Otakuワールドへようこそ![143]続編! ミもフタもない英語学習法/GrowHair

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乾いた落ち葉がぐるぐると渦を巻いて舞う夕刻の公園。人々はコートの襟を立て、足早に歩き抜ける。なのに先ほどからベンチに一人腰掛けうつむく女あり。なにやら落胆の様子。おやおや、泣いているではないか。「お嬢さん、どうなされました?」「あ、いえ、TOEICの点数が返ってきまして。これがもう目も当てられないほど惨憺たるもので、こんな私などいっそのこと......」「いやいや、早まってはなりませぬ。なあに、そんなことなら拙者がぱっと解決して進ぜましょう」「え? ほんとうですか?」「うそですが」

どうも世の中を見渡してみると、こんなことで人生を悲観するほど悩んでしまう悲劇的事例が多すぎるように感じます。もっとも、上述のはでっち上げの想定会話で、実際にそんな場面に遭遇したわけではないですが。どういう星の配置のなせる業か、最近、アイドルを目指すリアル女子中学生・高校生の女の子たちに、セーラー服姿で英語を指導する機会に恵まれています。

まぁ、たまにそんなことを仰せつかることがある程度には英語が得意であると自負する立場から、デジクリ読者の諸兄におかれましても何かのご参考になればと思い、英語学習のコツなど、軽く語ってみようと思います。

以前に「決定版! ミもフタもない英語学習法」を書きましたが、続編です。
< http://bn.dgcr.com/archives/20090717140100.html >




●間違いの元凶は学習法ではなく、動機にあり

英語学習指南本の序文にせよ、英会話学校の広告にせよ、言っていることはどれもこれも似たり寄ったりですね。

あなたは過去に一度は英語が上手くなりたいとがんばってみたことがあるでしょう。でも、いくら努力してみてもあまりかんばしい成果がなく、挫折感・敗北感を味わっただけに終わってませんでしたか? それ、努力が足りなかったからでも、素質がなかったからでもありませんよ。方法論が間違ってただけなんです。

あなたは日本語が話せるようになるまで、必死に努力しましたか? そんなことはないでしょう。気がついたらいつの間にか話せるようになってませんでしたか? 英語も同じことなんです。努力なんか、しちゃ駄目なんです。当方の開発した画期的な英語学習法「南阿佐ヶ谷メソッド」にしたがえば、努力などまったく要らず、みるみるうちに上達していきます。ほんとうです。西武立川にお住まいの久佐棒坊さんは「自分にこんな潜在能力があったなんて! まわりの人たちの私を見る目が変わりました」と証言しています。

だいたいこんな感じですよね? 分かりやすいですよね? なんか一条の光が差してくる感じがしますよね? わたし、あなたのようなお人が現れるのを待っていたんです。どこまでもついていきますっ! あ、ついていっちゃいますか。さよなら〜〜〜。

はっきり言います。いや、あんまりはっきり言っちゃうと、そっちで商売してる人たちを敵に回しそうなので、オブラートに包んで言ったほうが面倒が少ないかもしれませんが、でもはっきり言っちゃいます。方法論、関係ないです。英語って、そんなにムズカシイもんじゃありません。単純に、かけた時間に比例して上達します。

いやいや、そうは言っても、ウィリアム・サマセット・モームを原書で読むか、頭を空っぽにしてセサミストリートを見てるかで、おのずと学習効果は異なるんじゃないですか? そういうことをぐだぐだ言ってる間に両方やればいいんです。両方からそれぞれの効果が得られます。

英検一級に合格するためには、3万語の単語を知っている必要があると言われています。単語だけ知ってりゃいいってもんじゃないですが、だいたいの目安です。3万語ってことは、平日も週末も休みなく毎日10単語ずつ覚えて、決して忘れなくても、10年近くかかりますね。どうしたって時間かかります。これを短期間で楽々スイスイなんて方法論、あったら教えていただきたいです。笑ってやりに行きます。

で、方法論じゃないとしたら、つまずきの石はどこにあるのでしょうか? はい、ずっと手前です。動機。なぜ英語を学習するか。上達してどうなりたいか。そこです。異性にモテたいから? 不純ですねぇ。でも、それ、実はいい線いってます。

