[3257] 絵を描く人々

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《なーんも分かっちょらんくせに》

■映画と夜と音楽と...[543]
 絵を描く人々
 十河 進

■Otakuワールドへようこそ![152]
 オタク騒然! 広告代理店がオタク研究チームを発足
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■映画と夜と音楽と...[543]
絵を描く人々

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20120427140200.html
>
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〈炎の人ゴッホ/セラフィーヌの庭/ポロック 2人だけのアトリエ/クロエ〉


●写生大会にクラス代表の男女を出さなければならない

あれは......中学生になってすぐの頃だった。我が家は、僕が小学六年生の冬に隣町に引っ越しをした。何とか通学できる距離だったので転校せず、特別な許可をもらって三学期だけは自転車で通った。しかし、四月に入学した中学には知った人間はひとりもいなかった。まったくの転校生状態だったのだ。

入学式が終わり振り分けられたクラスにいくと、担任の教師が「小学校でクラス委員をしたことがある者は手を挙げろ」と言った。僕を含めて何人かが手を挙げた。教師は手を挙げた生徒たちを男女に分け、ジャンケンをさせた。男たち数人とのジャンケンでは僕が勝った。

教師はジャンケンで勝ったふたりを教壇に立たせ、「とりあえず一学期は、きみたちでクラス委員をやってくれ」と言った。その中学に進学してくるのは主にふたつの小学校からで、その他にも僕のような人間もいて選挙をしたところでよくわからないだろうから、とりあえず経験者にやってもらい、選挙で選ぶのは二学期からにすると説明した。

確かに僕は小学校でクラス委員の経験はあったし、中学に入学した頃は「小学校で卒業生総代として答辞を読んだんだぞ」というのが自慢の鼻持ちならないガキだった。だから、教師の言葉に得意そうに手を挙げたのだが、誰も知っている人間がいない状態なのにクラス委員を引き受けなければならなくなり、急に不安になり落ち込むことになった。

一緒にクラス委員になった女子生徒は、小学六年生のときに東京から引っ越してきたことを鼻にかけているイヤな奴で、讃岐弁でしゃべる僕たちを馬鹿にした。「言葉が汚くて驚いた」という作文を書いたと、彼女の小学校の同級生から聞いたことがある。一緒に職員室にいき教師に報告する横で、僕の言葉にいちいち馬鹿にした笑みを浮かべるのが腹立たしかった。

彼女は、僕が話す言葉がわからない振りをした。たとえば「それ、先生、かんまんよったで(それ、先生はかまわないとおっしゃっていましたよ)」と僕が言うと、「何、言ってるの?」と首をかしげた。その頃はまだ「ブリッコ」という言葉はなかったが、まさにブリッコでおまけにチクリ屋だった。何かというと教師に言いつける。しかし、見た目が可愛いので人気はあった。

入学して一カ月もしない頃、写生大会にクラス代表として男女ひとりずつを出さなければならなくなった。他のクラスでは絵のうまい人間が選ばれたらしいのだが、どういうわけか僕のクラスだけ美術の授業が遅れていて、担任教師も絵がうまいのは誰かを把握していなかった。そこで、とりあえずクラス委員のふたりを出そうということになった。

僕は、絵が下手だった。小学生の頃もコンプレックスを持っていたのだけれど、なぜか一度だけ絵のコンテストで入賞したことがあった。今となってはどんな絵だったか忘れてしまったが、いわゆる「上手な絵」ではなかった。気まぐれな審査員が「ちょっと個性があって面白い」と思っただけだろう。

だから、写生大会の代表に指名されたとき、辞退すればよかったのだ。しかし、その一度の入賞があったのと、見栄っ張りのエリート意識が僕に代表を受けさせてしまった。自分は絵が下手だと思っていたが、もしかしたら...という自信が少しはあったのだろう。自惚れの強いガキだったのである。

●最初のひと筆で自分でも呆れるくらいひどい絵だとわかった

写生大会は、学校の近くにある栗林公園で行われた。中学校のすぐそばにコトデン栗林駅があり、そこから歩いて5分ほどのところにある公園である。美術館も併設されており、入賞者の作品はそこのロビーに展示される予定だった。僕は、意味もなく張り切っていた。だから、その後の美術教師の態度にひどく傷ついたのである。

僕は同じクラスの女子代表と一緒に写生するのがイヤで、ひとりで場所を探していた。小高いところから俯瞰ぎみの絵を描こうと思いつき、少し坂を登った場所にいくと、別のクラスのYクンがいた。彼もクラス委員をやっていて、クラス委員会で何度か顔を合わせ、一、二度口を利いたことがあった。

「ソゴーくん、一緒に描こうか」とYクンが言った。自惚れ屋のくせに人見知りで、まだ学校で親しい友人もできていなかったが、人から誘われるとうれしいものである。僕はYクンと並んで腰を降ろし膝を立てた。膝に画板をのせ、画用紙を広げた。絵の具箱を横に置き、こぼさないように持ってきた水入れを並べた。

そのとき「Yクン、ここにおったんな」と言いながら女子生徒が現れた。「一緒に描かせて」と言いながら、その女子生徒も腰を降ろし、絵を描く準備を整えた。Yクンを挟んで、両側に僕と彼女が並ぶ形になった。Yクンが「同じ組のKさんや」と彼女を僕に紹介し、「9組のソゴーくんや」と僕を紹介した。

