私症説[63]七人のスマファー(造語)と愛のサドンデス/永吉克之

投稿:  著者:  読了時間:8分(本文:約3,600文字)


今回のコラムを読んでいただくにあたって伺いたい。読者諸賢は《モンティ・ホール問題》という言葉を耳にされたことがおありだろうか? 確率論の問題らしいのだが、今回の内容とは何の接点もないので、興味のある方だけ、調べるなり調べないなり好きなようにしていただければ結構である。


いやしかし驚いた。昨日のことだが、仕事の帰り、南海本線の電車に乗ると、座席がひとり分だけ空いているのが眼に入ったので、ヘッドスライディングをして席を確保。やれやれ今日もしんどかったなと溜め息をつきながら腰掛け、おもむろに顔をもたげると、向かいの座席にいる七人全員がスマホを見ているではないか。

スマファー(造語)が七人も一列に並ぶなんて! 惑星直列を目撃したような驚愕を覚えて顎の関節がはずれた。

私は何かというとすぐに顎がはずれるのだ。プロ野球日本シリーズ第5戦で、阪神タイガースの打者が走塁妨害の判定でアウトになって優勝を逸した時も顎がはずれた。自販機でコーヒー一本分の硬貨を入れたのに、二本出てきた時もはずれた。

顎がはずれると顔の長さが倍になる。それを見た七人の乗客たちはみな眉をひそめて、一斉に言った。

「あんたなあ、今どきこんなん普通やで。みんながガラケー見とったら、そっちの方がびっくりするやろ」

やや問題のすり替えがあるように思えたが、なにしろ顎がはずれているので、何も言えず、「あーあー」と言いながら頷くことしかできなかった。

堺駅で降りてからも、このみっともない顔のまま、溢れた涎がだらだらと流れ落ちるにまかせて家に帰ったものだから、涎から発生するオゾンに反応して、無数の業者が自宅までついてきた。

それに気がついたのは、マンションの18階にある自宅の玄関ドアを閉めた後で、すでに業者の群が家のなかに入り込んでしまっていた。そして冷蔵庫から発泡酒を出して飲んだり、掃除をしたり、畳をむしったり、洗濯物を取り込んだり、好き放題をし始めた。

                 *

《ほう、新刊が一冊もありませんね!》

本棚を隅々まで眺めていた業者が言った。彼らはみなテレパシーで話しかけてくる。だから私の考えも読み取ってくれるので、顎がはずれたままでも会話ができるのだ。

たしかに私の蔵書といえば、ほとんどが古本屋で買ったもので、著者もすでに歴史の人となっているものが多い。

私が古典の鑑賞を愛するのは、あまねく知られているものでありながら、まだ自分自身は見たことのないものをその眼で確認した時に似た感慨がそこにあるからである。

《ほう、古典を紐解くことの価値を普遍的な概念で説明するわけですね!》

私がパリで、ヴェルサイユ宮殿を初めて見た時(フランスには行ったことがない)、嗚呼これがベルばらか、嗚呼あれがオスカルか、と胸が打ち震えた、あのときの感慨に似ている(ベルばらは読んだことがない)。

また、中国で北京観光をした時(中国にも行ったことがない)、天安門広場を見て、民主化を要求する若者たちの希望と肉体が戦車によって圧し潰された現場はここか、と当時のニュース映像が脳裏をよぎった時の感慨に似ている。

《ほう、グローバルな視点ですね!》

また時には、この本を若い頃に読んでいれば、いまの自分はもう少し違っていたはずだと、過ぎ去った時間を取り戻そうとするかのようにして読むのである。

《ほう、死んだ子の年を数えるようなものですね!》

その時、台所のガスコンロの上で天ぷらを揚げていた業者が、ゴキブリを殺そうとスタンガンで放電したため、煮えたぎる油に引火させてしまい、炎が天井まで吹き上がって、たちまち台所が火の海になり、爆発音とともに私のいる居間にまで一気に燃え広がってきた。

