルで備忘録とし、再配布する。そんな芸当をなしている人は稀である。それを子供に求めては、教師が死ぬ。

きっとその辺りは、行ったことはないけれど、文科省が完全デジタル化され、書棚がなくなり、電子書籍系でスピーディーな対応ができてからで良いのではないだろうか。省内見学をする子供たちに、「こうするのがカッコいいんだよ」と胸を張れば良い。きっと心に残り、デジタルリテラシは向上する。

そんなこんなで、6年間手に携える教科書が手に入ったならば、どんな未来が待っているだろう。このデバイスに公式に入れる最後のコンテンツは、卒業文集だ。野球選手になりたい、大臣になりたい、科学者になりたい。屈託もなく書いた夢を持って歩ける。いや、持って歩く人は少ないだろうが、その言葉は本棚の片隅にデジタルデータで見やすく鎮座する。少なくとも悪い方向に進ませるアクセルにはならない気がする。


様々な角度からのコメントは増えてきている。中でも下記は興味深い。デジタル教科書の狙いが拡散しているのが読み取れる(今までの経験から言うと、無駄な税金投入になりかけている)。法改正しないと「教科書」ではない議論には溜息しか出ないが、推進者が教育の現場をデバイスによって変えようと思っている節があるとことが厄介だ。

  ▼デジタル教科書は、イノベーションを触発する契機となるか? 電子書
  籍を巡る狂騒とデジタル教科書導入の行方(1/3)
  :企業のIT・経営・ビジネスをつなぐ情報サイト EnterpriseZine(EZ)
  < http://enterprisezine.jp/article/detail/2472 >

すぐに思い出すのが、マネージメントの父:ピーター・ドラッカーの言葉だ。

  ▼小さく始めなければならない。大がかりな万能薬的な取り組みはうまく
  いかない。
  < >
  DruckerBOT/ピーター・ドラッカーBOT

狙いは子供たちに絞った方が良い。そもそも様々な「大人」の発言に利権が絡みすぎているように見える。ドロドロの先に、清流がないことは、もはや学習済みだろう。ゆとり教育の反省も活かして欲しい。学習は苦しいものだし、子供たちは大人が思っているよりも大きい、様々な意味で。大人ができることは、その大きな種を育む環境を少し整えることと、大人のドロドロに巻き込まないことだけなんじゃないだろうか。

教育が聖域であり、教職が聖職であった時代は過ぎてしまった。学級崩壊が叫ばれて久しい。それでも、未来はあの並んだ小さな机の中で育つ。英断が成されますように。

【みつい・ひでき】 感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
・当然上記を満たすのはiPadではない
・Nook的なマルチ画面(表示用+操作用)は現実的だと思う
・Kindle3は2日早く出荷らしい。待ち遠しい。
・mitmix : < * http://www.mitmix.net/ >
・Twitter : < * http://twitter.com/mit >

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■ショート・ストーリーのKUNI[84]
炊飯器

ヤマシタクニコ
< http://bn.dgcr.com/archives/20100826140200.html >
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炊飯器が壊れたので、新しいのをネットで買った。そこそこの値段でそこそこの機能。まあご飯が炊ければいいのだ。

翌々日に炊飯器が届くと、ぼくはうきうきして梱包を解いた。不足しているものがないか、保証書はあるか、などをチェック。オッケー。と思ったら、「ご注意」と書かれた紙が出てきた。

直射日光にあてないでください。
火のそばに置かないでください。
乳幼児の手の届かないところに置かないでください。
炊飯器の上に乗らないでください。

まあもっともだよなあとぼくは思いながら読んだ。
するとその次に

おおいそぎメニューはなるべく3回までにしてください。

ん? おおいそぎメニュー?
そういえば、前の炊飯器は小さくて安物ながらいくつかメニューがあって「ふつう」「おいそぎ」「おかゆ」があった。「おいそぎ」にすると普通に炊くときの半分ちょっとくらいの時間で炊けて、便利だった。

でも、「おおいそぎ」? なんか「お」が多くね? と思いながら炊飯器を見ると、確かに、「おいそぎ」があって、その隣に「おおいそぎ」というボタンがあるのだ。ふーん。

マニュアルを取りだし、メニューボタンの説明のページを開いてみる。

「おおいそぎ」メニューにすると、たった5分でおいしいご飯が炊きあがります。食べたいと思った5分後には炊きあがっている。すばらしいでしょ。これは本機だけの特色です。

ほー。5分! 確かにすごい!