「Yクン、絵がうまいんで」とKさんが言った。「Kさんやってうまいやないか。先生ほめとったの」とYクンが答えた。そのふたりは、本当に絵がうまいのを認められて代表になったのだ、と僕は思った。それから、しばらく三人とも無言で絵を描き続けた。僕は水彩絵の具をパレットで溶き、大胆に筆を使った。というか、自分でも呆れるくらい、ひどい絵だった。最初のひと筆で失敗したのがわかった。

失敗したのを自覚していても、人から否定されて傷つくのは別である。しばらくして、美術教師が見まわりにきた。参加者の絵を見て、アドバイスをして歩いていたのだ。美術教師はKさんの絵を見て、「ほう」という顔をした。「ここのところ、もう少し描き込んだ方が...」などと口にした。

それからYクンの絵を覗き込み、「いいじゃないか」と言った。それから、僕とYクンの間に入って、熱心にアドバイスを始めた。そのとき、僕も教師に絵を見てほしかったのだ。自分では失敗だと思っていたが、もしかしたら何かを認めてもらえるかもしれないと期待していたのだろう。

しかし、今でも僕は思い出す。あのときの教師の反応を、その無関心さを...。教師はチラリと僕の絵を見ると、明らかに馬鹿にする表情になった。どうしょうもない...というように首を振り、無言でYクンの絵に視線を戻した。それでも、僕は期待した。教師が何かアドバイスしてくれることを...。

あのとき、教師に無視されたことを、50年近くの年月が過ぎ去った今でも僕は思い出す。鮮やかに甦らせることができる。医者が手の施しようのない患者を見る目だった。憐れみさえ浮かんでいた。彼にとって、それは救える対象ではなかった。なぜ、こんなに絵が下手な生徒が代表なんだ、という疑問さえ抱いたのだろう。無視、無関心、無言だった。

あのとき傷付けられたのだ、と甘ったれたことを言いたくはないが、それ以来、僕は絵を描かなくなった。描くのが怖くなった。美術の授業で絵を描かなければならないときは、ひどく雑な絵を意図的に描いた。高校では美術を選択しなかった。編集者になって撮影のための絵コンテを描く必要が出たときは、怪盗セイントのような線画ですませた。

しかし、音痴の僕でも音楽を聴くのが大好きなように、絵が描けないのに絵を見るのは好きなのだ。好きな画家は多いし、ひとりで美術展にいくこともある。20年ほど前、ひとりで見た東武美術館の「モディリアーニ展」は今も思い出す至福のときだし、美術好きのカミサンに連れられて見たブリヂストン美術館のジャクソン・ポロックの原画に圧倒され、今も凄いものを見た感動が甦る。

●「楽園のカンヴァス」はアンリ・ルソーの絵画を巡る小説

原田マハさんの「楽園のカンヴァス」を読もうと思ったのは、僕の好きなアンリ・ルソーの絵画を巡る小説だと書評で読んだからだった。日本ラブストーリー大賞を受賞して作家デビューした原田マハさんについてはまったく興味がなかったが、あるとき原田宗典さんの妹で元キュレーターだと知って少し興味が湧いた。一時期はニューヨーク近代美術館で仕事をしていたこともあるという。

「楽園のカンヴァス」は、美術ミステリとして実によくできた小説だった。序章は、倉敷市の大原美術館で監視員をしている43歳の早川織絵の視点で描かれる。毎日、彼女は展示した作品の前に立ち、作品と最も向かい合う時間が長いのは監視員だと、昔に聞いた言葉を思い出す。ある日、館長に呼ばれて館長室に入ると、新聞社の文化部の人間がいる。

新聞社の人間は、日本で大規模なアンリ・ルソー展を企画しているが、ルソー最後の大作「夢」を保有するMoMA(ニューヨーク近代美術館)に貸し出しを交渉したところ、MoMAのチーフ・キュレーターが「オリエ・ハヤカワ」という女性を交渉の窓口に指名してきたのだという。かつて、彼女はソルボンヌ大学で博士号を取得したルソー研究家として、美術界で名を知られた存在だったのだ。

第一章では時代が10数年遡り、MoMAのアシスタント・キュレーターのティム・ブラウンの視点になる。チーフ・キュレーターのトム・ブラウンと名前が似ている彼は、よく上司と間違えられる。ある日、自分宛に伝説の絵画コレクターから招待状が届く。それも間違いだと思うが、世に出ていないルソーの絵の真贋の判定依頼の内容を読み、上司になりすましてヨーロッパへ向かう。

バーゼルにある城のようなコレクターの屋敷でティム・ブラウンは、ひとりの日本人女性に引き合わされる。彼女の名前は「オリエ・ハヤカワ」、パリに在住する新進気鋭のアンリ・ルソー研究家だった。ティムは、彼女とルソーの絵の真贋判定を競うことになる。そして、彼らの前に現れたのはMoMAにあるルソーの大作「夢」とそっくりな絵だった......