一番ダメダメなのは、自分を磨くだか高めるだか、ってやつ。すでにけっこうズタボロなプライドを、せめて英語でなんとかつっかい棒して支えてやろうという魂胆。その時点でもうすでに危うい。空虚な自尊心がモンスターのごとく肥大化しやすいのですよ。人が遊んでいるときにも、こつこつ勉強なんかしちゃってる私。ああ、なんて立派な私。前にも書いたけど、実力の伸びよりもプライドの伸びのほうが速くて、行けば行くほど自己イメージと実像とがどんどん乖離していくんです。怖いです。

英会話学校などによく生息するタイプではあるが、人はたいてい逆らわないように調子を合わせつつ、そーっと逃げてきますね。がんばって自分を磨いても、あんまりキラキラせず、これといった実りにあずかれないのはなんともかんとも報われない。行きつく先は......あんまり考えたくないですね。

ズレてる動機の第二の類型は、将来回収して黒字を出すための、自分への投資ってやつ。就職や昇進に有利にはたらくように、という実利目的。実務能力を高めるために法律や会計やビジネスや装置・薬品等の取り扱いの勉強をするのと同系列で、地道で堅実で、悪くないことのようにみえますね。

けど、私の中では「人生赤字の法則」というのがありまして。つまり、金銭的な見返りだけを目的として何かの努力をした場合、得られる実利は辛抱した分に見合うことはなく、必ず下回る、というもの。付帯的に得られる、数値化できない何か、たとえば、勉強すること自体が楽しくなってきたとか、いろいろな機会がやってきて人生が面白くなってきたとか、そういうのと抱き合わせてトータルでみないことには黒字にならないのですよ。プロ野球選手など、年間数億円も稼ぐ人がいて、うらやましいと思うかもしれないけど、金銭目的だけで猛練習をこなしてきたのだとしたら、やっぱり人生赤字だと思います。

つまり、続かないのですな。見込んだ見返りが得られず、投資分を回収できずに赤字が累積していくと、しまいには「やってらんねーよ!」となります。ただし、一見同じようであっても、営業マンとして今後海外の顧客にプレゼンする機会が生じそうだから、とか、工学方面の研究者として国際学会で発表することがあるかもしれない、という動機はいい。本来目的に沿って英語を使う見通しがあるってところが違うわけです。

ズレてる動機の第三の類型は、英語学習それ自体が目的化しちゃうパターンですね。これ、悪いとは言い切れませんけど。苦もなくハマれるなら、もうそれでどんどん行っちゃいましょう。東京から大阪に行くのに新幹線を使ったとしましょう。このとき、大阪に行くのが目的で、新幹線に乗るのは手段ですね。ところが世の中には新幹線に乗るのが目的で新幹線に乗るって人がいまして。鉄ヲタといいますね。英語ヲタっていうのがいたっていいんじゃないですかねぇ。突き詰めれば言語学者になれるかもしれないし。英語学習方法論ヲタになっちゃうのは、ちょっとなさけない感じしますけど。

●本来の動機はもちろんコミュニケーション

ズレてる例をいろいろ挙げましたけど、それじゃ、ズレてない、本来あるべき英語学習の動機って何でしょう。それは、海外の人たちとコミュニケーションをとりたいから。これに尽きます。言語学者を別にすれば、英語というのは、いや、英語に限らずどんな言語でも、コミュニケーションをとりたいという目的に対する手段としてあります。

海外の人々と交流したいというもともとの目的がなかったら、英語って学習する意味、ぜんぜんないですね。自分磨きとか、自己投資とか、もうみっともなくて恥ずかしくて、見ちゃいらんないです。あ、まったくミもフタもないこと言ってますかね? ハイ、そういう主旨の論考です。どうせ勘違いするなら、おっさんがセーラー服着て歩くほうが、まだしも可愛げがあります。

で、ここが一番大切なとこなんですけど、どうして人々はズレた動機に陥りやすいのでしょうか? それはですね、日本で普通に暮らしてると、実際の生きた場面で英語を使う場面が、いかにも少なすぎるからなんです。せいぜいが道を聞かれるぐらいじゃないですか? 道を聞かれたときなんて、目的地は当然日本語の固有名詞なんだから、聞きとれたそこだけを頼りに、実際にお連れしちゃえば済む話なわけで。