ただし、「おおいそぎ」メニューの実行は本機に大きな負担をかけることになります。なるべく3回までにしてください。

3回。そうか。それはちょっときびしいが、まあそういう限界があるせいで、あまり宣伝してないんだな。そうでなければ「5分で炊ける炊飯器」としてもっと派手に宣伝するはずだ。よし。5分で炊かないといけない局面がそうそうあるとは思えないが、大事に使うことにしよう。

と思いながらぼくはさっそく「3回」のうちの1回を使ってしまうことになった。別にものすごく急いでいたわけではない。「おいそぎ」にするつもりが、ボタンを押し間違えたのだ。ぼくは在宅でデザイナーをやっているのだが、いいアイデアが浮かばず悶々としていたところで、なんだかぼうっとしていたのだろう。てきとうにボタンを押すとあっと思う間に蒸気がしゅーしゅーと吹き出し、おいしそうなにおいが部屋いっぱいに満ち、え、もしかして間違えた?! と思うころにはもうカチッ! と音がして炊きあがっていた。ティファールの電気ケトルか、おまえは。

これは設計ミスだな、よく似たボタンが並んでるんだから、押し間違いが起こるのは当然じゃないか、なのに3回までにしてくださいだなんて、よくいうよ。ぼくはぶつぶつ言いながら、とりあえずご飯を食べた。

めちゃおいしかった。これまで食べたどんなご飯より! そのせいかどうか、そのあとパソコンに向かうと、さっきまで煮詰まっていたのがうそのようにアイデアが浮かんだ。翌日が締め切りで、こりゃ間に合わないなとあきらめかけていたのが、余裕で間に合った。

でも、あと2回しか「おおいそぎ」は使えないのだ。まあいいか。もう押し間違えないし。

と思っていたら、電話が鳴った。学生時代からのつきあい、大村先輩だ。
「おい、おれだよ、おれ! いまから行くから飯を炊いておいてくれ!」
「ええ?」
「おまえも知ってる小林、ほら、在学中にエジプト旅行して足の骨折ったやつ、そいつがマレーシアの女と結婚して今九州に住んでるんだけど、今朝こっちに明太子持ってやってきたんだよ! うまそうな明太子だ! あつあつご飯で食べたらたまらんぞ! 早く炊け! すぐ行く!」

10分後には大村先輩と小林さんが来たが、ご飯はちゃんと炊きあがっていた。
「おおいそぎ」メニューを使ったからだ。
「おお、明太子もうまいが、この飯もうまいな! おまえ、おれたちが来るのを知ってて飯炊いて待ってたのか!」
「いや、そうではなく...」
「大村くん、いい後輩を持ったもんだね」

小林さんとやらにはほとんど記憶がなかったが、そんなふうにほめられると、これでよかったのかなという気はした。ふたりは明太子をおかずにばくばくご飯を食べ、帰り際には小林さんはぼくにも明太子一箱くれたし、大村先輩も珍しいことに土産だといって剣菱の一升瓶を置いていった。

しかし、さらに「1回」使ってしまったわけだ。あと1回しかないんだなあ。ぼくは剣菱と明太子を見ながらため息をついた。そして何気なく炊飯器を見てびっくりした。

買ったばかりの炊飯器が激しく劣化しているのだ。白いプラスティック部分はつやを失って黄ばみ、ところどころに傷がついている。ボタンまわりは黒くすすけ、つゆ受けの中にはねっとりとした液体がたまり、気のせいか蓋と本体の接合部もぐらぐらしている。最初は気持ちよくかちっと閉まったのに。