●30数年前に買った中央公論社版「世界の名画」を引っ張り出す

「楽園のカンヴァス」を読むと、ルソーやピカソの絵が無性に見たくなった。小説の中に具体的に登場する作品を改めて確認したくなるのだ。僕は昔買った、中央公論社版「世界の絵画」を書棚の奧から引っ張り出した。ルソーの絵は、「眠るジプシー女」や「カーニヴァルの夜」など、5点ほどを自室に印刷物で飾ってあるけれど、画集を開くのは久しぶりだった。

それは30数年前に買ったものである。当時、画集は大判で函入りの全集が多く、高価で手が出なかった。そんなとき、中央公論社が大判だがソフトカバーの「世界の名画」「日本の名画」を出版した。それは1750円と比較的安価だったので、僕はどうしてもほしかった「ゴッホ」「ルソーとシャガール」「ユトリロとモディリアーニ」「ムンクとルドン」「ピカソ」を買った。

それらの画集をよく見ていたのは、20代のことである。しかし、近代美術史の中に位置づけて見ていたのではなく、単に好きだっただけなので画家たちの関係に関心を抱くことはなかった。子供の頃に見た「炎の人ゴッホ」(1956年)で、ゴッホとゴーギャンが一緒に暮らしていたことを知ったくらいである。

しかし、同時代を生きていたのなら、彼らの間に何らかの関係があっても不思議ではない。「楽園のキャンヴァス」を読んで知ったのは、ルソーの絵を最も評価していたのがピカソだったことだ。ピカソはルソーを讃える夜会を自分のアトリエで開き、ルソーを招く。ピカソが「青の時代」を経て、前衛的な「アヴィニョンの娘たち」を発表したのは1907年。3年後、アンリ・ルソーは「夢」を描いて死ぬ。

ルソーは、「素朴派」と呼ばれることがある。カテゴライズとしては何だかピンとこないけれど、ルソーを始めとした「素朴派」の発見者として名を残しているのが、ドイツ人の画商ヴィルヘルム・ウーデだ。ウーデらしき男も「楽園のカンヴァス」でピカソと一緒に登場するが、最近、オッと思ったのは「セラフィーヌの庭」(2008年)を見たときだった。

「セラフィーヌの庭」には、「善き人のためのソナタ」(2006年)や「アイガー北壁」(2008年)に出ていたウルリッヒ・トゥクールがウーデ役で登場していた。落ち着いた渋いドイツ人俳優で、ルソーやセラフィーヌ・ルイを見出し世に出した画商には合っていた。ウーデは借りた別荘の家政婦だったセラフィーヌの絵を見て驚き、その絵をすべて買うと申し出る。

●「素朴派」の代表的画家として有名なセラフィーヌ・ルイ

日本でも何度かアンリ・ルソーの絵画展が開催されているが、ルソーと同じ「素朴派」にカテゴライズされる画家として、セラフィーヌ・ルイの作品も展示されることが多かった。彼女もルソーと同じく、正式な美術教育は受けていない。「セラフィーヌの庭」では家政婦として働いていた彼女は、神のお告げによって絵を描き始めたように描かれていた。

セラフィーヌは信心深く、ときどき心を癒すために大きな木に登り緑に囲まれて過ごす。絵の具さえ買えない貧しさで、川の水草や泥、動物の血などから絵の具を作り、小さな板に絵を描いていく。それは独特なタッチの絵だ。その作品を見いだしたウーデのアドバイスで絵を描き続け、やがて絵が売れるようになるが、慣れない大金を手にし館を買うなどの浪費をする。

やがて、セラフィーヌは精神に異常をきたして病院に収容され、そのまま死を迎える。絵が売れたことを告げにきたウーデも、医者に「会って刺激を与えない方がいい」と忠告され、彼女の姿を遠くから見るだけで去っていく。天才画家のさみしい晩年である。ピカソは別にして、ルソーもセラフィーヌもゴッホもモディリアーニも不幸な人生を送ったのだ。

いや、当人が不幸だと思っていたかどうかはわからない。案外、幸せだったのかもしれない。セラフィーヌほどの病状ではなかったが、ゴッホもムンクも精神病院に入った時期がある。「叫び」の絵で有名なムンクだが、「生の舞踏」を見ると精神を病んだ人の絵としか見えない。ゴッホが自殺の数か月前に描いた最後の自画像を見ると、筆使いにめまいがする。やはり精神を病んでいたのではないか。

生誕100年で「ジャクソン・ポロック展」が東京国立近代美術館で開かれているが、ポロックも精神を病んだ人である。アルコール依存症が原因だったのかもしれない。エド・ハリスが監督主演した「ポロック 2人だけのアトリエ」(2000年)を見ると、奇矯な行動もあったらしい。だからなのかもしれないが、その作品の力は凄い。僕はポロックの原画を見たとき、巨大なカンヴァスの前から動けなかった。

そんな風に僕も絵は好きなのだが、自分で描こうとはまったく考えない。義父はリタイアして亡くなるまで、趣味として油絵を描き多くの作品を残した。義父の油絵は、我が家の壁にもかかっている。血筋なのか、義妹は美術教師になった。カミサンもファッションデザインの学校でデザイン画を描いていた。娘は美術大学で絵を描き続け、作品が生徒募集のポスターに採用されたと喜んでいる。

絵心のある血筋と結婚したおかげで、子供には絵画コンプレックスは遺伝しなかったようだが、僕は今も12歳で受けたトラウマから自由になれない。義父の絵を飾っていると、訪問客に「絵を描かれるんですか?」とたまに訊かれることもあったが、僕はいつも「いえ、絵なんて一度も描いたことはありません」と強い口調で答える。しかし、あるとき「クロエ」(2001年)を見て考えを変えた。

「クロエ」はボリス・ヴィアンの小説「日々の泡」を日本で映画化した作品で、永瀬正敏とともさかりえが主演した切ない恋物語である。ふたりの出逢いは、永瀬の伯母が出品した絵画展のオープニングパーティだった。ふとしたきっかけで、ともさかりえと口を利くことになった永瀬は、「あなたも絵を描かれるんですか?」と問いかけ、ともさかりえに怪訝な顔をされる。その理由を訊ねると...

