ローマでMANGA[32]イタリアのバカンスと8月15日
── midori ──

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8月はバカンスの季節だ。伝統的に。
ローマでMANGAもちょっとお休みして雑談を。

●わが家のバカンス

昔は、工場は8月いっぱい一斉に閉めるのが普通で、多くのイタリア人は8月いっぱい休みを取った。8月いっぱい閉めない店舗や事務所に勤める人も、一年に30日以上の有給があるので、多くは8月にバカンスをした。思うに、戦後すぐに共産党が強くなったとき、労働者の意識があがり、労働者の就業条件を良くしていった、という事実があるのだろう。

いま、特にユーロ導入から物価が上がり、失業が多くなり、家計に余裕のない家庭が増えて一か月のバカンスに出かける人は少なくなった。6月半ばから9月のほぼ半ばまで学校は休みだから、子供になんとか時間つぶしをさせる必要がある。だから土日には、イタリア中の海へ向かう道が混雑を見せる。

我が家の場合、家計に余裕があったためしはないけれど、子供が小さい時はローマ近郊の海辺に三週間くらい家を借りた。こうした過ごし方が普通なので、需要あるところに供給ありで、それぞれの財布に合わせた貸家があるのだ。それでも、その財布がだんだん小さくなってきている。子供が大きくなって、親と一緒に海水浴なんて恥ずかしいまねをしたくなくなり、バカンスの形態が変わってきた。犬もいるしね。



ここ二年ほど、一週間のホテル滞在を体験した。ホテルといっても、高層ビルではなく、海辺近くのバンガローが集まった施設や、二階建ての海辺の施設だ。昨年はナポリが州都であるところのカンパーニャ州との境にある、パリヌーロという海辺のバンガロー式施設へ行った。今年は、シチリアの南端、つまりイタリアの南端の島、パンテッレリーアの二階建ての施設へ行った。

どちらも三食付き。長期滞在で家を借りると、食事を作る、部屋の掃除をするなどの主婦仕事がついて廻るので、主婦はちゃんとは休めない。一週間の三食昼寝付きこそ、主婦にとっては天国だ。

ただし、食事時間が決まってるし、食べるところは食堂なので、どんなに眠くても、ちゃんと着替えて食堂まで歩いて行かねばならない。勝手な時間には食べられない。

そう考えると、88年に行ったケニヤ第三の都市、インド洋に面した「マリンディ」でのリゾート地は最高だった。サロンをかねた広い寝室、バストイレ、キッチン、広いテラスがついた家を与えられて、ケニア人の家政夫がつく。料理はこの家政夫がしてくれる。

台所がついているので、各人勝手に好きな時に目を覚まし、朝食を作ってもらい、好きな時間に昼食を用意するように頼めばいいだけなのだ。「自分の家」だから、寝間着で構わない。あれは今思い出しても天国だなぁ。オーナーがイタリア人で、家政夫は全員イタリア語がわかるので、言葉の心配もなかった。

●イタリアの8月15日

日本では終戦を記念する日、イタリアでは古代ローマからの祭日で、イタリア人だったら何が何でも休む。観光業や医療などに関わる人は休めないけどね。この日の前後に休みをとる人が、おそらくイタリア全国民の80%を超えると思う。もっとも、この数字は直感的なもので、実際の統計数値ではない。昔、店舗に勤めていた時、この付近にバカンスをとりたい店員達の言い争いの種になったものだ。

この日、気分としては、夏の真ん中だけど、実際には夏の最後のあがき、だ。まだまだ暑い日が続き、地中海はクラゲの心配がないので海水浴もまだまだできるけど、9月の新学期/新学年に備えて、気分が少しづつ現実世界へ向き始める。

海岸にいながら、新しい教科書のリストを学校へとりに行かなくちゃ......などという考えが頭をかすめたりするのだ。少しづつ日が沈む時間が早くなるのも、そうした気分に拍車をかける。