「おおいそぎ」メニューの実行は本機に大きな負担をかけることになります。

そうか、そういうことか。
でもまあ、もう使うことはないだろう。

と思っていたら、また電話がかかってきた。なんと母からだ。
「賢ちゃん? 私、私! おかあさんやがな! たまたまそこまで来たよって、あんたとこに寄っていくわ。いや、別になにもかもてくれんでええんよー。しやけど、いま私、おなかぺこぺこやねん。ちょうどおいしそうな野沢菜見つけたから買うてきたんやけど、あんたとこご飯余ってない? ううん、わざわざ炊かんでもええよー。すぐ帰るしー」

ぼくはすごく迷ったが、ええい、と「おおいそぎ」で炊いた。あっという間に超おいしいご飯が炊きあがり、ばっちりのタイミングでやってきた母は満足そうに食べてくれた。帰り際には残りの野沢菜だけではなく、「あんたも苦労してるんやろ。これ、少ないけどお小遣いやから」と、諭吉さんを5枚ばかり寄越してくれた。そんなこと、今までなかったぞ!

ぼくは、げっそりとやつれて、今や誰が見ても10年は使い倒したとしか思えないへろへろの炊飯器を見ながら思った。

ひょっとして、こいつは幸運の炊飯器?! 「おおいそぎ」ボタンはラッキーボタン?! いや、このやつれようからするに鶴女房の炊飯器版?! といっても、もう3回使ってしまったんだから関係ないか。

その後、ぼくは炊飯器をいたわるように、「おいそぎ」ボタンも使わず、毎日ふつうに炊いて、ふつうに食べた。特に問題はないようだ。見かけが老けただけかもしれない。

と思っていたら、またもぼくは仕事で行き詰まってしまった。今度はただの行き詰まりようではない。とある大きな団体関係の仕事で、直接やるのはポスターだが、それをきっかけに継続的に仕事がもらえるチャンスがある。でも、ひそかにぼく以外にも声をかけているようで、そのポスターの出来ですべてが決まってしまう。落とすわけにはいかない。なのに、行き詰まってしまったのだ。どうしよう。時間がない。

そのとき、ぼくはひらめき、マニュアルを読み返した。

おおいそぎメニューはなるべく3回までにしてください。

なるべく、ということは...絶対だめなわけではなくて...不可能でもなくて...できたら避けてくださいという意味...だから...。

いけるんじゃないか?

確かに見た目はあれだが、見かけと能力とは関係ない。見た目はよぼよぼのおじいさんでも仕事となるとシャキッという人も世間にはいっぱいいるじゃないか。だいじょうぶ、だいじょうぶだ。

ぼくは米を研ぎ、祈るような気持ちで炊飯器にセットし、実際に炊飯器に向かって両手を合わせ、ぱんぱんと柏手を打ち、おもむろにボタンを押した。やがてあっという間に蒸気があがり始め、いいにおいが漂ってきた...と思ったら

ボムッ!

そのあたりの記憶はほとんどない。気がつけば部屋の中には炊飯器の残骸が散らばり、もともと散らかっていた部屋のあれやこれやと混ざり合ってすごいことになっていた。ぼくは額に炊飯器の蓋の直撃を受け、しばらく気を失っていたらしい。そして、よく見るとカオスと化した部屋の真ん中に炊飯器の内釜がちょこんと位置を占めており、中にはちゃんと炊きあがったご飯が真珠のような光沢を放っていた。ぼくは涙が出た。炊飯器よ、おまえは我が身と引き替えにご飯を炊いたのか!