──だって一度も絵を描いたことがないひとなんて...いないと思うから...

そう、絵を描いたことがない人など、どこにもいない。最古の人類も壁画を遺しているじゃないか。子供の頃、僕もクレヨンでチラシの裏に落描きばかりしていたし、小学生の夏休みの宿題の定番は絵日記だった。あの頃、僕も自由奔放に絵を描いていたのだ。うまいか、へたか、そんなこと気にもせず、僕は描いていた。そのことを「クロエ」のともさかりえが思い出させてくれたのだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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連休です。特にナンの予定もありませんが、連休です。メーデーも休みなので、4連休して一日出社し、さらに4連休。9連休してもやることがないので、こういうスケジュールになりました。前半は仕事のまとめ、後半は原稿書きの予定です。何だかいつも通りだなあ。

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「2001年版 疾風怒濤編」350円+税
「2002年版 艱難辛苦編」350円+税
「2003年版 青息吐息編」350円+税
「2004年版 明鏡止水編」350円+税
「2005年版 暗雲低迷編」350円+税
「2006年版 臥薪嘗胆編」350円+税
「2007年版 驚天動地編」350円+税
「2008年版 急転直下編」350円+税
< https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do;jsessionid=5B74240F5672207C2DF9991748732FCC?seriesId=B-MBJ-23510-8-113528X
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■Otakuワールドへようこそ![152]
オタク騒然! 広告代理店がオタク研究チームを発足

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広告代理店大手の電通は3月5日(月)、社内横断プロジェクトチーム「電通オタクがラブなもの研究所(DENTSU OTAKU LOVE LABORATORY)」を発足したと発表した。自分の興味・関心を追及する「オタク層」の視点で世の中を研究し、その知見を活用したソリューションを提供していくという。

これに対し、ネットの掲示板を住処とするオタク層からは、すさまじいばかりの反発が巻き起こっている。「こっちくんな!」「すげーうざい。擦り寄ってくんじゃねえよ」「冗談はセカンドライフだけにしてくれ」。

オタクがラブなものを研究しようとして、まず分かったことは、オタクが猛烈に嫌悪しているのが電通であったと。なんという皮肉。救いようのない断絶。たとえて言うならば、鶴が深海魚の研究を始めるようなものか。

なんとなくエリート集団という世間のイメージのある電通であるからして、いわゆる「上から目線」でオタクを研究してやろうという姿勢が気に食わなかったのかもしれない。けど、「下から目線」の猛反発はすでにネットにさんざん書かれていることなので、ここはひとつ、さらに上から目線でナデナデして差し上げようと思っちゃったりなんかする次第である。

●オタクはトレンドセッター ─ 電通

一般的に言って、二者の間で反目が起きているとき、調停しようとして、完全中立の立場をとって両者から公平に言い分を聞こうとすると、だいだいにおいて両方から敵認定されてしまうものである。本件に限って言えば、私は電通の側の人間ではなく、さほど濃ゆい部類ではないにせよオタクの側に立っているので、中立もへったくれもないわけだが、それはいったん棚上げにして、まずはニュートラルな立場から、電通の発表を見てみよう。

このプロジェクトの発足は3月3日(土)に電通から記者発表され、3月4日(日)の産経ニュースで報じられている。
< http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120304/biz12030410080005-n1.htm
>

その記事では「3月中に設立する」だったが、3月5日(月)に電通のウェブサイトに掲載された情報では、同日に「発足しました」となっている。
< http://www.dentsu.co.jp/news/release/2012/pdf/2012021-0305.pdf
>

そのサイトで、まず、オタクはアウトサイドな存在からトレンドセッター(流行仕掛け人)へと変貌したと言っている。もともと情報感度が高く、幅広いカルチャーに精通するオタク層であったが、近年、ソーシャルメディアの急速な浸透のおかげで、オタクコンテンツがニッチな領域から広く一般に波及し、映画やテレビドラマ、アニメ、バラエティといった幅広いコンテンツに大きな影響を及ぼすようになってきたと分析する。

そして「電通オタクがラブなもの研究所」の狙いは、オタクの知見を活用してさまざまなソリューションを提供していくことにあるという。オタク層はコンテンツビジネスにおけるトレンド感覚にすぐれているので、この層が注目する良質なコンテンツを研究することにより、エンタテインメント市場におけるトレンドの兆しをいち早く掴み、ソリューション提供につなげていきたいと考えている。

ここで、「ソリューション」という言葉が聞き慣れないかもしれないので注釈を加えておくと、顧客の抱えている課題の解決策のことである。一般に、ビジネス(Business)は、消費者(Customer)に価値を提供することで代価を得る BtoC というタイプと、企業どうしで商取引をする BtoB というタイプに大きく類別される。

ソリューションという用語は、主として BtoB の場面で使われる。例えば、携帯電話の会社がお得なプランを宣伝したいという課題を抱えているとき、「じゃあ、タダちゃんに『タダ』って言わせちゃいましょう」と提案するのがソリューション提供である。

「電通オタクがラブなもの研究所」は昨年9月に第1回「オタクが好きなもの」調査を実施し、ファッションやビューティーの領域に感度の高い「女性オタク」層の存在が明らかになったと述べている。