あとは、新宿の路上で、外国人バーだか何だかの客引きにベーシックな英語で話しかけられるとか。その方面には詳しくありませんが、中にはあんまりタチのよろしくないお店もあって、行ってみると他にお客さんがだれもいなくて、女の子が「私もいただいていいかしら?」なんて言ってきて、OKしちゃうと実は法外な値段だった、なんてこともあるみたいです。その場合、英語が全然分からなければそもそも行かないので、まだしも安全だった、てことで。マイナスの動機にしかなりませんな。

私の場合、デザフェスでセーラー服着て歩いていたら、アメリカ人の若い男性にほめられましたけど。前回もいたけど、また会ったね、と。前回 "You are truly awesome!" と言ってくれた人と同一人物かどうか覚えてませんけど。あと、仕事で、海外からお客さんが来て打合せしたり、海外と電話会議したりってことはときたまありますけど。生活してて普通に英語を使って会話するって機会、まずめったにないですね。一体全体、この国は鎖国でもしてるんかいな、と思えるほどに。

本来の目的が明確になれば、英語学習の方法論も自然に見えてくるというものです。最良の環境は、英語ネイティブばかりの集団の中にたった一人置かれることです。海外留学して、すごく上達して帰ってくる人と、まったく変わらない人と、両極端に二分する傾向があります。これって、そういう環境にあえて身を置いたか、日本人ばかりでつるんで過ごしたかの違いです。前者のような状況に置かれたら、なさけなくて心細くて、ぜったい泣きます。つまり、泣いたか泣かなかったかが分かれ目です。

インターネットがまだ黎明期で、Match.comが世界でたったひとつの出会い系サイトだったころ、私は、アメリカのコロラド州デンバーに住むJulieAnnと知合い、ずっとメールをやりとりしてました。日本に来たい来たいと言ってて、その機会が訪れました。学校の英語教育でネイティブの先生による授業をするというJETプログラムというのが始まり、それに応募したら採用されたとのことでした。自然がいっぱいある田舎を希望したら、大船渡に配属になったとのこと。1999年の夏のことです。

JETプログラムで集まった英語ネイティブの人たちが、夏休みだったもんで東北エリアに配属された人たちみんなが終結したところに行ってきましたね。まさにネイティブの集団の中のたった一人の日本人という環境に置かれました。泣きはしませんでしたけど、実に楽しかったですねぇ。みんなで飲食店に入ったりすると、なぜか私まで店の人から外国人と思われたりして。溶け込んでたんでしょうかね。あ、英語ができるとこういうふうに楽しいんだ、これが本来あるべき英語の活用のしかただったんだと悟りました。毎日がパーティでした。

夜明け前、漁港に行くと、漁船が次々と戻ってきて、大量の魚が水揚げされていきます。それをその場で分類し、競りにかけられます。珍しいのがあると、どこが落とすかみんな注目します。そういうのはスーパーのマイヤがよく競り落としてました。カッコいい写真がいっぱい撮れました。港の人たちはみんな親切で、よく話をしてくれました。大船渡、住みやすくていいぞ、とか。狭い領域になんでもかんでも揃ってるから、都会よりもかえって便利かもよ、とか。うん、いい町だね、って私も思いました。人生哲学的な話にもなったりしました。いい人たち。いい思い出です。

その後、コンタクトがなくなってしまいましたが、震災にはさぞかしショックを受けていることでしょう。大船渡駅の駅舎が跡形もなくなっているのには、私も絶句しましたから。

道路沿いの電柱には高さ2メートルぐらいの位置に横棒が引いてあって、1960年のチリ地震のときにはここまで水が来た、と警告が書かれていました。分かっていたのに、と思うと悔やまれますが、今それを言っても仕方ないですね。私なんぞが感傷に浸ってても詮のないことで、現実に復興が進んでいくことを祈っています。