「申し訳ございませんでした」
メーカーからやってきた技術者は謝りまくった。
「過去に自分勝手に製品の仕様を変更してはひそかに出荷ラインに送り込んでいた問題の技術者がおりまして、お客様の購入された製品はたまたまそれであったと思われます。現在はその人物は退職しておりますので二度とこのようなことは...」

「じゃ、『おおいそぎ』ボタンは」
「正規の商品にはついておりません」
「やっぱり...」
「あ、商品のほうはなんとか復元しておきました。ばらばらにはなっていましたが、お客様にとって愛着のある商品でございましょうから...」

見ると、ぼろぼろながら元通りに組み立てられた炊飯器があった。
どんだけ器用なんだ。
「では、これで。あ、これはほんの気持ちです」

技術者は封筒をぼくに押しつけるように渡すと、帰っていった。中に入っていたのは「新品炊飯器交換券」30枚。いらんだろ、30枚も。
でも、これも「ラッキー」のうちか? そうかも? それに、例のポスターもどうやらいい感触だし。

ぼくは修理された炊飯器を改めてまじまじと見た。いかにもやっつけ仕事っぽい感じで、「おおいそぎ」ボタンがあったところにはシールが貼られ、何か文字が書かれていた。

「とりいそぎ」

取り急ぎ? なんだそれは? どんなご飯が炊けるんだ。気になるじゃないか!

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
< http://midtan.net/ >
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■ローマでMANGA[32]
イタリアのバカンスと8月15日

midori
< http://bn.dgcr.com/archives/20100826140100.html >
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8月はバカンスの季節だ。伝統的に。
ローマでMANGAもちょっとお休みして雑談を。

●わが家のバカンス

昔は、工場は8月いっぱい一斉に閉めるのが普通で、多くのイタリア人は8月いっぱい休みを取った。8月いっぱい閉めない店舗や事務所に勤める人も、一年に30日以上の有給があるので、多くは8月にバカンスをした。思うに、戦後すぐに共産党が強くなったとき、労働者の意識があがり、労働者の就業条件を良くしていった、という事実があるのだろう。

いま、特にユーロ導入から物価が上がり、失業が多くなり、家計に余裕のない家庭が増えて一か月のバカンスに出かける人は少なくなった。6月半ばから9月のほぼ半ばまで学校は休みだから、子供になんとか時間つぶしをさせる必要がある。だから土日には、イタリア中の海へ向かう道が混雑を見せる。

我が家の場合、家計に余裕があったためしはないけれど、子供が小さい時はローマ近郊の海辺に三週間くらい家を借りた。こうした過ごし方が普通なので、需要あるところに供給ありで、それぞれの財布に合わせた貸家があるのだ。それでも、その財布がだんだん小さくなってきている。子供が大きくなって、親と一緒に海水浴なんて恥ずかしいまねをしたくなくなり、バカンスの形態が変わってきた。犬もいるしね。

ここ二年ほど、一週間のホテル滞在を体験した。ホテルといっても、高層ビルではなく、海辺近くのバンガローが集まった施設や、二階建ての海辺の施設だ。昨年はナポリが州都であるところのカンパーニャ州との境にある、パリヌーロという海辺のバンガロー式施設へ行った。今年は、シチリアの南端、つまりイタリアの南端の島、パンテッレリーアの二階建ての施設へ行った。

どちらも三食付き。長期滞在で家を借りると、食事を作る、部屋の掃除をするなどの主婦仕事がついて廻るので、主婦はちゃんとは休めない。一週間の三食昼寝付きこそ、主婦にとっては天国だ。

ただし、食事時間が決まってるし、食べるところは食堂なので、どんなに眠くても、ちゃんと着替えて食堂まで歩いて行かねばならない。勝手な時間には食べられない。

そう考えると、88年に行ったケニヤ第三の都市、インド洋に面した「マリンディ」でのリゾート地は最高だった。サロンをかねた広い寝室、バストイレ、キッチン、広いテラスがついた家を与えられて、ケニア人の家政夫がつく。料理はこの家政夫がしてくれる。

台所がついているので、各人勝手に好きな時に目を覚まし、朝食を作ってもらい、好きな時間に昼食を用意するように頼めばいいだけなのだ。「自分の家」だから、寝間着で構わない。あれは今思い出しても天国だなぁ。オーナーがイタリア人で、家政夫は全員イタリア語がわかるので、言葉の心配もなかった。