この層は一般の女性よりもファッション誌やビューティー誌の閲読率が高く、世の中のトレンドに対しても敏感で、美しいものに対する意識が高い一方、アニメを中心としたオタクコンテンツに関する知識も豊富で、興味・関心も高いという特徴があるという。この「ビューティー感度の高い女性オタク層」を「美オタ」と名付けている。

「電通オタクがラブなもの研究所」は電通社内で部門横断的に集まった12名が参加・活動するプロジェクトで、2012年はこの「美オタ」層に着目していきながら、
(1)定期的なトレンド観測調査
(2)有識者ネットワークの構築・活用
(3)アニメ等オリジナルコンテンツの制作・開発・情報発信
(4)オタクが好きなものの知見を活用した商品・サービスの開発、ソリューションの提供
を行っていくとのことである。

●オタクが激しく嫌悪するもの、それは電通

電通の発表に対するオタクの反応は、ネットの掲示板「2ちゃんねる」のまとめサイト「痛いニュース」で見ることができる。
< http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1700062.html
>
もともと「2ちゃんねる」に投稿されたコメントの中から128件がピックアップされていて、さらに、このまとめサイトへのコメントが1,275件ついている。

これだけたくさんのコメントがついていながら、電通に肩入れするものがただのひとつも見当たらない。まあ、このムードの中で「電通ってほんとはいい会社。みんながんばってるよ」とはとても書き込めるものではなく、全オタクが全会一致で電通嫌いってわけでもないんでしょうけど。

ま、とにかくざっと眺めてみましょう。

・普通はこういうプロジェクトは極秘にするがな。公表するということは反応を見ているんだろう。反応:電通倒産しろ

・オタクが嫌いなもの=勝ち組=既得権益=電通

・ほらほら電通の社員さん、まとめの抽出コメより、こういったまとめサイトの書きこみの方が生の声が聞けて参考になると思うよ。電通死ねや。市ねじゃなくて死ね今死ね

・でんすけが来ると一気に流行って一気に廃れるからな

・研究したところで無駄なのは変わらない。オタクの嗜好ってもんは基本的に広告と対極にあるから

・>オタクがラブなもの研究所 脳ミソ昭和に忘れてきたの?

・ヲタがラブなものを一つだけ教えてやると「電通叩き」。電通はガンガン電通を叩くといいよ

・バラバラだったオタの心が今一つに...。お前らホントに電通嫌いだなw

さて、ここで疑問に思うは、電通ってなぜかくもオタクから嫌われちゃってるんだろうか、ってことである。ひとつには、嫉妬心というのがあるだろう。電通というと、エリート集団っていうイメージがある。いい大学出てんだろうな、とか、高給取ってんだろうな、とか、夜は六本木あたりの高級店で優雅に遊んじゃったりしてんだろうな、とか、つきあってる相手は3次元でスペック高いんだろうな、とか。リア充。勝ち組。

それが事実かどうか、私は知らない。ただ、一般の人々から見た電通のイメージって、なんだか高〜いところにおわしましまする、なところがあるのではなかろうか。

しかし、オタクが電通を嫌う理由はそれだけではない。長年にわたってオタクを差別・迫害してきた張本人が電通だ、というイメージがオタクの間で浸透している模様である。それが事実かどうか、これまた私は知らない。けど、電通は、オタクに対してネガティブキャンペーンを張り、世間一般がオタクに対して、ダメなやつ、危ないやつ、変なやつ、暗いやつ、というイメージを抱くのに加担してきた、と捉えられている。

・お前らが『キモいからこっち来んな』って言うから、離れた場所で地味にコッソリ楽しんでるのに、なんでわざわざこっちに来るの? お前らはお前らの場所で楽しくやってろよ。

・てめーらが散々オタクを叩きまくって差別しまくってきたんだろうが。しかし、それでオタクは拡大を続け、オタクを相手にしないと儲からなくって来たら一転して媚び出したと。

・電通ってオタクを馬鹿にしてるリア充だらけのイメージなんだけど金になるからってオタクに擦り寄るのやめてもらえませんか

・散々俺らを蔑んで差別して笑い者にしてきたくせに、金になると知った途端にすり寄ってきやがって、ふざけるなよ、馬鹿野郎。

・電通関係って知れただけでネガキャン張られるのわかりきってるのに、ナニをどう広告する積もりなんだか。オタクの恨みを甘く見過ぎ。

・電通「オタクってこんなにキモイ人たちなんですね〜笑い()」って嘲笑してるのを見てる視聴者の多くがオタク系だったでごじゃるよの巻。いつの間にか嫌われ者企業

オタク文化はオタクのものである。濃ゆ〜いオタクがこよなく愛し、薄いオタクもそれなりに愛するものである。それなのに、なーんも分かっちょらんくせに影響力だけは多大な集団が参入してきてひっかき回していくことに危惧を抱く意見も多々ある。

・みんな一切宣伝されなくても金を使うのに、何で宣伝屋がしゃしゃり出て来るの?