●そういう経験の機会、みんなに行き渡れば

小学校のカリキュラムに英語の授業を組み込むべきか、ってことがよく議論になります。って、議論の時期は過ぎ去って、もう導入が決まってるんでしたっけ? 私は基本的には賛成です。もちろん反対意見のあることもよーく理解しています。外国語はどれほど勉強しても母国語よりも上手くなることはない、という法則があります。なので、日本語もしっかりしないうちから、外国語なんか習ったりすれば、どっちも貧弱な薄っぺら〜い習得のしかたにしかなりません。外国語よりも母国語が先決! それは正論で、私もまったくそのとおりだと思います。

小学校に導入するとしたら、ABCを教える、後でテストする、なんて授業授業した授業はやらなくてよろしい。ほんとに、一切やらなくていい。それよりも生徒たちと同世代のネイティブの子供たちと交流する機会を作ってあげましょう。あとは、電子辞書でも渡しておけばよろしい。

4月にイタリアのブレーシアで展示したとき、親子連れのお客さんが我々の展示の前で立ち止まってくれて、いろいろお話しした中で、私が「子供ってかわいいけど、残酷なとこあるよね?」って言ったら、小学校高学年くらいの男の子だったけど、ケラケラ笑ってました。あ、通じてるんだ、と驚きました。小学生に英語を教えるんだったら、ああいうふうになってほしいもんだなぁ、と理想像を見る思いでした。まあ、ヨーロッパに住んでいれば、英語を使う機会って日常的にあるんでしょうなぁ。

小学生どうし交流って、実現困難なんじゃないかと思われるかもしれませんが。今は、テレビ会議システムが、けっこうよく整備されています。そういうのを使って海外と合同授業とかやればいいんじゃないでしょうか(時差のことは置いておいて)。

さて、私は、アイドルを目指す中高生たちに英語を教えてますけど、さしあたっては12月25日(日)のライブに向けて、英語の歌が歌えるよう、発音の特訓をしています。けど、一段落ついたら、彼女らにも、実際のコミュニケーションの機会を作ってあげられたらなぁ、と考えているわけです。

ひとつの方法として、メールによるペンパルを作ってもらうというのはきっと効果的だろうと考えました。ネイティブではありませんが、イタリアで展示のとき大いにお世話になったBarbaraさんに相談を持ちかけてみると、大いに乗り気で、たった一日で、5人の希望者を集めてくれました。

日本人と友達になれる機会に、大喜びで飛びついてくるイタリア人が多いのには驚きました。概して親日的なムードです。嬉しいことです。だから、海外の人たちが手を振ってきたら、日本からもぜひ振り返そうよ、って前々から言ってるわけなんですが。実際に始められるのはおそらく年明けからになるでしょうけど、かなり楽しみです。

そういうわけで、デジクリ読者諸兄におかれましても、もし英語を学習しようというのであれば、ぜひとも英語でコミュニケーションをとる相手を作ることをお薦めしたいです。ま、それが本稿を通じて言いたかったことであります。

さて、どうやって相手を見つけるか。そこが問題ですね。とりあえず、セーラー服を着てデザフェスに行ってみるとか。外国の方、感覚的ですが一割近くいらっしゃいます。そう言えば、先ほどのBarbaraさんと、ローマを案内してくださったSimonaさんが、来年秋のデザフェスに出展参加する方向で計画を進めているそうです。

イタリアに行く準備に忙しい日々を送っていた3月、ドイツからコンタクトがありました。私のウェブサイトを見たとかで。あと数日で日本に向けて出発するから、着いたら会わない? とのお誘い。で、新大久保の韓国料理のお店でサンナクチ、何かというと、タコの足の動いてるやつですが、を食べたって話、前に書きましたっけ? 東京に滞在しているときに、震災がありまして、予定を一日早めてそそくさと帰っていきましたけど。

この手の機会って私のところには比較的よく来るので、もしあらかじめ言っておいていただければ、飲み会などにご一緒していただくのもよろしいんじゃないかと。英語上達の秘訣はナンパ師のようなマメさにあり、と言えましょうか。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