●イタリアの8月15日

日本では終戦を記念する日、イタリアでは古代ローマからの祭日で、イタリア人だったら何が何でも休む。観光業や医療などに関わる人は休めないけどね。この日の前後に休みをとる人が、おそらくイタリア全国民の80%を超えると思う。もっとも、この数字は直感的なもので、実際の統計数値ではない。昔、店舗に勤めていた時、この付近にバカンスをとりたい店員達の言い争いの種になったものだ。

この日、気分としては、夏の真ん中だけど、実際には夏の最後のあがき、だ。まだまだ暑い日が続き、地中海はクラゲの心配がないので海水浴もまだまだできるけど、9月の新学期/新学年に備えて、気分が少しづつ現実世界へ向き始める。

海岸にいながら、新しい教科書のリストを学校へとりに行かなくちゃ......などという考えが頭をかすめたりするのだ。少しづつ日が沈む時間が早くなるのも、そうした気分に拍車をかける。

この教科書だけど、学校でそろえてくれない。小中学校という義務教育でも。各人、指定された何軒かの書店へ行き、注文するのだ。書店によっては、注文数が揃うのを待ったりして、その数が揃わなかったりして、学校が始まってもまだ教科書を手にしていない、という事態が起こる。学校の生徒の数はわかっているのだから、学校で注文して新学期にクラスで配ればいいのに......と思うけれど、そうはいかないらしい。

イタリア人である旦那は、8月15日に家で過ごすのを潔しとしなかった。なんとか外で過ごしたいと、ネットを駆使して、前日にトスカーナ南部の農村部に安価な貸家を見つけた(一週間で180ユーロ。約2万円)。望めよ、されば与えられん。海好きの旦那が丘で納得するというのは、いかにこの日を外で過ごしたかったかを物語る。

そして、これを書いている今、その農村の貸家にいる。トスカーナはどこもかしこもワインとオリーブオイルの産地で、有名なキャンティやモンテプルチャーノやモンタルチーノばかりではない。家を貸してくれた主も葡萄畑とオリーブ畑を持っていて、自分たちのために作っている。

田園地帯にある我が家も静かだけど、ここは輪をかけて静か。今朝数え上げてみたら、聞こえた音といえば、雀、山鳩、ツバメの羽ばたきの音とさえずり。犬の鳴き声。ロバのいななき。ハエの羽音。風に吹かれてこすれる葡萄の葉のこすれる音。以上。

静けさは、自分の頭の中を覗く助けをしてくれる。ただ、ネットに接続できるポイントを見つけてしまった。私もそうだけど、息子はまた私以上にネット中毒。自分と過ごすより、ネットに遊んでもらうのが好き。自らを振り返る事を教えてないなぁ......と、コンピュータの画面に顔を照らされている息子を見ながら思うが、今、どうやって教えたらいいんだろう?

次回はMANGAの話をしますね。では、また。

【みどり】midorigo@mac.com

本文の中でイタリアの共産党が強かった時期......の話に触れたけれど、あの頃、確かに労働者の条件が悪かったので地位向上の役には立った。ただ、共産主義というのは使い方が難しいんだなと、イタリアの今の社会を見ていると思う。つまり、やった事を評価されない、ということは人のやる気を奪うからだ。

してもしなくても同じなら、楽して給料をもらった方がいい。イタリアには全国組織で業種ごとの組合がある。全国統一で業種と労働者の段階によって給料が決まっている。民間でも同じ。ボーナスでも日本のように5か月分だ何か月分だと差を付けられない。

ただし、年間34日から36日の有給休暇があり、病欠も有給。産前産後に5か月の有給。子供が一歳になるまで無給の育児休暇が取れる。など、好条件。こうした労働者の権利は、よりよい社会生活をするためで、義務や責任を一緒に纏うべきもののはず。イタリア社会を見ていると、権利をより大声で主張し、義務や責任感はどこかに置き忘れている気がする。