・オタク研究所なんてもんが研究して仕掛けたヒット商品なんて「オタクってこういうのが好きなんでしょ?」的な紋切型の駄作ばっか生まれるんだろうな

・基本ヲタクって天邪鬼だから、TVなんかで「流行ってます」とか言われるととりあえず一歩距離をとるんだよ。それが真に良いものなら流行るし、上辺だけのものなら流行らない。

・寒流ごり押し→ハワイへの観光客減少。AKBごり押し→グラビアアイドルの仕事激減。電通の臭い息のおかげで一部の偏った市場は潤うかも知れないが、むしろ電通など無い方が経済は満遍なく回る。よって電通は潰されるべき。

・やらせておけばいいさ。オタクコミュニティは確かに大きいけど、個々の商品市場は大して大きくないと知るだけだよ。有名どころで「初音ミク」や「東方」を見ればわかる。「初音ミク」や「東方」は、オタクにとってただの言語にすぎない。その言語を使って、多くの人たちが多くの仕方で活動し、全体として大きな市場を成しているだけだ。じゃあ言語の方を生み出せばいいっていうのは、その通りだけど、言語は自由に使えてこそのもの。自分らの手を離れたところで好き放題されることを、果たして電通は許せるのだろうか?

・電通が国内だけで呆れられるのは構わないけど、一番心配なのは、電通が「オタク文化の日本で、今、これが大人気!」とか捏造して、海外の日本ファンにいい加減なものを売り出す可能性があること。善意と好意でオタク文化に興味を持ってくれる外国人が、電通にまがい物を押し付けられて失望して去っていってしまうのが、日本人として一番怖い。

最後のコメント、非常に好きだなぁ。

ところで、エリート、金持ち、高貴な家柄の子女の中にもオタクはいる。電通社内にも濃ゆ〜いオタクはぜ〜ったいにいるに違いない。ところが、電通のサイトに掲載された発表を精読してみると、この12人のプロジェクトの中に真のオタクがいないんだな、ってのがよく透けて見える。

な〜んも分かっちゃいないんだな、と。まあ、猿を研究するチームのメンバーに猿はいなくてもいい理屈なんだけど。オタクに限っては、それでよかったかどうか。

こういうプロジェクト、やるにしても、もっとやり方ってもんがあるだろうに、と思う。つくづくマーケティング屋さんなんだなぁ、この人たちは、と。もし、チームの中に一人でも濃ゆいオタクがいたら、こういう発表のしかたにはならなかったような気がする。

もしかして、社内のオタクからも冷ややかに距離を置かれちゃってるんだろうか。下記のコメント、ほんとに社員からかどうか確認のしようもないのだけど。

・てゆーか現役電通でオタクな自分はどーしたらいいのか。仕事のためにネタ提供すべきか。趣味のためにシカトすべきか。とりあえず好きな歌姫は公表しないでそれなり売れてるコンテンツでも生け贄にするか?

●では、ツッコみますよ

オタクはトレンドセッターですか。いいラベルを貼っていただきまして、ありがとうございます。けど、違います。まるでズレてますな。私は中年男性でありながら、休日に外出するときは、セーラー服を着て出ることが多い。ツイッターなどで「罰ゲーム?」とか言う人がいるけど、いやいや、自発的に着て、大いに楽しんでおりまする。世の中からのフィードバックがやけにポジティブなもんで、勇気づけられこそすれ、やめるきっかけはなくなります。

さて、1〜2年経ったとき、世の中の男性の多くがセーラー服を着て歩くことの楽しさに目覚め、表へ出れば、あっちにもこっちにも、そんなのがうじゃうじゃ、ってことになれば面白いけど。もしそうならなかったとしても、それはそれでいい。

トレンドをセットしよう、なんて大それたこと、最初から思ってないもんで。ああ、俺は先見の明がなかった、流行らなかったのはトレンドセッターとして失敗だった、と落ち込むようなことはない。流行ろうが流行るまいが、好きなことを好き勝手にやってるのがオタク。むしろ流行らないほうがちょっと嬉しいかな〜、ぐらいの勢いで。

イノベーター理論によれば、ものの流行というものは、革新者、初期採用者、前期追随者、後期追随者、遅滞者の順に伝播していくが、革新者の始めた奇異なことが、みんな初期採用者に受け継がれるってもんでもないでしょう。オタクにトレンドセッター役を期待? 無駄無駄。まあ「痛車」とか「聖地巡礼」とか、オタク発のトレンドっていろいろあるけど、それを薄めて一般人に展開してお茶濁し、ぐらいが妥当な着地点でしょうか。

次に、「美オタ」。もう、どっからツッコんだもんか......。まずはネーミングセンスから。名詞に対して接尾語的に「オタ」あるいは「ヲタ」をつける形は、それを興味の対象とするオタク、という意味になるのが通例である。「鉄ヲタ」然り、「ハロヲタ」然り。

ちなみに「ハロヲタ」とはガンダムに出てくる「ハロ」のオタク、ではなく、ハロプロ系アイドルのオタクという意味である。その段で行くと「美オタ」とは「美に耽溺しているオタク」ってことになっちゃう。

一方、接頭語的な「美」に名詞を伴う形で「美しい何々」という意味になる例もある。美顔とか美脚とか美声とか美少女とか。こっちの形に沿った意味で「美オタ」とつけちゃうセンスに、どうにもこうにも、オタクの世界を分かっていない、オッサン臭さがぷんぷん漂うのを感じてしまう。

それよりも「あちゃー」なのは、この「美オタ」を「今までのオタクにはない存在」と言い切っちゃっているところ。私の記憶だと、コミケが華やかになってきたね、と言われたのは10年くらい前のこと。まず、コミケの来場者は常に男性よりも女性のほうが圧倒的に多いという基本事実は押さえておこう。