人形作家の吉村眸さん、ときおり作品を撮らせていただいている方ですが。12月21日(水)から作品の展示を催します。最近ちょっとした偶然の出来事がありました。展示の案内ハガキをデザフェスで配ったのですが、もらってた分が全部はけていました。中野の行きつけのお店などにも置かせてもらいに行きたいので、刷り増ししたら下さい、と言ってありました。刷り増ししたので、いつお渡ししましょうか、とメールで連絡が来たのが11月26日(土)のこと。うっかり返信するのを忘れていました。

翌日の日曜日、初台にあるギャラリーカフェ「Zaroff」に人形と写真の展示を見に行くと、なんと、吉村さんがいるではありませんか。ちゃんとブツを持ってきてるという。用事、片付いちゃいました。私はいまだにケータイというものを所有したことがありませんが、特に不便を感じません。電波は脳から直接出せばいいのです。

◎吉村眸×岡野茜 二人展
期間:12月21日(水)〜12月26日(月)12:00〜19:00 最終日は17:00まで
場所:gallery re:tail(本館)
< http://thetail.jp/archives/7429 >

Zaroffに行ったのはそのときが初めてでした。一階が喫茶店で、二階がギャラリーになっています。アンティークな洋館風の内装の、とても素敵なお店です。初めてなのに、マスターはセーラー服姿の私を見るなり「GrowHairさん!」と。わっ、私、有名ですか? いやいや、私とおつきあいのあるアーティストさんたちと、幾重にもつながりのある画廊さんだから、ってだけです、実は。

映像作家の寺嶋真里さんも、ここで「アリスが落ちた穴の中」の上映をしています。Zaroff 3周年を記念して、つい最近まで新作の制作に勤しんでいました。制作しているときの寺嶋さんの集中力って人並み外れたものがあるようで。今度のを作っていて背中を傷めたそうです。どれだけ同じ姿勢で固まり続けていたんですかいな、と。その力作の上映、楽しみです。12月10日(土)にZaroffであります。要予約。
< http://www.house-of-zaroff.com/ja/gallery_2nd/20111210/index.html >

今は、人形と写真の展示が開かれています。この前私が行ったときは前期でした。人形を制作したのは林美登利さん、由良瓏砂さん、森馨さんなど5名。写真は岩切等さん。何年か前に銀座の「ヴァニラ画廊」で森さんの人形の展示があったとき、岩切さんは人形の写真を展示していて、私が岩切さんの作品を見るのはそのときが初めてでした。いやぁ、すごいなぁ、と立ちつくしました。被写体にまとわせる光の構成が繊細で非常に面白いし、ひとつひとつの写真にいろいろな工夫が凝らされている意欲作揃いでした。今回の展示の見どころは、人形だけでなく、人形作家さんも被写体になってる、ってところです。美登利さんの変貌ぶりにびっくり。名前を読むまで分かりませんでした。

そう言えば、岩切さんとの出会いも不思議な偶然でした。例によってセーラー服を着て道を歩いていると、ブティックの前で何やら撮影が進行していました。2本の金属パイプを垂直に立て、間に黒い布を張り、開けた穴からレンズを突き出して撮っています。本格的。何かに使う目的があってプロが撮っているな、というのが一目瞭然です。横目で見ながら通り過ぎようとすると、「GrowHairさん」と。岩切さんでした。初めてお会いするのに、なぜか私をご存じでした。私も岩切さんの写真は拝見してましたが、どんな方なのかは知りませんでした。

そのときの被写体が人形作家の清水真理さんでした。今進行中のZaroffの展示のための撮影でした。清水さんはアリス風の少女チックなひらひらの格好で、たいへん可愛かったですが、「いやいやグロウさんには負けます」と。で、通りすがったついでに私も撮っていただきました。清水さんと2ショで。まだ見てませんが、土曜日にZaroffで岩切さんとお会いしたとき、よく撮れてるとのことでした。見るの楽しみです。後期は清水真理さん、ほか。
< http://www.house-of-zaroff.com/ja/gallery_2nd/now/index.html >

デザフェスでnaoさんに撮っていただいた写真。ご自身のアルバムに上げて下さっています。会場を練り歩く美しいゾンビの面々、ほか。私もちょこちょこ混ぜていただいています。やっぱ、デザフェスで一番強烈なインパクトをまき散らしていたのは我々だったか?
< http://qhoto.org/111113/index.html >