店舗で働いていたとき、バカンスの翌日、必ず病欠する人がいた。私が妊娠したとき、妊娠状態に問題があったので妊娠期間のほとんどを病欠し(有給)、産前産後の有休を取り、子供が一歳になるまで休暇をとり、その後店をやめてしまった。法律で保証されている事だから、店は何も言えない。子を産む働く母にはありがたい法律だけど、雇用者にとってはいい迷惑だ。

旦那は身体障碍者手帳を持つ母の世話人ということで、月に三日の有給を余計にとる権利があり、必ずその権利を使用する。職場で自分がいてもいなくてもほとんど変わらない......となれば、私生活を充実させようと思ってしまうのは人情だ。

国民の幸福度が世界一のデンマークは消費税が25%、給料の半分は税金に持って行かれる。でも、教育、医療は無料。税金がなにに使われるのか、国民がはっきり知っている。それを守るために、国民の政治への意識が高く、投票率は軒並み80%以上。15歳で政党の党員になるものもいる。そうした国と国民を守るための政治意識を高めるために、学校では歴史教育を重んじて、自分たちがどこから来たのか、はっきりと認識し、愛国心を育てている──そうです。見習うべきところがあるのではないかな。

イタリア語の単語を覚えられます! というメルマガだしてます。
< http://archive.mag2.com/0000075559/index.html >

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■編集後記(8/26)

・30年くらい前に、子どもらと熱中したのが「ドンジャラ スーパーマリオブラザーズ2」である。かつてボードゲームは他にもたくさんあったが、いま残っているのはこれだけだ。箱は傷んでいるが中身はしっかり揃っている。孫たちもゲームの対応年齢になったので、久しぶりにやりますかと取り出したものの、完璧に遊び方を忘れている。使用説明書は失ったようだ。ネットで遊び方を検索したが見つからないので、ダメもとでバンダイのお問い合わせフォームに、使用説明書を売ってほしいと書き込んだら、数日後に使用説明書のコピーを綴じた冊子が送られて来た。もちろん無料で、ていねいなご挨拶付きだ。さすがはバンダイ。一番乗り気なのは、若い頃麻雀の達人だったと自称する妻。わたしがルールを読み上げながら、子どもらがついてこられるようにゆっくりゲームを進めるのだが、元雀士はさすがにスピード感覚が違ってイライラしている。麻雀よりはるかにシンプルなルールで、分かりやすい傑作ゲームだとあらためて感心した。麻雀用語を一切使わなくてもちゃんと進行できるのに、なにやらお下品な響きの用語を乱発し、子どもらに向かって「これをリャンメンマチと言うのよ」なんて教えている妻をさしおき、記念すべき第1回戦は9歳児が勝利した。ゲーム器の一人遊びより、家族と一緒にカードやボードでリアルに遊ぶ子どもの姿のほうがいい。ドンジャラ30周年記念「ドンジャラ AKB48」なる絵合わせゲームが12月に発売になるとか。興味ないし。(柴田)

●博多駅近くのホテルサントラーザ博多の地下にある「鮨割烹 やま中」でお寿司をごちそうしてもらった。赤出しと茶碗蒸しがついてくるランチメニューが嬉しい。うにといくらの入った小鉢や、車エビ、トロ、玉子に鉄火巻き、バッテラにあわび、穴子に鯛、イカ......ぐらいだったと思う。どれも美味しい。イカの飾り細工が珍しくて、撮影許可をもらっての撮影(といっても恥ずかしいのでiPhoneでささっと)。ほんと見たことなかったの。細工を入れることで柔らかく、噛み切りやすくなるそうだ。始終、美味しい美味しいといいつつ食べていたのだが、撮影したせいか、ランチなのに担当の職人さんが、店の外まで出てきて見送ってくれたよ。あがりは、途切れることなく入れ替えてくれるし、職人さんは雰囲気よくて、味はもちろん、楽しく食事ができた。また行きたい〜。(hammer.mule)
< http://www.centraza.com/restaurant/gourmetcity/yamanaka.html >
やま中
< http://twitpic.com/2i6u0o >
飾り細工。写真として汚いのは許して〜