「今」までは、男性も女性も、漫画なり活字なりを読むこと以外に何も興味ないだろ、服なんてとりあえず体が隠れてりゃよしと思ってるだろ、な感じの人が多かった。けど、21世紀に入ったあたりから、女性がファッショナブルになってきた。

「美オタ」が一般女性よりもよくファッション誌を読む、というのは今までデータがなく、電通が発見したのかもしれない。そのファッション誌って、「KERA」とか「FRUiTS」のような原宿ストリートファッション系なんではないかい? って疑いは置いといて。コスプレイベントに来る女性たちの往き帰りのファッションをチェックしてみるとよい。たいへんおしゃれである。

コスプレイヤーは、衣装制作の技術をちゃんと学びたいという動機から、服飾関係の短大へ行く人が多い。ファッションに関心が深くて当然なのである。「美オタ」を「従来のイメージとは異なる」と言っているけど、まず、そのイメージが実態と合っているかどうかを検証してみることから始めてみてはいかがだろうか。

(1)電通のもっていたオタクに対するイメージ
(2)世間一般のもっていたオタクに対するイメージ
(3)オタクの実態

以の3つを時系列にみると、私の感覚では、たぶん、オタクの実態はそんなに変化してなく、世間一般からのイメージがだいぶん実態に近づいてきた中、電通のもつイメージだけが実態から乖離して取り残されている。

禅問答にこういうのがある。風になびく旗を見ながら、二人の僧が言い争っていた。「これは旗が動いているのだ」「いや違う。風が動いているのだ」。そこに通りかかった慧能が言った。「旗が動くのでも、風が動くのでもない。あなたたちの心が動いているのだ」-無門関-旗がオタクだとして、風が世間からのイメージだとすると、どうだろう。

過去に遡って、オタクのイメージと実態の差異を検証してみるのにお薦めの書籍を挙げておきましょう。

・岡田斗司夫『オタク学入門』(太田出版、1996年)
・東 浩紀『動物化するポストモダン─オタクから見た日本社会』(講談社現代新書、2001)
・木尾士目『げんしけん』(講談社アフタヌーンKC 全9巻、2002─2006)
・大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』(講談社、2004/2/21)
・堀田純司『萌え萌えジャパン 2兆円市場の萌える構造』(講談社、2005/4/1)
・杉浦由美子『オタク女子研究 腐女子思想大系』(原書房、2006/3)
・井上明人『ゲーミフィケーション─ < ゲーム >がビジネスを変える』(NHK出版、2012/1/25)
あ、最後のは趣旨とはちょっとズレますが、おまけです。

「美オタ」にはコミケやコスプレイベントの往き帰りでも出会えますが、この時期、一番お薦めなのは4月30日(月・祝)の「ドールショウ34春」ですね。詳しくはウェブサイトをチェックしてみてください。
< http://dollshow.web.infoseek.co.jp/
>

コーエーのネオロマンス系ゲームの男性声優たちによるライブイベントもよい。オタクとはちょっとズレるけど、地続きな領域にヴィジュアル系のバンドのライブがあり、これもよい。ズレるけど地続きという意味じゃ「宝塚」もある。まあ、「美オタ」扱いされちゃ怒る人も多そうだけど。

あと、池袋の通称「乙女ロード」。身の安全のためには言わないほうが賢明なのかもしれないけど、ここで言う「乙女」とは「腐女子」の婉曲表現である。以前、「B:Lily-rose」というBL喫茶があり、ほんとうにすばらしいお店だった。黒服にばりっと身を固めた男装の令嬢が低い声で「お待ち申し上げておりました」というのも「超かっけー」んであるが、それにも増して、来店する淑女たちのファッションがすごかった。貴族さながらの美しい令嬢たちの集うお店であった。

「美オタ」ってぜんぜん新しくないじゃん。10年来撮らせてもらっているコスプレイヤーに聞いてみた。彼女は服飾の短大を出ている。「電通に狙い撃ちされてるけど、なんかコメントある?」。「うええええーーーなにこれえええ。電通って、やばいかいしゃだなあ( ;´Д`)確実にオタクうけの逆を行ってるね〜 オタラブ活動はほとんど知られずにこけそうww」。

けど「電通に期待、。。。するならやっぱ企業ならではのロケ地の開放かな! 一般人が使えないような撮影ロケ地でイベントとかやってほしー! 映画で使われたセットとか、さ。例えば桜田門外の変のセットでイベントやってるとこみたいなのを期待してしまうわあ(*^^*)」とな。天下の電通様様、やるならこういうことやってちょーだいませませ〜。

しかししかし。この時期にオタクの研究を始めるのは、まったくの的外れでもないような気もするのだ。映画『電車男』が封切られた2005年ごろはひとつの「オタクブーム」であり、その結果として世間からのオタクのイメージが著しく向上したが、今年あたり、次の山が来るのではないかという予感がしている。

それは「ゲーミフィケーション」に代表されるように、今までオタクのものだった濃ゆい楽しみが、ほぼ全一般人に拡散・浸透していく流れになっていくのではなかろうか。

「電通オタクがラブなもの研究所」の活動のひとつに「有識者ネットワークの構築・活用」が挙げられている。上記書籍リストの著者など、評論系の人々にあたってみるのもいいだろう。けど、もし全部お断りされちゃったりなんかしたら、僭越ながら私がやらなくもないですよん。まあ、(親指と人差し指で輪を作りながら)コレ次第ですけどな。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。女装オタクも研究してくれんかのぅ。