                 *

昨年、私は、デジクリ編集部のご厚意で、電子書籍を出版することができたわけだが、これが永吉の遺作ということになったら、あまりにも私が可哀想なので、焼け死ぬ前に書き下ろしで出版しようと思った。

そこで、無料のEBUP編集ツールであるSigil(シギル? シジル?)をダウンロードして、自家薬籠中のツールとすべく習得に励んだのだが、バージョン0.7.2を使っていたら、0.7.4が出たのでバージョンアップして起動しようとしたら《予期しない理由で終了しました》というメッセージが出た。火がそこまで迫っているというのに、なってこった。

ちなみに、私のMacのOSは10.7.5だが、このバージョンだとエラーになるのだろうか。Sigilの次のバージョンが出るのを待つか(というか、出るのだろうか?)、Calibreなど他のツールを試してみるしかない。

しかし、起動してもいないのに《終了しました》とは横柄なソフトである。交際してもいない女に、「別れましょう」と言われたような気分だ。

とりあえずは、旧バージョンを使うことにして、Sigilの練習を再開したが、どうも腹の虫が治まらない。

「貴男とはもうやつていけないわ。別れませう」……旧制高校時代、タツヱにそう言われた時のことを苦々しく思い出していた。

「勘違ひするなよ。君と僕は一度、昼食の席をともにしただけぢやないか。それを、ステデイな関係になつたんだと君が勝手に思ひ込んでゐるんだらう」

「わからないの? 私達の愛はサドンデスなのよ!」

意味がわからない。

                 *

家中のものを燃やし尽して火は消えた。出版は間に合わなかった。業者たちはすでに炭になって、あちこちに転がっていた。私も炭になって転がっていたところ、炭になった電話機が鳴った。マンションの管理事務所からだった。

顎がはずれているので、「もしもし」の代わりに「あー」としか言えなかったが、苛立った様子の管理人はお構いなしにしゃべり始めた。

「永吉さん。居住者台帳の提出、期限すぎてまっせ。こない言うたらなんやけど、管理組合の総会の出欠の返事にしても、工事の承諾書にしてもなんにしても、提出期限が過ぎて、いつもこっちから催促せんと提出してもらわれへんの、どないかしてもらえまへんやろか」

「あ、あーあ」

私はあわてて、炭になった公共料金や固定資産税などの督促状の下から、炭になった居住者台帳を探し出して、炭になったボールペンで記入して、一階にある管理事務所に持って行った。

「わははは。こらまた永吉さん、えらい炭化しはって。前も後ろもわかりまへんがな。この時期になると、業者が家に入り込んで好き勝手しよりまっさかいな。とくに天ぷら揚げる業者には気ぃつけなはれや。絶対にスタンガン使わせたらあきまへんで」

「あーあ、ああ。あーあ」

電話では怒っていた管理人だったが、私が炭化しているのを見て気持ちが和んだ様子だった。こういう感情の移り変わりの早い人は、どこか微笑ましく、決して嫌いではない。

【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp
ここでのテキストは、ブログにも、ほぼ同時掲載しています。
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筆者は50歳前後で独身の貧乏アーティスト、元専門学校講師。デジタルアートの作品展で、彼の作品自体の妙なところに加えてその解説がやたらおもしろかったため、「日刊デジタルクリエイターズ」編集長から芸術についておもしろおかしいエッセイを書いてみないかと誘われる。

連載当初の数回は比較的まともだったが、徐々に独特の確信犯的思いこみエッセイに変身、その妙なおもしろさが爆発的な人気を呼び、本人も文筆の才能を開花(?)ますます不条理な世界を突っ走っている。

不自然なまでに誇張された表現、真実だかフィクションだか判別しがたい話、あたかも人生の本質であるかのように装っているが実は空疎な話、一行で済む話を何十行にまで水増しして書く根性、針小棒大。

内容は、芸術、人生、社会、言語などと分類できないこともないが、そもそもあまり意味のない内容なので、全部ごちゃまぜにして上・下各26編を掲載。それぞれタイトル下に、不条理イラストを添付。また個展などで発表した作品も20点ほど収録、そのタイトルと解説もじつに独特な世界。

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