この教科書だけど、学校でそろえてくれない。小中学校という義務教育でも。各人、指定された何軒かの書店へ行き、注文するのだ。書店によっては、注文数が揃うのを待ったりして、その数が揃わなかったりして、学校が始まってもまだ教科書を手にしていない、という事態が起こる。学校の生徒の数はわかっているのだから、学校で注文して新学期にクラスで配ればいいのに......と思うけれど、そうはいかないらしい。

イタリア人である旦那は、8月15日に家で過ごすのを潔しとしなかった。なんとか外で過ごしたいと、ネットを駆使して、前日にトスカーナ南部の農村部に安価な貸家を見つけた(一週間で180ユーロ。約2万円)。望めよ、されば与えられん。海好きの旦那が丘で納得するというのは、いかにこの日を外で過ごしたかったかを物語る。

そして、これを書いている今、その農村の貸家にいる。トスカーナはどこもかしこもワインとオリーブオイルの産地で、有名なキャンティやモンテプルチャーノやモンタルチーノばかりではない。家を貸してくれた主も葡萄畑とオリーブ畑を持っていて、自分たちのために作っている。

田園地帯にある我が家も静かだけど、ここは輪をかけて静か。今朝数え上げてみたら、聞こえた音といえば、雀、山鳩、ツバメの羽ばたきの音とさえずり。犬の鳴き声。ロバのいななき。ハエの羽音。風に吹かれてこすれる葡萄の葉のこすれる音。以上。

静けさは、自分の頭の中を覗く助けをしてくれる。ただ、ネットに接続できるポイントを見つけてしまった。私もそうだけど、息子はまた私以上にネット中毒。自分と過ごすより、ネットに遊んでもらうのが好き。自らを振り返る事を教えてないなぁ......と、コンピュータの画面に顔を照らされている息子を見ながら思うが、今、どうやって教えたらいいんだろう?

次回はMANGAの話をしますね。では、また。

【みどり】midorigo@mac.com

本文の中でイタリアの共産党が強かった時期......の話に触れたけれど、あの頃、確かに労働者の条件が悪かったので地位向上の役には立った。ただ、共産主義というのは使い方が難しいんだなと、イタリアの今の社会を見ていると思う。つまり、やった事を評価されない、ということは人のやる気を奪うからだ。

してもしなくても同じなら、楽して給料をもらった方がいい。イタリアには全国組織で業種ごとの組合がある。全国統一で業種と労働者の段階によって給料が決まっている。民間でも同じ。ボーナスでも日本のように5か月分だ何か月分だと差を付けられない。

ただし、年間34日から36日の有給休暇があり、病欠も有給。産前産後に5か月の有給。子供が一歳になるまで無給の育児休暇が取れる。など、好条件。こうした労働者の権利は、よりよい社会生活をするためで、義務や責任を一緒に纏うべきもののはず。イタリア社会を見ていると、権利をより大声で主張し、義務や責任感はどこかに置き忘れている気がする。

店舗で働いていたとき、バカンスの翌日、必ず病欠する人がいた。私が妊娠したとき、妊娠状態に問題があったので妊娠期間のほとんどを病欠し(有給)、産前産後の有休を取り、子供が一歳になるまで休暇をとり、その後店をやめてしまった。法律で保証されている事だから、店は何も言えない。子を産む働く母にはありがたい法律だけど、雇用者にとってはいい迷惑だ。

旦那は身体障碍者手帳を持つ母の世話人ということで、月に三日の有給を余計にとる権利があり、必ずその権利を使用する。職場で自分がいてもいなくてもほとんど変わらない......となれば、私生活を充実させようと思ってしまうのは人情だ。

国民の幸福度が世界一のデンマークは消費税が25%、給料の半分は税金に持って行かれる。でも、教育、医療は無料。税金がなにに使われるのか、国民がはっきり知っている。それを守るために、国民の政治への意識が高く、投票率は軒並み80%以上。15歳で政党の党員になるものもいる。そうした国と国民を守るための政治意識を高めるために、学校では歴史教育を重んじて、自分たちがどこから来たのか、はっきりと認識し、愛国心を育てている──そうです。見習うべきところがあるのではないかな。

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