「男一匹プラス猫五匹、廃車に暮らす」を書いたのは2回前の3月30日(金)のことだが、4月22日(日)に人形の撮影で再び訪れた。なんと! 猫が10匹増えていた! 5匹、10日置いて別のがまた5匹産んだそうで。後のは目がやっと開くか開かないかぐらい。

私が埼玉県福祉士会に電話して聞いたことと、上田さんが語ることが食い違う。貧困ビジネスのかほりがぷんぷん......。橋の下を立ち退かされて、アパート暮らしを始めた何人かは、もうすでに河原の別の場所に戻って来て暮らしているという。亡くなったホームレスの空き家とかに。

書きたいこと、いっぱいあるんだけど、もうすでに長くなっているので、続きはまた今度。あ、もう一言。生活保護受給者200万人、その額年間3兆円。急増中。政府が「無駄」を削ると仕事にあぶれる人が増えて、生活保護の支出が増えるという「無駄」。仕事、出そうよ、河原のゴミ拾いでも草刈りでも。

4月15日(日)、セーラー服を着て中野駅付近を歩いていると、制服を着た男子高校生から呼び止められた。同じ学校の仲間4人と一緒に写真を撮らせて下さい、と。近くに立って政治思想関係のビラ配ってるオニイサンにシャッターをお願いする、その勇気あったらリアル女子高生をナンパすればいいのに。

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編集後記(04/27)

●デジクリは明日から長期の「GWメンテナンス休暇」に入ります。
次回の発行は5月14日(月)となります。

●成毛眞「日本人の9割に英語はいらない」を読む(祥伝社、2011)。ご存知マイクロソフトの元社長が、第1章「本当に英語は必要なのか」で、「頭の悪い人ほど英語を勉強する」「創造力のない人ほど英語を勉強する」「英会話スクールのカモになるな」などと刺激的な見出しで英語不要論を展開する。外資系トップだった人の挑発だから、非常に説得力がある。第2章「英語を社内公用語にしてはいけない」の章では、ユニクロや楽天をこきおろし、「英語ができても、バカはやっぱりバカである」「英語ができても自分の付加価値にはならない」などとボロクソである。まことに小気味がよい。

結局、言いたいことは「本当に英語が必要なのは1割の人。残りの9割は勉強するだけムダである」であり、その理由が成毛流に、過激にそしてやや得意げに述べられた本である。この1割の根拠はちょっと乱暴な計算だが、雰囲気としてはまあそんなものか。第3章以降は読まなくてもオッケー。

著者は、自動車部品メーカーから、出版をやりたくてアスキーに転職したら、子会社であるマイクロソフト日本法人の前身に出向を命じられた。会社で外国人が話す英語の99%は理解できなかった。だが半年もしないうちに一定レベルのビジネス英語を使えるようになったという。まともに英語を勉強したことはないのに、なぜ英語を自分のものにできたかというと「耳がいいのかもしれない」にはオットットである。

書かれていることはもっともなことで、英語ができないわたしにとって、英語不要論(というか日本語防衛論)の理論武装に役立つと思った。だが、英語ができない人がこの論を受け売りするのは危険だ。そうだそうだと納得し、心に秘めておくのがよい。また、学生が「英語を勉強しなくていい理由」に利用するのもよろしくない。それにしてもつまらない装丁である。(柴田)
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●GrowHairさんのにコメント書きはじめたら長文になった。同意と、似非オタクである自分が、元来の現役オタクらを知っているからこそ書きたかった文章。彼ら、彼女らは凄いのだ。研究したところで真似できん。流行とは相容れないもの。服装については別の意見があるが、長くなったのでカット。今のオタクさんたちは門戸が広く、市民権があっていいなぁとは思う。カテゴリ細かすぎて収拾つかないと思うし、流行はじめたらオタクは別の注目されていないカテゴリ見つけて遊んだり、またはそのまま貫いて流行が終わっても続けるだろう。「みんな一切宣伝されなくても金を使う」「流行ってますとか言われるととりあえず一歩距離をとる」「個々の商品市場は大して大きくない」「海外の日本ファンにいい加減なものを売り出す可能性がある」というのは分かる気がする。

雪組トップの音月桂が退団発表。長期トップだと思っていたので驚いている。もったいない。退団公演は当て書きが多いのに、彼女の場合は『JIN(仁)』なんだって。JINでお別れの言葉、名言があるといいな。

仕事が詰まっていて、お花見に行けなかったというか、桜が咲いたことにすら気付かなかった。後記でもぼやいていた。二週間前のまにフェス当日、うちの一番大きなハメゴロシの窓に桜の花びらが。部屋は16F。ここまで迎えに来てくれたのねと嬉しくなった。今もついたまま。次に強い雨が降るか、強い日差しで乾燥するまでは残ってくれそう。と書いてボツになっていた。一週間前の夜に落ちてしまった。休み前なので載せちゃった。GWは予定がたんまり。遊ぶぞ〜! 皆様も楽しんでくださ〜い!(hammer.mule)
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桜の花びら。出かける前に慌てて撮ったから写真は汚いよ〜ん
< http://item.rakuten.co.jp/kuwakabu/c/0000000136/
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ヘラクレスオオカブトの三枚目の写真が、ちょっと可愛い(閲覧注意)